最初に向かうのは栗原市金成町有壁にある第二十一番札所観音寺です。曹洞宗のお寺で馬頭観世音菩薩がお祀りされています。前回最後の巡りの栗原市栗駒町の第16番札所清水寺から帰路に着いた高速道路若柳金成インターチェンジで下りてしっかり前回からの続きです。
有壁の街並みに旧有壁宿本陣跡があり、そこを過ぎて直ぐ左手に観音寺があります。朝の早い時間ですから閑散として凛とした空気の中、観音堂への階段を気持ちよく登ります。お堂は小高い丘の上にあり、見晴らしも良く、風の通りが心地良く、清清しく朝陽に輝く観音堂の扉は開かれていて我々を待っていたようです。この観音堂は別名、水月堂と言われます。
以下の様な紹介があります。
「開創は大同2年(807)坂上田村麻呂です。三上大明神本地観音を建立し伝教大師を開山とし、別当有壁山円通院と号した、天台宗のお寺でした。一時は24坊を数え、繁栄していましたが、南北朝時代になって廃退してしまいました。
有壁城主菅原帯刀長尚が弘治3年(1557)登米郡永明寺5世澗室守林禅師を開山として再興し、曹洞宗円通山観音寺と号しました。
観音堂の由緒も坂上田村麻呂の奥州平定にあるようです。蝦夷の遺恨が後日人々の上に禍せぬよう各地に建立した観音堂の一つと伝えられています。」
お堂の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「大いなる光をありがたき。
留まりておる方々、この地で囚われたるもの、この時預けて、大きなるへと参られませ。
遥かなるへ、遥かなるへ。いざいざ参られませ。」9:08
次は県境を越え一関市花泉町に向かいます。花泉町はさほど大きな町では無いのですが4つの観音堂が祀られています。
最初は第十九番札所新山観音堂です。寺名のない在家別当の観音堂で、民家の畑の脇の山道を登ると観音堂が見えてきます。ここには十一面観世音菩薩が祀られていますが、本尊様は他所にあるようです。
本堂前であわ歌を響かせました。
「受け止められたる哉、この響き。大いなるなり。
今をさる1760年、この地にて、23人惜しみて亡くなりたるが、力無き姿にて漂いたり。
今、ここにありたるを出だすぞよ。お~。(拍手)
本に良き、良き、良きなり。」9:50
何と1760年前にこの地で23人が亡くなられていて今だ漂っているとのこと。一体何ゆえのことでしょうか。しかしいずれにしてもあわ歌を響かせることで、良き事になったようです。
第二十番札所徳寿院は直ぐ近くです。曹洞宗の大きなお寺で千手観世音菩薩が祀られています。丁度お葬式が行われていて沢山の車が駐車されて、式の最中で読経、挨拶など聞こえてきます。本道近くにある観音堂で静かにあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「晴れ渡りたり、この地、永きて大いにわたりなる地を保ち来て、是よりの新しきへ向かうは皆々様と共なる喜び。なお一層、この地を讃えて嬉しきへ参りましょうぞ。」10:31
第十七番札所大祥寺は曹洞宗の大きなお寺で古刹として知られ、立派な楼門造りの山門がそれを物語っています。本堂の左手の小高い丘に、西の峰の観音堂と呼ばれるお堂があり、十一面観世音菩薩がお祀りされています。春を告げる花々がそこかしこに見え心地良い所です。
お堂の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「少しお話させて頂きます。
この地にありたる古き時は、この空、この風、この光、流れる水、木々、草々、皆々生き生き、楽しきを送り行きました。大きなる力がある時働き、この地を変え行きました。
永き時、元へ還るを祈りておりました。本日、この響きを承りて、嬉しき時なり。
皆様方のこの響き、皆々に届きて、共に嬉しきと成りましょう。」11:03
中山さんのお言葉が終わって丁度に観音堂の鐘が自然に鳴るではありませんか。皆さんあまりにもそのタイミングに驚きです。風がたまたま吹いたと言うには出来すぎです。今回のお言葉の内容も奥深いものです。明らかに無形の次元と呼応するものがあります。
花泉町にある4つ目の第十八番札所道慶寺です。しかし道路脇にお祀りされている六角堂に如意輪観世音菩薩が奉戴されています。その謂れは以下のようです。
「六角堂は天平年間(729~749)に茂呂志賀なるものが建立し、この如意輪観世音菩薩を安置したと伝えられる。名前は六角堂ですが方形のお堂でした。一間(1.8m)四面に、二尺(60cm)の濡れ縁をめぐらした小さなお堂です。古くは観音森(元国有地内)に位置してあったが、神仏混合時代に豊隆神社境内地に移転、さらに安永年間現在の別当である皆川家の先祖の夢枕に観音様が立ち「我は神ではない仏である。村人をお守りしたい故、お前の所有地内に移してほしい」とのお告げがあって、現在の場所に移したそうです。六角堂は陸中最古の観音堂です。18番札所を道慶寺と表記しているものがありますが、廃仏毀釈の際に取り壊しを免れるため、便宜上近くの道慶寺所属としましたが、直接関係なく、現在は皆川さん宅で管理しています。」
お堂の前には花壇が六角に作られています。そこであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「揺るがぬ大きな元より発する響きを受けて、この地へ伝えて、人々がこの地球の全てと共にあるを今一度、しっかりその身のものとして、新たなるへ向かうことなり。多くの諸々、皆々流して参りましょうぞ。」11:35