2023年1月18日水曜日

2945「生きていていいんだよ」2023.1.18

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月11日「生きていていいんだよ」と2023年01月15日「障害を持って生まれた訳」の」2つの記事を紹介します。


「生きていていいんだよ」

今日は「愛語」について実際にあったお話をご紹介します。

愛語と言うのはブッダの言葉です。

ブッダは、私たちが幸せな人生を歩む6つの道(善)を教えられています。

それは六度万行(ろくどまんぎょう)といわれます。

この6つの善いことのうち、どれか一つでも徹底して実行すれば、幸せになれる、 

と説かれているのです。

そして六度万行の一番目に挙げられているのが『布施』です。

その布施行の一つに

『和言愛語(わげんあいご)』があります。

和言愛語とは、和やかな笑顔【和顔】と、優しい言葉【愛語】とを施すことです。

さて、それでは実際にあったお話です。

曹洞宗長徳寺の住職 酒井大岳山さんのお話です。

<引用開始> 引用元

 

ある書道の時間のことです。

教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい女子生徒がいました。

傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は、咄嗟にその言葉を呑み込みました。

彼女の右手は義手だったのです。

「大変だろうけど頑張ってね」と自然に言葉を変えた私に

「はい、ありがどうございます」と明るく爽やかな答えを返してくれました。

彼女は湯島今日子(仮名)といいます。 

ハンディがあることを感じさせないくらい勉強もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。

もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。

三年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒にダンスに出場していました。

1mほどの青い布を、左右の手に巧みに持ち替えながら、音楽に合わせて踊る姿に 

感動を抑えられなかった私は、彼女に手紙を書きました。

「きょうのダンスは一際見事だった。校長先生もいたく感動していた。

私たちが知らないところでどんな苦労があったのか、あの布捌きの秘密を私たちに教えてほしい」という内容です。

四日後、彼女から便箋十七枚にも及ぶ手紙が届きました。 

ダンスの布については義手の親指と人差し指の間に両面テープを張って持ち替えていたとのことで、「先生のところまでは届かなかったかもしれませんが、テープから布が離れる時、

ジュッという音がしていました。その音は私にしか聞こえない寂しい音です」と書かれてありました。

「寂しい音」。

この言葉に私は、心の奥に秘めた人に言えない彼女の苦しみを見た思いがしました。

十七枚の便箋に書かれてあったのはそれだけではありません。

そこには生まれてから今日まで彼女が生きてきた道が、綿々と綴られていました。

 

彼女が右手を失ったのは三歳の時でした。

家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて、手が焼けてしまったのです。

切断手術をする度に腕が短くなり、最後に肘と肩の中間の位置くらいから義手を取り付けなくてはならなくなりました。

彼女は、小学校入学までの三年間、事故や病気で体が不自由になった子供たちの施設に預けられることになりました。

「友達と仲良くするんだよ」と言って去った両親の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、

施設の中で三日間、泣き通したといいます。

しかし、それ以降は一度も泣くことなく、仲間とともに三年間を過ごすのです。

そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅にある大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、 

園長先生が彼女を膝に乗せてこのような話をされました。

「今日子ちゃんが、ここに来てからもう三年になるね。

明日家に帰るけれども、帰って少しすると今度は小学に入学する。

でも今日子ちゃんは三年もここに来ていたから、知らないお友達ばかりだと思うの。

そうするとね、同じ年の子供たちが周りに集まってきて、今日子ちゃんの手は一つしかないの?

なにその手?と不思議がるかもしれない。

だけどその時に怒ったり、泣いたり、隠れたりしては駄目。

その時は辛いだろうけど、笑顔でお手々を見せてあげてちょうだい。

そして『小さい時に火傷してしまったの。

お父ちゃんは私を抱っこしてねんねする時、この短い手を丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛いとなでてくれるの』と話しなさい。いい?」

彼女が「はい」と元気な明るい返事をすると、園長先生は彼女をぎゅっと抱きしめて、声をころして泣きました。

彼女も園長先生の大きな懐に飛び込んで、三年ぶりに、声を限りに泣いたそうです。

故郷に帰って小学校に入った彼女を待っていたのは案の定「その手、気持ち悪い」

という子供たちの反応でした。

しかし、彼女は園長先生との約束どおり、

腕を見せては「これは丸ちゃんという名前なの」と明るく笑いました。

すると皆うつむき、それから誰もいじめる子はいなくなったといいます。

私が教室で愛語について話した時、

彼女は酒井先生は愛語という言葉があると黒板に書いて教えてくれたけど、

園長先生が私にしてくれたお話がまさに愛語だったのだと思います 

と感想を語ってくれました。

彼女はその後、大学を出て「辛い思いをしている子供たちのために一生を捧げたい」と千葉県にある肢体不自由児の施設に就職。 

いまでも時々、写真や手紙などを送ってくれています。

<引用終了>

 

私達の周りには色んな人が居ます。

いろんな個性の人もいます。

身体の強い人、弱い人もいます。

そして時々人は、他の人が、自分と違う。

何か違和感があると言うだけで、 

・差別し、

・排除し、

・時にはいじめまですることもあります。

これは悲しいことですが、厳然たる事実です。

その結果、傷つき、涙を流している人もいます。

そして、それを行った本人も、実は同じだけ傷ついています。

ご自分の良心に反する事をしたのですから、自分自身の神様の心が、それを良しとしないのです。

ですので、それを繰り返すと、自分自身の心がすさみ、結局、自分が不幸な道を歩むことになります。

そして、その不幸な道と言うのは自分だけでなく、身近な人にまで影響を及ぼします。

ですから、良心に反する行為と言うのは、あまり軽く考えていると、大きな落とし穴にはまってしまいます。

もちろん、それに気付いた時に、反省し、方向転換すれば、いつでも許され、元に戻れるでしょう。

神様は裁きませんし、愛そのものだからです。

私達は色んな個性が居る世界に生きています。

自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、ブッダが言うように 

いつも、笑顔で、愛のある、思いやりのある言葉を使いたいものですね。 

みんなが そのままの、ありのままの自分でも、

生きていていいんだよって 

そう思える、優しい社会にしたいものですね。

 


「障害を持って生まれた訳」


今日は、障害を持って生まれた意味についてのお話です。

レインボーチルドレン、クラリオン星人の小学生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君のお話です。

以前レインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を書きましたが、そうたくんも、まりなちゃんと同じく、まさにこの過渡期の地球を救うために神様から送り込まれたような子供です。

小学生とは思えないほど、知性が高く、まりなちゃんと同じように

宇宙の真理、神々の意思を語っています。

大切な部分かいつまんでピックアップしてみます。

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・他の人にはできない学びが一杯ある

・その苦労を分かっていて、その苦労自体を魂的に楽しむために生まれて来た

・いつも同じアイスだけど、今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリで選択してくる。

・でも、誰でもが、障害のある人生を選べるわけではない

・何度も人間を経験してきた魂だけ

・特別な契約をして、その予約が取れた時だけ、この人生を選べる

・この特別な状態を、何億人もが行列待ちをしている。

・障害を持って生まれてくること、将来の障害を計画して生まれてくることは、

 宝くじ1等に当たるくらいの確立しかなく、相当に喜ばしいこと

・それだけレベルの高い経験である

・だから、その状態を「かわいそうだな」と思わなくともよい

・障害を経験する計画を持って生まれてくる人は、

・他の人と比べて自分の力でいろんな経験ができる人

・その経験ができる人は、神様が選んでいる

・そして自分で納得し、特別な契約を交わし、生まれてくる

・その子の親となる人も、大変な倍率の中から選ばれた人

・その親になる人も、神様に選ばれてきた人

・何も知らない親は、自分を責めている人が多いけれど、

・その自分を責めてしまう経験でさえ、魂はわかっていて、求めて親になることを承諾してきた

・お母さんも、その経験をしたくて、予約して、やっと選ばれて生まれて来た

・その経験をお互いがすることで、魂の経験値が一気に上昇する

・親も、当事者の子供も、普通の人にはできない大きな「感情」を経験できる

・生きている間は、障害を選んで生まれて来た記憶はないけれど

・それが分かっていたら、最初から正解が分かっていたら、何の経験値も得られないから。

・でも、死んだ後、肉体を去って天国に帰った時に、そのすべての崇高な計画が理解できる

・生きている間、いろんな感情を味わいながら、

・泣いたり笑ったりしながら人生を歩んでいくことこそが、魂にとって、

・大切な経験値となる

・悩んでいること、チャレンジしていることが、魂にとっては楽しい経験となる

・魂にとって、その境遇を

・苦しむことも、楽しむことも、とっても大切な経験となる

・生きている間、私たちはこれらのことを全て忘れているため

・障害を楽しむという概念がないけれど、

・本当は、自分で望み、何億人もの行列を待って掴んだ大切な人生経験

・もう少し、その経験を楽しんでも良いのかもしれない

今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリ・・

 

私たちは、少し人生を重く考えすぎているのかもしれませんね。

・こう、あらねばならない

・そこから外れたら、負け、破滅

・物質的に豊かでなければならない

・高級なものを沢山持ち、ぜいたくな暮らし

・人の世話には絶対なってはいけない 

などなど。

ですが宇宙的な視点、神様から見ると少し違うようです。

人生で起こることに、良いも悪いもない

全ては、魂の経験 

地球でしか味わえない「感情」を通して、魂の経験値を上げていく、

ワクワクするような地球での経験

そんな経験がしたくて、私たちは地球にやってきた。 

ここ地球で起こる全ての経験は、自分と神さまで相談して決めてきたこと。 

神様は、私たちが生まれてくるときに

「楽しんでくるんだよ」って送り出してくれたこと。 

私たちは、生まれてから、肉体を脱ぐときまでずっと、守られていること。。

地球意識がそれを許してくれていること・・ 

私達に 大切な経験を与えてくれる、この地球で出会う、家族、友達 

・私が好きな人

・私を好きな人 

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人 

みんなに感謝ですね。 

  

どうぞ、勇気をお持ちください。

神様に選ばれたのですから。