今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年06月17日の記事を紹介します。
「生まれて来てくれてありがとう」
コロナ発生以来、世界では人々の価値観が、がらりと変わりました。
確かに大きく私たちの無意識の価値観が変わりました。
今迄私たちは、「経済至上主義」の大義名分のもと、
・お金が全て
・お金が無ければ破滅する
・人よりお金を稼げ
など、常に恐怖心を動機として生きてきました。
ですが、今時代は変わろうとしています。
精神性の復活の時代、「心の時代」が到来しています。
天国と同じ価値観で、優しく温かな心の持ち主が、
人々から尊敬され、重きを置かれる世の中です。
ですが、もしかしたら、その「優しく温かな心」の持ち主の皆さんは
過去、沢山の悔し涙、悲しみの涙を流し、それを乗り越えて来た方かもしれません。
悲しみ、苦しみは、心を輝かせてくれる研ぎ石だからです。
人類の歴史が始まって以来、人々の平等化や既成権力からの解放は、
それを許さない(国常立尊はじめ)神々による力強い衝撃の出来事で始まりました。
要するに、神々による建て替え(破壊)です。
今の時代では、2010年を境に始まりました。
建て替えの方法は4つです。
・大量動員戦争
・変革的革命
・国家の破綻
・致死的伝染病の大流行
これらは、「平等化の四騎士」と呼ばれます。
過去のペスト、コレラ、結核なども、大きな犠牲のもとに、人々の知恵と行動によって(立て直し)、人類の平等化が、飛躍的に推進されました。
今は、まさに強制的な平等化が進展中です。
そして、その方向性が心の純化です。
精神の豊かさ、おかげ様、お互い様の優しい心を目指す方々にとっては、希望の年の始まりです。
遅すぎることはありません。
過去の遺物のように
・力の強い者
・お金のある者
・不思議な能力があると自負する者
・神々の力を利用できると豪語する者
に依存して、頼り切るのではなく、ご自身の心の洗濯を、お勧めします。
さて今日は子供たちのお話です。
幼少期の、親の虐待、ネグレクトは、子供の心に、様々な傷跡を残します。
以前地元の養護施設に行って伺ったところ、施設長が仰るには、
半数以上の子供が 「発達障害」なのだそうです。
悲しいことです。
ですが、子供の涙と共に、虐待を行う、親御さんの心からも、声にならない声
助けて!
そんな声が、聞こえてきそうです。
今日は、以前ご紹介した記事ですが、子供と親の、関わりについて書いた記事です。
加筆して、ご紹介します。
また、転載する記事は、「死産」について書かれた内容ですので
ご興味のない方、その他の方は、どうぞ、スルーなさってください。
子供たちは、生まれる前に母親を選び、
母親を助けたいという目的を持って生まれてくるそうです。
今日はお子さんとの間で、悩んでいらっしゃるお母さん向けの内容です。
助産師として33年、2,600人以上の赤ちゃんの出産に立ち会ってきた
内田美智子さんのお話です。
<転載開始> 転載元
赤ちゃんの夜泣きに感謝しないさい。
自分の目の前に子どもがいるという状況を当たり前だと思わないでほしいんです。
自分が子どもを授かったこと、
子どもが「ママ、大好き」と言ってまとわりついてくることは、奇跡と奇跡が重なり合って
そこに存在するのだと知ってほしいと思うんですね。
そのことを知らせるために、私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。
そのお母さんは、出産予定日の前日に、胎動がないというので来院されました。
急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。
胎内で亡くなった赤ちゃんは、異物に変わります。
早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。
でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは大変なことなんです。
普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって、「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」と励ましますが、 死産をするお母さんにはかける言葉がありません。
赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、死産のときは本当に静かです。
しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。
そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後、「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。
明日には、お葬式をしないといけない。
せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。
私たちは「いいですよ」と言って、赤ちゃんにきれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。
その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、子どもを抱いていました。
「大丈夫ですか」と声をかけると、
「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。
よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。
死産であっても、胎盤が外れた瞬間に、ホルモンの働きでお乳が出始めます。
死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を飲ませて止めますが、
すぐには止まりません。
そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたらじわっとお乳が滲んできたので、それを飲ませようとしていたのです。
飲ませてあげたかったのでしょうね・・・
死産の子であっても、お母さんにとって子どもは宝物なんです。
生きている子ならなおさらです。
一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、
それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。
母親学級で、こういう話をすると、涙を流すお母さんがたくさんいます。
でも、その涙は浄化の涙で、自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。
「そんな辛い思いをしながら 子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」
「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」と
前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。
<転載終了>
私は男なので、母性本能はありませんが、子供たちを慈しむ気持ちはよくわかります。
・どれだけ大変で苦労しようと
・どれだけ心配をかけられようと
・どれだけ、心をざわつかせられようと
やっぱり、時がたち、振り返ってみれば、人生にとって、かけがえのない、宝石のような時間です。
「私たちに、こんな未熟な私たちに・・親のまねごとをさせてくれて、ありがとう」
そんな感謝の気持ちが沸き起こります。
思い出は尽きません。
でも、私たちは、子供たちが、学校に上がるようになり、大きくなれば、反抗期も始まり、
そんな慈しんで大切に育てた記憶も忘れ去ってしまいます。
目の前の、反抗や、問題ばかりが気になり、自分の思い通りに、子供がならないことに
悩み苦しんだりもします。
不登校にでもなれば、もう目の前が真っ暗になります。
病気になってもそうですね。
どうして うちだけ?
ですが、子供たちが生まれて来た時のことを少し、思い出してみてください。
お母さんは、命がけで子供を産みます。
初めて赤ちゃんを抱っこした時のお気持ちを覚えていらっしゃいますか?
赤ちゃんに、おっぱいを上げた時の気持ちは、いかがだったでしょうか?
本当は、今がどんな形(病気だとか 反抗的とか 不登校とか)であろうと、
生きていてくれるだけで感謝ですね。
私たちの生きて行く道には、沢山の出来事が用意されて、置かれています。
その一つ一つは、決して楽しいだけのものではありません。
ましては家族の間には、感情を伴う様々な出来事が準備されています。
私たちは、ひとつひとつ、笑ったり泣いたり、怒ったり、喧嘩したりしながら乗り越えて行きます。
その経験の積み重ね、その歴史こそが、本当の家族を作ってくれます。
家族一人一人を、大切にしたいものです。
憎たらしくなったら、生まれて来てくれた時のこと、その時の喜びと幸福感を思い出してみてください。
もし、その子が亡くなってしまったら・・・、想像してみてください。
きっと「生きていてくれるだけで幸せ」って思えるかもしれませんね。