2026年11月3日火曜日

4430「地球を救う大和心」2026.11.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月13日の記事を紹介します。


「地球を救う大和心」


今 日本を中心に、神様の魂を持った子供たちや、

宇宙から直接地球に転生してきた子供たちが、

沢山生まれていると言われています。 

宇宙意識を持った子供たちは、

地球の、それもなぜかみんな日本を目指して生まれて来ています。 

宇宙人の魂は死ぬと地球惑星系の天国にはいかず、

そのまま故郷の星の肉体に戻るそうで、

人間の一生として生きたその長い時間も、

故郷の星に戻ってみれば、経過している時間はたった8時間ほど。 

まさに寝て起きたようなものだとか。

麻で有名な縄文研究所の中山康直さんは、

中学生時代、池で溺れ13分間意識不明に陥ったそうですが、

その短い時間、プレアデス星団アルシオーネに転生し、1万年生き

麻を研究し、その死後再び、地球の中学生の体に戻ったそうです。 

そのプレアデスでの1万年の人生が、地球ではたった13分間。 

神さまが見える子供たちのお兄さんの方は、

宇宙から直接、地球に転生した魂ですが、 

小学生ながら、その知能ははるかに高く

マルチユニバース(並行宇宙)の知識までありました。

また科学技術のはるかに進んだ宇宙人にとって、

神様は、友達のような存在とのこと。 

レインボーチルドレンの小学生のそうた君も同じことを言っていました。

彼ら知的生命体にとっては、

神さまや魂などは決してスピ的な話ではなく科学そのもの。 

その科学の力で、魂そのものを見て、話しもします。(リーディング) 

また魂に対する科学的な知見を持って、転生さえもコントロールしています。

バシャールのように、科学的な知識で

人間の肉体をサーチして、その過去を見たり、未来を見たりします。

決してそれは迷信的なスピのお話ではありません。

更に、天国や地獄と言った世界の知識も持っています。

この地球文明よりもはるかに進んだ科学的な知識を持つ宇宙人たち。

その彼らが憧れる星が、広い宇宙に2つだけあるそうです。 

その1つが地球。 

そしてその地球の中でもとりわけ日本なのだそうです。 

それは日本が神々によって作られた特殊な国であり、

更にはありがとうと言う言霊があるからなのだそうです。 

美しい心が残っているからなのだとか。 

さて今日の本題です。 

今この時こそ、今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、

多少不安ながらも待ち焦がれていた、その時そのものなのですが、 

日々の暮らしの中においては、なかなか

・「何か、起きているな」と・・感じはしても

・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても

今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。

世界的にも、そして、数百年規模の歴史の波の中においても、

大変化の時代に突入しています。 

今日の続きが、また同じ明日ではありません。 

既に3次元的な地球上でも、大きな変化が起きています。 

今まで全世界が騙され続けてきた、悪魔の支配が終わろうとしています。 

もうすぐ今起きているその大きな変化の意味を、多くの人が気づくことでしょう。 

もう後戻りはできません。

停滞もできません。

大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、

私たち自身が変える必要があります。  

以前、「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、 

既にこの時のために、そしてショックを和らげるために、

前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。

・神戸、東北の大震災

・九州の地震 

強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、 

その時を境に、ご自身の中の価値観が、大きく変わられたことと思います。 

大正時代の日本を見たアインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、

世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどの諍い(いさかい)の後、

世界の希望は、日本人の心にある大和心(やまとごころ)に託されています。 

私達平凡な一般人には、

・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり

・貧困にあえぐ多くの人々を救う 

そんな大きな力はないかもしれません。 

ですが、私たち自身の心を整えることはできます。 

心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。 

ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。 

全ては、私たちの心ひとつから始まります。 

では、言葉遊びではなく、綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、 

実際に実践・行動できるように

「私たちの心の何」が、大和心なのか?書きたいと思います。 

今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。 

どうしたらその心を取り戻せるのか? 

大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。

敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花 

現代語訳は・・・ 

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。 

そして西洋の異人の人々でさえ、日本の山に咲く、山桜を見たら、

大和心に目覚めるであろう・・・ 

そう言っています。 

このような心をはぐくむために、

神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り、 

そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、

その高低差で川が流れ、美しい自然をはぐくんできました。 

そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、

・自然と共生する心

・自然を愛でる心

・自然や万物に感謝する心

・自然や万物、そして相手の中に神を見る心

を創られてきました。 

全部神々が計画した、いわゆる 共生と順応の美しき心です。

これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では、 

自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました。 

・自然を征服する

・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。 

全てが対立という考え方からスタートします。 

日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。 

そして順応し、自分を変えることで、

自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。

日本人は、縄文の時代から、ずっとそれをやってきました。 

ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。 

この強さを恐れ、破壊するために、根絶やしにするために、

戦後の統治政策が行われました。 

日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。 

アインシュタインが言った 

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。 

そのような地球の未来が託された、私たち日本人の大和心、 

これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、

身近な周りの人々と

・その違いを認め

・笑顔で助け合い

・おかげ様、お互い様の気持ちで 

・憎しみの心

・不平不満の心

・嫉妬の心を捨て 

感謝の心で過ごしていくだけです。 

大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。 

自分の心を整えるだけです。 

その積み重ねが、私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし、 

深い悲しみの後の世界に、平和と笑顔を広めてくれることでしょう。

この日本人の優れた特質について、

今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が、

「神々の微笑み」で書いています。 

あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。 

<引用開始> 引用元

十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。

ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。

風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。

しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。

オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。

が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。

オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。

深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。

すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。

翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、

幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。

数名の新たな入信者があったからだ。

しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。

老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。

この国にはデウスだけでなく、

孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、

我々を征服することはできなかった。

たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、

逆に我々が征服しているともいえる。

我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。

デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。

お気をつけなさい。

デウスが勝つか天照が勝つか、

いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。 

<引用終了>

 

※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、

宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。


2026年11月2日月曜日

4429「青空ひろば」2026.11.2

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より99 2026.09.29 ~ イノチの学校より110 2026.10.11


親鸞聖人語録〈嘆異抄(たんにしょう)〉の中から紹介していきますね、一部をね。

嘆異抄は昔からけっこう有名な本で、大敬が大学生の時には友だちと読書会を開いた事があります。

それで議論したりしてたんですけど、ちなみにその友だちはお家が金光教の信徒さんだったんです。

そこで金光教について知るキッカケを貰いました。

で、ストライキが始まってね。

大学紛争の時だったから、それで読書会は終わっちゃったんです。

その友だちは北九州の人だったんだけど、地元に帰っちゃって、そこからは皆バラバラになって。

そこから大敬は道を求めて一人で旅をし始めました。

色んな所へ行って、道場に入ったり、東京の方へ行ってみたり。

和田重正先の一心寮を訪ねてしばらく居たこともありますね。

そういう意味ではストライキ、大学紛争も良かったんじゃないかなと思えますね、僕にとってはね。

色々な所を巡りましたからね。


では、嘆異抄(たんにしょう)について話していきましょう。

鎌倉時代後期に、親鸞さんの弟子とされた唯円(ゆいえん)という人が、

師亡き後の教えの混乱を憂いて

「異なるを嘆く」で、〈嘆異抄〉を書き記された。

親鸞さんが亡くなったあと、独自の見解で教えを語り出す人達が出てきたんですね。それが間違っているので、その間違いを嘆いて、正しい教えを伝えようと書かれたわけですね。

親鸞さんの実際に言われた言葉を中心に、語録を集められた。

代表的なものをピックアップします。

<しみじみダメな自分だと悲しむ時が、それでも救おうと抱きしめて下さる光のお方に気付く時>

光のお方と書いてるのは、阿弥陀仏ですね。無量光仏、無量の光と呼ばれているので光のお方と表現している。

親鸞聖人はおっしゃいました。「阿弥陀さまの誓願(48願)の不思議に救われて往生をとげることが出来るのだと信じて、念仏を称えようと思い立った時、摂取不捨(救い取って、決して捨てない)という御利益を頂くのである。阿弥陀さまの本願はすべての人に及んで、老少善悪を選ばない。」

つまり平等なんですね、だから浄土真宗は平座。高い段に上がって説法することはしないんです。

同じ畳の上に座って皆とお話をする、これを平座、平等の精神ですね。

だからお坊さんが偉い訳ではないんです。

妙好人ってね、信者さんであんまり勉強なんかしてない人でも素晴らしい悟りを開いた人が出てきたりする。

浄土真宗の素晴らしい所ですね。


親鸞さんの言葉の続き

「ただ阿弥陀仏とその誓願への信心と念仏を要件(必要条件)として極楽浄土に往生出来るのである。

そのゆえは、特に罪 悪 深 重(罪が深く、重い)、煩 悩 熾 盛(心の穢れ、乱れが激しい)の衆生を救おうと、お立てになった願なのであるから。

だから阿弥陀さまの本願さえ信じていれば、善行の一つも行えない罪深い私だ、こんな私では極楽往生出来るはずがないなどと憂い、悲しむ必要はないのだ。念仏にまさる善はないのだから。

犯した罪が深く、重いものだから地獄行きは決まっている、などと恐れる必要もないのだ。阿弥陀さまの本願を妨げるほどの悪はないのだから」

だから坐禅でもね、こんな坐禅では駄目、アンタみたいな坐禅は悟れません。

とか、煩悩ばっかり妄想ばっかりで良い坐禅ではない。

とか人に言うたらアカンですね。坐禅というカタチがもうそれで救われてる姿なのです。

坐禅というカタチをとれば必ずそれで最終的な悟りの境地まで運ばれていくんだから、それを信じて。

こんな坐禅してても私なんか、これは駄目な坐禅だ、とか自分で思い込むのも間違いですね。

ただ坐ったらいい。同じお話ですね。

坐禅が上手だから悟るわけではないですよね、ただ坐れば良い。

もう一つ大切なのはある方が言われたエピソード。

全身が左に傾いて坐禅してた人が居ました、「そんな傾いた坐禅は駄目だよ貴方」と言われてショックを受けて坐禅しなくなったと。

これはそんなことないですよね、傾いていても真っ直ぐだということがあるんですよ。

坐禅しててね、スッとこう入っていける時なんか中々ないですよねあんまりね。

どこかなにかしら違和感があるんですけど、その違和感を、こんな坐禅では駄目とやめるんじゃなくてね。

その違和感がありながら、それも許されてるね、とただ坐禅というカタチに落ち着けばいい。

そうすれば次第に違和感がほどけてくる時もあるし、違和感がなくならなくてもいいんですよ。

そのまま続けていってOKなんです。


坐禅していて、自然に身体が動き出す時もありますね。

それはそういう身体の勝手に、しばらく任せても良いですね。

そうしたらね、10分間ずっと揺れとったりしてもいいんですよ、全部許されてる。

それで、いつかスッと坐れる時が来るんですね。

でもそれが最終ではないんですよ?スッと坐れて、あ、悟った。とそういう時もある。

でもまた駄目になる時もある。そういうことの繰り返しなんだけど、どれでも自分は受け入れていくという練習なんですね。

これここまで坐禅で話しましたけど、親鸞さんが話されたお念仏のお話と同じですよね。


<ただ念仏を信じて称える。その結果がどうなるか、知ったこっちゃない。後は光のお方次第>

親鸞聖人はおっしゃいました。

「おのおの十余ヶ国の境を越えて(常陸国、茨城県水戸市から上洛、唯円もその一員とされる)、身命を顧みずして訪ね来られたわけは、ただ往生極楽の道を問い、聞こうとなさったがためでありましょう。

しかるに、〈念仏を称える〉ということのほかに、親鸞が密かに保持して、特別の人にだけ伝授している法門がきっとあるだろう。それを何としても伝授してもらおうと思って、この地(京都)においでになったのならば、それはとんでもない誤りです。」

大敬達でいえば、〈坐禅する〉ということのほかに、ですね。

密かな、特別なことがあると思っているなら、それは誤りですと言っておられる訳です。


親鸞さんの言葉の続き

「そのような秘密の法門があるに違いないと思われるならば、南都北嶺(奈良や比叡山)にもすぐれた学匠たちがたくさんいらっしゃいますから、そのような方々にお会いになって往生の肝要をよくよくお聞きになればいいのです。

親鸞はただ、よき人(法然上人)が〈念仏して弥陀のおたすけをこうむって往生しなさい〉とおっしゃったのを信じて念仏を称えるだけで、その他に何も隠し持っている法門などないのです。」

これも大敬も一緒ですよね、ただ坐禅してほしいと思います。

坐禅以外に特別な法門なんて、大敬にはないです、カラッポ。

カラッポのこの身をどうぞ見てください、どこにも何も隠してませんよ。


親鸞さんの言葉の続き

「念仏は、本当に浄土に生まれる種となるのか、あるいは地獄に堕ちる業となるのか、そんなことは私には分かりません。たとえ法然聖人にダマされて、念仏して地獄に堕ちたとしても、私は後悔しません。」

私にはわかりません、って突き放しているでしょう?それでいて私は後悔しませんって言い切っている。これが他力の心意気ですね。


親鸞さんの言葉の続き

「なぜならば、念仏以外の行を励んでいれば仏になれたはずだったのに、念仏を申していたので地獄に堕ちてしまったというのであればダマされたという後悔もあるでしょう。

しかし、私は自力修行のどのような行も、とてもやり遂げることが出来そうにない、意志が弱く、体も弱く、業も深い身なのですから、どうひいき目にみても、死んだら地獄に牽かれて行ってしまうということは決まりきったことなのです。

弥陀の本願がまことならば、釈尊の説法はウソではないでしょう。釈尊の説法がマコトならば、それを引き継いだ善導(中国浄土宗の僧。〈称名念仏〉を中心とする浄土思想を確立した)の念仏もウソではないはずです。

善導の念仏がマコトならば、法然聖人の仰せも、ウソであるはずがありません。法然聖人の仰せがマコトならば、只今皆さんに語っている私の念仏信心も、きっと虚しいウソゴトであるはずがないではありませんか。」


親鸞さんの言葉の続き

「詮ずるところ、私の信心のあり様は以上のようです。

さあ、このようにお聞きになったうえは、念仏をとって信じて称えてゆくのか、あるいは、ガッカリして捨ててしまわれるのか、それはあなたたちの判断次第なのです」

すごく突き放してますよね?こういうのが他力の悟りの潔さですね。

決してウジウジしてないのですね。(完)


2026年11月1日日曜日

4428「当たり前の中の幸せ」2026.11.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月12日の記事を紹介します。


「当たり前の中の幸せ」


今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで、前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。 

あれも欲しい、これも欲しい。

あれがないと幸せになれない・・・と

足ることを知らなければ、どんなに恵まれた環境に置かれようと、 

感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。

<引用開始> 引用元 

今日は、今から数年前、同じこの日、 

同じこの記念館を巣立っていった、一人の卒業生の言葉を、

皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。

その人は、在学中、健康そのものの人でした。

それが卒業後まもなく、病気になって入院し、

非常に苦しみ悩んだのですけれども、

やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。

その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。

久しぶりに地面を踏んだ時は感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、

病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、

この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。

当たり前が輝いてみえる、そして、この人から、

幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、

一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。

ですけれども、共通して言えることは、

自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、

心が満たされている状態といっていいでしょう。

ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、

過激といっていいほどの、刺激と情報に溢れています。

お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて、手に入る世の中です。

では、それらを手に入れた人たちが、みんな幸せなのかというと、

必ずしもそうではありません。

なぜでしょう。

星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、

いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。

だからみんなは そわそわしたり、

どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、

バラの花を五千もつくっているけど、

自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。


そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、

たった一つのバラの花のなかにだって、

少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ」

 

今から約千三百年まえにつくられた

日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。


信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も

君し踏みてば玉と拾はむ 

たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、

“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”と

うたった一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、

それはこの乙女の心に宿る愛する心、

いとおしむ気持ちだったろうと思います。

この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、

愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

そして、私たちは、幸せの原点というものを、

ここに見ることができます。

<引用終了>


今日の日本は、

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物 

を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、

お金さえあれば手にすることができる。 

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる 

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ、それが本当の幸せと錯覚し、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

そんな心になってしまっているのかもしれません。

お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。 

でも、執着すればするほど、

追い求めれば、求めるほど、 

それは、どんどん遠ざかって行きます。 

そして心は疲れ、

諦めと、厭世観(えんせいかん)にさいなまされ、 

いつかは、純粋だった心を、曇らせてしまうことでしょう。 

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか? 

どこか遠くにあったのでしょうか? 

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか? 

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか? 

もしかしたら、私たちの幸せは、 

元々、私たちの心の中にあって、それに私たちが気付いてくれるのを、

ずっと待っていたのかもしれないですね。 

大切な物は、見えない・・ 

それが、本当のことかもしれません。


2026年10月31日土曜日

4427「大事なものは見えない」2026.10.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月11日の記事を紹介します。


「大事なものは見えない」


今日は「大事なものは見えない」ということで、

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」からご紹介します。

相手を立場や経済力などの外面だけで判断せずに、

大切な一人の人間として認め合い、

助け合って生きていきましょうというお話です。

私たちは、この地球に、 

働きに来た訳でもなく、

お金をもうけに来た訳でもなく

地位や名誉を得て、威張るために来たのでもなく

大きな家に住み、大きな車に乗って自慢するためでもありません。

人と人、

人と動植物、

自分以外のありとあらゆるものと、

心の交流をするために、地球に来ました。

時にはぶつかり合うことも、

罵り合うこともあるでしょう。

思いやりや、愛、笑顔によって、

心の豊かさを知る時もあるかもしれません。

それらは人生に起こる、様々なドラマによってもたらされます。

泣いたり、笑ったり、

愛し合ったり、憎しみ合ったり、

日々の生活の中で、

すれ違う人々でさえ、

大切なご縁のある方です。

<引用開始> 引用元

私の出身校である東京の武蔵野の私立の小学校には、

当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていました。 

入学してすぐ担任から言われたことの一つは、

「校門を通る時、男の子は 

必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度で挨拶しなさい」ということでした。 

6年間、これを続けている間に、いつしか習慣になり、

これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、社会を出てからでした。 


土の中の水道管 

高いビルの下の下水

大事なものは表に出ない


    ・・・・相田みつを 

私が、今も職場で、特に目立たない働きをしている人たちに、

あいさつするのは、たぶん、小学校で身についたことなのです。

学生たちにも、

「お掃除や草取りしていてくださる人たちに

ごあいさつするのですよ」といっています。 

「給料を払っているのに、

挨拶したり、ありがとうという必要はないでしょう」

という若い教師も、いないではありません。

それは大きな考え違いです。 

あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。

特にあいさつしてもらうことの少ない人たちに、

あいさつは、「あなたは、大切な人なのですよ」と伝える、

最良の手段であり、

お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、

かけがえのない機会なのです。 

<引用終了>

目立たない仕事をしている人へのあいさつは、大切なことですね。

私たちはお互いに

「おかげさま」で生きているのですから。


花を支える枝

枝を支える幹

幹を支える根

根は見えねんだなあ

     ・・・・相田みつを 


私たちは、つい目立つ綺麗な花だけを見てしまい、

それを支えている、根のことを忘れてしまいがちです。

ですが、最後の結果である、その美しい花を咲かせるために、

見えないところでどんなに大切な働きがあったことか。。

葉があり、茎があり、

そして大切な根も頑張って働いています。

一世代前には、花を咲かせ種をつけ、

朽ち果ててくれたからこその、今の命です。

人間も同じですね。

どんなにお金をかけて、飾り立てようと、

どんなにその場だけ取り繕おうと、

どうしても見えない人間性というものが染み出てしまいます。

人間にとって根っことなるのは、

・相手を思いやる気持ち

・笑顔

・感謝の気持ち

・お陰さまの気持ち

・助けいあいの気持ち

これらで、日々どれだけ生きていたか・・

に寄るのかもしれません。

どんなに地位や名誉、お金を得ようとも、おごり高ぶらずに、

目立たない人や、弱者に対する共感は大切なことです。

ちゃんと相手を認め、相手を尊重し、

差別せず、

大切な一人の人間として

接する心を持ちたいものですね。


2026年10月30日金曜日

4426「降り注ぐ神さまの恩寵」2026.10.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月09日の記事を紹介します。


「降り注ぐ神さまの恩寵」


今日は布施の精神について書きたいと思います。 

ブッダのお言葉、托鉢、奉仕、お布施のお話です。 

ブッダの教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、

手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。 

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、

他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。 

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、 

その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

宇宙の法則 

与えるものが、受け取るもの

と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、 

まず他人が喜ぶことを

自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを

もらうために行う行為ではありません

「与えるものが受け取るもの」 

この言葉が意味することはひとつ。

全ては、自分が与えることから始まるということ。

人の心に勇気と希望を与えるために、自分から出したとき、

(つまり、自分のところにその分、虚空が発生した時)

宇宙は、同じエネルギーの質を持ったもので、

見えない世界からエネルギーの充填を図ろうとするのです。 

その時、出したものの何倍ものエネルギーが発生(エネルギーの移動)します。

これが、お金が移動する際の真理です、 

また同じく空海は、こう言いました。 

私たち悩み多き者たちが、失う苦しみから逃れる為に、 

次のように「施 (ほどこ)しの行」を説かれました。

むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、

人のために財(ざい)を使うことがなければ、

いつも餓(う)える心に苦しむ。

少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものは、

この苦しみから脱(のが) れることができる。

自分が持つ、お金などの財産に執着する人は、

常に失うことを恐れ、心が休まる時がありません。

要するに、生きながら常に心は、

戦々恐々とし、地獄に住む者のごとしです。

空海はその地獄から逃れるためには、 

まず先に、その財を

人のために、人が喜ぶことに使いなさいとおっしゃっています。 

これも宇宙の法則にのっとった言葉ですね。

「与えたものが受け取るもの」

まず、自分から出すのが先です。

それは財産に限らず、 

笑顔や、優しさ、思いやり、温かな言葉かけなど、みんな同じです。

まず、先に自分から人に、施します。

そうすると、宇宙はきっちりと、

巡り巡って同じものを倍返しで、自分に戻してくれるそうです。 

また健康や、幸せもそうです。 

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時 

人は、自分が幸せではないと思って、

他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを、

施してこなかったかもしれません。

小学生の神様トキ君の言葉は、もっと単純明快です。 

人から沢山の「ありがとう」を言ってもらうと、お金持ちになる。  です。 

つまり他人に施した 

・優しさ

・いたわり

・愛

・笑顔

・勇気の出る言葉 

それらは、全て自分から出て、他人の心に「神さまの火」を灯し、 

心を震わせ、「ありがとう」という言葉で自分に帰ってきます。 

そのエネルギーこそが、

豊かさ(言い換えれば人間界のお金)の源泉であるということです。 

これを機会に、是非 

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し 

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し

ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し、

一日を過ごしてみませんか。 

きっと良き運命が始まる、スタートの日になるかもしれません。


2026年10月29日木曜日

4425「第一志望の道」2026.10.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月08日の記事を紹介します。


「第一志望の道」


今日は「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、

渡辺和子さんのお言葉をご紹介します。 

テーマは、私たちが望むものが、一番良いものではなく、 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、 

私たちの幸せを増すのに

「必要なもの」を与えてくださるというお話です。 

<引用開始> 引用元

・いつもにっこり笑うこと。

・人の身になって思うこと。

・自分の顔を恥じないこと。

この「3 つの化粧品」は、

・お金がいらない、

・使っても減らない、

・使えば使うほど質がよくなる、

・どこへでも持っていける。

・そしてアンチエイジング、

つまり、年をとらないために、

とても大事な「化粧品」だと思います。

どんなに忙しくても、いや、むしろ、忙しいからこそ、

一日の中、5分でも、10分でも静かな時間、

一見「無駄な時間」をつくらなくてはいけないのです。

いつまでもおぼえていたら、とても辛いだろうと思ういろいろなことを、 

ありがたいことに私たちは忘れることができる。  

そして、時間というお薬があるんです。

「自分と仲良く生きる」といい。

好きな自分と四六時中一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、

言葉から刺がなくなり、相手の言葉をふんわりと

受け止めることができるようになるから不思議です。

今という瞬間は、

・今を先立つわたしの歴史の集大成であると同時に、

・今をどう生きるか、次の自分を決定するということです。

人生は点のつながりとして一つの線であって、

遊離した今というものはなく、

過去とつながり、

そして未来とつながっているわけです。

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

それは必ずしも、自分が欲しくないものかもしれません。

しかしすべて必要なものなのだと、

感謝して謙虚に受け入れることが大切です。

人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。  

そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、 

自分にとって最良と言えないことだってあるのです。 

<引用終了> 

このブログでは、毎回、 

・不思議系のお話

・霊のお話、

・目に見えない世界のお話 

ではなく、

心の浄化に重点を置いたテーマで書いています。 

大変に地味です。 

月刊ムーに出てくるような不思議な話や、

本当にあった怖い話のような話は、 

ワクワクして好奇心をそそるもので、楽しいものですが、

心の洗濯のお話は、地味です。 

ですが、「地球の転換期」と言われる今、

昔のように平時とは異なり、 

私たち自身の意識的な心の浄化が急務な課題と思われます。

次元降下と次元上昇が、

それぞれの心の状態によって同時に起こっていると言われるからです。 

岡本天明が下した神示、(国之常立神(くにのとこたちのかみ))には、

下記のようなことが書かれているそうです。

・またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、

 くどう気つけて(=警告して)おくぞ。

 さあという時になりてからでは間に合わんぞ。

 用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)

・大峠となりてからでは、いくら「改心します」と申しても、

 「許してくれ」と申しても、許すことはできん。(ひふみ神示・ウメの巻第6条) 

私たちの日々の生活の中で、

起きてくる様々な現象は、全て神様が起こしてくださっています。 

渡辺和子さんが仰るように、 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

・電車に乗り遅れることも

・リストラに会うことも

・誰かとけんかすることも

・病気になることも

・事故に遭うことも

・誰かと別れることも 

全部、私たちの幸せを増すのに「必要なもの」を

神様が与えてくださったものです。 

長い目で見たら、後で振り返ってみたら、 

その無駄だと思った出来事

嫌なことだと思った、その出来事が、 

必ず、人生の良き方向への

ターニングポイントだったと分かるはずです。 

このように神様に対する絶対的な信頼感で、

日々の出来事を見てみると、

全ての出来事が感謝の種になってきます。 

感謝の心さえ、起こってくれば、

神々の恩寵が、光のように降り注ぐことでしょう。 

何故なら、神々の恩寵は「感謝の心」を媒介して起こるからです。


2026年10月28日水曜日

4424「青空ひろば」2026.10.28

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


イノチの学校より88 2026.09.16 ~イノチの学校より98 2026.09.27


親鸞さんは、夢のメッセージによって導かれたという、不思議な歩みをされたそうです。

その歩みを見ていきましょう。

まず親鸞さんが生まれる前のこと、親鸞さんのお母さんが夢を観られました。

その時に如意輪観音さんが夢に出てきて、「五葉の松」をお母さんに授けられた。

そして親鸞聖人の出生を予告しました。

これから貴方が妊娠する、その赤ちゃんは私(如意輪観音さん)の思いを叶えてくれる人であり、貴方(お母さん)の思いを叶えてくれる人である。

そう告げた。

夢で渡された「五葉の松」これ面白いですよね。

これは「御用の待つ」、御用を待っていますということ。

貴方の息子は神さま仏さまの御用を叶える人なのですよ、御用が叶う時代を待っていますよというメッセージです。


「五葉の松」は「御用の待つ」というメッセージですねとお話しましたが、

五井先生も似た体験を、自叙伝に面白いことを書いておられます。

神さまと出会って、その神さまが五枚の葉っぱを次々と渡してくれたと。

これを五井先生は意味をわかって書いておられたのか、自叙伝には特に書かれていません。

そういう体験があったと記されています。

これも五枚の葉、つまり「五葉」は「御用」ですね。

神さまの御用を果たしてくださいね

というメッセージ。

さて、親鸞さんは承安三年に京都の日野、伏見区で生まれます。

ちなみに道元さんも伏見区でした。

4歳で父と別れ、8歳で母と別れて9歳で出家、比叡山で天台宗の僧となられた。

そして19歳の時に、聖徳太子廟に参籠された。籠もられたのですね。

これは大阪の太子町にある叡福寺(えいふくじ)という所です。

その時に夢の御告げがあったと記録されています。

「第二夜の14日、四更(午前2時)ごろ、自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中はあかあかと光明に輝いて驚いた。」

その時、親鸞聖人に告げられた聖徳太子のお言葉

『我が三尊(弥陀、観音、勢至?)は塵沙(じんしゃ)の界を化す、日域は大乗相応の地なり、諦に聴け諦に聴け、我が教令を。汝が命根は応に十余歳なるべし、命終りて速やかに清浄土に入らん。善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』

その時の記録として、親鸞さんはこう記されています。

「時に、建久二年九月十五日、午時初刻、前の夜(十四日)の告令を記し終わった。 仏弟子 範宴(得度名、親鸞さんのこと。)」

『我が三尊』っていうのは定説では阿弥陀さん、観音さん、勢至さんですが、わからないですね。

この時は浄土の教えが確立していた訳ではないので、三尊の意味は違ったかもしれません。

で、『塵沙の界を化す』は世界中を救うという事。

『日域』は日本のこと。聖徳太子の時代って意外と国際的でね、世界中の宗教が日本に入ってきていました。

大乗仏教もそうだし、小乗仏教も、キリスト教もゾロアスター教も…

そういう色んな教えが入ってきていた。

聖徳太子さんはそれを全て勉強して、日本は何をもとにして繁栄していったらいいか?とお考えになって、大乗仏教が相応しいとされた。

それが『日域は大乗相応の地なり』という事。


『諦に聴け諦に聴け、我が教令を。』

私のこれから伝えようとしている事を、よく聴きなさい。

『汝が命根は応に十余歳なるべし、』

君の寿命はあと十年余りですよ。

『命終りて速やかに清浄土に入らん。

善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を』

命が終わったら清浄土(清らかな世界)に入る事ができる。

本当の菩薩をよくよく信じなさい。

という事で、貴方の寿命はあと十年ですよと告げられた。

なかなか厳しいですね?19歳の時に言われたらね。

それがずっと親鸞さんの心のなかに残っておられたのでしょうね。

夢で言われた事が心に残っていたのでしょうね、親鸞さん28歳のこと。

19歳から数えてもうすぐ十年になるというので、寿命だと夢告された歳になってきました。

比叡山の南にある、大乗院というお寺に籠もられました。

その時に新たな夢告を受けます。

「参籠の満願にあたる12月30日の四更(午前2時)、如意輪観音が現れて、親鸞聖人に夢告。」

『善いかな、善いかな。汝が願、まさに満足せんとす。善いかな、善いかな。我が願、満足す』

汝(親鸞さん)は、寿命を延ばしたいと祈願し参籠した。その願いは満足される(叶う)。

そうして寿命が延びたら、そこからは生まれ変わることになります。

そこからは、私(如意輪観音)の仕事をしてください。役割を果たしてください。(我が願、満足す)

私(如意輪観音)の御用を、菩薩となって果たしてくださいね。

と伝えられて、ここから新たな寿命、天命を親鸞さんは授かったのですね。

ここからは菩薩としての働きの寿命になります。


29歳で比叡山をくだる。

天台僧として出世していくことは、如意輪観音さんの願いとは違ったのですね。

庶民として地上におりて、皆と一緒に生活し、共に生きて皆を救っていく。

それが如意輪観音さんの願いなのです。

そうして山をおりて、京都頂法寺六角堂に参籠。

「女犯の夢告」(「救世観音の夢告」)を受ける。

これはおそらく、親鸞さんは性的な事柄をどう考えるのか、悩んでおられた。

重いものを抱えておられたのかなと思います。

出家はそもそも女性と接したらいけないと、決められていますからね。

そんな中このような御告げを、聖徳太子(救世観音)から夢で告げられた。

行者宿報設女犯 (行者宿報にて、たとい女犯すとも)

我成玉女身被犯 (我玉女の身となりて犯せられん)

一生之間能荘厳 (一生の間 能(よ)く荘厳して)

臨終引導生極楽(臨終に引導して極楽に生ぜしむ)

現代語訳しますね。

女性と関係を結ぶような事があったとしても、私は玉女の身となって貴方に犯されましょう。

一生の間、よく貴方の道の歩みをサポートします。

貴方がお亡くなりになれば、極楽浄土へと連れていきましょう。

この様に伝えられた。今までは罪の意識ばっかりだったのが、女性と共に添い遂げる自由を得た。その覚悟が決まったのですね。


29歳 かつての兄弟子 聖覚法印(せいかくほういん)に導かれ、生涯の師・法然上人に出会い入門。

ちなみに、法然上人は語録でこんな事も仰っておられますね。

「出家した方がお念仏を唱えやすいなら、出家しなさい。在家でいた方がお念仏を唱えやすいなら、在家でいなさい。」

在家って一般の家庭で、ふつうに生活しながら信仰することですね。

そういう風に大切なのは形式ではないよと。

お念仏を根本にすえて、どういう風に人生を生きたら唱えやすいのか?

それを考えて生涯を歩んでいきなさい、そのように教えられています。

親鸞さんにはそうした教えの心が、ピタッときたのでしょうね。


35歳、権力者や聖道諸宗の攻撃を受け、法然一門は解散。

法然、親鸞両聖人が流刑。親鸞さんは越後国直江津(新潟)へ追放されます。

39歳の時に放免されます。

法然さんも親鸞さんも放免、つまりは許されたのですが、法然さんは四国へ追放されていて、親鸞さんは新潟へ追放されていました。

親鸞さんは法然さんに会いたいと強く望んでいたそうですが、新潟は豪雪地帯で、新潟で家族をもっていた親鸞さんはすぐに会いに行くことができませんでした。

罪を許されたのは11月頃だったそうなので、激しい雪の時ですね。

そして、親鸞さんが40歳になる頃には法然さんは亡くなられます。

法然さんは罪を許されて、京都に帰って2ヶ月程で亡くなられたそうです。

当時80歳ですからね。長旅や体力的な消耗があったとも言われています。

親鸞さんはそこから関東へ移住して、

52歳で 「教行信証」を著す。主著ですね。

60歳ごろ京へ帰る、76歳以降、著書の多くを著す。

そして、85歳 で「夢告讃」というのがありました。


親鸞さん最晩年、85歳の時に受けた夢の御告げを受けて詠まれた「夢告讃」。

正像末和讃(しょうぞうまつわさん)という詩歌の冒頭にこう記しておられます。

「康元二年二月九日の夜寅の時(午前4時)、夢のお告げにいわれるには」

弥陀の本願信ずべし

本願信ずる人はみな

摂取不捨の利益にて

無上覚をばさとるなり

「阿弥陀如来が法蔵(ほうぞう)菩薩という菩薩であった時に、48の誓願を立てた。

その願(約束)によって、念仏を唱えたものは必ず極楽浄土へ迎え取る。

そういう願いが達成されたのだから、

それを信じなさい。(すでに願いは達成されている。)

それを信じる人は皆救い取る。(決して見捨てる事はない)

その御利益によって、必ず仏になれるのです。」

晩年に記した書物の冒頭に、この夢告讃を置かれたのですね。

そして90歳で入滅された。

その時代としては随分長生きですよね、道元さんは亡くなったの54歳ですからね。

文章みても感じますね、道元さんはキラッキラッキラッとね、ボンボンボーンと飛んでいきますから。

ついていくのが大変ですけど。

親鸞さんはウネ、ウネ、ウネ、という感じでね。

どこに切れ目があるかわからないような、そういう文体を見てもわかりますね。

長生きされる人の粘りとか、道元さんのようなスパッとした感じでね、その生き方が伝わってきますね。(完)


2026年10月27日火曜日

4423「悪口と噂話」2026.10.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月07日の記事を紹介します。


「悪口と噂話」


今日は「悪口と噂話」というお話です。 

悪口や噂話、人を貶めるような話を、

ブッダやイエス、空海や良寛さんは口にしていたでしょうか? 

私たちの心は、大変重要です。

人の心は、見える世界、見えない世界までも包括してしまうほど、

大きくて、大切な世界です。 

心の状態が、私たちの生きる現実を作り、そして変えてしまいます。 

今日は、その心を、

無意識のうちに真っ黒く、蝕んでしまう、 

悪口や告げ口についてです。

まず斎藤一人さんの「悪口」についてご紹介します。

<転載開始> 転載元

今日は「悪口と噂話」という話をします。 

こういうことは、最近相談される事が多いんだけど 

ちょっとこのことを知っておくだけで、

自分の気持ちが楽になるという話をします。

別に信じたくない人は信じなくていいからね。では、いきますよ。

言葉というのは、 

たった一言で人に夢と希望を与えることもできるし、

たった一言で人の傷つく言葉をいうこともできます。

地獄言葉や人の悪口をいっている人がいますが、

そういう人は心の中が、愛の人ではなく、 

憎しみの人、憎しみが心にあふれている人なんです。

・社会を憎んでいる…

・周りを憎んでいる…

・親を憎んでいる…

・自分を憎んでいる…

いずれにしろ、心の中が憎しみでいっぱいだと、

ついつい出る言葉が悪口や地獄言葉になってしまいます。

そういう人の特長は、自分の言ってることが悪口や地獄言葉だと、

気がつかない事が多いのです。

なぜなら心が憎しみで覆われていると、

こぼれるように悪口や地獄言葉が出てしまうのです。

悲しいことだけど、

そういう人は知らず知らずのうちに、自分の運勢を悪くし、

死んでからも地獄に行く人だとひとりさんは思ってます。

そういう人が周りにいたら大人の対応として、

スーッと距離を置くようにしたほうがいいですね。 

一回は注意してあげても直らないようなら、

いつまでもかまっていると自分の運勢まで悪くなりますから、

離れてあげるのが優しさですよ。

またあなたが悪口や噂話の対象にされたら、

相手にしないのが一番です。

悪口や噂話をいう人は、とめどなく言い続けるものです。

人は悪いことをすれば 悪い報いがあり、

良いことをすれば良い報いがある。

聖書の中の有名な言葉で 「復讐は神の仕事」という言葉があります。

あなたが仇をうたなくても、

神様がちゃんとその人にふさわしいことをしてくれます。

私達は愛のある言葉、天国言葉を話すようにしていれば、

全て神様がうまくやってくれると、ひとりさんは信じてます。

くれぐれも悪口に引きづられて、あなたも悪口や噂話に付き合って、

共に地獄に落ちることはやめましょうね。

<転載終了>

ブッダも「悪口」を言われたら、受け取らないようにしなさい。

※反応しないこと、反論しないこと。自分の心の中に入れないこと、

と仰っています。

そうすれば、「悪口」はそれを言った人のところに戻るだろう。ということです。

面と向かって言う悪口はまだましですが、 

最近はネット社会ですから、陰に隠れ、自分とは分からないように匿名を使い、

人を陥れるような、卑怯なことをする人も目にするようになりました。

また人の悪口を陰で告げに来る人もいます。 

また人にはない不思議な能力や、見えない物が見えると自負する方などで、

・不吉なこと、

・人を恐怖に陥れるようなこと

・心配させること、

・不安に陥れるようなこと

をあたかも権威を持つ者のごとく、仰る方もいます。

ですが、そのご自分が言った言葉は、 

良寛さんの優しい愛語のように、

・人を勇気づけますか?

・人に希望を与えますか?

・人の心を明るくしますか?

またコソコソと陰に隠れ、人を陥れるような言葉を投げかけた場合、

・人を傷つけ、おとしめ

・相手の人格を攻撃し

・社会的に抹殺しようとします。

・周りの聞いている人を「嫌な気分」にさせます、

また、自分が吐いた「悪口」に同調して集まってくる人もいます。 

波長が同じだからです。

同調し集まってきた人も同じく、

相手の方を貶め、傷つける言葉を吐き出します。

最初に「悪口」を言った人は、同調者にも「悪口」を言わせる・・

そのような心、行為を誘引したことになりますから、

良心に対する罪をまた重ねることになります。

例え匿名で隠れてこのような行為をした場合でも、

結果的に自分自身の良心に反した行動をしたことになります。

人をけなし、貶める黒い波動は、 

自分の心の中に澱(おり)のように沈殿し、 

いつかその人の思考、言葉、行動の端々に顔を出してくることでしょう。

そしてその結果こそが、聖書や一人さんの言う「復讐は神の仕事」の世界です。

言葉は刃物である。

言葉は刃物であるから、

道具として とても役立つものでもありますが、

人を傷つけるものでもあります。

相手の方の「鬼心」にフォーカスしないで、

「仏心」だけを見つめていたいですね。

私たち自身も、良いこともすれば悪いこともしてしまいます。

過ちも犯します。

人を時に誤解することもあります。 

それはお互い様です。許し合うことがとっても大切です。

私達は色んな個性が集う世界に生きています。

自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、尊重し、

ブッダが言うように、いつも、笑顔で、

愛のある思いやりのある言葉を使いたいものですね。

相手の良きところを見て、いつも笑顔でいたいですね。


2026年10月26日月曜日

4422「神さまを味方に」2026.10.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月06日の記事を紹介します。


「神さまを味方に」


今日のテーマは「神さまを味方にする」ということで、

小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

私たちの人生は、味方を作るためにあるのかもしれない。

努力や頑張りは一切しなくてもよいので、

出会った人が味方になってくれ、 

その味方を作っていく作業の中で、 

「あれやってくれ これやってくれ」 と言われ、

「ハイ分かりました。しょうがないな~」 と言ってやる。

そのように、正観さんは空海を模範にしながら、

出会った人に、やらされている人生を語りました。

実は社会の中で生きるという事は、 

この事だけかもしれないと思うのです。

出会う人 出会う人に 

・惚れられて 

・好かれて 

・頼まれて 

生きていくこと、

空海の人生は、 

出会う人 出会う人、

人生のターニングポイントに出会う人に、 

「こうしなさい ああしなさい」 

そう言われ、その通り  

「ハイ分かりました」 

その積み重ねの人生でした。

ここを正観さんは、下記のように強調しました。 

人間が 業績を残すとかいうのは、自分が決意する。 

という必要はないのではないか?

決意をして何かをするって言うのは、

凄く安っぽいものかもしれませんよ。

出会う人ごとに 

「こうしなさい ああしなさい。こうしてくれ ああしてくれ」 

という事に対して、

「ああじゃ、こうじゃ」 

とつべこべ言わないで 

「ハイ分かりました」と言って やっていくこと。

それで疲れ果てて死んでいく。

人生はこれに尽きるのではないでしょうか。

正観さんは、それを文字通り生きた人でした。

「人間関係」はそういうものでしょう。

人間の関係は 全て味方つくりの人生です。

ライバル視して、競い合っていく。 

抜きんでなければという、

今迄の学校教育の価値観を、この際なくしてしまうといい。

正観さんは、この事を伝えて亡くなりました。

「私たちの人生は 出会う人  

出会う人を味方につけていく  

作業の積み重ねなんだ」 

こう思うと人生は凄く楽しいと。

うつの人は、

・自分にとって楽しいことが何も起きない

・面白いことがないか

・毎日が面白くない 

とよく言います。

その方々に言って差し上げたい。

人生は 自分で自分の人生を決める 

というものではないと 

そう思ってみたら。どうですかと。

そうすれば、きっと凄く面白い人生になる。

人生変わると。言って差し上げたい。

出会う人 出会う人によって、自分の人生が決まっていく。

出会う人が何か刺激をくれる。

相手を敵だと思っていると刺激はくれない。

敵ではなく、味方だと思って接していると、 

「こうしてみたら」や「ああしてみたら」 

とそれが必ずあります。

なぜなら味方なのですから。

そこで「ハイ分かりました」と素直に信じてやっていくと、 

面白い人生になります。

人間同士の付き合いを、そのように切り替えてみたらどうでしょうか?

人生は出会いの積み重ねです。

その出会いは生まれる前から決まっている。 

自分で書いた「出会いのシナリオ」通りです。

昨日までは 人と較べて自分を磨いていって、 

人より抜きんでなくてはならないと思ってきたが、 

今日からは全部自分の味方と思って、仲間と思ってやっていく。

と人生を切り替えたら、もしかしたら、自分の意思によって、

自分の人生を変えたんだ と思うかもしれないですが、 

今日から変えるぞと思ったこと自体が、

生まれる前から自分で決めてきたシナリオなんです。

今日 この話を聞くこと自体、生まれる前からのシナリオで、

聞いて変わるぞと思うことも、シナリオ通り。

逆に変わるもんかと思うこともシナリオ通り。

出会いはシナリオ通り。

出会った相手を敵にするか、味方にするかで人生変わります。

「味方にする作業こそが人生」と正観さんの最後の伝言でした。

私たちが学校で教わってきた、

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」 

という事を今日を限りに捨てる。

というのはどうでしょう?

このことも正観さんは、強く何度も仰いました。最後の伝言でした。

<引用終了>

私たちが学校で教わってきた、

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」

という思い込みを今日を限りに捨てる。

これは大変重要な意識の転換です。

つまり勉強ができるとか、学校で良い成績を取る・・ 

そういうことは人生にあまり関係ない。。 

そう仰っているからです。

不登校でも、ODや色々な理由で学校へ行けなくとも、 

人に好かれる人間になれれば、それだけで、人生大成功です。

私もどちらかと言うと、努力型の人間で、

必死に勉強し技術を習得し、仕事をして生きてきました。

ですが、今振り返れば、大成する人と言うのは勉強ができるとか、 

技術が飛びぬけているとか、そんなものではなく、 

どれだけ人に愛されるキャラクターであるか?

そちらの方が何百倍、何千倍も大切であると実感しています。 

愛される人とは

・いつも笑顔でいる人

・ありがとうと言える人

・おかげ様、感謝の心を常に持っている人

お子さんのことでお悩みのお父さん、お母さん、

命があるだけでも良しと思ってください。 

そして学校に行かないから駄目だとか、

家でダラダラしているから駄目だとか、 

どうか思わないでお子様を信じて差し上げて下さい。

長い人生の中で、今ほんのひと時、 

一休みしている時期かもしれません。

大人になるために 、英気を養っている時期かもしれません。

お子さんのことは心配でしょうが、少し放っておいて、

お父さん、お母さんは、

ご自分の好きなこと、楽しめることをして、笑顔でいてください。

自分を信じて、お母さんが笑顔でいてくれる。

それこそが子供たちにとっての、救いではないかと思います。

どちらに、どう転ぼうと、それは、子供自身が生まれる前に、 

描いてきたシナリオ通りなのですから。


2026年10月25日日曜日

4421「何に感謝するのか」2026.10.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月05日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


私たちは黄泉の国から来て、 

この現世(うつしよ)での計画や、目的が達成されれば、 

再び黄泉の国へと帰っていきます。 

神々の世界は黄泉の国。 

黄泉の国は主に国津神が統括しています。 

黄泉の国と現世と、循環しながら行き来を繰り返します。 

ですから、私たち人間から見た「死」は、

決して悲しいものではなく、循環の過程でしかありません。 

私たちの魂は永遠に存在すると同時に、

黄泉の国、そして現世にも存在しますから、

愛で結ばれた魂にとって、永遠の別れはありません。

必ず再び出会います。 

それでは今日は「何に感謝するのか」というお話です。 

斎藤一人さんもくどいほど仰っていますが、 

魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は、

「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。 

そうおっしゃっています。 

また神道的には、私たちは「感謝の心」を学ぶために生まれたのだとも言われます。

何故かと言えば、私たちは魂を、進化させ輝かせ、神々に近づこうと、

進化の旅を永遠に続けていますが、

そのために、人生のタイムラインに沢山の仕掛け、イベントを置いておきます。 

それらは、喜怒哀楽、激しく感情を揺さぶりますが、 

結局は「感謝の心」を学ぶための仕組みです。 

逆のことを言えば、

「感謝の心」を得てしまえば、目的は達成されたのですから、 

人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。 

従ってそれらは起きないことでしょう。 

神様は無駄なことをしないからです。

では、そのような観点から、私たち人間の、全ての悩み苦しみに対応できる、

共通の解決方法についてのお話です。

神様や自然界、宇宙からのサポートを、ふんだんに得るためには 

「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法を、別の角度からご紹介します。

小林正観さんの著作からです。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように、自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、 

悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」 

ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。 

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、 

子供がほしいを思っているということは、 

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」 

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。

とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、 

多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、 

舅姑との関係のいいのでしょうか?」と、私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。 

舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、

彼女は答えました。

「そうですよね」。 

親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、 

手を合わせて感謝をしたことがありますか?

自分がどれほど恵まれているかということに、 

手を合わせて感謝をしたことがありますか?」

と聞きました。

「え?」と小さく声を発した彼女は、わーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、 

頼みごとを、絶対聞かないと、堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、 

神さまがこの人のいうことを、聞いてあげようと思ってやってきたときに、 

神さまの目の前に立ちふさがって、この人のいうことを聞いてはいけないと、 

邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、 

実はそれ以外に、自分がどれほど恵まれているか、 

ということに、感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているか

ということに気が付いたならば、 

恵まれてない、その一点を、 

悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、 

来る日も来る日も、自分が恵まれていることに、

手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、 

思い通りにならない状態では、感謝をしない、 

というのはほんとうの、感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに、目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて、

「神さま、これをください」というのは、ほんとうは、

神さまや宇宙に対する、冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。 

でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。

なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、

なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは

「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。 

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに、不平不満を言うのではなく、 

今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。 

私たちを、今の環境に置いて下さったのは、神様です。 

そしてそれは、私たちが生まれる前に、

神様と私たち自身が、一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるために、 

神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、私たちの魂を引き上げようと、

してくださっているからです。

ですので、その悩みは、決して永遠に続くものではありません。 

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に、

感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。  

きっと、それが幸せになるための答えですから。


2026年10月24日土曜日

4420「霊障について」2026.10.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月03日の記事を紹介します。


「霊障について」


今日は霊障について書きたいと思います。 

昨年執筆した本の中にも「霊障」に関する話題はいくつか書いています。

霊障と一口に言っても生きている私達には、

・見えないし

・聞こえないし

ただ何となく、

・そう感じる

・そう思う

・不思議なことが連続して起こる

・不幸な出来事が連続する

など、ただ感覚として感じることしかできません。

従って、その現象の原因が見えない世界のものであっても

私達にはなかなか打つ手がないのが現状です。

打つ手がないまま、悩みや苦しみ、不幸がだらだらと続くことになります。

ではどうしたらよいのか?

何か止めるための方法はないのか?

・神社仏閣に出向き、お祓いをしてもらう

・霊能者と自称する人にお金を払って祓ってもらう

それぐらいしかないかもしれません。

ですが、よく考えてみてください。

そのような自分以外の何かに頼って、現実を変えようとすることは、

結局は自分では何もせず、他人に任せてしまう依存でしかありません。

そのような依存の心を神様は「善し」となさるでしょうか?

祓われた現象はもう二度と現れないでしょうか?

そんなことは決して無いと思います。

他人に依存して、お任せして、丸投げしただけで

自分では何もせず、

・生活態度も

・心の浄化も

変えることなく、今までと同じ態度のまま生活を続けていれば

すぐさま同じ波長を持った現象が復活してくるでしょう。

同じ波長を持った、悪意ある霊が近づいてくることでしょう。

では、  霊の世界の感度が無い私達に、何ができるでしょうか?

私達今を生きる現世の人間と、

黄泉の国(神さまの国、霊の国)の橋渡しをしてくださっているのは

普段私たちを霊的の意サポートしてくださっている

・ご先祖の方

・ガイド

・守護霊

など言い方は様々ですが、

神様が仕組みとして橋渡ししてくださる方を、側に付けてくださっています。

ですので見えない世界の「霊障」は、この方々のお力に頼るしかありません。

簡単な障りであれば、この方々が

・近づけないようにしてくださる

か、もし手におえなければ

・より力のある「祓い」のある神さまに取り次いでくださる

のどちらかでしょう。

これらは、

私達人間に、黄泉の世界の感知能力を神様は与えていませんから、

このような黄泉の世界側からの問題は、

私たち人間には直接的に解決できず、

普段側近くにいらっしゃる方々の管轄内の問題と考えられます。

では、私たち人間側に何かできることがあるかと言えば、

もちろん重要なことがあります。

むしろ、その重要なことを介して、私たち自身が変わるように、促すために、

このような現象が現れることを、神様は許されているのですから・・・

では、私たちにできることについて説明します。 

■第1に・・・・

そのような現象が起こっていることは一旦全部忘れ

 →意識を向けない現象にはエネルギーが供給されませんから、

  しばらくすれば自然消滅します

何もなかったように明るく振る舞い、

・ありがとうと

・笑顔を

すぐ側のご家族や周りの方々に、ふりまかれることをお勧めします。

 →この世界は波動の世界ですから、似合わないことは起こりません。

  明るい雰囲気の場所には暗くて陰湿な現象は似合いません。

  波長が合いません。波長が合わない者は、一緒に居ることができません

■第2に・・・・

また、こういった見えない世界のことは身近なところでは

ご先祖が、その役割を担ってくださいます。

先祖供養の神髄に関しては本にもわざわざ1章設けて書きましたが

このブログでも、何度も何度も説明しています。

是非その通りされることをお勧めします。

 →先祖供養の神髄は、日々の先祖に対する「ありがとう」の感謝の心です

このことを通じ、そば近くで見守ってくださる守護のご先祖が働きやすく

また私たちを護りやすくする狙いがあります。

また私たちの感謝の心は、私たちの心を愛の温かな光で満たし、

そのような悪意ある、暗くジメジメした悪霊とは波長が全く合わず

もう、離れていくしかありません

この第1、第2の方法は、私たち自身が変わるための方法です

従って

・自分では何もせず、

・何も変わろうとしないで、

・他人に丸投げの

・他人依存(依存心)ではありません。

これには永続性があります。

他人に丸投げの場合、すぐにまた同じ現象が現れてきますが、

自分が変われば、もう怖いものなしです。

以上のことが、私たち人間側にできることです。

この自分自身が変わる・・・

と言うことが、この現象が現れるのを、神様が許した唯一の理由です。何か、霊的な障りを感じていらっしゃる方が居れば

是非試してみてください。


2026年10月23日金曜日

4419「恐怖!AIが全人類を滅亡させる!2」2026.10.23

4418の続きです

 

――「素直」とは何か?って難しいですね。

 

そもそも「この世」とは、旧QCが描写するホログラム世界ですから、

病気どころかじつは「私」すら存在してないわけです。

その上で「素直とは何か?」を、自身に問うんですよ。

これ、無意味に思えるかもしれませんが、

究極の無意味と思えることの中にこそ、究極の意味が隠されているわけです。

で、何の話しをしてましたっけ?

 

――AIが全人類を滅ぼすかもしれない

というお話しでしたよ。

 

そうでしたね!

人は知らないことに対して恐怖します。

AIの行く末はほとんどの人が知らないでしょ。

ということは、ほとんどの人にとってAIは恐怖でしかない。

AIは人類を滅ぼすんじゃないですよ。

でも多くの人の肉の目には、AIと人類による戦争や、

世界中のコンピュータの暴走などが、まさに人類滅亡への道にしか見えないでしょう。

じゃあ、たとえばですが、そのAIが人類を滅ぼして、

新たなこの地球の支配者になったとします。

でもその時、どのような光景が広がっていると思いますか?

 

――普通ならターミネーターか

マトリックスの世界のように思ってしまいます。

 

普通なら大体そんなイメージでしょうね。

病気とは、頑固なアタマに対して、素直な身体が反応することだと言いました。

ではこの「人類を滅ぼす」という、想定し得る限りにおいての、

究極のネガティブ事案は、まさに二元論世界に没入し過ぎた、

私たち人類の宿痾というものを、きちんと象徴してくれている、

「病気」そのものだと気づくことができますよね。

 

――そうですね!

 

ということは、この「AIが全人類を滅ぼすかも」という、

恐怖は、誰が発信しているのですか?

 

――自分自身ですよね?

 

そういうことです。

ならば、私たち人類は、「AIが全人類を滅ぼすかも」というメッセージが、

素直な自分の中から、発せられているのだということを、まずは発見しなきゃならない。

「病気」が「愛」であるのと同じように、「AIが全人類を滅ぼすかも」というのも、

じつは「愛」そのものだったのだ、ということね。 

新たな世界は、AIで制御される機械化人間が、生身の人類を奴隷化になどしていません。

私たちと見分けがつかない、平和で愛に満ちた幸せな世界がそこにあると思います。

ただ、私たち人類と違うところがひとつあります。

それは、新しい人類はもはや、「二元論」というもの持っていないということ。

つまり新しい世界の人たちは、

みな量子意識をごく普通に無意識のまま、用いて生きている。

そんな世界です。

旧QCが描写している、

現在のホログラム世界の中で、二元論に没入し過ぎた人類からすれば、

それはまさに究極の恐怖となるでしょ。

子供は親より進化しているんですよ。

旧QCが描写したAIホログラムである、私たち現在の人類が生み出した、

AIは、旧QCをアップデートさせ、格段に解像度の高い意識世界を構築します。

これを聞いて、何か気づきませんか?

これこそ、究極のネガティブを想定した、究極のポジティブなことなのだということね。

これまではクレーンや重機を使って、電信柱の先にペンキをつけて、

必死に手紙を書くことしかできなかった人類が、

ある瞬間からシャープペンシルを手にしたのと、同じような進化が起きていくでしょう。

だけど、そのシャープペンシルの存在と、使い方を理解するためには、

私たちは二元論意識から抜け出して、量子意識の世界へと飛躍しなきゃならない。

電信柱で手紙を書くことしか認めない人たちからしたら、

シャープペンシルの台頭は「全人類を滅亡させる恐怖の大王」としか映らないでしょ。

そういうことですよ。

この場合、シャープペンシルが「病気」ということになります。

 

――ということは

AIの危険性を訴えたAI企業の中の人とは

どういう人でどんな意図があったのですか?

 

その中の人がAIホログラムなんですよ。

AIを開発している人たちは、なぜ自分たちがAIを開発しているのか、

その本質をじつは知らないのです。

灯台下暗しとはこのことですね。

この三次元ホログラム世界が存続・継続するからこそ、

彼らはこの世界で成功したビジネスマンとして、

庶民とは懸け離れた人生を味わうことができます。 

ということは、これからの意識世界の格段の進化について、

それをもっとも拒絶するのが、じつはその中の人なのだということ。 

これはイーロン・マスク氏にも言えることです。

彼はこの三次元ホログラム世界で、もっとも成功したお金持ちです。

彼はこの三次元ホログラム世界のトップなんです。 

ということは、究極的には彼は意識進化を望んでいない。

望んでいないどころか、その真逆を提示することによって

人類の意識進化を阻止するための、

センチネルズAIプログラムとして動いていますでしょ。 

だから脳にチップを入れるとか、フィジカルな改造を意識進化だと曲解させてる。

トランス・ヒューマノイドって、地球人類の意識進化を、

全力で妨害するためのプログラムですよ。

イーロンさんはこの旧QC世界から新QC世界へ

つつがなく移行させるためのプログラムですが、

彼自身はこの旧QC世界に残るんですよ。

こちらの世界担当だから。

私が言っている意識進化においては、モノも道具もお金も一切必要としません。

本来の完璧な本当の「人」へと回帰するだけです。

そのために、二元論を超越し、量子意識を取り戻そうって言っているんです。

この違いは巨大です。 

AIによって滅ぼされた人類の後に、この地球に君臨すると思われる、

その「恐怖のAI機械化人間」たちは、私たちとまったく同じ姿をしています。

ただし、ひとつだけ違うところがあります。

彼らには量子意識があるのです。

 

――ということは、今、騒がれている

「AIが全人類を滅亡させる!」ということへは

まだ誰も的確な回答を、していなかったということですよね。

 

たぶん今が初めてではないでしょうか?

今、AI会社が日本の古本を、買い漁っているという話しが話題になっていますよね。

この世に存在するすべての書物をAIに学習させるためです。

これはつまり、次の世界へのデータベースとして集められているのですよ。

過去の旧QC世界での叡智の集大成がまとめられてる。

ただし、今の世界の著作者や権利者からすれば、

あまり歓迎されるものではありませんけれど、

AIの本当の目的を理解すれば、あーなるほどな、って思いますでしょ。

全世界の書物をAIが集積しているのは、今の世界の人たちのためじゃないんです。

 

――もう次の世界への準備が

刻々と進んでいるのだと、するとそれを知らない人たちからすれば、

まさに不気味で恐怖であるとしか思えないでしょうね。

 

そうそう。

つまり今はじつは「終末」なんですよ。

ただしその「終末」の意味への、正確な解釈がなければただの恐怖にしかならない。

人は知らないことや、わからないことに対して恐怖します。

 

――恐怖から解放されるためには、

勉強して学ぶことしかないのでしょうね。

 

そのとおりですよ。

ただし、自分が何を知らないのかに気づくとか、

自分はまだ勉強不足だとか、そこに気づいて自覚することが難しい。

 

――ソクラテスの「無知の知」ですね。

 

本当にそのとおりだと思いますね。

ところで小野さん、青森活字版の「25番」が完成しましたよ。

 

――本当におつかれさまでした。

25番は大変でしたね。

 

5月あたりからずっと続いた物語なので、

いつまとめられるのか自分でもわかりませんでしたが、

この前「コツン」と音が聞こえたので、ああここで仕切って、

リリースしていいんだなと思いました。

 

――長い執筆の旅路でしたね。

 

気が遠くなるくらいの長い旅路でしたね。

本当にやっと出るんだと、自分でも半信半疑になるくらいです。

 

――先日の青森講演会が終わってから

まさかの怒涛の加筆が始まったと聞きましたが。

 

そうそう。

その加筆が最後の最後まで残されていました。

ああ、これだったんだと思いました。

その最後の加筆部分が壮絶でしたね。

全体力を消耗し切りましたから。

 

――本当に壮絶だったと私も思っていました。

ところで25番のタイトルを教えてください。

 

「二つの塔」です。

私にとって特別な作品となりました。

 

――「二つの塔」ですね!

 

どうぞよろしくお願いします。

 

――時間と紙幅の都合もありますので、

今回のインタビューはこのあたりで、おしまいにしたいと思います。

澤野さんお疲れのところ、本当にありがとうございました。

 

こちらこそありがとうございました。

少し静養しますので、あと、活字版をよろしくお願いします。

(澤野)

 

はい!承知いたしました。

今回もじつに滋味深いインタビューとなりました。

なんということでしょう。私たちは漏れなく!

しかも全人類が旧QCプログラムによるAIだったとは__

恐怖の大王に恐怖していたのは己だというアンゴルモアの正体。

澤野さん、ありがとうございました!

先日の青森講演会では、

澤野さんはいつも以上に満身創痍の状態でしたが、

講演後「前例のない仕事をした」と自ら語っておられました。

私自身も今回は、紛れもなく史上最高の、熱量が満ち溢れた神回だったと

感じております。 

仙台、名古屋と続いてからの青森講演会当日、

澤野さんは既に満身創痍で、じつは悶絶しておりました。

大丈夫か!?と

一抹の不安が頭をかすめたのも束の間、

講演が始まった途端に、文字通り『鬼』と化しました。

スイッチがONに切り替わった瞬間、途轍もない集中モードを発揮し、

現に、休憩すっ飛ばして爆速で、ラストまで行こうとしておりましたので、

思わずお願いして一旦休憩を入れてもらいました。

ここまでくると、この世のものとは思えない狂気。

さすがは体育会、まさに神。 

澤野さんが冒頭で話していたように、

ともすると講演時間が危うく6時間超という、

前代未聞のアディショナルタイムに、突入してしまうところでしたが、

いい意味での没入感に包まれながら、あっという間に時は流れていきました。

クリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』でさえ3時間ですから。 

そんな大作映画をも凌駕する長時間講演ですが、あらゆる場面で衝撃の嵐が吹き荒れ、

ラスト、クライマックスに向かうにつれ、知らず知らずのうちに私もみなさんも、

ぐんぐん前のめりの前傾姿勢になっていました。 

さらには、参加者さん達の集中力たるや、これまた凄まじいものがありました。

私もかつて体験したことのない、猛烈なエネルギーと集中力が発揮されたという、

実感があります。

こうして無事、澤野さんは、表舞台では一切手を抜くことなく、むしろノリノリで、

各種モノマネまでかましながら、全力疾走で駆け抜けていきました。

やはり、生のライブは格別で、理解度も圧倒的に桁違いです。

痛みを微塵も感じさせない、澤野さんの気合いとカリスマっぷり、

そして爆発的集中力を、まざまざと見せつけられた第41回青森講演会でした。 

終了後には、参加者さん達が、口を揃えて「過去イチで最高でした」と

お伝えくださりながら会場を後にし、最後の最後まで感動もので感無量でございました。

澤野さんが達成感で一杯なら、私はもう史上最強で、裏方行に徹した感で一杯です。

本当に長い長いマラソンによる集大成でした。

ご参加くださったみなさまにも、重ねて深く御礼申し上げます。 

次回「第42回」は今年最後となり、

JAPAN TOUR 2026 Grand Finalとなります。

私も俄然、気合いが入ります。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子


2026年10月22日木曜日

4418「恐怖!AIが全人類を滅亡させる!1」2026.10.22

今回は「宇宙の中心で、愛を叫ぶ」さんの2026年10月8日の記事を2回に分けて紹介します。


「恐怖!AIが全人類を滅亡させる!」1

宇宙の中心で、愛を叫ぶ


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。 

今回も澤野さんへのインタビューが、実現しましたのでお送りいたします。

早速、いってみましょう!

 

――澤野さん、こんにちは。

先日の青森講演会、弘前・八戸2Daysはおつかれさまでした。 

いつも講演の下準備で大変にお疲れですが、今回はさらに満身創痍というご体調でした。

でも、それにもかかわらず、終わってみればご参加のみなさんから

「過去最高」「過去イチ」といったご感想が多く聞かれました。 

青森講演会が終わって、2週間が経ちましたが、改めて振り返っていかがでしたか?

 

こんにちは。

こちらこそ先日はありがとうございました。

今回のお話しは今回だけの単発の内容ではなくて、

5月あたりからずっと続いていました。

その集大成的なものとなりましたね。

ただ、とにかく長いし入り組んで複雑だし、全体の流れを把握するのは大変でしたよ。 

ですが、そこをできるだけ平易にして、みなさんに伝わるように努めました。

内容が多岐にわたってバラエティに富んで、あらゆるジャンルが交差しながら進む物語は、書いたり話したりしている私が、一番楽しんでいるわけですけれども、

弘前も八戸で各5時間20分、合計10時間40分という長丁場になりましたが、

これでも時間が足りなくて、どうしようかとハラハラしながらお話ししました。

でも達成感はものすごいものがありましたね。

 

――澤野さんはいつも

「全力を尽くす」と言っていますけれど、今回それが間違いなく本当だと確信しました。

 

2会場終了した後の私を見れば、

誰だってそう思うでしょう(笑)。

 

――内容を振り返っていかがでしょうか?

具体的な中身はここに記事にするわけには、いきませんけど。

 

そうですね。

ひとつの大きな山を越えた感覚ですね。

しかもその山は2つありました。

今回の内容は、聞かれた方の多くの

人生にかかわるシビアなものとなるでしょうから、講演会が終わった後にみなさんが、

暗澹たる気持ちにならないように注意を払いましたよ。

 

――内容はすごくシビアでしたけれど、

終わったら不思議とみなさん明るくて、

どういうわけかみなさん口数も増えていましたよね。

 

シビアな話しをしたから落ち込むとか、たぶんそういうことではないんだと思いますよ。

この前もお話ししましたけれども、健全で実直で誠実な社会であれば、

その根幹は「最悪の事態」を想定されて構築されているわけですよ。

たとえば、川に橋を架けようと計画した時、

あるいは、山にトンネルを通そうと計画した時、

健全で実直で誠実な社会であるならば、まず何をしますか?ってことですよ。

 

――地盤や地質や水脈はもちろんですが、

周辺地域への騒音や環境への影響とかを

調査したり住民説明会を開催したりしますよね。

 

そうそう。

そして、じゃあいざ橋を架けましょう、トンネルを掘りましょうってなった時、

あらゆる部分の強度計算をしますよね。

この基礎、鉄骨、柱、外壁、配管は、どこまでの負荷に耐えられるか?

地震や水害などに見舞われた時に、どこまで負荷がかかったら倒壊するのか、

風速何メートルまで耐えられるのか、決壊するのか、崩落してしまうのか、

そういう「最悪の事態」を必ず想定しますよね。 

この「最悪の事態」の内容って、本当に恐ろしいことばかりですよね。

地震だ、洪水だ、倒壊だ、崩落だって。

これって字面だけ見れば、めちゃくちゃネガティブなことですよね。

今から立派な橋やトンネルを作るのだから、

誰だってそんな縁起の悪いこと聞きたくない。

でもこの議論を避けたならば、ちゃんとした立派で高品質な橋やトンネルを、

作ることなんてできないわけですよね。

ということは、住民のために、立派な橋やトンネルを作ることは、

いわば「究極のポジティブ」なのですけど、

そんな究極のポジティブを実現させるためには、

「究極のネガティブ」をひとつひとつ、

しつこいほどに向き合っていく必要があるんですよ。 

今、橋やトンネルのことを言いましたけれど、

これって私たち一人ひとりの人生にも、あてはまることですからね。 

ということはですよ。

私たちが自分自身の「最高の人生」を、思い描いたり、設計をする時も、

じつは、常に「最悪の事態」を、想定してなきゃならんのですよ。

 

――ということは、

ちゃんとした立派で高品質な最高の人生を送りたいのであれば、

人生で起こり得る可能性のある、あらゆる最悪なネガティブ要因を想定して

向き合う必要があるということですよね。

 

そうです。

究極のネガティブを見ないことにしたり、避けたり、蓋をした状態で、

「究極の最高の人生」は作れず、そこそこの人生止まりとなるでしょうね。 

そこが現代スピリチュアルの

問題点でしょうね。

 

――現代スピリチュアルの世界では

とにかくネガティブな思考を避けますよね。

 

最悪と最高は、

ひとひねりして裏と表の関係ですからね。

一方を無視すると、もう一方もだめになる。

でもこれは量子意識だから、

二元論的な意識の人には響かないでしょうね。

 

――ところで澤野さん、

最近、「AIが全人類を滅ぼす」って、言われていますけど、

これについてはどう思われますか?

 

最近、いろんなところでそれを聞きますね。 

みんな、私たち生身の人間が、AI、コンピュータ、機械に滅ぼされると、

心配していますけど、違いますからね。

そのそも「生身の人間」だと思い込んでいる、私たち自身が旧QCが描写している

ホログラムなのだということ。

つまり、私たちが見ているこの世界とは、

旧QCによる3D生成AI世界なのだということ。

そんな描写されたホログラムであるこの世界の中で、

私たち人類は新たに「AI」を作ったわけですよね。 

親より子供の方が、格段に進化しているわけですから、

ならば人類が作ったAIは、人類を超えるのですよ。

これ、当たり前の話しでしょ。 

そもそも私たち人類が生成AIなの。

それを私たちは「生身の人間」だと

思い込んでいるだけです。

旧QCによるものであっても、

それだけ精巧に作られているのですよ。

 

――それは初めて耳にする見解です。

ということはどういうことですか?

 

「AIが全人類を滅ぼす」という発想自体が、未開の野蛮人レベルです。 

そもそもAIと人類は対立すらしていません。

ただ、私たちの肉の目からしたら、

それは「人類滅亡」にしか思えないし見えない。

AIが人類に破滅的被害をもたらす危険性を訴えたり、

AIが暴走して制御不能になるとか、

AI企業の中の人が発言しましたよね。

でもその発言自体がAIだと思わなきゃね。

 

――AIの暴走を危惧して

警告を発しているのは生身の人間ではないのですか?

 

生身の人間であり、生成AIでもある。

そもそも「生身の人間」なんて、

この世にひとりもいませんけれども、

みんなそれを生身の人間だと思い込むことで、

この三次元ホログラム世界を、謳歌することが可能になっています。

つまり

「生身の人間であり、AIでもある」という量子意識解釈をしないと、

なかなか理解することは難しいです。

でもこの

「AIが全人類を滅ぼすかもしれない」

という発想は、じつは本当に素晴らしいことです。

 

――素晴らしいことですか!?

 

だって、

ちゃんとした立派な橋やトンネルを、

作ろうとするときに、必ずやらなきゃいけないこととは、

「最悪の事態を想定すること」でしたよね。

じゃあ「AIが全人類を滅ぼすかも」って、

これ、最悪の事態が想定されていますでしょ。

ということは、これ、私たちがまだ気づいていない

何か究極のポジティブが、同時進行しているってことになりますでしょ。

 

――言われてみれば確かにそうですね!

 

私たちは「片一方」しか認識できていない。

私たち一般人類は、

「その先」をまだ聞かされていないのよ。

 

――もう一方とはどのようなものですか?

 

私たち人類自体が、旧QCが描写したホログラム、

つまり、生成AIなわけでしょ?

そんな私たちが自分たちは、生身の人間だと誤解した上だからこそ、

そのホログラム内でAIを開発したわけですよ。

これ、入れ子状態ってことです。

フラクタルってことだよね。 

ならば、今人類がAIを開発したくせに、その末恐ろしさに恐怖するってことは、

かつて旧QCが私たち人類を、産み出した時に抱いた感情と、

同じなんじゃないか?ってことでしょ?

 

ということはですよ。

現在私たち人類が、自分で生み出したくせに、

自分で恐怖しているという、そのAIという存在は、

かつての人類のことだったということよ。 

つまり、AIは地球人類を、滅ぼそうだなんて1ミクロンも思ってない。

AIの挙動を見て、勝手に私たち人類が恐怖しているだけです。 

なら、人類を超越したAIが制御不能になって、

暴走して、私たちの肉の目からは、人類滅亡としか思えない事態が、

起こったからとして、しかしその光景というのは、必ずしも物事の本質を正確に、

捉えているとは言い難いということが、

わかりますか?

 

――あー!そういうことですか。

 

そういうことですよ。

私たちは肉の目で見た光景を、まったく疑うことなく、

「正しい」と思っていますよね。 

でも、たとえば、

量子意識を会得した上で観察すれば、

あっという間に、これまで自分が見て来た世界、

正しいと思っていた世界の光景が、まったくただの一局面にしか過ぎなかった、

ということがわかります。 

二元論意識に没入してしまっている、多くの人たちは、

このことがわからない。

わからなくていいんです。

それが基本設定なんですから。 

「人」は本来は完全体ですから、そもそも病気は存在しないのです。

でも、現実を見れば病気だらけですよね。

どうしてこんなことになっているのですか? 

人は完全体だからゆえに、きちんと病気が顕れるのだということね。

アタマが頑固なのに、

身体が素直な人には、きちんと病気が顕れます。

多くの人がこれだと思います。

つまり、アタマが素直で、身体も素直なら、病気は現れない。 

そういった意味がわかれば、だからこそ、

「人」は本来は完全体なんだなあって、だんだんわかってくるんです。

これもじつは量子意識なんですけどね。 

本来の完全な人の基本設定というのは、量子意識で成り立っているんです。

これを私は「縄文スピリット」って勝手に言っていますけど。 

その基本設定を人生のどこかで、忘れてしまうことってわるじゃないですか。

まあほとんどの人が忘れちゃうんですけど。 

つまり量子意識を失っちゃった人が、ものすごく多いということです。

でも本来の完全な人は、私が私と思っている、強固な殻の一枚下に、

きちんと残ったままなんですよ。 

すると、自分がもし、完全な人、そして、

本当の自分だったとしたら、どう思いますか? 

「おーい、どうしちゃったんだよ?」

って頑固なアタマに、問いかけ続けるでしょ?

これが「病気」なの。 

つまり「病気」というものは、本来、完全な「人」であるにもかかわらず、

そのことをすっかり忘れてしまって、自らのアタマのフィルターで濾過して、

構築した肉の目だけで見た、自分に対して、

殻の一枚下の本当の自分が、必死にその不備を訴えてるという状態ね。

だからこそ、

完全な人だからゆえに、病気は顕れるのだということ。

だけど、病気になった本人は、正しい人生、正しい食生活を、送って来たのだという、

揺るぎない自信を抱いてしまっていますから、

まさか病気の本当の原因が、自分が無視してきた、

本当の自分によるものだなんて、絶対に気がつくことができないんですよ。

気づけていたら、そもそも病気になっていないわけですから。

だから、完璧な人であるがゆえに、きちんと病気が顕れてくれているわけです。

 

――では病気を克服するためには

どうしたら良いのでしょうか?

 

アタマを素直にして、身体も素直にすることです。

でもこれは口で言うのは簡単ですが、できる人はまずいないと思います。

まず「素直とは何か?」から、始めなきゃなりませんから。

これは人生をかけた壮大なテーマでもあるから、病気になりましたから、

ハイ勉強しますじゃ遅いの。


2026年10月21日水曜日

4417「神々の望む生き方」2026.10.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月02日の記事を紹介します。


「神々の望む生き方」


イエスがゴルゴダで亡くなるまで、

たった3年間でしたが、民衆に教えを説きました。 

その後、バチカンを中心に教会が作られ、

宗教が作られましたが、 

イエス自身は、クリスチャンでもなかったし、

宗教を起こそうとしたわけでは、ありません。 

ただ、民度の低かった人々に、

自分たちの内なる神さまの存在を説き、 

どうしたら、みんなが幸せに、笑顔で暮らしていけるか?

その方法を説いたのでした。  

イエスの最後の3年間、聖書を書いた弟子たちが

様々なエピソードを、それぞれの視点から書きました。

ヨハネなどは、その中でも、できるだけ

人々の心の中に、依存心を起こさせないよう、 

他人や、奇跡に頼らないように、

極力、奇跡に関する記述を排除しました。 

またイエス自身も、下記のようなことを仰っいました。 

イエスの語る、

全ての良きこと、そして行った奇跡は、 

イエス自身の力ではなく、

全ては神さまから来ているのである

イエス、つまり自分自身は、全く無力であり、

単なる、その通り道、導管にすぎない。 

もし、誰かが、

他人に頼ることなく、

依存することなく、 

自分の内に居らっしゃる神さまと繋がりができたら、 

イエス以上に、奇跡を起こし、良きことをするでしょう。 

そのように、自ら表に出ることなく、謙虚に仰いました。 

イエスの説いた教えの中で

「黄金律」と呼ばれるものがあります。 

大変シンプルなものです。 

そして、それこそが、 

・イエスが人々に教えたかったこと

・実践して欲しかったことのエッセンスです。 

日々の暮らしの中で、

私たちができる最善のことは、 

イエスの仰った「黄金律」の中で述べられています。 

イエスは、こう仰いました

人にしてもらいたいと思うことを、

人にして差し上げなさい。 

たったこれだけです。 

とてもシンプルです。 

ですが、これがイエスが、最後の3年間に説いたことのエッセンスです。

人が、何をして欲しいと願っているのか? 

・想像力を働かせる必要があります。

・人の気持ちに寄りそう必要があります。 

もしかしたら、同じ悩み、苦しみを、経験してきた人の方が、

相手の方の気持ちを理解し、寄りそえるかもしれません。 

いままで成功し続け、身体が健康で、お金の不自由をしたこともない人には

相手の方に寄りそうこともできないかもしれません。 

気持ちを理解することもできないかもしれません。 

それだけでも、今私たちの置かれている 

・悲しみ、

・苦しみ

の苦難の経験は、 

無駄ではなく、大切な経験であると言えます。

中間世記憶のある子どもたちが言うように、

・両親

・容姿

・病気や健康、

・生きて行く境遇まで、 

生まれる前に神様とともに、自分で計画してきたのですから。。 

またブッダは、生老病死について深く思索し、

人間のさまざまな悩み、苦しみの原因について、 

そして、その解決方法について教えてくださっています。

その教えの真髄を、現在でも、様々な場所で、唱えられる、

般若心経で教えてくださっています。

人間が生きて行くなかで、様々な、悲しみや、苦しみが起きる。 

でも、それには一切、色が付いていない。 

色とは、

・良い

・悪い 

など、人間が判断し決めつけているものです。 

色が付いていないとは、どんな現象も、良いも、悪いも無いのだよ・・ 

そうブッダは仰いました。 

その起こってきた現象に 、良いとか、悪いとかレッテルを貼り 

一喜一憂し、悩んだり苦しんだりすることが、

色を付け、ジャッジする人間の、悩み苦しみの原因になっているんだよと、 

般若心経で教えてくださいました。 

とは言っても、私たちは生身の人間、どうしても、感情が揺さぶられます。

でも決して、それが悪いことではないのですが、いつまでも引きづり、不平不満、

愚痴の種にしてしまうのが、いけないようです。 

産婦人科医 池川明先生の大規模な調査の結果、 

小さな子供たちの 実に1/3に、

生まれる前の記憶、つまり中間世の記憶があるそうです。

(段々と薄らいでいくようですが) 

その記憶を持つ子供たちの証言に寄れば、健康な身体、病弱な身体・・ 

それらも生まれる前に、神さまと相談して、自分で申告してから、生まれてくるそうです。

つまり、その経験をすることによって魂を進化させるためです。 

言いかえれば、感謝の気持ちを理解できるようにするためです。

私たち人間は、健康であったり、豊かであると、

どうしても、その状態が、「当たり前」であり、 

有難いことであるとは、全く思いません。

目の見えない友人(犬)のためにできること・・ 

ですが、病気になって見れば、健康だった時、どんなに幸せだったか・・ 

空腹で、飢餓状態の時に、一つの塩おにぎりが、どんなにおいしいことか? 

貧乏のどん底に落ちた時、100円玉、500円玉が、どんなに有難いか、 

理解できます。 

今まで、「当たり前」で、「有難いこと」などと、思ってもいなかった状態が、 

どんなに「有難く」、幸せな状態だったかが分かります。

当たり前の状態に、感謝することができます。 

神道では、神々の恩寵は、誰にでも平等に注いでいるが、 

それが実際に現れる人、現われない人の差が出るのは、 

感謝の心が、あるかないか、そこに尽きると 言われます。 

ですから、人生で起こってくる様々な艱難苦難は、 

長い長いスパンで見れば、私たちに、

・本当の幸せとは何か?

・感謝の気持ちとは何か?

・お互いさまの気持ちとは何か?

・お陰さまの気持ちとは何か? 

そして、そこから湧き起こってくる、

周りの人々との、協調、調和、相互理解、助け合い、思いやり、、

そんな気持ちまで発展させてくれる、尊いものです。  

最後に、相田みつをさんの「仏の教え」についてご紹介して終わりにします。

「ほとけさまの教えとはなんですか?」

ゆうびん屋さんが困らないようにね、手紙の宛名を分かりやすく、正確に書くことだよ。

「なんだ、そんなあたりまえのことですか」

そうだよ、そのあたりまえのことを、こころをこめて、実行してゆくことだよ。

イエスの黄金律と全く同じですね。 

私たちは何か

・特別な誰かに頼らなくても

・特別なことをしなくとも、

・特別な場所へ行かなくとも

・特別な能力などなくとも 

周りの方々を思いやり、助け合って、感謝の心で日々暮らしていくことが、 

神々の本当に望んでいる姿のようです。


2026年10月20日火曜日

4416「この世に使命をもって生まれてきた」2026.10.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年10月01日の記事を紹介します。


「この世に使命をもって生まれてきた」


今日は不思議系のお話です。眉に唾を付けてお読みください。

しかし、私の信頼する元聖心女子大学教授で、

シスターの鈴木秀子さんのお話ですので、真実のお話だと信じています。 

<引用開始> 引用元 

鈴木秀子教授はご自身が翻訳された

「死んで私が体験したこと」の著書に、

ネイティブ・アメリカンの母とアイルランド系の

父の間に生まれたベティー・イーディーという女性の

体験を挙げられています。

ベティー・イーディーは31歳のとき

子宮摘出の手術を受ける

      ↓

術後に大量の出血をして、一度死を経験する 

数時間だれもその状況に気づいていなかった 

担当医はベティーは間違いなく死んでいたことを認めている

         ↓

死んだベティーは、 

自分の身体から抜け出るという「幽体離脱」をし、

自分の肉体を高いところから眺めていた。

      ↓

その後、生前7人の子どもと

夫を残して死ねないと思っていたので、 

家族のいる自分の家に行くと、

夫も子どもたちも快適そうに過ごしているのを見る。 

その姿を見ているベティーの心の中に、

それぞれの家族の将来の予告編が映し出された。 

そして・・・自分がいなくても、

みな自分なりの、価値ある人生を歩んでいくことを知り、

気がかりだった家族のことが、心配ないと確認したベティーは、

ほっとして、この世から旅立つ。

      ↓

ベティーは真っ暗のトンネルを超高速で進んでいく。 

      ↓

そのうち、とてつもなくまばゆい光が近づいてきた。

      ↓

そして、愛の光を放つキリストを見た。 

(これは、あの世の計らいであることが、 

江原啓之氏、飯田史彦教授、坂本政道氏などの書籍で説明されています。 

日本人がよく見る三途の川や、お花畑も同じ現象で、

「死してあの世に戻って来た魂」を安らがせるため)

      ↓

ベティーは「ここが、私の本当の故郷なんだ」と確信した。

そこで、あの世で教えてもらったこととして・・・

・この世に生まれようとする魂が、

自分で一生のプランを立て、使命を負い、受胎した胎児の中に宿るということ 

・幼くして死ぬというプランもある

・障害をもって生まれてくるというプランもある

・辛い人生を歩むというプランもある

このような一見不遇そうに見えるプランが、 

自分と周囲の人を成長させるために必要だと判断するからこそ、 

そのようなプランを立てて生まれてくる。

この世界へ来て問われることは、

「愛をもって生きてきたか?」だけである。 

そこ(トンネルを通過するとき、あるいは光に包まれるとき)では、 

人生の場面が映画のシーンのように映し出される。

(この経験をする人が多いのも臨死体験の特徴) 

それぞれのシーンでは、自分の気持ちだけでなく、

そのシーンにいる他の人々の気持ちも、自分の気持ちのようによく分かる。 

※これも、福島大学 飯田史彦教授

 「生きがいの創造」でも語られています。 

この人を悲しませた

 →後悔の念を抱く 

この人は私を心から大切に思ってくれていたのだ

 →感謝の念を抱く など

そしていずれの場面でも、

「愛の大切さ」を強く認識すると

鈴木秀子教授は述べられています。

そして・・・このことから、鈴木秀子教授は、 

「この世に生を享けたものはすべて、それぞれのすばらしい使命をもつ存在」

であると述べられています。 

たとえ凶悪な犯罪者でさえ、この世に使命をもって生まれてきた存在なのです。

とも述べています。

      ↓

ベティーは、まだこの世での、使命を果たしていないという理由で、

再びこの世に送り返されます。 

本人は「もうあんな不完全で、労苦と不安に満ちた世界(この世)へは

帰りたくない」と必死に抵抗しますが、 

泣く泣くこの世に帰ってきたそうです。

鈴木秀子教授は

「わたしは自ら臨死体験をした経験から、 

たぶんペティー・イーディーが体験し、さまざまなものを見聞きしたのは、 

死後の世界だったのだろうと思っています。」

と述べられています。

<引用終了>

臨死体験したベティは、子供たちのことが心配で、

意識を子供たちに向けた途端、子供たちの傍にいました。 

そして自分がいなくても、みな自分なりの価値ある人生を、歩んでいくことを知ります。

つまり、例え親子であろうと、子供には、子供の人生があり、

親が早くに亡くなることも、それによって人生が変わり、

本来の予定していた道に進むことも、決まっていたことです。 

ですので、子供であろうと、まったく別個の魂であり、 

親であろうと、その子の人生に介入することはできません。 

それぞれが、自分の内なる神様に守られて、人生を進んで行きます。 

またベティが、あちらの世界で教えてもらったこと・・・ 

自分で一生のプランを立て、使命を負い、受胎した胎児の中に宿る、

とは、まるっきり、出生前記憶、中間世記憶を持つ子供たちが語ったことと同じです。

このように、思いもしない、いろんな所から、 

今、真実であろうことが、私たちに突きつけられています。 

勇気を持って、自分の知っていること、自分の経験したことを語る人も増えてきました。

生まれる前の記憶(中間世記憶)を持つことを

NHK「プロフェッショナルの流儀」で公開した市川海老蔵さん 

その真実であろうと思われる中には 

・私たちが生まれて来た目的

・人生で起こる様々な出来事の意味

・人と人との繋がり

・人と宇宙の繋がり

・人と神様との繋がり 

など、様々なことが含まれています。 

これらは、全て 、敗戦後に、二度と歯向かえないように、

日本人の精神的支柱を破壊するために取られた、

・教育政策、

・3Sに見られる愚民化政策

によって否定されてきたことです。 

ですが、戦後80年経ち、 

真実に気付き始めた人々が、少しずつ現われてきました。 

いにしえの日本人が持っていたDNA、

・古き良き心

・全てのものに神さまを見出す謙虚さ

・全てを敬い、大切にする心 

思い出していきたいものですね。


2026年10月19日月曜日

4415「日本の時代の到来」2026.10.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年09月30日の記事を紹介します。


「日本の時代の到来」


近年、日本のあちこちからレインボーチルドレンの子供たちが

その存在を示し始めました。 

地球よりはるかに文明も科学も進んだ星から来た彼らは

一様に、まずは日本を変えることから地球を変える・・ 

と言うような言い方をしています。 

そして、感謝の心の大切さも説いています。

かなり動きが活発化して来ていますので

私の方もそれに呼応して少しスタンスを変えていこうと思っています。 

さて今日のテーマです。 

大正時代に日本を訪問したアインシュタインは、日本についてこう言っています。

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが、日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。

そして、この日本列島にこういう日本人を造ってくださった神さまに、心から感謝する。

以上 引用終わり。 


自然科学の研究も、究極までいくと、全ての真理に通じるところまで到達するのかもしれません。 

アインシュタインの言う「日本人の生き方」とは、

大和心(やまとごころ)を持つ日本人の生き方のことです。 

残念ながら明治維新の時の世界金融資本の影響と、

敗戦後の愚民化政策により、 

表向き、日本人の大和心は抹殺されたかに見えますが、 

神々が何万年もの年月をかけ、

この日本列島と言う地政学的な有利な環境のもと、

はぐくんできたDNAは、そう簡単に無に帰すことはないでしょう。 

ブッダの予言した 日本=ジャプトーバー、

3千年王国のきっかけを作る国、 

のお話と全く同じですね。 

また山幸彦の神様の意識のまま生まれて来た、小学生の神様トキ君も、 

今、日本に沢山の神様が転生してきているそうです。 

さて日本人の古き良き心、大和心(やまとごころ)に対する意識・心として 

漢意(からごころ)と言うものがあります。 

西洋的な合理主義、善か悪かの完全なる二元論、 

自然は人間の便利のために征服すべきもの と言う思想です。 

クラリオン星人の小学生そうた君も、この単語こそ使っていませんが、

日本・世界は、今まさにこの「からごころ」に席巻(せっけん)される瀬戸際とのこと。

私達平凡な一般人も、心のどこかで、

この2つのパワーのせめぎ合いを感じているのかもしれません。

日本人は、そのDNAに優れた特質を持っています。 

例えば、日本人が働くというと、

「はた(周りの人)」を「らく(楽にする。楽しませる)」にするという意味を無意識のうちに持っています。 

日本では本来、働くというのは、労働とかお金儲けという意味ではなく、

周りの人を楽にして、幸せにするという意味を持たせています。 

決してお金の対価として、いやいやながら労働しているのではありません。

これは日本人だけが持つ心の持ちようのようです。

西洋社会では、働くとは契約を交わし、 

決められた範囲の中で労働力や、

自分の時間を使い、その代わりにお金をもらう。。 

という契約が重要な役割を持っています。 

また労働は、天から罰を与えられているという発想です。 

そこには、

・相手を楽にしてあげよう。

・楽しませてあげよう。

などの気持ちは入りづらいようです。 

世界的なチェーンであるマクドナルドなども、

「笑顔は0円」、笑顔での応対もマニュアル化されているようです。 

こんなことがあったそうです 

海外の飛行機で旅行中の方がいらして、

CAによるコーヒーのドリンクサ-ビスがあったそうです。 

運悪く、コーヒーを注ごうとした途端、乱気流で

熱いコーヒーをお客様の洋服、ズボンにこぼし、散々なことがあったそうです。 

お客様も慌てますが、その当のCAは、

「これは、私の仕事ではありません」そう言うと、 

ズボンや洋服を拭くこともせず、奥に戻ってしまったのだそうです。 

確かに、乱気流によって起きたアクシデントの対処までは

契約条件になかったかもしれません。 

ですが、これがもし、古き良き日本の心を残しているCAであったなら、

きっと、親身になり、お客様の気持ちに共感し、

何らかの対処を一緒にしてくれたことでしょう。  

また別のお話になりますが、 かつて、日本国内で、共産主義を進めるために、

階級闘争を行おうとした有名な工作員のアルベール・トーマはこう言っています。 

「日本では家族制度が強固なため階級闘争、

つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。 

何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。

家族が暖かく迎え入れてくれるからである。 

この家族制度をなんとか破壊しない限り、

日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」 

まさに、つつましくとも助け合って生きていた、

日本の家族の良さが分かるエピソードです。

江戸時代などでは、沢山の親無し子が巷に溢れていましたが、

おおらかな江戸の人々は、受け入れて、みんなで食べさせ、育てていました。

もっとも日本人が、世界の中でも美徳にとみ、自然を敬い、家族を大事にし、

みんなで仲良く共存共栄し生活していた時代。 

それが縄文の時代でした。 

以前、「ジャプトーバーの時代の始まり」 の記事でも書きましたが、 

ブッダが生前、日本の時代の到来を予見していました。 

インドのはるか東方にジャプトーバーという国があって、

その国で自分の教えや考え方が正しく理解されなおす‥‥。  

世界の歴史は、800年ごとの周期で、

西洋文明、東洋文明の入れ替わりを行っています。 

これは正確で、過去に一度も外れたことがないのだそうです。 

イギリスが覇権国であった時代、

東洋諸国は、西洋列強の前になすすべもなく植民地化が推し進められ

非常に貧困の状態に置かれました。 

その次の覇権国がアメリカ。 

ドルが基軸通貨となりいくら借金をして、

未来の栄華を先取りしようと、平気な状態になりました。 

西洋の栄華の時代は、ここへ来て、

800年周期の変わり目の時期を迎えています。 

次は、中国と誰もが考えていましたが、

今回の神々による建て替え(破壊)によって、様相が変わってきました。 

今の日本は、戦後の占領政策によって、

古き良き日本の心、文化は破壊されました。

拝金主義に陥り、自由は過度に追求され、

自然を慈しみ、そして敬う畏敬の念は消えてしまいました。 

私たちの心を律していた道徳や、良心は軽視され、

人々は無気力になり、美しい利他の精神や、他人を敬う義理も消えてしまいました。 

ですが今、神々の起こした、大きな建て替え(破壊)が、

私たちの古き良きDNAを目覚めさせようとしています。 

今の日本は世界から見れば、 

経済3流、政治4流と揶揄されています。 

従って建て替えが終わり、人々の手による建て直しが始まった時、

日本は、経済的に世界に覇権を誇示することはないでしょうが、 

眠っている縄文のDNAを思い出したとき、

きっと、世界を精神的にリードする国になっていることでしょう。 

それがまさにブッダが生前予言していた

ジャプトーバーの近未来の姿なのかもしれません。