2026年8月23日日曜日

4358「青空ひろば」2026.8.23

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より40 2026.07.28 

気を逸らせること、手放すこと

禅の方でも気を逸らせた時、手放した時に心が解放された例は沢山あります。

例えば霊雲禅師という人は、

30年も激しい修行、命がけの修行をしてもなかなか悟ることがなかったそうです。

そしてある時、山すそで休息している時に、フッと満開の桃の花が咲き誇っているのを見上げた。

その瞬間に忽然と悟った。

それから香厳禅師という人は、庭掃除の最中に跳ねた小石が、竹にカーンと当たった音で悟ったそうです。

気がフッと逸れたんやね。

無門慧開禅師は、太鼓がドーン!と鳴る音を聞いて悟った。

そして阿南尊者は、悟ろう悟ろうと必死に坐禅したりね、修行したけど悟れなかった。

そうして、ボクは悟れないんだなと諦めて、横になって寝そべった瞬間に悟った。

手放したんですね。

悟ろう悟ろうとしてた、それを手放した瞬間ですね。


イノチの学校より38 2026.07.26 ~ イノチの学校より39 2026.07.27

放行(手放すこと)について

放行っていうのは手放すことですね。

まずその前に

疑問とかね、コレというもの(目標や課題や問題や…)を、

心の中で握りしめて握りしめてあるところまで握りしめていくと、心の中央に、イノチを持った疑問ができるんです。

疑問にイノチが宿るんですね。

そうなると、寝ていても何していてもずっと疑問が持続されるようになる。

そこまでいったらもう、握ったらアカンのです。今度は。

イノチを持ったんですから、後は手放してあげたら疑問は、勝手に答えの方に飛んでいきます。

それが放行の過程ですね。まず握りしめて、手放す。

握りしめる過程を把住(はじゅう)、手放す過程を放行。

把住については別の機会に詳しく話したので、今回は割愛しておきますね。

把住して放行、把住して放行。

握りしめて手放す、これを活用するのに

大敬の場合は、始めはこれ、3年かかりましたね。

禅の公案(禅の修行者が取り組む、師匠から与えられる問題)というのに取り組んでいた時、

最初は3年間問題について握りしめて、そうして放行してハッと答えが出てきました。

でも段々とね、面白いもので把住のコツが掴めたら、把住そのものが段々と要らんようになってくる。

スッと握ってパッと放す、スッと握ってパッと放す。

握ってからフッと放してあげる、それで終わる。

だから師匠に問題を貰ったら、それを受け取ってね、貰った時には把住が終わっている。

あとはその瞬間にフッと手放したら答えが出るようになっている。

ここまで行ったらね、優劣とか上下とか、師匠とか弟子とかそういうのを越えたなと思いましたね。

アタマを通さない心の働きですからね。

でも先輩とかは認めてくれなかったりしますね、「そんな事で答えはでないよ」と思い込んでるから。

把住して放行するには、しっかり何年も握りしめてね、そうして手放さないと駄目なんだって思い込んでるから。

そんなことはないんですよと言いたいですね、初めから放行してあげたら答えが出るように、イノチは出来ているんですからね。


イノチの学校より37 2026.07.25 

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった

「私は十五歳で学びをスタートし、三十歳で志を立て、四十歳で迷いがなくなり、五十歳で天命を知ることが出来た。

そして、六十歳で人の意見や自然界や神の無言の言葉が、そのまま素直に耳に入り、順えるようになった。そして、七十歳で、おのが心が欲するままに行動して、それがそのまま神が望んでおられるご意志に沿ったふるまいになるということになったのである」

70歳で…って72歳で亡くなっているからやっぱり時間がかかるんですね。

最後に本当の意味で、自分の思ってる事が神の思ってる事になったというのが。

70歳になってからなんですね。

で、その前に、六十にして耳順う(ろくじゅうにしてみみしたがう)  

で自然界とか、植物が言ってることや、天から届く言葉とか人の意見とかが素直に耳に入る様になったと。

そういう境地があったという事ですね。

なかなかやっぱり時間がかかるということですね。

論語は我々の日常と関わるような事をしっかり仰って下さっていますね、

杓子定規な規則や戒律じゃなくてね。

だから孔子さんの人格というか人物像を学んでいくと参考になりますね。

学びの人、仲間を大切にする人、人に評価されなくても黙々と自分の信じる事をやれる人。


イノチの学校より36 2026.07.24 

論語より

大敬意訳

 師(孔子さん)がおっしゃった

「政治を行うのに<徳>をもって行えば、たとえば、北極星がじっと不動で、衆星が北極星をめぐってまわるように、徳ある人が、言葉に出さなくても、周囲の人たちが徳ある人の意を汲み取って率先して行動してくれ、すべてがうまく整ってゆくものである」

だから徳さえあれば、周りの人は言わなくても自然に、意向を察知して協力してくれたりする。

だからそこは大切なんだよ、徳を持つことの大切さですね。


イノチの学校より35 2026.07.23

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった。

「父が存命中なら、なさっている事の意味をよく観察して学ぶ。

父が亡くなられたなら、なさった行動の正否をよく顧みる。

そして、亡くなられてから三年経ってはじめて父が定められた方式の内に、今の時代と場所と人にふさわしくないものがあれば、改善に着手するのである」

この言葉に従って行動した訳ではないですが、大敬も突然仕事で、管理職の役職を与えられた時にそうしました。

前任の方に一つ一つお伺いを立てて、これで良いでしょうか?と聞いて、

ここはこうした方がいいよと助言を頂いたらそのようにしました。

三年はそうしました。

なんかおかしいな?と思うこともいっぱいありますね、あるけど言われたままに行動する。

三年経った時に前任の方が退職されたので、自分でおかしいなと思っていた所は部分的に改良して、部署の皆さんに改良することを説明して、それを実行していきました。

だから三年目くらいで初めて自分の意見をカタチにしました。

こんな風にね、これぐらいでいいんですね。若い時は革新的なことをしたいし、

悪いとこが沢山目につくと思うけど、わかっていても最初は周りの言う通りにやっていく。

謙虚にそうしてやっていくと、みんなから信頼されてきますね。

そうして信頼されてくると、自分の意見を言ってみたら受け入れて貰えるようになっていますね。

いきなり無理をせずに、始めはちゃんと従っていくことも大切ですね。


イノチの学校より34 2026.07.22 

論語より

大敬意訳

師(孔子さん)がおっしゃった。

「帝王の心得に<虚心でなければ忠言を入れることは出来ない>というものがある。

その意味は、我見に固執しないで、忠臣の言葉を謙虚に聞き取って、ソレが正しいと判断出来れば、直ちに方針を変えて、その忠臣の意見に従って為政してゆけというのである。

私たちの学道のあり方もそのようでなければならない。

若し自分の意見にいつまでも固執していたら、師の教えが耳に入らない。

師の言葉が心に届かなければ、いつまでも師の法を得ることが出来ないのである。これが学ぶ者の第一の用心である」

謙虚さについて、孔子さんはこのように語られました。