2022年1月7日金曜日

2570「光の連鎖」2022.1.7

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月31日の記事を紹介します。


「光の連鎖」


怒涛の2021年ももう数時間で終わります。 

神々の起こした「建て替え」(創造のための破壊)も、

その後に続く「精神性復活の時代」という希望に繋がると思えば

この困難な世の中においても心に希望の灯をともし続けることができます。


神々のなさる奇跡は、依存的な方々が安易に期待されているような

・目に見える形でも

・目を見張る派手な物でも

・一瞬に救い上げることも

しません。 

目に見えない形で、人々の心を少しづつ良き方向に変えながら徐々に進められます。

  

一見して分かるものでもありませんし、 

ましてはその変化の渦中にあっては、気づく人もほとんどいません。 

ですが、根本の神々(宇宙神)の計画に狂いはありません。

ベストなタイミングで、必要な人の心の中に小さな変化が起こり、

それが同時並行的に沢山の人々の心の中で発生し、その変化が有機的に繋がることで、 

偶然が重なりながらも、あたかも私たち自身が事をなしているような錯覚の中で、人々の手による「立て直し」が進行します。 

全ては神々の掌の上での出来事です。

  

日本人の古来から持っている縄文の心は、世界にとって希望の良心なのだそうです。

この世界の良心の日本人の心が徐々に変わり、世界に浸透し、ひいては地球規模にまで伝播します。 

何も いますぐに

・世界を救うために活動してください

と現実の生活からかけ離れたことを神々は望んではいらっしゃいません。

ですが私達平凡な人間でも、できることがあります。

今日はそんなお話で、1年を締めくくろうと思います。

  

人々の心の変化から始まる精神性復活の大きな神々の計画に・・・ 

地球が変わろうとしている歴史的な瞬間を、手助けするように、沢山の高貴な魂たちも生まれています。

レインボーチルドレンたちの情報では

・宇宙神

・惑星意識(地球の意識)

・地球の神々

・地域の神々

というヒエラルキーがあるようですから、

この大切な計画も、そのうちの惑星意識に呼応しているのかもしれません。 

では、身近な私たちの心の変化が、どのように世界の平和、地球の平和に繋がっていくのか、

「恩送り」のお話をご紹介します。

・宇宙のお話

・神々のお話、

・次元のお話

色々ありますが、 

肉体をまとい3次元の地球を経験している私たちにとって一番大切なのは、

そう言った自分以外の不思議に頼ることではなく、

 やはり自らの心を磨くことが、第一に必要なことだからです。

光の連鎖

すべてはその一言から始まりました。

ある日、小さな女の子がおつかいに行き、そこで野菜を買いました。

女の子は、レジのおばさんに笑顔で「ありがとう」と言いました。

おばさんは、何だかちょっと嬉しくなりました。

そして、次の男のお客さんに思わず「そのネクタイ似合っていますね」と声をかけました。

男性は少し恥ずかしそうに「ありがとう」と言いました。

ネクタイを褒めてもらった男性は何だか嬉しくなって、

そのネクタイをくれた奥さんにお花を買って帰ることにしました。

男性は家へ帰ると「いつもありがとう」と言って、奥さんにお花をプレゼントしました。

「わぁ、どうもありがとう」そう言って奥さんは、とっても喜んでくれました。

嬉しくなった奥さんは、子供におこづかいをあげることにしました。

「わぁい、お母さんありがとう」そう言って、子供は大喜びしました。

おこづかいをもらった子供は、嬉しくなって、飼っている犬に、おいしいエサを買ってあげることにしました。

「わん、わん」そう言って犬は、大喜びでしっぽを振りました。

そのしっぽの揺れで、飛んできたたんぽぽの種が大空高く舞い上がりました。

そしてそのたんぽぽは遠く離れたある画家の家の庭に落ちました。

春が来て、たんぽぽはきれいに咲きました。

「わあ、きれいだなあ、そうだこのたんぽぽの絵を描こう」

そう言って、画家はたんぽぽの絵を描きました。

 

すると、何とその絵が大きなコンクールで優勝したのです。 

画家は沢山の賞金を手にしました。そして、その賞金を全て寄付しました。

その寄付されたお金は、貧しい国に学校を建設する費用に使われました。

その学校をある貧しい少年が卒業しました。

少年は、とても勉強ができたので、そのまま進学してお医者様になりました。

 

お医者さんになったかつての少年は、ある日、難病の老人に出会います。

その病気はまだ原因がわからず、沢山の人が死んでいました。

「何としてでも、このおじいさんを助けたい!」 

そう思ったお医者さんは、特効薬の研究をはじめました。

そして、とうとうその薬が完成したのです。

おじいさんは、その薬のおかげで無事助かりました。

「ありがとう、本当にありがとう」そう言っておじいさんは、涙を流しながらお医者さんにお礼を言いました。

すべてはあの日、少女が「ありがとう」と言ったことからはじまりました。

ほんの些細な一言が、後々に、多くの人々に喜びを与えることがあります。

どうか目の前の人に、小さな喜びを伝えてください。

それはいつか、誰かの命を救うことになるかもしれないのですから。

※この文章はお笑いのぐるぐるさんの元ネタを若干修正して掲載しています

 以上です。

ここに神さまのやり方が顕著に示されています。

神さまの、私たち人間に対するアプローチ方法です。

神さまは、誰もが驚くサーカスのように、びっくりする奇跡的な、大きな出来事で、 

人間を幸せに導くのではありません。 

神さまは、誰の心の中にもいらっしゃいます。

神さまは、人間の心の中で、 

・活性化され

・光を放ち、

人と人との絆、思いやりの連鎖を通じ私たちに幸せをもたらします。 

神さま自身は、決して表に出ようとしません。

あくまで、誰にも気づかれないように、人々の心をちょっとだけ変化させていくことで、

その連鎖、有機的な繋がりによって世の中に変化をもたらします。 

誰にも気づかれず、自然な形で、私たちの心の中で変化を起こします。 

・お互いさま

・お陰さま 

その優しさと、思いやりの中で、相手の立場、個性、やり方を受容し、認め

それが、私たちの行動として現れ、愛の連鎖を起こすのです。

それは、あたかも、その本人達の自発的な行動と、思われがちですが、

全ては、私たちの内に居らっしゃる神さまの働きです。 

このような、美しい人と人との営みを目にした時、常に神さまを意識し、

神さまの気持ちに寄り添って生きようとしている人は必ず、必ず氣づくことでしょう。

「あっ、神さまを見た」と、、 私たち、普通の人、心弱き人は神社仏閣に、お願い事をしに行きます。 

優しい神様は、それらの事情を全てわかった上で、そして個人的な願い事など清濁併せ飲んだ上で・・・叶えて良い願い事、それは、私たちの因果律を乱さず、私たちの魂の進化に対して、悪影響を及ぼさない場合のみ、そして、更にそれを叶えることによって、神さまの意図した、心の変化が見込める場合のみ、願いを聞いてくださり、

それをきっかけとして、神様の方を向いていただく

そして、その後に神々に対する信仰心を養い、謙虚な心、お陰さまの心を 養い、同胞である、同じ人間同士で、お互いさまの気持ちを起こし、結果として、私たちの心を、清浄にして神様と繋がりやすくする。

 

そして、その先では、

・どこかの外に存在する神さま、

・願い事を叶えてくださる神さまではなく、 

私たち自身の心の内に、いつも居らっしゃり、 私たちを見守り、共に歩んでくださっている、内なる神さま(良心)と繋がって欲しい・・

内なる神さまと、繋がり、日々、神さまを意識して生きて行くことで、 

本当の、本当の幸せを掴んでほしい

・誰かに与えられる幸せではなく、

・誰かに依存して生きるのではなく、

自分の足でしっかりと大地に立ち、内なる神さまと繋がり、幸せになって欲しい。。

それが、神々のなさり方ではないかと思います。

  

今、時代が変わろうとしています。もう、その大きなエネルギーの回転は誰にも止められません。 

全ては、神々の計画通り、人間の精神性の復活の方向に向かっています。 

心の時代です。

 何かを見たり、聞いたりすることで、 

・悪しきもの

・醜い心

・嫉妬

・揚げ足取り

・誤ったプライド、優越感

・疑心暗鬼

・マウンティングしようとする心 

などを、心に取り込まず、 

心を

・美しいもの

・優しいもの

・思いやりのあるもの

・愛のあるもの 

に集中したいものですね。

  

心にあるものは、必ず、何時か現象として現実化しますから。 

目の前に現れてきます。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。 

それが自分の身を助けることに繋がります。

2021年本年もありがとうございました。

皆様の2022年が感謝と思いやりに満たされた優しい年となりますように。 

まず自分がして欲しいと願うことを自ら先に周りの方々にして差し上げてください。 

笑顔とともに贈る「ありがとう」の言葉は人に勇気と元気を与えてくれます。

 



 

2022年1月6日木曜日

2569「新しい年の初動のエネルギー」2022.1.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月30日の記事を紹介します。


「新しい年の初動のエネルギー」


今年もあと残すところ1日となりました。

誰にもはっきりとわかる形での激動の年も2年目が終わります。 

年の終わりの締めくくりにイエスの述べた「愛と感謝」について書こうと思います。

イエスは「山上の垂訓」の冒頭で このように言われました。

心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。

この心の貧しい者とは

・虐げられ、

・病に伏し、

・投獄され、

・殺され、

・神の前に無であるような人々。

心身ともに「貧しく」、それゆえに、神にすがる以外の道がなく、神の前にへりくだる人々。

そういう人々のことを「(霊において)貧しい人々」と言い、彼らこそ、神の国に入る「光の子ら」と言いました。

天国に行くには、人生の中で、善悪の積み重ねで、善が上回ったら天国に行ける・・

と言うものではありません。

いくら善人として一生を過ごしても、死ぬ間際に誰かに裏切られ、恨みと憎しみの心のまま死んだとしたら、天国には入れません。

地獄のような心境で亡くなれば、その心境にふさわしい世界を自分で創ってそこに囚われます。(囚われ領域、信念体系領域とも呼びます)

逆に、どんな極悪人であっても死ぬ間際に、自分の人生を反省し、悪かったと、心からお詫びし、愛と奉仕の心で生きようと決意していれば、その心にあった世界、つまり天国に旅立ちます。

このことはインドの聖典「マハーバーラタ」の中で、クリシュナ神も同じことを述べています。

また一見、人格者、良き人、正しき人、指導者のように見える方でも、最後の最後まで残る

「怒り」や「憎しみ」の心というものがあるようです。

それは、その方の持つ「正義感」と「使命感」が逆に作用をしてしまうことが多いからです。

正義と使命を自分の中だけで背負うのは良いのですが、それを全ての人にとって

同じく正しい価値観だと誤解してしまい、自分の「正義感」と「使命感」を

周りに振りかざし、押しつけ、それがなかなかうまくいかないと分ると、

結局、自分の中に怒りと憎しみの心を育ててしまうからです。 

・周りに苦しんでいる人がいるとき、

 それを自分が解決してあげなければいけない、なんとかしてあげなければ、と思うこと。

・自分はちゃんと生きているのに、周りの人は同じように、ちゃんと生きていないではないか。自分はちゃんと働いているのに、周りの人は同じようには働いていないではないか、という怒り。

からくるのかもしれません。 

若々しく元気な人が、身障者用の駐車スペースに我が物顔で駐車しようと、そんなものは放っておけば良いのです。 

怒り狂って、正義を振りかざし、自分の心をまっ黒にする必要は、ありません。 

・自分のまいた種は刈り取らねばならない

・自業自得

・因果応報

・与えたものが、受け取るもの

が示す通り、全ては神さまの采配で巡り巡って行きます。

このことを、「復讐するは我に在り」と言います。

全ては、その後に神さまが行います。

私たちが自分自身の手で、他人を裁く必要など一切ないのです。


イエスはこう仰いました。

・弱き者は幸いなり

・病める者は幸いなり

・貧しき者は幸いなり

天国は彼らのものである

今まさに、逆境に置かれ、悩み苦しみ、そして涙して、 それでも前を向いて歩こうとする

「心貧しきもの」である皆さん。

どうか勇気と希望をお持ち下さい。

天国の門、幸せへの門は大きく開けられています。

プライドが高く、「自分は善人である」という高慢な心よりも、

例え貧しく、弱く、何も持たなくとも、神の前にへりくだり、与えられた環境の中で、

精一杯人生を生きて行こうという心を神さまは祝福するからです。

今置かれている逆境が、自分の心を養い、そして天国への道を作ってくれるものだからです。

ですから、その逆境にこそ、感謝すべきもの、なのかもしれません。

愛から出ているものだからです。

  

今日は、いよいよ晦日(みそか)。 

もう既に、来年2022年を動かす大きなエネルギーが、すぐ近くまで来ています。 

それは、今はまだ 無色透明です。

良き色(楽しいこと、笑顔と感謝の日々、助けいあい、人々と調和しあう日々)も、

そして 

悪い色(憎しみ、悲しみ、苦しみ、疑心暗鬼、奪い合い、不平不満、悪口の世界) 

をつけるのも、全てが自分の心次第です。

  

私たちの心が全て決めます。心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。 

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。 

どうぞ、今日一日、心穏やかに過ごし、未だ無の中に存在している来年に向けての、見えない大きなエネルギーをお正月の静寂の中で熟成させ、その初動のエネルギーを良き年が来ることに、お使いください。 

それが可能だからです!!

今日、明日 

温かな優しい心、周りの方々を慈しむ心、

出しゃばらず、そっと見守る愛の心 

助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」

今まで生かし、育ててくださった人々、

友人への感謝の心でお過ごしください。

  

来年は、今年の惰性でも延長でもありません。 

私たちの、今の心が決めることです。 

皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。

 

 



2022年1月5日水曜日

2568「他人の心配より自分の心配」2022.1.5

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月29日の記事を紹介します。


「他人の心配より自分の心配」


今日は 小林正観さんのお話からです。 

正観さんは生前、ブッダの時代と、空海の時代に生まれ、ともに、師のそば近くで修行していたことを思い出していました。


また、プレアデスから地球に来たことも思い出していました。 

年間300回を超える講演会を通じ、沢山の方々を悩み、苦しみの淵から救われてもこられました。身体がボロボロになるまで、講演会を続け、晩年は、もう不思議な力さえ使うことができたようです。

さて今日は「他人の事はいいんです」ということで、正観さんの少し厳しめの、講演会の内容をご紹介します。

<転載開始> 転載元


実践する人である正観さんが、自らを名乗る。「実践者」 

その実践者というのはどういうことか。 

・どんなことがあっても 怒らない。

・どんなことがあっても 声を荒げない

・イライラしない  

ということを実践しようと思っている 実践者なんです

腹を立ててもよい現象(出来事)は世の中にはありませんと。

それは戦争についてさえ、そうです。

戦争を憎んで、怒りを覚える という人に「正しい怒りではないのか」と聞かれました。

その答えは「その憤りこそが戦争を起こす」というものです。 

戦争は、自分は絶対間違っていないと思ってる。

・正しい怒り。

・正しい憤り。

・正義の戦い

と皆思っているんです。

だから戦いになる。だからこそ、どんなことあっても腹を立てない。

何があっても戦いを挑まないということが 重要なんです。

この条件だったら、腹を立てないけれど、この条件だったら、腹を立ててもいいと。

そういうことは ないんです。

 

そこのところ、すごく重要です。

腹を立てさせる人がいるんだ。そんな事はない。腹を立てている私が居るだけ。

家庭の中でも 子ども 夫婦 親。

会社の中でも 上司 部下 同僚、その他社会の中での現象すべて、あてはまることかもしれません。

腹を立てることによって問題が解決する事はあるのか?

「ない」

そんな方法論では 解決しない。

そしてもう一つの実践ポイントとしてこう仰っしゃいました。

自分がいかに幸せに生きるかだけを考えること。他人の事はいいんです。 

そこが重要で、私の言っている事は全部そこなんです。

他人をどうする?

というのは善いも悪いも含めて考えないこと。

正観さんは、この時、珍しく語気を強めていらっしゃいました。

自分が出来ることを、楽しく嬉々としてやる。

他の人がどうなるかは、関心を持たなくともよい。

自分でそう決めた。その生き方を、実践することが大切。

 

「私はニコニコと生きていく」だけ。自分が 楽しいこと嬉しいことだけ。

それをやっていくだけ。他人をどうこうしようとする必要はありません。

ですから、すごく辛そうに生きてる人に向って 

「こういう生き方をしなさい」と寄って行き話をするということは金輪際しません。

この人は 辛くてつらくてという生き方を、すごく楽しんで 生きているかもしれない。

私にはあ~だこ~だ言う権利はないんです。

 

熊手で 不幸というものをたくさんかき集めて

「こんなに不幸なんです」と言って喜んでいる人は たくさんいます。

不幸や悲劇は存在しません。そう思う心があるだけです。

どうせ 熊手で集めるなら 嬉しくて楽しくて仕方ないことを集めたらいいですね。

<転載終了>


正観さんにしては、かなり厳しいお話です。

もうご自分の死期が迫っていることを知っていらっしゃるので、 どうしても、後世に残したかったのかもしれません。 

それだけ、多くの人が陥りやすい罠であり、沢山の方が、これで不幸になっているのを

見過ごすことができなかったのでしょう。

  

過去には表面だけしか理解せずに、反論される方もいらっしゃったことでしょう。

では子供のことを心配するのは良くないのか?

そう思う方もいるかもしれません。

ですが正観さんですから、ブッダや空海たちの教えの深い部分から、このお話をしていると思うのです。

こんなお話を聞いたことがあります。

あるお母さんが、小さな子供を残して亡くなりました。

お母さんは迎えに来た神様に訴えます。

「子供のことが心配で・・」

ですが、すぐさま神様は、子供の過去現在未来のタイムラインを見せてくださいました。

そこには、この時期に母が亡くなり、そのことで子供の人生が方向を変え進んでいくことが示されていました。 そしてその全てが神様の庇護のもと進んでいくことが分かりました。

そして母は安心して逝くことができました。

つまり、例え母であろうと、子供の人生に介入できないこと。

子供は子供で、すでに生まれてくる前に、自分の魂の向上のために、最善のタイミングで物事が起こるように決めたうえで、生まれているということ、、

  

そして子供にも神様がついてくださっているということ。

ですから、たとえ子供であろうと、親の思い通りにはできない。。  

などが神様から示されたのでした。

正観さんはよくおっしゃっていました。

悩みごとのほとんどが、自分自身の悩みでなく、他人が自分の思い通りに動いてくれないが、どうしたらよいのか?そんな類の悩みがほとんどなのだそうです。

ブッダはそんな悩みごとを相談されたとき、お答えにはならず、静かに瞑想に入ってしまわれたそうです。

正観さんのおっしゃるように、私たちは、他人を思い通り動かすことはできません。

なのに、そのことで沢山の悩みを抱えている人が多いのです。

憎しみを抱き、自分の心と体を傷つけている人が多いのです。

 

また、悩みの種類の数だけ解決方法があるわけではありません。

・夫がDVで

・子供が不登校で

・子供が情緒不安定で

・会社の上司がわがままで

その数だけ、解決法があるわけではありません。

全ては私たちが、目の前の現象をどうとらえるか、私たちの心の在り方 だけなのです。

今日の正観さんの言葉は少し厳しいかもしれませんが、他人をどうする。

というのは善いも悪いも含めて考えないこと。

自分が出来ることを、楽しく嬉々としてやるだけでよい。 のかもしれません。

そうすれば、上記4つ 例を挙げましたが、 全て他人を、どうこうしたいというものですから、もう問題ではなくなります。

 

彼らには彼らの道があり、彼らの時があります。

他人によって強制的に方向転換することはできません。

また正観さんは上の講演会で、すごく辛そうに生きてる人に向って 「こういう生き方をしなさい」と寄って行き、話をするということは金輪際しません。

と仰っていますが、これは生前のブッダも同じような姿勢を貫かれました。

それは「縁なき衆生は度し難し」が示す通り、いくら慈悲深い仏であっても縁がなければ、

救う時期ではない(救えない)ということです。

当時こんなエピソードがあります。

町中でみすぼらしい老婆が乞食(托鉢)をしていました。自分が食べ、生きるためです。  

ですが、どこの家でも門前払い。

見かねた、従者アーナンダがブッダに「何とか救ってあげることはできませんか」と相談しましたが、ブッダは首を縦に振りません。

 

それでもと、アーナンダはブッダを老婆の目の前まで連れてこられたのですが、老婆には

目の前に立つブッダの姿が全く見えないのでした。

そしてブッダはアーナンダに「縁」についてのお話を聞かせたのでした。 

例え宇宙の真理を知ったブッダでさえ、縁が無ければ誰も救うことができないのでした。

子供たちの問題も私たち、母や父が眉間にしわを寄せ、苦しそうな顔をしているのではなく、

自分の好きなことをやり、明るく楽しく笑っていれば、いつしか丸く収まってきます。

 

彼らには彼らの道、学びがあり、そのために今の道を歩んでいます。

それを見た私たちが自分の価値観、正義感で、「こうしろ」「ああしろ」というのは正観さんの言うように、少し傲慢なのかもしれませんね。



2022年1月4日火曜日

2567「新春に当たって」2022.1.4 

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの 2022年01月01日の記事を紹介します。


「新春に当たって」

2022年、令和4年。新年あけましておめでとうございます。

読者登録してくださっている方も、もうすぐ5千人になりそうです。ありがとうございます。


6歳の神様トキ君たちの情報では、良き情報として

今年度は、ますます神様を信じる人の数が増えそうだということです。

私も、人間が神さまと直接的に繋がることで幸せになれると思っています。

ですので、私なりではありますが、神様の情報をお伝えし、

一人でも縁のある方々が、神様と繋がってくださるよう努めていきたいと思います。

それがひいては日本人の精神性の復活(縄文回帰)に繋がり、

世界や地球の平和、人々の幸せに繋がると思われるからです。

今日は元旦ですが、難しいお話ではなく、誰でもが、簡単にできることで、癖にしてしまうことで、着実に心の罪(包身)、穢れ(氣枯れ)を祓い、何者にも動じない真の幸せを手に入れる方法を書きたいと思います。

私もスタートはここからでした。

簡単すぎて、単純すぎて、あほらしいと思われる方は、遠慮なくスルーされてください。

この方法は科学では証明できませんし、バカみたいな方法なのですが、本当に今の生活に疲れ、苦しみ、泣いていらっしゃる方にとっては、きっと救いの方法になると思います。

信じてくださる方は是非、諦めず、ずっと実践を続けてみてください。

最初は、1週間。そして1ケ月。そうこうするうちに、不思議なことが起こり始めます。

そして3ケ月、1年もすればはっきりと、自分の心がすっかりと変わったことに気づくことでしょう。

そしていつの間にか自分の周りには、

・良いことしか起きなく

・良い人しかいない

ことに気づくことでしょう。

そして不安は無くなり、決して依存的な心からではなく、神様を信じることが出来、感謝と希望に満ちた日々を送ることができることでしょう。

では、その方法を書きたいと思います。

小林正観さんと言うかつてブッダや空海の弟子だった過去を持つ方です。

プレアデスから来られた方が教えてくださいました。

また最近では6歳の神様トキ君も同じことを言っています。

<引用開始> 引用元 


【「ありがとう」を言うと、奇跡が起こるらしい】

「ありがとう」を言った数がある一定数を超えたとき、奇跡としか言いようのない現象となって、その人に降り注ぐことがあります。

しかも「ありがとう」を言うときに、「心は込めなくてもいい」というのが私の考えです。

心を込めなくても大きな効果が得られるのが、「ありがとう」の凄いところだと思います。

「ありがとう」を、ただひたすら3日間「心を込めない」で言い続けた人から、このような話を聞きました。

1日目と2日目は何事もなかったそうです。

ところが、3日目の朝、夫を送り出したあとに「ありがとう」を1000回ほど言っていたら、突然、お腹の底から熱いものが込みあげてきたそうです。

熱いものはそのまま口を通り過ぎて上に上がり、やがて、目から「滝のような涙」が流れ始めたといいます。

そして、涙が出てからは、心の底から「ありがとう」と思えるようになって、それどころか、コーヒーカップやお皿など、身の回りにあるものが「ありがとう」と自分に話しかけてくるような気がしたそうです。

彼女は「お礼を言うのは自分のほうだ。こちらこそ、感謝だ」という気持ちになりました。

身の回りにある、一つひとつのものに「こちらこそ、ありがとう」「こちらこそ、ありがとう」と感謝を伝えました。

なぜ、身の回りのものが「ありがとう」を言い返しているような気がしたのでしょうか?

彼女が「ありがとう」を言い続けていたことで、「モノ」の中に入っていた魂が目を覚ましたのかもしれません。

この女性から「ありがとう」を言われ続けた結果、椅子、机、時計、黒板、サインペン、シャツ、ベルト、コーヒーカップ、お皿といった「モノ」の中に「ありがとう」のエネルギーが溜まっていって、

「ありがとう」のエネルギーがある時点で臨界点に達してあふれ出し、

「ありがとう」と言われていると感じたのかもしれません。


「モノ」たちはニュートラルな状態で存在していたのに、女性が口にした「ありがとう」のエネルギーを溜め込み、やがてエネルギーが臨界点を超えて、あふれ出したように感じたと考えるでしょう。

では、「モノ」に言っている「ありがとう」を人間に言ったらどうなるでしょう。

「モノ」ですら言い出すとしたら、人間の魂なら、なおさら「ありがとう」を言い出すことでしょう。

すごく不機嫌な人、投げやりな人、非常に否定的な人、攻撃的な人がいたら、その人に向かって「ありがとう」を言ってみる。

すると、この人たちの不機嫌さが治ってしまうことがあるようです。

スーパーマーケットでお金を払い終わったときに「ありがとう」と言って帰る。

喫茶店でお金を払ったときに、「ありがとう」と言って帰る。

片っ端から「ありがとう、ありがとう」と言っていったら、世の中はものすごく変わると思います。


もし、世の中のすべての会話が「ありがとう」で成り立ったら、戦争、争い、憎しみはすべてなくなるかもしれません。

何かをしてもらったときに「ありがとう」を言うのではなくて、してあげたときにも「自分にさせていただいて、ありがとう」と言うようにすると、世の中は、よい方向に変わっていくのではないでしょうか。

最後に、こう言わせてください。

「こういう話をさせていただいて、ありがとうございます」

<引用終了>

 

如何でしょうか? 

あまりに簡単すぎてバカバカしいでしょうか? 

今回、元旦に当たり書いた方法は単純です。難しいことは一つもありません。 

ですが、神様に近づくための第一歩にきっとなる方法です。 

・暇な時も

・寝ている時も 

口癖のように「ありがとう」と言い続けてみてください。きっと何かが変わります。

  

1年後、今年の年末にその結果を教えてください。 

私の予想では、途中で投げ出さず、続けられた方は、同じ空間に居ても

きっと別次元を生きていらっしゃると思います。 

但し、この期間に不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言うと 

せっかくの「ありがとう」の蓄積がリセットされて0になってしまうので注意が必要です。 

ですが、もし、不平不満・愚痴・悪口・泣き言・文句を言ってしまっても 

言って10秒以内に「今のはナシ」と言ってしまえば大丈夫だそうです。

安心してください。

では、2022年、幸せな良き年をお迎えください。

  


 



2022年1月3日月曜日

2566「神さまの贈り物「ありがとう」」2022.1.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月28日の記事を紹介します。


「神さまの贈り物「ありがとう」」


「ありがとう」と言う言葉は日本語にしかない言葉ですが、

この言葉の持つ言霊は、この地球において相当大きな役割、

つまりキーワードのようです。

私のブログのタイトルも「いっぷくからのありがとう」です。

さて6歳の神様トキ君が、最高位の造化三神の一柱

高御産巣日(タカミムスヒ)の教えとして(ありがとうについて)伝えてくれています。

6分28秒くらいから

・「ありがとう」を1万回唱えることで、願いが絶対にかなう

・運気が上がる

・悪魔的な存在に対してバリヤーの役割を果たす。弾き飛ばされてしまう

その他には

・愛を沢山周りの人に与え続ける事

・そうすると、もう幸せなことしか起きなくなる

・お金がどんどん入ってくる


少し補足します。

神様が3次元地球(現世)に「お金」を作った目的は、

それを使って、みんなに幸せな気持ち、心になって欲しいから。

「愛」の心から作りました。

だから 宇宙の法則の通り、「愛」を他人に与えれば、自分に「愛」が返ってくる。

心の豊かさ、楽しさ、幸福だけでなく、物質的な「愛」の表現である「お金」もめぐり巡って、自分の所に入ってくる。

そのような理屈です。

  

ですから私たちがお金を使う時、

・物を手に入れる

・美味しいものを食べる

など物質的な目的ではなく

「お金」を使うことで、関係するみんなが 

・喜ぶ

・笑顔になる

・心が豊かになる

・心が綺麗になる

・勇気が出る

・安心する

などのために使うことで、

結局は「お金」を「愛」のため、人々の心、魂のために使うことになり、自らを意思を持つ、神さまの作った「お金」も喜んで仲間を連れて私たちのもとに来ることになります。


また高御産巣日(タカミムスヒ)さまが、人類に気を付けて欲しいこととして

・人を憎まない事(にくしみ)

・人を恨まない事(うらみ)

これらは神様が一番嫌がること。

・怒ること(いかり)は、一瞬の感情の動きなので、それを引きずらなければ許される

・怒りの後、笑顔にすぐ変えること

このような直接的な神様のお話を伺うとやはり神様が見ていらっしゃるのは、

私たちの心 その心が

・清いか

・明るいか

・自分のやりたいことを自由にやっているか

・心がワクワクしているか

・思いやりがあるか

・愛があるか

全て心の問題だけを見ています。

とかく私たちは神様仏様に

・お金持ちになりたい

・病気を治したい

・良い配偶者に巡り合いたい

・良い学校に入りたい

・良い会社に入りたい

など物質的なことを望みがちです。

また

・霊的なこと

・不思議なこと

などを望みがちです。

ですが神様の視点はそこにはありません。

現実の生活の中での私たちの心の在り方だけを見ています。

そこを間違えず、神さまの望まれる道、人生を歩けば、

私たちは必死に歯を食いしばって努力せずとも、幸せな人生を全うできるようです。

 

きっと、この日本にかつてあったユートピア

縄文時代は、そんな神様と人間が一体となった時代だったと思います。




2022年1月2日日曜日

2565「天国と地獄」2022.1.2

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月27日の記事を紹介します。


「天国と地獄」

6歳の神様トキ君の小学生のお姉さんも、神様が見え、そしてお話しできる能力があります。

そのお姉さんに神様がみんなに知らせて欲しいと「心の糸」について説明してくれました。

この動画の中でこんなお話がありました。

 

糸を魂の部屋に作ってください

・この糸を持つ人は

  →天国に行ける人、

  →もしくは自分が地獄に落ちた時に、地獄まで垂らされて、自分を天国に引き上げてくれるための糸

・これは芥川龍之介の書いた小説「蜘蛛の糸」にも出てくるが、本当のお話

・この糸の色は千差万別で人によって異なる

・地獄から人を助ける唯一の方法が、この糸を使う方法


・この糸は一人分の重さしか耐えられない

・地獄で、自分以外の人が群がって、この糸に上ると、重さに耐えきれずに切れてしまう

・もしくは地獄の管理人の悪魔に見つかると切られてしまう。

・自分の色の糸が垂らされると、神様が「あなたの番です」と自分にだけ知らせてくれる

・この糸を心の部屋に作るには

 →魂を磨くこと

 →自分のやりたいと感じたことは先延ばしせずにすぐに行動に移すこと

 →なんだか嫌だなと感じたことはすぐにやめる事

・助けてくださるのは、蓮の花に乗っている仏様

動画の中では、トキ君のお母さんも、お姉さんも

これが「蜘蛛の糸」と言う小説と同じだと知らなかったようです。 

ですが、この神様のお話は、まさに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と全く同じです。

(1918年 作品公開)


この小説は仏教説話がもとになっているようですが、昔の人で、天国や地獄に自由に行けた人が、神さまの意図を感じ取って小説として残したものでしょう。

それが現代において、そのような事実を全く知らない小学生の口から聞くとますます、その信ぴょう性が高まります。

  

この内容と同じことを今年の9月ですが、記事として公開していましたので再掲したいと思います。


私たちは辛いこと、悲しいことがあると、藁にもすがる思いで神社や仏閣に行って、「助けてください」とお願い事をしたり、大金をはたいて、力がある人に頼ったりします。 

本当に苦しいときに、その境遇から救い上げて欲しくて

「助けて、助けて、助けて」と言うのは

私たち弱い人間にとって、当たり前のことかもしれません。 

ですがそれを言われた神様や仏様はどんなお気持ちになるでしょうか? 

神様は、大変に愛深く、慈悲深い方ですので、もちろん助けてあげたくなるでしょう。

今すぐにでも、その窮地から救い出し、安心できる場所へ置いてあげたいと思うでしょう。 

ですが、大事なことなのですが、例え神様が救ってあげたいと思っても、 私たちの心に、その準備ができていなければ神様もどうして上げることもできません。 

ではまず、皆さんご存知の「三尺三寸の箸」のお話をご覧ください。 

<引用開始> 引用元

 

むかし、ある男がえんま大王様に会いに行き、天国と地獄というのは、どういう世界なのかを聞きました。

すると、えんま大王様は、男に、天国のようすと地獄のようすを それぞれ見せてくれました。

まず地獄では、ちょうど食事の時間だったので、人々が、ながーい箸を持って大きい鍋の前に集まっていました。

この地獄では、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

  

地獄では、お腹を空かせた人たちが我先にとテーブルに着き、

1メートルもある長い箸を使って、なべの中のごちそうをとって食べようとするのですが、

あまりにながーいので、どうしても自分の口にごちそうがとどきません。

腕をいっぱいに伸ばして口に食べ物を運ぼうとすると、

隣の人とぶつかってせっかく掴んだ食べ物を落としてしまうのです。

それでみんな、何も食べられずおなかをすかせ、やせこけています。

思うように食べ物を口にできない人たちは、さらに苛立ってきて、

「お前が隣にいて俺の食事の邪魔をするから食べられないんだ・・・」「お前こそ俺の邪魔をしているぞ」

さらに、他の人の食べ物を横取(よこど)りしようとして、とうとう喧嘩です。

手にしている長い箸は、やがて相手を叩く道具に変わり、

そうこうしている間に食事の時間が終わってしまいます。

 

えんま様は、次に天国を見せてくれました。

天国も食事の時間でしたので、人々は地獄と同じ、ながーい箸をもって、地獄と同じ、大きい鍋の前に集まっていました。

天国でも、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

天国の人々は、おだやかな顔をして楽しそうにごちそうを食べていました。

長い箸で食べ物を掴むとそれを自分の口ではなくて、向かい合って座っている人の口へ運んでいるのです。

「美味しいですね。今度は私があなたに食べさせてあげます。どれがよいか言ってください。」

長い箸で食べ物を挟むと、自分の前に座っている人の口へ運んでいます。

相手も、その長い箸で食べ物を挟んでは、自分の前の人の口へ運びます。

長い箸は自分のために使うのではなく、相手のために使っていました。

こうして、ながーい箸で、おたがいに仲良く、他の人とごちそうを分けあっているので、

みんなが感謝の気持ちで、いつも笑顔が絶えず、食事も十分、お腹いっぱいです。

えんま大王様は、地獄にいる人々は 自分のことばかり考えているために、

いつまでもけんかをして何も食べられないのだ。

天国の人々は いつもニコニコ笑顔で、仲良くお腹いっぱいなんだ。と教えてくれました。

自分の心の持ちようでこの長い箸は、

相手に対する思いやりの道具にもなれば、痛めつける道具にもなるのですね。<引用終了>


このお話の「心の大切さ」は、ブッダのお話にも、イエスのお話(黄金律)にも、 

そして不動明王の「奴僕(ぬぼく)の行(ぎょう)」でもその大切さが言われています。

 

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタが、 

もう少しで地獄から天国に上がれるところで再び地獄に落ちてしまったのか? 

せっかくブッダ(神さま)が手を差し伸べてくださったのに自分の心が変われず、 

・自分さえ良ければよい

・自分さえ助かればよい

・人など、どうなっても良い 

という心のままでいたからです。

このことは、死後も覚えていたほうが良いと思うのですが・・・ 

自分の心さえ変われば、例え地獄の底に居ようと、一瞬で光が差し込み

私たちは天の国に助け出されます。 

心が変わるとは、

・自分さえ良ければよい

・自分さえ助かればよい

そんな心から、

・周りの人たちに対する思いやり

・いろんな人、神々からの援助で今の自分があることへの感謝の心 

そんな気持ちに切り替える必要があります。 

藁にもすがる思いで神社や仏閣に行って、「助けてください」とお願い事をしても、

神々は、助けることができません。

全ては、私たち自身が、自分の心を変えるところから始まります。

自分の事ばかり考えていると、心をむしばみ、神様から離れてしまいます。 

自分の悩み、苦しみは、少し脇へ置いておき、自分の周り、半径3mの人のことをいつも考え、どうしたら喜ぶか、笑顔になるか、考えていると、自分の心が神さまの道に進み、自分も相手も、みんなが笑顔で幸せになります。 

そして、いつの間にか、自分の悩み苦しみも消えてしまいます。

 




2022年1月1日土曜日

2564「収穫の時代」2022.1.1

 新年あけましておめでとうございます。

 2022年は素晴らしい時代の大きな転換の年になる事と思います。

 楽しく、明るく、暖かく、善きご縁で皆さまと歩んで行きたいと思います。

 これ迄以上にご支援、ご協力頂きますよう宜しくお願いします。


 新年元旦の記事は木の花ファミリー「ジイジのブログ」2021年12月27日の記事を紹介します。


「収穫の時代 〜 私たちは、何のために生まれて来たのか」


木の花ファミリーでは、毎年12月に一年の恵みへの感謝を込めて「収穫感謝祭」を行います。以下、2021年収穫感謝祭でのジイジのお話をご紹介します。

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今年も一年の農の締めくくりとして、収穫感謝祭を迎えました。ここに、今年一年の活動の証として供物が供えてあります。これはどこから生まれてきたかというと、太陽がもたらしたものです。そして、太陽が一方的に与えてくれたのではなく、地球の生命活動、地・水・火・風・空から始まる、植物、動物、そういったものの調和の延長にもたらしてくれたものであります。そういった仕組みを私たちは、毎日糧として頂き、一年を生きてきました。


 

本来、命が生きるとは、太陽の恵みを地上に頂き、それを受け、様々な自然活動がそこに働きを持って貢献していく。そして、我々命の代表である人間や動植物がその恵みを頂くことであり、収穫することは、取るということではないのです。ですから、生きるという事は頂くという事であり、頂くという事は謙虚な心から生まれる姿勢なのです。そういった土に近い生き方をしながら、土から恵みを頂くという事は、本当は生きるものの原点であり、人間はその極めて代表的なものでなくてはいけません。


食べ物を頂く以外に、今年は二つの新しい命(仲間)を頂きました。それから、農作業などをして、その収穫物を食べたり、それを販売し生業とする様々な生き方の中で、新しい知恵も頂きました。そのように時が過ぎて行く中で、人間はどんどん賢くなり、本来この世界に豊かさをもたらさなければならないものです。しかし、人間がこうしたいああしたいと思うとついつい自分の都合ばかりを考えるように、我々の活動も色々な問題に出会うことがあります。さらに、ここ木の花ファミリーの活動にだけではなく、日本にも世界にも、コロナウイルスを始め、環境の悪化、不健全な社会情勢など、地球規模の矛盾が沢山起き、私たちは農をベースとして生きるものとして、順風満帆な一年を過ごしてきたわけではありません。しかし、その順風満帆でない事を通して、小さく自らのエリアを通し、その姿勢、心の在り方を振り返り、どうしてそうなったのか、そして大きく国レベル、地球レベルで人類としてどうであったのかという事を、振り返り、学習し、次の時代に繋げていくべきことなど、そういった学びも頂きました。


今朝、ニュースを見ていました。すると、世界各国の生産額GDPは落ちているにも関わらず、株価が高騰し金融システムではお金は余っている。その中で、コロナ禍の生活の延長にゲーム産業が最も伸びている。こういったお金の仕組み、ゲームの仕組み、たくさんの産業という『業』の付く生き方があり、その中でも土に縁のない生き方が、お金や物の浪費という豊かさをもたらしています。そのように、今の時代が出来ている事がよく解ります。私たちは、農業ではなく、命を頂くとして、生きていますが、その活動は金銭的には生産性が低いのです。しかし、そういった『業』とつく産業が生み出すお金の世界の全ては、農業を始めとして、医療業界から様々な分野において人々が欲深な生き方をすることで、それが地球規模の問題を今、生み出しています。そういった地球規模の問題は、これから更に激しくなっていく事は確実です。


もう一つ、先ほどここへ来る前、着替える合間にテレビを見ましたが、夕べ、アメリカのいくつかの州に大きな竜巻が発生し、今のところ70名ほどの人が亡くなったそうです。全体像がまだ見えていないので、100名以上亡くなっている可能性もあります。アメリカのバイデン大統領は、この事を竜巻の災害では過去最大のものであると語っていました。これも何かしら自然が人間の行いに対してメッセージを送っているのではないかと思います。これから一年も経てば、また収穫の時期を迎えますが、収穫というのは都合のいいものだけを頂くだけではいけないのではないかと思うのです。いろいろな問題事を頂いて、厳しい時代に、そのことで何が与えられているかという事であり、恵みではなく、問題事を頂いたという事は、襟を正せという事です。ところが、問題事を頂いても、自らの襟を正すのではなく、自らの能力を使って回避し、乗り越えて、今までと同じ生き方をしようという人間たちが現れました。これは、人間の能力の高さでもあります。しかしながら、人間がこの姿勢を取り続けていると、問題ごとを通して全てそうですが、その姿勢を正すまで自然や天は、繰り返し繰り返し、私たちにその反省を促す為に問題事を与えます。それが今この時代に、究極の示しとして現象が現れているという事ではないかと考えるわけです。こういった捉え方をする人々が世界中にどれだけいるかと考えると、今はまだ皆無に近いですね。


世界を代表するアメリカと中国は今、いがみ合っています。そこに国家の利権を最優先するロシアがウクライナに侵攻しようとし、それに対してアメリカがNOという。その企みが上手く行けば、中国が台湾に侵攻する口実になるとも言われています。丁度80年前に起きた太平洋戦争は、日本が真珠湾を攻撃した1941年12月8日に始まりました。それから80年経ったのですが、今とてもきな臭いムードが地球上に漂っています。21世紀に入り既に21年経っていますが、そんな状態の人間の姿勢を考えると、とても愚かしい姿が観えてきます。

私たちは、今日の収穫感謝祭を、収穫を頂いてありがたい、自分たちが生きていければいい、という事ではなく、そろそろ自分たちの襟を正して振り返り、人間の地球に対する横暴を正しくしていくことにつなげることではないでしょうか。今までは、拡大の時代でしたから、欲望の延長にただ便利がいいように、ただ物が豊富である豊かさが求められてきましたが、これからは量より質を考えなければいけない。生き方というのも、自らの生き方が自らに幸せをもたらすのは当然ですが、同時に社会やこの世界の仕組みに則って社会が豊かになっていかなければいけない。社会だけでなく、地球が歓迎する豊かさの追求をしていかなければならないのです。それが、このようにテクノロジーを使い、不必要なまでの利便性の追求と、異様なまでに溢れる物と、それがいずれゴミを生み出す現状は、そういった様々な問題が溢れこの時代を運営してきた人間の責任であるのです。その役割を果たせた時に初めて、人間は高い意識の秩序をもたらすものであるという事が表現できるのです。様々な問題を収穫する時代が来ました。良い事も悪い事も収穫する。良い事は感謝すればいいが、悪い事は感謝の前に何故それをいただいたのかという振り返りをし、そしてそれをもたらした人間性を改め、自らの価値が上がるための本当の意味での心からの感謝をしなければいけないという事です。


その為に、私たちは何をしなければならないのか。昨夜、みんなで映画(ラーヤと龍の王国)を観ましたが、あの映画の中で争っている人々が融和し優れた社会を創る為には、互いを信じあう事こそが最も求められることでありました。そして、互いに信じあう為には、正直である事。何でも語り、何でも語れる、何でも聞き、何でも伝える、共に生きていくという事をしたら、その姿は地球の命の仕組みですね。そういった事をもう一度人間は、自分たちが最も優れているという、おごった立ち位置にいつまでもいないで、正しく受け取り、尊い者となり、他の生き物の為に生きる。そして、人間たちが本来地球に降ろされた意味を表現する。その価値を取り戻す時代が来たからこそ、この厳しい時代が始まっているのではないかと思うのです。


日々、こんな事を考えながら365日経つとまた、来年も収穫感謝祭が来ます。ここにお供えしてある供物はこの時期ですからだいたい似たようなものが、毎年お供えしてありますが、それは同じものではないですね。これは数か月前までは土だった、あるいは、数か月前までは施肥として私たちがそこへ入れた栄養だった。さらにその前は成長の過程では空気だったり、水だったりしました。様々なものが変化してここへ至っているという事は、天地一体、地球の大調和の働き、流れだけでなく、天体の動きが、こういった大いなる動きをもたらしている。ですから、私たちは宇宙を生きる者として生まれてきました。


丁度今、日本の民間人として初めて宇宙へ行っている人がいます。宇宙ステーションから、人の欲望をくすぐり、人の気をひくような事を言っていますが、お金でも何でも、心が貧しい者が持つと本当に無意味な貧しいことに使います。それはお金の事だけでなく、すべてのものが豊かになるという事は、心が豊かであるという事が先に優先されないと、正しく世の中のために使われるという事にはなりません。

年々、生きるという事は感慨深くなっています。一年を通して深い学びを頂く。その一番は、人の価値を収穫する事です。そうやってみんなで、その価値を収穫する為に生きる。生きていないとその価値を収穫できません。肉体を頂いてその心を健康に運営していないと、その価値は積み重なりません。


この生のサイクルが終わると、自分を積み重ねるという事は次に生まれてくるまではありません。今は命を頂いた体があるからこそ、時と共に人生があり、色々な事に出会う事によって、自分の価値を積み重ねるという仕組みになっているのです。

この道理をいつも念頭において、日々、一年365日、クリスマスや正月、自分の誕生日などいろいろな記念日がありますが、毎日、朝を迎え、夜を迎え、その都度、瞬間瞬間に、自分たちは一体何のために生きているのかを意識し、スケールの大きな心で生きていきたいものです。


そういった自覚ある一年を生きる為に、こういった記念日があるのではないかと思います。自覚を持って一年を送ってもらいたい。そうすれば、この頂く人生は、心の成長としてその人の価値を付けるものとなる。この価値だけが死んでからも持っていくものです。

その為に人生があるのだという事を今の人類に伝えられる見本が、ここで示せるのではないか。そんなに遠くなく世の中は完全に行き詰ります。その時に、ここにその見本があるという事が言えるように生きていきたいものだと思います。くれぐれもその事を一人ひとりの命題として自覚し、歩んで行ってもらいたいものだと思います。これは、誰かが誰かにお願いする事ではなく、自分が自分に言い聞かせ、この道を歩むことを選んだことの自覚として頂きたいと思います。という事でまた、この記念日では、一年後にお会いしましょう(笑)

ずっとこれをやっていきますから。馬鹿な事もいろいろ提案しますが、自分を捨て、空っぽにし、日々、365日マツリの精神で生きていきたいものだと思います。今日、そういった大事を理解し納得して生きていけるという事は、その境地に到達したという事で目出度い事です。収穫感謝祭、おめでとうございます。そして有難うございました。


ツイスト踊る?(笑) (ツイストには質的転換の意味があります)

みかちゃん:

それでは、心を収穫するという事が一番大事な事だと思いますので、みんなで歌いましょう。

 

※みんなで合唱した歌の歌詞を載せます☟

『♬この世界をつくっているのは』

蒔いた種を刈り取るのは一人ひとりの責任

みんなで蒔き続けた種が今もこの世界を創っている

心の中に色んな 想いの種をみんな抱えている

何もかも 誰かのせいにすることはできない

ならば あなたはこの世界にどんな想いの種を蒔きますか

そしてこの世界にどんな花を咲かせますか

この世界をつくっているのは この世界をつくっているのは

この世界をつくっているのは この世界をつくっているのは

私たち ────