今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月25日の記事を紹介します。
「ヒマワリのような人」
人の悩みごとのほとんどが、自分自身の悩みでなく、他人が自分の思い通りに動いてくれないが、どうしたらよいのか?
そんな類の悩みがほとんどなのだそうです。
ブッダはそんな悩みごとを相談された時は、お答えにはならず、静かに瞑想に入ってしまわれたそうです。
私たちは、他人を思い通り動かすことはできません。
他人の人生の宿題を代わって差し上げることはできません。
なのに、そのことで、沢山の悩みを抱えている人が多いのです。
憎しみを抱き、自分の心と体を傷つけている人が多いのです。
では、小林正観さんのお話を紹介します。
<引用開始> 引用元
相談される人に重要なことですが、
すべての相談者の悩みに同化して浸り込んでいったら、多分大変だと思います。
私は、年間3万人ほどの人とお会いしますから、どんなに大変な悩みを抱えている人が現れても、淡々と「で、何が問題なんですか?」と言えないと、ノイローゼになってしまうでしょう。
皆さんも、人から相談を受けることがあると思いますが、ひとつ覚えておいていただきたいことがあります。
仏教には、大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)があります。
大乗仏教というのは、大きな乗り物を意味し、困っている人、苦しんでいる人を救済して、
たくさんの人を乗せて彼岸へ行きましょう、という考え方です。
一方、小乗仏教は、小さな乗り物ということですから、自分が悟ればそれでよし、と考えます。
タイ、ビルマ、インドは、小乗仏教の国で、もともと釈迦は小乗仏教的な考えをしたと思われますが、釈迦が死んで500~600年経つと、大乗仏教といううねりが起き、それが中国に伝わり、のちに日本に伝わって、日本は大乗仏教国になりました。
大乗仏教の広く救うという考えが浸透した結果、私たちは目の前に問題を抱えた人がいたり、辛そうな人が現れると「解決してあげなくっちゃ」と思い込むようになってしまったようです。
こうした傾向は、人生相談を受けるとき、確かによく表れていて、相談者の98%が自分以外のことで悩んでいます。
自分がこういう状態で困っている、というのは100人に2人ぐらいで、あとは「夫がこうだ」「妻がこうだ」「子どもがこうだ」という、自分の外側にいる人の悩みや苦しみや社会の矛盾を、あっちこっちからクマ手でかき集めているように思います。
その人たちのことを心配する結果、ご本人はまったく笑顔ではありません。
基本的なことを言いますと、私たちができるのは、まず、自分が笑顔になること、自分が太陽になることです。
その向こうにいる人の悩みは、自分のことではないのですから、解決できなくて当たり前です。
「私たちにそんな力はない」と思い切ったところから、ものすごく楽な人生が始まります。
しかし、自分が太陽ではないのに、「周りを明るくしてあげなくちゃ」という人が大半です。
まず、自分が明るく幸せな人になりましょう。
それが、私の言う“実践”です。
この提案は、小乗仏教でとどまりなさい、ということではありません。
小乗仏教的な考え方で、明るく素敵に生きている人は、長い目で見ると、結果として周りにいい影響を与える可能性があるということです。
私は、小乗仏教的に生きています。
だから、ものすごく楽に生きています。
自分は何も背負っていないし、世の中を変えようとも思っていません。
ただ《実践的に生きる》ようになっただけです。
あなたが、笑顔の素敵な《太陽さん》になって、ひたすら幸せな光を投げかけていけば、周りの氷は自然に溶けていくでしょう。
そいう溶かし方を取り入れることにしませんか。
<引用終了>
話は変わりますが、 「対向車のライトがまぶしくて、歩行者に気づかなかった」
小雨の降る夕暮れ時、そんなヒヤリとした体験をしたことはありませんか?
そんな時は、ラッキーなことにご先祖のどなたかが助けてくださったのかもしれません。
生きている私たちと神さまの間に立って、中継ぎをしてくださっているのがご先祖なのだそうです。
私も何度も身近で見てきました。
こんな深刻なヒヤリの時はきっとご先祖様が守ってくださることでしょう。
ご先祖も生きて肉体が亡くなった後は、天界で神様への道を進むのだそうです。
時には少し道を踏み外してしまう方もいらっしゃるようです。
また私たち生きている子孫が、先祖の方々を思うたび、ご先祖の足元が照らされ、神様への道を誤ることなく進めるのだそうです。
亡くなったご先祖が幸せで、神様の光に満たされていれば、それに呼応して、私たち子孫も幸せになれます。
きっと私たちが いざと言う時に守ってくださる力も強いことでしょう。
これは縄文からの日本人の心・考え方です。
ご先祖を普段から敬い 大切にしている人は、ご先祖に神様のパワーが宿っているために、
私たち生きている子孫のピンチの時に助けることができます。
逆に、ご先祖が苦しみの中や、囚われ領域にいる場合、私たちを助けることなどできません。
自分が精一杯で余裕がないからです。
同じように私たちが周りの人を助けるには、私たちの心が感謝で満たされ、安定していなければできません。
ブッダが行動で示されているように、他人の問題に手を突っ込み、口出しするよりも、まずは自分の心を愛や感謝で満たすこと。
自分が、自分のことに集中し、いつも笑顔で感謝の気持ちで過ごしていれば、その明るく太陽のような神様の光が自然と周りを照らしてくれることでしょう。
他人を自分の価値観で、思いで、どうこうして差し上げたいというのは、もしかしたら少し不遜なのかもしれません。
彼らには彼らの道があり、彼らの時があります。
そのために今の道を歩んでいるからです。