2024年7月21日日曜日

3495「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!1」2024.7.21

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2024年7月14日の記事を2回に分けて紹介します。


「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!」

宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。

 

今回も本当に久しぶりのブログ更新となります。

前回の澤野大樹さんのインタビューは2月17日でしたから、5か月ぶりとなります。

この5か月の間、澤野さんは10回の講演会を行いながらも、深い思索の領域を旅していたのだそうです。 

そんな多忙な澤野さんの一段落した瞬間をキャッチし、インタビューをすることができました。 

さあ幕あいの時間は終わりました。

では始まりますよ。

5秒前___

4,

3,

2,

1,

それではどうぞ!

 

――澤野さん、こんにちは。

またまた久しぶりのインタビューとなりますが、よろしくお願いいたします。

 

いやあ、またもやお久しぶりですよね。

こちらこそどうもどうも。

 

――この5か月の間、

以前にも増して活動的に見えましたが、ご自身で振り返ってみてどうですか?

 

たしかにそのとおりです。

平凡な言い方かもしれませんが、ホントに頑張ったなあって思います。

わかってくださって嬉しいです。

 

――膨大な執筆量でしたよね。

 

そうそう。

猛烈に執筆しました。

活字版の20番と21番をほぼ同時並行で執筆していますから、頭の中こんがらがってましたよ。

 

――原稿が完成したと思いきや、

そこからかなりストップしたりしていましたよね。

 

熟成とポリッシュが入るからです。

でもそれらは総じて私の意志じゃない。

自分でもなんで止まっているかわからない。

普通に1か月とか止まるから。

再び書き始めるのも自分の意志じゃない。

大きな動きはエスカレーターみたいに、最初っからずっと動いているの。

私はそれに足を乗せるだけ。

だけどそこに足を乗せるのに1か月とかかかる。

 

――不思議ですね。

無理にやろうとはしないということですか?

 

抗ったらダメ。

本当に不思議と自然に、ぴったり当てはまるものが、きちんとしっかりと明確に現れてくれる。

そのためには時間と心の余裕がなきゃいけない。

急ぐと絶対にうまくいかない。

 

――ただでさえ今の世の中は

なんでもかんでも急ぎますよね。

 

コスパ、タイパを最優先とする風潮がありますけど

それはうまくいかない人を量産するためのもの。

じゃあうまく行くためにはどうしたらいい?

 

――時間とコストをきちんとかけるということですか。

 

たったそれだけよ。

コストと時間を十分にかけて創作された

工業製品でも芸術作品でも同じことで、

そうやって完成されたものは、必然的に結果として、もっとも合理的な仕上がりになるのよ。

だからコストとか時間とか、ホントは気にする必要なんかそもそもないわけ。

ここでいう「コスト」とは金銭的なこともあるでしょうけれど、

製品や作品そのものに心を傾けるという、労力とか眼差しの度合いも多く含まれます。

でも労力とか眼差しって定量的じゃないから人気はありませんよね。

 

――心を傾けたからといって

良い作品ができるとは限らないし、心の傾け度合いは数値化できないですよね。

 

そのとおり。

「ひらめき」とか「直観」というものがありますよね。

それって己のレベルに相応したものしか来ないのよ。

初心者には初心者ならではのひらめきや直観が降ろされる。

さらに言うと「心を傾ける」と言っても、それは「我」のことではないのね。

意味わからないでしょ。

それは気合いとも違うし、根性でもない。

ごく自然な働き。

それがどれだけ「自分の作品」に注がれたか。

でも自分ではコントロールできない。

だからエスカレーターに乗るタイミングは自分ではわからないのです。

 

――その「ごく自然な働き」が注がれるためには

どうしたらいいですか?

 

自分自身が「鏡」そのものだと認識できればいい。

QCの二次元プログラムデータを次元変換し

三次元物質ホログラム世界に「受肉」させるための

自我を超越した「鏡」であると認識すること。

 

――「認識すること」と言いましても

そのメカニズム全体を、理解しなければならないでしょうから、それは大変な作業になりますね。

それともうひとつ、「受肉」とはどういう意味ですか?

 

己のオリジナルで創造された製品なり作品は、出来る限り「現物」に落とし込むことが必要です。

あるいは現物を伴わせるということ。

このことを私は「受肉」と言っています。

QCのデータをホログラム化させることを意味します。

「己」という鏡を通過させたという証明が

いわば「現物」という形で示されているのです。

 

――「受肉」させるといっても、そのレベルがありますよね。

初心者の頃は拙く未熟であっても、練習を重ねることで上達していきますよね。

 

その通り。

受肉レベルを決めるのは、その人の下積みの量、反復継続の量に比例します。

天才的なピアノの才能がある子供でも、練習を重ねなければ花は開きませんから。

 

――下積みというのはとても地味で

目立たない作業の繰り返しですよね。

 

そう。

だからほとんどの人はやりたがらない。

「やりたいことだけをやりたい」って普通は逃げます。

才能はないけど注目はされたいっていう無いものねだり。

「やりたい」か「やりたくない」かを決めるのはまだ早い。

 

――下積みは承認欲求とは真逆にありますね。

 

誰にも認められない毎日が何年も続きますからね。

常人が到底やらないようなレベルにまで、到達した人の中から花開く人が現れる。

無限とも思える反復継続。

傍から見たらただの「意味不明な作業」。

 

――そのような大変な作業なんて

コスパ悪いし、タイパ最悪だとして

手っ取り早く「結論」や「結末」を求める風潮がありますよね。

映画を倍速で見たり、物語のネタバレを先に読んだり、

いわゆる「雑巾がけ」を避ける雰囲気はたしかにあります。 

めんどくさいもんね。

でもそれを避けてしまう流れが支配的になったがゆえに

とてつもない傑物が生まれ難くなってる。

先人の背中を見て学んでいくということが

かっこ悪く非合理的だと忌避されてしまっています。

せっかく水面下に才能が横溢しているのに。

 

――圧倒的に「敵わない」であろう先人の存在を

それでも追うということですね。

 

でもね、そんな風潮の中でも、しっかりと修行を積んでる若い人たちも

じつはたくさんいるんだろうなと私は思っています。

ちゃんとした人はきっとたくさんいる。

表だって見えはしないだけで。

この「失われた30年」を経たこの日本からでも、想像だにしないような

若きクリエイターが生まれて来ると思います。

すべてはパーフェクトですから。

 

――映画『ルックバック』を観てひっくり返りましたよ。

 

ホントそうですよね。

私も思わず受け身をとろうと、後ろを振り返りましたよ。

アニメ界にまさに革命が起きたわけですからね。

もうただただ放心状態になるしかない。

ルックバック「以前」と「以後」に

分かれてしまうくらいの衝撃度ですよね。

 

――途轍もない作品が登場してしまいました。

 

そうですね。

多くの作家が嫉妬に狂いましたが、

賞賛する以外に方法はありませんでしたから、

混沌とした異様な空気になりましたね笑

 

――時代や世を変え得るものというものが

どれほどのインパクトを与えるのかがよくわかりました。

 

しかしそれは音もたてずにやって来るよね。

そう、それはまるで「夜中に来る盗っ人のように」ね。

 

――それは下馬評とは違い、

センセーショナルとも違う登場の仕方なのですね。

 

その「存在」をきちんと気が付けるか?が大事。

そのためには人の機微についてとか、物事のあらましや構造についてだとかに

繊細で敏感でなければならない。

その繊細さや敏感さが、精妙な「ひらめき」や「直観」を生むのだから。

 

――精度の高い「ひらめき」や「直観」を得るためには

長年にわたる不断の修練が必要なんですね。

 

このホログラム世界には、ひらめきや直観が無限に溢れているわけです。

でもその中からみんな自分に見合ったものだけを、

そして自分で理解できる範囲内のものだけを

無意識的に選択して

さらにそれが最上のものだと錯誤しているわけ。

 

――たちどころに得ることができる

「覚醒体験」というものがいかに危険か、ということでもありますね。

 

若い時分ってのは反射神経は鋭いけれども、洞察力や判断力が未熟なのよ。

だから交通事故件数だって若い世代が圧倒的に多い。 

ということは、若い時分になんかの拍子に思わず興奮して

「これだ!」と判断し小躍りしたことのほとんどは

なんと「間違っている」可能性がきわめて高いということ。 

人生とはその錯誤の繰り返しなわけなのだけれども、

錯誤のレベルってものは成長できるわけよ。

でも最初にそれを最上って決めちゃったら

もうその先の成長は見込めないってなっちゃう。

 

――「ネットde真実」みたいなのは危険ですね。

 

完成された「結論」「結末」に飛びつくのはあまりに危険ですよね。

その多くが加工され絶妙に調整されて、そこに置かれてる。 

そう、あなたは釣り堀のクチボソとして

これから釣られる立場として狙われているのです。

 

――特に最近はネット世界もそのようなもので

溢れ返っているように見受けられます。

 

みんなが思わず喜ぶような、画期的な「結論」「結末」、

あるいはとびっきりの「知られざる真実」が

どういうわけかなぜかそこに落ちてるわけですよ。

なんでだかわかる?

でも多くの人がそれを嬉々として拾ってしまう。 

情報を高度に取り扱う者であるならば、目の前にキラキラ光り輝く

「結論」「結末」が落ちていたとしても、絶対に拾わないでしょう。

それって「罠」だよねって。

基本だよねって。

そんなこと明々白々ですよね。 

多くの人が初見で感動し、パッと見で「この人だ!」とか

「これだ!」とか思ったとしたら、それって調整され制御され計算され

演出されてますよね。

基本ですよね。

 

――澤野さんの考える「情報」とは

どのようなものでしょうか?

 

「情報」っていうのは調理するものです。

早朝から市場に出向いて、断片であるいろいろな食材を厳選して仕入れ、

それらを組み合わせた上で、己の技術とセンスで調理するわけです。

そして仕上がった状態を「料理」というでしょ。

 

――自分の力で作り上げるものなのですか?

 

いいえ、違います。

どんな料理が完成するかは本人もわからない。

 

――「すごいものを作ってやろう」とか考えたら

ダメなんでしょうね。

 

「情報」っていうのは、己の力量の度合いによって

「顕現なさる」ものであり、

「顕現される」ものなのですよ。

無地のキャンバスに突然フワっと浮かび上がって来るものなのです。

これが「オシント」(OSINT)

 (Open Source Intelligence)の根幹ね。

 

――表に出たがっている情報も

きっとたくさんあるのでしょうね。

 

ギターでもバイオリンでも同じですよ。

楽器自身が衝撃を受けるような、

楽器自身が知らなかった弾かれ方が顕現する。 

「私ってこんな弾かれ方できたんだ?」

「私ってこんな音が出たの?」って。

楽器が驚くのよ。 

楽器を磨いていい子いい子してる演奏家は「普通の演奏家」なのね。

平凡な演奏家は楽器にこだわる。

楽器にこだわっても超一流にはなれない。 

ごくひと握りの世界トップクラスの演奏家は、

楽器の方から「ボクを弾いてください」って懇願されるの。

つまり楽器を「従えて」いるのね。

だから壊していいの。

平凡な演奏家は壊しちゃダメですよ。

毎日朝から晩まで楽器をピカピカに磨いて、保険をかけておかなきゃダメ。

エドワード・ヴァン・ヘイレンの

あの伝説の名器「ザ・フランケンシュタイン」は

パーツショップで50ドルで投げ売りされていた

B級品のボディを元に自作されたものです。 

それは言ってみれば「がらくた」の寄せ集めなんですよ。

でも、そうやって自作されたギターは「驚いて」るんですよ。 

「楽器」が重要なんじゃないのです。

「誰が弾くか」が重要なのです。

これ今「楽器」でお話ししてますけれども

あらゆる分野にこれは当てはまることですよ。


後編に続く


2024年7月20日土曜日

3494「まるごと受け入れる」2024.7.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月14日の記事を紹介します。


「まるごと受け入れる」


このブログでは、元気で悩みも無く、明るく暮らしていらっしゃる方へと言うよりも、 

どちらかというと、日々の暮らしに疲れ、悩み苦しみ、

涙を流していらっしゃる方に向けて書くことが多いです。

できれば悩みや苦しみから解放されて、心から笑って頂きたいからです。

そのヒントとなればと、今日もブッダのお話からご紹介します。

 

ブッダは2500年前に、人間の生というものは「苦」に満ちていると悟りました。

ブッダが悟った「苦」とは

世の中は自分の思いどおりにならない

という意味でした。 

災難の中に居ることが「苦」ではありません。

「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、

結局は自分だけの問題だということになります。 

何故なら、どなたも自分の思い通りにならない現実に対して、

自分の心が苦痛を感じているからです。

外からやってくる不幸や悲劇は存在しません。

それらには良いこと・悪いことという色が全くついていません。

全てが内側、つまり自分の心・思い、受け取り方の問題だったとブッダは気付きました。

ブッダは思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、

人間は全ての「苦」から解放されることに気づいたのでした。

そしてブッダは全ての煩悩から自由になり、悟りを開きました。

私たちの悩みの多くは、実は自分自身のことではなくて、

他人が自分の思う通りに振る舞わないことから発生していると言われます。

多くの人は自分の価値観の中に、相手を連れてこようとして苦しみます。

でも、その人の良いところも悪いところも全部踏まえた上で、

そのまま全て、まるごと受け入れてしまえば何の問題・悩みも無くなります。

自分の価値観を、人にまで押しつけようとした時に、実は自分自身が一番苦しみます。

人や物事・起こっている現実を自分の思う通りに変えようとせず

・お金と仕事の問題は、「掃除」をしていれば無くなってしまう。

・体と健康の問題は、「笑って」いればいい。

・人間関係は、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

それだけで私たちは幸せに暮らしていけるように神さまが、この世の中を作ってくださっています。

 

神さまが好む人間の行為ベスト3は、

・掃除

・笑い

・感謝

の3つなのだそうです。

神さまは掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行。

ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。

「笑い」とは、目の前に起きている現象に対する肯定であり、受け入れることです。

それは目の前の現象(嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと)を起こしてくださっている地球や宇宙や神さまに対し、

「ありがとう」と肯定したという意味になります。

神さまにとって「肯定された」ということは、

自分のしたことを「喜ばれた」ということになります。

小林正観さんが仰るには、 

神さまは喜ばれると嬉しくてやる気になって、

応援支援をしようと思うみたいなので、

肯定的な人には、どんどん味方をしてくれるようになるそうです。

私たちは子供のころから、

「手に入っていないもの」を挙げ、

「それを手に入れることが幸せ」という風に教えこまれて来ました。 

またビジネス社会でもそうですね。

売り上げ目標を高く掲げ、ムダを極力省き全てのエネルギーをそこに注ぎ込みます。

また「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えられても来ました。

 

一方、

・既に沢山のものをいただいている

・既に充分恵まれている 

との考え方に至った人たちもいます。

これは現状(嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも)を肯定して、

「喜びながら」「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きるという生き方です。

神さまや宇宙に、今既に十分与えられていると言う「小欲知足」の生き方です。  

強く願えば叶う、努力すれば必ず現実を変えられる。 

宣伝や営業努力の結果でものが売れる・・ 

そのような方法論はもう古いのかもしれません。

神さまの意思や働きを否定した傲慢な考え方かもしれません。 

神々の計画では、21世紀は「精神性の復活の時代」、「心の時代」になって来ています。 

21世紀は、いかに宇宙を味方にするか? 周りと調和していくのか?

そう考える方が時代の潮流のようです。

・人に喜ばれるように生きていくこと。

・「頼まれごと」をひたすら実直な、愚直な、誠実な心で行っていくこと。

・目の前の現象をまるごと感謝して受け入れること。 

・自分が社会的に成功するとか、

・お金持ちになるとか、

・商品が売れるとか、広まるとかということは、 

ブッダが言うように、全て本人の力ではありません。

すべて神さまや、宇宙、そして周囲の人・ご縁のおかげです。 →縁起の法則と言います。

ブッダは般若心経でそう教えてくださいました。 

自分の努力や力ではなく、

全てが目に見えない神さまや、ご先祖

宇宙、人様のご縁のおかげということがわかったら、 

あとはただ感謝、「ありがとう」と言うだけですね。

何故なら、その現象は、

私たちの魂を磨き、美しく輝かせるために起きていることだからです。 

それが、ブッダは2500年前に悟った人間の生というものは「苦」に満ちている・・

その苦しみの世界において、真の幸せを掴む道なのかもしれません。  

泥の中から咲くハスの花ように、私たちも、この世界において、 

置かれた場所で、美しい花を咲かすことが、きっと誰にでもできるのです。



2024年7月19日金曜日

3493「心が作り出す世界」2024.7.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月13日の記事を紹介します。


「心が作り出す世界」


空海が教えてくださったことに、次のようなことがあります。

私達が、この世の中で見たり聞いたりすることは、

全部、もともと私達の心の内にあるものである。 

心の中にあることしか、私達は経験できない。 

 

・不平不満、愚痴、憎しみ、ねたみ、

・自分さえよければ、人より優位に立ちたい、

・お金が全て

・世の中の不正に対し、常に激しい憎しみ・怒りを向けている人

そう思っている人は、その通り阿修羅の世界の中に生きて行きます。

逆に

・感謝や笑顔、

・優しさ、

・思いやり、

・助け合い、

・お陰様 

心の中がそれらで満たされている人は、

その通り美しく、優しい世界で生きて行くことになります。

これは1200年前に空海が教えて下さった真実です。 

空海が仰った 即身成仏、

私達は生きている内に、天国でも地獄でも行ける

とはこのことです。

ですので親の生き方を見て育つ子供たちは、

親と同じ道を歩んで行くことが多くなります。

親の私達自身が心の中を天国にすれば、

私達も幸せになりますし、

同じく繋がっているご先祖や、

子供たちも本当の幸せを手に入れることが出来るでしょう。

さて、それではお金もかからず、簡単に出来る

「心を天国にする方法」の一つをご紹介します。

良寛さんが大切にした「和顔愛語」です。

 

良寛さんは新潟で生まれました。

江戸時代末期を生きたお坊さんで、詩人として多くの人に知られています。

良寛さんは多くの人に慕われ、愛された方でした。

その良寛さんが大切にされていたことが

「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉だったそうです。

「和顔愛語」とは、その字の通り、 

和やかな顔で、温かい言葉を口にする。ということを言います。

良寛さんは、人に与えるようなお金やモノを何も持っていなかったので、

誰かに何かをあげることはできませんでした。 

ですが自分の言葉なら贈り物にできる。そう考えました。

ですので良寛さんの口から出てくるのは、 

・温かい言葉や感謝の言葉、

・人を勇気づける言葉、

・人を明るい気持ちにさせる言葉、

・人を癒す言葉

ばかりでした。

 

良寛さんの「和顔」というのは、

人への素敵なプレゼントだったのかもしれませんね。

2500年前のブッダも同じことを教えて下さいました。

ブッダの教えに無財の七施(むざいのしちせ)というものがあります。

無財の七施とはお金をかけなくても相手のためにできることですが、その中に

・優しい言葉、思いやりのある言葉で接する

・温かい笑顔で接する

ということがあります。

笑顔で優しい言葉を口にする人の回りには、

同じように笑顔の人が引き寄せられて集まってきます。

でも、いつもいつも笑顔で優しい言葉を

かけ続けるのは大変なことかもしれませんね。

うまく笑えない時や、優しい言葉など出ない時ももちろんあります。

ですが、そうありたいと思うだけで、

後は私達の内に居らっしゃる神様が後押しして下さいます。

私達が住む地球には、次のような法則があります。

与えたものが、受け取るもの

相手に対して、厳しい言葉をかければ、

自分も同じように人から厳しい言葉をかけられます。

優しい言葉をかければ、人から優しい言葉をかけてくれる人が現れます。

 

良寛さんはきっと、優しい言葉をまわりに投げかけ続けた人だったのですね。

だから多くの人に慕われ、愛されました。

笑顔の良寛さんの周りには、きっと笑顔の人達が集まってきたのでしょう。

そう考えると、笑顔の人達に囲まれ、幸せになる一番簡単な方法は、

自分が笑顔でい続けることなのかも知れません。

私達も良寛さんのように、人様に愛される人間になりたいものです。


2024年7月18日木曜日

3492「地上の星」2024.7.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月09日の記事を紹介します。


「地上の星」


日本中あちこちに神社があります。 

そして、その一つ一つは光を放ち、かつては、地上の星となっていました。



小さな村々では、神聖な場所、氣の良い所に 神社が立てられ、 

村人たちの心のよりどころとなってきました。

何かあれば、みんなで神社に集まり、お祭りしたり、盆踊りをしたり、 

神社(産土様)を中心に、村人の心は繋がっていました。

その村のコミュニティの結束のために神社は心のよりどころとなっていました。 

また宇宙を起源とする「神々」と称される知的生命体も古の時代から、地球を訪れ、 

石や岩、または山全体などをヨリシロとして、その神輝を放っていたと思われます。  

つまり、地上の星となって輝いていました。 

  

これは夢物語ではなく、かつて、アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が

宇宙から地球を眺めたときに

「1か所ものすごく光って見える場所があった」と言って

その緯度・経度を計測してみたそうです。

その場所は御岩神社(茨木県日立市)だったそうです。

御岩神社
  

神様のパワーは、人々の敬虔な祈り、神様と関わりあおうとする人間の氣によって、 

維持され、増幅されていきます。

神様だけのパワーで神社の光が維持されているわけではありません。

必ず人間側からの関わりが必要です。 

ですから、人間側から、神様へ 

・意識を向けること

・真心を尽くすこと

・感謝の気持ちを表すこと

それは、とっても大切なことです。

ですが神々も、

人間に忘れ去られた時、誰も見向きもしなくなった時、

かつて光を放っていた神社であっても光を失い、

そこに居らっしゃった神様の氣も枯れて消滅してしまいます。

数年前、弥彦神社のご妻神、熟穂屋姫命から、そのお話を伺ったことがあります。 

神々からのアプローチは、どなたにも等しく、平等に降り注いでいます。

それは、ご自分で見ようとしなければ見えないし、聞こうとしなければ聞こえません。

神さまと、触れ合おうとしなければ、決して感じることができない繊細なものです。

神社や仏閣に行った時

・風

・水の流れ、せせらぎ

・雲

・お日様

・人々の笑い声

・虫

・動物

・花、植物、木々のざわめき

・虹 

に神経を集中させてみてください。 

 

神さまは、お優しい方ですから、何らかの気付きを与えてくださると思います。 

・それを無視するか、

・偶然であると片づけるか

・バカバカしいと思うのか? 

ご自分の自由です。

ですが、神さまの働きは、自分で、触れ合おう、感じようとしなければ、

決して感じることができないものです。 

 

妻戸神社で聞きなれない言葉を聞いたことがあります。

「人々の信仰、記憶が続く限り、神々は存在する」

※これはエネルギー的な存在の事を言っています。

人々の記憶が無くなり、信仰するものが誰もいなくなったらどうなるのか?

「その時 消滅する」

エネルギー不変の法則と言うものがあります。

それとどのように整合性が取れるのかは解りません。

ただ、最近の研究ではエネルギーは無から生じ、そして無に帰ると言われています、

その無に帰ると言う事かも知れません。 

その真の意味は元々の大神様のいらっしゃる世界に戻ることかもしれません。

 

また、出口王仁三郎の霊界物語では、この逆パターンが描かれています。

つまり、八岐大蛇や金毛九尾の狐などと言った悪役の魂は、 

元々は、人々の、不平不満悪口、恐怖、怒り、

などその様なエネルギーが段々と凝り固まって発生し、力を得て来たと。。

その反対に、人々の熱い信仰と真心、神様に通じる思いが、

こう言った神々に大きなエネルギーを与えて行ったのかもしれません。

そして、そのエネルギーの源泉が無くなった時のことを

「消滅」と言う言葉であらわしたのかもしれません。

その時「消滅」という言葉がでたので、

ちょっとショックで、人間についてお聞きしました。

私達、人間の場合はどうなるのでしょうか?

それは消滅ではなく、集合意識、

もともと私達がいくつも枝分かれしてきた魂の元に合流し、その個性を失う事のようです。

決して消滅するわけでは無いようです。

それが、良いことか、悪いことかは判断できません。

魂の大本、トータルセルフと一体になることは、

そう悪いことでは無いと思います。

元々私達の魂は巨大で、幾度も、分離、そして吸収、知恵や経験の攪拌をl繰り返し、

より優れたものへと進化しているからです。 

この個性は、全てそこから派生したものだからです。。

 

元々の地球や、宇宙を作った大神

そして私達生命を持つもの

そして、人々の思い(生命を持つもの)から発生、進化していった生命体

それぞれが、この宇宙には存在しています。

私たち生きている人間は自分の力などちっぽけな物

そう考えて、

・神々に頼ろうとするかもしれません。

・霊的に力があると吹聴する人に頼ろうとするかもしれません。 

ですが、私たち一人一人の人間の精神の力は、

神々へもパワーを供給するほどの力があります。 

私たちの純朴な

・優しさ

・思いやり

・助けい合いの心

・お互い様の心 

そういう美しい真心こそが、神々のエネルギーの源泉となり

何時までも地上の星として輝き続け、私たちの幸せに手を貸してくださることでしょう。 

その思いやりの循環こそが、私たちが地上に来た目的であり、

地上の星となってくださった神々の願いでもあります。

  

2024年7月17日水曜日

3491「「現人類の絶滅が望ましい」という学説」2024.7.17

 今回はIn Deepさんの2024年7月7日の記事を紹介します。


「新しい人類の登場には「現人類の絶滅が望ましい」という学説にふれて」

In Deepさんのサイトより

https://indeep.jp/the-extinction-of-modern-humans-is-desirable/


世代を越えていくmRNAの影響

私が曖昧に「人類は確実に滅亡に向かっているのだなあ」と悟ったのは、昨年の今頃のことだったでしょうか。

以下のようなタイトルの記事を書いたこともありました。

(記事)mRNA戦争は続く。その行く末は「緩慢な人類絶滅」 

In Deep 2023年8月27日

あるいは、日本人に特化して考えれば、「日本人のほとんどが遺伝子的にプリオン病から守られない」という世界で唯一の体質(?)を持つということを知ったこともありました。

(記事)プリオンから守られない日本人としての最期の日々を生きながら、以前の厚生労働省の資料を思い出す:「何が起こるかわからないという懸念が実はある」

In Deep 2024年2月1日

なお、プリオン云々とは関係のないことですが、この記事では、今から 18年前の 2006年の厚生労働省の専門家機関による文書を抜粋していますが、以下のようにありました。

厚生労働省 日米EU医薬品規制調和国際会議の文書より

…導入遺伝子の染色体への組み込みは、一般に組み込み能があるとは考えられていないベクターでも低頻度とはいえ起こりうることである。

…染色体への組み込みが起こると、正常な遺伝子構造を修飾したり遺伝子発現を妨害、誘発する遺伝子の再配列や挿入変異が起こる可能性がある。

ICHに参加している規制当局は、現在の科学的、倫理的及び法的な議論に基づき、生殖細胞への直接の遺伝子組み込みを目的とする遺伝子治療の臨床試験は実施すべきではないということで合意している。

mhlw.go.jp

この 18年前などの時点では、

「導入遺伝子の染色体への組み込みが起こり得るような遺伝子治療は、実施すべきではない」

とされていたようです

ここに「実施すべきではない」とされているのは、どんなタイプの治療かというと、直近では、mRNA コロナワクチンや、アストラゼネカ社ワクチンのタイプ(DNAを送達する)などのことを指します(あるいは今後のすべての mRNA タイプのワクチン)。

こういったような医療的介入は「行うべきではない」という見解が以前は公式にあったものが、それから十数年後の日本では、

「それが公式に認められたどころか、過去最大規模の遺伝子の染色体への組み込みが起こり得るような治療(予防)が行われた」

ことになります。

このあたりに絶滅への「道」といったものを感じるのです。

「行ってはいけない」という強い主張が過去にはあったものが、その中で、医学の世界あるいは製薬の世界では、どんどん遺伝子治療、遺伝子予防という方法が第一義的な方法となっていき、気がつけば、

「当初の倫理思考など当局からも医学界からも吹き飛んでしまった」

と。

これからも同じでしょう。日本に次々と mRNA テクノロジーの工場が設置されているのを見ましても、日本は特に突き進みそうです。

しかし、先ほどの厚生労働省の 18年前の文書にある「このような治療法、予防法の危険性」は今も同じであり、むしろ、現状のように mRNA 予防がかつてより一般的になっている現状は「単に過去よりリスクが増加している」だけです。

 

日本人の遺伝子はほんのわずかな外来遺伝子のためにこの数千年で半分が置き換えられた

最初のほうにリンクしました「緩慢な人類絶滅」と入っている記事では、科学者の荒川 央さんの note 記事についてふれています。

これは、「お酒を飲める遺伝子と飲めない遺伝子」ということについての記事で、平たくいえば、かつては全員がお酒を飲める体質だった日本人が、外部(朝鮮半島)からの遺伝子の流入により数千年後には日本人の大部分の遺伝子が変化してしまった、というようなことです。

場合によっては、「たった一人の外部の遺伝子の流入」だけで、約半分の日本人の遺伝子は「未来永劫に変化してしまった」のです。

荒川さんはこれを例えとして書いているわけで、記事の最後は以下のように締められています。こちらで改行をしています。

荒川 央「縄文人と弥生人: 民族の遺伝子が変わるという事の意味」より

「全ては変化し続ける。」それがこの世界の理です。人間も生物も自然環境も社会も例外ではありません。人間の遺伝的多様性も長い時間を経て遺伝子が変化し続けた結果なのです。

動物、植物、細菌、ウイルスを超えた種の多様性も遺伝子の変化によるものです。変化する環境の中では自身も変化しない事には生き残れないからです。

低い率の遺伝子変異自体は生命の世界において自然なものです。しかし、人為的な過度の変異は進化の平衡にも干渉し得るでしょう。

DNAが混入したワクチンが本当の意味で人体にどんな影響をもたらすのか。

日本でのコロナワクチンの集団接種が始まり2年あまりです。数年を経て現れてくるような長期間の副作用は現時点では検証しようもありませんし、さらに言えば人間の寿命を超えて見えてくる集団への影響も未知なのです。

DNAが混入したmRNAワクチンの大量接種は決して行われてはいけない人体実験でした。これは事実として、日本、ひいては人類の存亡に関わる話ですらあるのです。

あるいは、人類が生き残っていたとしても、mRNAワクチンは遠い未来の子孫にまでも深刻な禍根を残す歴史上のスキャンダルとなるのではないでしょうか。

荒川さんは「人類が生き残っていたとしても…」という強い表現をなさっています。

そして、これは民族単位でいえば、接種の試行が多い民族であればあるほど、将来的に(民族が)生き残る可能性は低くなっていくと思われますが、荒川さんが書かれているような「人間の寿命を超えて見えてくる集団への影響」つまり、

「次の世代」

にどのような影響が出るのかはまったく予測できません。

 

DNAは永久に残る

脂質ナノ粒子の専門家であるクリスティー・ローラ・グレースさんが、過去の研究論文を紹介していて、

「マウスに注射されたプラスミド DNA は一生、体内で持続する」

とする文書を投稿していました。

こちらで一部翻訳しています。

ヒトとマウスでは異なる部分もあるとはいえ、同じようなことが接種された人間でも起きないとも限らないようには思います。

一生体内に残る。

あと、これは 20年ほど前の論文ですが、「骨髄は外部から投与されたプラスミド DNA を取り込む」というものを見たことがあります。以下で概要を翻訳しています。

(記事)「骨髄は外部から投与されたプラスミドDNAを取り込む」という論文

BDW 2024年7月4日

それがどうした、という話ではあるかもしれないのですが、私は、骨髄移植を受けた人の DNA が「すべて」提供者の DNA に置き換わるという事実を知って以来、「骨髄と遺伝子」ということについては興味を持っています。

以下の記事をご参照くださればと思います。

(記事)「本人」とは? : 骨髄移植の後、移植を受けた人の血液のDNAがドナーのDNAに完全に置換されることが判明。特に「精子」は100パーセントがドナーの遺伝子となっていた

In Deep 2019年12月24日

調査された方は男性で、そして、骨髄移植手術から「 4年後」に、「すべての精子の DNA が提供者の DNA に変わっていた」ことがわかったのでした。

つまり、仮に、それから彼から子どもが生まれたとしても、生まれてくる子どもは、

「本人の子どもではない」

のです。知らない人の DNA を持つ子どもが生まれてきます。

こういうことを知って以来、「本人とは?」とか「遺伝子とは?」などのことをよく考えます。

もちろん、これらのことと、mRNA ワクチンの混入 DNA のことを並べて話そうとしているわけではなく、「ひとつひとつがひっかかる」という話でしかないです。

いずれにしても、仮に、何か新しい強化された遺伝子を持つ次世代が生まれてくるようなことになれば、

「現世人類の絶滅と新しい人類の誕生が同時に起こる」

ということなのかもしれません。

  

ポストヒューマン

ここまでタイトルと関係ない話が続きましたが、ここからがタイトルと関係する部分です。

最近「遺伝子改変」と「人類絶滅」という両方のキーワードで、論文を検索していましたら、興味深いものが見つかったのですね。

以下のようなタイトルの 2022年の論文です。

遺伝子強化、人類絶滅、そしてポストヒューマニティの最大の利益

Genetic enhancement, human extinction, and the best interests of posthumanity 

どういうことを言いたいのだかわからない部分もあるのですが、論文の概要に、 

「人類の絶滅はポストヒューマンの最善の利益の 1つとして考えられる可能性があると提案する」

などとあるものです。

ポストヒューマンというのは、仮説上の「進化した未来の人類」で、Wikipedia に以下のようにあるものです。

> 「その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて、現代の感覚ではもはや人間とは呼べない」ものとされる。

 

こういうような、ポストヒューマン、というなものも含めた響きは、どこか陰謀論的な話や、あるいは、先日、代表者がセクハラで告発された世界経済フォーラムなども思い浮かぶ場合もあるかもしれないですが、私が今回ここまで書いてきたことが「人類絶滅とポストヒューマンの登場」につながるのならば、

「陰謀も首謀もなく、それぞれ個別の人類自らがその道を開いた」

ことになります。

日本でいえば、1億人が「未来永劫に続く遺伝子の改変に同意した」ことになります。

ここが絶望的なところなのかもしれません。

もはや陰謀も何もなくとも、遺伝子医療テクノロジーが存在する限り、人類は自ら滅亡に進む。

それにしても、セクハラで告発されたクラウス・シュワブ氏と世界経済フォーラムについては、日本語の報道だけでもウォール・ストリート・ジャーナルやダイヤモンドや Yahoo! ニュースなどにより一斉に報じられていまして、ハラスメント自体はずっと以前からあったはずなのに、今となってこのような問題が噴出しているというあたり、いろいろと弱くなっているのかなとも感じないでもないです。

締めとして、先ほどの論文の「セクション1」から抜粋してご紹介します。興味深いことには興味深いです。

太字はこちらで施しています。

論文「遺伝子強化、人類絶滅、そしてポストヒューマニティの最大の利益」より

Genetic enhancement, human extinction, and the best interests of posthumanity

wiley.com 2022/09/22

人類絶滅研究は、ここ数十年で急増している。これは、人類がさまざまな存在的リスクに脅かされているためであり、その多くは私たち自身の行動によって生じている。

人為的絶滅シナリオには、気候変動、生態系の崩壊、地球規模の核戦争、パンデミック(意図しないものや意図的な生物工学によるものを含む)、超人工知能または自己複製ナノボットなどがある。

また、小惑星の衝突、大規模な超火山の噴火、宇宙の脅威(ガンマ線バースト、太陽フレア、真空崩壊など)、そして、もしあるとすれば地球外からの侵略など、非人為的シナリオもある。

これらの存在的リスクは、ホモ・サピエンスがいつ絶滅するのか、そして系統学的に関連する子孫を残すかどうかという未解決の問題を提起している。

本稿では、生命倫理の議論にとって特に興味深い、もう一つの人類絶滅シナリオについて取り上げる。

人間の強化は、人類絶滅を促進する可能性がある。逆説的に、バイオテクノロジーを通じて人間の能力を向上させようとする動きは、異なる種への移行を加速させ、したがって不可解な実存的リスクを引き起こす可能性がある。

特に、遺伝子強化技術が、ホモ・サピエンスの後継種につながる可能性のある累積的な変化を生み出す可能性があることを示す。このシナリオには、上記の実存的リスクとは異なる特殊性がある。

最も重要なのは、(遺伝子)強化技術を通じて人類絶滅が積極的に追求され、実現される可能性があるという事実だ。

トランスヒューマニストと強化推進派の著者の議論を参考にして、「ポストヒューマニティの最善の利益の原則(PBIP)」を提示する。これは、人間の強化は、大幅に価値の高いポストヒューマンの存在への進化に向けられなければならないというものだ。

この原則は、人類絶滅の望ましさと組み合わせることができると私は主張する。しかし、PBIP はいくつかの関連する懸念も引き起こしており、すべてを考慮すると、その倫理的魅力を損なう可能性があることも示す。



2024年7月16日火曜日

3490「心を受け取る」2024.7.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月08日の記事を紹介します。


「心を受け取る」


見えない世界に精通し、不思議な力を持っている。 

そのように吹聴するどこかの誰かの力に頼ることよりも

自分自身の心の浄化、純化が、どれほど大切なことか。 

そちらの方が遥かに永続的で、真の力を発揮することか。

自らの心を清める事、感謝の心で過ごすことが、どれだけ宇宙神を喜ばせ、

大きな助けを引き出すことができるのか。 

様々な情報をどのような角度から見ても、 

結論はそうなります。 

力あると吹聴する他人に依存するのではなく、自らの心を洗うこと・・・ 

では、今日も王道であり、その最強の方法である、心の浄化についてのお話です。

  

造化三神、宇宙神 

神々による建て替え、人々による建て直し、今行われている進化の方向性は、

一人一人の精神性が大切にされる世界への移行 

それは、

・誰か悟った人によって起こされるのではなく

・霊的な力がある人によって起こされるのではなく

・有名な前世を持つ人によって起こされるのではなく 

私達一人一人の心の変化によってなされます。

私達の心が、今までまとっていた

・罪(包身)

・穢れ(氣枯れ)

を祓い落し、本来の輝きを取り戻し、他人や物に依存することなく、

自分の力で、しっかりと大地に根を張り、身近な周りの人たちと、 

認め合い、笑い合い、助けい合い、生きていくことで、実現される社会です。 

大本の神様からいただいた心・魂にはその力が宿っています。

今日のお話は「心を受け取る」ということで、ある方の思い出話をご紹介します。

貧乏で田舎者の父と、息子の大学卒業にあたってのお話です。 

お父様は田舎者で、また裕福ではありませんでしたが、

まじめで、実直で、子供を心から愛しておられた方でした。

<引用開始> 引用元

 

三月は卒業式のシーズンである。

卒業式といえば、私には忘れられない父との思い出がある。

私の大学の卒業式に出席するため、

それまで天草をほとんど離なれたことのなかった田舎者の父が、

一人で博多までやってきたのである。

私は驚いた。 

父は下宿の私の部屋に泊まった。

卒業式の朝、父は大学の門の前で立ち止まり、

じっと門を見つめたまま、しばらく動こうとはしなかった。

学部ごとの謝恩会の席で、父と私は一箱の折り詰め弁当を分け合って食べた。

そして、一合ビンの日本酒を、交互につぎ合って飲んだ。

父は実に嬉しそうであった。

私はその時の父の嬉しそうな顔を、今でも忘れることができない。

卒業式のあとで、私達は親友二人と共に、大濠公園に行った。

親友達とも、その日でお別れであった。

私は公園のベンチに座って、その親友達との別れを惜しんだのであった。

父は少し離れてなぜか寂しそうに、私達を眺めていた。

翌日、父は黙って天草に帰って行った。

しかし、その時の父のなぜか寂しそうな姿が、長い間ずっと、私の心の中から離れなかった。

その父が四年前に亡くなった。

亡くなる一年ほど前に、入院して寝たきりになった父が、

ベッドの中で、私の手をしっかりと握って言ったのである。

「お前の卒業式の日あの公園での悔しさは、今でも忘れん。

金がなくて皆にジュースを買って、飲ませることもできんかった。

本当にすまんかったな。

おれは悔しくて、帰りの汽車の中で、涙が止まらんかった」

父は三十数年もの間、その時のことを、悔やみ続けていたのである。 

私はその時、八十八歳の父の心の風景をはっきりと見た。

そして、卒業式の日の大濠公園での、あの父の寂しそうな姿を、三十六年たって、初めて理解できたのであった。

私は仏壇にかざった父の写真を、しみじみと見ながら

「気にするなよ、おやじ」とあらためて呼びかけている。

<引用終了>

 

お父さんは、息子さんが大学に入学し、とても嬉しかったのでしょうね。 

自慢の息子さんですね。

そして「卒業式」

お父さんは、どんなに晴れやかな気持ち、誇らしい気持ちで上京なさったことでしょう。 

貧しい農村の暮らしでは、大学に行かせるのに、どれだけ苦労したことか、想像に難くありません。 

そのお父様が、36年間、ずっと引きづっていた気持ち、

晴れやかな門出の日に、息子が友人たちと別れを惜しんでいるとき、 

親として1本のジュースも買ってあげられなかった。。 

・その悔しい気持ち、

・情けない気持ち

・息子や、友人たちに、すまない気持ち 

胸が締め付けられます。

ですが、ここで、もし状況が異なり、家庭が裕福で、

何の苦労も無く、息子さんを大学に通わせることができ、

友人たちの別れの際には、惜しげもなく、高価な飲み物を渡したとしたらどうでしょうか?

きっと、このような、胸を打つ経験はできなかったことでしょう。

このように強い愛情を感じることもなかったでしょう。

息子さんは、深い深い父の愛に、気づくことも感謝する気持ちも起きなかったことでしょう。

魂に刻み付けられる心と心の交流、地上でしか味わえない、

魂の震えを感じることもできなかったことでしょう。 

このように、私たち人間は、周りの方々と、日々織りなす経験を通じ、、

時には喜び、時には涙を流しながら、深い深い経験を積んでいます。 

もし、何の苦しみも、悲しみも無ければ、地上を離れる時に、薄っぺらな、心の片隅にも残らない、つまらない人生でしかなくなることでしょう。

きっと、楽な人生ではあったけれど、深く後悔することでしょう。 

私たちは、神様に似せて創られました。 

この地上で、

・物ではなく、

・幸福だけを選り好みするのではなく、 

相手を思いやる美しい温かな心を、受け取るために、 

その温かなものを、周りの人々と、循環させるためにここ地球に生まれてきました。 

 





2024年7月15日月曜日

3489「与えることから始まる」2024.7.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月05日の記事を紹介します。


「与えることから始まる」


今日はマザーテレサと、ブッダのお話をご紹介します。 

幸せになるためのコツについてです。 

まずは、マザーテレサ。

財団法人富士福祉事業団 理事長 枝見太朗さんのお話です。 

<引用開始> 引用元


マザー・テレサは50年近く「貧しい人と共に生きる」という活動を続け、

それが評価されてノーベル平和賞を受賞しました。

僕は約15年間、彼女と一緒に仕事をしたのですが、

常に目の前にいる人、本当に最も身近な人を助けていました。

「お砂糖坊やの捧げ物」という有名なエピソードがあります。

マザーの孤児たちの施設「シシュ・ババン(聖なる子どもの家)」に、

ある時、裕福そうな夫婦が3歳くらいの坊やを連れて見学に来られました。

そのお父さんが「一番足りないものは何ですか?」と聞くと、

マザーは「子どもたちが食事をする時のお砂糖です」と答えました。

家に帰った坊やは、次の日から毎日のお茶の時間に、

自分の飲む紅茶に入れるお砂糖を、その分だけ小さなビンに入れていきました。 

そして再びその家族が施設を訪れた時、

坊やはお砂糖がいっぱい溜まったビンをマザーにプレゼントしました。

マザーは大喜びでした。 

すでにそのお父さんから大量の砂糖を寄付してもらっていたのですが、

「お父さんからいただいたお砂糖も大変嬉しかったけど、

私はこの小さなビンに入ったお砂糖が何倍も嬉しい」と言っていました。

それからマザーは、

「あの小さな子どもが施設の子どもたちの痛みを共に分かち合って、

自分が我慢をして溜めたお砂糖は、何トンものお砂糖よりも重いものです」と

修道会でよくお話をしていました。

この「お砂糖坊や」の視点は、「持てる者が、持てない者へ」ではなく、

「共にその痛みを分かち合うことの必要性」を言っているのだと思います。

日本では「ボランティア活動=奉仕活動」と理解されています。

でもボランティア活動は、実は奉仕活動とは意味が違うんです。

それは「持てる者が持てない者へ、力の強い者が力の弱い者に施す」感覚ということです。

そんな「奉仕活動」に象徴されるような考え方が

日本の福祉の発展を大きく妨げてきたのではないかと私は思っているんですね。

「お金のある人が寄付をすればいい」と思っていると、

寄付をもらいにいく時にどうしても企業やお金持ちの家に行ってしまいます。

ところがマザーはそうじゃないと言うのです。

「貧しい人、貧しさを知っている人たちから、

少しずつでいいから、その痛みを分かち合ってもらえるような

寄付の集め方をしてごらんなさい」と。 

<引用終了>

  

このマザーテレサの教えてくださったことは、ブッダの教えの、「托鉢」と同じものです。

托鉢とは、笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、 

手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、

他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、

その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

これも宇宙の法則 

与えるものが、受け取るもの

と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、まず他人が喜ぶことを

自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを

もらうために行う行為ではありません

与えるものが受け取るもの 

この言葉が意味することはひとつ。

全ては、

自分が与えることから始まるということ。 

これは、財産だけでなく、健康や、幸せもそうかもしれません。 

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時 

人は、自分が幸せではないと思って、

他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを施してこなかったかもしれませんね。。 

ですが、これを機会に、ちょっとだけ決意を新たにして、 

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し 

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し

・ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し 

 

一日を過ごしてみませんか 

きっと運命が良い方向に向かって回転していくと思います。