2015年6月30日火曜日

453「出羽巡り4」2015.6.28

 昼食を済ませて一路、高尾神社へ向かいます。走り出して直ぐに車中でお言葉がありました。
「届け行く行くこの音を、知りて頂くその全てを、是より順に伝え行き、大きなる拡がりへと結びて参る。
 そのこと是より大切なり。心得て参られませ。只今申したこのことは、
 つる、りろ、つんたら、さらさらり、ゆう、ゆう、おんと、ふむ、うみな。」13:12

 そしてさらに車中で次のお言葉です。
「新たなること次にあり。響きをよくよく捉えませ。」13:28

高尾山は昔から修験の場所として神聖視された信仰の山で、標高は383mで決して高い山ではないのですが、周囲からの存在感はあります。高尾神社は715年、坂上田村麻呂が夜叉鬼の怨霊を鎮めるために建立したと言われています。今回は頂上にある奥宮ではなく里宮であわ歌を響かせました。


「たんたら、たらりろ、ふむ、みよ、生み行くこの身は、是より音のみ現し、皆々様にもその音、その身にしっかり受けられませ。
 ふむ、うみ、ゆる、ゆん、たら、ちり、うむ、らるり。」13:46

すべては新たなる音をしっかり受け、響かせ行くことで大きなる広がりに結ばれ行くことになる。この巡りでその音をしっかり受け取ることを心得て、参る大事を念押しされています。

 次なる目的地は波宇志別神社神楽殿です。車中ではあわ歌を響かせて進みます。その時のお言葉です。
「ただただ参りて、それぞれ参りて、それぞれ大きな身と成り行かれ、
 天(あめ)の広きへ旅たち行けば、皆々のその晴れ晴れ、嬉しきは宇宙の大歓喜。」
14:46

 波宇志別(はうしわけ)神社は保呂羽(ほろわ)山山頂に鎮座しています。保呂羽山は鳥海山系の山で、標高は438m程しかありませんが古代から信仰(一般的には蔵王権現と同じと考えられる安閑天皇、 一説では元々は天日鷲命が祭神だったとの説もある)の対象といわれます。

 かつて保呂羽山は、女人禁制の山であり、楽器の演奏や歌舞も禁止でした。そのため麓に神楽殿を設けていたようでその建物(建築年-室町時代)は国重要文化財に指定されています。以前は、本宮とも呼ばれてここが里宮として機能したようです。 その神楽殿であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「晴れやかに成り行きたり。この地は明日の大きなる力の波と成り行きましょう。
 ご縁の方々共々に、大きなる広がりへ、それぞれを進めませ。」15:33


 次の目的地は横手市内の金沢公園、金沢城址跡にある兜岩です。この金沢城址跡は後三年の役(1083~87)の時に登場する「金沢柵」の比定地といわれます。金沢柵は、この地域の豪族・清原氏の居城で、源義家が包囲して兵糧攻めしたといわれて、多くの血が流されたようです。この兜岩を囲んであわ歌を響かせました。


その時のお言葉です。
「訪ねて参るは数々あれど、繋ぎて参るは数あらず。
 伝える方はましてなし。ここにありて、永きなり。今より申すはこの身の真なり。
 貫きて、この地と共なるを、如何なるやにあらず。
 如何に成して参るかなり。」16:56

 何とも意味深いお言葉です。繋ぎ、伝え、如何に成して参るかと投げかけられています。果たして縁者はその自覚は如何にです。

 今日最後の目的地、滝ノ沢霊場に向かう車中で頂いたお言葉です。
「かむい、かない、うんた、ろい、さら、ひむ、りや、すら、うり、ひつきみたる、はらりろ、かむ、さんたるり。」17:35

何とも意味不明のお言葉です。この地の古の方々のお言葉なのでしょうか。

 滝ノ沢霊場は今回参加の秋田の方々も初めてで、下見にも足を運べなかったようですが、少し分かりにくい山の林道の奥にありました。駐車場から歩くこと10分弱で川の先に見事な目を奪われる滝が現れました。ここは以下のように紹介されています。
「横手市で唯一名勝として文化財に指定されている景勝地、滝ノ沢。
 滝の岩棚は、上部が凝灰岩質砂岩で、下部はそれよりやや古い硬質の砂質泥岩からなる断層崖です。江戸時代から昭和の初めまでは桜の名所として知られ、昭和10年に三十三観音、薬師如来、不動明王、五輪塔が安置されて、霊場と言われるようになりました。
 コケに覆われた岩棚を高さ5メートル、幅10メートルの滝が白糸のように流れ落ち、滝に垂れた樹皮が四季に趣を添えます。滝つぼを見下ろすコケの衣を着た観音像の姿が、何ともいえない空気を漂わせています。」

霊場と言われるだけあり、怪しげな気を感じます。滝に向かってあわ歌を響かせましたが、何ともいえない不協和音です。そこでのお言葉です。

「あ~あ~あ~あ~あ~ん たるり。ありがとう。」17:47


 これで2日目の予定を全て終了できました。横手市内の宿にも予定通りに到着できました。全ては良き計らいで進められていますがそのお役目の方々の受け取り、響きに、更なる一段の進みが求められたようです。

2015年6月28日日曜日

452「出羽巡り3」2015.6.27

 宿泊したホテルのロビーには来客者等の写真が飾ってありました。吉永小百合のデスカバージャパンの写真に今日最初に訪問する五社堂がありますが、その効果はかなりあったようです。
 私がそれらの中で注目したものは、秋田安東家の末裔の三春藩藩主の方の写真でした。  
 津軽の安倍氏の流れでウイキペディアによると以下のようにあります。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%9D%B1%E6%B0%8F

「安倍貞任第2子の高星を始祖とする系譜を伝えている。
安東氏の後裔である旧子爵秋田家には、家祖の安倍貞任を長髄彦の兄である安日の子孫とする系図が残っており、このため安東氏を蝦夷とする見解と蝦夷ではないとする見解の対立があるが、家系伝承については蝦夷の祖を安日に求めた室町期成立の『曽我物語』の影響を受けている可能性が高いため、信憑性は低いと考えられている。ただし、自らを「朝敵」であった蝦夷の子孫とする系図を伝えてきたことが、北奥地方に独特の系譜認識を示すものとされている。」
 安藤家で有名な当主は安東 愛季(あんどう ちかすえ/よしすえ)です。
「文武に秀で、秋田郡・檜山郡・由利郡などを版図に収めて羽後(出羽北半)最大の大名となった彼は、「斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たり」と評された。」
とあり、あだ名を「北天の斗星」といわれた存在です。
 4月に津軽半島を巡りましたが、偽書といわれる東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)は、「古史古伝の一つで、古代における日本の東北地方の知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家文書を代表する文献。」といわれるものですが、私から避けて通れない頭の片隅にある情報です。

 13日朝8時には宿を出発して赤神神社五社堂に向かい出発しました。早々にあわ歌を車中で歌いましたがその時のお言葉です。
「皆様ご覧のあの光、見事に写したるは天地のハーモニー。
 音は発せられたるなり。その音に乗り来る光なり。
 写して参ろう是よりも。皆様の響きと共に。」8時半ごろ?
 昨日見た光は天地のハーモニーとあります。天と地と人を繋ぐ音と光を人を介して響きを会得し発していくことがお役目なのでしょうか。

 赤神神社五社堂は999段の石段を登った山の中腹にあります。この神社の由緒には「男鹿半島の本山、真山に祭られている赤神は古くから「漢の武帝」であるとされています。」とあります。更に、五社堂への石段には地元では有名な言い伝えがあります。
「およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。困った村人たいちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。
 この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われています。
 鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、あのナマハゲの始まりだと言われています。」



 999段を登りきり他に見られない5社の佇まい中で秋田の方々が前面に立ち、あわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「この度、この地球を進めるこの時にあたり、このあわ歌にて皆々様が天地繋ぎ行く、この北の地を、それぞれ定めてしっかり柱と成し行かれ、大きなる1歩へ進まれて、来る7日、大きなるを確認いたす。是より回るこの地、大きなる地なり。」9:12






 下りはあっという間に楽々と出来ました。次は秋田の名峰、太平山の三吉神社です。
その車中に以下のお言葉がありました。
「新たなるのひとつは、この地の方々、皆々大きく広きと成り行き、見えます、聞こえます。二つのその身の器官を変え行きて、振動捉えて分かり行く方々多くなりまする。
その為の事、この身を通して伝え行く。」10:08


視覚、聴覚を変えるとあります。可能域を広げ変えることは感知できる領域、次元を変えることです。その為の身体改造がなされていくのでしょうか。
 太平山三吉神社でなくその先にある金山滝であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「助けは無しなり。皆々その身の全てを開き、全てに響きて、その身の全て、動きて働き、この地の全て讃えて参れば大安心。
 皆々生き生き、嬉しきなるなり。無しとはこのこと。
 その身以外は皆々大いなるこの地球にあり。11:30





 素晴らしい滝です。太平山の登山口にありますが、地球の大自然の中に生かされているエネルギーを満々といただけました。午前の巡りを終えて大平山リゾート公園内の自然学習センターまんたらめで美味しい豪華なお弁当を頂ました。センターではよさこい踊りでしょうか、多くの若者が練習していました。 



451「出羽巡り2」2015.6.26

 田沢湖から先導は秋田のSさんの車です。これまでは私が常に先導していましたのでなんとも楽なドライブです。山間の道路を北上しますが阿仁地方では多数の鉱山や独特な地名があります。古の栄えていた地であったように思います。
 今回の出羽の巡りのコースの大体の内容を私が決めて、大まかに私も下見をしましたが、ほとんどは秋田の皆さんにお願いして念入りに行程案を決めていただき、最終的にまとめたものです。ですから全てはお任せ状態ですので大助かりです。
 
 森吉山は花の全国100名山といわれる秋田県北の名峰です。ゴンドラ乗り場に予定通りの時間に到着できました。
 生憎の天候です。1週間前の下見の時には、ゴンドラ終着駅から目的地の森吉神社までの道の半分は雪渓で難儀したようです。寒さもきつく、事前に周到な準備をするように皆さんにお伝えしていました。ですから乗り場に着いてから皆さんは本格的登山の出で立ちに着替えて用意しています。私も防寒具と山登りの靴で臨みました。
 ゴンドラの乗車時間は17分ほどで、車中で弁当の昼食を頂きました。ゴンドラは山頂に近づくほどにガスが出ていて視界不良です。山頂駅に皆さん揃いましたが、小雨の中ガスっていて風もあります。皆さん元気に登る覚悟を決めていますが、しかし、ここで私はリタイアすることに決めました。私以外にリタイアの方が2名です。皆さんを見送って直ぐに3名でゴンドラを下りることにしました。軟弱モードで後は皆様にお任せです。


 ですから森吉神社でのあわ歌、冠岩については私は不明ですので以下のブログをご覧頂き、参考にして下さい。
「光と響きとあい」中山博と巡る出羽・秋田の旅①、②
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-12039632817.html
http://ameblo.jp/aifukaki/entry-12040025135.html

 後で伺った森吉神社でのお言葉は以下でした。
「伝え行くこと、是よりのことなり。
 開かれてこの地球へと繋がり来る事ごと、皆々分からぬ大きなること。
 この地に現わるる事ごと、皆々始めてのこと。皆々様に起こり来ること、この時に流して消し去ること。全てはすっかり新しき。
 分からずとも、ただただその身を明日へと進みて下され。
 揺るがぬその身は大いなる身なり。ただただ忘れず、晴れて新らしきをお迎え下され。」


 新しき世への変化の内容は厳しく覚悟が必要なようです。
 
 次の目的地は男鹿半島の寒風山です。360度見渡せる太古の時に現れ出でたこの山はかつて噴火したようです。端正な山容は遠くからも良く見えます。
「寒風山は、およそ2万年前の氷河時代の終わりころから、数回にわたる噴火活動を繰り返して形成された成層火山です。山頂(354.8m)は、安山岩の溶岩でできていて、眼下には最も大きな第一火口、すり鉢型の第二火口、浅いくぼ地の妻恋峠火口の、三つの火口を望むことができます。」

 この地へ着くころには天気も回復して、山頂展望台からの眺望は素晴らしいものでした。ここではあわ歌を響かせることなく男鹿八望台へと向かいました。
 八望台に着くころにはまた雲がでてきました。の展望台から西の海、日本海を見ると、曇り空なのに海面に光が見えます。その光が変化していきます。暫しその光の変化をみて不思議なことで、どういうことなのか図りかねていました。海底に海坊主の蛸がいるとか、宇宙船がいるとか、適当なことを皆で言って楽しんでいましたが、なんとも光の正体が不明なのです。






 写真は以下のブログが良く撮れていますのでご覧ください。
「光と響きとあい」中山博と巡る出羽・秋田の旅③
 
 そこであわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。
「カンダラ ルル ラロ ヒム ウマ ラリ ロイ ウム ヲ ムル ルリ アワ フル ワス ウタ ママ ナル ナリ」17:13
 これまたどういう意味なのか不明です。


 一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟、そして四ノ目潟の戸賀湾などが見えるここ八望台は男鹿でも指折りの景勝地で夕日のビュウポイントでもあります。夕日は見れませんでしたが怪しげな摩訶不思議な光と遭遇できて良かったです。男鹿はUFOが良く見えるといわれるところでもあります。
 男鹿の紹介記事によると以下のようです。
「一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟は日本では男鹿半島にのみ存在する爆裂火口(マール)湖です。また、戸賀湾(四ノ目潟とも)はそのような火口が海とつながった火口湾です。古くから毎年大晦日に行われる「なまはげ」行事が有名な所として知られています。真山、本山、毛無山は男鹿三山と呼ばれ、古くから山岳信仰の霊場とされています。
 男鹿半島は秋田県では最も古くから開けた地域の一つで、縄文時代早期あたりからの遺物が発見されているのをはじめ、縄文・弥生時代の遺跡や遺物が多く出土している。
 室町時代には津軽の十三湊を中心に勢力を誇った安東氏の支配下にあり、隆盛をきわめた。」
 
 1日目の予定を全て巡り、余裕で男鹿温泉の宿に到着できました。素晴らしい温泉と美味しい食事で十分に満たされ、癒され無事に1日目を終えました。