2025年2月15日土曜日

3704「節分と分かれ道」2025.2.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月02日の記事を紹介します。


「節分と分かれ道」


今日は2月2日 節分です。

竹之高地不動社の節分祭に行ってきました。 

少し不思議系のお話を書きます。 

明日は暦の上では立春になります。 

こんなに寒いのに、春はすぐそこですね。

さて豆まきでは、皆さんのお宅ではなんと言いながら撒きますか?

実は、「鬼は内~福は内~」が本当は正しいのではないかと言われています。

節分の日は、日本の国祖、国常立大神(くにとこたちのおおかみ)が

世界の艮(うしとら)の方角、つまり日本の地に封印された日と言われています。

国常立大神(くにとこたちのおおかみ)は、 

『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、

別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、 

独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記されています。

この国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた

「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨しました。

国常立大神自身も龍神であったようですが、

他にも数多くの龍神眷属を引き連れてやってきたそうです。

その後も国常立大神は、地球の総司令官として君臨し続けたようですが、

次第にその厳格さゆえに、他の眷属神(八百万神)から不平がもれ始め、

世界の東北(=艮)の地にあたる日本列島に封印されてしまう事になります。 

それ以来、国常立大神は、艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、

また、疎まれるようにもなり、その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。

このあたりの事情は、出口王仁三郎『霊界物語』によれば、以下のようであったようです。


国常立大神の厳格さに嫌気がさした八百万神々や、

悪神と化していた盤古大神と大自在天神らによって地上は大変乱れてきました。

そこで国常立尊はやむを得ず天に向つて救援を要請しました。

天では天照大御神、日の大神(いざなぎのみこと)、月の大神(いざなみのみこと)、 

この三体の大神が、地の高天原に降臨し、

国常立尊の神政および幽政のお手伝ひをすることになりました。

国常立尊は畏(おそ)れ謹(つつし)み、三体の大神を迎えました。

しかし地上は国常立尊の神政は勢力を失い、盤古大神および大自在天神の勢力は強く、

ついには国常立尊に対して、御退位を迫る勢いでした。

天の御三体の大神は、地上の暴悪なる神々に向かって、なだめ、あるいは訓(さと)し、

天則に従うべきことを丁寧に説きたましたが、時節は悪神に有利であり、いはゆる悪盛んにして、天に勝つ。という状態でした。

ここに国常立尊は神議(かむはか)りにはかられて、髪を抜きとり、手を切りとり、骨を断ち、筋を千切(ちぎ)り、手足所(てあしところ)を異(こと)にするやうな惨酷な処刑を甘んじて受けたまいました。

ですが国常立尊は宇宙の大原霊神(おほもとがみ)でしたので、

一旦肉体は四分五裂しても、直ちにもとの肉体に復ってしまうのでした。

暴悪なる神々は盤古大神と大自在天神とを押し立て、遮二無二に己の要求を貫徹しようとし、天の御三体の大神様の御舎(みあらか)まで汚してしまうことになったのです。

その結果、ついに国常立尊に退隠の命令が下ることになりました。

さて天の三体の大神様は、国常立尊は自分の家臣となって居ますが、元来は国常立尊は大元の祖神であり、御三体の大神様といえども、国常立尊をご自身で生んだ関係がありますので、心情としては国常立尊を退隠させることは忍びなかったのです。 

ですが時節のやむなきを覚り、涙を流しつつ勇気を持って、

しばらくは八百万の神々の進言を、認めることになりました。

その時、天の大神様は、国常立尊に対して後日の再起を、以心伝心で伝え、国常立尊に退隠をお命じになり、天に帰られました。

その後、盤古大神を擁立する一派と、大自在天神を押立つる一派とは、烈(はげ)しく覇権を争ひ、ついに盤古大神の党派が勝ち幽政(霊界)の全権を握ることになりました。

一方、国常立尊は自分の妻神である坤金神(ひつじさるのこんじん)と、大地の主宰神(金勝要神 きんかつかねのかみ)および宰相神(さいしやうがみ)大八洲彦命(おほやしまひこのみこと)、その他の有力なる神人とともに、わびしく配所(はいしよ)に退去しました。

以上が、国常立尊が艮(うしとら)の地、つまり日本に封印されたいきさつです。

(出口王仁三郎の『霊界物語』より)

そして引退の日、つまり封印された日が、節分です。

国常立尊が封印された後、万神達は国祖の威霊が再び出現するのを恐れ、

七五三縄(しめなわ)を張りめぐらし、 

「煎豆に花が咲くまで出てくるな」と呪いの言葉を投げかけました。

さらにその封印の力を強力にするために、

節分の日に「鬼は外、福は内」と唱えさせました。鬼とはもちろん国常立尊のことです。

節分には、日本中がこの言霊を唱えます。

従ってどれほどの威力か測りしれません。 

また節分に炒り豆をまくのには、炒り豆をまいても花など咲くはずもありません。

国常立尊を復活させない「まじない」としての意味があるのだそうです。

ですが、天の三体の大神様は、国常立尊に引退勧告を出すときに、

後日の再起を固く約束されました。

さて、その後日の再起とは何時のことでしょうか?

出口王仁三郎の予言によれば、

2010年より人間の精神性に関する立替え・立直しが始まっています。

もしかしたら、もう近いのかもしれません。

ですが神々のやり方は、

その最中には、全く私たちが気付かない方法で、進められていきます。

多くの人が期待するような派手で、

ドラマチックな、天変地異のようなやり方ではないと思います。

気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ そんな形かもしれません。

以前、友人が書いていました(以下抜粋)


ここ数年、徐々に魂のグループ分けがされてきた様に思います。

これについては、沢山の方が体感されてる事でしょう。 

そしてそのグループ分けも、最初は大雑把に、そしてスピードを上げてどんどん細かく。

勘違いをして欲しくないのは、グループ分けと書いてますが、選民意識を持たないでいただきたいんです。

私はこっち、あなたはそっち…とか。 

グループ分けとは、単に目指す方向の違いですから。列車の目的地の違いです。

(以上抜粋終わり)

私もここ数年、漠然とですがずっとそう感じていました。

決して、どちらが良くて、どちらが悪いのではありません。

その人の持つ好みとか嗜好性によって、 

進むべき道がドンドン鮮明に分かれて来ているのではないかと思うのです。

そしてその道は、今までであれば再び交わることもあったけれど、

今の地球での時空間では、もう交わらないのではないかと感じています。

でもそれは悲劇ではなく、自分の好きな道、目的地が鮮明になり、

そこへ向かうがための別れでしかありません。

そして、自分で定めた目的地にちゃんと着くには、

・自分がどうしたいのか?

・何をしたいのか?

・どう生きたいのか?

人に流されず、人に頼らず依存せず。自分の信じる道を進む勇気を出してみてください。

私たち一人一人は、神さまに見守られています。

ですから自分の意思・心で決めて進んで行くことができます。

自分の人生は人に頼り、決めてもらうのではなく、

自分で決めて進んで行かねばなりません。

できるなら、心に張り付いた沢山の灰汁(アク)を少しずつ落とし、

ピュアな心で内に居らっしゃる神さまと歩んで行きたいものですね。

私もそうしたいと思います。

そして、できれば国常立尊が納める聖なる世界に行きたいです。