今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月02日の記事を紹介します。
「頼まれごとの人生」
私たちは「誰かに喜ばれる存在として生きる」ために生れてきました。
喜ばれる存在として生きるとは、
自分が達成目標を掲げて、必死に努力し、
ひとを蹴落とし、人より抜きん出たりすることではありません。
小林正観さんは、
「喜ばれる存在」 とは、「頼まれやすい人」であるとおっしゃっています。
では、小林正観さんの著作よりご紹介します。
<引用開始> 引用元
まわりに喜ばれる喜びは、自分が喜ぶのとは、比べられない大きさです。
人は、人の間に生きていることから「人間」と言います。
人間として生きるということは、
自分のためではなく、他に存在するもののために生きるということです。
体の中に目を向けてみても、肺や心臓、肝臓、腸など自分のために存在する臓器は何ひとつありません。
みな、体内の他の臓器や細胞を生かすために働いているのです。
ひとつの宇宙が、人間の体にまとまっている、ともいえるかもしれません。
ですから、人は、この世に生れたからには
自分がいかに目標に向かって歩み、達成するかということではなく、
いかにまわりに喜ばれる存在になるか、ということに尽きます。
たとえば頼まれごとをやってあげて、相手がにっこり笑って「ありがとう」と言ってくれたとき、本当の「存在の喜び」が湧いてきます。
喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せなのです。
人に喜ばれることをしてみましょう。
いちばん楽しくて、幸せなのは実は私なのではないか、と思えるに違いありません。
<引用終了>
人間の本能に、人から喜ばれるとうれしい。。
そういうものが備わっているそうです。
これは、どんな人も、例外なくそうです。
ですから、周りの人に対して、
短所をあげつらったり、不平不満、愚痴や、嫉妬をぶつけたりせずに、
笑顔で、「ありがとうございます」と言ったとき。
言われた人は、心の底からの喜びを感じることができます。
そうなると、言ってくださった人のために、なんでもして差し上げたくなり
一辺に、強力な味方になってくださいます。
小林正観さんは、こうも言っています。
・自分にできないことは頼まれません。
・頼みやすい人は喜ばれる存在です。
・頼まれごととは、自分が汗をかいて、その人の頼みごとに応えることを言います。
・頼まれたらどんどん引き受けていきましょう。
なぜなら、私たちが生まれてきた目的は
「いかに喜ばれる存在になるか」ということだからです。
それはつまり、「いかに頼まれやすい人になるか」ということです。
・頼まれやすい人は、頼まれやすい顔をしています。
いつも笑顔で機嫌よく、愛のある言葉を使い、相手をほめ、ほっこりさせてくれます。
・頼まれにくい人は、いつも不機嫌で、
不平不満をいい、色々なことの。あら捜しばかりしています。
また、先日記事に書いた、「林先生が驚く初耳学!」でも
まったく同じ結論に達していたのですが、
頼まれごとではなく、自分の意思で、自分のやりたいことをやった場合には
あまり良い結果は出ないけれど、
人から頼まれたことを、精いっぱいやっていると
非常に物事がスムーズに運び、うまくいくというのがありました。
このことを小林正観さんは、次の例で説明しています。
<転載開始> 転載元
・モーツァルトの曲が残っている。
・ショパンの曲が残っている。
・ベートーベンやリスト、シューベルトの曲が残っている。
この人たちの曲は、ほとんど「宮廷音楽」です。
王国貴族からの「頼まれごと」で、作曲した曲が今も残っています。
ヴァン・ダイク、ルーベンス、ミケランジェロの絵画が残っている。
これらの絵画もみな「頼まれごと」で描かれたものでした。
そして、ルノワールも。
後世に残るような仕事は、「頼まれごと」ばかり。
自分の意思で「何かを成し遂げよう」とした作品 (自分の思いが強い作品)の中で、
歴史的に意味のあるポジションを占めている作品はありません。
<転載終了>
頼まれごとというのは、
私たちが生まれる前に決めてきた人生のストーリーをその方向に推進するために、
神様が、他人の動作、言葉を介して、私たちの方向を変えるときに使う手段のようです。
逆に頼まれごとではなく、自分の好みや知識でこれをやってやる・・ そう決心して努力してもあまりうまくはいかないようです。
欽ちゃんも、自己主張するのではなく、
頼まれごとをこなしていくことの大切さを説いています。
もちろん、全ての頼まれごとを何の考えもなしに引き受けるわけではありません。
正観さんは、以下の場合には、断っても良いとおっしゃっています。
・ 「お金」「借金」の問題
・ 頭数を合わせたいだけ
・ 完全にできないこと
確かに、この宇宙も、身体の中のすべての動きも、
全部が、お互い様、助けいあいで動いています。
何一つ、自己主張し俺が俺が、というものはありません。
人間関係もやっぱりそうですね。
みんなが自分の好きなこと、得意な分野、自分にできることで、周りに貢献していけば、
そこには、自然と、助け合い、お互い様、おかげ様の精神がはぐくまれ、
いつの間にか平和で、美しい世界に変わっていくのでしょう。
無理をしなくても、神様は、全ての人に居場所を準備してくれています。
その世界では、全てが自然に流れますから、悩み苦しみさえも、ないのでしょう。
動物たちと暮らしている方は、お分かりかもしれません。
彼らは、決して過度の自己主張することもなく、
未来に対する不安もなく、自然に任せ生きています。
病気になるときはなる、死ぬときには死ぬ。
これはまさに良寛さんの言った良き生き方そのものです。
災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候 死ぬる時節には、死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるる妙法にて候
かしこ