今回はIn Deepさんの2023年05月15日の記事を紹介します。
「破滅の連鎖。そして社会の消失」
https://indeep.jp/doom-loops-everywhere/
社会が最終的に消滅する過程を私たちは見ている
最近、アメリカの金融専門家のチャールズ・ヒュー・スミスさんの記事に、「破滅の連鎖が増殖中」というのがありました。以下に翻訳しています。
(記事) [破滅の連鎖が増殖中]というチャールズ・ヒュー・スミスさんの記事 (2023/05/15)
ひとつの目立たない破滅が次から次へと連鎖し、どんどん大きな破滅へとつらなっていくというようなことを、まあ、理論的というよりは、情緒的に書かれていました。
この記事の中に、以下のような部分がありました。
(チャールズ・ヒュー・スミスさんの記事より)
> おそらく、イタリアや日本の村で 1ドルまたは名目額で住宅を所有できるというメディアの報道を見たことがあるだろう。
> たとえば、「なぜ日本は 800万戸の住宅を無料で配っているのか」という報告がある。
> 魅力的な村にある 1ドルの家に関するこれらの陽気な説明からは、そもそも村を空洞化させる破滅のループを生み出したすべての現実が取り残されている。
この「なぜ日本は 800万戸の住宅を無料で配っているのか」というのは、YouTube のこちらの動画がリンクされていたものでした。
以下の画面から始まる動画でした。
「アサゴの美しい山に面したこの家は無料だ」 PolyMatter
「日本の ASAGO ってどこだ?」と思い調べましたら、兵庫県の朝来市という町でした。
市のページを見ましたら、確かに「空き家バンク」というページがあり、無料なのかどうかは不明ですが、空き家バンクというものがあるのだなあと。
チャールズ・ヒュー・スミスさんは、さらに以下のように続けます。
(チャールズ・ヒュー・スミスさんの記事より)
> 遠隔地であること、仕事がないこと、年金受給者の高齢化が進んでいること、高価な改修が必要な老朽化した時代遅れの住宅、そのような不動産の価値の下落などだ。
> 人口の減少で郵便局が閉鎖され、入学者数の減少で小学校が閉校になったら、村は滅びる運命にある。
> 子どものいる家族が引っ越して人口はさらに減り、地元の寺院や教会の司祭、地元のカフェ等を支えるのに必要な基準を下回る。
> 破滅の連鎖を逆転させるのは難しい。
「こんな市や村、日本にどのくらいあるのだろう」と思います。
そして、ヒュー・スミスさんが書かれている通り、
> 破滅の連鎖を逆転させるのは難しい。
というのは事実でしょう。
どんなウルトラCもそこにはあり得ません。
もちろん、これは、日本だけに限った話ではなく、主要国全体で起きていることなのでしょうが、お隣の韓国などは、数字として過激です。
(報道) 超少子化の韓国、5年で保育園10,000カ所近く廃業 (KOREA WAVE 2023/05/10)
先ほどの、ヒュー・スミスさんの「破滅の連鎖を逆転させるのは難しい」という言葉を思い出しますと、以下のループがすぐに思い浮かびます。
保育園の減少 → 数年後に幼稚園・小学校の減少 → 数年後に中学校や高校の減少 → 数年後に大学や専門学校の減少 → 労働人口の減少 → 人類の絶滅(突然、飛躍するのかよ)
絶滅はともかく、韓国の最新の出生率の 0.78人は極端だといえ、日本も、1.3などとなっていて、それほど違いのあるものでもありません。
……2019年頃に、人口知能に対して、「さあ、どうすれば、これから人類を減らせる?」と質問すれば、
「さらに出生率を下げればいいべ」 (北海道弁の AI かよ)
と答えたはずです。
「その方法は?」と質問すれば、
「シンシチンとヒト絨毛性ゴナドトロピンと ACE2 を攻撃すればいいべ」
と AI は答えたかもしれません。
[参考記事] ワクチンによる不妊と流産をめぐるシンシチンとヒト絨毛性ゴナドトロピン探究の旅は続く In Deep 2021年7月4日
[参考記事] ターゲットは女性… In Deep 2023年5月9日
まあ、これは余談でしたが、いずれにしても、もう出生率が再度上昇する可能性は、ほぼ断たれたように見えます。
これは、「人口の維持の不可能性」に関する根本的な問題ですが、しかし、そういうことではなくとも、
「破滅への下地」
は、この数十年で確実に成長したことを、私たちは見ています。
パンデミックもワクチンも関係なく、私たちは突き進んでいました。
日本の社会が衰退した理由
私は、日本の北のほうにある…あまり認知度が高くない場所ですので、名前をご存じない方も多いかと思いますが、北海道という土地で生まれました(結構知られていると思うぞ)。
私の生まれたのは人口 7万人ほどの町ですが、東京に出てくる頃までは、それなりに「徒歩圏内」に、たとえば、個人経営のスーパーがあったり、それなりに商店があったり、また、
「町が最も活性化している場所は、駅の周辺だった」ということがありました。
まだ、車社会が本格化していなかった頃のことです。
東京に出てきたのは 1980年代の初めですが、「たまに、帰省するたびに、それらがなくなっていく」のを目の当たりにしていました。
スーパーもデパートも基本的にはなくなり、いつしか、「買い物は郊外にある大型ショッピングモールで」ということになり、日用品はコンビニで、ということになっていきました。
現在の北海道は徹底した車社会ですので、アメリカ型のショッピングスタイルになるのは不思議ではありません。
しかし、「その大型ショッピングモールがなくなったらどうする?」ということに、数十年前から破滅の予感を感じていました。
もちろん、今はそれらの大型ショッピングモールはまだあります。
しかし、先ほどの、
保育園の減少 → 数年後に幼稚園・小学校の減少 → 数年後に中学校や高校の減少 → 数年後に大学や専門学校の減少 → 労働人口の減少
の「労働人口」を、「購買人口」に置き換えれば、いつまで耐えられるものかはわかりません。
北海道の私の生まれた町も、やはり極端な高齢化の中にあります。
加齢と共に人々の購買そのものは減少していきます。
不採算店となった店舗をいつまでも放置してくれるような大企業は存在しません。
少し違う話かもしれないですが、もう 7、8年前の記事で、「車社会が日本に廃墟を増やした」と以下の記事の中盤以降で書いています。
[記事] 車に滅ぼされた日本 : 認識されなくなった光景の中に広がる復活の目処のない果てしない廃墟に囲まれた国で In Deep 2016年7月15日
この記事で書いたのですが、帰省した際に久しぶりに駅周辺の、以前、繁華街だったあたり、などを歩いたのですが、
「あまりのシャッター街化に驚いた」ということがありました。
そして、その後も「人々に認識されない場所は、そのまま認識されずに、一方的に、廃墟化が進む」ということになっています。
子どもが生まれた後、帰省すると、要するに私の父母から見れば、孫ということになるのですが、やはりどこかに一緒に行きたがります。
「よし、〇〇〇に行こう」
と父親が言い、そして、そこに車で行くのですが、それは、家から車で何時間もかかるような「建設された観光地」ばかりなのです。
私の実家の家から歩いて 1分のところに公園があり、10分も歩けば大層な自然環境があるのです。
しかし、徒歩圏内で行けるところなど「全員が無視」します。
「建設された観光地、喧伝された観光地以外は遊びに行くところではない」のです。
少なくとも、北海道の一部の地域が徹底的に寂れた原因はここにあります。
家からちょっと出たところにある美しさ、楽しさ、気楽さを追求しなくなっために、「近所は事実上の廃墟環境」となっていきました。多くの人が暮らしていますが、あれは、廃墟です。
これらは、あくまで私の生まれた町の話ですが、現在のように徹底的な廃墟化に至るまで、本格的な車社会が到来してから、たった 30年ほどでした。
では、次の 30年はどうなるかというと、
「完全に消滅する」という段階に入ると思われます。日本という広い範囲のことではなく、あくまで、私の生まれた町の話です。
破滅の連鎖とは、身近でいえば、こういうことだと認識します。
先ほどの 2016年の車社会について書いたブログ記事には、「復活は現世ではおそらく不可能」というセクションがあり、文章の締めは以下のようになってました。
> これらはまったく悪くはないけれど、結果として日本は滅んだと。
> これから滅びる、のではなく、すでに滅んだと。
> 少なくとも現世では誰にも立て直しはできません。
> 無数の小さな共同体の集まりだった美しい日本の文明の構造は死にました。
チャールズ・ヒュー・スミスさんは、先ほどの「破滅の連鎖」を以下のような文章で締めていました。
> 私たちは皆、床が崩壊するまで素晴らしいふりをすることができる。
> その時点で自己満足はパニックに取って代わるが、運命を現実的に逆転させるには遅すぎる。
今、この「床の崩壊」が始まっています。
ごく普通の話として、10年経てば、今の高齢者の大部分が、この世には存在しなくなります。20年先なら、ほぼいなくなります。
出生率が急激に上昇するという夢のような話はあり得ません。
このあたりが床が突き抜ける転機なのかもしれません。
パンデミックやワクチン接種キャンペーンは、それをやや後押ししたかもしれないですが、最大の要因ではないです。
ワクチンキャンペーンがなくとも、床はいつかは必ず崩壊する方向に向かっていました。
そして、これは私感でしかないですが、社会のエネルギーそのものが消失しつつあるように感じています。再生のエネルギーも社会にあまりないように思います。
[記事] 2021年以来、人間のエネルギーは変わってしまったのだろうか
In Deep 2022年10月9日
チャールズ・ヒュー・スミスさんといえば、以下の記事の内容と直接関係があるわけでないのですが、その文章に納得した記事を翻訳したことがありました。
[記事]異端が排除される狂気の時代に、カナダの新しいT4作戦による大量死を眺め見て、さてそれをどう感じるか(何も感じなかったりして) In Deep 2022年12月21日
以下は抜粋で、このように書かれていました。
チャールズ・ヒュー・スミス「大いなる狂気が大地を席巻している」より
狂気そのものを目の当たりにする者には、ただ 1つの逃げ道しかない。地に潜り、世間の注目から消え去り、自立し、迫り来る嵐を隅々まで乗り切ることだ。
大いなる狂気が大地を席巻している。貪欲、信憑性、信念、不平等、大げさ、無謀、詐欺、腐敗、傲慢、プライド、行き過ぎ、独善、そして、自分の意見の正しさへの傲慢な自信に際限がなくなっている。
極端さの愚かさが合理性を疲れさせているとしても、極端さはますます極端になるだけになっている。
架空の罪が、無実の人たちに有罪判決を下すためにどこからともなく呼び起こされ、最もひどい詐欺と腐敗の罪を犯した人物たちが救世主として称賛されている。
常に盲目であることが楽観主義として歓迎され、テクノロジーの偽りの神々への信頼が神聖化され、テクノクラートの神権政治に懐疑的な人々は取り返しのつかない異教徒として十字架にはりつけられる。
魔女狩りと見世物裁判は日常茶飯事であり、提唱された路線に耐えられない者たちは執拗に粛清され、カルトの失敗をひそかに恐れるもろい真の信者たちは健全な懐疑論を大罪として非難する。
有毒な傲慢、独善、憤慨、権利、恨み、のこの窒息する雰囲気の中で、 謙虚さを持つ者は敗者であり、慎重さを持つ者は敗者であり、注意深い者は敗者であり、懐疑的に調べる者たちは敗者に属する。 A Great Madness Sweeps the Land
これは、パンデミック時の社会の状況を書いているわけですが、あそこまで露骨だった抑圧を、多くの人が今「許している」。
驚くべきことです。それはともかくとしても、それ以前の数十年で培われた「破滅への種子」は、その中で育ち続けており、何十年も経たずに完結に向かう可能性があります。
最近、英デイリーメールで、スケールの大きな話ではないですが、「破滅の連鎖」というキーワードを彷彿させる報道を読みました。
現在のアメリカでは、
「 76の郡で、人々がアクセスできる食料品店がない」ということになっているそうです。
アメリカ農務省の「店舗へのアクセスがない」とされる定義は、
・都市部で 1.6キロメートル以内に食料を扱う店舗がない
・地方では 25キロメートル以内に食料を扱う店舗がない
場所だそうで、それが、全米に 76郡あると。
全米で 1880万人が、食料を購入することが大変な状況になっているというのだそうです。
では、この問題が解決されるかというと、「しない」としか言えません。
アメリカでは、「病院も次々と閉鎖」されています。
(記事) [アメリカの地方の病院の 43%が赤字、 453の病院が閉鎖の危機に瀕している]という報道 (2023/02/11)
アメリカでは、地方を中心に、物も買えない、医療もないという地域が増えているのですが、そのデイリーメールの食料購入困難者の報道をご紹介して締めさせていただきます。
これは、「アメリカが」という話でご紹介するのではないです。
日本の地方もじきに同じになるという話です。
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食の砂漠 - 米国の76郡に食料品店が1軒もないことが明らかに
REVEALED: America’s food deserts - the 76 counties in the US that don’t have a SINGLE grocery store
Daily Mail 2023/05/14
アメリカ全土には食料品店が 1軒も存在しない郡が 76あり、その家族たちは手頃な価格で栄養価の高い食べ物を手に入れることができていない。
米国農務省 (USDA)の最新のデータによると、いわゆる「食の砂漠」のうち 34郡が中西部と中央平原地帯にある。
国勢調査と同時に収集されたデータによると、テキサス州、カンザス州、ネブラスカ州、ノースダコタ州などの州には、地元に店舗が存在しない郡が最も多く含まれていることが示されている。
コンビニエンスストアはデータに含まれていないが、スーパーマーケット、食料品店、デリカテッセンスタイルの店がデータで示されている。
こうした食の砂漠は、主に低所得者層や農村部のコミュニティに影響を与えている。シャッターが閉まった店舗は、人々が新鮮で健康的な農産物をほとんど、またはまったく手に入れることができないことを意味し、包装された食品や高度に加工された食品を購入することを余儀なくされている。
食の砂漠に関しては、州によって明確に分かれている。食砂漠郡が最も多いのはテキサス州の 11郡で、ネブラスカ州が 9郡、カンザス州が7郡、ジョージア州が 7郡、ノースダコタ州が 6郡となっている。
たとえば、カリフォルニア州のアルパイン郡は、州内で食料品店のない唯一の郡であり、ユタ州のリッチ郡も同様だ。
フロリダ州では、すべての郡に食料品店があるが、フロリダ州グレイズには 1軒しか残っていない。
テキサス州はアラスカ州に次いで国内で 2番目に大きな州で、大部分が地方であるため、店舗へのアクセスが劣悪な地域が存在する可能性が高くなる。
農務省は、健康的な食品へのアクセスが難しいことについて、「スーパーマーケット、大型食料品店から遠く離れていること」と定義している。
分類は地域の種類によって異なるが、「遠い」とは、都市部では 1.6キロメートル以上、地方では 25キロメートル以上まで行かないと食料品店舗ない場所として定義される。
この指標によると、食料品店に行くのに苦労している人たちはアメリカ全土で推定 1,880万人となり、人口の約 6.1パーセントに相当する。
取り残された地域の多くは交通手段が限られた地方で、小売業者は家計の収入で食料販売店を存続させることができないと懸念している。
かつては商売が繁盛していたであろう多くの田舎町では、地元の食料品店は過去のものとなっている。
カンザス州立大学の農村食料品イニシアチブのプログラムリーダーであるリアル・カーバー氏は、米ナショナル・パブリック・ラジオに対し、農村地域では数十年にわたり人口が減少しており、企業が存続することが困難になっているとして以下のように語った。
「小さな町が、さらに小さくなるにつれて、食料品店の売上が減少したことを意味しています」
データによると、2008年から 2018年の間にカンザス州の地方部で 105軒の食料品店が閉店し、そのうちの半分では新しい店舗が開店していない。
対照的に、格安店が乱立している地方の町もある。
ケンタッキー州東部の小さな村であるオリーブ・ヒルは、1ドルショップ (100円ショップ)が乱立していることで有名だ。人口わずか 1,424人の村に、1ドルショップが 6軒あり、そのほとんどが過去数年に建てられたものだ。
人口1,424人にすぎないこの村に 6店の 1ドルショップがある。
2022 年の調査によると、過去 10年間で 1ドルショップは、アメリカの家計支出に占める割合で最も急速に成長している食品小売店であり、農村部の成長は 2倍以上となっている。
アメリカの 1ドルショップ市場は、ダラー・ゼネラル社とダラー・ツリー社という 2大企業が独占している。両チェーンを合わせると全米で 35,000店舗以上を運営しており、これは全米のマクドナルドとウォルマートの店舗数の合計を超えている。
しかし批評家たちは、1ドルショップでの食品の利便性と手頃な価格が、高カロリーの超加工食品に偏った食品の健康上の懸念によって相殺されるのではないかと懸念している。
また、ウォルマートやアマゾンなどの数十億ドル規模のチェーンからの圧力を受けて、多くの小規模店舗も潰れつつある。
国内最大手のスーパーマーケットであるクローガーとアルバートソンズは、合併の危機に瀕している。
リアル・カーバー氏は、ナショナル・パブリック・ラジオに対し、「こうした独立系の小さな町の店には、都市部にあるいくつかの大きなチェーン店ほどの購買力はない」と語った。地元の店舗へのアクセスの欠如は、アメリカ全体で食糧不安に対する懸念を増大させるだけだと述べる。
3月に発表された調査によると、米国の成人の 4分の 1がまともな食事をするのに苦労しているという。
止まらないインフレとパンデミックによる給付金の終了が何百万もの家庭の家計を圧迫する中、家計をやりくりするためにフードバンクやクレジットカードに頼らざるを得なくなる世帯が増えている。
調査会社アーバン・インスティチュート社の調査によると、2022年末時点で回答者の 24.6パーセントが食糧不安を抱えていた。常に十分な食料を食卓に並べることができなかったという。2021年末時点では、この数値は 20パーセントだった。
しかし、大手企業に足止めされた一部の地域社会は、店舗閉鎖に反対して闘っている。
サークルC・マーケットは、人口わずか 167人の町、ネブラスカ州コーディのコーディ・キルゴア学区によって運営されている。
教師兼店舗マネージャーのリズ・レイブンスクロフト氏は、次のように語った。
「私たちの店は、コミュニティにとって不可欠な存在です。次に近い食料品店は、ここから東へ 60キロ先です。もう 1つの最も近い食料品店は、西に車で 1時間移動しなければなりません」
このストアは、いくつかの国家機関の援助と農務省からの補助金を受けて 2008年にスタートした。農務省は、地域社会が地元および地域の食料システムを拡大し、経済を強化するための支援を提供していると述べている。