2022年2月22日火曜日

2616「青空ひろば」2022.2.22

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


584 2022.02.08 ~589 2022.02.13

「日の理想に基づく国」の基本理念

(1)すべての「ひと」は、太陽神霊(ひ)の「分け御魂(みたま)」であって、残らず大切で、尊い存在(日尊)である。

(2)この「ひと」には、人だけではなく、動植物や、山や川なども入る。だから、「人」が自分たちの利益のために、動植物を犠牲にしたり、山や川や海や空気などの環境を汚すような行為をしてはならない。それは「ひと」の尊厳を汚す行為で、やがて回りまわって、自分たちの穢れ(けがれ)となって帰ってくるものであるから。「ひと」の尊厳を踏みにじる国は、「ひさし(久し=日射し)」の国にはなれない(やがて滅びる)。

(3)すべての「ひと」は、太陽神霊(ひ)の特性のそっくり全体を引き継ぐ「ひつぎのみこ(日継ぎの御子)」であって、イエスだけ、ブッダだけ、マホメットだけが、神の「ひとりご」であるというわけではない。それぞれの「ひと」が残らず、神の「ひとりご(日執り子)」なのである。

(4)故に、すべての「ひと」が、「ひのもと(日の根源)」で、例外なく「ひとしく(日等しく)」尊ばれ、大切にされなければならない。

(5)「ひと」のいのちは本来「ひとつ(一体、日統集)」であり、「ひと」は本来「ひとり(日統理)」しかいない。

(6)すべての「ひと」は、太陽神霊(ひ)から放たれる「ひかり(日輝理)」の「ひとすじ」、「ひとすじ」の「ひえだのあれ(日枝の現れ)」であって、それぞれが、その「ひと」にしか果たせない役割・使命を「ひきうけて(日来受けて)」いるのだ。


583 2022.02.07

思いをこめて掃除すれば やがていのちが宿り、神となる

トイレに神さまがいるのではなく トイレが神さまとなるのだ 

トイレを神さまにするのだ

そんなトイレなら そこに入るだけで 人は癒やされ、元気になる


578 2022.02.02~582 2022.02.06 

中学校のPTAの依頼で、保護者対象にお話しした内容。テーマは「子育て」。

① 子育て、教育のポイントは、「子供が安心できる場」を作ってあげることですよ。そうすれば、その子が本来の能力を伸び伸び発揮出来るようになるのです。

② 「理想の息子、娘像」を描いて、その理想像と現実の我が子を比べて、理想像から現実の姿を「引き算」して、イライラ、ガミガミ、ブツブツしていてはいけませんよ。そんなことをすれば、子供の劣等感を膨らませて、人生をダメにしてしまいます。

③ どんな人も、性格や能力に、その人特有のクセや限界をもっていますけれど(だから人生は面白いのです。完璧な人なんて気持ち悪いです)、そのまんまで、人に上下、優劣なんてないのですよ。

そのままでOKで、自分は、人より劣った「道具(才能や性質のクセ)」の持ち主かも知れないけれど、その「道具」を嫌って、新しい「道具」を捜し求めるのではなく、今、

手にしている「道具」を大切にして、それを精一杯使いこなしたらいいんですよ。

子供さんは、「自分が持っている道具で、精一杯全力で勝負出来る人間」に育てて下さい。

④ 中学生になると、親のダメなところを誇張して見るようになります。  

それは、そろそろ親から独立して進んでいかねばならない時期にさしかかったのですが、親を「悪者」にしなければ、あったかい家庭(親)の引力を振り切って飛びだす勇気がわかないからです。

子供と衝突する場面も増えてきますが、子供の成長段階がそういう時期に差し掛かったからなんだ、いつまでもそうではないんだという「見通し」をもって、決して絶望しないようにしましょう。

⑤ 子供は自分の所有物ではなく、神さまからの授かりもの、預かりものなんですよ。

ですから、親の思い通りに育つはずがありません。子供には裏切られるものだと覚悟していましょう。

しかし、子供が挫折したら、その時は、私たちがしっかり子供を護ってやろうという決心・覚悟だけはしておきましょう。


577 2022.02.01 

どのようなあなたの「思い」も、遺伝的自分、過去の運命軌道の自分から出てきた産物なのですから、そんな「思い」を断ち切って(思い切って)、「裸の身ひとつ」で跳びこんでゆかねば、「本当の自分(神的自分)」を表に出して、生き生き自由に、堂々と、人生道を歩んでゆくことはできないのです。


576 2022.01.31

時々、大地に帰ろう。裸足(はだし)で歩いて、大地と対話してみよう。

横になって、大地のぬくもりに身を委ねよう。

許すということ、許されるということの、ありがたさを、しみじみ味わってみよう。


575 2022.01.30 

どんなにがんばり屋さんで、頭がよくても、自分が嫌いなら、しあわせになれません。

どんなにアカンタレで、頭が悪くても、自分が大好きな人は、きっとしあわせになれます


574 2022.01.29 

個人の疑問や悩みを解決するために学んでいるのではなく、その疑問や悩みは、実は、

人類全体の「疑問」、「悩み」でもあって、私は人類を代表して、この「疑問」を持ち、この「悩み」を抱えているのだということを忘れないようにしましょう

(「維摩経」の「衆生病む故に我病む」ですね)。


573 2022.01.28 

<決意の祈り>

もう私は、自分一人のしあわせのために生きることはやめます。

私はこれから人類の魂の進化向上のために生きることにします。

そのために、私はどんな役割を果たせるのか、私には分かりません。

どんな役割でも精一杯果たさせていただきます。

私にふさわしい役割をお授けください。


572 2022.01.27 

「尽十方界(じんじゅっぽうかい)、沙門(しゃもん)の家常語(かじょうご)」という禅語があります。その意味は「君の日常のコトバ(家常語)は、実は宇宙いっぱいのもの(尽十方界)なんだよ」です。

つまり、「おはよう、元気!」というような、日常の当たり前の挨拶言葉であっても、その響き次第で、自らを解放し、声かけした相手の人を閉じ込めていた『岩戸』を押し開くことだって出来るのです。  

禅の目指すところは、そんな人物となることです。

つまり、ちっとも宗教ぽくなくて、ごく普通の、当たり前の生活を送りながら、なぜか縁ある人々や動物を安心させ、お互いのいのちを解放してゆくのです。


571 2022.01.26 

人を叱責(しっせき)するとき すっかり追いつめてはいけません

逃げ道をちゃんと残しておいてあげること

「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む(かむ)」ということもあります


570 2022.01.25

人が持つ「道具」をうらやむより 自分が持っている「道具」を大切にして

ていねいに手入れし 使いこなす工夫をして

その「道具」の性能を最大限に発揮できるよう 努めることが大切なんだ


569 2022.01.24 

つらい過去から決別し、運命を好転させたければ、激しい風に身をさらしなさい。

これを「風のミソギ(身削ぎ)」といいます。


568 2022.01.23

手を挙げようと思えば、手が挙がる。手が身の内だからだ。

世界全体を身内だと実感できる人ならば、こうしたいと思えばその通り実現するだろう。

世界中の人やモノが、手足となってはたらいてくれるからだ。


567 2022.01.22

人生にも四季があり、もちろん、冬の時もある。冬がなければ成長はない。

冬の時は、「そういう時もある」と素直に受け入れて、できることからやってゆけばいい。


566 2022.01.21

過去にかたむく心には、後悔や憂鬱(ゆううつ)が発生する。

未来にかたむく心には、不安や怖れが発生する。

「今とココ」にいのちの重心がおさまれば、人はしあわせのなるようにできている。


565 2022.01.20 

一番大切なことは、光をさがし求めることではなく、自分が『光』であったと知ること。

自分が光源で世界を時空のスクリーンに、投影しつつあるんだと知ること。


564 2022.01.19 

いくら悩んでもいいけれど、最後は覚悟を決めねばなりません。

最悪、死ねばいいだけのことなんでしょう。

だから、思い切って、エイッと跳びこんでゆけばいいのです。

そうしたら、なぜか最高の自分が現れてはたらき出すのです。