2023年1月13日金曜日

2940「優しい世界に」2023.1.13

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月07日の記事を紹介します。


「優しい世界に」


水面下の戦いが一気に噴き出したかのような世界情勢や、コロナの影響も、もう少し続きそうですが、それでも、その先に、

「一人一人の心が大切にされる優しい社会」が待っているとなれば、

何とか希望の灯を消さず、耐え忍べます。 

その後の社会では、アメリカでも中国でもEUでもなく、

日本がリーダシップをとるのではないかと言われています。 

それは、日本人の中に眠っているDNAです。 

・法的な禁止措置を取らず、都市封鎖を行わないまでも外出の自粛に従う国民性

・東日本大震災(今回の予行演習)の悲惨な状況の中、規律を守り、助け合い、譲り合う多くの人々 

また19世紀後半に、日本を訪れ帰化した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、

いずれ西洋の近代文明が行き詰った時、それを救うのは日本人であると予言しました。 

なぜなら日本人は先祖の命(霊)とともに生きているから・・ 

まさに和をもって尊しとする、争わず、敵対するものでさえ、包み込もうとする

大きな大きな心を持つ日本人の特性が注目されています。 

世界的なパンデミックという大きな災害が通り過ぎた世界で、世界中が、その優しい心を求めるのではないか? 

何だかほっとして、生まれて来た目的をやっと少し思い出すのではないか? 

そんな気がします。 

まさに日本人冥利に尽きますね(笑) 


さて今日は「優しい世界に」というテーマです。 

マザーテレサが、よく引用していた聖書の中のイエスの言葉を紹介します。 

あなたたちは、 

・わたしが飢えていたときに食べさせ、

・のどが渇いていたときに飲ませ、

・旅をしていたときに宿を貸し、 

・裸のときに着せ、

・病気のときに見舞い、

・牢にいたときに訪ねてくれた

すると義人たちは答えて、

主よ、いつ 私たちはあなたの

・飢えているときに食べさせ、

・渇いているときに飲ませ、

・旅のときに宿らせ、

・裸だったときに服をあげ、

・病気のときや牢に入られたときに見舞ったでしょうか? 

主は答えました 

まことに私は言う。

あなたたちが私の兄弟である、これらの小さな人々の一人にしたことは、

つまり私にしてくれたことである。 

私たちが、小さな人々に行った優しく、愛のこもった 善意の行為は、 

全て、神さまに対して行った行為である 

とイエスは言われたのです。 

小さき人とは、社会的に立場の弱い人のことです。 

・心身や精神の病気の人

・飢えている人

・苦しんでいる人

・貧しい人

・泣いている人

・困っている人

・孤独な人 

などのことです。

さて、ここで山元加津子先生(元 石川県立小松瀬領養護学校教諭)とその教え子の きいちゃんのお話をご紹介します。

 

きいちゃんという女の子は、手足が不自由でした。

そして、いつもうつむきがちの、どちらかというと、暗い感じのするお子さんでした。

そのきいちゃんが、ある日とてもうれしそうな顔で、 

「山元先生」と言って職員室に飛び込んできてくれたのです。

「お姉さんが結婚するのよ、今度私、結婚式出るのよ。 ねえ、結婚式ってどんななの、私どんな洋服着ようかな」

と、とてもうれしそうでした。

「そう、良かったね」と、私もうれしくなりました。

ところが、それから一週間もしないころ、今度はきいちゃんが教室で泣いている姿を見つけたのです。

「きいちゃんどうして泣いているの」と聞くと、

「お母さんが、結婚式に出ないでって言うの。私のことが恥ずかしいのよ。 

お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ。私なんか産まなきゃ良かったのに」 

とそう言って泣いているのです。

きいちゃんのお母さんは、お姉さんのことばかり可愛がるような方ではありません。

どちらかというと、かえってきいちゃんのことをいつも可愛がっておられて、

目の中に入れても痛くないと思っておられるような方でした。

 

けれど、もしかしたら、きいちゃんが結婚式に出ることで、 

例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと思われたり、 

お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかというようなことを 

お母さんが考えられたのかなと、私は思ったりしていました。

きいちゃんに何と言ってあげていいかわかりませんでしたが、 

ただ、結婚式のプレゼントを一緒に作ろうかと言ったのです。

お金がなかったので、安い晒(さら)しの生地を買ってきて、

きいちゃんと一緒にそれを夕日の色に染めたのです。 

それでお姉さんに浴衣を縫ってあげようと提案しました。

でもきいちゃんは手が不自由なので、きっとうまく縫えないだろうなと思っていました。

けれど一針でも二針でもいいし、ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいからと思っていました。

けれどきいちゃんは頑張りました。

最初は手に血豆をいっぱい作って、血をたくさん流しながら練習しました。 

一所懸命に、ほとんど一人で仕上げたのです。

とても素敵な浴衣になったので、お姉さんのところに急いで送りました。

するとお姉さんから電話がかかってきて、きいちゃんだけでなく、私も結婚式に出てくださいと言うのです。

お母さんの気持ちを考えてどうしようかと思いましたが、お母さんに伺うと、 

「それがあの子の気持ちですから出てやってください」 

とおっしゃるので、出ることにしました。

お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。 

でも、きいちゃんの姿を見て、何かひそひそお話をする方がおられるので、 

私は、きいちゃんはどう思っているだろう、来ないほうが良かったんだろうかと思っていました。

 

そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられたお姉さんは、驚いたことに、きいちゃんが縫った あの浴衣を着ていました。

一生に一度、あれも着たいこれも着たいと思う披露宴に、きいちゃんの浴衣を着てくださったのです。

そして、お姉さんは旦那さんとなられる方とマイクの前に立たれ、私ときいちゃんをそばに呼んで、次のようなお話をされたのです。

「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。私の妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由です。でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。

高校生でこんな素敵な浴衣が縫える人は、いったい何人いるでしょうか。 

妹は小さいときに病気になって、家族から離れて生活しなければなりませんでした。 

私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともありました。

でもそうじゃなくて、私のためにこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。

私はこれから妹のことを、大切に、誇りに思って生きていこうと思います」

会場から大きな大きな拍手が沸きました。 

きいちゃんもとてもうれしそうでした。

お姉さんは、それまで何もできない子という思いできいちゃんを見ていたそうです。

でもそうじゃないとわかったときに、きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきた。

これからもきいちゃんとして生きていくのに、

もしここで隠すようなことがあったら、きいちゃんの人生はどんなに淋しいものになるんだろう。

この子はこの子でいいんだ、それが素敵なんだということを皆さんの前で話されたのです。

きいちゃんはそのことがあってから、とても明るくなりました。

そして「私は和裁を習いたい」と言って、和裁を一生の仕事に選んだのです。

<引用終了>

 

お姉さん、そして旦那様、 みんな素敵な方ですね。

きっと心から信頼しあえるご家庭を築いていくことでしょう。

きいちゃん。

優しい家族のもとに生まれて来てよかったね。

昔は、よくありました。 

障害がある子どもが生まれると、家の恥とし、ずっと座敷牢なようなところに隔離し、

死ぬまで人前に出さない。 

存在そのものを なかったことにすることが。。

なんて悲しいことでしょうか。

障害を持って生まれてきたことは、恥ずかしいことなのでしょうか?

人に隠さなければならないことでしょうか?

障害を持って生まれたからと、一生 外にも出さず、 

狭い部屋で、飼い殺しのように過ごさせてよいものでしょうか?

私たちはどうでしょうか?

障害を持つ人や、弱き人、貧しい人に偏見は無いでしょうか?

避けたり、見なかったことにしてはいないでしょうか?

普通と違う、自分と違うと言う理由で、無視しては いないでしょうか?

マザーは、愛の反対は、憎しみではなく無関心ですと言いました。

イエスは言いました。 

あなたたちが私の兄弟である、これらの小さな人々の一人にしたことは、 

私にしてくれたことである。

心の中に、温かな愛はありますか? 

お互いさま、お陰さまの、神さまの心は曇ってはいませんか? 

皆さんは優しいお気持ちを、持っていらっしゃいますか?

人を許す、広い心を、持っていらっしゃいますか? 

全てのもの、ヒトを幸福に導く、ありがとうという、感謝の心を、持っていらっしゃいますか?