今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月30日の記事を紹介します。
「生まれて来てくれてありがとう」
今日は障害を持つ方々と、そのご家族について書きたいと思います。
魂は永遠に続きます。
心と心、深く繋がった魂は決して離れ離れになりません。
死をもってしても離すことはできません。
貧困、障害や事故、死さえも、魂と魂を揺さぶり、魂の深い絆を創り出す舞台装置にしかすぎません。
今まで健康で、経済的にも恵まれ、幸せなご家庭で過ごしてきた方には、あまりピンとこないお話かもしれません。
ですが、「禍福は糾える縄の如し」
幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえのように、
幸福も不幸もほんの一瞬でひっくり返ります。
永遠に続くものなど、この世に一つとしてありません。
ですので、周りで起きるざまざまな環境の変化に一喜一憂せずに、何時も希望を持っていたいものですね。
<転載開始> 転載元
私は思うのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
私はもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。
私は、考えてしまうのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。
長男が、障害をもっていなければ・・と繰り返された言葉。
障害のある子どもの親である作者は、
「重度障害者は生きていても仕方ないので死んだ方がいい」など、
障害者を排除する趣旨の発言を植松容疑者(相模原・障害者施設殺傷事件)が
繰り返していたことを受けての文章だそうです。
何度も夢を見ました。
『お父さん、朝だよ、起きてよ』
長男が私を揺り起こしに来るのです。
『ほら、障害なんてなかったろ。
心配しすぎなんだよ』夢の中で、私は妻に話しかけます。
そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。
言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。
何と言っているのか、私には分かりません。
ああ、またこんな夢を見てしまった。
ああ、ごめんね。
この文章を書いたのは、神戸金史記者。
長男が3歳で自閉症と診断されました。
家族は長男に妻、次男の4人。
自身の家族を含め、自閉症の問題について、長年、取材してきました。
この文章は、多くの人の共感を呼んでいます。
幼い次男は、『お兄ちゃんはしゃべれないんだよ』と言います。
いずれ『お前の兄ちゃんは馬鹿だ』と言われ、泣くんだろう。
想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。
そんな朝を何度も過ごして、突然気が付いたのです。
弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、人をいじめる人にはならないだろう。
生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。
それから、私ははたと気付いたのです。
あなたが生まれたことで、私たち夫婦は悩み考え、それまでとは違う人生を生きてきた。
親である私たちでさえ、あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。
そして、自閉症の長男から気付かされたこと・・・
ああ、息子よ、誰もが健常で生きることはできない。
誰かが障害をもって生きていかなければならない。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。
生まれた時から重い障害のある子がいたはずだ。
・交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、
・雷に遭って、寝たきりになった中学生が、
・おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、
・嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、
実は私の周りには、いたはずだ。
私は運よく生きてきただけだった。
それは誰かが背負ってくれたからだったのだ。
最後は、長男に直接呼びかけます。
息子よ。君は、弟の代わりに、同級生の代わりに、私の代わりに障害を持って生まれてきた。
老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。
誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。
息子よ。あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。
息子よ。そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。
あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。父より
<転載終了>
文部科学省により2012年に全国の公立小中学校で約5万人を対象にした調査結果で、
”発達障害の可能性のある”とされた児童生徒の割合は、6.5%だったそうです。
もう少し詳しく見ると・・
・4.5%…学習面で著しい困難
・3.6%…行動面で著しい困難(全体指示が入らない、落ち着きがなく着席が不安定等)
・1.6%…学習面・行動面の両面で著しい困難
なのだそうです。
また子供だけでなく、大人になってからも、心身に障害を発症する方もおられますから、
私たちの周りには沢山のハンディキャップを持った人がいらっしゃいます。
私たちは、家族の中に障害を持つ人がいると聞けば、
「かわいそうに」とか、どうしても少し色眼鏡で見がちです。
ですが、生まれ変わりを繰り返し、魂の成長を目指し、長い長い永遠の時を過ごしている
私たちの本体である魂にとって、そのたった一瞬の人生の姿は、本当に「かわいそうなこと」なのでしょうか。
きっと違います。
いえ絶対に違います。
障害を持つと言うことは、この一時の地球での生活、せいぜい80年の期間で見たら、確かに、
・経済的に苦しく
・学業や職業などできることも限られ
・差別されるかもしれず
・偏見の目で見られるかもしれず
非常に苦しい生活を強いられるかもしれません。
悔しい思いもするでしょう。
ご家族も同じです。
ですが、それは「かわいそうなこと」ではなく、彼らは自らその環境を選んで生まれ、挑戦している人生です。
高貴な魂にしか許されない挑戦です。
そしてそれを迎え入れたご家族も同じです。
そのような方々を差別し、蔑み排除する人の心こそ、小さな小さな心であるが故に、
むしろ「かわいそう」なのかもしれません。
このような試練に立ち向かおうとする時、神さまからも同じだけの大きな愛と援助が向けられます。
神さまや、周りを取り巻く心の温かな人々から、勇気と、忍耐力、そして希望を与えられます。
それがあるからこそ、そのチャレンジには大きな大きな意味があるのです。
人々を巻き込んだ大きなドラマです。
何の不自由もなく、健康で経済的に恵まれ、苦労も悲しみも味わうことのない人生からは、
信じることのできないほどのダイナミックな愛と、祝福に囲まれた人生を送ることができます。
例え、表面的には辛く苦しい人生を送っているかのように見えても・・
本当に大切なものは目には見えません。
それは、チャレンジの人生を終えて、天に帰った時に、はっきりとわかることでしょう。
私たちは目的を持ってここに生まれ、この人生を過ごし、そしてまた来たところへと帰って行きます。
必ず戻る時が来ます。
その時に、悔いの残らないような生き方をしたいものですね。
多くの皆様の勇気となることができますように、祈りを込めて・・