今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月24日の記事を紹介します。
「徳を積む意味」
このブログでも何度も角度を変えて、徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。
そして宇宙の法則である、与えたものが、受け取るもの
というお話をしていますが、
今日は、浜松医科大学名誉教授の高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、
私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。
運がよくなり、評判がよくなるのです。
これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。
私も他人の悪口をいったことがあります。
不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。
まるで一周回ったかのようです。
そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。
その人と私の関係が悪くなったのです。
それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。
このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、
最終的にはすべて自分に還ってくるのです。
偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、
などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。
一方、その大変なことは別の人には起こっているのです。
だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。
じつはこれは、私たちがなした徳の結果が、このように表れたのだと思っています。
何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、
万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。
もちろん後者でしょう。
このように考えると、自分が他人にしたことが、
他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、
徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が起きない方が、
はるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。
ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。
恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。
もっと重要なことで、幸運に恵まれた方が
どのくらいよいかわかりません。
何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、
それが自分の幸せになると考えるべきです。
<引用終了>
投げかけたものが返ってくる。
投げかけないものは返ってこない。
愛すれば 愛される。
愛さなければ 愛されない。
嫌えば 嫌われる。
嫌わなければ 嫌われない。
裁くものは裁かれる。
裁かないものは 裁かれない。
意地悪をすれば、意地悪をされ、
蔑(さげす)めば、蔑まされ、
罵(ののし)れば、ののしられ、
強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される。
許すものは 許される。
許さないものは 許されない。
施せば 施される。
優しくすれば 優しくされる
笑顔を向ければ、笑顔が帰る。
助ければ、助けられる。
励ませば、励まされる。
勇気を与えれば、勇気づけられる。
感謝すれば、感謝される。
誰かに何かして欲しいことはありますか?
・優しい言葉をかけて欲しいですか?
それなら誰かに優しい言葉をかけてください
・笑顔を見せて欲しいですか?
それなら誰かに笑顔を見せてください
イエスの語った言葉で一番大切な言葉。
「イエスの黄金律」と言うものがあります。
そこにはこう書かれています。
「自分がしてもらいたいことを、
他の人にも、同じようにして あげなさい。」
これは何も独りよがりの善意の押しつけをしなさいと、言っているのではありません。
自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、想像力を働かせて察しなさい。
そして、その通りにしてあげなさい。
そう、仰っているのです。
この中で、何か、ご自分でもできそうなことがありましたか?
ただ、自分がして欲しいことを、周りの人にして差し上げるだけなんです。
自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。
巡り巡って、必ず自分に帰ってくるようになっていますから。
投げかけたものが返ってくる
投げかけないものは返ってこない。