今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月04日の記事を紹介します。
「闇の中」
前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉に
「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉があります。
では、苦しく辛い闇の中に置かれた人はどうでしょうか?
時に神様は私達を闇の中に置き去りにしてしまわれたのか?
と思うような厳しい環境の中に置かれることもあるでしょう。
一度も闇の中に入ったことのない人、
それは幸せと言えば幸せかもしれません。
でもその幸せは、暗闇の中から一条の光を見つけた時の喜びとは比較にならないものです。
私達の内に居らっしゃる神さまは、私達にかけがえのない大切なもの
「おかげさま」の気持ち
それを忘れないように、思い出すように、時に私達を闇の中に置かれます。
渡辺和子さんの言葉にこんなものがあります。
<引用開始>
闇の中に置かれたがゆえに、それまで知らなかった様々な
“明るさ”のありがたさがわかるのです。
それこそ「当たり前が輝いて」見えてくるのです。
私は、苦しい時には、しっかり苦しんだらいいと思っています。
「この苦しみも、神様の思し召し、愛されている証拠」などと、
一直線にありがたがってしまうと、
せっかくの苦しみがもったいないように思うのです。
「あかりをつけたら、闇がもったいない」というのと同じです。
闇には闇の価値があるのだということ。
明るいところにしかいたことのない人に、真の闇の暗さはわからないし、
したがって明るさのありがたさもわかりません。
闇の中に置かれたがゆえに、
それまで知らなかった様々な“明るさ”のありがたさがわかるのです。
それこそ「当たり前が輝いて」見えてくるのです。
<引用終了>
病気やケガもそうですが、
苦しみの最中は、心臓も凍結しそうなほど、息をするのも苦しいかもしれません。
布団をかぶり、声を殺して泣く日々もあるでしょう。
周りの全てが敵に見えるかもしれません。
ですが、そういった闇の経験こそが、
・私達自身を養うための時間、
・心を練るための時間であったと
気付く日がきっと来るでしょう。
明けない夜など絶対にないからです。
闇を経験したことのない人、
孤独を味わったことのない人。
いつもケラケラとふざけて笑い、
美味しいものを好きなだけ食べ、
わがままを言い、欲しいものは何時でも手に入る豊な人生。
もしかしたら、そういう人生にあこがれるかもしれません。
ですが、果たしてそこから、
私達の一番大切な魂は、何かを得ることが出来るでしょうか?
人それぞれが選んできた人生。
時には、何の不自由や心配のない「休息の人生」を選択して生まれて来る人もいらっしゃるようです。
ですので、どれが良い、悪いと決めつけることはできません。
ですが もし今、闇の中に置かれた方がいらしたら、少し考えていただきたいのです。
もしかしたら、神さまが苦しみ、悲しみの闇を、
私達の今まで知らなかった様々な“明るさ”のありがたさに気付いて欲しいと
用意して下さったものかもしれないのです。
神様は、無駄なことは決してなさいません。
決して、私達を困らせよう、破滅させようなどとは思っていません。
全ては私達の魂の喜びの為に用意なさって下さっているからです。
温かな、愛溢れた方だからです。
その神様がどなたの心の中にもいらっしゃいます。
勇気を思い出してください。
私たちは、生まれる前に、そうなることを神さまと選び、
そして必ず乗り越えて、
魂の深みを手に入れてみせると約束して地球に生まれてきたのですから。
神さまは、どんな時も私たちの傍らから離れることは無いのですから。