2017年6月13日火曜日

969「祈り旅10」2017,6,13

 口羽和尚の施餓鬼供養も引き続き行なわれています。奥の林から強烈な光が注がれています。祈りに呼応する自然のエネルギーです。


 誰かが空を見上げると一条の白線が描かれてあります。これまたありがたき自然の徴と皆さん声を上げます。



本殿前の参道に天外さん始め、我こそはと思う面々が集い、円をなして、ネイティブの躍りをリーダーの指導の元に始めだしました。舞いスペシャリストのOさんは最後は蛇体をイメージして一体化した流れをと思ったようですが今ひとつで、最後はジャンプで終えました。しかし見ごたえのあるパフォーマンスでした。神、自然、人、天地人一体化の躍動です。光は更に強烈に樹幹を抜けて注がれます。




 今日の1日の祈りはこれで終了です。後は今日の宿の十和田湖のホテルに向かいます。
色々調べていましたら、この巌鬼山神社に付いて、面白い記事を見つけましたので紹介します。
「1989年の夏、青森県弘前市、岩木山北麓にある巌鬼山神社裏手の山で、営林署の職員がミイラ化した人間の右上腕を見つけました。
 腕は肘の部分から指先まで、ほぼ完全な形で残っており、ていねいに埋葬、あるいは保存されたことがうかがわれます。かなり巨大な腕で、腕の大きさからすると、身長は二メートル近くあったのではないかと推定されました。
 巌鬼山神社というのは、十腰内と十面沢の間あたりに位置していまして、十腰内や、その北にある鰺ヶ沢町の湯舟は、昔から鬼伝説が残る地です。
 有名なものに「鬼神太夫伝説」があります。
『昔、鬼神太夫という怪力の刀鍛冶がいた。この鬼神太夫が、桂山の刀鍛冶長者の娘に惚れ込み、長者に、娘を嫁にくれと申し込んだ。
 娘をやりたくない長者は、鬼神太夫に「一晩で十腰(本)の刀を鍛えることができたら娘をやろう」と言った。もちろん、そんなことは到底できないと踏んでのことだ。
 ところが、鬼神太夫は真に受けて、本当に一晩のうちに十本の刀を鍛えてしまった。長者は驚くと同時に困って、そのうち一本を盗み出し、鳴沢川に捨ててしまった。鬼神太夫は九本しかない刀を何度も数え「十腰ない、十腰ない」と呟きながら、恨めしげに去っていった。これが「十腰内」という地名の由来です。』
 鬼神太夫が鍛えた刀の一本は、今も岩木山の巌鬼山神社に祀られているといいます。
 この鬼神太夫伝説などとも半ば無理矢理に結びつけられて、このミイラ化した腕は「鬼の腕」として話題になりました。
 鬼の腕は、津軽大学(弘前大学かな?)の考古学研究室に持ち込まれましたが、しばらくして、これは本物のミイラではなく、巧妙に作られた「偽物」で、誰かの悪戯だろうという結論が出ました。
 偽物であるという「公式発表」後は、いつしかこの話題は忘れられていったんですが、この話、どうにも怪しいですよねぇ。なぜ、それほどまでに凝った「偽物」を作ったのか?
 偽物を作るなら、なぜ、鬼のアイデンティティである角が生えている頭蓋骨ではなく、「腕」などという地味なものにしたのか。
 巌鬼山神社は、鬼族ネットワークの拠点となっているという噂もあります。」

 何とも奇怪な話ですが先に訪れた鬼神社と言い、この地は鬼だらけです。そもそも鬼とは為政者に蔑視され、騙され、利用され、排除された好まざる存在を指します。鬼に付いて以下の様に記されてあります。
「一般に昔の日本の村では、村の一番外側のところに、道祖神・地蔵・あるいは巨石・古木などがあって、そこが一種の結界になっていました。そしてその結界の外側に存在するものは「鬼」として処理されたのです。
 道祖神はその「鬼」の不法侵入を防ぐ働きがあります。これは仲のよい男女神なので、その間を無理矢理通り抜けようとすると、「邪魔するな」とばかりに跳ね返されてしまう訳です。
 この共同体の外のものを「鬼」とみなすという心理構図は、例えば「おむすびころりん」で穴の中に落ちたおむすびを求めて行くと、そこには鬼がいた、などといった話の中にも見ることができます。桃太郎も海を越えて鬼ヶ島に行きました。海はこの世界とあの世界を隔てる結界です。
 そして、この構図は戦時中に敵国に対して「鬼畜米英」という言葉を使ったところにも通じるものです。つまり日本という大きな結界の外にいるものは全て「鬼」だという思想がそこにはあったのでしょう。
 しかし、この「よそもの」は害をなす場合は「鬼」ですが、福をもたらす場合は「稀人(まれびと)」になります。
 つまり「訪れる神」で、日本神話の世界でも、恵比須神・少彦名神・事代主神などがこの「稀人」型の神です。日本にはこういった「稀人」を迎え入れる神事を行っている地方があります。能登半島の「あえのこと」、男鹿半島の「なまはげ」などはそのタイプの祭と考えられます。沖縄方面にも海からやってくる神様を迎えるお祭りをするところがあるようです。」
 鬼とはまつろわぬ存在です。大和朝廷にとってこの地は鬼だらけだったのでしょう。