今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最近の記事を紹介します。
494 2021.11.09 ~500 2021.11.15
私たちの禅の会(元気アップ禅の会)には、<しあわせ組クラスノート 担任立花大敬>というものが何冊かあって、日直日誌のように禅の会に参加していらっしゃる方々が持ち回りで、思っていること、気づいたこと、疑問に思っていることなどを文章に綴ります。それに私が感想などを赤ペンで付け加えるというものです。
記録では、2007年からスタートしたようで、皆さんの文章もかなり溜まりました。ここではそのほんの一部ですが、紹介したいと思います。禅の会の雰囲気を感じていただけると思います。
(K.Iさん)
最近また変化がありました。
私はほぼ毎日、朝はここで唱えるお経(延命十句観音経など)を唱え、短時間ではありますが坐っています。そのせいか、前のようにオロオロすることもなく、堂々としている自分に気付きます。
(大敬の赤ペン)
坐ると、我がいのちの重心の収まりどころが、本能的に分かってくるのです。だから、坐ると安定し、堂々とします。
(K.Iさん)
いつも変化をする時には、不安や落ち着かない心でバタバタ動き回っていました。
が、今回はそのような動きをすることなく、どうにかなりそうだと、とても落ち着いているのです。
(大敬の赤ペン)
坐ると、宇宙は善意で出来ていて、自分は愛の暖かい光で包まれている、うまくいかないはずがないと、自然に思えるようになるのです。だから、安心感があります。安心感があるので、何事もうまくゆくようになるのです。
(K.Iさん)
前回は応援してくださる人がいて一歩を踏み出せたわけですが、この度は、一人で踏み出していこうと思っています。
こう思えるようにまでなったことがすごいなあと、我ながら思います。少し前の自分ではとても考えられなかったことです。
(大敬の赤ペン)
ようやく素直に、自分を褒めて上げられるようになりましたね。自分を褒められるようになれば、人にも褒められるようになります。
(K.Iさん)
いつも禅の会でのお話は大きな支えになっています。
質問をした時にも、言葉の中に、はっ! とした気付きをも与えてくださり、大変感謝しております。
もっと日常生活に広がり、大きく反映されていくことができたらいいなあと思います。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
(大敬の赤ペン)
毎日、少しずつでいいから坐り、お経をあげる時間を作ってください。少しずつ、少しずつ進化しましょう。あせらずに・・・。
(K.Fさん)
現在、市役所で公務員を続けながら、「仏師」を目指しています。(目指しているところは職業仏師ではないのかも知れません)
禅の会に参加するようになって、めぐり合いの不思議を実感しています。自分に必要な時に、必要な出会いや試練、物、知恵、全てが、一瞬も違わずにやって来ます。「ありがとうございます」
(大敬の赤ペン)
私も学校の先生をしながら『お道』の仕事をしています。この『お道』の仕事が生計の種となったら、きっとミニクイ事となりそうで、私のとっては、今のバランスが正しいのではないかと思っています。あと4年(当時)で定年退職なのですが、その後のことはどうなることやらさっぱり分からないし、決めてしまわないように、ただ、必要があれば神様は私を生かして使ってくださるはずと信じていたいと思います。
(N.Yさん)
私は妹から誘われて一緒に参加するようになって1年8ケ月が過ぎました。
私が一番最初に聞いたのが、神様のお話しで、いつも神様って本当にいるのかな~って、ボャ~ッと思っていたので、大敬先生が神様のことを、当たり前の様に、嬉しそうにお話しをされるのを聞いて正直びっくりしました。
(大敬の赤ペン)
神様ぐらい身近な存在はありませんよ。あまりに身近すぎて、自分の顔を自分で見られないようなもので、見えないのですよ。しかし、『自身神なり(鳴り)』ですから、神様を見ることはできませんが、神を自分の身をもって表現してゆく、鳴り響かせることは出来るのです。
(N.Yさん)
私にはまだまだ難しくて、皆さんの後ろをついてゆくのに必死ですが、大敬先生のあったかくて、お茶目な笑顔に触れたくて、毎回首を長~くして、禅の日が来るのを待っております。
とても内向的なので、質問コーナーで手を挙げる勇気はありませんが、他の参加者の方の素晴らしい質問を聞いているだけで、ハッピーな気持ちになります。
禅の会の参加者の方とお友達になりたいなぁ~ 、お話ししたいなぁ~
と思っているのですが、いつも一言も言葉を交わす事なく終わってしまいます。
でも、大敬先生や禅の会のスタッフの方、参加者の皆さんと過ごす時間はとっても楽しくて充実感ある幸せいっぱいの時間です。
(大敬の赤ペン)
面白いもので、私もとても内向的な人間で(だから、45歳まで就職しなかったんですけどね)、人前でお話ししたりするのは苦手で、正直辛いのです。だから、職場でもほとんど発言しません。しかし、教頭になっってしまったので、そんなわけにもいかず、人前で発言する機会も増えてきましたが、やはり苦手でつらいです。うまくしゃべれなかった後は落ち込んだりもします(以前よりはそんな嫌な気分が尾を引く時間が短くなりましたけどね)。
しかし、不思議なことには、『お道』の仕事では、人前でお話しするのは、まったく平気で、話せば話すほど、どんどんエネルギーが湧き出し、元気になってゆきます(『お道は別腹』なんでしょうね)。
そんな極めて内向的な私の経験では、無理をしなくていいですよ。自分のペースで、自分や周りの人たちの存在を認め、愛し、許してゆきさえしたら、不器用な人間でも、周りの人に嫌われることなく、存在を認めてもらえ、愛してもらえて、必要な時と処では、ちゃんと発言でき、不思議と適切に行動できるようになります。
世間の人は百個発言して、一つ叶うのですが、私やあなたは一つ発言して、一つ叶うタイプなんですね。ボチボチいこう。あせるな、あせるな。
(Y.Yさん)
先生のおかげで黒住宗忠さんのことを知ってから、とっても興味を持つようになり、気になって気になって、昨年の冬、岡山に行って来ました。そこでびっくりしたのが神道山の宝物殿にいる職員さん。とても親切に案内してくれた方がなーんと大敬先生にそっくりだったんです(えーっ、先生こんなとこでバイトしよったん??って、最初混乱しました)
もしかして双子ですか?っていうくらい似ていましたよ。
宗忠神社では「あー、やっと来れたなー」って、そんな感じでした。行って良かったです。ちょっと落ち着いたんで。
(大敬の赤ペン)
よかったですね。私の本や禅の会に参加されて、黒住教や金光教、それにお家の宗旨(浄土宗や浄土真宗など)を再発見されて、もどって往く事が出来た方が何人もいます。その人それぞれに霊的、精神的故郷があって、その本来の場所に帰って落ち着かせてあげるのが、この禅会やしあわせ通信の使命の一つだと思っています。外見では古びて、枯れてしまったように見えるものが、実は内側に素晴らしい宝物(活き活き輝くいのち)を内蔵しているという事を発見し、皆さんにお知らせするのが、大敬の使命の一つなのです。
(Y.Yさん)
『重耳(ちょうじ)』(宮城谷さんの歴史小説、私が禅の会で推薦、紹介したもの)読みました。面白い! でも、申生(しんせい)がかわいそうでした。いろいろうなりながら読みましたが、人間やっぱり『徳』なんですかね?
私は狐突(ことつ)が一番好きでしたが、大敬先生は?
(大敬の赤ペン)
同感です。でも、そんな狐突が力を尽くすだけの『徳』を重耳は持っていたということですね。宮城谷さんの『子産(しさん)』 も徳をテーマにしたものなので、読んでみてください。
(K.Tさん)
大敬先生こんにちは
お話しを伺えるのが楽しみで楽しみで来ています。
今回のお話しは今の私にピッタリだったのでノートに書かせていただいています。
私はお掃除の会に入っていまして、月に一度、市内の小・中学校のトイレをお掃除させて頂いています。お掃除のあと、豚汁とおむすびなどの軽い食事をして(感想を交換しつつ)解散となりますが、自分と向き合う為にお掃除に集まってこられる皆さんに食事係をお願いするのは申し訳なくて、毎回食事係りをしています。
初めの頃、ひたすら磨いていくお掃除と違って家庭の延長のような仕事に充実感が無く、いつもフラストレーションが溜まっていたのですが、『いやいや、今・ここで自分が出来ることを一生懸命することも大切』と自分を納得させていましたが、この最近『いや、それでも一心に黙々と便器を磨いてトイレの神様にお会いせねば・・・』などと揺れ始めていたところへ、この典座(てんぞ:禅の道場の食事係のこと)のお話しです。心のあがきが、すーっと静まったような気がしています。
また、『珊瑚(さんご)枝枝(しし)、月を撐著(とうじゃく)す』(珊瑚のどの枝も、天空に輝いている月を支えあげている。つまり、どの人のどの人生も、神を支え、人類の魂を持ち上げ、進化させているということ)ですが、こんな小さな私でも、生きていることにきちんと光があたり、キラキラ輝いて天上界からはきちんと見ていて下さるとは、何て心強いことでしょうか。
けれど、つい他人と比べて自分の小ささ、足りなさばかりが目に付いて悲観したり、落ち込んだりした時には自分の気持ちをどうやって前向きにもっていけば良いのか・・・、そこが分かりません。自分のことが嫌いで仕方がない時、どうすればいいのですか。
(大敬の赤ペン)
神あって私があり
私があって神がある
私には神様が必要
神様には私が必要
自分が小さく感じられたら、きっと愛につつまれ、生かされていることを忘れている。
禅の会に参加できるなんて、本当はキセキのようなことなんだと気付けたらいいですね。
(K.Mさん)
先々月、(人に)バカにされた時に唱えたらいいお経を教えて下さいましたが、そのお経の読み方が完全かどうか分からないので、もう一度ゆっくり唱え方、教えてください。
え~こんなお経あるんだったら、もっと早く教えてくださいよ~と思いました。
30年前なんて、社会はまだ男尊女卑で、私はどんだけ女のくせに~と言われてきたか分かりません。(離婚して)幼い子二人連れて就職した先でも、どうせここしか行き場がないんだろうって感じで、男どもに意地悪されたり、バカにされたりする。その時から男に負けてたまるか~ という意地と根性で、ガーッと勢いよく、走って走って走り抜けてきました。
その時にこのお経の存在を知っていたら、もうちょっと楽だったかもね~ 。でも30年前は、まだ禅の会もなかったことだし・・・、無理な話だ。
(大敬の赤ペン)
これは『金剛(こんごう)般若経(はんにゃきょう)』の中の一節です。古来、『よく業障を清める(過去世から積み重ねてきた業を解消する)呪』として有名です。
若為人軽賤(にゃく いにん きょうせん)
是人先世罪業(ぜにん せんぜ ざいごう)
応堕悪道(おう だ あくどう)
以今世人軽賤故(い こんせ にん きょうせん こ)
先世罪業 則為消滅(せんぜ ざいごう そくい しょうめつ)
當得阿耨多羅三藐三菩提(とうとく あのくたら さんみゃくさんぼだい)
(訳)
もし人に軽蔑されたり、卑しめられたりしたとする
この人は、前世に積み上げた罪業によって
来世には、必ず地獄に落ちることになっているのだが(過去世に積んだ善業もあったので、とりあえず今世は六道の内の人道に生まれて来ている)、
今生で人に軽蔑されるという状況を自ら作り出して
そういう形(重を軽に変えて)で、過去世の罪業を消滅させている。
そうして、重荷を降ろして、楽になったいのちは、速やかに悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を達成することが出来る。