2024年10月31日木曜日

3597「地球を救う大和心」2024.10.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月17日の記事を紹介します。


「地球を救う大和心」


今 日本を中心に、神様の魂を持った子供たちや、宇宙から直接地球に転生してきた子供たちが沢山生まれていると言われています。 

宇宙人の魂は死ぬと地球惑星系の天国にはいかず、そのまま故郷の星の肉体に戻るそうで、

人間の一生として生きたその長い時間も、故郷の星に戻ってみれば、経過している時間はたった8時間ほど。 

まさに寝て起きたようなものだとか。

麻で有名な縄文研究所の中山康直さんは、中学生時代、池で溺れ13分間意識不明に陥ったそうですが、その短い時間、プレアデス星団アルシオーネに転生し、1万年生き、麻を研究し、その死後再び、地球の中学生の体に戻ったそうです。 

そのプレアデスでの1万年の人生が、地球ではたった13分間。 

神さまが見える子供たちのお兄さんの方は、宇宙から直接、地球に転生した魂ですが、

小学生ながら、その知能ははるかに高く、マルチユニバース(並行宇宙)の知識までありました。

また科学技術のはるかに進んだ宇宙人にとって、神様は、友達のような存在とのこと。

レインボーチルドレンの小学生のそうた君も同じことを言っていました。

彼ら知的生命体にとっては、神さまや魂などは決してスピ的な話ではなく科学そのもの。 

その科学の力で、魂そのものを見て、話しもします。(リーディング)

また魂に対する科学的な知見を持って、転生さえもコントロールしています。

バシャールのように、科学的な知識で人間の肉体をサーチして、その過去を見たり、未来を見たりします。 

決してそれは迷信的なスピのお話ではありません。

更に、天国や地獄と言った世界の知識も持っています。

この地球文明よりもはるかに進んだ科学的な知識を持つ宇宙人たち。

その彼らが憧れる星が、広い宇宙に2つだけあるそうです。 

その1つが地球。 

そしてその地球の中でもとりわけ日本なのだそうです。 

それは日本が神々によって作られた特殊な国であり、

更にはありがとうと言う言霊があるからなのだそうです。

美しい心が残っているからなのだとか。 

さて今日の本題です。

今この時こそ、今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、多少不安ながらも待ち焦がれていたその時そのものなのですが、日々の暮らしの中においては、なかなか 

・「何か、起きているな」と・・感じはしても

・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても 

今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。

世界的にも、そして数百年規模の歴史の波の中においても,大変化の時代に突入しています。

今日の続きが、また同じ明日ではありません。

既に3次元的な地球上でも、大きな変化が起きています。 

今まで全世界が騙され続けてきた、悪魔の支配が終わろうとしています。

もうすぐ今起きているその大きな変化の意味を多くの人が気づくことでしょう。 

もう後戻りはできません。

停滞もできません。

大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、私たち自身が変える必要があります。 

以前、「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、既にこの時のために、

そしてショックを和らげるために、前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。 

・神戸、東北の大震災

・九州の地震 

強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、その時を境に、ご自身の中の価値観が大きく変わられたことと思います。 

大正時代の日本を見たアインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、

世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどの諍い(いさかい)の後 

世界の希望は、日本人の心にある大和心(やまとごころ)に託されています。 

私達平凡な一般人には、 

・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり

・貧困にあえぐ多くの人々を救う

そんな大きな力はないかもしれません。 

ですが、私たち自身の心を整えることはできます。 

心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。

ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。

全ては、私たちの心ひとつから始まります。 

では、言葉遊びではなく、綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、

実際に実践・行動できるように「私たちの心の何」が、大和心なのか?書きたいと思います。 

今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。 

どうしたらその心を取り戻せるのか? 

大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。

敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花 

現代語訳は・・・

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。

そして西洋の異人の人々でさえ、日本の山に咲く、山桜を見たら、大和心に目覚めるであろう・・・そう言っています。 

このような心をはぐくむために神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り、

そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、その高低差で川が流れ、美しい自然をはぐくんできました。

そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、

・自然と共生する心

・自然を愛でる心

・自然や万物に感謝する心

・自然や万物、そして相手の中に神を見る心

を創られてきました。 

全部神々が計画した、いわゆる 共生と順応の美しき心です。  

これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では、

自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました 

・自然を征服する

・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。

全てが対立という考え方からスタートします。 

日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。

そして順応し、自分を変えることで、自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。

日本人は、縄文の時代からずっとそれをやってきました。 

ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。 

この強さを恐れ、破壊するために、根絶やしにするために、戦後の統治政策が行われました。

日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。 

アインシュタインが言った 

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。

そのような地球の未来が託された私たち日本人の大和心、これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、身近な周りの人々と 

・その違いを認め

・笑顔で助け合い

・おかげ様、お互い様の気持ちで 

・憎しみの心

・不平不満の心

・嫉妬の心を捨て

感謝の心で過ごしていくだけです。

大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。

自分の心を整えるだけです。 

その積み重ねが私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし、深い悲しみの後の世界に平和と笑顔を広めてくれることでしょう。

この日本人の優れた特質について今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が

「神々の微笑み」で書いています。

あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。 

<引用開始> 引用元

十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。

ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。

風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。

しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。

オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。

が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。

wikipediaより

オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。

深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。

すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。

翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。

数名の新たな入信者があったからだ。

しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。

老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。

この国にはデウスだけでなく、孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、我々を征服することはできなかった。

たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、逆に我々が征服しているともいえる。

我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。

デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。

お気をつけなさい。

デウスが勝つか天照が勝つか、

いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。 

<引用終了>

※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、

宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。

2024年10月30日水曜日

3596「当たり前の中の幸せ」2024.10.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月16日の記事を紹介します。


「当たり前の中の幸せ」


今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで,前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。 

あれも欲しい、これも欲しい。

あれがないと幸せになれない・・・と 

足ることを知らなければ

どんなに恵まれた環境に置かれようと、 

感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。

<引用開始> 引用元 

今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった

一人の卒業生の言葉を皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。

その人は、在学中、健康そのものの人でした。

それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、

やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。

その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。

久しぶりに地面を踏んだ時は感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、

病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、

たいへん嬉しく思いました。

当たり前が輝いてみえる,

そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、

一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。

ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、

心が満たされている状態といっていいでしょう。

ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの

刺激と情報に溢れています。

お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。

では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。

なぜでしょう。

星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにを探しているのか、

わからなくなっている。

だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。

そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ」 

今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。


信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も

君し踏みてば玉と拾はむ

たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、

“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、

それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。

この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、

玉と抱いて幸せな人です。

そして、私たちは、幸せの原点というものを、

ここに見ることができます。

<引用終了>


今日の日本は、 

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物 

を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、お金さえあれば手にすることができる。 

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる 

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ、それが本当の幸せと錯覚し、 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

そんな心になってしまっているのかもしれません。 

お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。 

でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほど、それは、どんどん遠ざかって行きます。 

そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、いつかは、純粋だった心を曇らせてしまうことでしょう。 

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか? 

どこか遠くにあったのでしょうか?

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか? 

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?

もしかしたら、私たちの幸せは、元々、私たちの心の中にあって、

それに私たちが気付いてくれるのをずっと待っていたのかもしれないですね。 

大切な物は、見えない・・ 

それが、本当のことかもしれません。

2024年10月29日火曜日

3595「大事なものは見えない」2024.10.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月19日の記事を紹介します。


「大事なものは見えない」


今日は「大事なものは見えない」ということで、

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」からご紹介します。

相手を立場や経済力などの外面だけで判断せずに、

大切な一人の人間として認め合い、

助け合って生きていきましょうというお話です。

私たちは、この地球に 

働きに来た訳でもなく、

お金をもうけに来た訳でもなく

地位や名誉を得て、威張るために来たのでもなく

大きな家に住み、大きな車に乗って自慢するためでもありません。

人と人

人と動植物

自分以外のありとあらゆるものと

心の交流をするために、地球に来ました。

時にはぶつかり合うことも

罵り合うこともあるでしょう。

思いやりや、愛、笑顔によって

心の豊かさを知る時もあるかもしれません。

それらは人生に起こる、様々なドラマによってもたらされます。

泣いたり、笑ったり

愛し合ったり、憎しみ合ったり

日々の生活の中で、 

すれ違う人々でさえ、

大切なご縁のある方です。

<引用開始> 引用元

私の出身校である東京の武蔵野の私立の小学校には、

当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていました。 

入学してすぐ担任から言われたことの一つは、

「校門を通る時、男の子は

必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度で挨拶しなさい」ということでした。 

6年間、これを続けている間に、いつしか習慣になり、

これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、

社会を出てからでした。 


土の中の水道管 

高いビルの下の下水 

大事なものは表に出ない 

    ・・・・相田みつを 


私が、今も職場で特に目立たない働きをしている人たちに

あいさつするのは、たぶん、小学校で身についたことなのです。

学生たちにも、

「お掃除や草取りしていてくださる人たちにごあいさつするのですよ」といっています。 

「給料を払っているのに、挨拶したり、ありがとうという必要はないでしょう」

という若い教師も、いないではありません。

それは大きな考え違いです。 

あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。

特にあいさつしてもらうことの少ない人たちに、

あいさつは、「あなたは、大切な人なのですよ」と伝える最良の手段であり、

お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、

かけがえのない機会なのです。 

<引用終了>

目立たない仕事をしている人へのあいさつは、大切なことですね。

私たちはお互いに

「おかげさま」で生きているのですから。


花を支える枝

枝を支える幹

幹を支える根

根は見えねんだなあ

     ・・・・相田みつを 


私たちは、つい目立つ綺麗な花だけを見てしまい、

それを支えている

根のことを忘れてしまいがちです。

ですが、最後の結果である、

その美しい花を咲かせるために、

見えないところでどんなに大切な働きがあったことか。。

葉があり、茎があり、そして大切な根も頑張って働いています。


一世代前には、

花を咲かせ種をつけ、

朽ち果ててくれたからこその、今の命です。 

人間も同じですね。

どんなにお金をかけて、飾り立てようと、

どんなにその場だけ取り繕おうと、

どうしても見えない人間性というものが染み出てしまいます。

人間にとって根っことなるのは

・相手を思いやる気持ち

・笑顔

・感謝の気持ち

・お陰さまの気持ち

・助けいあいの気持ち

これらで、日々どれだけ生きていたか・・

に寄るのかもしれません。 

 

どんなに地位や名誉、お金を得ようとも、おごり高ぶらずに、

目立たない人や、弱者に対する共感は大切なことです。

ちゃんと相手を認め、相手を尊重し、

差別せず、

大切な一人の人間として

接する心を持ちたいものですね。 


2024年10月28日月曜日

3594「青空ひろば」2024.10.28

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新記事を紹介します。


1485 2024.09.27 ~1488 2024.09.30

<「心のゴムひも法」の実践ポイント>

① 心を具体的な「ゴムのような弾性体」とイメージすること。

② 心のゴムの手を未来のこうありたいという目標のゴール地点までズーッと引き伸ばしてゆき、目標をしっかり握りしめたとイメージすること。

③ 心の手の弾力があなたを目標地点まで運んでくれている。あなたが眠っている時も、仕事の没頭している時も、心の力でドンドン運ばれてゆきつつあるなあ、有難いなあと「お任せ」のイメージをする。


<「心のゴムひも法」実践ポイント2>

こんな別のイメージも使えます。

① 心を粘土ゴムの大きな固まりとイメージして、コネコネと細工して、タクシーを作る(自分好みのボディやカラーもイメージしましょう)。

運転手も作って、運転席に座らせるのも忘れないで。

② そのタクシーに乗り込み、運転手に目的地を告げる。

③ あとは、「心の足(車輪)」に任せておればいい。居眠りしていても到着できるのだから。

④ 注意することは、この心タクシーの運転手(「心の頭」)は、道路網を熟知している超ベテランなのですから、その作戦に一切をお任せして、途中の行程のはかどり具合にイライラしたり、オロオロしたり、かんしゃく癇癪を落としたりしないこと。きっと到着できると、「心」が持つ高性能の「結びの力」を信じて、穏やかな気持ちを保つこと。


<「心のゴムひも法」実践のポイント3>

目標を定めたら、まずそのための第一歩を踏み出すこと。

ジッと念じているだけでは、心のゴムひもの弾力がはたらかない。間違った方向でもいいので、思い切って動き出すこと(静止摩擦力は動摩擦力より大きい)。


<「心のゴムひも法」実践のポイント4>

「思い」がよく叶う「心」とは、「広い心」、「明るい心」、「温かい心」、「潤いのある心」である。


1484 2024.09.26 

<許しの禅とは?>

坐禅という形を全身で組めば、それが最強の「印(ムードラ)」なのだと信じて、ただその「全身印」に身を任せて、ゆったり坐ろう。頭の操作はいらない。

 <許しの坐禅の効用>

① 心が穏やかになって安心できる。

② 疲労が回復する(いのちの充電)。

③ 病気が治る。

④ 人との関係性が良くなる(自分を許し、人を許し、世界を許せるようになる)。

⑤ 想いが叶いやすくなる(自然に自他一体になれるから)。


1483 2024.09.25

一番大切なことは、ありのままの自分を認め、受け入れ、許し、愛すること。

そうすれば、他の人々を許し、世界を愛することが出来るようになる。

自他を分かつ幻想の囲いがホドケ、生きることが楽になる。


1482 2024.09.24 

みんな、それぞれの人生を精一杯生きることで、人類の進化のために貢献している。

君のその人生経験がなければ、人類の進化達成はないんだよ!

だから、へたくそでも、堂々と胸を張って、自分の足で歩いていこうね。


1481 2024.09.23 

Q.「妙法蓮華経」は何を説く教えなのですか?

A.

「妙」:美しい

「法」:制限と制約のもとで生きているありのままの個々のいのちのこと

「蓮華」:いのちの一体性のシンボル

「経」:真理のコトバ(縦糸)    

(訳)個々のイノチは、それぞれ制限と制約を持ちながら、それに逆らうことなく、持ち前のイノチを精一杯使いこなして、生き切っている。その姿が素晴らしいし、有難い。

なぜ、そんなに「美しい、有難い」と感じられるのか。

それは、それぞれのイノチが、実は連なって一体であり、それぞれの個々のイノチは、そのイノチにしか果たせない独自の役割を精一杯努めて、それによって全体のイノチのために大きな貢献をしているのだ。だから、美しくて、有難いのだ。


1480 2024.09.21 

Q.なぜ「ふしあわせな人生」を生み出す「自他弁別の錯覚」が生じたのでしょうか?

A.

「一」を「多」に分裂させ、最後に、より大きく育った「一」に復帰させるのが「人類の魂」の進化作戦なのです。

ですから、進化のために必要だとして、「自他弁別」の感覚が生み出されたのです。

「自他弁別の囲い」は、「多」の状態を無事に育てるために必要である「自我を確立させる」ための「植木鉢」の役割を果たすのです。

しかし、個々の魂が大きくなって、再び「一」に融合一体化しようとする過程では、この「植木鉢」を打ち割らねばなりません。


1479 2024.09.20

Q.どこから、ふしあわせ感・しあわせ感が湧き上がってくるのでしょうか?

A.

◇ ふしあわせ感は、「自他弁別(自他を隔てる)の錯覚」から生じる

◇ しあわせ感は、「自他一体感」から生じる

◇ ゆたかとは、「一体感」のこと  

◇ にぎやかとは、「連帯感」のこと  

◇ 生きがいとは、「貢献感」のこと

◇ 「自他一体感」を、アドラー心理学では、「共同体感覚」と呼んでいる。


1478 2024.09.19 

Q.しあわせ感とはどんなものなんでしょうか?

A.

◇ ふしあわせ感とは、まずしい・さびしい・むなしい感じ

◇ しあわせ感とは、ゆたかで、にぎやかで、生きがいがある感じ


1475 2024.09.16  ~ 1477 2024.09.18 

<自分が自分であること以上に尊いことはないということを知ろう>

坐禅すれば、何か別の自分に変身できるというのではなく、『なんだ、僕は僕でよかったんだなあ』と自分に戻るだけなんです。

感情や思いやアタマの考えの包装紙が剥がれて裸の自分が姿をみせるのです。その裸の自分はなんと素晴らしいことでしょう。何と輝いていることでしょう。何と尊いことでしよう。

あなたが自身のイノチの尊さに気づいた時、他の人や他の物や、世界の尊さが見えてくるでしょう。

それぞれのモノや人の存在、そのたったワンピースが欠けただけでも、人類の魂の進化達成図は完成できない。それほど、それぞれの人やモノがここに存在するということは尊いことなんだと悟ることができるでしょう。

自分の尊さに気づいた時、尊い他者や尊い世界に包まれている、護られている自分を発見出来るでしょう。

そんな尊い人や世界が、あなたがあなたにふさわしい「役割」を果たせる、あなたのイノチが最高に輝ける場へ運んでくれるでしょう。

そのために、まずあなたは、自身の尊さを自覚しなければなりません。自分を責め、非難している限り、あなたは他人を責め、世界を非難しつづけることになります。

そして今度は他人や世界から責められることになる。この悪循環をストップすることは出来ません。

坐禅すれば、心の結ぼれがほどけて、はじめのうちは坐禅している間だけ、自身を責めることが止み、ありのままの自分をそのまま受け入れることの安楽さを自覚できるようになります。

そうして、そのうち、少しずつ自分が自分でおられる時間が増えてゆき、自分が自分にOKを出せるようになると、あなたの運命が一気に好転するのです。(完)


1473 2024.09.14 ~ 1474 2024.09.15 (前日の続き)

<リーダーシップよりメンバーシップを大切にしよう>

私たちの禅の会には指導者はいません。これまでの禅道場にように、師には絶対服従で、上下関係が厳しく、うるさいということもありません。階級はなくて、「役割」があるだけなのです。

私はこのように、皆さんにお話ししたり、文章を書いたり、相談を受けたりする役割を勤めています。タテ糸の役、悟りの役を果たしています。

しかし、それは私が悟りを所持しているということではなく、「役割」なのです。

皆さんにお話しするという舞台に上ると、その役割にふさわしい衣装が天から舞い降りてきて、それをお借りして身を包み、その役割を演じるだけなのです。お話しが終わると、お借りしていた天の衣はお返しして、普段服に着替えて普通の人に戻って生きるのです。それでいいのです。

それぞれの人が、与えられた「役割」だけを誠実に勤めてゆけばいいだけなのです。(続く)

私たちはグループ魂(類魂)で、次の生でも、また集合して活動することになります。

その時は、私は今と違う役割を勤めることになります。別の方が悟り役を勤め、私はスタッフとして通信の発送作業をしたり、道場の畑仕事に汗を流しているかも知れません。あるいは大富豪となって、グループに多額の寄付をするサポーターの役割を果たすことになるかも知れません。

そういうそれぞれの役割分担は、みんながあちらの世界にいる時に、一同に会して相談して決めるのです。私の場合は、何回かの前世で、脚光を浴びない、暗い地味な役割ばかりを続けてきたので、魂のバランスをとるために、今生では、お話し役、文章役を果たしたほうがいいよと皆さんに指名されただけなのです。(完)


2024年10月27日日曜日

3953「心卑しき人」2024.10.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月12日の記事を紹介します。


「心卑しき人」


今日は、「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な、

渡辺和子さんの名誉息子であり、放蕩息子の保江邦夫さんの著書

「置かれた場所で咲いた渡辺和子シスターの生涯」からご紹介します。

保江 邦夫(やすえ くにお)さんは、日本の理学博士。

専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県出身。

ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。

また臨死体験者としても、よく知られています。

この本の中で、保江さんは、渡辺和子さんのこんな言葉を紹介しています。 

非常に強い言葉です。

<引用開始>

 

人間に上下はありません。

しかし、人格に上下はあります。

これは、渡辺さんが半世紀以上も尽くされた大学、そしてそれよりも長い年月を過ごされた修道院、その中で、ご自分の社会的交流の範囲において、平気で人を裏切ったり、だましたり、あるいは二枚舌を巧みに操って、人を落としめてまでのし上がろうとしたりする愚か者たちに、狙われなかった日は皆無でした。

そんな亡者たちとの無益な闘いに明けれる、過酷な境遇に身を置くという、神様が与えてくださった試練の中にありながら、シスターは人々を勇気づけ、元気づけるというご使命を、

片時も忘れることはなかったのです。

そして、だれの助けもないまま、おー人で愚か者たちに抗しているとき、シスターから放たれたのが、 この言葉だったそうです。

そのときのシスターのお顔は常のような、どこまでもお優しい聖母マリアの表情ではなく、

まるで悪を射貫くような 強いまなざしで

遠くを見据えていらっしゃったことを、はっきりと覚えています。

「置かれた場所で咲きなさい」に代表される、人を勇気づけるシスターの言葉の数々は、

「苦を乗り越えて心安らかな境地に至った者」が発したものではなく、

「今まさに苦境にあり続ける者」が紡ぎ出したものだったのです。

そんなシスターの、受難の連続だった生きざまのほんの一部だけでも、

シスターのおそば近くで、5年にわたってお手伝いさせていただいてきた僕が

語り継いでいかなければならないと、シスターの90歳の誕生日に決意しました。

それが、シスターから「名誉息子」、あるいは単に「息子」、

ときには「放蕩息子」と親しく呼んでいただけることもあった、

そしてシスターのことを「名誉母親」と呼んで、

自分に必要なときにだけふらりと学長室や理事長室、

さらには寺の本革修道院のお部屋にまで押しかけることを、笑って許していただいていた、この僕にしかできないことであり、 また義務でもあるのですから。

<引用終了>

 

私もこれを見た時、強い衝撃を受けました。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」は、

まさに悟りの境地に渡辺さんが達せられたときに、

過去の出来事を振り返り、書いた本だと思っていたからです。 

保江邦夫さんの著書には、当時の凄まじい状況も書かれています。

考えが甘かったです。

まだ当時は、愚か者たちとの戦いの中、その真っ最中だったのです。

保江さんの言葉を借りれば、

まさに世間の中の矛盾と、

無情の中で戦っている最中の言葉であったことがわかります。

保江さんは、こうも仰っています。


人間は完全に平等であり、

どの命も等しく大切な命であるのは事実です。

しかし、「それでも人間社会から差別や苦しみ、

さらには争いやいさかいが絶えないのは、人格に上下があるからだ」


というのが、シスターのお考えでした。

シスターの ように、多くの人々の道を照らすことのできるような高い人格を有する人がいる半面、低い人格を持つ人もまた社会のあちこちに巣くっている、それがこの世の真理なのです。

そんな世の中に巣立っていく学生たちが、道を見失うことのないよう、

シスターはこの言葉を人生の指針とするように 教え導いてくださっていました。

それでは、ここでブッダの言葉(卑しき人)をご紹介します。

わたしが聞いたところによると、

あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、

<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。 

そのとき師は朝のうちに内衣を着け、

鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。 

そこでブッダは言われた。

・怒りを抱くもの、

・恨みを抱くもの、

・或いは、いつわりの善を行うもの、

・邪まの見解のあるもの、

・へつらいの心あるもの、 

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

例え、いかなる生き物であろうとも、

・生きとし生けるものを害するもの、

・生きとし生けるものに慈しみ無きもの、 

かかる人は賎しきものであると知るがよい。 

村においてあるいは林園において、

他の人々の所有に属する財物を与えられざるに、盗るがごときもの、

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

・己を高く褒めそやし、

・他人を低くけなし落とし、

・高慢のために心賎しくなれるもの、 

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

・人はその生まれによって賎しきものであるのではない。

・また、人はその生まれによって聖なるものであるのではない。

・人はその業(行為)によって賎しきものとなるのである。

・また、その業によって、聖なる者となるのである。

このブッダの言葉は、

人間は生まれながらにして貴賎があると説いた僧に対する

猛烈な批判の説教として説かれたものです。

まるで、イエスの「山上の垂訓」のようですね。

貨幣、金融の仕組みを牛耳られた現代社会のような環境の中では、

私達もおかしくなりがちです。

私達一般の人々の生活は苦しく、もう働き始める前から借金(奨学金、年金、社会保険など)

を背負って社会生活をスタートさせるようなものです。

ですので、最初から諦めや、焦燥感・不安感に襲われ、

どうしても自分のことしか考えられなくなりがちです。

本当は一人一人、心優しき人なのに、あまりに生活が苦しいために、

やがて生活が狂いおかしくなってきてしまいます。 

もしくは精神的に参ってしまい、病気になってしまいます。

また愛する家族よりも、仕事、お金となってしまいます。

何故なら、そうしないと生きていけないと、恐怖心と不安で私達の心を縛りつけているからです。

私達が、そこから解放されるには、ブッダが言うように「賤しき人」にならない。 

・人の悪口を言わない。

・人を呪い続けない。 

その卑しき心でいる限り、いつまでも自分の周りに悪臭を漂わせてしまうことでしょう。 

少なくとも自分自身は、そうはならないと心に決めて行動するしかありません。

世の中の流れも、大きくそちらの方向に舵を切りました。

その波に乗るのか、今までのように恐怖と不安に縛られた人生を歩み続けるのか?

私達の心ひとつです。


2024年10月26日土曜日

3952「世の中の仕組み」2024.10.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月11日の記事を紹介します。


「世の中の仕組み」


今日は「世の中の仕組み」ということで斎藤一人さんのお話をご紹介します。 

神さまは、私たちに、いつ、どこで、何が必要なのか、全てを知っていらっしゃり、

何時でも、私たちに必要なものは、既に周りに準備されているというお話です。 

<転載開始> 転載元

不幸な人って、

「私にはあれがない」とか

「これができない」とか、

“自分にないもの”に焦点を当てようとするんです。

足るを知る

そうではなくて、 

「私にはあれがある」

「これもできる」とか、

“自分にあるもの”に焦点を当てたとき、人は幸せになるんですね。

人間には“業(ごう)”ってものがあるの。

それは神様が与えてくれたものなんです。

だから、その神様の与えてくれたもので、幸せになるの。

顔なしは欲望のままに次々と欲しがり、飲み込み、どんどん巨大化していきました

ポーカーでも、配られたカードにいちいち文句を言ってると勝てないんです。

配られた手でどうやって勝とうか、って考えないと勝負には勝てません。

何かハンデを持って生まれてくる人がいるんだけど、

そういう人は魂的に優秀な人が多いんです。

それで実際、まわりの人は「困るでしょう?」って言うけど、それほど困らない。

「私、足が遅いんです」って言う人がいるけど、

車の運転ができてポルシェにでも乗れば、その人は時速200キロだって出せるんだよね。

だから人はそれぞれ、得意なことを一生懸命やればいいの。

それで苦手なことは必ず誰かが助けてくれるから。

人はそうやって助け合い、補い合って生きていくものなんだよね。

それを不得意なことを無くそうとかってやっていると、

大切な人生の時間があっという間になくなっちゃう。

それより、得意なことで、みんなのお役に立てればいいんだよ。

<転載終了> 

神さまは、私たちに、いつ、どこで、何が必要なのか、全てを知っていらっしゃいます。 

ですから、何時でも、私たちに必要なものは、既に周りに準備されています。

一人さんは、子供のころより、この神さまの存在を身近に感じていました。

一人さんは、こうも仰っています。 

神さまが与えてくれないものは、いらないものなんです。

それがわかっていないから、三倍も五倍も努力してもできなくて、

ダメ人間だと自分に烙印を押してしまう。 

神さまは、既にあるもの、与えられた環境で、

自分にしか咲かせられない、個性的な花を咲かせてごらん。 

そう仰って、私たちを今の立場に置いて下さいました。 

私たちが今置かれている環境こそが、その場所で、私たちが光り輝ける場所です。 

この世は本当は、裏返しの構造である・・ と言われます。  

人間の考える、幸せ、不幸せ というのは、

神さまや仏からはまったく逆さになって見える、ということです。 

私たちが、

・これが無いからできない。

・これが手に入ったら、行動を起こす 

そう言って、無いものをねだり続ければ、

結局は、何もしないまま、人生は終わりを迎えることでしょう。 

そして、亡くなる時にきっと後悔することでしょう。  

またもう一度、同じ目標を掲げ、この地球に戻って来なければならないかもしれません。 

私たちが、神さまが用意してくださった、今の環境、立場で

みんなに感謝し、「ありがとう」の言霊を使い続ければ、 

きっと、沢山の「感謝の波動」を持った仲間が集まってくることでしょう。 

そして、私たちと協力し、神のみわざを成すことでしょう。 

私たちは、類は友を呼ぶ の法則通り、同じ波長の人としか交わることができないからです。

そして同じ波長を持つ者は、共鳴し、必ず惹かれあいます。 

逆に、不平・不満・愚痴や悪口ばかり言っていれば、

それと同じ波長を持つ人たちが、周りに集まってくることでしょう。 

そして天に帰った時

そこは心・意識の世界ですから、 生きている間以上に、同じ波長の仲間が集まり、

共に暮らしていくことになるでしょう。 

どこかで、波長の転換が無い限り、それは続きます。 

できれば、感謝の気持ちを持ち、何時も笑顔で、前向きで、

お互いさま、お陰さまの気持ちで、

優しく温かく、助け合っている人たちに囲まれて、生きて行きたいものですね。 

それには、私たちが、そのような心持になる必要があります。 

出口王仁三郎やブッダが予言したとおり、

2010年以降、世界は、精神性復活の時代に入りました。  

私たちの心次第で、行き先(魂の進む先)が完全に分かれて行きます。 

私たちの住む世界は、私たちの心が決めているからです。

2024年10月25日金曜日

3591「地球の旅」2024.10.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月10日の記事を紹介します。


「地球の旅」


クラリオン星から転生してきた小学校生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君

彼は、生まれる前の記憶や、故郷の星クラリオン星のこと、神様のことなどを

明確に覚えたまま、ここ地球に転生してきました。 

地球人の意識レベルを一気に上げるために,最近はこういった星の子供たちが増えてきたようです。 

生まれる前の記憶を持つ、沢山の子供たちと同様に彼もこう言います。

・他の人にはできない学びが一杯ある

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・わざわざ、その苦労を分かって、それを魂的に楽しむために生まれて来た 

この今世で経験すること、会う人、別れる人、

出来事は全て神様と生まれる前に計画してきたことなのだそうです。

そしてこうも言います。 

生まれる前に立ててきた計画は、生まれた後に、変えることはできない。

これがどういうことかと言えば、例え自分で経験がしてみたくて立てた計画 

・病気、貧困

・裏切り

・窃盗、殺人

・成功、失敗

・出会い、別れ、死別

このような経験が、辛くて、苦しくて、やっぱり計画を変更したい・・

そう思っても途中で変更することはできない。

投げ出すことはできない。 

そういった意味になります。 

肉体ではなく、私たちの魂は、永遠に存在する生命体であります。

この魂にとっては、

・生きるも、死ぬも

・殺すも、殺されるも 

人間が思うほど、大きな出来事ではないようです。

魂にとって死はないのですから、一つの経験にしか過ぎないということです。 

そのことによって、魂が曇ることもないし,傷つくこともない。 

だから、魂は、いろんな体験をしてみたいと思うようです。 

その行為を神様も,良いとか悪いとか、決してジャッジしません。 

このことは、今生まれてきている沢山の

高い意識を持ったまま生まれて来ている子供たち共通の認識のようです。

魂にとっては、時間と言う概念さえもありませんから

長い期間とか、短い期間と言うことさえありません。 

源信が『往生要集』の中で紹介した地獄のありさまも、

魂にとっては、肉体があった時の延長の一つであり、 

意識がまだ肉体に縛られたまま、信念体系領域に縛られている間に

死後、経験する一時の出来事であるのでしょう。 

魂が肉体を脱ぐことで、だんだんと肉体に付随していた

感情や、信念となってしまった意識が薄れるに従って、徐々に魂としての本来の状態に戻り、どんな出来事も、どんな大きな感情の波も,魂を傷つけることはできない。。

単に魂にとって、未知の領域を経験しただけ。。 

そう気づいてくるのでしょう。  

私たちが、今経験している出来事は、色んな感情を伴い、

私たちに、まるで襲い掛かってくるかのようです。 

それは、苦しかったり、辛かったり、悲しかったりするかもしれません。 

ですが、生きている間は逃げることはできません。 

自分自身の魂の計画を変更することはできません。 

今感じている感情こそ、私たちの本来の姿、魂が、経験して見たくて、

その出来事を、自分の人生のタイムラインに埋め込んできた出来事です。 

そこには、良いこととか、悪いこととかの区別はありません。

ただ辛く苦しい経験からは、より大きな果実が実ります。 

魂の飛躍的な向上が見込まれます。 

何も辛く苦しいことの起こらない,単に平和で、楽しいだけの人生からは、 

魂にとっては、あまり身になる経験は得ることができません。

ある程度、進化した魂にしか、辛く苦しい経験は与えられません。  

今苦しい経験をなさっている方も、どうぞ勇気を持ってください。 

神さまに見込まれたのですから。

そしてその辛く苦しい経験こそが、私たちの魂を高みに連れて行ってくれるものです。 

泣いたり笑ったり、苦しんだり楽しんだりしながら、 

この宇宙で、唯一感情を味わうことのできる地球の旅を楽しみたいものですね。 



2024年10月24日木曜日

3590「神さまにお任せ」2024.10.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月07日の記事を紹介します。


「神さまにお任せ」


いま世界中で蔓延している、コロナウイルス。

また、ウクライナや、イスラエルでの悲惨な戦争。

これによって引き起こされている現象は、たとえ不安で悲惨な物であっても、

全ては神々の手による、世の中の建て替えです。 

その先の未来には、明るく美しい景色が広がっています。 

全て、神々のなさるに任せ、私たちにできることは笑顔で感謝の心で、周りの身近な方々と

助け合って生きていく・・ それだけです。 

さて、ブログでよく 「神さまにお任せ」すると書きますが、

その具体的な意味を小林正観さんが書いていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

■ 宇宙に自分の運命を委ねる

私は

・事故に遭うこと、

・病気になること、

・死ぬこと、

・仕事に関すること、

・財産に関すること

など全て

・宇宙任せ

・神任せ

にしています。

「好きにしてください」という状態なのです。

あるところで、ある示唆や、暗示的偶然の重なりが必ずあります。

その示唆に対し抵抗しない。

「こうしてみたら」という宇宙的示唆を感じたらその通りにする。

生き方、仕事、全て、私はそういう「流れ」が感じられたとき、

それが宇宙からの示唆だと思い、その示唆を指針としてきました。

宇宙からの「示唆」を素直に受け、自分の好き・嫌いなどという感情や、価値基準は二の次にします。

「偶然」的なことが二つ以上重なったなら、きっとそこには何か宇宙的意志があるに違いない、それに素直に従う。 

流れに乗り、そのままイカダで下って行くのです。

「宇宙的意志」が感じられたらそう動く。

「引っ張られる」という感覚でもあります。

宇宙に自分の運命や運勢を委ねてしまう。

宇宙的流れがどちらを示唆しているかだけを考える。

そしてそれに従って動く。

私はイカダを浮かべているだけです。


■ 災難を避ける方法

良寛和尚がある人から「災難を避ける方法」を尋ねられたとき、

こう書き送ったと言われています。

・災難に遭うときは遠慮なく災難に遭いなさい

・病気になるときは遠慮なく病気になりなさい

・死ぬときは、遠慮なく死になさい 

それが災難を避ける最良の方法

災難も病気も死も、宇宙が色濃く関っているに違いないのです。

そういう分野のことは、「宇宙」や「神」にお任せしてしまう。

委ねてしまおうというわけです。

生きることが間違いなく楽になります。


■ 宇宙の声を聞く

今の職場をやめたいとか、今の人との結婚をどうしようとか、 

そうした問題に苦しんでいるときは、よく耳を澄まし、よく目を見開くと、 

いくつかの現象が同じ方向を示しているものです。

その「宇宙の声」が分かり始めると楽しい。

さらに、素直に受け入れるほど、宇宙はどんどん「示唆」をくれるようになります。

自分の運命や運勢は「宇宙」に委ねてしまう。 

・生きること、

・死ぬこと、

・老いること、

・病気すること(生老病死の「四苦」 

・愛別離苦、

・怨憎会苦、

・求不得苦、

・五陰盛苦(この四つを加え「八苦」) 

についての全てです。

実は、「宇宙」に委ねるとは言っても、その宇宙が示してくれる環境は、全て、自分が生まれる前に設計し、用意していたものなのです。

ですから、自分にとって悪いようにはなっていないのです。

■ 病気に感謝

ある合宿で、難病の人六人を含む十八人が集まりました。

その合宿は、結果的に

その六人を中心とした「難病者合宿会」のようになりました。

私が感動したのは、六人が六人とも「病気になったことに感謝している」ということでした。

「感謝」は観念論ではなく、非常に具体的なものです。

世の中に、 

・人のことを親身に考え、

・徹底的に親切で温かく、

・思いやりがあり、

・限りなく優しい、

・そういう人たちがたくさん居て、

・自分たちを待っている 

ことに気が付かせてもらったというのです。

それらの人に会いに行き、知りあいになり、仲良く付き合い、さらに人間を取り巻いている

「精神世界」や「宇宙」の奥深さ、面白さ、楽しさもを知ることができたのだそうです。

「もし病気にならなければ一生こういう素晴らしい世界や人が存在することを知らなかっただろう」と口を揃えて言うのです。

挫折や困難や障害や病気を持つ人、

直面する人、問題を抱えている人は、もしかしたらそのおかげで、普通の人生だったら簡単には出会えないような素晴らしいものに、たくさん接することができるのかもしれません。

死に至る病気にさえ「感謝」する心境に、人間はなれるのです。

・優しいまなざし

・思いやりある言葉

・温かい笑顔 

のお陰で。

<転載終了>

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、楽しくなってきます。 

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。  

いつも傍に居ることが分かるからです。 

また、偶然が起きた場合も、「どうせ偶然でしょ」と冷たくあしらわず、「まぁ凄い、面白いね」と素直に喜んでいれば、神さまはなおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

また神さまの声は、誰かの口を通してくることもあります。 

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、 

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。 

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、もう全てのもの、事に感謝しかありません。 

神さまの働きに気付き、人が感謝すればするほど、 神さまは私たちの身近で、良きことを起こしてくださいます。 

自分で、頑張って努力して、どうこうしようとか、人をどうにかしてやろうとか、、そんなこと、もうどうでもよくなります。

今、現在、自分の居る場所で、全ては調和し、全ては充足し、満たされているのですから、

何かが足りないとか、これが無いからとか、そんなことは一切ありません。 

神さまは、私たちの置かれている状況を熟知していらっしゃいますから、必要なものは全て、

既に周りに用意されています。 

それに不足を感じたり、不満を感じるのは、私たちの我がままです。 

今居る場所、環境、状態で満足し、感謝していれば、全てはうまく回るようにできています。

それこそが、「置かれた場所で咲きなさい」と仰る神さまに、感謝をこめて報いる方法です。

私たちは、一人一人生まれて来た目的があります。 

その目的は、生きているうちに明かされることはありませんが、 

「神さまの流れに任せ」ていれば自然に達成されるようになっています。 

・素直で、

・優しい気持ち、

・お互いさまの気持ちで、

・ニコニコ生きていれば、 

きっと素晴らしい人生になることでしょう。


2024年10月23日水曜日

3589「青空ひろば」2024.10.23

 立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新記事を紹介します。


1469 2024.09.10 ~ 1472 2024.09.13 (前日の続き)


<明るくて温かくて潤いがある、安心できる場を作ろう>

あなたの手のひらに、植物の種が一粒載っています。その種を土壌に蒔きます。さて、この種を大きく育てようと思ったらどうされますか。何が必要だと思われますか。

まず、温かい環境ですね。温度が低すぎると芽が出ないし、育つことができません。

それから、土壌のうるおいですね。カラカラに干からびた、栄養分が豊かでない固い土壌では、根を張ることが出来ません。

さらに、たっぷりの日光ですね。植物は光合成によって、成長に必要な栄養分を作っているのでしたね。

このように、『あたたかさ』と『うるおい』と『明るさ』に包まれた、安心出来る環境の中でこそ植物は、順調にスクスクと育つことが出来るのです。

あなたのイノチも、もとは植物の種子のような小さなもので、そんなちっぽけな種から現在のあなたが持っておられるような、立派な身心にまで成長されました。なぜそんな小さな種からここまで成長することができたのでしょうか。

それは、この『イノチの種子』が<どこまでも高くなってゆこう、広がってゆこう>という激しい強い意志を中核遺伝子として持っていたからですね(これを「根本意志」と名づけます)。

また、イノチ全体の進化のために自分はこんな役割を果たそう、そのためには自分はこのような方向に育とうという大まかな設計図を含んでいたからですね(これを「役割(個別)意志」と名づけます)。

これらの「根本意志」と「役割意志」を、どの人もイノチの方位磁針として保持しているからこそ、私やあなたのイノチはここまで生きつづけることが出来、このように独自の成長を続けることが出来たのです。

どんな人も、そのような素晴らしいイノチの方位磁針を内蔵しているのですが、もし寒々とした、潤いに欠ける干からびた、薄暗い環境(場)に置かれたイノチの種は残念ながら成長を阻害されてしまいます。イノチに変なクセが付かずに順調に成長するためには、『あたたかさ』と『うるおい』と『明るさ』に包まれた、安心できる土壌(場)がどうしても必要なのです。また、そんな理想的な土壌に蒔かれたイノチの種子であれば、事細かな手入れ(指導)をしなくても、間違いなくスクスク育つことが出来るのです。

ですから、私はこれまで、禅の会にやって来られる方々に、こうしなさい、ああしなさいなどとうるさく指導したことはありません。ただ、「大丈夫ですよ、そのままでいいのですよ」と何度も、何度も、手を変え、品を変えて、安心されるようお話ししてきただけなのです。

私は、温かくて、潤いがあって、明るい、安心出来る場を皆さんに提供したいだけなのです。それだけで、それぞれの方が勝手に自身の問題を解決し、困難を乗り越えたり、解いたり、溶かしたりして、ドンドン前進してゆかれます。

その姿を目にして、やはりこの方法(安心できる環境を用意してあげれば、イノチは勝手に育つ)が本当の魂の育て方なんだと確信出来るようになりました。

魂は促成栽培のような育て方をしてはいけないのです。ただ、温かくて明るい、その人が安心出来る場を提供して信じて待つだけでいいのです。

一年でも十年でも、一生でも十生でも、ひたすら信じて待つのです。これからも、生まれ変わり、死に変わりずっと同道する永い、永い旅路なのですから、お互いあせる必要はありません。(完)


1468 2024.09.08 

<安心出来る「場」作り>

安心出来る「場」を作ることがとても大切です。

安心出来る「場」に植えられた「いのちの種子」は、発芽してスクスク成長します。

<いのちの種子を発芽させ成長させるために必要な環境(「場」>

① 温度(あたたかさ)

② 水分(うるおい)  

③ 日光(あかるさ)

「安心できる場を提供すること」が、子育て、教育の極意

観音さまは「施無畏者(せむいしゃ→「安心を提供する者」という意味)」


1467 2024.09.07

<禅が目指す人間像>

・そのままの君でOKだ!      

・クセや欠点が、君の愛嬌・魅力じゃないか!

・出来ても、出来なくてもOKだい! 

・人生に正解なんてない!     

・逃げ出すな、覚悟を決めよう!

・人生は流れ作業!

・損得なんて蹴っ飛ばし、オレはオレだと生きてみよ!

・席が空いたら坐れということ、ドアが開いたら入れということ!


1466 2024.09.06 

坐禅とは、「アタマ」をやめて「カラダ」することです。「カラダ」は「今・ココ・私」にしかおれません。

「アタマ」は、「今・ココ・私」になかなか落ち着けません。未来や過去にフラフラ漂い出しがちです。

アタマが未来に傾けば:「取り越し苦労」(不安・恐れ)が発生します。

アタマが過去に傾けば:「持ち越し苦労」(後悔・憂鬱)が発生します。


1465 2024.09.05 

Q.どうすれば、身心がホドケルのですか?

A.

・坐禅すれば身心がホドケます。

・「今・ココ・私」に落ち着けるようになります。

・しあわせ感情が自然と湧き上がってきます(対象のない喜び)


1464 2024.09.04 

・「許さない」心を持ち続ければ、あなたが不幸になります

・「許さない」心を持ち続ければ、あなたを不健康にします

・憎み・恨み・怒りの感情の元締めは、実は「悲しみ」の感情です

・「悲しみ」の感情の根っこには、必ず心の中に「自己憐憫」、「自己   否定」、「自己処罰」の冷たい固まり(コンプレックス)があります。

・ありのままの自分を受け入れ、許せる人間になることが先決です


1463 2024.09.03

<幕開けのことば>

私は私を許します/私はあなたを許します/私は世界を許します

私は私を認めます/私はあなたを認めます/私は世界を認めます

私は私を愛しています/私はあなたを愛しています/私は世界を愛しています

私は私を抱擁します/私はあなたを抱擁します/私は世界を抱擁します

私は私でOKです/あなたもあなたでOKです/世界も世界でOKです

私が私であること、それは何と素晴らしいことでしょう

あなたがあなたであること、それは何と素晴らしいことでしょう

そして、世界が世界であること、それは何と美しいことでしょう

私はしあわせになります/あなたもしあわせになります

そして、しあわせな世界の幕が開くのです

  <未来へのことば>

これから毎日/あらゆる面において/一層よくなってゆく


1462 2024.09.02 

理想(目標)を設定して、その理想から自分の現状を引き算して自分の価値を決める習慣を植えけられている。

道具の不足ばかり嘆いていないで、今持っている道具でなんとかする習慣をつけよう。


1461 2024.09.01 

アドラー心理学は、「共同体感覚」の育成を目指す。

<共同体感覚>とは、

① 私は私のことが好きだ(自己受容) 

② 人々は信頼出来る(基本的信頼感)

③ 私は役に立てる人間だ(貢献感)


1460 2024.08.31

「憎しみ」は、身心を固め、冷たくする。

「許し」とは、「ゆるくする」こと


1459 2024.08.30

不幸を生み出す根本原因は「恐怖心」です。

恐怖心が、自分のまわりに「囲い」を作ります。その「囲い」が厚くなり、高くなることによって、「罪(積み・覆み)」と「汚れ(気枯れ・化枯れ)」が発生します。

あたためて、「囲い」をほどけば楽になります。

楽になれば、その人本来の才能が発揮出来るようになります。

あたためる方法は、ほどきの坐禅の実践。あったかい先生や仲間に親しむ。困っている人や動物や自然環境のためにボランティア行を実践。


1458 2024.08.29 

Q.私たちは何のために地上世界に降臨したのでしょう? 

A.

<私たちの地上世界での根本使命(根源天命)> 

① 我も人も、「神の子」であることを知りなさい

②「豊かさ・潤い」を自身と世界にもたらすように 

③「平和・安らぎ」が自身と世界にあるように務めなさい 

③「平等世界」を実現しなさい 

④「智慧」を磨き、我が身心と世界を「調和よくコントロール」出来るようになりなさい

⑤私たちがこの世界で「生きることこそが神託」であると知りなさい。


1457 2024.08.29 

Q.結婚するには?

A.結婚して苦労する覚悟を決めたら、苦労はやって来ない。いい結婚が出来る。


1456 2024.08.26

Q.お金に好かれる方法。どうすれば、「お金」は相棒・味方になってくれるのですか?

A.

・無駄使いされたら「お金」は怒る。

・一円玉・一万円札、旧い札・新札、差別しないで平等に大切に扱ってくれると「お金」は喜ぶ。

・大切に丁寧に扱ってくれる人のところに「お金」は行きたがる。

・「お金」はお互いに人の情報をやりとりしている。お金を粗末に扱う人の情報は一気に広まって、「お金」は、その人を回避する。


1455 2024.08.25 

Q.しあわせになるには?

A.

① 善行を実行する。お経を称える。

② トイレ掃除など(心をこめて、丁寧に手入れしてあげたモノやヒトは、あなたを護る「小さな神さま」となる。

③ 笑顔行(ノーマン・カズンズさんは不治の病とされた膠原病を笑いと笑顔で克服した)。

④ 百日間日拝行(朝日を拝むと健康になる)。

⑤ 足運び法(寺社などに、回数を決めて参拝する)。 

⑥ 疲れたら「樹」に癒してもらう。

⑦ 身心の固まりを解いてくれる音楽をきく。

⑧ ほどき・やしないの坐禅をする。

⑨ ファッションを変えると、人生軌道の方向転換が図れる。

⑩ 食事を減らし、分量も、時間も規則正しい食生活をすると、運命を改善できる(水野南北の実験)。


1454 2024.08.24 

徳積めば 納得の人生を 生きることが出来る

徳積めば しあわせ行きの 得々切符が 手に入る


1453 2024.08.23 

ささやかなことでいいから

善行をひそかに やり続けよう

それが徳積みになり 自分や家族や子孫をしあわせにするための

天に預ける財産となる

さし出す手が 受け取る手なのだから


1452 2024.08.22 

低い土地に水が流れこむように

必要な人 必要な時に 必要なものが

入ってくるのが大宇宙の理法

では、なぜ入ってこない

自分をまもるはずの「自我の囲い」が

流入を邪魔しているから


2024年10月22日火曜日

3588「この世に使命をもって生まれてきた」2024.10.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月06日の記事を紹介します。


「この世に使命をもって生まれてきた」


今日は不思議系のお話です。眉に唾を付けてお読みください。

しかし、私の信頼する聖心女子大学教授で、

シスターの鈴木秀子さんのお話ですので、真実のお話だと信じています。 

<引用開始> 引用元 

 

鈴木秀子教授はご自身が翻訳された「死んで私が体験したこと」の著書に、

ネイティブ・アメリカンの母とアイルランド系の父の間に生まれたベティー・イーディーという女性の体験を挙げられています。

ベティー・イーディーは31歳のとき子宮摘出の手術を受ける

      ↓

術後に大量の出血をして、一度死を経験する 

数時間だれもその状況に気づいていなかった

担当医はベティーは間違いなく死んでいたことを認めている        ↓

死んだベティーは、自分の身体から抜け出るという「幽体離脱」をし、

自分の肉体を高いところから眺めていた。

      ↓

その後、生前7人の子どもと夫を残して死ねないと思っていたので、

家族のいる自分の家に行くと、夫も子どもたちも快適そうに過ごしているのを見る。 

その姿を見ているベティーの心の中に、それぞれの家族の将来の予告編が映し出された。

そして・・・自分がいなくても、みな自分なりの、価値ある人生を歩んでいくことを知り、

気がかりだった家族のことが心配ないと確認したベティーは、ほっとして、この世から旅立つ。

      ↓

ベティーは真っ暗のトンネルを超高速で進んでいく。 

      ↓

そのうち、とてつもなくまばゆい光が近づいてきた。

      ↓

そして、愛の光を放つキリストを見た。

(これは、あの世の計らいであることが、江原啓之氏、飯田史彦教授、坂本政道氏などの書籍で説明されています。 日本人がよく見る三途の川や、お花畑も同じ現象で、「死してあの世に戻って来た魂」を安らがせるため)

      ↓

ベティーは「ここが、私の本当の故郷なんだ」と確信した。 

そこで、あの世で教えてもらったこととして・・・ 

・この世に生まれようとする魂が、自分で一生のプランを立て、使命を負い、

受胎した胎児の中に宿るということ

・幼くして死ぬというプランもある

・障害をもって生まれてくるというプランもある

・辛い人生を歩むというプランもある

このような一見不遇そうに見えるプランが自分と周囲の人を成長させるために必要だと判断するからこそ、そのようなプランを立てて生まれてくる。

この世界へ来て問われることは「愛をもって生きてきたか?」だけである。 

そこ(トンネルを通過するとき、あるいは光に包まれるとき)では、人生の場面が映画のシーンのように映し出される。(この経験をする人が多いのも臨死体験の特徴) 

それぞれのシーンでは、自分の気持ちだけでなく、 そのシーンにいる他の人々の気持ちも、

自分の気持ちのようによく分かる。 

※これも、福島大学 飯田史彦教授「生きがいの創造」でも語られています。 

この人を悲しませた →後悔の念を抱く 

この人は私を心から大切に思ってくれていたのだ →感謝の念を抱く など

そしていずれの場面でも、「愛の大切さ」を強く認識すると鈴木秀子教授は述べられています。

そして・・・このことから、鈴木秀子教授は、

「この世に生を享けたものはすべて、それぞれのすばらしい使命をもつ存在」

であると述べられています。 

たとえ凶悪な犯罪者でさえ、この世に使命をもって生まれてきた存在なのです。

とも述べています。

      ↓

ベティーは、まだこの世での

使命を果たしていないという理由で再びこの世に送り返されます。  

本人は「もうあんな不完全で、労苦と不安に満ちた世界(この世)へは帰りたくない」と必死に抵抗しますが、泣く泣くこの世に帰ってきたそうです。

鈴木秀子教授は

「わたしは自ら臨死体験をした経験から、たぶんペティー・イーディーが体験し、

さまざまなものを見聞きしたのは、死後の世界だったのだろうと思っています。」

と述べられています。

<引用終了>

臨死体験したベティは、子供たちのことが心配で、意識を子供たちに向けた途端

子供たちの傍にいました。 

そして、自分がいなくても、みな自分なりの価値ある人生を歩んでいくことを知ります。 

つまり、例え親子であろうと、子供には、子供の人生があり、親が早くに亡くなることも、 

それによって人生が変わり、本来の予定していた道に進むことも決まっていたことです。 

ですので、子供であろうと、まったく別個の魂であり、親であろうと、その子の人生に介入することはできません。 

それぞれが、自分の内なる神様に守られて人生を進んで行きます。 

またベティが、あちらの世界で教えてもらったこと・・・

自分で一生のプランを立て、使命を負い、受胎した胎児の中に宿る。 

とは、まるっきり、出生前記憶、中間世記憶を持つ子供たちが語ったことと同じです。 

このように、思いもしない、いろんな所から、今、真実であろうことが私たちに突きつけられています。

勇気を持って、自分の知っていること、自分の経験したことを語る人も増えてきました。

その真実であろうと思われる中には 

・私たちが生まれて来た目的

・人生で起こる様々な出来事の意味

・人と人との繋がり

・人と宇宙の繋がり

・人と神様との繋がり

など、様々なことが含まれています。

これらは、全て敗戦後に、二度と歯向かえないように、日本人の精神的支柱を破壊するために取られた 

・教育政策、

・3Sに見られる愚民化政策

によって否定されてきたことです。 

ですが、戦後80年経ち、真実に気付き始めた人々が、少しずつ現われてきました。 

いにしえの日本人が持っていたDNA 

・古き良き心

・全てのものに神さまを見出す謙虚さ

・全てを敬い、大切にする心 

思い出していきたいものですね。

2024年10月21日月曜日

3587「私は生きると決めた」2024.10.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月05日の記事を紹介します。


「私は生きると決めた」


・レインボーチルドレンの子供たち、

・高度に進化した星から直接転生してきた子供たち、

・中間世記憶(天国や神様の記憶)を持つ子供たち、

・そして宇宙存在、バシャールなどの言うことに、 

一つの共通点があります。

それは、この世の中の出来事には、良いも悪いもない 

全ては、自分の計画した通りの出来事が起きてるだけ、

自分自身で、OKを出した出来事しか起こらない・・ と言うことです。 

つまり、

・重い心身の病気の運命を持って生まれてくる子供も

・陰湿な意地悪をする友人も

・極端な場合、殺されるような人生も

全ては計画通りの出来事、 

全ての目的は、その経験をしてみたかったから、その経験を通じ、魂を磨きたかったから・・ 

なのだそうです。

返って、「悪いこと」とみなされるようなことを

担ってくれる人、そのような役を引き受けてくれる人こそ

魂的には、本当は偉大で、光り輝く存在のようです。 

さて、そのような大前提のもと

 今日は、シスター鈴木秀子さんの「死にゆく者からの言葉」よりご紹介します。

この中に、障害を持ったお子さんのお話があります。

<転載開始> 転載元 

一人の女性が泣いているのが目につきました。

私はそのとき、壇上にいて、「命の大切さ」という市民大学の講演を行っていました。

その女性は、身なりも顔立ちも派手な印象でした。

しかし、だれ一人として泣いてなどいないなか、彼女はハンカチひとつ使おうとせず、

涙をあとからあとからこぼしつづけています。

そして私の顔をジーッと見つめたまま、身動きもせず、話に聞き入っています。

前から三番目に座っている彼女の姿は、否が応でも目に入ってきます。

「きっと思い当たることもあるのだろう」私は、そう思いながらも講演をつづけました。 

(中略)

今日の話を聞けてほんとうによかった、と彼女はつづけました。

そして涙がこぼれたわけを、こう語りました。

「実を申しますと、私の体のなかは洞窟も同じなのです。

これまで八回、大手術をしました。

子宮ガンから始まり、胃ガン、腸ガン・・・・、転移して次々と大手術を繰り返したのです。

こんなカラッポの体でね、どうして生きているのか

お医者様からも不思議でたまらないと言われています。

ともかく体のなかには何もないんですから。

ではなぜ、私がこうして元気で生きていられるかと申しますと、 

実は私には精神障害の息子がいるからなんです」

彼女は、その子が生まれてまもなく夫と離婚したのです。

寝たきりのその息子は現在二十歳ですが、幼児程度の会話しかできません。

彼女を必要としている息子のため、彼女は一度目の手術以来、医師にも周囲からも見放されながらも、手術しては生き返り、また次の手術をしては生き返り、ついには働けるまでになりました。

「勤めを終えて家に帰りますとね、息子は布団のなかからじっと私を見つめ、子供のように顔をほころばせて、それは嬉しそうに手足をバタバタさせて喜ぶんです。

私も元気とはいうものの、大手術を重ねましたから、お天気が悪かったり、重いものを持ったりすると体が動かなくなることもあります。

でも息子の、ほんとうに喜びを満面にした顔をみると、一日の苦労が吹っ飛ぶんです。

これまで死ぬほどの重病にとりつかれましたけど、 

『この子を残しては死ねない』

この一心で生きつづけてきました。

そして、『あの子が家で待っている、私を待っている。 

私が生きていなければ、あの子は生きていかれないんだ』って、それだけしか考えませんでした。 

病気のことを考えている暇なんかなかったんです。

そして絶対に生きる。病気がどんなであろうと、お医者様が死ぬと言おうと、

私は『生きる』と決めたんです。

子供が生きている限り、私は生きるんだって。 

これが、病気になっても、病気とは関係なく生きつづけられる原因なんです」

いつでもニコニコと迎えてくれる子供の顔を見るたび彼女は、

「生きていてほんとうによかった」と思うのだと言います。 

そして、「お話を聞いていて、幸・不幸というものは、

世間一般に考えられているようなことではないんじゃないかと改めて思いました。

このような息子を持つ、ボロボロの体の私でも、こうして幸せを感じることができるんですから」

私は講演のなかで、幸・不幸というものは客観的にはかり知ることはできないのだ、 

また、苦しみの極みを積極的に受けとめ、生きぬくとき、苦しみは、

生きる深いよろこびをもたらしてくれる、と話したのでした。

私の知人の家では、五人の子供に恵まれたものの、五番目の息子は身体障害者でした。

しかも、知能の遅れもともなっています。 

世間的にみればさぞかし大変であろうと思われがちなのですが、

真一君というその子のおかげで、家族中が大変な仲良しでした。 

というのも彼らは、「ただいま」の次に必ず、

「真ちゃんどうしてる?」と声をかけ、そしてその部屋に入るなり、 

「今日ね、こんないい話があったんだよ」と報告するのを日課としていたのでした。

ちょうど花束を持って帰るように、家族の一人ひとりが、いい話を必ず一個ずつ持ち寄ったのです。

その子は残念ながら、それらの話を十分には理解できません。

しかしわからないながらもニコニコと、まるですべてを理解しているかのようにほほえんで聞いていました。

そのためその子の父親も母親もきょうだいたちも、今日はあの子に何を話そうかと、まるで花を摘むようにいい話を探さずにはいられないのです。

そうすると厭なことに気を取られなくなり、長年のうちにそれぞれが、日常の平凡なことのなかから、毎日毎日宝物を探すようにいい話を探す習慣を身につけていきました。

家族中がその子を喜ばすことで結束し、仲のよい暮らしの中から、いいものを見いだす目が育てられてきたのです。

「あの子はわが家の宝物。宝の花をひきつける存在です」

それは知人の自信にあふれる声でした。

中年の女性は、自分の家もまさにそういうことであったのだと語りました。

「私の息子もほんとうに、そのお子さんのような存在です。

そのお子さんが宝の花をひきつけるのなら、息子は命を湧きあがらせてくれる存在なのです。

ですから本来ならばとっくになくなっているはずの私の命も、

息子の喜ぶ顔を思い出すたびに、私の中で生命が湧きあがってくるのです」

息子は、生まれてすぐ、三年生きられればいいだろうと宣告されたのでした。

それがその年の一月十五日に二十歳を迎えることができました。

「その日、お赤飯を炊きましてね、ささやかでしたけど祝ってあげたんです。

そうしましたら息子が、私の顔をじっと見つめて、 

『お母さん、ありがとう』って言ってくれたんです。

息子はただ、祝ってくれてありがとうっていうつもりだったんでしょうけど、 

私にはまるで、自分を成人まで育ててくれて、ほんとうにありがとうって言っていたように

聞こえてなりませんでした」

彼女はしみじみつぶやきました。

「お礼を言うのは自分の方です。 

本来なら死んでいるはずの自分を、あの子は無垢な笑顔を向けてくれることによって、

生命を湧きあがらせてくれます。

ほんとうにありがたいことです」

彼女は最後にしみじみとそう言いました。

その女性から便りが届いたのは、それからしばらくしてからのことでした。

あの息子さんが、亡くなったという知らせでした。

しかし、文面には、「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。

あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと呼びかけているのです」と書かれてありました。

私たちは、辛いこととか、いやなことが何ひとつなく、物事が自分の思い通りにいきさえすれば幸福であると考えがちです。

しかしもっと深い幸福があると思うのです。

辛いことや思い通りにいかないこと、そういった状況のなかにこそ、見る目がある人にとっては、通常ではみられない幸せというものが存在しているのではないかという気がします。

<転載終了>

深い深い愛ですね。

一般の人から見たら、一見不幸に見える状態であっても、その環境から磨かれる魂の輝きは

計り知れないものがあります。

皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?

いない方は、ご両親はご健在ですか?

私たち親は自分に子供が生まれた時、生まれたこの子が、幸せに生きられますように

そう願いました。

そしてきっと、自分が先に天国に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますように、そう願うのだと思います。

親と子、深い愛の絆で結ばれていますね。 

そして、そして、あなたの嫌いな誰かさんにも、このように思ってくださって親御さんが必ずいるはずです。

皆さんも、例え苦悩の中にあろうと、その中に神さまの光を見つけることができますように。


2024年10月20日日曜日

3586「神々が望むもの」2024.10.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月04日の記事を紹介します。


「神々が望むもの」


新しい希望の世界に向けて、現在戦争やパンデミック、

その他もろもろの悪しき現象が世界中で起こっています。 

まさに夜明け前の一番暗い闇の中ですが、明けない夜はありません。 

その全てが終わった後、地球の希望の灯として残されているのが

私たち日本人の大和心(やまとごころ)、古き良き日本の縄文の心です。 

・例え武力はなくとも

・経済力は弱くとも

私達には胸に秘めた大和心が存在します。

諦めずに、その心を呼び覚ますことこそが、美しき新たな地球の姿に繋がります。 

それでは今日も、その大和心を思い出すために、心のことを書きたいと思います。 

古事記によれば、宇宙で一番はじめに現れる神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が現れ、

続けて、神産巣日神(かみむすひのかみ)が現れましたが、

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。 

ちなみに斎藤一人さんについていらっしゃるのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)だそうです。 

天照大神や月読の尊、スサノオなどは、もう少し時代を下ってから生まれます。 

これら宇宙規模の大本の神々は何を望んでいるでしょうか? 

神道では、願い事は、自分の願いを言うのではなく、神々を喜ばすのが先。 

喜んで頂けば、自然と願いをかなえてくださる。。 

そのような考え方をします。 

今流行りのパワースポット巡りのように

・あれをしてくれ

・これをしてくれ

・お金を儲けさせてくれ

・病気を治してくれ 

などの自分の欲が先・・という考え方とは正反対です。 

この喜んでいただくとは・・・ 

・神様にお酒を奉納することなのか?

・卵を奉納することなのか?

・美味しい肴を奉納することなのか?

もちろん、そういった形あるもので表現することも大切なことでしょう。 

ですが、神々の系譜の先頭の大本の神々(宇宙神)は、 

・俺は龍神だから卵を持ってこい

・お酒を持ってこい、但し辛口が良いぞ

・ビックリするような不思議な現象を見せてやるぞ

・欲まみれのどんな願いもかなえてやるぞ

そんなことは決して言わないし、望んでもいないと思うのです。 

神さまが望むことは、私たち人間たちが 

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで 

仲良く笑顔で暮らしていく  そんなことではないかと思うのです。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。 

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思うのです。 

そして、その私たちのま心こそが、神々のエネルギーの源泉であり、

神さまと人間たちが、共に幸せになる道だと思うのです。 

・神さまから一方的に何かを頂いたり、

・不思議な現象を見せて頂き、好奇心を満たしたり、

・それを自慢し、人に羨ましがられたり、尊敬されたいと言う欲を満たしたり

・自分は神さまと繋がっている特別な人間と、周りの人を支配しようとしたり

神さまは決して、そのようなことを良しとなさる方とは思えないのです。

神社に行くと必ず、神殿の中に鏡が置いてあります。 

鏡は、私たち自身の ありのままの姿を映し出すものです。

神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。 

神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、その人の自分の中にある神さま、つまり、自分の本質、本当の姿を思い出し、自覚する場所でもあるからです。

鏡に映るのは、自分の中に居らっしゃる神さまの姿です。

この鏡の前に座り、敬虔な気持ちで手を合わせ、祈る時、神さまと私たちは繋がります。 

そして、神さまの前に素直になった心そのもので、自分の周りに居てくれた人たち、

家族、友人、同僚、そんな人たちに、感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、

神々は喜び、今度はそこで、その場において 、私たちと神々のエネルギー交換がなされることでしょう。 

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も 

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も 

みんな、みんな大切な人だったと。 

かけがえのない人だったと。 

溢れる感謝の気持ちと共に。 

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。 

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには神さまがいらっしゃるからです。

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも、続々と現れることでしょう。

何故なら、人の心の浄化こそが、神々のなさる最大の奇跡だからです。 

私たちの運命と言うものは、どこでどう転ぶかわからないものです。

ですが、その未来の方向性を決めるものこそが、普段の私たち自身の心の状態。

そして、日々の生活の中で、

・お陰様

・お互い様

とみんなが仲良く笑やって、助けあって生きていくこと。

そういった些細ではあるけれど、心温かな交流こそが、めぐりめぐり、将来において、自分自身に帰ってきます。

そして自分自身の運命を良き方向に運んで行ってくれま。

決してどこかの誰かが何かをしてくれたから幸せになるわけではありません。 


2024年10月19日土曜日

3585「神さまとの約束」2024.10.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月15日の記事を紹介します。


「神さまとの約束」


今日は、「如何に自分の魂を輝かせるか?」簡単な例でご紹介します。 

私たちを取り巻く現実は私たちの心が作り出しています。

私たちの心が清らかで温かければ

清らかで温かな心の人々に囲まれ幸せに暮らせることでしょう。 

私たちの心が濁り、自分さえ良ければ・・ の心であれば、同じような心の人が集まり、

殺伐として心が落ち着かない辛い世界に生きることになるでしょう。 

今日は、その大切な心を清めるためのお話です。 

日々の地道な積み重ねが、私たちの魂を輝かせてくれます。 

私たちは生まれるとき、神さまから魂をいただきました。

みんなその魂を、自分の真ん中においています。  

私のブログではよく「神さま」という言葉が出てきますが、

それは宗教的な意味ではなく、例えば

・サムシンググレートでも

・ハイヤーセルフでも

・アメノミナカヌシでも

・宇宙の意思でも 

構いません。 

要するにすべての生命体の源の意味として使っています。

さて今日は 醍醐千里さんという、二人の子どもを持つ中学校の先生のお話です。

何気ない日常の生活の中で私たちは、沢山の分かれ道に遭遇します。

私たちの心を美しく保つことは、 

・何処かの誰かがしてくれることではありません。

・神様がしてくれることでもありません。 

沢山の神社仏閣を回っているから大丈夫でもありません。 

大金を払ってヒーリングしてもらったから大丈夫でもありません。 

前世、有名な人だったから大丈夫でもありません。

全ては、今生きている、私たちの日々の心掛けにかかっています。

<引用開始>

魂は磨けば磨くほど光ります。 

漢字の練習を一生懸命しました。

魂は昨日より光ります。 

電車でおじいさんに席をゆずりました。 

魂は昨日より光ります。 

弟におやつをあげました。 

魂は昨日より光ります。 

今日はごめんねが言えました。 

魂は昨日より光ります。 

あの人にありがとうが言えました。 

魂は昨日より光ります。 

頑張ることや、誰かや何かに優しくすることは、魂を磨きます。 

けれど頑張ることや、優しくすることだけではなく、

楽しいこと、うれしいことも、 魂を光らせることが分かりました。 

友だちと楽しく大笑い。 魂は昨日より光ります。 

誕生日のプレゼント。 魂は昨日より光ります。 

楽しいことやうれしいことも魂を磨くと知って、 私はなんだかホッとしました。 

ある日、掃除をさぼって友だちと遊びました。  

友だちと楽しく大笑い。 

けれどその日、自分の中の魂を見て驚きました。

あんなに楽しく笑ったあとだったのに、魂は光るどころか曇っているのです。 

ある日、友だちからネックレスをもらいました。 

お店から盗ってきたネックレスだと言います。 

欲しかったものなので、よく考えもせずにそれを受け取りました。 

その夜、魂を見てみたら、その日もまた魂は、 昨日より曇っていました。 

ある日、一人が言いました。 

「ねぇ、あの子、気に入らないよね?」

あっという間に、その子はひとりぼっちになりました。 

私は、その子をひとりぼっちにさせる側にいました。

その輪の中で私には、急に仲間が増えました。

新しくできた仲間とともに、 おもしろおかしく過ごしました。 

そんな日々を送る中、 私は久し振りに、自分の中の魂を見てみました。 

私の魂は真っ黒になっていました。 

私は、自分の魂の色を見て、 とても恐ろしくなりました。 

楽しいこと、うれしいことの中にも、 魂をくもらせること、 

魂を濁らせることもあると分かりました。 

楽しいこと、うれしいことには、 2種類あると分かったので、

これからは、 気をつけていかなければならないと思いました。 

毎日魂を磨き、 毎日魂の様子を見ているうちに、私は不思議なことに気がつきました。 

磨いたつもりのない日でも、魂の輝きが、増しているときがあるのです。 

そういう日の一日を振り返ってみると、その日は、きれいな花を見たり、

美しい夕焼けを見たり、 そういう日だったことが分かってきました。 

映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。  

そういうことでも魂を、磨くことができるのです。 

楽しいことやうれしいこと、 目にした景色や、聞こえてくるメロディ、あたたかな言葉。 

その日その日のなんでもないことも、私の魂を磨き続けてくれたのです。 

できるだけ魂を光らせようと、毎日を送っていましたが、 ある日、私は少しだけ疲れてしまいました。 

夢の中で私は、神様に会いました。 

夢の中で私は、神様に聞いてみました。 

神様、私はいつまで魂を磨けばいいのですか。 

私の魂は、いつ完璧に美しくなるのですか。 

神様は言いました。 

あなたは、あなたの最後のひと呼吸まで、 魂を磨き続けなさい。 

みんな、その約束をして、地上に生まれているのですよ。 

でも、神様、磨き終わらないうちに、最後のひと呼吸がきたら、 どうすればよいのですか。 

心配しなくて大丈夫。 

あなたの魂は、最後のひと呼吸のとき、必ず、最高の光を放ちます。 

神様、私にはその自信がないのです。 

あなたは、毎日魂を磨いています。 

だから大丈夫。 

最後のひと呼吸のとき、魂はそれまでで一番美しい姿を見せてくれます。

何も心配いりませんよ。 

あなたの魂は毎日、昨日より輝きを増しているのです。 

ときどき、自分の魂を、離れたところから見てごらんなさい。

あなたの魂があなたの体を越えて、まわりに光を与えていることにも、 気づくことができるでしょう。 

このごろでは、あなたの魂の輝きで、道を明るくする人も増えてきました。 

さぁ、戻って、魂を磨いてきなさい。  

毎日を楽しくうれしく感謝の気持ちで送るのですよ。 

そうするとあなたの魂は、キラキラと光を強くしていきます。 

あなたがここに来るのは、まだまだずっとずっと先。

あなたの人生を、楽しんでいらっしゃい。 

あなたがどんなに素晴らしい魂を持って、ここに帰ってくるか、私はそれを楽しみにしています。 

目が覚めた私は、 それまで気づかなかったことに気づきました。 

昨日より今日。 今日より明日。 

私の魂は輝きを増し続け、毎日新しく生まれ変わります。 

そして必ず、その日の魂が1番光る魂。 

魂を磨くという 少しの努力、優しい気持ち、そして うれしいこと、楽しいこと。 

日々の中に散りばめられた美しいもの。 

神様との約束を思い出したので、私は、なんにも心配しないで、

毎日を送っていくことができそうです。 

なんにも心配しなくても、 私の魂は、昨日より光ります。 光り続けます。

<引用終了>

醍醐先生は、新米教師の頃は、生徒との関係も、授業もうまく行かず、 

朝起きるのも、教室のドアを開けるのもつらくなってしまったといいます。

29歳で二人の子の母となり、二度の育児休暇中に母親業に徹することで、教員の在りかたに親としての視点が持てるようになり、その結果学校での姿勢も少しずつ変わっていきました。

その頃から、奇跡が訪れるようになったそうです。

行事やクラスのトラブルに、大どんでん返しのミラクルが起こり、うまくいくようになった。

教員だった両親が教えてくれた言葉、 

・正しいと思うことを貫く姿勢

・自分の心を磨くこと

この二つを胸に、がむしゃらに突き進んだのだそうです。

私たちは、みんな生まれてくる時に神様と約束してきました。

「最後のひと呼吸まで、魂を磨き続けます」って。


2024年10月18日金曜日

3584「2025年に平和を期待できない根拠」2024.10.18

 今回はIn Deepさんの2024年10月15日の記事を紹介します。


 「2025年に平和を期待できない根拠 - In Deep

唯物論化した医学

これは今回の本題とは関係ないことなのですけれど、最近書かせていただきました、プロトンポンプ阻害薬や抗生物質などが人間の腸の働きや免疫を破壊することを取り上げた記事や、子どもへの過剰な向精神薬の処方についての記事、あるいは、日本で始まりました「鼻にスプレーするインフルエンザワクチン」についての添付文書の内容の記事など、ここのところの記事の内容を考えていますと、ルドルフ・シュタイナーが 100年以上前に述べた言葉を思い出すことがあります。

これらの記事に出てくるのは全部、クスリとかワクチンとかで、つまり「モノ」なんですけど、モノで病気を治すという方法論がグリグリに固まっているという状況ですね。

思い出したのは、以下の言葉です。『病気と治療』という著作に収められている講義からの抜粋です。


シュタイナー『病気と治療』より

医学は霊的な認識から出発しました。そして、しだいに唯物論化していきました。医学ほど唯物論に浸透されてしまった学問は、おそらく、ほかにありません。

以前には、人間を洞察するときには、人間の本性を構成する四つの部分を認識することが必要であるという意識が存在していました。

それで結局、現在、医療というものが一種ボロボロの状態にまでなってしまっているのですけれど、これもまた医療を提供しているほうだけが悪いのではなく、「受けている側」にも大きな責任があると思っています。

「病気を治せるのはモノだけ」という催眠術がほぼ人々の全体に広がっているわけですから、提供する医療サイドだけが変化していったとしても状況は代わらないと思われます。

以前、あるお医者様が以下のようにおっしゃっていたことがあります。

「風邪で来た患者さんから『抗生物質はいただけないんですか?』と、よく言われるんですよ。『風邪には抗生物質は効きませんよ』と言っても納得してくれない。『〇〇病院では出してくれました』と言って引き下がらない」

医者側は出したくないのに、患者さんが「出せ」と言う。

こういう面で苦労されているお医者様もいるのだとは思います。

あと、こんな人もいました。

相手「最近、足がフラついて仕方ないんですよ」

私 「そりゃ心配ですねえ。何か思い当たるところはあるんですか?」

相手「いや別に。血圧だって降圧剤で下げてますしね」

私 「・・・(それが原因なんじゃないか?)」

相手「おかげで血圧は 100以下に保っているんですが」

私 「(だから、それが原因なんじゃねえのか?)」

 

絶対的な医療信仰なんです。

血流が足りていない場合、それは脳やいろいろな臓器を含めて、様々に影響が出るわけですから、足がフラつくまで血圧が下がっているのなら、とにかくやめたほうが良いんですけど、信仰が非常に強いと、たとえば、私などの一般人が「血圧を下げる薬を一時的にやめてみてはいかがですか?」と言ったところで、多分やめない。

ワクチンも同様ですよ。

「いつまで続いていくのかなあ…」と思いますけれど、相当な、何らかのリセットがかからない限り、終わることはないのかもしれませんね。

さて、話は変わって、戦争です。 

 

世界のシステムから見て、平和は来ない

2022年のロシアの特別軍事作戦以来、世界ではずーっと戦争が続いたり、あるいは拡大している上に、今、戦争や紛争にはなっていない場所でも「戦争の気配や噂」は限りなく存在します。

今日や昨日だけでも、北朝鮮は、韓国とつながる道路を爆破するし、イスラエル軍は国連レバノン暫定軍に疑問のある攻撃をしかけたり、いろいろなことがエスカレートする一方となっています。

イスラエル軍の最近の国連軍への行動については、以下の記事で、国連レバノン暫定軍の声明を翻訳しています。

イスラエル軍が「化学兵器らしきもの」を国連平和維持部隊に向けて使用した可能性を示唆する国連声明

BDW 2024年10月15日

国連レバノン暫定軍は声明で明確に、「国際法に対する重大な違反だ」と述べており、また、国連は先日、ガザでのイスラエルの行為は、

「絶滅を目的とした大量殺人罪である」

として、イスラエルを非難しています(報道の翻訳)。

イスラエルは、もうムチャクチャやっているわけなんですけれど、どこの国からも、「ほとんど発言が出てこない」状態です。

そんな中で、ヴィンチェンツォ・ロルッソという方が、米ゼロヘッジに寄稿していた文章が印象的でした。

「 2025年に平和は来ない」

とするものです。

このヴィンチェンツォ・ロルッソという方が、どなたなのかの説明はなかったのですが、検索しますと、上位に出てくるのは、欧州委員会の政策担当官の方ですが、ちょっと違うような気もします(同姓同名の人がたくさんいます)。

ともかく、普通に考えて、2025年に世界に平和が訪れる可能性はきわめて低いというような談話です。

なお、記事中に、ロシアが国防費を大幅にアップさせる話が出てきますが、これについては、報道を以下に翻訳しています。

ロシアが国防費を25%引き上げ、ソ連崩壊以来の最高の増加率に

BDW 2024年10月1日

2025年にロシアが戦争をやめるつもりなら、こんな規模の国防費アップを行うわけがありません。

平和どころか、2025年は戦争の規模が拡大する可能性のほうが高いかもしれません。

ここから、その記事です。

 

2025年に平和を期待すべきではない理由

Why We Shouldn't Expect Peace In 2025

Vincenzo Lorusso 2024/10/14


ドナルド・トランプ氏が 1か月以内に勝利する可能性が高いことから、彼が「 24時間以内に」ウクライナ戦争を終わらせるという約束を守るだろうと期待するのも無理はないかもしれない。

しかし、論理と現実からすると、この結果が起こる可能性は非常に低いと言える。

第一に、ロシア政府は来年、今年に比べて軍事費を 22.6%増加させ、2023年末に策定された 2025年の当初計画に比べて 54%増加させる。国防費は GDP の 8%を超え、連邦政府支出全体の 40%という驚異的な額になる。

この支出は来年戦争が終わるという事実を示すと思われるだろうか。

ロシア政府は、この作戦の主要な軍事的・政治的目標であるウクライナの NATO 不参加が達成された場合にのみ、交渉の道に進むだろう。

現時点では、特別軍事作戦をめぐる状況は、交渉を開始できるほど決着したとは考えにくい。

ロシア軍はポクロフスク、ミルノグラード、チャソフヤールの陥落に直面している。ドンバスの完全解放とドネプロペトロフスク地域へのアクセスは、すでにロシアの勝利の予備的兆候だ。それが起こる前に、ロシアの交渉参加について語ることは空論に過ぎない。

しかし、NATO の全技術力がロシアに対抗しているため、この目標を達成するにはロシアに多大な時間と資金がかかるだろう。両陣営の軍事専門家は、当初から一貫して間違っていた。

第二に、紛争の終結は米国にとって有益ではない。トランプ氏や他の共和党員がウクライナ問題についてどれだけ不満を述べ、米国のすべての問題をウクライナ問題に結び付けたとしても、ウクライナ戦争はここ数十年における米国の外交政策における最も成功した投資だ。

ロシアを貧困に陥れる 1500億~ 2000億ドル(約 22兆円〜 30兆円)の支出をアメリカ人が後悔していると信じるのは完全な馬鹿でなければならない。

20年間で、アメリカはアフガニスタンに 1兆ドル(約 150兆円)以上を費やしてきた。しかし、アフガニスタンの配当をウクライナの配当と比較することは可能だろうか?

EU経済は破壊され、完全に米国に依存しており、ロシアのガスと石油はヨーロッパ市場から撤退している。ロシアはウクライナのステップでの勝利に莫大な資源を費やしている。

そして今、疑問なのは、米国がロシア連邦との紛争に直接参加して、そのような指標を達成するために、何万人もの米兵が死ななければならないのか、ということだ。

誰も気にしていないウクライナ人の命を犠牲にして、信じられないような成果が達成されている。

正気な人間がアメリカ大統領の立場なら、ウクライナ紛争を制限することは決してなく、むしろ継続するだろう。紛争解決への圧力があったとしたら、それはすでにヨーロッパから来ているはずだ。

残念ながら、今後数十年にわたり歴史家が徹底的に調査することになる理由により、そのような兆候は見られない。むしろその逆だ。

第三に、時期尚早な平和は中国にとって有益ではない。「韓国」と「台湾」のカードが熱を帯びる時期が来ている。中国は、アジア地域での紛争が再開する頃に、米国が「苦境に陥り」、他の地域紛争に気を取られざるを得なくなることを望んでいる。

さらに、現状でのウクライナの平和は、米国にとって完全な地政学的勝利となる。このような勝利の波に乗れば、世界のすべての遠心力がホワイトハウスの意志を受け入れ、中国から機動の余地を奪うことになる。

そうなった場合、現在「中立の立場」にある、あるいは少なくとも選択肢を残している多くの国は、ロシアには将来の世界秩序を形成する力がない、と結論付けざるを得ないだろう。

中国は、

a) ロシアが自国の条件を強制し、西側諸国に屈辱を与えるまで、

または,

b) 中国が米国との対立の急性期に備える必要がないと判断するまで、

あらゆる方法で紛争の長期化に貢献するだろう。

ウクライナ戦争における西側諸国の夢は、ロシアを破壊すること、あるいはロシアを「小イタリア」や他のヨーロッパ諸国と同様に従属国にすることだ。

ホワイトハウスは、米国の主要な競争相手である中国との同盟をロシアが放棄するよう強制するためにあらゆる手段を講じるだろう。

彼らはロシア連邦の最大限の貧困化を夢見ており、その後、ロシアがまったく無定形で独立性のない主体であった「 1990年代のルール」を押し付けようとしている。

ドナルド・トランプ氏もカマラ・ハリス氏もこの戦略的論理を変えることはないだろう。

なぜなら、それはディープステートと世界最大の金融機関群の利益と完全に一致しているからだ。

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ここまでです。

以前、天体の動きからの 2024年以降というものに専門家の方のご意見をご紹介したことがありましたが、細かいところはともかく、

「激動の年は 2025年から2026年が起点となって始まる」

という見立てが中心となるようです(メルマガの 2023年12月15日の 277号に全部掲載しています)。

これは、戦争だけではなく、経済や社会全体の激動とも関連する可能性のあるもので、この 2025年からの社会的大変動というのは、太陽活動の観点からも言えることです。

私たち個人も、いろいろと考えるべき時期でもあるでしょうし、実際に準備をするべき時期も近いのかもしれません。


2024年10月17日木曜日

3583「生きていていいんだよ」2024.10.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年10月02日の記事を紹介します。


「生きていていいんだよ」


今日は「愛語」について実際にあったお話をご紹介します。

愛語と言うのはブッダの言葉です。

ブッダは、私たちが幸せな人生を歩む6つの道(善)を教えられています。

それは六度万行(ろくどまんぎょう)といわれます。

この6つの善いことのうち、 

どれか一つでも徹底して実行すれば、幸せになれる 

と説かれているのです。

そして六度万行の一番目に挙げられているのが『布施』です。

その布施行の一つに 

『和言愛語(わげんあいご)』があります。

和言愛語とは、

和やかな笑顔【和顔】と、優しい言葉【愛語】とを施すことです。

さて、それでは実際にあったお話です。

曹洞宗長徳寺の住職 酒井大岳山さんのお話です。

<引用開始> 引用元

ある書道の時間のことです。

教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい女子生徒がいました。

傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は、咄嗟にその言葉を呑み込みました。

彼女の右手は義手だったのです。

「大変だろうけど頑張ってね」と自然に言葉を変えた私に 

「はい、ありがどうございます」と明るく爽やかな答えを返してくれました。

彼女は湯島今日子(仮名)といいます。 

ハンディがあることを感じさせないくらい勉強もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。

もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。

三年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒にダンスに出場していました。

1mほどの青い布を、左右の手に巧みに持ち替えながら、音楽に合わせて踊る姿に

感動を抑えられなかった私は、彼女に手紙を書きました。

「きょうのダンスは一際見事だった。校長先生もいたく感動していた。 

私たちが知らないところでどんな苦労があったのか、 

あの布捌きの秘密を私たちに教えてほしい」という内容です。

四日後、彼女から便箋十七枚にも及ぶ手紙が届きました。 

ダンスの布については、義手の親指と人差し指の間に両面テープを張って

持ち替えていたとのことで、 

「先生のところまでは届かなかったかもしれませんが、テープから布が離れる時、 

ジュッという音がしていました。

その音は私にしか聞こえない寂しい音です」と書かれてありました。

「寂しい音」。

この言葉に私は、心の奥に秘めた人に言えない、彼女の苦しみを見た思いがしました。

十七枚の便箋に書かれてあったのはそれだけではありません。

そこには生まれてから今日まで彼女が生きてきた道が、綿々と綴られていました。

彼女が右手を失ったのは三歳の時でした。

家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて、手が焼けてしまったのです。

切断手術をする度に腕が短くなり、最後に肘と肩の中間の位置くらいから 

義手を取り付けなくてはならなくなりました。

彼女は、小学校入学までの三年間、事故や病気で体が不自由になった子供たちの

施設に預けられることになりました。

「友達と仲良くするんだよ」と言って去った両親の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、

施設の中で三日間、泣き通したといいます。

しかし、それ以降は一度も泣くことなく、仲間とともに三年間を過ごすのです。

そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅にある大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、 

園長先生が彼女を膝に乗せてこのような話をされました。

「今日子ちゃんが、ここに来てからもう三年になるね。

明日家に帰るけれども、帰って少しすると今度は小学に入学する。

でも今日子ちゃんは三年もここに来ていたから、知らないお友達ばかりだと思うの。

そうするとね、同じ年の子供たちが周りに集まってきて、今日子ちゃんの手は一つしかないの?

なにその手?と不思議がるかもしれない。

だけどその時に怒ったり、泣いたり、隠れたりしては駄目。

その時は辛いだろうけど、笑顔でお手々を見せてあげてちょうだい。

そして『小さい時に火傷してしまったの。

お父ちゃんは私を抱っこしてねんねする時、この短い手を

丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛いとなでてくれるの』と話しなさい。いい?」

彼女が「はい」と元気な明るい返事をすると、

園長先生は彼女をぎゅっと抱きしめて、声をころして泣きました。

彼女も園長先生の大きな懐に飛び込んで三年ぶりに、声を限りに泣いたそうです。

故郷に帰って小学校に入った彼女を待っていたのは

案の定「その手、気持ち悪い」という子供たちの反応でした。

しかし、彼女は園長先生との約束どおり、

腕を見せては「これは丸ちゃんという名前なの」と明るく笑いました。

すると皆うつむき、それから誰もいじめる子はいなくなったといいます。

私が教室で愛語について話した時、

彼女は酒井先生は愛語という言葉があると黒板に書いて教えてくれたけど、 

園長先生が私にしてくれたお話がまさに愛語だったのだと思います 

と感想を語ってくれました。

彼女はその後、大学を出て 

「辛い思いをしている子供たちのために一生を捧げたい」と

千葉県にある肢体不自由児の施設に就職。 

いまでも時々、写真や手紙などを送ってくれています。

<引用終了>

私達の周りには色んな人が居ます。

いろんな個性の人もいます。

身体の強い人、弱い人もいます。

そして時々人は、他の人が、自分と違う。

何か違和感があると言うだけで、 

・差別し、

・排除し、

・時にはいじめまですることもあります。

これは悲しいことですが、厳然たる事実です。

その結果、傷つき、涙を流している人もいます。

そして、それを行った本人も、実は同じだけ傷ついています。

ご自分の良心に反する事をしたのですから、自分自身の神様の心が、それを良しとしないのです。

ですので、それを繰り返すと、自分自身の心がすさみ、 

結局、自分が不幸な道を歩むことになります。

そして、その不幸な道と言うのは自分だけでなく、身近な人にまで影響を及ぼします。

ですから、良心に反する行為と言うのは、あまり軽く考えていると、大きな落とし穴にはまってしまいます。

もちろん、それに気付いた時に、反省し、方向転換すれば、いつでも許され、元に戻れるでしょう。

神様は裁きませんし、愛そのものだからです。

私達は色んな個性が居る世界に生きています。

自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、ブッダが言うように 

いつも、笑顔で、愛のある、思いやりのある言葉を使いたいものですね。

 

みんなが そのままの、ありのままの自分でも、 

生きていていいんだよって、そう思える、優しい社会にしたいものですね。