今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月25日の記事を紹介します。
「さよならのあとに」
今日は、事故で両腕を無くしてしまったけれど、そのことをきっかけに、
大切な、人の優しさに気づくことができた。
そんなお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
十月二十四日、熊本県の大野勝彦さんが、
星野富弘さんに会う為に大間々へお越しになりました。
星野富弘さんは、中学校の体育の先生でしたが、
クラブ活動の指導中の墜落事故で頸髄を損傷、手足の自由を失ってしまいます。
その後に奮起なさり、口に筆をくわえて文や絵を書き始め、
作品展を開いたり、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載していらっしゃる方です。
熊本の大野さんは、五町歩の田畑にハウスの野菜を栽培していましたが、
平成元年、農作業のトラクターに手を挟まれ両手を切断してしまいました。
何の前ぶれもなく始まった手無しの生活に
幸せが音をたてて崩れてゆくのを感じたそうです。
その時、大野さんが一番こころを痛めたのは三人の子供達のことでした。
大野さんは奥さんと相談して
「子供達が病室に来たら、楽しい話だけをしよう」と決めました。
子供達が来ると部屋の中は笑い声でいっぱいになりました。
子供達が帰り、病室に元の静けさが戻ると
「子供達は、俺の両手切断のことでショックを受けていないようだ」と安心したそうです。
でも、お見舞いに来た近所のおばさんが
「勝彦さんの長男の隆君は、毎日夕方になると玄関の前に座って頭を抱え込んで、
暗くなっても何時間も動かない。意地らしくてかわいそう」と涙声で教えてくれました。
子供達は病院に行く道すがら
「お父さんのところへ行ったら、楽しい話だけをしよう」と話し合っていたのです。
大野さんはその時、家族の優しさに胸いっぱいの幸せを感じたそうです。
星野富弘さんの
わたしは傷をもっている
でもその傷のところから、
あなたの優しさがしみてくる
という詩画に深く感動した大野さんは今、
義手で筆を持ち、素敵な絵や詩を書いて
多くの人に生きる勇気と優しさを与えてくれています。
大野さんの名刺の裏には
しあわせは気づいたときから始まる。
本当はしあわせなんだけど
さよならのあとで気づくの
と書いてありました。
<引用終了>
私たちは、みんな生まれる時に今世では、何をしよう・・・
と、目的を持って生まれてくるそうです。
その目的のために、ご縁のある方と、
いつ、どのようなシチュエーションで、出会うか、分かれるか・・など
細かなところまで、固く約束してくるそうです。
その目的のためなら、
・病気
・事故
・貧困
・別離・死別
など、一般的につらく悲しい出来事も全く苦にならないのだそうです。
もちろん肉体を持つ身としては当たり前に、苦しいのですが、
永遠の魂のレベル
つまり、生きている私たちのすぐそばで見守っている高次の意識の私たちは、
その乗り越えた先、
目的を果たした先にある、永遠の魂の喜びを知っていますから
一時の三次元での苦痛よりも目的遂行を喜んでいます。
高い意識レベルにある魂は
時に、自分の人生を犠牲にして、他の方の魂の覚醒に協力することもあるそうです。
・病気
・事故
・子供たちの早すぎる死
などは、このような目的であることが多いようです。
今回ご紹介した大野さんは両手の切断という 辛く苦しい経験をしました。
未来への希望も失ったかもしれません。
でも、それをきっかけに、
今まで気づかなかった、家族の優しさや愛を身をもって経験することができました。
お子様たちもきっとつらい経験を乗り越え
人の気持ちのわかる、優しい大人に育つことでしょう。
父の代わりにと・・責任感の強い大人に育つでしょう。
きっと、そのお父さんの事故をきっかけに,普通の人では経験できなかったことを経験し、
回りから頼られ、愛される人間に育っていくことでしょう。
そうなった時、お父さんの辛く悲しい事故も
決して無駄なものではなかったことになります。
悲しい事故を人生に予定して組み込んで
生まれて来たかいがあるというものです。