2014年8月1日金曜日

333「真向法30周年2」2014,8,1

 7月27日は良い天気に恵まれました。今日を迎えるにあたって役員の方々は何度となく会議を重ね、記念誌を作成し、記念のユニホーム製作、当日の準備、連絡とそれぞれ分担して、協力の中に励んでくださいました。ありがたいことです。

表紙
中身の一部

 修練会場は祝賀会場に近い、仙台市東六コミュニティーセンターです。私が30分前に行くと佐藤良彦真向法協会会長も既にお越しいただいていました。
 14時開始前に40名強の方々が集いました。司会の指示で定時に修練会は始まり、最初に私が少し挨拶をしました。
 佐藤会長が初めてという方もおられます。初めて修練会に参加した方もいます。佐藤先生が宮城県大和町出身で真向法唱導の昭和8年生まれで、創始者の長井津先生に住み込み門下生として指導頂き、長井先生の真向法の精神、魂を受け継ぎ真向法60年の人生を歩んでいる唯一の方ですから是非とも本物の真向法を教わってほしい、と言うようなことで紹介させて頂きました。

 佐藤先生の真向法指導は、やさしい話の中に笑いを誘いながら楽しく進められます。それでいて要所をしっかり指導されます。前半は一人補導体操、後半はペアーでの補導体操の一部です。私は佐藤先生がお越しの時に補導体操をして頂ける恩恵に浴せます。いつもは生徒さんを補導するだけで、私がして頂くことが無いので、年1度のご褒美です。交代して皆さん心身をほぐして明るい空気に満ち満ちてきます。

 いよいよ段級審査です。真向法に段級があります。真向法の4動作の実技を審査して、各動作を10点満点で評価します。その実技練度評価は40点です。しかし真向法では実技以外の評価があります。継続年数評価40点、健体度評価10点、康心度評価10点で100点満点です。その想合点が評価されます。健康の為に必要なポイントを良く考えていると思います。
 最初は5級から5段までは年1度だけ審査を受けられます。ですから10年継続されると5段を得ることが出来ます。それ以降はそれぞれ3年の修練で6段、7段を受験できます。8段は基本的に年齢が70才以上の制限があります。それから5年以上の修練で概ね80歳で9段、さらに5年以上の修練で概ね90才を超える方が10段です。体操が出来る事だけでなく継続することが評価の眼目です。その結果、健康長寿安楽死、PPKがゴールです。
 今年の6月でしょうか、山形の会員の方が晴れて10段位を得られましたが、佐藤会長が直々に免許証を手渡しに出向かれたと聞きます。10段位はとても名誉なものです。
 私は8年前に年齢制限を特例で考慮して頂いて8段位を頂いています。ですから錬士8段です。


 今回23名の方が審査を受けられました。5級から4段の方々の実技を拝見しましたが、明らかにその違いは歴然としています。にわかが通じない世界です。それぞれ受けた段級位は頂けたようです。中には、実習年は長くて審査を始めて受けた方が何名かいましたが、実技も十分出来ていて、修練年数が考慮されて飛び級に認定されることになりました。
 毎年、行われる審査で頂く評価は自らへの励みになり、末永く健康を維持し発展させる支えでもあります。私の受けられる9段の審査は80才の時になりますが、他の会員の皆さんの方が早く授与いただくことになります。現在の宮城での最高段位はHさんの9段です。皆さんでHさんの10段位を目指して盛り立てて行きたいものです。



 30周年記念祝賀会はホテル白萩で開催されました。来賓の佐藤会長はじめ、本部より佐藤康彦指導部長(佐藤会長の甥にあたり、同じ大和町出身です。)、岩手、山形、鶴岡の各真向会の会長さん、佐藤会長義兄のFさんの御子息で県会議員のF様、佐藤会長の縁者の方々含め総勢60名の皆様が参集下さいました。
 私の会長としての挨拶を述べましたが、30年の事がいろいろ思い出され少し胸を詰まる感じになりました。只々、ご縁を頂いた、長井先生、佐藤会長、そして同行同修の皆様に感謝するとともに、30年を通過点として次なる高見へ繋いでいく努力を皆さんと共に実践して行くことです。「学ぶ実践とは、教わる事でなく、教える事にある。」です。


 永年継続者表彰が行われましたが30年継続者は私とK師匠さまの2名、20年継続者は8名の皆様に私から贈呈させて頂きました。私には先輩のK師匠から頂きました。



更に本部からこれまでの指導者としての功績を認めて頂き、私には「範士」を、共に20年以上継続者で副会長であり8段位のIさんとYさんに「錬士」の允許状を佐藤会長から授与して頂きました。これまた名誉なことです。両副会長の是までの真向法への貢献の証しです。お二人ともとても喜んで下さいました。これから更にお励み頂けることでしょう。今後を期待したいと思います。また、現在、教師で活躍している方々にも善き道しるべになることを念願しています。



 来賓祝辞はまず佐藤会長から頂きました。先生からは、仙台の創設期の懐かしいお話を頂き、宮城での後継者、若手の指導者育成について評価を頂きました。


続いて県会議員のF様からお父様の真向法の逸話を披露頂き、これまた懐かしい思いに駆られました。

 乾杯の発生はK師匠です。各県の会長様から祝辞を頂き、宴は楽しく進みます。アトラクションは宮城の芸達者の皆様の玄人はだしの演技を演じてくださいました。詩吟、ハーモニカ演奏、シャンソン、ハワイアンフラダンス、極めつけはマジックです。最期には何故か知らぬ間に私に白羽の矢が当たり、「さぼてんの花」を歌わせて頂きました。
 最後にみなさんで「今日の日はさようなら」を合唱し、エールで締めました。
 終わって喫茶店で数人の方々とシェアリング会を持ちましたが、皆さん喜んで下さっていました。わたしにとってもありがたく、嬉しいの一言です。


 宴席でも40年、50年を目指してとの言葉も聞きました。各自が強く発意し、実践、普及して下さることを念願するばかりです。佐藤会長からも「40周年も来ますからね」、と声をかけて頂きました。真向法唱導100周年を果たして佐藤会長が執行できるか分かりませんが、90周年は大丈夫でしょう。宮城もこれまで以上に指導者の育成と会員増強、真向法普及をはかり、国民の健康に寄与できる会として活動して行きたいものです。
 翌日昼には、佐藤指導部長と仙台で11月に開催する、東北地区研修大会と指導者研修会の打ち合わせをさせて頂きましたが、多くの方の参加を頂き、明確な目標を達成して行けることを目指して準備を進めて行きたいとおもいます。
 真向法を通して、縁する皆様が健康で豊かに安らかに過ごせる、身心を自修し会得する。そのような仲間が増える事を願っております。

 真向法の創始者長井津先生と真向法の概略は以下です。
「長井 津(ながい わたる、1889年10月 - 1963年)は、健康法の一種である真向法の創始者。福井県出身。中年期に罹った脳卒中により左半身不随となるが、独自の体操法を編み出すことでこれを克服。その体操法を後に「真向法」と名付け、普及に努めた。1963年(昭和38年)、交通事故により死去。
 福井県の越前岬に近い勝鬘寺と言う浄土真宗の寺に、9人兄弟の3男として生まれる。長兄は東京帝国大学教授長井真琴、弟に海軍少将長井満、陸軍中佐長井洗がいる。中学を中退して商売で身を立てようと単身上京し、大成建設の前身である大倉組に入社し、大倉財閥の大倉喜八郎に師事。30歳で呉支店長に出世して財を築くが、34歳の時に妻に先立たれる。
 多忙とストレスの続く生活の中、42歳の時に脳溢血に倒れ、左半身不随の身となる。医師からは不治と診断されて悶々と日々を送る中、精神の安定を求め、実家の勝鬘寺の経典の中から勝鬘経を紐解く。その中の「勝鬘及一家眷属頭面接足礼(勝鬘婦人と一族・従者達は、頭を仏の足に接して礼拝し、清浄な心を以て仏の真実の功徳を嘆称したてまつった)」と言う一節が目に留まった。この「頭面接足礼」とは五体投地礼の一種であり、両手を伸ばして相手の足を取り、腰を曲げて相手の足に自分の額を押し頂いて拝む最上の礼拝である。
 しかし、実際に行ってみると長井は全くこれを行うことが出来なかった。礼拝とは、釈迦の教えをありのままに拝聴する身構えが出来ていると言う意志表示であり、頭面接足礼が出来無ければ、素直に教えを聞く準備が出来ていないのだと考えた長井は、この礼拝の練習を毎日行う。これは後に真向法の第一体操と呼ばれるものになるが、この練習を3年の間行い、更に第二体操を編み出して練習に加えて繰り返している内に、次第に体が柔軟になり、不自由だった体が元の通り動いて、以前にも増して健康になって行った。
 この二つの体操に驚嘆すべき自然治癒力のあることを確信した長井は、これを世に広めようと努力するようになる。当初は「念仏体操」と称していたが、「礼拝体操」、「日本国民体操」、「昭和体操」、「中和柔和法」と名前を変えて行った。体操が二種類から四種類になるのは昭和18年頃からである。
 1946年(昭和21年)正月、長井は二首和歌を詠み、その内の一首が「真澄空 唯一つなるみ光を 仰ぎ拝(おろが)む 今日のたのしさ」と言う和歌であり、これを1月12日に「真澄空 唯一つなるみ光を 真向仰げ 四方の国人」と改作し、ここから取って最終的に体操法を「真向法」と名付けた。」