今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。
イノチの学校より88 2026.09.16 ~イノチの学校より98 2026.09.27
親鸞さんは、夢のメッセージによって導かれたという、不思議な歩みをされたそうです。
その歩みを見ていきましょう。
まず親鸞さんが生まれる前のこと、親鸞さんのお母さんが夢を観られました。
その時に如意輪観音さんが夢に出てきて、「五葉の松」をお母さんに授けられた。
そして親鸞聖人の出生を予告しました。
これから貴方が妊娠する、その赤ちゃんは私(如意輪観音さん)の思いを叶えてくれる人であり、貴方(お母さん)の思いを叶えてくれる人である。
そう告げた。
夢で渡された「五葉の松」これ面白いですよね。
これは「御用の待つ」、御用を待っていますということ。
貴方の息子は神さま仏さまの御用を叶える人なのですよ、御用が叶う時代を待っていますよというメッセージです。
「五葉の松」は「御用の待つ」というメッセージですねとお話しましたが、
五井先生も似た体験を、自叙伝に面白いことを書いておられます。
神さまと出会って、その神さまが五枚の葉っぱを次々と渡してくれたと。
これを五井先生は意味をわかって書いておられたのか、自叙伝には特に書かれていません。
そういう体験があったと記されています。
これも五枚の葉、つまり「五葉」は「御用」ですね。
神さまの御用を果たしてくださいね
というメッセージ。
さて、親鸞さんは承安三年に京都の日野、伏見区で生まれます。
ちなみに道元さんも伏見区でした。
4歳で父と別れ、8歳で母と別れて9歳で出家、比叡山で天台宗の僧となられた。
そして19歳の時に、聖徳太子廟に参籠された。籠もられたのですね。
これは大阪の太子町にある叡福寺(えいふくじ)という所です。
その時に夢の御告げがあったと記録されています。
「第二夜の14日、四更(午前2時)ごろ、自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中はあかあかと光明に輝いて驚いた。」
その時、親鸞聖人に告げられた聖徳太子のお言葉
『我が三尊(弥陀、観音、勢至?)は塵沙(じんしゃ)の界を化す、日域は大乗相応の地なり、諦に聴け諦に聴け、我が教令を。汝が命根は応に十余歳なるべし、命終りて速やかに清浄土に入らん。善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』
その時の記録として、親鸞さんはこう記されています。
「時に、建久二年九月十五日、午時初刻、前の夜(十四日)の告令を記し終わった。 仏弟子 範宴(得度名、親鸞さんのこと。)」
『我が三尊』っていうのは定説では阿弥陀さん、観音さん、勢至さんですが、わからないですね。
この時は浄土の教えが確立していた訳ではないので、三尊の意味は違ったかもしれません。
で、『塵沙の界を化す』は世界中を救うという事。
『日域』は日本のこと。聖徳太子の時代って意外と国際的でね、世界中の宗教が日本に入ってきていました。
大乗仏教もそうだし、小乗仏教も、キリスト教もゾロアスター教も…
そういう色んな教えが入ってきていた。
聖徳太子さんはそれを全て勉強して、日本は何をもとにして繁栄していったらいいか?とお考えになって、大乗仏教が相応しいとされた。
それが『日域は大乗相応の地なり』という事。
『諦に聴け諦に聴け、我が教令を。』
私のこれから伝えようとしている事を、よく聴きなさい。
『汝が命根は応に十余歳なるべし、』
君の寿命はあと十年余りですよ。
『命終りて速やかに清浄土に入らん。
善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』
命が終わったら清浄土(清らかな世界)に入る事ができる。
本当の菩薩をよくよく信じなさい。
という事で、貴方の寿命はあと十年ですよと告げられた。
なかなか厳しいですね?19歳の時に言われたらね。
それがずっと親鸞さんの心のなかに残っておられたのでしょうね。
夢で言われた事が心に残っていたのでしょうね、親鸞さん28歳のこと。
19歳から数えてもうすぐ十年になるというので、寿命だと夢告された歳になってきました。
比叡山の南にある、大乗院というお寺に籠もられました。
その時に新たな夢告を受けます。
「参籠の満願にあたる12月30日の四更(午前2時)、如意輪観音が現れて、親鸞聖人に夢告。」
『善いかな、善いかな。汝が願、まさに満足せんとす。善いかな、善いかな。我が願、満足す』
汝(親鸞さん)は、寿命を延ばしたいと祈願し参籠した。その願いは満足される(叶う)。
そうして寿命が延びたら、そこからは生まれ変わることになります。
そこからは、私(如意輪観音)の仕事をしてください。役割を果たしてください。(我が願、満足す)
私(如意輪観音)の御用を、菩薩となって果たしてくださいね。
と伝えられて、ここから新たな寿命、天命を親鸞さんは授かったのですね。
ここからは菩薩としての働きの寿命になります。
29歳で比叡山をくだる。
天台僧として出世していくことは、如意輪観音さんの願いとは違ったのですね。
庶民として地上におりて、皆と一緒に生活し、共に生きて皆を救っていく。
それが如意輪観音さんの願いなのです。
そうして山をおりて、京都頂法寺六角堂に参籠。
「女犯の夢告」(「救世観音の夢告」)を受ける。
これはおそらく、親鸞さんは性的な事柄をどう考えるのか、悩んでおられた。
重いものを抱えておられたのかなと思います。
出家はそもそも女性と接したらいけないと、決められていますからね。
そんな中このような御告げを、聖徳太子(救世観音)から夢で告げられた。
行者宿報設女犯 (行者宿報にて、たとい女犯すとも)
我成玉女身被犯 (我玉女の身となりて犯せられん)
一生之間能荘厳 (一生の間 能(よ)く荘厳して)
臨終引導生極楽(臨終に引導して極楽に生ぜしむ)
現代語訳しますね。
女性と関係を結ぶような事があったとしても、私は玉女の身となって貴方に犯されましょう。
一生の間、よく貴方の道の歩みをサポートします。
貴方がお亡くなりになれば、極楽浄土へと連れていきましょう。
この様に伝えられた。今までは罪の意識ばっかりだったのが、女性と共に添い遂げる自由を得た。その覚悟が決まったのですね。
29歳 かつての兄弟子 聖覚法印(せいかくほういん)に導かれ、生涯の師・法然上人に出会い入門。
ちなみに、法然上人は語録でこんな事も仰っておられますね。
「出家した方がお念仏を唱えやすいなら、出家しなさい。在家でいた方がお念仏を唱えやすいなら、在家でいなさい。」
在家って一般の家庭で、ふつうに生活しながら信仰することですね。
そういう風に大切なのは形式ではないよと。
お念仏を根本にすえて、どういう風に人生を生きたら唱えやすいのか?
それを考えて生涯を歩んでいきなさい、そのように教えられています。
親鸞さんにはそうした教えの心が、ピタッときたのでしょうね。
35歳、権力者や聖道諸宗の攻撃を受け、法然一門は解散。
法然、親鸞両聖人が流刑。親鸞さんは越後国直江津(新潟)へ追放されます。
39歳の時に放免されます。
法然さんも親鸞さんも放免、つまりは許されたのですが、法然さんは四国へ追放されていて、親鸞さんは新潟へ追放されていました。
親鸞さんは法然さんに会いたいと強く望んでいたそうですが、新潟は豪雪地帯で、新潟で家族をもっていた親鸞さんはすぐに会いに行くことができませんでした。
罪を許されたのは11月頃だったそうなので、激しい雪の時ですね。
そして、親鸞さんが40歳になる頃には法然さんは亡くなられます。
法然さんは罪を許されて、京都に帰って2ヶ月程で亡くなられたそうです。
当時80歳ですからね。長旅や体力的な消耗があったとも言われています。
親鸞さんはそこから関東へ移住して、
52歳で 「教行信証」を著す。主著ですね。
60歳ごろ京へ帰る、76歳以降、著書の多くを著す。
そして、85歳 で「夢告讃」というのがありました。
親鸞さん最晩年、85歳の時に受けた夢の御告げを受けて詠まれた「夢告讃」。
正像末和讃(しょうぞうまつわさん)という詩歌の冒頭にこう記しておられます。
「康元二年二月九日の夜寅の時(午前4時)、夢のお告げにいわれるには」
弥陀の本願信ずべし
本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり
「阿弥陀如来が法蔵(ほうぞう)菩薩という菩薩であった時に、48の誓願を立てた。
その願(約束)によって、念仏を唱えたものは必ず極楽浄土へ迎え取る。
そういう願いが達成されたのだから、
それを信じなさい。(すでに願いは達成されている。)
それを信じる人は皆救い取る。(決して見捨てる事はない)
その御利益によって、必ず仏になれるのです。」
晩年に記した書物の冒頭に、この夢告讃を置かれたのですね。
そして90歳で入滅された。
その時代としては随分長生きですよね、道元さんは亡くなったの54歳ですからね。
文章みても感じますね、道元さんはキラッキラッキラッとね、ボンボンボーンと飛んでいきますから。
ついていくのが大変ですけど。
親鸞さんはウネ、ウネ、ウネ、という感じでね。
どこに切れ目があるかわからないような、そういう文体を見てもわかりますね。
長生きされる人の粘りとか、道元さんのようなスパッとした感じでね、その生き方が伝わってきますね。(完)