2017年6月9日金曜日

965「祈り旅6」2017,6,9

 2日目も素晴らしい天気に恵まれました。同室のお二人は共に5時には起きてそれぞれの日課の気功、瞑想、ジョギングなどをしに出かけられました。私はゆっくり起きて朝風呂で岩木山を愛でて、豊かな、優雅な気分で温泉を満喫しました。今日も岩木山は私たちにエールを送って下さり、この地の祈りの儀式が満願成就することをサポートして下さるようです。
 朝食も美味しく頂き、ホテルから岩木山を見れるビュースポットまで散歩して写真に収めました。


 宿を9時に出発して最初の目的地、石戸神社に向かいます。宿から10分程で弘前市相馬湯口にあります。小さな集落に中にある小さな神社です。この神社は私は初めてです。
 この石戸神社の縁起などは以下の様な記載があります。

「津軽には、坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に、敵対する蝦夷の首魁を退治し、その亡骸を葬った・・・という伝承を持つ神社がいくつかあります。
 平川市の猿賀神社の「猿賀石」は、その跡だともいわれている他、同じく平川市の熊野神社は、首領・大獄丸の首を埋葬した場所であるとされ、藤崎町の鹿嶋神社は、恵美の高丸の霊を退治した神社とされています。
 今回訪ねた弘前市相馬(旧相馬村)の石戸神社もまた、同様の伝承が残っている社です。

 石戸神社の御祭神は、天岩戸別神と小彦名命。
 天岩戸別神(あまのいわとわけのかみ)については、【『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。・・・天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。天太玉神の子ともいう。※wikipediaより】といわれています。
 神社の向かい側には、「天石門別乃泉」 と名づけられた御神水もありました。
 この神社の由緒については、
【伝承によると、本村藤沢のメノコ館に、神通力自在の女子の蝦夷首領がいてそむいた。大同二年平定に当った坂上田村麻呂が神仏に祈って最後に討取った所が当所の清泉であった。大石を重ねた石堂にその霊を鎮め石戸権現をまつったという。 
 当社は古くは大重院・医王山薬師堂と称し、慶長八年(1603)再建され、明治の初め石戸神社と改称した。祭神は天石戸別命・小彦名命である。※境内由緒書きより】と紹介されています。
 どうやら、この地を支配していた蝦夷の首魁は女性だったようです。「神通力自在の女子の蝦夷首領」の話は、青森市の大星神社の縁起にも出てきますが、津軽に広く伝わる伝説のようです。また、「最後に討取った所が当所の清泉」とありますが、先ほどの「天石戸別乃泉」のことなのでしょうか。
 実は、このメノコ館の女首領については別の言い伝えがあります。
 この辺り一帯から見渡すことのできる「棺森(がんもり)」 という、標高588mの山がありますが、そこには次のような話が伝えられています。
【坂上田村麻呂が蝦夷征伐をした当時、津軽はメノコという優れた女性が統治していた。その館は相馬村藤沢にあった。田村麻呂の軍勢は館を七重に取り囲んで攻め、メノコは包囲綱をかいくぐり棺森に逃げたが、そこで殺された。遺体を棺森に埋めたが、夜な夜な女が叫ぶ声が聞こえたり、墓石が動くため、兵士はすっかり戦意を喪失した。そこで遺体を相馬村湯口に移し、権現さまと合祀(ごうし)したら鎮まった。その場所が今の石堂神社といわれている。※Web東奥「あおもり110山」より】
 どちらにしても、この蝦夷たちは、田村麻呂軍を脅かすほどの強大な力を持っていたのでしょう。「大石をいくつも重ねた石堂が造られた」というくだりは、そのことを表しているように思います。「石堂」」が転化して「石戸神社」になったということでしょうか。その石堂はありませんが、境内には、祠とともに、いくつかの石塔が立っていました。」

 既にレラさん達は到着していて神社の奥の林の中に座って火を焚いて祈りの準備をしていました。

この石戸神社にもレラさんは20年程前から祈りを捧げに参っていました。その事に触れた表記を目にしましたので紹介します。

「石戸神社は、坂之上田村麻呂創建という。ここに住む蝦夷の女性首領を退治して、その遺体を葬った上に4方を石で固め、その上を大石で押さえ、なお石を積み重ねて悪霊を鎮めこらしめてしまったところであるという。
 先住民族を権力が追い払い、その地を自国とするというのだから、アメリカの騎兵隊がインディアン部族を襲撃するのとよく似ていると思う。
 先住民が自らの生活や仲間を守るために抵抗しようとするのはごく自然の行いだと私は思うし、権力者の強権こそがいつの時代も弱き民を虐げるのは変わりのないことでもある。
 せめて意識の中だけでも、あの鬼とか蜘蛛とか、大蛇と例えられた話が抵抗勢力だとすればわかりやすいからくりでもある。
 O氏の談によれば、毎年北海道からこの女首領の霊を慰めに、アイヌのシャーマンがやってくるという。その場所がこれだという。」