今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月20日の記事を紹介します。
「黄泉の国と縁の深い日本」
自然豊かな日本列島は神々が何億年もかけて作り上げてきました。
氷河期の終わりとともに大陸から切り離され4大プレートの交わる地で、山や谷ができ、
浄化された水が豊富で、平和な国が形成されました。
そこでは、物質的なモノよりも、神々や自然を敬う精神性が重要視されてきました。
つまり、物質よりも霊、魂、精神が大切であるという霊主体従の考え方が、深く刻み込まれてきました。
まさに神々が計画した通りです。
それゆえに、物質文明が頂点を極め、物質や、お金至上主義の悪徳の世界が終わりをつげ、
新たな精神文明が花開こうとする今、日本人の「心を大切にする」文明が、活躍する時代となりました。
この時のために、神々が日本列島を作ったと言っても過言ではないかもしれません。
それでは今日は珍しい切り口で神の国と、人間の世界について書きたいと思います。
春日大社の元宮司、神道の最上階(浄階)まで行かれた葉室頼昭さんのお言葉を基にご紹介します。
日本神道では神さまや先祖の皆さんがいらっしゃる国を、「黄泉の国」(よみのくに)
そして私たちが肉体を持って生きているこの世界を「現世」(うつしよ)と呼びます。
日本では縄文の昔から人々はこの宇宙は、循環とバランスの上に成り立っていると知っていました。
それは神様がビッグバンを起こしてから150億年もの年月をかけて作り上げた世界です。
循環ですから西洋式の考えの、除去、消し去る、取り去る という考え方ではありません。
私たちの魂も、神々や先祖のいらっしゃる黄泉の国から出てきて肉体をまとい、一時の間、物質界つまり「うつしよ」で暮らしています。
そして 死とともに先祖の居る世界、神々の世界。つまり黄泉の国に戻ります。
私たちは誰でも、黄泉の国から、この世界に生まれてきました。
その世界は神の世界ですから、誰でもが、清らかな美しい世界から、この世に生まれたことになります。
つまり、
・意地悪をする人も
・心温かな人も
・聖人のような清らかな人も
・罪を犯す罪人も
全ての人が 黄泉の国から来ました。
つまり、どんな人でも 本来の心根は、清く、美しく、思いやりに富んだ、心の持ち主であるということです。
心の中に恨み、つらみ、憎しみを持ち、地獄のような囚われの世界に居る人は、現世には、まだ生まれ変わって来れないということです。
これは裏返してみれば、自分にとって、どんな悪人でも、それはその人の本質ではなく、
何らかの目的を持って、その役割を演じているだけ・・と言うことになります。
その目的とは、私たちの魂を 研ぎ石のように研いで(苦しみ、悲しみ、悔しさ、恐れ、不安)魂を輝させるという以外にありません。
その人たちの現世での裏に隠された
・神のような心
・温かな思いやりに満ちた心
を知るのは、お互いが、再び黄泉の国に帰ってからのことになるでしょう。
日本は諸外国と異なり、非常に黄泉の国に近い国です。
その証拠を昔話の中に見ることができます。
では、葉室頼昭さんのお話を基にご紹介します。
浦島太郎は、助けた亀の背中に乗って竜宮城で歓待を受けます。
そこは見たこともないような美しく綺麗なところで、天井も床も、まばゆく光り輝き
何処からともなく、良い香りが漂い、美しい音楽まで響いています。
太郎は時を忘れ、楽しく過ごします。
(玉手箱を開けたら 300年の時が過ぎていました)
この竜宮城とは私たちが元来た所、つまり黄泉の国のことです。
神々が住み、先祖の皆さんが住んでいます。
その美しい世界は、
・時間もなく
・悩み、苦しみ、心配事さえありません。
幸せそのものの世界です。
そして私たちが生まれた時、無垢の魂は、そのような美しい世界から来たため、心に罪・穢れのシミ一つありません。
赤ちゃんの無垢の笑顔はそれを表しています。
ですが、私たちは、成長するにつれ大人になるにつれ、その美しき心を忘れ
・病気
・悩み
・苦しみ
・心配事
ばかりの世界に、いつの間にか生きるようになってしまいます。
それは、私たちの心に潜んでいた、いえ、いつの間にか神様の氣を包み隠してしまう
自我(自分さえ良ければ良い)の心が、真実の神の世界を見えなくしてしまったからです。
※これを祓うのが神道では、祓い。清め となります。
もちろん、私たちの魂は、その自我による苦しみさえも見越したうえで、この世「うつしよ」に生まれて来ました。
何故なら、その苦しみが、私たちの心を強くすることを知っていたからです。
私たちの心は、
・食べる物にも困らない、
・悩みなど一つもない
・いつも楽しいころばかりの生活
からは磨かれることがありません。
今、私たちが経験している
・悲しみ
・苦しみ
・悔しさ
は全て 苦しいことではあるけれど、心を輝かせるために一時だけ、経験していることです。
浦島太郎は、玉手箱をもらって、再びこの世、つまり「うつしよ」に戻ってきました。
これは、黄泉の国と、現世を私たちの魂は循環(行き来)していることを象徴しています。
自然と同じく私たちの魂も 循環を繰り返します。
決して西洋の思想のように悪だからと、切り取られ、捨てられ、消滅されることもありません。
自分の生活に邪魔だからと、除去されることもありません。
大祓祝詞が示す通り例え悪であっても、全てを、黄泉の国を通過させ、美しき清らかなエネルギーに変えて戻されます。
この大いなる安心感。循環の心、正邪を超えて全てを包み込む心を、私たちの祖先は持っていました。
私たちは神々の作ったこの宇宙の仕組み、循環とバランスの上で、永遠の魂の向上を目指している最中です。
みんな、同じ道を歩む仲間です。
人も、動物も、植物も。そして自然現象でさえも。
積もった雪が、春になって消えたと言うけれど・・
決して消えてなくなったわけではありません。
水になり、地面に吸われ地下水となり、川の水となり、海に注ぎ、再び雨や雪となって戻ってきます。
私たちの心、魂も同じです。
肉体は脱いでも黄泉の国(神々の国、先祖の国)に戻り、姿、形を変えて再び戻ってきます。