前編の続きです。
――「楽器」自身ですら気がつかなかったような
「弾かれ方」が存在するということ。
そしてそれがじつは画期的な「情報」だということなのですね。
一般的に語られる「情報」とは懸け離れていますけどね。
その楽器から「画期的な弾かれ方」を引き出しているかいないか。
残酷な言い方かもしれませんが、それが無いのならそれは「情報」じゃない。
それは情報「のようなもの」。
――両者は似て非なるものですね。
情報「のようなもの」を基準として、物事を判断するならば、
それはおそらくほぼ確実に「間違える」わけです。
でもね、その決定的な「間違い」や「過ち」も、何十年も経ってから振り返ると、
不思議と全部「それで合ってもいた」となるのよ。
いや、その当時は完全に確実に間違えていたのよ。
でも後々振り返るとまた違う解釈が生まれる。
あの過ちがあったから今があると思えるようになる。
「今振り返れば全部あれでよかったんだ」と。
「もちろん間違っていたんだけど、それでもよかった」と。
それが「量子意識」というものです。
世の中、無意味だったことなどひとつもなかった。
いや、「無意味と思ったけど、よく考えたら意味もあった」となる。
それでも私はだから生きて行くし行ける。
――まさに「ルックバック」ですね!
まったくの「未知」なる物事に対する「解答」を得たいと思ったとしても、
己の潜在意識は最初からすでに、すべてを知っているわけですから。
ならその解答を得るための工程というものは
自分の外側のどこかを探し回ることじゃない。
じつは最初から自分の中にあった、
しかし失われていた叡智を「取り戻す」ことですよね。
この働きというのは、私がよく申し上げている
「不当に奪われた地位名誉財産を
元の所有者の下に戻す働き」ということですよね。
これってつまり「贖(あがな)い主」のことであり、
「Redeemer」(リディーマー)のことですよね。
換言すれば「アラハバキ」だね。
つまり、高度な情報を顕現させるための作業というのは、
己自身が「贖い主(Redeemer)」そのものであるという
姿勢、態度、認識のことなのですよ。
――そこで繋がって来るのですね。
価値の高い情報っていうのは、素性のわからないどこか未知の突拍子もない彼方から
人脈を駆使したりとかして、引っ張って来るものでは必ずしもない。
解答という「情報」を己の外部に求めさせようとしたのが、バビロン系南ユダ勢力ですよね。
大いなるひとつ「ヤハウェ」から自ら分離し独立した者たち。
だから彼らはRedeemerの存在を血眼になって探してる。
自分たちを元に戻してくれる存在をずっと探し続けているわけですよ。
――彼らはそれを決して表に出さずに
有史以来の悲願として行動してきたんですよね。
人智では「覆水盆に返らず」ですからね。
人の手じゃ戻せないのよ。
彼らをヤハウェに「還す」ことのできる、プログラムはたったひとつしかないから。
潜在意識の中にすでに最初からあったものの中から
お久しぶりに「顕現」させるもの。
それが「情報」というものの究極です。
でもみんなそれを抜きにして、ネット上の一番目立つところに落っこちている
「結論」「結末」、あるいは「真実」に
無批判のままフリーライドしようとします。
純粋な動機を持ってさらに追究するという作業というのは
じつは「コストをかける」ことに近い。
フリーライドするということは、一番大事な「コストをかける」ということを
無意識に的避ける習慣をつけてしまう。
でも人は得てしてその行為を隠すでしょ。
それはやはり本質への純粋な希求というよりも、ただみな自分だけは助かりたいという
すでに明白に前景化してしまっている、
「欲」というものに後ろめたさを持っているからでしょう。
私たちは本当は背景を見なきゃいけない。
その背景っていうのは
「本音」であり
「潜在意識」の領域のことです。
この幻想ホログラムとしての肉体なり、すべてのこの「世界」を描写し存在せしめている
「バックグラウンド」とは何か?
ここに心を傾けるということ、つまり眼差しを送るということ。
バビロン系南ユダ勢は、
この「バックグラウンド」をとうの昔に失ったの。
自分たちを描写するプログラムデータが失われているのね。
だからこのホログラム世界の中では、流浪の民を余儀なくされてしまって、
祖国すら描かれないという状況がもう数千年続いているわけ。
――だから日本が「宿主」にされて
しまっているのですよね?
その通りです。
だから彼らからすれば、この列島の本当の「主」が甦って
本当の霊性が復活してしまうことを危惧してる。
だって「宿主」として使えなくなっちゃうから。
「満州」という「宿主」ももう存在していませんし。
だから彼らのその「最終戦争」が今起こっています。
これが「日本が最後」の本質です。
だから彼らはもはや形振り構わず、ネットで催眠術をかけてきます。
でも彼らが発信するその「情報」には
「バックグラウンド」が無いのだということね。
だって自らの意志で分離し勝手に独立しちゃったのだから。
これがこの世でもっとも重要なことのひとつ。
つまり、ネットの世界で、目の前に落っこちていた
その「情報」に記されている「結論」「結末」、あるいは「真実」は、
そのどれを取ってもなんと「ニセ預言者」によるものだった
ということが、こうして
自動的に導かれていくわけです。
つまりそれは「Redeemer」(贖い主)であるはずがないんだよ、ってことです。
――本当に自然に自動的に
導かれたことがわかります。
「特殊なサングラス」をかけなくても私たちは「本質」を見抜くことが
できるようになったのです。
――「肉眼」で彼らを
確認することができるということですね?
そうそうできる。
こうして私たち人類はこれまで不当に奪われ、封印されてきた
「新しい哲学」というものを
「取り戻して」いくのです。
ならば、今私がこうやって話していること。
つまりこのエスカレーターは
おそらく「合ってる」だろうということも自動的にわかってくる。
これこそが「情報」というものではないですか。
――これまで一度も見たことも
聞いたこともないお話しですね。
私たちは「情報」というものを軽んじて来たかもしれません。
それはこれまで本物の情報というものが
不当に奪われ、封印されてきたからなのですね。
そうです。
だから閉じちゃダメなの。
有史以来、バビロン系カバール空海らによってこれまで散々、閉じられ、封印され、
隠され続けて来たわけでしょ。
だからこれからはそれらを徹底的に「解放」していくことが
何よりも重要な作業となってくるわけです。
この作業を行うこと、あるいは者のことを
「Redeemer」というのです。
そしてその「Redeemer」の「復活」は明らかに異彩を放つ
桁違いの「情報」がすぐ横を、ぴったりと並走しながら顕現するはずです。
――壮大なドラマの、
しかもクライマックスが近いということですか?
シンプルに言えばそういうことです。
しかもそれらは「小」「中」「大」と、フラクタルに波及し展開しますから、
この「日本」の「鏡の度合い」を目撃する
当該ホログラム史上初の体験となると思います。
――まさに「どんだんず~?」ですね。
ホントそうですね。
これを「至上の愉悦」とするか、それとも「最悪の地獄」とするかは
まさに「人それぞれ」です。
これはメカニズムのうちのごく狭い一局面の提示なのですよ。
そこに個人的な「感情」は一切無いわけです。
――澤野さん、紙幅の関係で
そろそろお時間となってしまいます。
この続きはまた次回のお楽しみということで
よろしいでしょうか?
もうそんなになりますか。
本来ならば久しぶりのインタビューですし、
直近の都知事選についてお話ししようと思っていましたが、
毎度のことながらかなり脱線してしまいましたね。
でも、頭の片隅に5%くらい都知事選のことは置いてありましたので、
じつは今日の内容は都知事選へのコメントも「兼ねて」いるんじゃないですか?
――全編に亘ってメタファーとして
成立していたとなるとそれは只事ではありませんね。
「名目」と「実質」ってやつですね。
――でも振り返ってみれば
たしかにそうだったかもしれません!
でも今日の内容をお話しできてよかったです。
通常の私だったらこういう内容はなかなか出て来ませんから。
だから小野さんに本当に感謝です。
――なんもなんも。
今回も桁違いのお話しでびっくりしました。
いがったいがったイガメンツィ。
私たちは今、過去の残滓をどう捉え、どう解釈し、どう受容し、
どう処理してくのかが、水面下でじつは問われています。
目の前に起こるあらゆる「現実」には、
「バックグラウンド」が重なって、もつれていることがわかってきました。
これはQCがわざと見せている「この世の綻(ほころ)び」です。
この両者を同時に重ねて、しかもその両者を混ぜることなく
同時に並行して意識できるようになること。
これが「量子意識」です。
「白と黒」でも「光と闇」でもいい。
「過去と未来」でもいい。
それは「中庸」を取ることではないですよ。
両極端を同時並行で意識すること。
「真ん中」とは全然違う。
私の言う「新しい哲学」とは、
これまで封印され閉じられてきた潜在意識領域から
浮き彫りとされるものなのです。
つまり、
「最も古い哲学」であり、
「最も新しい哲学」でもあるということ。
これが「量子意識」ね。
――ありそうでなかった哲学であり、
なさそうであった哲学でもあるわけですね。
いいですねそれ!
あ、毎度のことではありますが、青森活字版「20番原稿」ができました。
――今回はかなり熟成されましたよね。
いやなんだかよくわからないけれど、この時期にまでなってしまった。
自分でもわからないのですが「やっと出せた」という気分です。
――タイトルは決まりましたか?
『憑依する帝国』です。
前号「19番」の続きになります。
よろしくお願いいたします。
――ついに青森20作目となりましたね。
小野さんのおかげ以外の何ものでもありません。
私ひとりでは何ひとつできませんから。
本当にありがとうございます。
(澤野大樹)
――澤野さん、こちらこそありがとうございました!
5か月ぶりとなりました今回のインタビューでしたが
みなさん、いかがだったでしょうか?
本編に収録することができなかった部分もたくさんあります。
かなり長時間に亘るインタビューとなりましたので、続きはまた次回ということにいたします。
2024年は想像を超える猛暑となり、都知事選があって、そして9月の自民党総裁選挙が控え、、そして11月5日には米国大統領選があり、そして衆議院解散総選挙はどうなるか?
2024年の後半は何が起こるかわからないという、これまで経験したことのないような
緊迫した半年間になりそうな気配です。
そんな中、
澤野さんは様々な角度から驚天動地の論説を常に発信されています。
ザワザワ、ハカハカしっ放しの三次元ホログラム世界です。
気が付けば世の中も様変わりしてきました。
カオス化しているように見えながら整ってきているのだと思います。
これからも決して没入することなく、楽しんでいきたいと思います。
今回もありがとうございました。
澤野大樹氏青森講演会主催
小野裕美子