2023年3月1日水曜日

2987「信じて祈ること」2023.3.1

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月21日「信じて祈ること」と2023年02月23日「幸せになりたいのに」の2つの記事を紹介します。


「信じて祈ること」

今日はまず、斎藤一人さんの次の言葉をご紹介します。

<引用開始> 

もし身近な人が苦しんでいるとしても、過剰に心配しなくて大丈夫。 

それよりも信じてあげること。

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると良いですね。 

祈りっていうのは愛だから 

<引用終了>

  

私たちは誰もが、神様の分け御霊を頂いた生命体です。 

全ての生命体には神様の与えてくださった役割として、

・他の役に立つこと

・他と調和して

・宇宙の生成発展に寄与して、それを維持すること 

と言う役割があります。 

その大きな役割の中で、生命の進化の過程で、今人間として生まれて来て、 

動植物含め、全生命体の調和の調整という役割が与えられています。

 

そして自らの魂も進化させるために、この3次元地球に肉体を頂いて、今生きています。

その目的を果たすために、いろいろな舞台が用意されています。 

それは、一人一人全部違います。 

交わる部分もあります。 

深く交わる部分は、家族や恋人、友人などの役回りかもしれません。 

ですが、私たちは、他の誰かの人生に決して介入することはできません。 

例え親子、家族であっても・・人それぞれの魂の目的が違いますし、その方法論も違います。 

「良かれ」と思っても、決して自分の思い通りに人を動かすことはできません。

でも心配することはありません。 

全ての人は、それぞれが、神様と約束し、この地上に降りて来ました。 

私たちがそうであるように、その人も、常に神様に守られています。 

人間の情の部分からすれば、

親なんだから・・・

家族なんだから・・・ 

と、どうしても、自分の価値観で口酸っぱくとも、アドバイスしたくなりますし、 

思いが伝わらなければ、怒ったりもしたくなります。 

ましては、生死が関わるとなれば、なおさらです。 

ですが、たとえ家族であろうと、

その魂の目的や、魂の欲求を無理やり変えることはできません。 

別個の魂だからです。 

彼らは彼らなりに、今回の人間の人生をかけて、、この方法ではうまくいかない。 

そんな学びを一所懸命、苦しみ、悲しみながら命がけで学んでいる最中かもしれません。 

神さまの目から見たら、肉体の生死はあまり関係ないようです。 

永遠の魂の方を見ているからです。

 

必要があれば、今回の人生の教訓を

直ぐに生まれ変わって、次の人生のステップに生かしていくことでしょう。 

その時は、もう、親子関係などなく、赤の他人としての人生を歩むかもしれません。

  

先ほどご紹介した一人さんの言葉には、このような意味があります。 

感情は、生きて肉体を持つ間にしか生まれません。 

私達今生きている人間にとっては

少し薄情(情が足りない)に思えるかもしれませんが、 

きっと、一人さんの仰っていることは真実だと思います。 

情の目で見れば「かわいそう」な出来事かもしれませんが、 

彼らの魂は、その過程を楽しんでいるかもしれません。 

何者も、どんなことをしても魂に傷をつけることはできないのですから。

一人さんの言うように、それよりも信じてあげること。

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると 

きっとこちらの方が魂的には本質的で良いことに思います。 

彼らが計画してきた、この地上での苦しい、悲しい経験が、 

その目的を達成することで役に立つのであれば、

周りの親しい人々は、信じて祈ってあげる事、彼らの心願が成就すること、 

を祈ってあげることが本当の愛かもしれません。 

晴れて彼らの心願が成就した時、その魂の目的は達成されたのですから、 

その手段だった、彼らの悲しみ、苦しみも、 

記憶の遥か彼方に消えてなくなってしまうことでしょう。 

その時こそ、生まれて来た時に持っていた、本来の魂の輝き、神々の光が現れてくる時です。

 


「幸せになりたいのに」


今日は、幸せになりたいと願っていても

「いつまでも幸せになれない人」の心の持ち方を書きたいと思います。 

なかなか自分の心を自分で見つめてみる作業を、普段は行わないものなので、 

自分で心のクセを見つけるのは難しいのですが、

例えば

・大きな障害(離婚、失業など)にぶつかった時

・大きな病気、事故に遭った時

このような困難に会うと、

私たちは

・まずは社会や会社などの周りを呪い、人のせいにして

・何とかそこから抜け出そうと、人や物に頼り

・神仏にすがり

・それでもだめなら、諦め無気力となります  

ですが、そのような時こそ本当は自分の心と素直に向き合う絶好のチャンスです。 

神々が与えてくださったラッキーなチャンスです。 

なぜなら、自分の心と向き合い、「感謝の心」の足りなさに気づけたら、 

そしてそれを反省し、改善しようと決心したら、その途端に運命は大きく開けるからです。 

  

行動にまで移すまでもなく、決心しただけで変わります。 

では、そんな心のクセの一つを

小林正観さんが分かりやすい例で教えてくださっていますのでご紹介します。 

正観さんは前世では、ブッダや空海の弟子であったことや

出身星がプレアデスであったことなどを思い出していました。

<引用開始> 引用元


・交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう? 

・病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう?

・友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう? 

ありとあらゆることに

・どういう意味があるのでしょう?

・何か私に教えようとしているのでしょうか?

とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。 

それは質問というかたちをとって、

自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。

・これが気に入らない

・あれが気に入らない

・これが思うようになっていない

と愚痴や泣き言を言っているだけ。

本人は質問のかたちをとっているのですが、

「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。  

だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。

ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。 

その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、

要するに、 「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。

「そこから先は神の領域」という思想があると、

いつも心穏やかに生きていくことができます。

私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。ストレスの少ない生活をしています。 

 

夢や希望に満ちあふれているというのは、

・あれが足りない

・これが足りない

・あれ欲しい

・これ欲しい

と言っていること。

結局ストレスになって思いどおりにならない。

思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。 

「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、

何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。 

そう思っている人は、ストレスがたまらない。

ストレスがたまらない状態だと、自分が一番ラクに生きることができます。

<引用終了>

  

自分の周りで起きる出来事が

・気に入らない

・自分の思い通りに運ばない 

そのように口に出さなくとも、不平、不満、愚痴を心に抱けば 

それはいつしか心に巣食う憎しみに変わり、

一番大切な「感謝の心」とは正反対の状態になってしまいます。 

感謝の心が無ければ、神々の恩寵は届きません。 

神々の光が届かなければ、幸せにはなれません。

  

斎藤一人さんは

色々な問題や障害が起こってくるのは、自分の心に「感謝の心」が足りないよって・・ 

知らせるために起こっているんだよ。 

そう教えてくださいました。

私たちの心とはそのように、その状態を全て周りにと投影して見せてくれます。 

それほどに神様から頂いた、この心とは大切なものです。