2025年4月7日月曜日

3755「良き人、悪しき人」2025.4.7

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月25日の記事を紹介します。


「良き人、悪しき人」


今日は、野口嘉則さんのお話をご紹介します。 

性善説、性悪説のお話です。 

私たちが、どちらに意識を向けるかで、人間関係が劇的に変化することがあります。 

今、皆さんが悩んでいる、目の前の苦しい人間関係も一変させる力があります。 

苦しんでいらっしゃる方、じっくりお読みください。

<転載開始> 転載元

 

中学生の女の子の話です。(仮にあきちゃんという名にします)

あきちゃんが小さいころにお母さんが亡くなり、

まもなくお父さんが再婚して、新しいお母さんがやってきました。

そして、その新しいお母さんは、あきちゃんにイジワルをしてくるようになったのです。

そのお母さんは、あきちゃんが話しかけても聞こえないふりをしたり、

あきちゃんのおやつを横取りして食べたり、

あきちゃんに向かって「あなたなんか可愛くない」と言ってきたり・・・

そんな生活が続き、あきちゃんは中学生になりました。

あいかわらず、お母さんからのイジワルは続いたそうです。

そしてあきちゃんには、悩みが一つありました。

それは、中学生になってもおねしょが治らないことです。

ある日、あきちゃんの友だちが家に遊びに来ました。

すると、友だちに向かってお母さんが、こう言ったのです。 

「あきちゃんったら、中学生にもなって、おねしょをするんですよ。」

あきちゃんは顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。

あきちゃんは心の中で叫びました。 

「あの継母(ままはは)のせいで、私の人生はメチャクチャだ。

本当のお母さん、どうして死んでしまったの?」

ところが、その後あきちゃんは、本を読み、考え方が変わり始めました。

自分のことを“被害者”だと思い込んでいることに気づいたのです。

「私はいつも、『あの継母のせいで、

自分の人生はメチャクチャだ』と心の中でつぶやくばかりで、

継母との関係をよくするための行動を何もしていなかった!」

そう思ったのです。

読んだ本の中に、次のような言葉が書いてあったそうです。 

「よい人間関係を築くには、感謝の言葉を伝えよう。

相手からの見返りをいっさい期待せず、ひたすら感謝を行動で表そう」

そこで、継母に感謝できることを探したら、たくさん出てきたそうです。

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた 

などなど

「私は、継母のイジワルなところばかりに固執していたけど、

私がここまで育ってこれたのは、継母のおかげだ。

私は、継母が家に来たころから、

亡くなった母親と比べて、継母の悪い点ばかり数えていた。

私こそ、最初から継母を『お母さん』として認めていなかった。

よし、まずは感謝の気持ちを表そう!」

あきちゃんは、そう決意しました。

仕事の関係でお父さんの帰りが遅いので、

夕食はいつも、お母さんと二人きりで食べていました。

その日の夕食を終えると、

「お母さん、おいしいご飯をありがとう。いつもありがとう。」と言って、母親の背に回りました。

肩こり症のお母さんの肩をもんであげようとしたのです。

するとお母さんが、「何するの、気持ち悪い。あなたに触られたら、よけい肩がこるよ。」と言って、あきちゃんの手を振り払ったのです。

あきちゃんは、次の日も夕食後に、「お母さん、ありがとう。」と言って肩をももうとしました。

すると今度は、お母さんの肘でっぽうが飛んできました。

あきちゃんは、3日目も夕食後に「いつもありがとう」と言って、お母さんの背に回りました。

「何の魂胆があるの?気持ち悪いからやめなさい」と、やはり肘でっぽうが飛んでました。

あきちゃんは4日目も、5日目も、6日目も続けました。

毎回、肘でっぽうで拒否されました。

「相手からの見返りを期待せず、

ひたすら感謝を行動で表そう」という言葉が、あきちゃんの支えでした。

そして7日目。いつものように夕食後、

「お母さん、いつもありがとう」と言ってお母さんの背に回ったら、

その日はお母さんがじっとしていました。

そこで心を込めて肩をもんでいたら、

しばらくして、お母さんの肩が小きざみに震え始めたのです。

どうしたんだろう?と思って、お母さんの顔をのぞきこんでみたら、

お母さんの目から大粒の涙がポタポタと落ち始めました。

まもなくお母さんは「ウワーッ」と泣きながらあきちゃんに向かって、こう言ったのです。

「ごめんなさい!お母さんが悪かった!ほんとにごめんなさい!」

お母さんは、しばらく泣き続けた後、

あきちゃんのことをギュッと抱きしめてくれたそうです。 

その日から、お母さんはイジワルをしなくなりました。 

優しいお母さんに変わったのです。

そしてその日から、あきちゃんがおねしょをすることもなくなりました。

以上です。

イジワルに見えるお母さんの奥には、愛に満ちた優しいお母さんがいたのですね。

このあきちゃんさんのように、肘でっぽうを喰らっても感謝の行動を取り続けるためには、

「人間は本来、愛に満ちた素晴らしい存在だ!」という“ものの見方”が必要です。

いわゆる“性善説”ですね。

「今はイジワルをするお母さんでも、

お母さんの本質は、愛に満ちているんだ!」という信念を持って接し続ければ、

いずれはお母さんの“愛”を引き出すことができるのですね。

逆に、「このお母さんは、心底イジワルだ。どうしようもない。」

という信念をもって接すればどうでしょうか?

私たちが相手に対して、どんなものの見方をするかということは、

相手との関係に大きな影響を与えるのです。

相手の中の「愛」や「優しさ」や「本質」を信じ続けることができたら、

つまり、“性善説”で相手を見ることをし続けたら、

相手の愛や優しさを引き出すことができるのです。

さて、このあきちゃんさんの話には、もう一つ大事なポイントがあると思います。

それは、「相手からの見返りを期待せずに、感謝を行動で表す」ということです。

もしあきちゃんさんが、お母さんからの見返りを期待していたら、

肘でっぽうをしてくるお母さんを受け入れることはできなかったと思います。

相手からの見返りを目的にするのではなく、

・相手を喜ばせること

・相手に感謝の気持ちを伝えること 

を目的にしてこそ、行動し続けることができ、

ついには、相手の愛を引き出すことができるのです。

ここで大切なのは、善悪の判断をしないことです。

「私は、『感謝の言葉を伝える』という“善いこと”をしているのに、

相手は肘でっぽうを返してくるなんて! 

どう考えても相手が悪い!」などと、善悪の判断をし始めると、

常に相手を裁くようになってしまいます。

「善いか悪いか」「正しいか間違っているか」の二元論で物事を考え始めると、

自分が正しくて相手が間違っているように思えてきます。

そして、人の判断基準はそれぞれに違いますから、 

皆が「自分が正しい」と信じるようになり、「正しさ」と「正しさ」の戦いが始まるのです。

ですから、善悪二元論という“ものの見方”をしていることに、まず気づく必要があります。

エデンの楽園に住んでいたアダムとイブが、

なぜ楽園にいることができなくなったか、ご存知でしょう。

蛇にそそのかされ「善悪の知識の木」の実を食べてしまったからですね。

以前、「鏡の法則」を読んだ友人から、次のような質問をされたことがあります。

「人生が、自分の心を映し出した鏡だというのはわかる。

だけど、すごく心が清く正しいのに、ツキのない人生を歩んでいる人がいるのはなぜ?

清く正しい心の持ち主なら、もっと豊かな素晴らしい人生を送ってもいいと思うんだけど。」

清く正しい心の持ち主にもいろいろなタイプがあるとは思いますが、 

「自分が清く正しいがゆえに、人の悪が許せない」というタイプの人がいますね。

正義感が強すぎて、悪を憎み、悪に対して怒っている人です。

心の底で人を裁いていると、自分が裁かれるような人生になってしまうんですね。

私たちは、「善悪の知識の木」の実を、一度吐き出す必要がありそうです。

・善いか悪いか

・白か黒か

という二元論ではなく、多様性を受け入れるだけの“ファジーさ(曖昧さ)”が大切です。

さて、もう一つあきちゃんさんに関連して、おねしょの話です。

おねしょの原因もいろいろあるとは思いますが、

悲しみを我慢していることが、おねしょの原因になることがあります。

本来、悲しい時は、思いっきり泣くのが一番です。

涙がかれるまで泣くと、少し楽になることが多いはずです。

しかし、あきちゃんさんのように中学生になると、泣くのを我慢するようになります。

あるいはあきちゃんさんは、小さいころから泣くのを我慢していたのかもしれません。

すると、涙で悲しみを洗い流す代わりに、おねしょとなって流れ出ることがあるのです。

つまり、おねしょによって悲しみを流そうとしているのですね。

ですから、子どもが心の底から安心できたり、子どもの悲しみが癒されたりしたことで、

その子のおねしょが治ったという例は、枚挙にいとまがありません。

<転載終了>

家族の間で、憎しみ合うことは、非常に多いそうです。 

親子や家族の間なら、甘えが許されると勘違いし、

相手に対し、自分の未熟な幼児性を振りかざすからです。 

ですが、家族というのは、神様が私たちの魂を輝かせるために準備してくださった

一番身近で、最小の単位です。 

家族を通じ、魂を磨き、輝かすことができます。 

近すぎる関係ゆえに、時には憎しみ合うこともあるかもしれません。 

ですが、憎しみの心が、私たちの中にある限り、自分を含め、誰も幸せにできません。 

・憎しみ合うのはやめましょう

・好きになりましょう 

そう言っても無理かもしれません。 

ですが、あきちゃんがやったように

感謝の種を見つけることならできるかもしれません。 

・毎日、ご飯を作ってくれている

・おねしょした布団を干していてくれる

・病気になったときは病院に付き添って行ってくれた

私たちは、「感謝の心」さえ、芽生えれば、幸せになれます。 

神さまの恩寵が、これでもかと降り注がれます。 

幸せになるには、今置かれた環境の中で、 

小さな小さな「感謝の種」を見つけることがスタートとなるかもしれません。 

もし、目の前に、自分に対して嫌なことをしてくる人がいるなら、 

まず、何でも良いですから、小さな「ありがとうの種」を見つけてください。 

・注意してくださってありがとう

・気づかせてくれてありがとう

・機にかけてくださってありがとう

この「ありがとう」の言葉を使っていれば、どんなに頑なな心の人も、必ずとけだします。

感謝の気持ちを持つ人には、鬼人さえも避けて通ります。

 是非実践なさってみてくださいね。

 

2025年4月6日日曜日

3754「言葉の贈り物」2025.4.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月24日の記事を紹介します。


「言葉の贈り物」


今、地球が変わるために様々なことが起こっていますが、

自分の外部でどのようなことが起ころうと、 

私たちの心が、浄化され、愛で満たされていれば、何も恐れることはありません。 

神さまが下さった心(魂)こそが、一番大切で、私たちを導いてくれるものですから。 

さて今日も、神々に近づくために、心の洗濯のお話です。 

今日は、「言葉の贈り物」ということで、

お金が無くとも、いつでも、どこでも、簡単にできて、

自分も、人も一瞬で幸せにしてしまう方法をご紹介します。

小林正観さんのお話からどうぞ、 

<引用開始> 引用元

自分の口から出てくる言葉が、 

・温かい言葉、

・人を優しくする言葉、

・明るくする言葉 

でしかないように、自分の口から出てくる言葉を

彩(いろど)りたい、って考えた人がいます。

良寛和尚(りょうかんおしょう)という人です。

この人は幕末の人で1831年に74歳で死んだんですね。

非常に貧しい乞食坊主だって自分で言ってまして、自分は人に対して

物やお金を贈り物として与えることが全然できない。

でも、いつも人に対して、何かを贈りたいと思っている。

では、自分に贈れるものは何か。

それは「言葉」である、って、いうふうに言っていた人なんですね。

自分の口から出てくるすべての言葉が、人を温かくする言葉、 

そういうものでありたいって、心に決めて生きてきた人だったんですが、 

この思想を「愛語(あいご)」と言います。

私は、それを聞いてハッとしまして、

それまで「“不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句”を

言わないようにしましょう」と言っていたんですけど、 

良寛さんのこの話を聞いたときに、それらを言わないだけではなく、

それをゼロにするだけではなくて、

私の口から出てくる言葉は、はっきりとした自覚をもって、 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉…

そういうものしか、もう自分の口から出てこないようにしようって決めたんです。

で、それを続けていくと、

これまでも私は友人・知人にすごく恵まれてきましたが、 

その人間関係の厚みがもっと増した気がしてるんです。

そういうものだけで、自分の言葉を彩るって今日から決意をすると、

人間関係が多分変わってきます。

自分の口から出てくる言葉全部が、人を温かくするものとする・・そう決めて、 

その言葉を贈り物とする人は、豊かな人っていうんですね。

お金や物っていうのは、あげてしまうと自分のところからは無くなります。

でも、言葉というのは、いくら出してあげても、無尽蔵に存在するものなんです。

と同時に、それを外に出さない限りは持ってないのと同じなんです。

言葉は、出せば出すだけ贈り物になる。

出して初めて存在が確認されるんです。

だから、心の中でいくら思っていても、それは出さなければ絶対、

贈り物にはならないんです。

「今日はそのネクタイ似合ってますね」って思ったら言ってあげる。

「今日はそのスーツ素敵ですね」って思ったら言ってあげる。

それが、その人を励ましたり、勇気づけたり、元気づけたりする言葉であるならば、 

全部それが贈り物になるってことです。

で、そういう言葉を贈り物にできる人が、実は本当に豊かな人になるんですね。

いくら出しても無尽蔵に存在するものを、私たちはたくさん持っているんですから、

独り占めはしないでくださいね。

あなたの出す温かい言葉は、すべて贈り物なんですよ。

たくさんの贈り物を届けてあげませんか。

<引用終了> 

どうですか?

なんだか簡単そうすね。

普段から「愛語」を心がけていると、近寄ってくる人が、みんな

温かで親切な笑顔でよって来てくれます。 

みんな善意の心で、味方になってくれる人です。 

それは、自分が発した心、同じ波長の人が引き寄せられたからです。 

そんな笑顔の人達に囲まれていると、もう幸せと、感謝しか感じられなくなります。

どうぞ、実験してみてください。

本当のことですから。 

私は、もうやって見ました。 

この宇宙では、何事も、そうなのですが、棚から牡丹餅は、ありません。 

待っていて、突然幸せが向こうから歩いてくることもありません。 

全ては、 まずは自分が出すことが先です。 

自分が、外に発信したもの 

・笑顔

・お金、寄付、喜捨

・優しさ

・愛

・思いやり

・援助

全て、先に自分が出すことで、空いたエネルギー空間を埋めるため、 

無(宇宙)からエネルギーがやってきます。 

それは、自分が出したものと同質のエネルギーです。 

そして、それは倍になって自分に帰ってきます。 

まず、自分からアクションを起こすこと 

これがミソです。 

逆に日ごろから社会や、周りの人々に

フツフツとした怒りや憎しみを抱き続けていれば、 

気づけば、同じように、心に憎しみを持つ人々に囲まれていることでしょう。 

例えそれが「正義の義憤」であったとしても 

怒りの炎は、同質の魂を引き寄せ、

同じ波長の現実を次から次へと自分のもとへ手繰り寄せてしまいます。

 

2025年4月5日土曜日

3753「死を超えて」2025.4.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月23日の記事を紹介します。


「死を超えて」


今日のテーマは、死についてです。

近しい方を亡くされて、喪失感の中に、居られる方もいらっしゃるかもしれません。

もっとこうしてあげればよかった・・ そう自分を責めている方も、いるかもしれません。 

自分にできる精一杯やったと、

爽やかな達成感を味わって、いらっしゃる方もいるかもしれません。 

今日は、肉体の寿命は尽きて亡くなろうとも、

・魂は死なない、

・永遠である 

といことをご紹介します。

それを知っているか知らないかで、人生の価値が、まるっきり変わって来るからです。

まずは同名の著書を持つ元東京大学 医学部部長、矢作直樹さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元

死は考え過ぎるといけませんが、

時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。

それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、

自分のお役目も励みながら、

あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。

そのうちにゴールがやって来るという人生で、必要なのは「幸福感」でしょう。

誰もが避けられない、死というイベントを意識することで、

限られた時間の中で、豊かな生に向かって歩こうとする、

私たちの幸福感は、そんなところから滲(にじ)み出て来ます。

さらにそこで大切なのは、

「人は死なない」という事実を知ることです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

まずはそこに気づくこと。

そうでないと唯物論者のように、現世利益にしがみついて、単に死を怖がることになります。

この先も、まだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、今の生の、利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中に、また会えるという感情が生まれ始めます。

他界した、大事な人や、愛しい人とは、あちらの世界で会えるし、

次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。

そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちの、すぐそばにいます。

私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで 

彼らは優しい眼差しで、見守ってくれているのです。

その仕組みを踏まえると、残りの人生を、心配する必要がなくなります。

対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、それも今回の人生において、自分の「課題」がそういう形で出ているだけの話です。

解決できないレベルの課題は絶対にやって来ません。

必ず解決のための糸口があります。

その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が、 

講演や著書でその体験談を発表しています。

脳神経外科の世界的権威である医師

エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が 

自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました。

(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。

向こうの世界の様子が、詳細に描かれているのが興味深い点です。

レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、多くの実績を持つ欧米の医師たちが、死後世界の実相を克明に語る向きは、海の向こうではかなり増えています。

しかし、私たちの住む日本では、そうした情報自体をまだオカルトと、忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?

理由は簡単です。

人間は、知らないことへの対処が、この世で一番怖いからです。

・知らないこと、

・知らない人、

・知らない世界、

・知らない作法、

・知らない手続き、

・知らない知識…

私たちが常に怖がり、不信感を持つのは「未知のもの」です。

逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。

<引用終了>

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

と矢作さんは仰います。

また、矢作さんは、「寿命とは、この世で魂を磨く期間」と言っています。

我々がこの世に生を受けた目的は、 

魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たして、あの世に行くこと。

・人の役に立ち、

・人から必要とされる人となること。

・人に喜ばれる人になること。

(病気や寝たきりになって、人のお世話になることも、相手の方に「人の世話をする」という体験の機会を与えている 立派な役割です。)

だから、 

・辛いこと、

・困難なこと、

・嫌なこと、

・面倒なことは、 

この人生において、自分の魂を磨くための、大事な砥石(といし)。

多くの人は、沢山の悩みや悲しみ、苦しみの中で人生を送られていることだと思います。

でもそれは、それらの環境が、私達の魂を、強くしてくれるからです。

そして、それは、乗り越えられない試練は決して与えられない。   

と言うことと、肉体の死を持って、終わる。 

と言う意味でもあります。

それはどういうことかと言えば、

今の苦しい環境も、せいぜい死ぬまでの事。

そしてそれは、自分の魂を磨くためにあると言うこと。

時に、もう投げ出したくなるような、人間関係、家族関係、経済的な貧困、人々の差別、

中傷、ねたみ にさらされるかもしれません。

ですが、それは永遠に続くものではありません。

私達は、あと何年、何十年生きているか解りませんが、それで終わりになります。

決して、その環境を投げ出さず、自分の精一杯の誠意と愛と思いやりを持って、

過ごして生きたいものです。

先に亡くなった方々は、今頃どうしているでしょうか? 

このブログでも、沢山の臨死体験例をご紹介してきましたが、

肉体という 振動数の低い状態から、魂という、振動数の高い状態に移行すると、

そこには、時間の概念も、空間の概念も無くなるのだそうです。 

拘束の多い、物理的な地球と異なり、

一瞬にして、意識した時代へ行け、意識した場所へ移動できるのだそうです。 

そして、その状態こそが、私たちが肉体を持ち、暮らしている時間より、

はるかに長い時を過ごす場所であり、実在界とも呼ばれます。 

また、類は友を呼ぶ。 

つまり「波長の法則」と呼ばれるものが、より鮮明に機能するため 

波長の異なる者同士は、交わることができません。 

亡くなった方々は、同種の波長を持つ、ソウルメイト達に囲まれ、

ねぎらいの言葉をかけられていることでしょう。

また、この地球上で経験したこと、 

・思ったこと、

・感じたこと、

・感情の爆発など

全ては貴重な体験とされ、ソウルグループに共有され、宝となるのだそうです。 

それは、私たちが、 

・良きこと

・悪しきこと 

と、常に区別しますが、一切のジャッジ抜きで、全ての経験が

大切な宝になるのだそうです。 

だから、あちらに戻った時に、経験したこと、つまり

「既知」 (いろんな未知のことを経験して知った)

というお土産を持ってきたが故に、大歓迎で迎えられます。 

きっと、お父さん、お母さん、先に亡くなった子供たち、友人や、かわいがっていたペット達も、笑顔で 迎えてくれることでしょう。

そして、再び霊的な生活に、フォーカスされた暮らしが始まります。 

ですから、死とは決して、悲しいものではなく、通過点でしかありません。 

生きていた今よりも、もっと幸せになるために、帰って行きます。

死は、この地球で経験した、豊かな宝を仲間たちの元へと持ち帰る最後の扉です。 

そして、その扉の向こうには、隠し事など一切できない、心と心、波長の同じ、

親しい仲間たちが待っています。

残された私たちは、戻られた方々が、後ろ髪引かれることの無いように 

自分たち自身の、生きる目的をにこにこ笑いながら、経験して行きたいものですね。 

そして、私たちも、向こうに戻った時、笑顔で、ご挨拶したいものですね。 

地球では、お世話になりました。 

泣いたり笑ったり、沢山の経験をさせていただきました。

ありがとうございました って。



2025年4月4日金曜日

3752「苦の後に楽が来る」2025.4.4

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月22日の記事を紹介します。


「苦の後に楽が来る」


人は誰でも 

・不幸や苦労

・貧困や病気 

を厭います。 

毎日毎日が幸せで、嬉しいこと、楽しいことしか起きないことを望みます。 

ですが、私たちの永遠に続く魂は、本当にこの短い人生、やっと手に入れた人間としての人生を、そのように送ることとを望んでいるのでしょうか?

今日は美輪明宏さんのお話です。

尚、文章の中で「修業」など、美輪さん一流の言葉使いをされています。 

ですが、それは文章中でも述べられていますが、人間はその美しい姿、完全なる人格、

つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために生まれてきている・・ という意味で使われています。

ですので言葉尻だけを捉え、艱難苦難の修業と、誤解なされないようにお願いいたします。

文章表現の細かいところではなく、美輪さんが仰りたい大意・真意をご理解下されば幸いです。

<引用開始> 引用元 

美しい生き方というのは、たとえば死後にも、ものすごく影響することだと思うのです。

楽あれば苦あり。

すごく悪いことがあった後に、ものすごくいいことが起きるようになっている。 

この地球という星はそういう場所なのです。

そして私たちの開発途中の魂は、 

・あらゆる人種、職業、容姿、性格と、

・あらゆるパターンの人間の人生を、

心を、体験し、修業しなければならないのです。

あるときは 

・黒人になったり、

・白人になったり、あるいは

・黄色人種になったり。

・男になったり、

・女になったり、 

私のように真ん中になってみたり(笑)。

いろいろなタイプの人生を何千何万回と生まれ変わり、死に変わり、

輪廻転生を繰り返して体験して生きていかなくちゃいけないのです。

そしてそこで苦労して勉強していく。 

「私はどうしてこんなに孤独で、ひどい人生を歩まなくてはいけないのかしら」と思っても、

実は、生まれる前に、あの世で自分でプログラミングして、それを選んで生まれてきたのだから、その人はその人生を体験しなきゃいけない義務を持っている。

この地球に修業しにきているのだから。

だから文句はいえないわけ。

よく人生に疲れたからといって自殺する人がいるけれども、

これは言ってみれば、人生の職場放棄で人生の中途退学なのです。

ですから次に生まれ変わっても、また一からやりなおさなければいけない。

辛い思いをして死んだとしても、

結局、また同じコースを生まれかわってきて同じことを繰り返さないといけない。

だから自殺で死ぬのは痛いし苦しい目にあっただけ骨折り損のくたびれ儲け。

だからどんなに苦しくても辛くても、人生は自然死までがんばった方がいいということです。

反対に苦労が多い人生でも、前向きにすべてクリアして経験していくと、

優しくて厳しくて温かい思いやりある、自信にあふれた人格へ成長していく。

人間はその美しい姿、完全なる人格、

つまり神と同じ、純粋エネルギーに近づくために生まれてきているのです。

あの世ではこの世の権力や地位、肩書なんて何の役にも立ちません。

本当に平等なのです。

魂が純粋で、美しければ美しいほど、それに準じ比例した高いところにいける。

真っ黒で汚くて、恨みつらみ憎しみで想念が固まり、ストップしたまま、あの世で暮らすなんて嫌でしょう。

だからこそ、私は現世で、ウォーミングアップとして

まず心の優しさ温かさ美しさを、といつも呼びかけているのです。

そう、未来永劫(みらいえいごう)、この世でも、あの世でも平和で安らかで、

美しく生きていくために…。

<引用終了>

・輪廻転生(生まれ変わり)がある。

・自分の人生は、生まれる前にあの世で、自分自身で設計して生まれてきた。

・人間はその美しい姿、完全なる人格、つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために生まれてきている

・自分の生前の考え方、癖(不平不満、愚痴)が死後の行き先さえ変えてしまう。

これらは全て、中間世記憶を持つ子供たちが、思い出した天の記憶と同じです。

また、ここで頻繁に紹介している小林正観さんの考えと同じです。

私も、それが真実であろうと思います。

そしてそれが真実であるならば、

・今、例え不幸のどん底でも、それは自分で計画してきたこと

・従って、自分を破滅に追いやるためでなく、自分の魂を輝かせるための苦労である。

ということですね。

そして何倍もの高い倍率をかいくぐり、地球に生まれてきた幸運な魂たちは、 

皆それぞれの、魂磨きの環境を選んで生まれて来ているわけですから、

見た目で人を判断したり、バカにしたりしてはいけないと言うことになります。

生きている私たちには、その見えない深い理由など分からないのですから。

縁があって、 

・同じ時代、

・同じ地域 

に生まれてきているのですから、 お互いの長所も短所もひっくるめて「個性」を尊重し、

相手の尊厳を尊び、助け合って生きていきたいものですね。

それがひいては自分の生きている宇宙全体を、幸せにしてくれますから。


2025年4月3日木曜日

3751「青空ひろば」2025.4.3

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新記事を紹介します。

 

1432 2025.03.12 ~

<たくましく生きるには?>

Q1.「いのちの足腰」を鍛えるとはどういうことでしょう?

A.「いのちの足腰」が弱いと、人生の坂道をたくましく登り切ってゆけません。また、人生のはるかに遠い目的地までたどり付けません。 

Q2.では、「いのちの足腰」を鍛えるにはどうすればいいのでしょう?

A.「徳を積む」ことによって「いのちの運び」が堂々としてきて、たくましくなります。

Q3.「徳」とは何でしょう?

A.徳(サンスクリット語ではグナ)とは、「現世で使用出来る心のエネルギー」のことです。「心」には「想いを自動的に現実化する性質」があるのです。「心」は「お自動さん」なのです。 

徳が高い(高徳)と、心の「想いを自動的に現実化する性質」が強くなり、想いが実現しやすくなります。

しかし、残念なことには、徳エネルギーは一気には貯まりません。時間をかけてゆっくり貯めてゆかねばならないのです。

Q4.「徳」を積む(心のエネルギーを蓄える)にはどうすればいいのですか?

A.徳を積むには、他者に対する見返りを求めない善行(布施(ダーナ)行という)を実践しなければなりません。 

Q5.「徳」を積むには、具体的にはどんな善行をすればいいのですか?

A.徳積みの種類は、もうすでに何度も説明しているので、ここでは省きます。『出雲記伝』(バンクシア・ブックス)などをお読み下さい。

Q6.なぜ「徳」(善行=布施行)を積めば、心のエネルギーが増加するのでしょう?

A.人のために手を差し出し、足を運べば、「自我の狭い囲い」が破れるのです。「自我の囲い」が破れれば、他の人や世界、宇宙と生き通しとなります。

そうすれば、「自我の囲い」が邪魔して流入を妨げていた世界全体に充ち満ちている「徳エネルギー」があなたのもとに妨げなく流入できるようになります。そうすると、あなたは高い徳エネルギーを得て、これまでは高嶺の花であった目標にでも手や足が届くようになるのです。

Q7.「徳」を積む上で、さらに心得ておくべき事柄がありますか?

A.一過性の徳積み(たとえば募金など)だけでなく、ご縁が出来たところで、粘り強く長い時間かけて掘り下げて善行を続けてゆくことも、出来ればしていった方がよいのです。

また、徳を積むには時間がかかりますから、若いときから徳積みを実践しておいたほうがいいです。

しかし、歳をとっていても、躊躇せず、その時から徳積みをスタートするべきです。徳積みは一生ものでなく、多生の渡るものなのですから。

Q8.人は何のために生きているのでしょう?

A.人は「いのちの可能性」を広げてゆくために生きています。

「より高くなりたい、よりいのちの領域を広げたい」という意志・本能が、誰にも備わっている「いのちの根源(共有)意志」なのです。 

なぜ、人にはそんな成長意欲があるのかという理由は、人類の魂の進化モデル「金平糖大作戦」で説明しています。

「金平糖大作戦」については、『ココロとカラダを優しくほどく-立花大敬さんの坐禅 入門編』近藤太郎(バンクシア・ブックス)などをお読み下さい。

Q9.「いのちの可能性」はどのように開発されてゆくのですか?

A.

① 若い時は、自分の「いのちの可能性」をガムシャラに追求すればいい。

② やがて能力の限界に気づき、人とともに協力しあって生きることで、さらに「いのちの可能性」が広がること知る。

③ 「差し出せば、帰ってくるものなんだ」という「お風呂の原理」を悟る(二宮尊徳翁のたとえ)。

④ 「いのちの一体性」を悟り、自分は人で、人は自分なのだから、自分の能力でやれるだけのgiveを精一杯やってゆけばいい。自分ができないことはもうひとりの自分(他の人)がきっとうまくやってくれるのだからという、イノチの本能にたいする「安心感・信頼感」が自然と湧き出してくる。

Q10.「いのちの可能性」を追求する上で、心得ておくべき事がありますか

A.

・失敗を恐れないことです。失敗を重ねなければ成長は出来ません。勇気を持って「マルでダメ夫」の人生ではなく、「ダメでマル夫」の人生を選びましょう。

(註)「ダメでマル夫」とは、人生において、いっぱい失敗をするけれど、人生全体で見渡すと、そんなたくさんの×で大きな○を描いているというような人のこと。「マルでダメ夫」は、その逆。

・背伸びしないこと。自分の今持っている武器で最高の勝負をすることを目指しましょう。結果の成否は知ったことではないのです(失敗しても、成功しても、一歩前進できるのだから。結果は神様にお任せ)。

・人類の魂の進化の潮流を知って、それに逆らわない正しい人生目標は持ちましょう。

「分離」の方向の目標はあなたをエゴの殻に閉じ込めてしまいます(「いのちの可能性」をますます狭めてしまう)。

「融和」の方向の目標はあなたの「いのちの可能性」をますます広げてくれます。

・「いのちの可能性」の追求は一生で完成出来ません。「一生1ミリ前進」ぐらいの大らかさで、でも少しずつ弛まずに歩み続けましょう。

・転生があることを知り、転生の意義を知っておきましょう。

飯田史彦先生やキューブラー・ロスさんの著作を読んでください。

転生があることを知ると、ムダなあせりがなくなって、今・ココにどっしり腰を据えて課題に取り組んでゆけるようになります。

Q11.菩薩とはどんな存在ですか?

A.菩薩とは、大乗仏教が生み出した「理想的人間像」です。

地上世界に一人(一つ)でも、苦悩している存在がいる間は、私一人だけが悟りの彼岸(安らぎの向こう岸)に渡るようなことはしない。何度でも地上世界に転生して、最後に残った苦悩する存在が無事彼岸に渡りきったのを見届けてから、私は最後に悟りの彼岸に渡ることにしようという誓願(誓い)を立てた存在のことを菩薩と呼びます。

道元禅師に「自未得度(じみとくど)、先度他(せんどた)」というお言葉があります。 

「自らは未だ度(救い)を得ずといえども、先ず他を渡そう(救おう)」という意味で、これが菩薩の誓願です。 

道元禅師は、悟りを開かねば人を指導する資格はないなどとはおっしゃっていません。「坐禅会運動」はこの道元禅師のお言葉に勇気をもらって始めた菩薩精神共同体の現代版です。

Q12.「菩薩」と「阿羅漢(アラカン)」の違いを教えて下さい。

A.小乗仏教の教理では、この地上世界は、錯覚と幻想が生み出した「苦の世界」で、そこから一日でもはやく脱出するべきだとしています。

そして、小乗の悟りを開いて、脱出の手続きが済み、肉体が消滅して解放される時を待っている存在が「阿羅漢」です。 

「菩薩」は、自らの悟りを放棄して、あえて何度も地上世界に転生してきて、最後の一人まで残らず救済し尽くすという存在のことです。難破船の船長さんは乗客や船員が全員無事脱出するまで船に残りますね。それが菩薩の精神です。

Q13.「菩薩」がなぜそんなハードな誓願を立てる必要があったのか、その理由がもう一つすっきりしません。私にはとてもそんな誓いは立てられそうにありません。

A.イノチは本当は一体なのだから、自分ひとりだけが他のイノチたちを押しのけて悟ってしあわせになるなんて本当は不可能なのです。 

阿羅漢の悟りを開いて、自分は永遠に安らぎの境地に憩う事が出来ると思っていても、結局は地上世界に引き戻されることになります。 

なぜそうなるのかというと、イノチは一体で、地上で苦しんでいる人や動植物たちは、実はその阿羅漢さんの分身たちなのですから、その地上の存在たちの苦悩の渦の引力に引き寄せられて地上世界に戻されてしまうのです。 

この世に一人でも苦しんでいる人(モノ)がいる間は、私たちはまだ本当は悟っていなくて、安らぎの世界に住むことは出来ないです。 

だから、私たちはこの地上世界(娑婆世界)に何度も転生して、救済活動に従事するし、最後の一人まで救済し尽くした時に、私たちはついに本当の悟りを開き(仏となる)、また同時にすべての生あるものたちも悟りをひらく(仏となる)のです。それが、菩薩の誓願を持った私たちの覚悟なのだということを知っておいてください。

Q14.「菩薩ガナ(集団)」とはどういうものですか?

A.「ガナ」・「サンガ」は、英語では「republic (共和)group(集団)」のことです。古代インドでは、王制(専制)ではなく、みんなで合議して国の方向を決める国家群が存在していて、これらは「ガナ・サンガ国」と称されました。 

それに習って、出家者だけの共和集団は「サンガ(僧伽)」と呼ばれ、大乗仏教が勃興して、出家僧だけではなく、在俗の菩薩にも開かれた和合集団は「菩薩ガナ」と呼ばれました。 

私たち、「お日さまのなかま」は、そんな開かれた菩薩たちの共同体(菩薩ガナ)の現代版なのです。

「お日さまのなかま」の信条は以下の4箇条です。 

(1)明るくて、温かくて、潤いがある「安心できる場」を作ろう

(2)リーダーシップより「メンバーシップ」を大切にしよう

(3)「あなたがあなたであること」以上に尊いことはない、ということを知ろう

(4)菩薩としての自覚を持って、分に応じて「ダーナ行」を粘り強く実践してゆこう。他のために生きることの喜びを体験しよう。

Q15.菩薩になる誓いを立て、菩薩集団(ガナ)の一員のなりなさい、とおっしゃいますが、そんな人生を生きることにすれば、損ばっかりのみじめな人生を生きることになるのではないですか。 

A.

誓いを立てて菩薩ガナに加入しますと、私欲の狭い囲いが撤去されるので、イノチの本来の姿である一体性に復帰出来るようになります。そうすると、以下の三つの喜びが得られるのです。 

(1)不幸な人生がしあわせな人生に転換する。 

(註)「しあわせ感」とは、他の人や世界との一体感、連帯感、貢献感が得られる状態をいいます。私欲の狭い囲いが取り払われると、自然とこの三つに代表される「しあわせ感」が得られるのです。 

(2)想いが叶うようになる(必要な時に必要なものが入ってくるようになる)。

(註)他の人や世界と「生き通し」となるので、あなたのこうしたいという想いが私欲の囲いで邪魔されずに、すぐ世界に伝わり、その想いを叶えるべく、世界の配置変えが行われるのです。

(3)能力が上がる。 

(註)私欲の囲いがあると、その囲い内の能力やエネルギーしか使用出来ませんが、私欲の囲いがなくなると、菩薩ガナの共有データベースにアクセス出来るようになるので、菩薩たちの智慧やまたエネルギーなどを我がものとして使用出来るようになるのです。

Q16.私たち(お日さまのなかま)を指導して下さっている菩薩集団は具体的にはどんな方々なのですか?

A. 

私たちは「蓮華部」に所属して、その部のうち、日本支部天照(太陽神霊)課に所属しています。

「蓮華」はひとついのち(イノチの一体性)のシンボルです。「菊のご紋」も実はそうなのです。日本国旗も、ひとついのちの中心が太陽神霊であることをしめしています。 

蓮華部の実務リーダーは観音さまで、観音さま方の誓願や働きについては、法華経の「観世音普門品(かんぜおん ふもんぼん)」などに書かれています。

Q17.「観世音菩薩普門品」の内容を教えてください。

A.

・「観世音菩薩」は、世の音(苦悩して「観音さま!」と叫ぶ声)を聞けば、私は直ちにその人のもとに駆けつけて救済するという誓願を起こした菩薩です。

・「普門」とは、あらゆる方向(宗派、信条、心境の高低を問わず)に門戸を開いて、ドウゾ、ドウゾと受け入れるという意味です。

・「十一面観音」は、あらゆる方向に顔を向けて、見落とすことなく救済する観音さまです。

・「千手観音」は、どのような人の、どのような苦悩であっても、あの手この手を駆使して救済するという観音さまです。

・「観音三十三身」とは、観音さまはその人を救済するのにふさわしい人物や事件や環境に化身して、その人を救済してくださることを示しています。(完)


1431 2025.03.10 

<よき「癒やし人」の条件>

(1)どの人も素晴らしい自己治癒力を持っていると確信している。

(2)不完全な、到らぬところがある自分を反省懺悔するが、そんな自分を認め、受け入れ、愛し、許している。

(3)自分や人をアタマの判断(色めがね)で決めつけたりしない。

(4)常に自分や人の新しい可能性に対して心の眼を開いている。


1430 2025.03.07

私が私に落ち着くことができれば、人や世界は本来の居り処に復帰して、癒されるのです。自分を許し、愛することが先です。


1429 2025.03.06 

人は誰でも完璧ではない。

どの人も、「出来ること」、「出来ないこと」の混成体。

そんな完全じゃない自分を否定しないで、認め、受け入れ、愛おしむこと。

でも、そこに腰を据えてしまうのではなく、自分のペースで一歩ずつ前へ!「出来ること」を増やしてゆこう。 

「ヘタクソでも自分の足で歩こうね」


2025年4月2日水曜日

3750「大峠を越えるために」2025.4.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月21日の記事を紹介します。


「大峠を越えるために」


江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。 

そこでは、人類にとっての大峠、時代がぐれんとひっくり返る、

など近未来に対して様々な予言が語られていました。 

それはもちろん神の国、言い換えればアセンション後の地球、

などの到来を意味していますが、

その前に、夜明け前の一番暗い時代のことも語られています。 

その辛く、苦しい時代を乗り越えられるのは、改心(洗心)した魂なのだとか。。 

そのために強く私たちに「改心」(心をきれいにすること)を迫っています。

改心した人とは、

要するに心の罪、穢れを祓い

ピュアな心の持ち主のことです。 

決して、どこかの誰かが行動してくれることで、私たちの幸せが訪れるわけではありません。

そのような他人依存的な姿勢は、 

昔ながらの、宗教的な依存心を増大させるだけで、魂の退化に繋がります。 

さて今日も、心の洗濯。 

美しき心を取り戻すために書きたいと思います。 

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。

神様がお植えになったところで咲きなさい。 

咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。

あなたは、 

・体調が悪いから

・思ったように物事が進まないから

・ムシャクシャするから

と、仏頂面で人に相対していませんか? 

それを見た人、そばに居る人は、 

そのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。

自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。

渡辺さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、宣教師の方から頂いた言葉だそうです。

渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、

そのような天使のような人でさえ、若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。

そして更に50代でうつ病を発症しますから、

彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。

いくら修道院で修行してきたからとて、

まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。

当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。

他人の出方(態度)で、幸せになったり、不幸せになったりと、環境の奴隷だったそうです。

私達もよくやりますね。

誰かが、仏頂面してた 

→ 私に何か文句があるの? 

→ 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ

誰かが、挨拶しても返してくれない 

→ 私が嫌いなの? 

→ フン。私も嫌い。悪口流してやる。

笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。

でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。

朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。

また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、 

一遍で好きになって味方になってしまいます。

まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。

人間として生まれたからには、どんな場所に神様が置いて下さろうと、

環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。

咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。 

私たちは、よく口にします。

・お金が貯まってから

・時間が出来てから

また次のようなこともよく言います。

・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら

・あの人のように、美しかったら

・あの人のように、健康だったら

・あの人のように、能力があったら

そして、最後は、必ず、どうせ私なんか。。。

私たちの神様は、うっかりミスをして、私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?

それともシスターが言うように 、いまの環境に私が生きているのは、

自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、

神さまが、あなたをここにお植えになったのは、間違いでなかったと、証明するためでしょうか?

花の使命は咲くことにあります。

他の花と比べて、優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、

自分しか咲かせられない花を、一番美しく咲かせることにあります。 

誰かと比べる必要もありません。 

人は、それぞれ、生まれて来た目的があります。 

それは、生まれる前に決めて来たことです。 

その目的に従って 

・経済状態

・健康状態

・家族状況

・容姿

・性格

全てを神さまと共に、カスタマイズして、生まれてきました。 

だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。

自分にとって、自分の魂を輝かせるために、今の環境は最適なものだからです。 

嬉しいこと、楽しいこともそうですが、

それよりも、辛さ、悲しさ、苦しさ、そんなものが、私たちの心の砥石となり、

もともとダイヤモンドのように輝いていた、私たちの美しい魂を、

再び見せてくれるものだからです。

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。 

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。 

・温かな優しい心

・周りの方々を慈しむ心、

・出しゃばらず、そっと見守る愛の心

・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」 

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。 

皆さんが

ご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。


2025年4月1日火曜日

3749「地球にさよならする時まで」2025.4.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月20日の記事を紹介します。


「地球にさよならする時まで」


私たち、地球に住んでいる人間で、ネイティブな地球人は、誰もいません。 

起源をたどれば、その魂は全員、他の星や宇宙から地球にやってきました。

そして必要な経験が終われば、みんな、故郷の星に帰ります。 

家族といえど、親友といえど、出身星が違えば、皆バラバラになります。 

悲しいことに聞こえますが、仕方のないことです。 

だからこそ、今、目の前にいる人を、慈しみ、大切にしたいものです。 

もしかしたら、もう、永遠に会えないかもしれないからです。

そう、愛する家族でさえも・・・ 

楽しい日々、悲しい日々、何もない穏やかな午後

出会い、そして別れ

争い、病気、老い、愛する人との死別

笑顔、感動、涙、怒り

様々な感情の波と、沢山の経験

どうして生まれてきたのか?

そして生きることの意味を、問いかけるたび、

胸をよぎるのは、愛しい人々の笑顔と温かさ 

この星、地球の片隅で巡り合えたことの、

奇跡

それは、どんな宝石よりも大切な宝物

悩み、苦しんで泣きたい日もあった

絶望に打ちのめされた日もあった 

でも、そんな時、

傍らに寄り添ってくれた家族、仲間たち

故郷の夕焼けの優しいぬくもり

本当に大切なものは   隠れて見えないのかもしれない

ささやかに過ぎていく日々の中にこそ、

本当に大切な、かけがえない喜びがある

いつかは誰でも 

この星にさよならをする時が来る

けれど、この命はずっとずっと、

この地球で誰かに受け継がれてゆく

・生まれてきたこと 

・育ててもらえたこと 

・出会ったこと 

・笑ったこと 

そのすべてが大切な思い出、経験。

ありがとう 

この命にありがとう 

これは、「いのちの歌」、竹内まりやさんが作詞した詩を元に脚色したものです。

竹内まりやさんは、

私たち人間が宇宙のどこかの星から、一時の間「地球という星」を訪れて、

沢山の経験をして、そしてまた元の星に帰って行くことを知っていたのですね。

いのちの詩 Wikiより引用

三倉茉奈、三倉佳奈らによる連続テレビ小説『だんだん』劇中の音楽ユニット「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定で、2009年1月24日に放送された第96回で初めて登場した曲。

作詞はドラマの主題歌「縁の糸」及び劇中のナレーションを担当した竹内まりや。「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定のため、竹内による作詞である事実は伏せられ、Miyabiのペンネームにより詞を提供した。


以前書いた記事ですが、

女優の加賀まりこさんも同じことを仰っていました。 


あなたは 

・どこの星から地球に来ましたか?

・そして誰と出会い、何を経験しましたか?

・それは嬉しいことでしたか? 辛く、悲しいことでしたか?

永遠に地球に居ることはできません。

いつか大切な人と離れ、故郷の星に帰る時がやってきます。

今経験していることは、喜びも悲しみも、とっても貴重な体験です。

全ての経験を故郷の星に持って帰ります。

本当に大切なものは、隠れて見えない。

ささやかに過ぎていく日々の中に、かけがえない喜びがある。

どうぞ、些細なことにとらわれず、

身近な周りの方々に、笑顔と優しさを届けてください。 

今日という日は、

もう二度と来ないかもしれないのですから。


故郷の星に戻る時。

それは自然な形で、訪れます。

周りの関係する方々全てにとって、まさにベストなタイミングで訪れます。 

ですから、その最後の瞬間まで、泣いたり、笑ったりしながら、

この地球を楽しんでください。 

この地球で受けたイノチは、それに値する、大きな大きな価値のあるものだからです。