2022年5月31日火曜日

2714「全てに宿る魂」2022.5.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月24日の記事を紹介します。


全てに宿る魂」


本日、山陽地方の方からご寄付を頂きました。

世の中のために使わせていただきます。ありがとうございました。


さて私達 宇宙に住む者は全て大本の神様から魂を分けていただき 

それぞれ別個の生命体として生きています。 

それぞれの宇宙、それぞれの銀河などによって

価値観は様々変わるようですが、変わらない真実もあります。 

それは、私たち生命体の目的は、魂を磨き、霊性を開発し、

もともとの神様と一体化(ヨーガ=合一)するということです。

魂を磨くとは、

・心を磨き洗うこと(恨みや、憎しみ、人を陥れようとする悪しき心を洗うこと)

・何か不思議な力や、力ある人に頼るのではなく、自分自身の足でしっかりと、置かれた場所に立つこと

・お互い様、おかげ様の真理(縁起の法則)に気づき、周りに優しく、感謝の気持ちで生きること 

それでは、今日も真の幸せを手にしていただくために、神々により近づけるように、

心(霊性)のお話をしたいと思います。

今日は「すべての物には魂が宿っている」ということで、

小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 


お金にかぎらず、人間をはじめ、動物、植物から鉱物にいたるまで、

あらゆる物に当てはまる宇宙の法則があります。

それは次のようなこと。

すべての存在は、感謝して大切にされると、その人を応援してくれる。

なぜなら、すべての物には魂が宿っているからです。

毎日使っているコップには、水や飲み物を入れて飲んでもらうという機能があります。

機能とは、誰かの役に立つということ。

落としたりしてこわれないかぎり、コップには飲み物を入れるという機能があります。

電車も自動車も、動いて人を乗せることができるかぎり、 機能を果たしている。

生きているのです。

壊れて動かなくなったら、人の役に立たなくなったので、死んだということになります。

そしてその魂たちはみんな、他の人たちの役に立ちたいと願っています。

物は言葉をしゃべりませんし、手足もありませんが、

つねに誰かの役に立って、喜ばれたいと思っている。

だから、使っている人がその物に「ありがとう」という感謝の念を送り、大切に扱うと、

その物は喜んで、その感謝を返そうとします。

 


大切にしてくれた人を応援するように働いてくれるのです。

毎日使うコップに「愛してる、大好き、ありがとう」と言っていると、

その人を応援したと思うようです。

アメリカのメジャーリーグで活躍するイチロー選手は、

自分が使う道具を大事にすることで知られています。

グローブやスパイクの手入れは絶対に用具係の人にまかせずに、

必ず自分の手で丁寧に手入れをするそうです。

バットも地面に寝かせずにボールが当たる面を上にしておくなど、

道具を丁寧に扱うのです。

試合中、ヒットを打って塁に出るときも、けっしてバットを放り投げたりはしません。

ヘッドの部分を地面につけて、やさしくバットを地面に置いて走り出すのです。

以前、このようにバットを投げなかったのは、現役時代の王貞治選手でした。

この人もホームランを打ったときに、バットを静かに地面に倒してから塁に出ていた。

以来、30年ぶりにバットを放り投げない選手として球界に現れたのが、

イチロー選手だったのです。

それに対して、ヒットを打つと

乱暴に地面にバットをたたきつけて走り出す選手がいます。

外国人選手などで三振に打ち取られると、

はらいせにバットを折ってしまう人などもいますし、

ピッチャーでも打たれたときに

グローブを地面にたたきつける投手をしばしば見かけます。

見ていると、こうした選手で大成した人はいません。

一時期はよい成績をあげて話題になることはありますが、長く続けることはできません。

どうやら、長く活躍しつづける選手とそうでない選手の差は、

野球の神さまに応援されるかどうからしい。

イチロー選手はおそらくそのことがよくわかっているのでしょう。

<転載終了>


人間をはじめ、動物、植物から鉱物にいたるまで、あらゆる物に魂が宿っている。

つまり神様が、全宇宙に浸透しているということです。

ですから、私たちが、それらの者(物)に、

感謝の気持ちや「ありがとう」という言葉をかけると、

喜んで、その感謝を返そうとするのだそうです。

 

同じ神様が、その相手や、物にも宿っているのですから、同調・共鳴するわけです。

人に対して、誠意をもって感謝の気持ちを伝えれば、

相手は喜んで、その後は大切な味方になってくれます。

たとえ相手が、悪意や憎悪、意地悪な気持ちで接してきても、

私たちが、相手と同じ波長で「不平、不満、悪口、愚痴」で返さずに、

感謝の気持ちを伝えたら、

必ず相手の中の魂(神様)の部分が共鳴しますから、味方に変わってしまいます。

これは、人間だけでなく、植物や動物でも同じです。

「愛してる、大好き、ありがとう」と愛の心で接すれば、

必ず、私たちの味方をしてくれます。

車やパソコンでも同じです。

車に乗る時に、「いつもありがとう、今日も無事に目的地に届けてね」

って感謝を伝えておけば、きっと事故も起きないでしょう。

私の仕事は、ソフトウェアを作る仕事ですが、

どうしても作っていてうまく動かない時があります。

そんな時は、パソコンを通じ、プログラムにお願いします。

「いつもありがとう、うまく動いてね」って

そうすると、専門用語では「バグ」っていうのですが、

それが、いつの間にか解決してしまいます。

論理だけのプログラムの世界でさえ、こうです。

ちょっと、話が脇道に行ってしまいました。

この正観さんが教えてくれた宇宙の法則を、日常生活で生かすとしたら・・

・何時も自分のことを目の敵のようにイジワルしてくる人

・怖い上司

・いつも怒ってくる人

つまり「私が嫌いな人」や、「私のことを嫌いな人」に対して、

「ありがとうございます」や「感謝しています」などの言葉を使っていると・・

いえ、直接言葉をかけなくともよいです。

心の中で、お顔を思い浮かべていえ、直接言葉をかけなくともよいです。

心の中で、お顔を思い浮かべて「ありがとう」と言霊を唱えていると

私たちの意識は、つながっていますから、相手にその感謝の波動が伝わります。

その結果、

「不要になったエネルギーが解放(消滅)されて、愛のエネルギーで置き換わった」状態となります。

 

また、病気や経済的な状態、子供や配偶者の問題なども同じです。

私たちには、不必要なことは起こりません。

神様はサイコロを振りませんから、偶然で発生する出来事は一つもありません。

ですから、これらのことも、「問題」として捉えるのではなく、 

私たちの魂を磨くために、神様が用意して下さったもの。。 

そう考え方を入れ替えるだけで、

「ありがとうございます」や

「感謝しています」という言葉を使うことができるかもしれません。

最初は、この言葉を出すのが苦しいかもしれません。

ですが、最初の苦しさだけ、そこだけを乗り越えてみてください。

必ず、自然を含め宇宙が味方をしてくれるようになりますから。

サポートオブネーチャーを実感することができますから。




2022年5月30日月曜日

2713「神々が望むもの」2022.5.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月23日の記事を紹介します。


「神々が望むもの」


私たちは、肉体が自分自身だと思っていますが、

同時に本体である魂は、多次元に住んでいます。

多次元とは、肉体の無い世界、物質世界を包括している

非物質の世界(黄泉の国)でも、同時に存在しているということです。

就寝してしまえば、意識は肉体の縛りから離れ

非物質の世界にフォーカスを移すことができますから、 

黄泉の国と言うよりも、非物質世界を自由に行き来しています。 

目覚めると、再び物質次元にフォーカスされますから、その時の記憶はありません。 

記憶とは、ステート・スペシフィック・メモリー。

つまり「状態特有の記憶」だからです。(心身が同じ状態の時に思い出される記憶) 

私たちは、どの次元に意識をフォーカスさせるかによって、繋がる次元が異なります。 

高い波動(意識)状態であれば、神々の世界に繋がるでしょう。


また意識の状態によっては、僧、源信の『往生要集(おうじょうようしゅう)』の描いたような地獄霊たちの世界や、修羅の世界に繋がることでしょう。 

・人を憎んだり、恨んだり

・嫉妬したり

・悪口、告げ口、揚げ足をとったり 

そのような心でいては、生きていても死後も、心と同じ世界に繋がることでしょう。

私たち人間は生きている間は、見えない世界はわからないために、

自分と繋がっている世界が、唯一で、かつ真実なものとみなしてしまいます。

ですが、一人一人の波動が異なるように、繋がる世界も千差万別です。 

私たちが繋がる世界、つまり私たちの波動を決めるのは、私たちの心の状態です。

心を澄ませ、日本固有の素晴らしい文化、DNAに刻み込まれた性質である、共生と感謝の心を取り戻せれば、きっと、高い波動領域にフォ-カスすることができることでしょう。

  

この美しい日本の文化を作り上げるために、神々は何億年もの歳月をかけました。

最初のビッグバンから数えれば150億年かかりました。

私たち日本人は、生まれながらにして

縄文の先祖たちから受け継いだ、この素晴らしきものを持っています。 

ブッダが2,500年前に悟った時、一番最初に気づいた宇宙の法則は、縁起の法則であったそうです。

この縁起の法則こそ、私たち日本人が

縄文の昔から、既に持っていた心(共生と感謝の心)なのでした。

宇宙にちらばる生命体は、地球にあこがれ、転生を望みます。 

地球転生が約束された魂は、日本への転生を熱望します。 

まさに、日本人のDNAの奥底に、この神々に直結する美しい心があるからです。 

私たちは、何度も何度も転生を繰り返し、外国に生まれもし、

そして今はこの日本に生まれました。 

ですので私たちだけが偉いわけではありません。

   

私たち日本人は、ずっと何万年もみんなで仲良く、助け合い生きてきました。 

共生してきたのは、 

・人間同士だけではなく

・自然

・黄泉の国に帰った人

・そして神々でした 

こんな民族が地球上にいるでしょうか? 

3万年前の氷河期、この時今よりは海面は100mの下にありました。

このため、日本は大陸と陸続き、色んな民族が混ざり合いました。 

そして、2万年前、地球の温暖化が始まると

氷が解け、海面が100mも上昇し、日本は大陸から分断されました。 

その結果、島国となり、大陸で頻繁に起こった侵略戦争などは無縁のものとなりました。

平和な時代が1万年以上続きました。 

また、日本は4つのプレートが交わる地域にあります。

(神々が、世界の中に日本と言う文化を作り上げるために、あえてそうしたからです)

・北米プレート

・ユーラシアプレート

・太平洋プレート

・フィリピン海プレート 

そのため、その沈み込む圧力で沢山の山脈ができました。

  

その結果、川が出来、清浄な水が豊富な国になりました。 

また緯度の関係で、日本には美しい四季が生まれました。 

自然の緑の美しさ 秋の虫の音色 私たち日本人は、これらを愛でる心が生まれました。

外国には無い物です。(単なる雑音に聞こえるそうです)

(自然や動物は、共生ではなく、支配するものとされました)

  

まさに、多くの転生の中で、日本人に生まれることは

当たり前ではなく、有り得ないほど、ありがたいことです。 

今、ここ日本に誕生させていただいたことに感謝いたします。 

そんな神々に、私たち人間が恩返しできることはないでしょうか? 

神々は、何を喜ばれるでしょうか? 

・お酒でしょうか?

・卵でしょうか?

・お金でしょうか?

それは、私たちの自分自身の波長によって、繋がる神さまも様々ですから様々あるかもしれません。

ですが、神々の中の神様、大神様はどうでしょうか?

地球創世の神、国常立大神は何に喜ばれるでしょうか?

きっと神さまが望むことは、私たち人間たちが 

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで 

仲良く笑顔で暮らしていく、そんなことではないかと思うのです。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。

そして、その心こそが、神々のエネルギーの源泉であり、

神さまと人間たちが、共に幸せになる道だと思うのです。 

・神さまから一方的に何かを頂いたり、

・不思議な現象を見せて頂き、好奇心を満たしたり、

・それを自慢し、人に羨ましがられたり、尊敬されたいと言う欲を満たしたり

・私は神さまと繋がっている特別な人と、周りの人を支配しようとしたり 

神さまは決して、そのようなことを良しとなさる方とは思えないのです。

神社に行くと必ず、神殿の中に鏡が置いてあります。

鏡は、私たち自身の ありのままの姿を映し出すものです。

神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。 

神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、 

その人の自分の中にある神さま 

つまり、自分の本質、本当の姿を思い出し、自覚する場所でもあるからです。 

鏡に映るのは、自分の中に居らっしゃる神さまの姿です。 

この鏡の前に座り、敬虔な気持ちで手を合わせ、祈る時、神さまと私たちは繋がります。

そして、神さまの前に素直になった心そのもので、

自分の周りに居てくれた人たち、家族、友人、同僚、そんな人たちに

感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、

神々は喜び、今度はそこで、その場において、 

私たちと神々のエネルギー交換がなされることでしょう。

  

その時、私たちはきっと気付くはずです。  

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も 

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も 

みんな、みんな大切な人だったと。

かけがえのない人だったと。 

溢れる感謝の気持ちと共に。

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには、人間の心の中に、神さまがいらっしゃるからです。 

その心のことを 神さまと呼びます。 

あなたの繋がる世界は、どんな世界ですか?

今のあなたの心は、どんな色をしていますか?



2022年5月29日日曜日

2712「希林さんのできた訳」2022.5.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月21日の記事を紹介します。


「希林さんのできた訳」


樹木希林さんは、若いころから内田裕也さんと共に

法華経の「希心会」と言う会に属していたそうです。 

大変良心的な会で、一世帯の月会費が、たったの100円。

希林さんは、旧芸名は悠木千帆でしたが、

その名前をオークションに出品し、 

新しい名前、希林の名は希心会の一字を受けたのだそうです。 

日本では、敗戦後、占領軍の指導のもと、日本人の精神的支柱を破壊するために、

宗教的なものは、全て否定され、忌み嫌うものとされて来ましたが、 

そんなことは決してなく、もし悪いところがあるとすれば、

それは 

・お金儲け、

・全面依存させ、精神の自立をさせない(一生の金づるにするため)

・他の考えを認めず、攻撃する 

などに陥れば、非難されてしかるべきですが、 

古くから日本に根付いていた信仰の心は決して悪いものではないと思います。

世界の常識では、誰でも、信仰する教え・考えを持ち、 

多くの日本人のように「私は無宗教です」などと言えば、人格を疑われるほどです。 

さて、希林さんですが、

若いころからブッダの教え「法華経」を信じていたからだけでなく、 

その素晴らしい考え方、生きる覚悟は、どうも、ガンを患ってから身に付いたようです。

次にインタビューの記事をご紹介します。 

10代、20代の不登校・ひきこもり当事者とともに、

樹木さんに3時間のインタビューをした

『不登校新聞』の編集長・石井志昂さんが追悼の思いを込めてつづっています。

<引用開始> 引用元


石井:私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、夫・内田裕也さんについて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話していたからなんです。 

これは不登校にも通じる話だな、と。


樹木:あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。

お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。 

でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。 

お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、

 ある日、ブッダは「ダイバダッタは、自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。

ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。

人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら

成熟していくためなんじゃないでしょうか。

今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、

私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。 

もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。

ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、 

そういう難の多い人生を卑屈になるのではなく、受けとめ方を変える。 

自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を、師として先生として受けとめる。

受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。


石井:そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?


樹木:やっぱりがんになったのは大きかった気がします。 

ただ、この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。

腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。 

でもね、それでいいの。 

こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。

若くても不自由なことはたくさんあると思います。

(=自分の自由にならないことは沢山ある) 

それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。 

でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、 

不自由なまま、おもしろがっていく。 

それが大事なんじゃないかと思うんです。 

 

<引用終了>


全身、ガンに侵され 、そうなったら誰でも、自分のいのちと向き合うしかありません。 

そんなことでもない限り、私たちは、自分は何のために生まれて来たのか? 

考えないかもしれません。 

希林さんは、内田裕也さんという、ダイバダッタに出会い苦労し、 

ガンというダイバダッタに出会い、人生を深く味わい、

そうして、人生の奥深さ、醍醐味を身につけたのかもしれませんね。

  

私たちの人生で出会う、一見不幸な出来事

・事故

・病気

・別れ

・貧困

・死 

それさえも、私たちの人生を輝かせてくれる舞台装置に過ぎません。 

悩み苦しみ、呪いの言葉で、相対するのではなく、感謝の心で、望みたいものですね。

そうしてこそ、このような不幸に見える出来事も

私たちの魂にとって意味のある出来事に変化します。 

ちなみに、提婆達多(ダイバダッタ)は生きながらにして地獄に堕ちた悪人の代表とされていましたが、経典の提婆達多品において、提婆達多こそ実はブッダの前世において師であったと明かされ、未来において、その成仏(仏・悟りを開くこと)を保証されています。

樹木希林さんにとっての、内田裕也さん。

皆さんにも、そんな

・自分の思い通りにならない

・目に障る

・言うことを聞かない

・自分の理想とはかけ離れた言動をする

・自分の思う「普通」や「当たり前」とは違う

のようなご家族はいらっしゃいますか?

それとも、同僚や友人に、そのような方はいらっしゃいますか?

そのような人こそ、ブッダの弟子だったダイバダッタのような人かもしれません。

・とっても嫌な人、

・顔も見たくない人

・会えば文句を言いたくなる人

・憂鬱になる人

・苦しみの種

かもしれません。

ですが、その人が居てくれるからこそ、悩み苦しみ、悲しみを味わうことになりますが、

ご自分の魂を揺さぶり、深く熟考を促し、魂の深みを味あわせてくださっているのでは、ありませんか?

 

その人が存在するからこそ、

・生まれて来た目的

・生きる目的

・神様のこと

を深く考えるようになったのではありませんか?

まさにダイバダッタです。

ブッダは、この時悟ります。

この人は実は有難い存在だったのだと。

そう思えた時、魂の闇は明け、光が差し込み、

悩みは悩みでなくなり、苦しみも、苦しみではなくなり、 

感謝の中に幸福な人生を歩めるのではないでしょうか。

この時、確実に、神々の大きな恩寵が動き出すことでしょう。

 


2022年5月28日土曜日

2711「仏心を見る」2022.5.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月20日の記事を紹介します。


「仏心を見る」


今日も大切な心のお話。大愚(たいぐ)についてです。 

心の世界のお話は、

奇跡や、目に見えない不思議な世界のことではないので地味ですが、大切なことです。 

大愚と言えば、西郷隆盛なども大愚と言われていました。 

人間の器が大きすぎて、些細なことにこだわる凡人から見たら、愚か者に見えたのです。

私たちどなたの心の中にも神さまがいらっしゃいます。

私にも、あなたにも、夫にも、子供にも・・ 

そして相手の心の内に神様(良き心)だけを見ることができれば、 

まさに今生きている、この世界において、全てが調和し、全てが幸せで、 

みんなが笑って暮らせる平和な世の中に変わることでしょう。

そして生きながら、天国に住めるでしょう。。

また、私たちの心の中には神さまがいらっしゃると同時に、悪魔のような心も存在ます。

それを 

・仏心、

・鬼心 

と呼びます。

これはどんなに素晴らしく見える人でもそうですから、人を一面だけ観て判断することはできません。

 

自分で勝手に相手を理想化しておき、崇めたてまつっていた人の一瞬の鬼心を見た途端、

今までと正反対の、好きだった時と同じ強力なパワーで 

・憎しみの心、

・嫌悪の心が

芽生えることもあります。 

表裏一体なのです。

さて、以前記事に書いたのですが、

良寛さんのお話に良い例がありますのでご紹介します。

<引用開始>


越後国(えちごのくに)(いまの新潟県)で生まれた良寛さんというお坊さんがいました。

生涯貧しい暮らしをしていましたが、 

その言葉は常に人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。

だから、多くの人に慕われています。

そんななか、良寛さんを妬んでいた人がいました。 

村一番の嫌われ者だった渡し船の船頭で、大酒飲みの乱暴者。

  

船頭は

「いつの日か良寛が自分の船に一人で乗ってきたら落としてやろう」と 

考えていました。 

幸か不幸か、その日はすぐにやってきました。

そして、川の半ばまで船を出し、ゆらゆら揺らして良寛さんを船から落としてしまいます。

良寛さんは泳げません。 

だから、おぼれかけて死にそうになる。 

船頭も殺すつもりはありませんから、 

「もう、これくらいで勘弁してやるか」と良寛さんを引っ張り上げる。

すると、良寛さんはこう言いました。

「あなたは命の恩人だ。助けてくださってありがとう。このご恩は一生忘れません」

良寛さんだって船頭が船を揺らしたのはわかっていたでしょう。 

村の評判だって聞いていたはず。 

なのに彼は助けてもらったお礼の言葉しか口にしませんでした。

そして船頭は、その良寛さんの人を信じる気持ち。 

こんな自分でも信じて感謝してくれる気持に心が震え、

 その後、真人間になることを決意しました。

「太陽」のように争うことなく問題を解決する。

それが良寛さんの相手の心に神さま(仏心)を見る「実践」でした。

<引用終了>


良寛さんの言葉はつねに人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。

だから、多くの人に慕われていたのだそうです。

そして、上の逸話では、良寛さんは相手の悪意を知ってはいても、

それを攻め立てたりはしませんでした。

相手の鬼心を見ようとせず、仏心、神さまの心にだけ

スポットライトを当てて見ていたのでした。

 

良寛さんの住まいだった 五合庵

だから「あなたは命の恩人だ。助けてくださってありがとう。 

このご恩は一生忘れません」という言葉が出たのですね。

その結果、悪意を持っていた船頭の心の良き部分に光が当たり、活性化され、 

船頭は真人間になることを決意することが出来たのです。

船頭の外見の行動は、人を船から落とすという乱暴なものでしたが、 

良寛さんは相手の内に神様を見て、そこに意識を移し(フォーカスし)、

活性化させたのでした。

これは私たちの意識の科学です。

私たちが何か意識するだけで、そこにエネルギーが流れ込みます。

(私たちは本来、神さまと同じ力を持っていますから、神さまと同じことが起こるのです。)

 

例えば、人の悪いところが気になり意識していると、本当は小さな小さなことなのに、 

過大に悪しきことが評価され、自分にはその悪い面しか見えなくなります。

相手も、そう思われていることに無意識に気付いていますから、 

自分のことを「悪」と観ている人の前では、 

「悪」、もしくはさらにパワーをもらい、「極悪」としてふるまってしまうのです。 

その極悪人と言う役目を、私たちの無意識から受け取ったからです。

ですから、悪しきことには意識を向けないことが大切なのです。

これを「悪」ではなく、どこか良いところを探し、相手の「良き心」を意識すれば、 

これと逆の現象が起こり、

その人は、天使のような慈悲の人となることでしょう。

ですから、私たちが、どの部分に意識を向けているか?

それはとても大切なことなのです。

相手を一瞬で変えてしまうからです。

・自分に乱暴を働く者、

・悪口を言う者、

・敵対心を抱く者、

・嫉妬している者、

・ねたんでいる者、 

そんな人たちの内側の神様を見ることは難しいことかもしれません。

ですが、そのような人たちも家に帰れば、もしかしたら

・子供たちにとったら良い親かもしれません

・病気のご両親の世話をしている良き子供かもしれません

・旦那さまを愛する良き妻かもしれません

・子供を守ろうと、少し意識が過剰になったのかもしれません。

・出がけに旦那さまとケンカしてイライラしていたのかもしれません

・昔自分が失敗したのと同じような失敗を私たちがしたため、トラウマがよみがえったのかもしれません。

 

・子供のころ親に虐待されていたのかもしれません。

・つい最近リストラされたのかもしれません

・最近、大きな病気が見つかり不安心が心を覆っていたのかもしれません。

つまり、これらのことは相手の心の中の問題であり、私たちには全く関係のないことです。

私たちが相手の状態(相手の喜怒哀楽)により、右往左往される必要はありません。

それが今、相手に起きているのは、私たちとは全く関係ない理由で起こっているからです。

私たちができることは、私たちの心をいつも穏やかにしておくこと、

感謝の気持ちで満たしておくこと。

自分のことを「良き人」と見てくれる人に対し、自分のことを信頼してくれる人に対し、

自分に感謝してくれる人に対し、

どのような極悪人であろうと、善人にしかなれなくなるのです。

ですから、相手の内に神さまを見ること、仏心だけを見ること、と言うことは非常に重要で、自分も相手も、慈悲の人に変えてしまうほどのパワーがあるのです。

その後の私たちの生きる世界を天国に変えてしまいます。

 

私たちは、理不尽な相手の言葉や態度に怒るのではなく、

まずは、相手の内にも神様(仏心)がいらっしゃると信じてみて、 

それで相手の中に何か良いところ(仏心)を見つけようとしてみる 

それは、とても大切なことかもしれませんね。

そしてもう一つ大切なこと。 

誰かの悪口を、こそこそ隠れて、他の誰かに告げ口することは、 

自らが仏心を見ずして、鬼心しか見ていないということと、 

更に、善意の誰か(告げ口した相手)に疑心暗鬼の毒、 

鬼心をクローズアップさせるという罪に繋がります。 

自分が見ている鬼心を、善意の誰かに押し付ける行為です。 

これは神さまの心とは程遠いものです。 

美しい心は、住む世界さえ美しいものに変えてしまいます。 

どんな時も、相手の内に仏心を見つけ、感謝の心で、人とのお付き合いをしたいものですね。

 

最後、良寛さんに戻ります。 

相手の悪い面(鬼心)を見ても 「気にしない」 

更に進んで「気にならない」 更に進化の進んだ人は、「気づかない」 

つまり、自分の意識にすら上りません。 

大愚であった良寛さんは、きっとこの境地まで達していたかもしれません。 

心がピュアで、子供のままの心、人を疑うことを知らない心、純真な瞳、

周りにそんな人はいませんか? 

きっと見つかると思います。

見た目は愚か者に見えるかもしれませんが、もっとも神に近い存在です。


2022年5月27日金曜日

2710「味方を増やす感謝の心」2022.5.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月19日の記事を紹介します。


味方を増やす感謝の心」

今日は、小林正観さんの不思議話を書きたいと思います。

眉に唾をつけてお読みください。 

<引用開始> 引用元

 

すべてに感謝。

魂のあるすべてのものに感謝。

大事な役割を果たしている水。

あって当たり前になってしまっている。

水のありがたさを力説しながら私たちの魂の変遷の話へ。

魂が一番最初に入るのが鉱物。

演台のペットボトルを指して

この魂は 喜ばれる存在になりたいという方向性を神さまから与えられているので、

水分を貯められる容器というものに入っているわけ。

機能がある状態を 生きている状態。

無くなったら死の状態。

そんな鉱物に入る魂を10万回経験する。

次に経験するのは

植物10万回。植物の99.9%は生涯人間の目に触れません。

原生林の中で生まれ枯れていくのがほとんど。

9万回超えてくると人間に近づきます。



人間の目に触れること自体がものすごくラッキー。

50年盆栽をやってきたプロ。

植物について分かったこと3つ。 

・人間が近寄ってくると、どきどきするらしい。

・人間に声をかけられるとすごく嬉しいらしい。

・人間に褒められると、この人のために命投げ出してもいいと思う。

褒めてあげると味方になるらしい。

植物は大地とつながっているので、なんと天候までも味方にすることができる。

植物を味方につけておくだけでも 味方はいっぱいになる。

  

植物の中で一番人間の感情や心を理解できるのは サボテンです。

サボテンに 愛してる 大好き ありがとう って声をかけてあげると

半年くらいたつと とげを落としてツンツルテンになってしまうか

とげはそのままだが痛くない。とげが産毛になってしまうかのどちらか。

これは正観さんも試したそうで

外的から身を守るためのとげは、言葉によって必要がなくなる、といいます。

10ヶ月たつと きれいな青紫の花を咲かせる。

何も声かけないと10年でも花咲かせない。

しかし、いい言葉をかけると 10ヶ月くらいで花を咲かせる。

月下美人
 

サボテンは植物生まれかわり10万回中9万9900回位。ほとんどは鉢植えなどで植えられ

人間の家族の一員となっています。人間に近い。

その10万回を卒業すると今度は動物に生まれる。

植物同様 99,99999%は人間の目に触れずに生きていく。

9万回を越えていくと 人間に近づいていく。

去年 小林家に捨て猫。野良猫が人間の目に触れて

家で飼われるという猫は、生まれ変わり9万9900回を超えている。

眼に触れるだけでもすごいが家族の一員になること事態すごいこと。

もう少しで動物卒業という段階にきている。

動物10万回過ぎて 今度は雲を10万回やります。

空に浮かぶ雲ひとつに魂が入っています。

動物時代の楽しいことを思い出したとき、その形になってしまうんです 曇って。

雲について大事なこと。

雲の形 悲しい雲ってひとつもありません。

悲しそうな動物の姿って見たことないでしょう。

空の雲が思い出すことは 全部楽しいことばかりなんです。

 

宇宙には悲しいという現象はないんです。

楽しかったというのが宇宙的なんです。

宇宙の構造は全部プラス思考なんです。

ウサギ イヌ イノシシ などなど全部楽しんでいる姿です。

それからいよいよ人間を10万回。

10万回過ぎると人間には生まれ変わりません。

神の最下級生の守護霊となります。姿かたちを持っていない。

その守護霊さんは、自分が宇宙の中で一番好きな

魂が入っている肉体を持った人に憑きます。

誰しも一体の守護霊さんが憑いてます。

この守護霊さん。

憑いてる ついてる ありがとう

を繰り返して感謝しているとすごい味方になってくれる。

すべての鉱物に私のために役に立ってくれて

ありがとうと感謝すると味方になってくれます。

これは神さまがつくった宇宙法則です。

植物動物は人間に対して癒しのために存在して近づいてきてくれるので、

あなたのおかげで癒されて穏やかで幸せです。

ありがとうと感謝するとすごい味方になってくれる。

植物 動物は生まれ変わって近くにいるかもしれないので、

特に感謝して大事にしたほうがよい。感謝したほうがよい。

空の雲も きれいな雲ありがとうと賞賛していると、空の雲も味方になってくれる。

そして 一番機能が高い 人間に対して感謝する。

宇宙法則には 感謝された人は 感謝した人の味方になる

という仕組みが作られているので

感謝によって味方を増やすことになる。

・鉱物の魂に感謝

・植物の魂に感謝

・動物の魂に感謝

・雲の魂に感謝 

・人間の魂に感謝

この五種類すべて感謝できる人は、おまけとおみやげがついてくる。

感謝でもれなく、神さま 仏さまがついてくる。

人間を100人200人を味方にするのもいいけれど

神さま 仏さまが味方につけるのが一番いい。

私の人生の実体験の結果です。

努力なしで すごいことが起きていきます。

すべての魂に感謝です。 

<引用終了>

 

このお話は不思議系のお話なので信じる信じないは、ご自由なのですが、 

ペットと暮らしている方々は、わかるかもしれませんが、 

この子達も、もう動物としての一番高いレベルまで魂が成熟し、 

もしかしたら次は人間に生まれてくるかも・・って思えたら、

なおさら愛おしさも増しますね(笑) 

彼らも、肉体は亡くなっても、魂は永遠ですから、進化の階段を上っています。 

人間の愛を注げば注ぐほど、進化は早まるといわれています。 

大切に愛深く、付き合っていきたいものですね。

人間も同じ、神様も同じ、魂を持つ者は、みんな同じ作りになっています。 

ですから、感謝され、愛を注がれれば、どんな方でも、途端に味方になってくれます。 

常に感謝の心を忘れないでいたいですね。 

みんなが幸せになる、第一歩ですから。


2022年5月26日木曜日

2709「母の願い」2022.5.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月18日の「母の願い」と2022年05月22日の「二億パーセント大丈夫」の2つの記事を紹介します


「母の願い」


今日は、小児がんで亡くなったお子様を持ったお母様の手記です。

お子さんを夭逝(ようせい)された親御さん

今まさに、親子関係で悩んでいる親御さんにお送りします。

<引用開始>

 

私は母親です。

出産後、まもなく子どもが小児がんだとわかり、入院生活が始まりました。

小児がんの中でも難しい症例で、

1歳の誕生日を迎える事は難しいだろうと言われました。

厳しい闘病生活も、何も知らない赤ちゃんって すごいです。

普通に笑って けろっとしてました。でも、すごく頑張ったけれど病気は治らず、

息子は、たった1年半で この世を去りました。

息子の最後の一ヶ月は痛みとの闘いでした。

わずか一才の息子に モルヒネを飲ませるなんて、、、

亡くなる直前、腫瘍は全身に転移して昏睡状態になりました。

動けない息子の体をなでて、大丈夫だよ、大好きだよって、

ばかみたいにそればっかり繰り返しました。

アンビューで自発呼吸が戻らなくなった頃、 

「お母さん、最期に抱っこしますか?」と聞かれました。

うなずき息子の体を抱き上げました。

お腹は腹水で ぱんぱんに膨れ上がり、腫瘍熱で体は40度を超すほど熱く

手足は氷のように冷たい、小さな体を抱いた。

よく頑張ったね、私をあなたのお母さんにしてくれて ありがとう

あなたが生まれてきてくれた事は、私の人生で一番の幸せだったよ

大変な事もいっぱいあったけど、ほんとに楽しかったよ。

助けてあげられなくてごめんね。 

偉かったね。ママの自慢のショウタ。

生まれてからたった1年半。そのほとんどが闘病でした。

髪の毛も、まゆげも、まつげもつるつるになるほど治療したのに、結局治せなかった。

あんなに苦しい思いをさせて ごめんね。

私があなたを産まなければ、あなたがこんなに苦しむ事は なかった。 

だけど、勝手でごめんね。きっと運命だったんだって思うんだ。

あなたに出会わない人生なんて絶対なかった。

私は本当に、本当に あなたの事が大好き。

あなたのママになれて、最高にハッピーです。

火葬の時、あなたの体を担いで逃げようと本気で思ったよ。

人の目ばっかり気にして生きてきたけど、誰に何て言われてもいいって、初めて思った。

だけどあなたの体を見て、あぁ、もうここには居ないって、すとんと何かがわかったの。

骨になったあなたと家に戻り、骨壺を開けて ひとかけら食べちゃった。

また一つになりたかったのかな。母親の愛情ってすごいです。

親って、子供が思うよりも未熟で、みっともないくらい勝手だから、 

子供の立場から見ると、腹が立つ事も多いと思う。

無事に生まれてくれればって思ってたのに、五体満足で生まれてしまえば 

今度はどんどん欲が出てくるんだよね。

だけど、子供を生んだ時、その子を初めて抱いた時のことを忘れる母親はいないと思う。

子供を置いて出てったとしても 認知症で記憶をなくしたとしても、きっと、いつか見た幸せな夢のようにずっと体に染み付いてる

どれだけその命が祝福されて生まれてきたか、

生きていてくれる事が どれだけありがたいか、

もし、ここをみてる あなたのお母さんが、そのことを伝え忘れているのなら、

私が代わりに言わせてもらいます。

生まれてきてくれて、ありがとうね。私をあなたのお母さんにしてくれて ありがとう。

かわいくてかわいくて仕方なかった。

あなたが笑ってくれたら、それだけで疲れなんてとんでったよ。

生きていてくれてありがとう。あなたは、私に対して後悔なんてする事ないんだよ。

なんにも心配しなくて大丈夫。幸せになる道を選んで生きてください。

あなたの幸せが、なにより私の幸せです。

<引用終了>


親より、早く亡くなることを「逆縁」と言います。

ですが、それにも目的があるのだそうです。

その死によって、親の進む道を変えること。強烈なショック療法ですね。

生まれる前に、お互いに約束して、この世に出て来るのだそうです。

縁あって結ばれた家族という絆、見た目や、一時の態度、そこだけに捕らわれることなく、内に秘めた本当の心の思い、魂 、生まれる前に交わした約束、

優しい気持ちで見守ってあげたいですね。

お互いが天国に帰った時、その深い深い意味に気づくことでしょう。

神さまの深い采配に感謝の気持ちが起こることでしょう。 

どうぞ、お子さんのために、日々、感謝の心でお過ごしください。

お子さんが先に亡くなったとしても、生きているお子さんが

お母さんの思うように育っていないとしても・・ 

子供たちはお母さんの笑顔が大好きなのですから。 

子供たちはお母さんに幸せになって欲しいのですから・・ 



「二億パーセント大丈夫」


今まさに、どんな逆境に置かれていようと、どんな辛い病気であろうと、貧困の淵にあろうと、そんなことはお構いなしに、周りの環境は、どんどん変化しています。

・悪く見える方向にも

・良く見える方向にも

一瞬たりとも、同じ状態であるものは、この世に存在しません。

その状態の変化、環境の変化

それらが何によって方向付けされるかといえば、全て、私たちの心です。 

あなたの心は、洗われていますか?

それとも、どす黒い憎しみに覆われていますか? 

今の心の状態に従って、少しづつ、運命は動いていきます。変化していきます。

  

中間世記憶、つまり生まれる前の記憶を持つ子供たちが、話してくれた通り、

私たちの今の人生を、魂のレベルから見た時、 

・どんな辛い環境の中であろうと

・病気であろうと、

・貧困の中にあろうと、

・孤独の中であろうと 

全ては、私たちが生まれる前に計画して来た通りの状態であり、 

そして、それは神さまの承認を得て、生まれて来たのだそうです。 

今日は、非常な逆境の中で生きる、一人の女性のお話です。

これも、やはり魂の醍醐味を味わうため。

魂の成長のための、あえて選んで生まれて来た苦難であると分かります。 

母を救った娘の言葉

・知的障碍のある長男の誕生、

・夫の死、

・そしてご自身の大病。

度重なる試練に見舞われ、悲しみのどん底に沈んだ岸田ひろ実さん。

今日は車いす生活になり、絶望を感じていた岸田さんを救った

娘さんの言葉をご紹介します。

<転載開始> 転載元


ある日、娘が車椅子を押して私を街に買い物に連れ出してくれたんです。

目的の店はすぐ目の前なのに、車椅子では遠回りしないと行けないというようなことが 

、いかに多いかを、この時の外出で初めて実感しました。

それともう一つは、人の目線ですね。

どこに行っても「うわぁ、かわいそう」といった目で見られてしまう……。

「車椅子で何とかなると言ったって、 何ともならないじゃない」

という感情がワッと込み上げて、

一所懸命に頑張ってきたものが音を立てて崩れるようでした。

それが本当に辛くて、レストランに入った時、 

「もう無理」と思って初めて娘の前で泣きました。

「こんな状態で生きていくなんて無理だし、母親として、してあげられることは何もない。お願いだから、私が死んでも許して」って。

――娘さんは何と?

「泣いているだろうな、死なないでって言われるんやろうな」

と思ってふと見たら、普通にパスタを食べていました。

そして

知ってる、知ってる。死にたいんやったらいいよ。一緒に死んであげてもいいよ

と言ったんです。 

続けて

でも、逆を考えて。もし私が車椅子になったら、ママは私のことが嫌いになる? 

面倒くさいと思う?

と聞きました。

「思わないよ」

それと一緒。旅行に行きたかったら行けばいいし、歩けないなら私が手伝ってあげる。 

二億パーセント大丈夫だから、私の言うことを信じて、もう少しだけ頑張ってみようか

と言ってくれたんです。

私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。

<転載終了>


逆境は真実への第一歩」と言われています。

自分が経験したことのない痛みや苦しみは、本当に理解してあげることはできません。

・親が離婚した子供の悲しみは、親の離婚を経験した人にしかわからない

・子供を亡くした親の悲しみは、子供を亡くした親にしかわからない

・多重債務や倒産、破産、一家離散の苦しみは、それを経験した人にしかわからない

・過ちを犯してしまった人の苦しみは、同じ過ちを犯してしまった人でないと、わかってあげることはできない

同じように

「その苦しみや悲しみから救ってもらった時の『人の情けのありがたさ』も、 

苦しみや悲しみから救ってもらった人にしかわからない」

子供でも大人でも、救いや指導を必要としているのは

今まさに、苦しみや悲しみを伴う逆境の中にいる人達。

 

逆境を突き抜けたところに、自分にしかできない 生きる道がある のかもしれません。

今まさに、自分は逆境の中にある

そう感じている方、

そんな人こそ

「同じような過ちや逆境の中で、

 同じような苦しみや悲しみを背負っている人たちに声をかけ、

 手を差し伸べる人」なのかもしれません。

そのために、天が試練を与えてくれてるのかもしれません。

その中にこそ、私たちが、この世界に生まれて来た目的があるのかもしれないですね。

もう一度、この試練を生きる糧に変えた母と娘の、本物の笑顔の写真を見てください。

もしかしたら、もしかしたら、 私たちの、その目の前の試練は、

とてつもなく大きな神様からのギフトなのかもしれません。


2022年5月25日水曜日

2708「死を選んでも良いですか?」2022.5.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月17日の記事を紹介します。


「死を選んでも良いですか?」


今日はショッキングな題名ですが、 小林正観さんの「投げかけ」とは・・からご紹介します。 

いま、自ら命を絶ちたいとお考えの方に向けたメッセージです。 

<転載開始> 転載元

 

それまで一度も会ったことのない人からこんな質問を受けることがありました。 

毎日が楽しくありません。

死んでしまいたいのですが、自殺してもかまわないでしょうか?

初めて会った方なので、その人がどういう人生を歩んできたのか、私はまったく知りません。その人の精神に関して私がとやかく述べる立場にはありませんし、そんな資格もありません。

そいういう質問をされたときの私の答えは必ず同じものでした。

「生死に関して私がとやかく述べる立場ではありませんが、一つだけ質問があります。 

あなたは今まで『投げかけ』をしてきましたか?」

その問いに返ってくる答えは、必ず決まっていました。

「『投げかけ』って何ですか」

周りの人に喜ばれるように自分が生きてきたならば、同じように周りの人が

自分を喜ばせてくれるような状況でその人は生きているはずなのです。

しかし「投げかけ」をしてこないから 

・何も楽しいことが起きず、

・楽しい状況ではなくて 

生きているわけです。

「死んじゃいたい」というのは、

「楽しいことが何もない」ということを言っているのです。

人間は喜ばれるとうれしい、という本能を神様からいただきました。

 


喜ばれるように生きれば生きるほど、自分の中に喜びが湧いてきます。

喜ばれたその瞬間に自分の喜びが得られるのですから、

十分に対価をいただいているわけですが、

その喜ばれるという状況を投げかけた結果として、

さらにその数年後、自分も喜ばれる状況に囲まれることになります。

つまりダブルで喜びがいただけるのです。

「喜ばれるとうれしい」+「同じ状況に自分が囲まれる」ということです。

温かさに囲まれたい人は、温かさをたくさん投げかければいいのです。

やさしさに包まれたいのであれば、やさしさをたくさん投げかければいいのです。

不機嫌に囲まれたいのであれば、どんどん不機嫌を投げかければいいのです。

嫌みや皮肉の言葉に囲まれたいのであれば、

嫌みや皮肉をたくさん投げかければよいのです。

宇宙の法則はとても単純で簡単です。

とてもわかりやすい仕組みになっています。 

<転載終了>

 

日々の暮らしの中で周りの人から 

・ひがみや

・嫉妬

・悪口、陰口

・根も葉もない悪い噂

・一面だけを見た、「悪い人」のレッテル張り 

様々な 

・嫌なこと、

・胸の苦しくなること、

・憂鬱になること

・悲しいこと 

をされることもあります。 

ですが、そのような人たちもあえて、その悪役を引き受けて、生まれてくださいました。

正観さんは、そのことを次のように説明しています。

<引用開始>

  

人生で出会う全ての人100%が「あなたはえらい。好きなようにやりなさい」とか 

「あなたは全て正しい」と言ったとしたら、

どんな人もいい気になり、うぬぼれて傲慢になり、

自分を見失い、ダメな人間になるでしょう。

逆に、出会う人全て100%が

「あんたは駄目だ」

「それじゃあいけない」

「間違っている」

「何とかしろ」と言い続けたとしましょう。

言われたほうは委縮し、自信を失い、やる気も失って、やはり駄目になることでしょう。

では、最も確実に人を成長、向上させるのは…。

そうです。

温かい言葉や環境50%、冷たい言葉や環境50%、それが最も人間を向上させる。

ですから、人生は常に、温かい側の人50%、冷たい側の人50%です。

そのように自分で設計し、それぞれの人にお願いし、居てもらったのです。 

<引用終了>

 

嫌な上司や、同僚、友人、言うことを聞かない家族は、どこの世界にもいます。 

ですが、それにいちいちへこんでしまい、根に持って、自分の心に、毒をため込み 

憎しみの心や、仕返しの心を醸成してしまっては、元も子もありません。

せっかく、魂を輝かせるために、悪役をお願いしてきたのに・・・ 

ですが、そのような人たちの行動を止める方法もあります。 

正確に言えば、役割の「目的を完成させてしまう」ということです。 

彼らの目的とは、私たちの前に立ちはだかり、 

まるで砥石(とぎいし)のように私たちの魂を磨き、輝かせることです。 

そして、魂の輝きとは私たちの心が「感謝の心」になったとき、輝きだします。

悪役の方々の一面だけを見て憎み、恨むのではなく、 

どこか良いところを見つける努力をすることです。

鬼心ではなく、仏心だけを見つめることです。

そして、その部分だけを、クローズアップしてそこに感謝すること、

「ありがとう」の言葉をかけることです。

  

その時、私たちの魂は、輝きだすと同時に、悪役をしてくださった皆さんも 

「喜ばれるとうれしい」という、本能を持っていますから 

魂が共鳴して嬉しくなるのです。

暖かな気持ちになるのです。 

そうなった時、その悪役のお役目は終わります。

目的であった魂が輝き始めたからです。

その後は、悪役という役割を終え、その方々も、美しき心に満たされ、

味方に変わってくれることでしょう。 

感謝の心、言い換えれば、神さまの心には、このように強い力があります。 

是非、みなさんも経験なさってみてくださいね。



2022年5月24日火曜日

2707「青空ひろば」2022.5.24

 今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


670 2022.05.18 ~672 2022.05.20

イノチは一つしかないので、あなたと神は一体のイノチです。

では人と神、どこが違うのかといえば、神は自我の囲いが取れて、イノチの一体性を悟り、また、一体性の実現というイノチの進化のゴールを自覚しておられるのです。

人にはまだ厚い自我の囲いがあって、一体性の自覚を得にくく、進化のゴールが見えにくいのです。

自我の囲いによって、能力は制約されてしまっているので、人は神に頼って、能力を増してもらい、歩みの方向を導いて頂かねばなりません。 

また、神はイノチの一体性を自覚しておられるが故に、人もまた自身であるのです。 

ですから、人の悩みや限界は、実は自分の悩みや限界でもあるのです。 

ですから、神は人に関わらずにおれない、手を差し伸べないわけにはいかない存在なのです。 

ですから、神と人は二人三脚なのです。共同作業しながら、進化の最終ゴールを目指すのです。 


669 2022.05.17 

「あの時へ」 みんなひとつだった  

すべてひとりだった 

ひとつの魂であり  

ひとりの人であったのに 

そのひとつがちりぢりになり 

そのひとりがばらばらになってしまった 

個となり 孤となり 粉となって 

気ままに吹く世間の風に 右に左に翻弄され 

散らされてゆく みんな孤独で淋しい道を歩いている 

そんなひとり、ひとりが みんな私と霊(ち)を分けた兄弟 みんな分身 

そうと分かった今 もう道ははっきりしている 

みんなで手を取りあって あの時にもどる 

ひとり・ひとつだったあの時 融けあって、あったかい光に満ちていた 

なつかしいあの時へ


668 2022.05.16 

道元禅師は、「仏とは教えを説く人なんだとのみ勝手に思い込んではいけない。師の教えを聞いて学んでいる仏様もいらっしゃるのだという事を知っておかねばならない」と書いておられます。

そんな「学びの仏」は、師の最高の神性を見事に引き出します。師の限界を突破させて、さらなる高みまで、師を導くことができます。

私も、そのような、私の能力を最大限に引き出してくれる「生徒仏」にたくさん出会うことが出来ました。

ワンちゃんにだって、ネコちゃんにだって、「ワンワン仏」、「ニャンニャン仏」がいらっしゃいます。

あなたの仏性、神性を引き出して下さる「ワンワン仏」、「ニャンニャン仏」がいらっしゃるのです。


667 2022.05.15 

京都の禅の会で、キューブラー・ロスさんの「私はオーケーじゃない。あなたもオーケーじゃない。でもそれでオーケーなの」という素晴らしいコトバを引用しました。 

そして、「なぜオーケーじゃないのに、出来ないことがたくさんあるのに、それでオーケーなんですか、そのまま許されているのですか?」と皆さんに質問しました。 

すると、ある青年が、「それは、<ひとついのち>だからじゃないでしょうか。ボクが出来なくても、他の人にそれが出来たら、その人も実はボクの分身なのだから、それでいいわけです。それもボクが出来たということなんですから。 

そのかわり、他の人に出来ないこと、ボクにしか出来ないことはボクが担当して、他の人のカバーが出来たらそれでいいのだと思います」と答えました。 

素晴らしい解答ですね。

若い人がこのようにどんどん育っています。 


666 2022.05.13

「出来ないこと」を認め、そんな無力な自分であることを許すと、なぜか「出来る」ようになるのです。

面白いものですね


665 2022.05.12 

実は「身心」は絶えず振動していて、自らが波源となって、世界に波を送り出しています。

その「心」が放つ波動が結晶化して次の世界を形成するのです。

このような「想い→身心の振動→世界形成」のメカニズムを研究し、解明したのが、弥勒(みろく)菩薩を始祖とする仏教の唯識(ゆいしき)学派です。


664 2022.05.11 

坐禅の心境レベルが一段と高くなった際の振動レベルはついに「光」の周波数帯域にまで入って、自身の身心から四方八方に光を放っているのが分かるようになることさえあります。いつもそうだというのではなく、坐禅はそんな状態を目指して坐るというのでもありませんが…。


663 2022.05.09 

「坐禅して開ける世界」は、安らぎと自己受容の世界です。

軽やかで、温かくて、心と体が微妙に細やかに振動していて、

その波動の振動数がとても高いのです


662 2022.05.07 

坐禅は本当に不思議で有難いものだと思います。

イヤイヤ始めた坐禅でも、坐禅という形を体で組み上げさえしたら、ちゃんと「坐禅の世界」が開けます。

『ああ有難いなあ。安楽だなあ。これが本来の自分で、世界の本当の姿なんだなあ』と、

しみじみ実感出来ます。


661 2022.05.06 

坐禅を始める前は、内心『面倒だなあ、イヤだなあ』などと「抵抗」を感じます。

そんな「抵抗」に打ち勝って坐禅を始めてしまえば、『ああ、やっぱり坐ってよかったなあ。有難いなあ』などと思います。

この「抵抗」を生み出すものを、仏教では「業(ごう)」と呼んでいます。

今の状態を続けようという作用を持つもので、物理学では「慣性」と呼ぶものが、それにあたります。

「業」が強いと、いつまでも、この状態を続けようと変化を妨げるので、なかなか運命をいい方向に転換してゆくことが出来ません。

坐禅を習慣にすると、「慣性」が小さい世界を体験出来るので、次第に「業」が解消されてきて、運命の改善がしやすくなるのです。


660 2022.05.05 

私は、夜眠れないとき、無理に眠ろうとしないで坐禅することにしています。

そうすると、ものの30分も坐っただけで、横になるとすぐ眠ってしまいます。

この「坐禅催眠法」には、副作用や常習性の怖れがないのでおすすめです。

夜、このような催眠坐禅をしていて、不思議に思うのは、時間の経過がビックリするほど早くなります。

あっという間に30分が経過します。

どうもあっちの世界と地上世界では、時間感覚が違うようです。

あっちの世界の数分が、こっちの世界の30分にあたるような感覚です。

ですから、亡くなった後に行く世界は、さらに地上世界と時間感覚が違うのだろうと思います。

天上界の1日が地上界の1000年に当たると説かれているお経の話もどうやらウソではないようです。


659 2022.05.04

自分や人をジャッジしない(決めつけない)こと。

いのちの能力への信頼をしっかり保持すること。

ヒーラーは3年たつと、ヒーリング能力が消えてしまうことがある。

なぜなら、経験を積むと病気や患者を、ジャッジする(決めつける)ようになるからだ。


658 2022.05.03

カラッポからだ(体)はいいからだ(体)

こんなにシャープに動くのも こんなにたくみに動くのも

から(空)のからだ(体)であるからだ

カラッポからだ(体)はたから(宝)のからだ(体)


657 2022.05.02 

「闇の波動」に振りまわされないために必要な条件

(1)心の中の雑音を出来るだけ減らして「空」の状態に近づけること。

<註>これは、「闇の波動」を引き込んでしまいがちな「暗い想念のタネ」が心に残っていないようにするためです。

(2)自分も人も世界も、共に魂の進化過程にあって、これからますます成長し、いい未来が開けてくるんだと、明るい未来を信じること。

<註>悲観主義や厭世思想は暗い未来を引き寄せます。

(3)自分より、まず人や世界のしあわせを祈ること。

<註>他者のための祈りは、大乗菩薩の、明るくて積極的な波動と共鳴して、引き寄せることになるのです。暗くて、重くて、低次元の闇の波動は、明るくて、軽くて、高次元の波動に打ち勝つことは出来ません。


656 2022.05.01 

何かにつけて、しっかり目標を意識化し、言語化して、神様にお願いし、頼ってゆくのです。そうすれば、こういう願いなら叶えて頂ける、こんな願いは叶えて頂けない…、という、神様とどういうお付き合いをしてゆけばいいのか、そのコツがつかめてきます


655 2022.04.30 

アタマは片時も空白を嫌う。

スマホをいじったり、音楽を聴いたり、何かしら<しようとする>。

そして、いのちをすり減らす。

飛躍のためにはエネルギーが必要だ。

そのエネルギーは<しないこと>で貯まる。

坐禅は<しないこと>だ。

アタマの<すること>をしばらくストップして、いのちの充電をするのだ。



2022年5月23日月曜日

2706「させてくださって、ありがとう」2022.5.23

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月14日の記事を紹介します。

 

「させてくださって、ありがとう」

 

不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。 日本では不動明王は一番親しまれている神様かもしれません。 

不動明王は大日如来の化身とも言われる。

また五大明王の中心となる明王でもあります。 

真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。とのこと。

またお不動様のお姿は、奉仕をする心の大切さを私たちに教えるため、奴僕の姿になっているそうです。

奴僕とは召使(めしつかい)を意味する言葉で、献身的に他者に奉仕する者を指します。

お不動さまは、あらゆる人びとを苦しみから悟りの世界へ救い導くために、

青黒色の肌をした奴僕の御姿となって、私たちを御加護くださっているのだそうです。

今日は、お不動様のお力の一つである、

この「奉仕の精神」について書きたいと思います。

何事にもよらず、人に何かをしてあげる・・ のではなく、

何かをさせていただく、という精神は尊いものです。

・人のために汗水流し、時間を費やすことは、自分にとって損なことだ。

・何々してあげたのに、何の感謝もお礼もない。私を特別扱いしてくれない

そんな考え方の人が居る一方、

人さまに奉仕することは、天上に貯金を積むこと、徳を積むことに繋がる

人が喜ぶだけでなく、巡り巡って多くの人を幸せにして戻ってくる

そんな風に考える人もいます。

このことに関して、ブッダのお話をご紹介します。

させてくださって、ありがとう」というお話です。

小林正観さんのお話より、ご紹介します。

<引用開始>


ブッダを取り巻く集団(サンガと呼びます)は、 

当時できるかぎり自分でできることは自分でやり、どうしても自分ではできないことを

他人にやってもらうという形をとっていました。

ブッダを取り巻く集団では、何か人に頼むとき、こういう呼びかけをしていたらしいのです。

誰か、私に施しをし功徳(くどく)を積んで、幸せになりたい人はいませんか」

誰かに「施し」をすることは、「他人のため」ではなく、

「自分のため」であったというのは驚くべきことです。

小さな布切れを拾ってきてはそれを縫い合わせ、それぞれの人の衣にしていました。

あるとき目が見えなくなった弟子が、布切れを縫い合わせて衣を作ろうとしました。

しかし、まず最初のことである、「針に糸を通す」ことができません。

彼は、大きな声で、

「どなたか、私に施しをし、功徳を積んで、幸せになりたい方はいませんか」と

周りの人に呼びかけました。

すると目の前を通りかかったらしいある人が、「私にやらせてほしい」と言いました。

「えっ、その声はお師匠様ではありませんか」

ブッダが、ちょうどその弟子の前を通りかかったのでした。

「それはそれは、大変、失礼なことを申しました。

お師匠様にそんなお願いをするわけには参りません。

今の言葉はお聞き流しください」と、その弟子は言ったそうです。

まさか、ちょうどブッダが通りかかるとは思っていなかったでしょう。

慌てて驚き、恐縮した気持ちは理解できます。

弟子から「そんな大それた」と言われたブッダは、その時こう言いました。

「なぜだ、なぜ私ではいけないのか。私だって幸せになりたいのだ。

私だって、もっと幸せになりたい」

ブッダは、ありとあらゆる執着を離れることができ、すべての苦悩・煩悩から“解脱”した方です。

何も悩みはなく、十分に幸せになっていた人でした。

その人が、「私も幸せになりたい」と言ったというのです。

なんと素敵な一言でしょう。

「幸せになりたい方はいませんか」という呼びかけは、

「私」だけでなく、周りの沢山の人を「幸せ」にしていくようです。

何かをしてもらって「ありがとう」と言うのは、「ありがとう」の言霊の凄さの

半分くらいしか使っていないのかもしれません。

「ありがとう」は、してもらった時だけでなく、

こちらがしてあげた時、させていただいた時にも使えるのです。

させてくださって、ありがとう

人のためではなく、自分からしてあげることで、 

沢山の「ありがとう」(させてくださって、ありがとう)を言うことができるというのは、何とも楽しいことではありませんか。

<引用終了>


今の今、悩み苦しみ、悲しみの最中にある方にとって、

人のために、何かを「させていただく」ことは、非常に難しいことかもしれません。 

自分のことで精一杯ですから。

 


ですが、そういう時こそ、一旦、自分の悩み苦しみ、悲しみをかたわらに置いておき、 

周りの人々を見渡し、

誰かのために、自分に何かできることはないか、探してみてください。

神様は絶対に、その姿、心を見ています。 

それこそが、悩み、苦しみ、悲しみからの脱却の早道だからです。 

もし、1年前の悩み、苦しみを正確に覚えていらっしゃる方がいらしたら・・

その悩みや苦しみは、365日、24時間、ずっと続くものでしたか?

・時には忘れることはなかったですか?

・時には笑顔になることはなかったですか?

・延々と続く、どん底の状態だけでしたか? 

そういった類の苦しみは、まさに人生の中に組み込まれたエポック(引き金)です。

それを起点として、ぐるっと人生を変化させるためのものです。 

何のために、その苦しみを組み込んだのか?

生きている間はわからないかもしれませんが、

少なくとも、生まれる前に、神様と計画してきた出来事は、 

生死を超えて意味を持ちます。

・生きる、死ぬ

・健康、病気

・富む時、貧困の時

・出会い、分かれ

・苦しみ、楽しみ

・悲しみ、喜び

人間側にとっては、どれも一大事ですが、

それらは神様の目や、生まれる前の魂としての自分自身から見たら、

単なる舞台装置でしかありません。

それらを利用して、人間に神仕組みのドラマを演じさせます。

 そしてドラマを通じ、魂を磨き、輝かせようとします。 

そうであるならば、悩み、苦しみ、悲しみの中にあろうと、 

・流れる状況、環境に身を任せ、

・置かれた環境の中で

そんな中でも、周りの人々を見渡し、

誰かのために、自分でも、何かできることはないか、やってみても良いかもしれません。

今は目の前の、できることを精一杯するしかありません。 

諸行無常ではないですが、

どんな状況も固定化して、永遠に変わらないことなど存在しないからです。 

どんな状況も 目には見えなくとも、

・少しづつ変化しています。

・少しづつ状況は変わっています。

地球は、そのような作りになっています。

神様が魂の進化のために、そうお創りになりました。

それであれば、「させてくださって、ありがとう」と

感謝の気持ちで言える自分でありたいものですね。

その心の方向性こそが、明日からの状況の変化の方向を決め、運命を導くものだからです。

どなたかにした親切な行いは、

巡り巡って、いつか自分が親切にされるという現象として帰ってきます。

 

誰かを幸せな気持ちにさせてあげれば、いつか自分も誰かに幸せな気持ちを分けていただけます。 

この宇宙に存在するものは、全て繋がっています。人体と同じです。

一つ一つの細胞は、一人一人の人間は、それぞれ独自の役割、個性を持っており、 

それらが助け合い、連携することで、調和して維持され、進化していくことが可能になります。 

一つとして、誰一人として、無駄なものはありません。 

神さまは決して無駄なものを創造しませんから。 

みんな大切なものです。

「俺が俺が」、「私が私が」ではなく、周りの方、みんなを大切に思い、 

お互いの個性を否定せず認め、お互いさまの心、

随神の道(かんながらのみち)を歩んで行きたいものですね。

そのような心持こそが、ご自分自身が、幸せに生きて行くための王道であり、秘訣なのですから。


2022年5月22日日曜日

2705「私たちが来たところ」2022.5.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月16日の記事を紹介します。


「私たちが来たところ」


今日は、皆さん忘れてはいますが、私たちが生まれる前に居た世界、 

そして亡くなった後に、帰る世界のことを書きたいと思います。 

皆さんの中には、もう先に帰られたお子さんや、ご家族が居るかもしれません。 

または、ご本人が、もうすぐ帰ろうとしている方も居るかもしれません。

今日のお話は、その世界がどんなに神々に近い場所であったか。

全てと繋がった感覚を持って、生きていたか。



・時間、空間の制約のない世界

・愛と思いやりの世界

・光の世界

・調和の世界であったか。 

なぜ、そんな素晴らしい世界から、この苦しみだらけのように見える地球に来たのか。 

ここ地球で、何を得たかったのか。

考えてみる、思い出してみる、良い材料になるかもしれません。

1981年4月27日 オートバイ事故で、臨死体験をしている最中の高木善之さんの体験談です。大手術している所や、家族が嘆き悲しんでいる姿を空中から眺め、

そして意思疎通が出来ないことを悟った後の出来事です。

  

<引用開始>


行かなきゃあ でも行きたくない でも行かなきゃあ 

そんな思いで手足をバタバタと動かしてもがいているような感覚。

今、僕はあの病室で死んだのだ。この思いは、強烈だった。

死ぬって、こんなことだったのか。激しいショックだった。

しかし、やがてその事実を受け入れた。事実は、受け入れざるを得ない。

そして嵐が静まった。穏やかになった。

もう何もしなくていいんだ 。もう全てが終わったんだ。

そう思うと、不思議と気持ちが楽になった。

苦しみが去り、私はなめらかに上昇し始めた。 

今までの、もがきや、もつれがなくなり、ス―ッとのぼっていく。 

私の人生は 今 終わった。

したかったこともたくさんある。でも、出来なかったこともたくさんある。

家族はどうなるんだろうか?仲間達はどうなるんだろうか?

もっと優しくしておけばよかった。もっと仲良くしておけばよかった。

ごめんね ・・・ でも 仕方がない。 

もう苦しむこともジタバタすることもない。

あれこれ考えることもない。何もかもが終わったのだ。 

今、私は死んだのだ。

さよなら みんな さよなら ありがとう みんな ありがとう

 

■宇宙へと■

地球が・・・苦しみが無くなり、なめらかに上昇し始めた。

次第に高度が増し、目の前の風景が遠くなる。

河原の両岸が寄ってきて狭まり小さくなる。

山々も集まってきて小さくなり・・・ やがて、四国が見えて小さくなる。

日本が小さくなり、そして、ついに目の前に地球が現れる。

これが、地球なんだ。これが僕が生きた地球なんだ!

強烈な衝撃! 強烈な映像!

その美しさ! その大きさ!

その厳粛さ! その圧倒的な迫力!

その偉大さ~ その美しさに感動!!!

幸せ 満足 充足 至福 の感覚。

突然、激しいショックを感じた。それは、思い出した衝撃。

長い間悩み続けた問いを思い出した衝撃。

誰もが必ず考え、そして、答えが見つからず、やがて、あきらめてしまう 問い。

自分とは何か 

どこから来たのか 

そして、どこへ行くのか ゛

 

■光の中へ■

今、目の前に巨大な地球。本物の地球~三次元の地球!  

立体の地球が圧倒的な迫力で語りかけてくる。

それを見たとたん、激しい衝撃。

生きている。地球は生きていたんだ。 

魂が揺すぶられる。感動の涙がこみあげてくる。

今、自分が変わりつつあることがはっきり分かる。 

自分が、地球と宇宙とつながっていくような感覚。

ついに分かった。一生問い続けた 問い。

自分とは何か どこから来たのか そしてどこへ行くのか  

その答えをついに見つけたのだ。 感動的な答え。 

それは、光。 すべては ひとつ。 

命は光であり、光の世界から来て、光の世界に帰る。

すべての生命は、一つにつながっている。

ああ、分かった・・・これが分かればすべて分かる。

何のために生まれてきたのかも分かる。 

どのように生きればいいのかも分かる。 

なぜ、こんな簡単な事が分からなかったのでろう。

すべては一つ。すべてはつながっているのだ。

すべての 謎 が解けた。

 

すべて 分かった。もう 何もいらない。

安心 

安らぎ 

満足 

本望 

もう 何もいらない。安心して いくことができる。安心して 帰ることができる。 

もう 何も いらない。もう 何も いらない。

暗黒の宇宙の中で、地球だけが美しく輝いている。

周りがゆっくりと明るくなり、音響が湧き上がってくる。

光は、次第に輝きを増し、ハ-モニ-は強まってくる。

やがて、激しい眩しさに何も見えなくなり、轟音に包まれて何も聞こえなくなる。

ああ、今から光の世界に帰るのだ。 

自分の周りの強烈な光が、四方八方に飛び散っていく。光の世界に入って行く・・・

 

■光の世界■

ここには、何もない。物質的なものは、何もない。しかし ここにはすべてがある。

過去 現在 未来 のすべてがある。未来永劫がある。永遠がある。 

めくるめく~光の波。無数の映像~無数のフラッシュ。 

自分の過去現在未来のフラッシュ。自分の未来。 再生-地球環境-平和運動-そして死

<引用終了>


高木さんは、その後生還します。そしてパナソニックの研究員を辞め、「地球と調和する小さい社会」を目指すネットワーク『地球村』(NGO)を作り、ずっと活動されています。今、生きている私たちは、このような「光の世界」から来たことを忘れ、日々の生活に忙殺されています。そして、日々起きる色々な出来事に一喜一憂して生活しています。

この世界から地球に生まれる時に神さまと約束してきたことや、地球でやりたかったことなど、すっかり忘れています。

それは私たちがここでの生活によって、より深く学べるように、自ら記憶を一旦消去して来ているために仕方のないことです。

ですがその代りに、目的遂行のために、様々な出来事が、身の回りにベストなタイミングで起こるようにしてあります。

様々な人との出会いがセッティングされており、その出会いにより沢山の感情を味わえるようになされています。 

喜びも悲しみも、愛情も憎しみも、家族や、友人、同僚などがその役割を担います。

そして私たちは、予定した寿命が尽きると、予定していた死因により、元の光の世界に戻って行きます。

私たちは、この「光の世界」から、ここにやって来ました。

すべては一つ、すべては繋がっている世界からやってきました。

それはここ地球でしか味わえない様々な感情を味わうこと。 

魂を向上させること。人を助けるためです。

あなたは、あと何年したら、そこに戻りますか?

この地球で、沢山の経験をしましたか?

沢山の感情を、味わいましたか?

人に優しくしましたか?

人を憎みましたか?

笑顔を人に向けましたか?

人を愛しましたか?

感謝することは、できましたか?

お陰さまの気持ちで生きてきましたか? 

決して、恨み、つらみ、憎しみの心に囚われたまま、肉体を脱ぐことがありませんように・・・ 肉体を脱いだ後の世界は 心の世界そのままです。 

心の内が、自分を取り巻く世界、現実になります。 

この物質次元に生きていた時よりも明確にそれが現れてきます。

どうか皆さんが、内に居らっしゃる神さまに気付き、

本来の美しき心を思い出し、お幸せになれますように。

 



 

2022年5月21日土曜日

2704「友達」2022.5.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月13日の「友達」と2022年05月15日の「感性の時代を生きる」の2つの記事を紹介します。


「友達」


あなたには、同じ方向を見つめ、励ましあうお友達はいらっしゃいますか?

それとも、その友達とは、ともに、何かに向かって毒を吐く関係ですか? 

私が思う友達って・・・

例えあなたが病気になって 姿形が変わろうと 

例えあなたの精神が壊れ あなたがあなたでなくなろうと 

私は、 あなたのことが ずっと好き 

いつも優しい目で あなたを見守っている 

安心して伸び伸びと、今を楽しんで 

出会ってくれて、ありがとう。

このような関係の人です。 

では小林正観さんの「よき仲間に囲まれる生き方」から、ご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

よき仲間に囲まれる生き方

世の中を呪ったり恨んだり、「友人がいない。親しい人がいない。誰からも愛されていない」 という想念を持ちながら死んだ場合、死後の世界でも、その想念と同じ状態(=孤独地獄)に陥ります。

死んだ後になっても、

「自分を愛してくれる人も、頼りにしてくれる人もいない」、

「温かい言葉を投げかけてくれる人も、優しく接してくれる人もいない」 

という「孤独地獄」が続くのです。

肉体がなく、痛みを感じない状態である魂の世界において、

「孤独地獄」は「地獄度100パーセント」の状態といえるでしょう。

恨みながら命を絶つと、魂にとって、もっとも悲しくつらい状態が待ち受けています。

では、「地獄度100パーセント」と180度正反対にある、

「天国度100パーセント」とは、どのような状態なのでしょうか?

「天国度100パーセント」とは、「孤独と180度正反対にある状態」、 

すなわち「よき仲間に囲まれている状態」をいいます。 

現代において、よき仲間とは、どのような仲間のことを言うのでしょうか?

それはきっと、年齢や性別、社会的な地位や、

貧富の差、学歴の差、職業の差など、全部取っ払ってしまって・・

・自分の喜びを一緒に喜んでくれる人

・あなたはあなたのままでいいと言ってくれる人

・同じ方向を向いて、同じ価値観で生きている人

・同じ話題を、同じように笑顔で話せる人

・喜ばれるように生きている人

・不平不満を口にせず、常に感謝をしている人

のことです。


愛情に満ちた「よき仲間」に囲まれ、「そこに 自分が身を置いているだけで 楽しくなる」ことに気がついたらなら、もう孤独ではありません。

「天国度が100パーセント」になります。

「天国度100パーセント」とは、 

「成功を勝ち得たり、社会的地位を手に入れたり、達成目標をクリアすることではない」と私は思います。

営業ナンバーワンになったり、高級車に乗ったり、豪邸に住んだり、成績を上げたりすることが、 「天国度100パーセント」なのではありません。

たとえ何億円もの年収を手に入れたとしても、 

「よき仲間」を持たず、「自分の力」しか信じなければ、 その人を待つのは「孤独な世界」でしかありません。

繰り返しますと、

「天国度100パーセント」とは、

競い合ったり比べ合ったりすることでも、努力目標を達成することでもなく、 

同じ価値観を持つ「よき仲間に囲まれること」なのです。

<引用終了>


本当の友達は、あなたの過去を理解し、あなたの未来を信じ、 

そして、 あなたのそのままの今を 受け入れてくれる人。 

本当の友達は、あなた自身が 自分を信じられなくなった時でさえ、あなたを信じてくれる人。

そんな友人を得るためには、まず私たちが、自分の方から、そうしなければなりません。

私たちの心の波動が、共鳴し同じ波動の人たちが、集まります。

心穏やかで優しい波動であれば、そのような人が集まり、友人になります。

憎しみと不平不満の波動であれば、そのような人が集まり、友人になります。



「感性の時代を生きる」


神様、そしてご先祖

目には見えないけれど

日本人は繋がっていることを確信 

当たり前のこととして縄文の古より生きてきました。 

それは神々のご計画の通り。 

日本人は、この日本列島で神の心と同じ随神(かんながら)の心 

そのままに育てられ、その心を育まれてきました。

  

見えない世界、神々の世界、ご先祖のいらっしゃる世界と何時も繋がっているという意識のゆえに、私たちの心は根っこを持ち、心は安定し優しくなれました。 

私たちの心は素直で優しく、自分と周りを信じる 性善説そのものの

美しい心、和の心を持つことに成功しました。 

それを大和心(やまとごころ)と呼びます。 

それは神々の計画通り。

  

日本人特有の縄文の時代から受け継がれてきたDNA

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨は

天照大神の子孫を天皇として日本の表の舞台を担ってゆくことになりました。

天津神(あまつかみ)の世界です。

国を譲った大国主命は、黄泉の国 つまり裏の舞台を担って行くことになりました。

国津神(くにつかみ)の世界です。 

しかし見えない世界は見える世界の何万倍もの膨大な世界、

大国主命を中心とする国津神はこの見えない世界 黄泉の世界を司ることになりました。

見える世界 天津神の司る世界と、見えない世界 国津神の司る世界は車の両輪。

どちらも欠けてはならぬ大切なもの。

時は巡り、宇宙のバイオリズムの変化と共に今、

見えない世界の力が必要とされる時が来たようです。

その新しい時代は理屈や理論ではなく感性の時代。

占星学では風の時代 

アクエリアスの時代

女性の時代

黄泉の国の力

国津神の力 

国常立尊(くにのとこたちのみこと)の復権を時代の波が要請しています。

国常立尊が古の約束通り復権を果たし、この極限まで混迷の深まった時代に

結果をもたらすことでしょう。

私たちヒトは、この稀有な時代、自ら歴史の証人になるため、

自ら望み 神様の承諾を得て、この地球に転生を許されて生まれて来ました。 

時代が急速に変わろうとしている今、

混沌とした世界 、悪徳の黒い波が、地球を覆いつくそうとする時、

ここ地球に転生を許された私たち、今 為すべきことは何なのか?

一人一人胸に手を当て、自らの心、心の中の神々と深く語り合う時が来ています。


私達、大和心を持つ日本の人々は

・天照大神

・素戔嗚の尊

の子孫。

この2人の姉、弟は父である伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉の国から帰った時、

とことん 祓いを行い、禊(みそぎ)の限りを尽くし、心の塵が祓われ、

心の中の宇宙神の光が輝きだしたときに生まれた純粋無垢の神。

私たちの中には同じ血が流れています。


2022年5月20日金曜日

2703「神さまのこころ」2022.5.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月12日の記事を紹介します。


「神さまのこころ」


今日は「神道の修行」についてです。

ですが、何も宗教にお誘いしているわけではありません。

そもそも神道は教祖もいなければ、経典も無し、 

ですので神道の最高位、浄階まで登られた、元春日大社宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば 

神道のことを宗教とは呼ばないのだそうです。 

では葉室さんのお話をもとに書きたいと思います。

神道の修行というのは、難行苦行のお話でもありません。

全て心の世界のお話です。

ですから、どこそこの神社や仏閣に行ってお参りしなさいとか、ご祈祷を受けなさい・・などもありません。

日々の生活の中で行うものです。

ですが、それは、

・目に見える形があるわけでもなく

・日常生活とかけ離れた特別のことをするわけでもなく

簡単そうに見えて、一番難しいことかもしれません。

神様が置いてくださった、

・今の環境の中で、

・今の人間関係の中で

自分の心を整え、綺麗にし、洗心することだからです。


目に見える派手な奇跡やお金を払い、何処かの誰かの、凄い力に頼ることの方が

よっぽど楽かもしれません。

ですが、良くなった、好転した、幸せになった。。

というのも、一時のことではないかと思います。

なぜなら、私たちは、目に見える世界に生きているようで、本当は自分の心の世界に生きていますから、自分の心が変わらない限り、どのような外部からの力で、方向転換されようとまたすぐに、もとと同じ心が頭をもたげ、同じ現象を引き寄せてしまうからです。

「神道の修行」とは、その心を清浄にするための、日々の心の持ち方の修行です。

世界一長く続いた(1万5千年)平和の時代と言われる縄文の時代は、何をしなくても、みなピュアで、そのような心を持っていました。

 

自分の心が清浄になって、神様の光が内から輝きだせば、心から発せられる波動が精妙になり、神々の波動に混じり合うことでしょう。

そうなれば、神々と同じ美しく、優しく、愛溢れた世界で生きることができるようになることでしょう。

それほど「心を磨く」=「神道の修行」は、大切なことだと思います。

戦後、日本人は多くの大切な伝統を忘れてしまいました。

外見や結果ばかりを見て、その裏にある心というものを見ていない人が増えてしまったため、今の世の中のように、日本始まって以来の、乱れた国となってしまいました。

敗戦後の日本では、戦勝国によって 

・二度と立ち直れないよう、

・反逆できないように

それまでの優れた日本人の精神性を破壊する愚民政策がとられました。

戦後の欧米型の教育の影響で、

各家庭で神様やご先祖様に感謝しておまつりするという生活をしなくなり、

何事も理論や理屈だけでものごとを考えて

感謝の心を忘れてしまった人が多くなってしまいました。

ですが私達日本人は、太古の昔から、先祖の方々によって伝えられている

日本人としての優れた遺伝子を既に持っています。

それを目覚めさせれば良いだけです。

それでは、今日は、日本の形成外科医の草分け的なお医者様であり、

また春日大社の元宮司、葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


仏教では滝に打たれたり、断食をしたりする修行というものがありますが、

神道(しんとう)には修行というものはありません。

こう言いますと神道は楽なイメージに思われる方もいますが、

神道では「毎日の生活そのもの」が、強いて言えば修行に当たります。

また神道というのは数ある宗教の中のひとつではなく、

宗教という概念がなかった太古の昔から続いている日本人の生活そのものです。 

常に、毎日の生活の中で「徳を磨く」というのが神道です。

徳を磨くというのは「神様、ご先祖様をはじめ、周りの幸せのために生きる」ということです。 

日本には柔道や剣道、書道や茶道など「道」と名の付くものがありますが、

これらもすべて「徳を磨く」ためにあるものです。

また現代では勉強といいますと、いい大学を出ていい会社に入るために

知識やテクニックを詰め込むものとなってしまいましたが、

本来は勉強というものも、学問を学んで徳を磨くというのが目的です。 

現代では周りのことよりも、自分の利益を第一に考える人が増えた結果乱れた世の中になってしまいましたが、仕事や勉強、スポーツなどあらゆることを通じて、自分の徳を磨くというのが、神道であり、私達人間の歩むべき道です。

そして家庭ではこの真実を、子供たちに伝えてゆかなければなりません。 

神様やご先祖様にお喜びいただくには、

神様やご先祖様に感謝しておまつりすることが大切ですが、

何か良いことがあった ⇒ 感謝する という順序ではなく、

苦悩や病気など「何が起こっても神様のお導きとして感謝する」ことが大切です。

感謝する ⇒ 神様・ご先祖様にお喜びいただける ⇒ お恵みがいただける

というのが真実です。

神社や神棚の前でも神様に「〇〇にしてください」とお祈りするのではなく、

理屈なく「ありがとうございます」と感謝することが真実です。

そして徳を磨くには、自分以外の幸せのために生きるわけですが、

そのためには自分の我欲を消す必要があります。

仏教では修行をして自分の力で我欲を消そうとしますが、

神道では神様の力をお借りして我欲を消します。

自分の我欲を消すには人間の力だけでは難しいので、

太古の昔から神道では祓い(はらい)というものが行われています。

この祓いというのは、普段知らず知らずのうちに体についてしまった

「つみ・けがれ」を神様の力をお借りして、良いものに変えるために行われますが、

この「つみ・けがれ」というのは我欲や理屈から生じます。 

毎日、祓いによって我欲を消し、

神様とご先祖様、周りの幸せのために生きることが人生で一番大切なことです。

<引用終了>


葉室さんは、こうも仰います。

日々の生活の中では、不安になったり、自分の思い通りにならないときもありますが

そのようなときにも「理屈を考えずに神様とご先祖様に感謝」してみてください。 

神様は理屈の無い世界におられるので、どの様な時でも、理屈なく感謝すれば、 

温かいお恵みをいただくことができます。 

逆に理屈ばかり考えて、不平不満を言って感謝しないと、

その後も、ロクなことが起こらないようになっています。 

例えば、自分に落ち度がなくても、誰かを恨んだり、イライラしていると さらに悪いことが起こったりしますが、これは、自分に落ち度がないといった理屈に関係なく、とにかく「恨んだり、イライラして感謝していない」と神様からのお恵みをブロックしているということの現れです。

  

人生というのは世間で言われているような複雑なものではありません。 

ただ素直に、「いつも理屈なく神様とご先祖様に感謝」して生活していれば、すべて良い方向へ導いていただけます。 

良いことがあったら感謝するのではなく、はじめに理屈なく感謝するからこそ、

幸福が与えられるというのが真実です。 

理屈なく感謝するのは能力や年齢など関係なく誰でもできることです。

神様は難しいことは人間に与えてはいません。

これは宗教うんぬんという次元ではなく、

この宇宙というか世の中がそのようになっている不変の真実です。 

気分がすぐれないときこそ、理屈を考えず、神様とご先祖様に感謝してみてください。

そうおっしゃっています。

感謝の心あるところ、神々の恩寵が現れます。

何か特別なことをしなくても、特別などこかに行かなくとも、

日々の暮らし、自分が今置かれた環境の中でこそ、

私たちは、心を清め、先祖や、神々に感謝の心を向けたいものですね。




2022年5月19日木曜日

2702「Mさん珠玉集-その1-」2022.5.19

今回は立花大敬さんの青空ひろばの2022年5月14日の記事を紹介します。


「Mさん珠玉集-その1-」


Mさんに「人生の祝福(ある無名戦士の詩)」を訳していただきましたが、多くの仲間の皆さんが共感して下さいました。やはり、「本物」は人の心の奥底までしっかり届くのですね。


Mさんは国家の要職を勤められ、今は定年退職されて大学で英語学を教えておられるそうですが、そんな激務に携わりながら、岡田擔雪老居士(僧籍に入らない禅の師匠のことを老居士と呼ぶ)などのご指導を受けられて修行を続けて来られたのだそうです。


激務の中で、そのように一貫して禅修行を続けて来られ、しかもMさんの悟境が偏りのない、寛容性があるものであることに感嘆して、お仕事と禅の修行をどのようにして両立して来られたのですかと質問し、また、世界のいろんな聖者の珠玉の言葉をたくさんノートに書き付けていらっしゃるということなので、それを仲間の皆さんに紹介させて頂けませんかとお願いしたのに対してのMさんのご返事です。英語の原文も掲載して頂きました。若い仲間の英語の勉強にもなると思うので…。


以下がMさんのお便りです。


立花大敬先生

先生におかれては、素晴らしい若葉の季節を楽しんでおられることと思います。


仕事が忙しいのに私に修行する余裕があったかという問題ですが、岡田先生からは、「仕事を修行にしなさい」と言われていました。「仕事と修行とを二つに分けるな」という言い方もされました。


岡田先生ご自身が日々の医業を坐禅と一つにしておられたと存じます。


自分の仕事の上では、悩ましいことが次から次にあったのですが、岡田先生が植え付けてくださった種がどこかにあって、知らず知らずのうちに仕事を修行にしていたのかも知れませんが、自分ではそんなに上手にやってきたという感じはありません。七転八倒してきたというのが実感です。


古則公案が普通の意味の公案であるのに対し、目の前にある人生上の現実の問題を現成公案と呼ぶ言葉の使い方があるようですが、目の前に出てくる問題を公案だと思うと、嫌になって投げ出すことなく、「ああでもない」「こうでもない」と、ねちっこく取り組み続けられる(拈提できる)ように思います。

※拈提(ねんてい):古則公案を提起して修行者に示すこと。またそれを工夫参究すること。


英語の珠玉の言葉というお話もありました。たくさんの言葉をノートに書きつけてあるので、何をどういう順番で選ぶのかがどうしても恣意的になりますが、今日は、Byron Katie さんの言葉をいくつか以下にご紹介します。


You don't have to know what to do. It's revealed to you. 

(何をすべきかを(前もって)知っている必要はありません。それはあなたに明かにされるから。)


村田諒太さん(この間、世界タイトルマッチをされた方、トータルヘルスデザインの近藤太郎さんは村田さんの後援会長をしておられる)の愛読書がフランクルさんの『夜と霧』だそうですが、フランクルさんは、何がそのひとに求められているかを人生はいつも知らせてくれている、という意味のことを仰っており、それに通ずるものがあります。


What actually happens is the best that can happen, whether you understand it or not. 

(起きることは起きるべき最善のこと、それをあなたが気づいているかどうかにかかわらず。)


When you no longer believe the thought that you need to achieve anything, the world becomes a

much kinder place. 

(何かを達成しなければならないという考えから解放されると、世界はずっと優しい場所になる。)


You notice that everything is continually disappearing, and you celebrate as it goes. 

(すべてのことが常に消えていることに気づきます。そしてあなたは、それらが消えるのをお祝いするのです。)


それでは、また。ご自愛ください。 松永拝


(大敬)どうですか、素晴らしいでしょう。これからも時々珠玉の言葉をMさんから届けて頂くようにしますね。



2022年5月18日水曜日

2701「愚痴に気づく」2022.5.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月11日の記事を紹介します。


「愚痴に気づく」


今日は小林正観さんの、「愚痴に気づく」というお話をご紹介します。

正観さんのお話は、斎藤一人さんもそうですが、

人々の心に届けるために、敢えて

・分かりやすく平易な言葉

・お行儀のよくない言葉

・上品に聞こえない言葉

・粗野に聞こえる言葉

を使うことがありますが、

どうぞ言葉尻にとらわれずに

その言わんとしている真意を汲んでくださるようにお願いいたします。


<引用開始> 引用元 


人間は、8時間労働を1として、

16時間働く人で2人分、24時間労働する人でも3人分しか働けません。

土日休みを返上して働いても5人分が限度でしょう。

人間対アリの関係を考えてみます。

人間の身長を150センチ、大き目のアリで1.5センチとすると、百倍の違いがあります。

すごく働き者だけれども、周りのアリにトゲトゲしながら、

「自分は3人前働いているのに、あなたたちは全然働かないじゃないか」

と怒鳴っているアリがいます。

その百倍大きな力を持っている人間が、

このアリは調和を乱しているよねと思い、

このアリをピンセットでつまんで、3メートル先に持っていったとします。

百倍大きな存在から3メートル先まで運ばれたことに、このアリは気がつきません。

このアリはとても興奮しながら巣に帰り、

「周りの景色が一瞬で変わったんだよ」と話すことでしょう。

百倍大きな存在が、全然認識できません。

私たち人間と神様の大きさの違いは、百倍どころではないようです。

人間が考えた数字は、10の68乗(無量大数)までです。

神は、10の68乗以上の力を持っているのでしょう。

この神様に気に入られたら、とても楽しい人生になります。

ただし、神様は、ある方程式に沿って生きている人を非常に応援します。

その方程式を使いこなす人には、味方についてくれます。

神は、気に入らない人に対して、嫌がらせや、復讐することはありません。

ただ、支援をしないだけ。

自分の力ではなんとか5人分の力を出すことができますが、

10の68乗人分の力を出すことができません。

がんばって5人分働くよりは、神を味方につけたほうが「得」です。

神様に味方になっていただくには、

目の前の現象について、

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。

そして、目の前に起きる現象について、

・嬉しい、

・楽しい、

・幸せ、

・愛してる、

・大好き、

・ありがとう、

・ついてる

という言葉を言い続けると、

目の前の人も、神様も、宇宙、地球、すべてが味方になってくれます。

親が倒れて5、6年介護をしている人がいます。

その人は5、6年介護をしているあいだに功徳がたくさん溜まっていきます。

ところが、せっかくいままで労力を使って功徳を溜めてきたにもかかわらず、

「なんで私がこんなに苦労をしなくちゃいけないのか」と愚痴を言った瞬間、

溜まっていた功徳がチーンと音をたててゼロになってしまいます。

一般的にいうと、大変なことをやらされているときには、

神がその人を見込んで、その人にポイントをあげているときなのです。

愚痴などを言った瞬間にゼロになってしまうのは、

あまりにも辛いものなので、神様と約束をしました。

それは、愚痴を言ってしまった10秒以内に「ナシ、ナシ」というと、

大丈夫という取り決めです。

愚痴などを言わないようにするには時間が必要ですが、

愚痴を言ったことに気がついたら

99パーセント解決したことになります。

 

どうも、「気がつくこと」が重要なようです。

私たちは自分の力で生きていると思いがちですが、

自分の力はないに等しく、

神様(目に見えない存在)に支えられて生きているのではないでしょうか。

<引用終了>


神様に味方になっていただければ、無敵ですね。 

どんな状況になろうと、安心して信じていられます。 

その秘訣が、

目の前の現象について、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。

そしてどんなことが起きようと、

それは神様が私たちの魂を輝かせるために下さった現象であること。

つまり、その現象に対して 

嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる 

という感謝の言葉を投げかけること。 

これだけです。  

愚痴が口癖になってしまった方は、

気づいたときに、反省し、意識して言わないようにするだけで、 

大分、神様に好かれ、運気が上がるようです。 

一度、試してみませんか?

 



2022年5月17日火曜日

2700「ありがとうと言うために生まれて来た」2022.5.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年05月10日の記事を紹介します。


「ありがとうと言うために生まれて来た」


日本語の「ありがとう」と言う言葉は、物凄い力を秘めています。 

外国語にも翻訳すれば、同じ意味の言葉がありますが、

言霊としての「ありがとう」には遠く及ばないそうです。 

この言葉があるために、日本に転生して来たいと希望する魂は

他の国を圧倒的に引き離し、行列待ちの状態だそうです。 

今日の内容は、病気で、早くに亡くなったお子さんのお話です。

その悲しい出来事によって、 

・亡くなった子供は、何を伝えに生まれてきたのか?

・親がどのように影響を受けたのか? 

という実話です。

それでは、ご紹介します。 

私達は、もしかしたら、この地球に、「ありがとう」 

そう言うために生まれて来たのかもしれないですね。

今日のお話は、8歳で小児がんで亡くなった、宗一郎くんのお父さんの手記からご紹介します。実話です。

<引用開始> 引用元


息子宗一郎のお話をしますね。

彼は平成十年3月31日、光の世界に帰りました。

最後の3ヵ月は実は病院ではなく自宅で過ごしました。

そのときのわたしたちは必死でした。

なんとかして病気を治してもとの元気な宗一郎になってほしかったんです。

サイマテイックという音で病気を治す器械も購入して使いました。

その他多くのことをやりました。


でも、いまから思えば、もっともっと一緒に楽しんであげればよかったと思います。

日に日にやせ衰え、痛みに苦しむ息子を、私たち夫婦は精一杯看病しました。

自分では歩くこともできない息子を背中におんぶして、

お風呂にそのままの姿で入ったとき、

痛みが少しやわらいだ息子の顔はとても幸せそうでした。

支えているわたしも泣きながら、お風呂につかっていました。

いてくれるだけでうれしい、生きていてくれるだけでありがたい。

夜は私と妻の間になって寝るのですが、30分ごとに訪れる痛みをやわらげるために、

私たちは宗一郎の体の位置を変えてさすってやりました。

正直いってとても辛かったです・・・

でも、でも、いてくれるだけでいい、彼がいなくなることが怖かったんでしょうね。

辛い痛みのなかでもできるだけ、私たちに笑顔をみせようとしていた子でした。

「お母さん、ごめんね」

「もっと元気だったらお母さん、お父さんも疲れないのにね」

「お母さん、ぼく、もっと生きたいよ」

痛みがでるとサイマテイックでその痛みをやわらげてあげました。

もう、これはいけないなと思い、病院へ連れていく車中で・・・

意識があまり定かではない宗一郎がこう言うんです。

「お父さん、お母さん」

「信じあって、助けあって、分かり合って生きてゆくんだよ」

「悲しいときや苦しいときほど、笑うんだよ」

「自分を責めることが一番いけないんだよ」

と強い口調で私たちに言うのです。

病院での最後のとき・・・・

たんが気道を満たして声にならない声で・・・・

最後の一声が・・・

「ありがとう」なんです。

それまで全身の痛みで抱くことができなかったのですが、

最後は母親に抱かれながら静かに息をひきとりました。

<引用終了>


8歳の少年の遺言でした。悲しいときや苦しいときほど、笑うこと。 

宗一郎君は、そう教えてくれました。


エピローグ

宗一郎くんが入院していたのは、小児ガン病棟。

その小児病棟は、みんなガンを患っている子ばかりで、治る子はほんの一握りなのだそうです。ほとんどの子は、1年~2年で光の天使になってしまいます。

でも昼間の小児病棟は、どの病棟より、とても明るくワイワイと賑やかだそうです。

どうしてだと思いますか?

残された命は短いんだから、楽しく素敵な思い出を作ろうと、それぞれのお母さんやお父さんが自分の深い悲しみをぐっとこらえて、明るく楽しくお子さんたちと楽しむのだそうです。

残された人生を楽しんでいるのです!

人生を楽しんでいるのです!

人生を楽しんでいるのです!

そして子どもたちが寝静まるころ、あちらこちらの病室から押し殺したように泣き声、

慟哭が聞こえて来るのだそうです。

この病棟では、夜は涙を流し、昼は笑顔を絶やさずに毎日過ごされていたのです。

小児ガンの子どもたちは、ものすごい優しい子が多いそうです。

そして人を思いやる気持ちも大人以上なのだそうです。

ある日、宗一郎くんが聞かれたそうです。

「宗一郎くんの夢はなに?」

宗一郎くんの夢は・・・

宗一郎くんの答えは、 

「大人になること」だったんです。

この病棟ほとんどの子どもたちは、私たちが当たり前に思っている大人になることもなく亡くなってゆきます。大人になることは、実は凄いことなのです。

 

私たちは大人です。

・もっともっと幸せに、生きていきたいですね。

・もっともっと明るく、生きていきたいですね。

・もっともっと楽しく、生きていきたいですね。

・もっともっと笑って、生きていきたいですね。

・もっともっと優しく、生きていきたいですね。

宗一郎くんは、いつも辛い痛みのなかでも、できるだけ笑顔をみせようとしていました。

そして、辛い痛みのある時はいつも 「悲しいときや苦しいときほど、笑うんだよ」

と強い口調で大人病棟の人たちに言っていたそうです。

私達は、よく不平・不満や愚痴を口にしたり、また自分の思い通りにならないことがあれば、すぐに怒ったり、この子供たちと比べたら、なんと自分勝手で、そして幸せなことでしょう。

彼らの夢は大人になること、たったそれだけだったのです。

子供たちは、生まれる前に自分の人生の設計をしてきます。 

・どんな身体になるか、病気か、健康体か

・どこで、いつ誰に会うか、分かれるか

・どんな才能を身に付けるか 

・そして、お母さんをだれにするか?

天国に戻る時を、何時にするか?

それらは、全て自分の目的を達成するためです。 

そしてすべての計画は、神様に承認されて、祝福されたうえで生まれてきます。

決して、その目的は、誰かを苦しめよう、悲しませよう、などのはずがないのです。 

肉体の生死を超え、永遠に続く生命(魂)の進化のために

あえて過酷で、非常な運命を選択してくる高貴な魂もいます。 

人を目覚めさせるために、生まれてくる魂もいます。

その高貴な子供たちの心に報いるためにも、私たち、後から彼らのもとに行く者たちは 

日々の暮らしにしっかりと立ち、 優しい心、助け合いの心、お互い様の心で生きていきたいものですね。

そうやってこそ、高貴な子供たちの魂の働きに報いることができます。 

彼らの早すぎる死を、無駄にすることもありません。

どうか、皆さんが日々の暮らしの中で笑顔で、助け合って、

お互い様の優しい気持ちで生きることができますように。