2025年10月17日金曜日

4048「みんな、ありがとう」〜 人生のたびだちに向けて2025.10.17

 今回はジジのブログ(木の花ファミリーのジジからのメッセージ)の最新の記事を紹介します。


「みんな、ありがとう」〜 人生のたびだちに向けて  2025年10月11日

「みんな、ありがとう」〜 人生のたびだちに向けて | ジジのブログ

木の花ファミリーでは、死を人生の終わりではなく、新たな旅の始まり、即ち「出発(たびだち)」と捉えています。

以下は、ある日の大人ミーティングにて、数年前から病を患ってきたメンバーが医師から余命1ヶ月と伝えられたことを受けて、ジジが語ったメッセージです。

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今、年々厳しさを増していく酷暑のように、悪化していく地球環境のことを思うと、この星に生きることは、あまり楽しいことではありません。しかし、我々は修行に来ているのだと思えば、それもまた、自らを向上させるために必要なことであると言えます。そこから学び、向上して、木の花楽団の数々の歌で表現されるような世界を実現し、人生を全うしたいと思います。

僕は、出発(たびだ)つ人を見送るためのしっかりとした意志を持っています。ただし、出発つ者には、やはり完全燃焼していってもらいたいと思います。出発ちの心構えをしっかりと持って、終わりを迎えてもらいたいのです。

人は生き物ですから、必ず死にます。今年は終戦80年を迎えましたが、過去には醜い死に方をしていった、もしくは醜い企ての末に死んでいった人々がたくさんいます。しかし、それは人の本来あるべき姿ではないと思うのです。歴史を振り返り、そういった時代の変遷を観ていると、それが他人事とは思えないのです。なぜなら、同じ人間だから。

人間という生き物は、地上に現れてからこれまでずっと、ひとつの種として生きてきました。私たち一人ひとりにそれぞれのカルマがあるように、人間という種にもまた、ひとつの生命としてのカルマがあります。カルマは本来、そこに顕れる現象を通して自らを学習し、美しくなっていくためにあるものですが、使い方を間違えると、汚れた醜いものにもなるのです。人である限り、願わくば、人生という旅の物語を美しく仕上げて終わりたいものです。

人生を生きていると、様々な出来事に出会います。出来事は様々ですが、そこに表現される自らの性質は常に共通しており、同じ人であれば同じ性質によって出来事が表現されていきます。その、人それぞれに個性的な性質を分析し、読み解く能力がここには与えられています。自らが何者であるかを知り、いつでもそれを問いかけることができるのです。しかし、そのように恵まれた環境にいたとしても、自らを理解することへの取り組みが十分でない者達がいることも事実です。

2030年は、人類と地球の関係が取り返しのつかない灼熱地球へと向かうのか、それとも本来の健康な地球に戻っていくための歩みに進むかの、分岐点だと言われています。私たち一人ひとりもまた、人生をポジティブに生きるのかネガティブに生きるのか、即ち、人生を学習の場として昇っていくのか、それとも学習が不十分で落ちていくのか、その分かれ目を迎えるのです。どんなに自らのカルマに翻弄され、溺れている人であっても、目覚めれば、いつでも優れた人生を歩む道を行くことができます。その道は誰もに開かれています。なぜなら人には、どう生きるかという選択肢に対して、自らがどうするかを選ぶ意志が与えられているからです。

罪を犯し、場合によっては死刑になるような人であっても、死の間際に「ああ、生きるとはこういうことだったのか」と目覚めれば、何も気付かずただカルマのままに生き、何ら悟ることなく時が来たから死んでいく者よりも、意味のある生を生きたことになります。どんなに寿命が長かろうと、認知症のように自分が何者であるか全くわからない状態になって逝くよりも、自分自身がしっかりと自らを見極め、与えられた寿命を生ききり、完全燃焼していくことが大切なのです。生きるとはそういったことに価値を見出すためにあるのです。

このような話を、それを聞くにふさわしい段階に来ていない者に語っても仕方がないでしょう。しかし、命があと1か月という人がいれば、やはりこの話を語らないわけにはいきません。僕は、余命宣告を受けたことを気の毒だとは思いません。なぜかと言うと、このように生きることに対する覚悟を示すことができる場所に出会い、それで終わりを迎えることができるのです。世の中にはそのような出会いのないまま最期を迎える人がたくさんいます。ですから、こういった人の命に係わる真剣な場所に出会うと、心がピリッと引き締まり、真剣とはこういうことだ、と思うのです。

それを、最期を迎えた時だけでなく、常日頃から持ち続けていたい。自らの意志で人生を歩み、そこで出会うことの全ては自らが選び、望んでやっていることであり、出発つ時もまた自らの意志によって出発つのだというくらいの覚悟があれば、送る側も気の毒だとは思わないし、惜しいとも思いません。よくやった、と拍手で送ることができる。ぜひ、皆にそのように生きてもらいたいのです。

だからと言って、気張って無理をする必要はありません。与えられた寿命のままに、体が教えてくれるままに、素直に素直に、いい人生だったという結論を出すために歩んでください。その時に、「ああ、自分はまだ大切なことを学んでいない。これではいけない。そこを仕上げて出発たなければ」と気付いたなら、見苦しかろうと何であろうと、延命治療を受けてもいいのです。本当に大切なことは、しっかりと仕上げていきなさい。

現代の医療は狂っています。過剰な治療をして、本来の寿命を狂わすような出発ち方は避けた方が良いでしょう。しかし、何か大切なことに気付き、それを掴むために時間が必要であり、その覚悟をもってまだ出発てないと思うなら、その人生のテーマの達成に向けて、現代の技術を使ってでも地上に留まっても良いのです。そのように、生きることを悟るとは、柔軟であるべきです。

縁というのは、不思議なものです。人それぞれに個性があるように、一人ひとりの人生もまた個性的で、ひとつとして同じものはありません。その、あなただけに与えられたオリジナルな人生を、しっかりと噛みしめていきなさい。我々はもともと、ほとんどが他人でした。それが今では、身内でもここまで近くないくらいの関係になっています。その仲間が出発っていくというのは、僕にとっても、身を削られるようです。しかし、出発ってからいくら悔やんでも仕方ないからこそ、生きている間に思い切り伝え合うのです。

できれば、最期を迎える時になってから慌ててやるのではなく、余命宣告を受けていない、当たり前の日常を、その覚悟をもって生きていきたいものです。

出発ちは、地上に生まれ、生きてきたことに対する答えであり、人生の一大イベントです。生まれた時に人生学校に入学し、様々な学びを経て、いよいよ卒業の時が来たのです。その大イベントを、ただ肉体の寿命が尽きたからと言って無自覚に終わるのかどうかは、あなた自身にかかっています。人生を悲観して自ら命を絶つ者もいれば、認知症になって何も分からない状態で逝く者もいる。殺される者もいれば、殺して死刑になる者もいる。内容は本当に様々ですが、どの人も、自らの寿命が尽きることに対して真剣に向き合い、悔いのない出発ちを迎えるべきだということでは同じなのです。

本当に悔いのない人生とは、まず自分自身をよく理解することです。悪いことは悪いなりに、良いことは良いなりによく理解して、しっかりと学び、その上で覚悟を決めて、寿命が来たら出発っていく。そうしたら、その時には「みんな、ありがとう」という意志で、いくことができるのです。そして送る側も、「よかったね、おめでとう!」と送ることができるのです。

みんな、ありがとう。


2025年10月16日木曜日

4047「味方を増やす」2025.10.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月29日の記事を紹介します。


「味方を増やす」


よく聞く言葉があります。 

・何処に行くかではなく、誰と行くのか?

・何を食べるかではなく、誰と食べるのか? 

本当にそうだと思います。 

どんなに風光明媚なところへ行くよりも、ゴージャスな旅よりも、 

近くて、全然有名でないところでも、気心知れた、同じ波長の人、

同じ方向を見つめる人と行くところ 、楽しい旅となります。 

豪華なコース料理を頂くよりも、例え、町の食堂や、回転すしでも 

気心知れた仲間との食事ほど、おいしいものはありません。

それは、つまり私たち人間は、 

物、形あるものよりも、形はなくとも、見えない物であっても 

心が喜ぶことの方を選んでいるということです。 

美輪明宏さんは仰います。「お金は、形のないもののために使いなさい」

気心知れた、同じ方向を見つめる仲間というのは、 

自分と同じ波長を発している人のことです。 

類は友を呼ぶ・・

この言葉が示す通り、 

・優しく、思いやりのある人の周りには、同じような心安らかな人が集まり

・人を常に疑い、冷たく、恐怖感をばらまく人には、同じく心冷たい人が集まるでしょう。 

さて今日は、小林正観さんのお話を紹介します。

「味方を増やしていくことこそ大切」というお話です。

<引用開始> 引用元 


お釈迦様も玄奘も空海も坂本龍馬も、一度会ったら好きにならずにいられない

魅力のある人物だったらしい。

そして、その魅力によって、出会う人をみな味方につけていった。

4人とも、人と競ったり、争ったり、無理に説得したりということを、

いっさいしませんでした。

私たちが学ぶべき人どうしの付き合い方の結論が、そこから導き出されます。 

それは、次のようなことです。

人生とは、

・人と比べたり、

・競ったり、

・がんばったり、

・目標を達成したり

することではなく、出会う人をみんな味方につけていくこと。

その積み重ねである。

このことがわかると、「人間関係」というものがすべてわかってきます。

そして、人生はまったく違うものになってくる。

これまでみなさんは、仕事で競ったり比べたりしていたかもしれません。

家庭でも争ったり教え込んだり、いばったりしていたかもしれない。

しかし、そういう人生はむなしいだけ。

なぜなら、それは宇宙の法則に合っていないからです。

私たちは喜ばれるために、この世に生まれてきました。

それは、人間だけでなく、鉱物から動物、植物にいたるまで、

世の中の形あるもの。全てにあてはまることです。

全ての人は敵でもライバルでもなく、みな友人であり、仲間である。

そのように味方を増やしていくことこそが、人生なのだと、心を切り替えてみる。

そして、出会った人をみな味方につけていく。

そういう生き方をしはじめたら、人生の大転換が起こります。

そして、

・何かをなそう、

・事をなしとげよう

などと思わなくても、自分がするべき何かに、自然と導かれていきます。

そして、日常生活がとてつもなくおもしろくなってくる。

すばらしく豊かな人生が広がっていくのです。

<引用終了>

確かに、その通りだと思います。 

どれだけ、身近な周りの人たちに

・優しさ

・思いやり

・愛

・勇気づける言葉がけ

・相手の個性の受容

・笑顔

・お互い様、おかげ様

・助け合い 

の気持ちで接しているかで、味方や、良き仲間ができてきます。

このような味方、良き仲間は、数は少なくとも、 

この地球での短い滞在期間に、美しい色どりを添えてくれます。 

・頑張って頑張って

・ムリをして

・人より抜きんでようとし、

・努力に努力を重ね 

常に、眉間にしわを寄せ 

・危機感

・飢餓感

・疑心暗鬼

・取越し苦労 

の心でいるよりも、 

今、自分にあるものだけで満足し 足る心を知り、 

・神様を信じ

・友を信じ

・自然界を信じ

・伸びやかな心で、

・流れに任せ

暮らすことの方が、どれだけ、神々が作った人間の本性に近いことでしょうか? 

良き仲間、味方を得るには、まず、自分から、その波長を発する必要があります。 

心が、変われば、発振する波長も変わります。 

そして、その波長は 、時間・空間を超え、必ず、どこかの誰か

同じ波長をもつ人と共鳴し、引き寄せます。 

どうぞ、お幸せになってくださいね。


2025年10月15日水曜日

4046「やる羽目になったこと」2025.10.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月28日の記事を紹介します。


「やる羽目になったこと」


今日は小林正観さんの「やる羽目になったこと」と言うのをご紹介します。 

つまり、自分からバタバタせずに、流れに任せて行けば、

いつの間にか生まれて来た、目的を達成しているような方法のご紹介です。

生きていると、理不尽に思えることや、「自分ばっかり」と思えることや、 

「あの人は逃げてばかりで、どうして私が・・」など沢山起こってきます。

これらに一つひとつ、不平不満を言い、自分の悲劇を嘆き、呪い、

神様に文句ばっかり言っていたら、どうなるでしょうか?

宇宙には「与えたものが、受け取るもの」という法則がありますから、

不平不満、愚痴や呪いの言葉を口にしていたら、その何倍もの、

同じことを口にしたくなるような、むごい出来事が、自分に起きてくるでしょう。

だからと言って、無理に、ぐっと口をつぐみ、ヘラヘラと笑っていくことなど、

難しいかもしれません。

そこで、正観さんのお話です。

<転載開始> 転載元

もう40年も前の話、私が20歳のころに、旅先でよくこんな質問を受けました。

旅をしている20代のOLさんが多かったのですが、

そのOLさんたちがこんな質問をするのです。

「コピー取りとお茶くみしか私には仕事がありません。

4年制の大学を出たにもかかわらず、コピー取りとお茶くみしかやることがありません。

そのために大学を出たわけではないので、毎日がむなしくて嫌々仕事をしています。

本当の私、本当の私の仕事に出会うためには、どのようにしたらいいでしょう。

取りあえずは今の会社は辞めたいのですが」

私の答えはいつも一緒です。

「私がもしあなたの上司であるならば、コピー取りとお茶くみを嫌々やっている人に、

それ以上の難しい仕事を頼むことはないと思います。

コピー取りとお茶くみさえもちゃんとできないのであれば、

それ以上に何かの企画を頼んだり、何かの商談をまとめてくれと

責任を持って委ねたりということには、ならないのではないでしょうか」

やる羽目になったことは嫌がらずにやる。

これが宇宙の法則です。

この宇宙の法則を味方につけないかぎり、たぶん楽しい人生が

回ってくることはないでしょう。

ただ、この話は、

・努力しなさい

・頑張りなさい 

と言う話とは違います。

努力の「努」には、嫌々、無理やりやらせる、嫌々なのだけど、

無理やりやらされるという意味が含まれています。

嫌々やらされている奴隷の「奴」の人の「心」。

つまり、奴という文字の下に心を書いて奴隷の心。

これは「怒」という文字になります。

なぜ怒りなのか。

無理やり嫌がるものをやらされるからです。

イヤなことを無理やりやらされることが努力。

そして、その努力に無理やり追い込まれ人間の心が、怒りという文字になりました。

では、たとえば、家の中の家事が楽しくない。

子守・子育てだけが仕事なので、自分の人生はむなしいと、思っている主婦がいるとします。

その場合に、そのむなしさを解決する方法が2つあります。

1つは、その子守・子育てを投げ出してしまうこと。

やめてしまうこと。

ですから、離婚をするなり家を捨てるなり、という選択があるかと思います。

もう1つの選択方法があります。

それをイヤなものだと思わずに、楽しいものと思って、やり始めるという方法です。

この方法は誰にも迷惑をかけません。

しかも、自分自身が楽しくなるような選択ですから、

それからの時期が楽しくなると思います。

考え方やとらえ方を変えることによって、物事の価値が内容が、だいぶ変わってきます。

根元的な話ですが、自分のまわりの気に入らないことを、 

「気に入らない、気に入らない」と言っている間は、たぶん何も解決しないでしょう。

自分のとらえ方や考え方を変えることで、ものが全然違うものに見えてくる。

全然違う状態に見えてくる。

この方法が自分にとっては一番ラクだし、一番速い方法です。

そして、究極の方法でもあります。

自分の思うように環境を変える、状況を変えるのではなくて、

自分の考え方やとらえ方を変える。

これが一番ラクで簡単な方法なのです。

すべてのことにこれは使えるので、この方法を身につけたら、 

人生生きるのがとてもラクになります。

<転載終了>

私たちは、輪廻しています。

縁のある人とともに転生を繰り返します。

夫婦、兄弟、親子、友人、同僚、それぞれに役割を変えて、

魂の進化のために、転生を繰り返すようです。

決して、魂の波長が似ている仲好しの「ソウルグループ」だから、、 

という理由だけではないようです。

ですから、もし家族の中において、問題が発生しているのならば、

それは、その問題を通じ、お互いの魂の向上を図るためです。

時には一方が、悪者役をやることもあります。

また、生きていく上で、誰かが自分本位の卑怯なやり方で逃げたり、 

私たちを貶めて、自分だけ得をしたり、人々の避難から逃れたりすることもあります。

そんな時、その人のことをいつまでも恨んで、

呪いの言葉を口にし続けてもよいものでしょうか?

不幸になれ、失敗しろ、死ね・・などの言葉を口に出してもよいものでしょうか?

復讐の行為を実行してもよいのでしょうか?

そこにもやはり、正確に、与えたものが、受け取るもの、という宇宙の法則が働きます。

その結果、被害者であったと思われる自分に、

逆に、不幸な出来事が雪崩のように起こってきます。

ですから、そういう人は放っておけば良いのです。

彼らにも正確に「与えたものが、受け取るもの」という法則が働きますから、

卑怯なことをしたり、人をだましたり、貶めたりして、

一見有利な立場に立ったと見えても、必ず、同じものが彼ら自身に帰ってきます。

ですが、そこはもう「神様の領域」のお話になりますので、私たちは、ただ人を怨まず、

仕返ししたりしようと思わず、淡々と自分のなすべきことを、

行っていれば良いだけになります。 

最初は難しいかもしれませんが、それを逆に、楽しいもの、

自分を向上させてくれるものと、感謝の気持ちに切り替えてしまえばよいのです。

自分のなすべき事とは、頼みごとを淡々とこなす。 

やる羽目になったことを淡々とこなす。と言うことです。 

これらは、全て神さまが、人生の中で流れを作ってくれています。

人間の頭で考えてジタバタしないことです。

そしてその時に無理をしてはいけません。 

イヤイヤながらもいけません。

それをイヤなものだと思わずに、楽しいものと思ってやり始めるということです。

楽しいと思うのは難しい・・そう思われるかもしれませんね。。

ですが、やる羽目になったこと、頼まれごとと言うのは、

神様が運んでくださったことです。

それは、もしかしたら、今までできなかった仕事かもしれません。

親の介護かもしれません。

もう一度言います。

でもそれは、神様が運んできてくださったものなのです。

神様は、私たちを 

・不幸にしてやろう、

・懲らしめてやろう、

・破滅させてやろう

などと絶対に思いません。

全ては、因果の法則、その現象には因(原因)があるのです。

生まれる前から決めてきたことなのです。

私たち、お互いの魂の進化のために・・そうであれば、

喜んで、それを受け入れてしまった方がどんなに幸せになれることでしょうか?

神様は、ほとんどの場合、私たちに幸福をもたらす時、

まず、それに不幸、ピンチの装いをさせます。

ピンチこそ、チャンスなのです。

その大きな恩寵を受け取れるどうかは、私たちの心ひとつにかかっています。

全部、大丈夫なようにできています。 

どうぞ、安心してください。


2025年10月14日火曜日

4045「般若心経の神髄」2025.10.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月27日の記事を紹介します。


「般若心経の神髄」


今日は「宇宙にお任せ」というテーマで小林正観さんさんのお話をご紹介します。 

これはブッダの説いた般若心経と、全く同じことを教えてくださっています。

悩み多き私たちの、悩みを取り去り、一気に感謝と幸せの人生にしてしまう方法です。

<引用開始> 引用元 

「自分の子供が不登校になってしまった。どうしたらいいのだろうか?」

という相談を受けたという話を書きました。

結局、不登校になった子供を受け容れれば、

受け容れた瞬間に、その問題は何も生じなくなってしまうのです。

問題が解決してしまうというよりは、

問題そのものがなかったということに気がつきます。

「問題だ、問題だ」と言っていた自分自身の問題であって、

もともと不登校そのものが問題なのではなくて、

それを「問題だ、問題だ」と言っている自分の心の問題として、

それが悩み・苦しみになってしまったということでした。

子供が不登校になった、学校に行かなくなった。

ただそれを淡々とした事実として受け容れた瞬間に、

・子供にとっても

・自分にとっても、

何の悩みも苦しみもなくなってしまうのです。

思いどおりにしようとしないこと。

それはイコール、その目の前の現象を受け容れるということでもあります。

生老病死(しょうろうびょうし)、

・生まれること、

・老いること、

・病むこと、

・死ぬことも、

そのまま受け容れる。

そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。

悩み・苦しみを持たなくても済むことができます。

・病気をしたら病気をしたでよし。

・死ぬようになったら死ぬようになってそれでよし。

・愛している人と別れなければいけない状況になたらそれもよし。

それについて評価・評論をしない。

感想もいちいち言わない。

「ああ、そういうふうになりましたか」というふうに

受け容れることが、自分にとっていちばん楽なのです。

そんなに簡単に受け容れられるわけがないではないかと言う人がいるかもしれません。

私は受け容れる「べき」だという理論を展開しようとは思っていません。

受け容れることでいちばん得をするのは、

いちばん楽になるのは、受け容れた本人なのですから。

私は、こうするべきだ、ああするべきだというような「べき論」として話をしているのではありません。

悩み・苦しみが多い人は、実は自分の思いがたくさんあり、

それを想いどおりにしなければいけない。

思いどおりにならなければ、嫌だと思う「思い」がたくさんある、

という宇宙の構造や事実に気がついてしまったのです。

悩み・苦しみが多い人は、「思い」が強い。

あるいは「思い」をたくさん持っている人にほかなりません。

宇宙に、地球に、すべてを委ねている人、

自分の思いや我儘(わがまま)をほとんど言わないで、

静かに穏やかに穏やかに淡々と暮らしている人ほど、悩み・苦しみは少ないのです。

ほとんど悩んでいなくて、苦しんでいなくて、

いつも笑顔で静かに穏やかに暮らしている人を私はたくさん知っています。

そういう人はほとんどの人が「思い」を持っていません。

思いどおりにしようという心が著しく少ない人ほど、

楽に静かに楽しく生きることができるように思います。

<引用終了>

大愚、良寛さんもこう仰っています。 

・災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。

・死ぬる時節には、死ぬがよく候。 

是はこれ、災難をのがるる妙法にて候

小林正観さんは、前世において、ブッダ、そして空海の弟子だったそうです。 

その正観さんが、幸せになるための「3秒」の方法をこう述べています。 

● 1秒目…過去のすべての出来事を受け入れること

● 2秒目…現在のすべての出来事を受け入れること

● 3秒目…未来のすべての出来事を受け入れること 

※受け入れるとは、それでよかったのだ。

 その出来事があったからこそ、今の私が生きていると 

 全て肯定して感謝して受け入れる事

 どれ一つ欠けても、今の私にはなれなかった。。

これで終わりです。 

自分に起きたことや、これから起きることは、すべて自分が成長するために、 

必要なことだったと、思うこと、感じること。 

そのように目の前の状況を受け入れれば、感謝できれば、

悩みも苦しみもなくなって、ラクに生きることができるでしょう。

実際に、目の前の苦労、悲しみは、全て、私たちの魂を輝かせるために、

神さまが起こしてくださっていることだからです。

不幸の後には、必ず幸運が来ることになっています。

宇宙はバランスを取ろうと、常にエネルギーが動いているからです。

隣の芝生は青く見えると言います。 

今、現在、幸せそうに笑っている人を見ると、自分と比べてしまって、

自分だけどうして・・・

と、気持ちが沈んだり、嫉妬の心が芽生えてくるかもしれません。 

ですが、今笑って暮らしている人は、人生に勝ち抜き、成功を手に入れ、

幸せを満喫している人ではなく、もしかしたら、

・辛い出来事も

・悲しい出来事も、 

一時は抵抗したかもしれませんが、最後には、受け入れて、 

それを自分の運命と、受け入れ、そこから、その場所で、その環境の中で、小さな幸せを見つけ、今与えられているものに感謝の心を芽生えさせた人かもしれません。 

自分を運命の流れに任せ、今までの自分を、変えることのできた人かもしれません。 

他人を許すとは・・・ 

・他人の言葉、行動を気にしない

・さらに進んで、他人の言葉、行動が気にならない

・もっと進んで他人の言葉、行動に気づかない

こと。

自分を許すとは・・・

・今までの自分の全ての行動と、判断、言葉は

・失敗に見えても、今の自分を作り上げるために、全て必要で大切な事だった 

と気づくこと(後悔は必要ありません)


2025年10月13日月曜日

4044「神々の厳しさと優しさ」2025.10.13

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月26日の記事を紹介します。


「神々の厳しさと優しさ」


日本では古くから降神の儀式がありました。 

この降神は、日本では古くは「手乞い」と呼ばれ

巫女さんに神様が来られた時の徴(審神者)として使われたようです。

古事記(国譲り)にも記載されています。

また相撲のルーツとされ、日本相撲協会のHPでも紹介されています。

・神様に入っていただく方(中座と呼びます)と、

・神様に質問される審神者的な役割の方(前座と呼びます) 

の2名で行われることが多いようです。

大相撲の神降ろしと神送り

このご神事は、相当なエネルギーを消耗します。

今風に言えば、 HPを大量消費します。 

ですので、長時間は行えません。

体力と、気力を奪います。

ですので、質問される方も、

・ただの興味本位

・思い付き

・気軽な依存的な心

であってはならないのだそうです。厳しいです。

そんな内容に、神様は興味がありません。

本来は、前座の役の方が質問者の、

質問を承って、仲介役として、中座の神様に質問します。 

ですので、

中座の方は、質問者の質問を一旦ここでフィルターにかけて 

本当に神様に質問させていただいてよいものかどうかを

取捨選択する必要があるのだそうです。

・あれしてくれ、これしてくれ

・どちらの道を選べばよい?

・病気は治るか?

・いつ死ぬか?

などは、本来は神々に質問することではないようです。 

そして、神々は優しいです。

そして私たちの小さな悩みまで全てを知っています。 

霊性の国、日本

質問者の、全ての過去世と、現状と未来世までも、

ですので、将来起こりうること全てを分かっていますが、

質問者が気に入るようなお答えはしません。 

また、質問者を絶望させるようなお答えもしません。

常に神々のお答えは、それこそ良寛さんの愛語のようなものです。

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉… 

このようなことしかお答えにならないのだそうです。 

質問者の未来に、どんな状況が待っていようとも 

それが人間的には「悪い出来事」であっても 

神々にとっては、その出来事を乗り越えてこそ、

その先に幸せがあることが分かっていらっしゃいますから、 

絶望させるようなことは仰いません。 

全て、その方の心に、勇気の火を灯す言葉だけをお答えくださいます。

優しいです。

何者をも包み込む、絶対的な愛です。

ですから本当は、わざわざ神々の前に来て、相談する必要もないくらいです。 

神々は言わなくとも、全てを知っており、常に、私たちとともに居り、

私たちの幸せのために働いてくださっているからです。 

それでも、私達、一般の凡人は、日々起こる、いろいろな出来事に、

一喜一憂し、取り越し苦労をして悩み、苦しみます。

誰かにすがりたい、神様にすがりたい気持ちを持つのも当然のことです。

ですが、本当は質問する前から、神様の答えは決まっているのです。 

私たちが判断して決めた方で良いのです。

どんな状況が私達の身に降りかかろうと

それは、神々が、そうなることを許された出来事です。 

その苦難を経験することで、私たちの魂は鍛えられ、輝きを増すことができます。 

その先には、大きな幸せと喜びが待っています。 

その苦難の中で、 

・神々や関わってくださっている方々に感謝すること

・嫌な役を引き受けてくださっている方に感謝すること 

・「ありがとう」の言霊を何万回繰り返すのでも構いません。

・人の嫌がる仕事を率先して引き受けることでも構いません。 

そうこうしているうちに、苦難は過ぎ去っていきます。 

穏やかな心に戻れるときが、絶対に来ます。 

その時に振り返ってみれば、

あの悔しかったこと

悲しかったこと

寂しかったこと 

全てが、自分の心を深く、豊かにしてくれたことに気づきます。 

どうか勇気と希望を失わないでください。

必ず、夜は明けますから。


2025年10月12日日曜日

4043「デジタル強制収容所元年に生きる。そしてWEF支配下にある日本の未来」2025.10.12

  今回はIN Deepさんの2025年9月29日の記事を紹介します。


「デジタル強制収容所元年に生きる。そしてWEF支配下にある日本の未来」

デジタル強制収容所元年に生きる。そしてWEF支配下にある日本の未来 - In Deep

世界中で進む生体認証デジタルIDシステム

数日前、英国の首相が「全国民にデジタルIDカードを義務づける」計画を発表して、英国の世論が沸き立っています。

「デジタルIDを持っていない人は、英国で働くことはできなくなる」と首相は述べていて、計画が実施された場合、少なくとも成人年齢の人たちすべてが、このデジタルIDを取得しないと、生活が難しくなることを示されています。

これについて、アメリカの金融・地政学サイクルのアナリストであるマーティン・アームストロング氏は、以下のように述べてました。

英国で2029年までにデジタルIDが義務化

英国では 2029年までにデジタルIDの義務化が予定されている。キア・スターマー首相は、本人確認は不法移民を抑制するための保護策であると国民に信じ込ませたいと考えているようだが、しかし、デジタルIDはあくまでも統制のための戦術だ。

政府がすべての国民をデジタルプロフィールに紐付けることを許せば、次に来るのは明白で、そして最も懸念されるのは、そのIDをデジタル通貨やデジタル銀行に紐付けることだ。

あなたはもはや自由な国民ではなく、政府の保護下に置かれ、世界へのデジタルアクセスを利用してあなたを追跡・統制する権限を政府に奪われるのだ。

英国はとっくの昔に人々から言論の自由を剥奪している。憎悪的とみなされるコメントは投獄に繋がる。ソーシャルメディアで不適切な「いいね」を投稿をすれば、警察が駆けつけることになりかねない。

政府が「誤情報」や「憎悪的」なものを判断し、違反行為は処罰の対象となる。デジタルIDの導入により、その処罰は即座に適用されるだろう。ビッグブラザーの機嫌を損ねるような発言をすれば、社会へのアクセスは完全に遮断される。

armstrongeconomics.com

ここに、

> 英国はとっくの昔に人々から言論の自由を剥奪している。

とありますけれど、たとえば、以下は、今年 5月のスウェーデンの報道で、「ソーシャルメディア上のコンテンツの投稿を理由に数万人の国民が逮捕されている」という内容です。

2025年5月4日のスウェーデンの報道より

英国における民主主義の衰退の兆候が増えている。国内では表現の自由が引き続き厳しく制限される一方で、ソーシャルメディア上での意見の侵害の疑いで数万人の国民が逮捕されている。

2025年3月のタブレット・マガジン誌の記事によると、英国では国民の不満を封じ込めるためにヘイトクライム法がますます利用されている。

表現の自由を擁護する団体「フリースピーチ連合」の最近の報告書に示されているように、警察はソーシャルメディア上の「不快」とみなされるコンテンツを理由に、年間約 1万2000件の逮捕を行っている。この数字は 2019年から 58パーセントの増加を示している。

nofia.net

しかし、今回のデジタルID の件にしても、このヘイトクライム法の話にしても、「英国という国だから大きな話題になっている」という部分はあります。

実際には、今はどこもかしこも「生体認証」と「デジタルID」の流れに完全に取り込まれていて、その国や地域は増え続けています。

以下は、翻訳記事のタイトルですが、最近だけでも、これだけの国が、生体認証やデジタルIDを義務づけています。これはあくまで一部です。

・メキシコ政府が2026年までに生体認証デジタルIDを全国民に義務化へ

BDW 2025年7月22日

・ネパール政府が「今後、出生した赤ちゃん全員に生体認証デジタルIDを導入する」と発表

BDW 2024年3月12日

・ベルギーでSNSを使用するための指紋つき電子身分証明書が義務化され、ネット上での匿名性が消えることに

BDW 2025年3月25日

東南アジアの中で最も生体認証によるデジタルIDを推進しているタイでは、先日、「詐欺取り締まりの名目で一夜にして 300万に及ぶ銀行口座を凍結」したという出来事がありました。

ベトナムでも、「生体認証されていない銀行口座」を含む 8600万の口座が銀行により閉鎖されるということがありました。

デジタルID を銀行口座や健康保険、公共の生活サービスなどに結びつけると、それが剥奪されると「何もできなくなる」という現実が進んでいる状況です。

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ヨーロッパでは、10月12日から、

「ヨーロッパ 29カ国への入国には、全員が指紋採取と顔の生体認証データの提出が必要」

になっています。

EUでは、2025年10月12日から新しい出入国システム「EES」が導入され、シェンゲン協定加盟国 (ヨーロッパ 29カ国)に入国する非EU圏国籍の旅行者は、パスポートのスタンプに代わり指紋と顔の生体認証データの提供が義務付けられます。

これは、従来のパスポートへのスタンプの代わりに、入国審査時に指紋や顔写真をスキャンし、個人識別情報として登録するシステムです。Google AI

ここに至ると、もう「したい」とか「したくない」という話ではなく、指紋登録と顔認証の生体データを提出しないと「入国できない」のですから、するしかない。

生体データの提出は最初の 1度だけでいいそうですが、とにかく、それで国際的なデータシステムに生体認証が記録されることになるわけで、ここに生体認証デジタルIDカードなどが導入されると、そのうちパスポートも完全に不要になるかもしれません。

この流れは止まらないようで、スペインの首相もデジタルIDの国民全員への導入計画が発表されました。スペイン国内の話ではなく、「ヨーロッパ全体でデジタルID化を進める」という演説です。

しかも、世界経済フォーラム(WEF)での会議上で。

演説するスペインのサンチェス首相

広大な実験場となりつつあるヨーロッパ

サンチェス首相は以下のように述べていました。X への投稿を米ゼロヘッジが取り上げています。

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デジタル強制収容所があなたの目の前で建設されつつある

The Digital Gulag Is Being Erected Before Your Very Eyes

zerohedge.com 2025/09/29

スペインのペドロ・サンチェス首相は、世界経済フォーラムの WEF 2025で、すべての自由国民に衝撃を与えるであろうデジタルの未来のビジョンを提示した。

彼の提案は、オンライン上の危害に対する解決策として組み立てられているが、実際には、世界経済フォーラムのグローバリストのアジェンダと完全に一致するデジタル制御のパノプティコン (全展望監視システムのこと)の青写真だ。

サンチェス氏が会場で述べた内容:

サンチェス氏はオンライン上の匿名性の終焉を求め、欧州のすべてのソーシャルメディア・プロフィールを政府が発行する「欧州デジタルアイデンティティ・ウォレット」にリンクすることを要求した。

同氏はインターネットを公道に例え、ナンバープレートなしで車を運転できないのと同様に、国が認証した身分証明書なしでオンラインに投稿すべきではないと主張した。

サンチェス氏が本当に言っていること:

彼は、デジタル公共広場、つまり自由で審査のない議論のための最後の真にグローバルな空間は、国家の直接的な監視下に置かれなければならないと宣言している。

彼のレトリックは誤解を招くための最高の例だ。

・彼の言う「偽情報との戦い」とは、異議を唱える市民の身元を検証可能な形で確立するためのコードだ。このシステムでは、当局にとって不都合とみなされた意見は、それを発言した市民に直接遡ることができる。

・彼の言う「サイバーハラスメントの終焉」は、デジタルプライバシーの終焉の口実となっている。国家の報復を恐れることなく発言できるという原則が「免責」として再分類されつつある。

・彼のいう「偽名」はトロイの木馬だ。ニックネームのような錯覚を与える一方で、政府のデータベースがあなたの本当の身元への鍵を握っていることを保証する。そして、「公的機関」があなたの発言を「犯罪」とみなすたびに、そのデータベースにアクセスできるのだ。これは偽名ではなく、言論のための国家義務的な身元登録である。

これこそが、WEF の「グレート・リセット」と「デジタルID」アジェンダの究極の目標だ。安全性のためではなく、コントロールのためだ。現代社会への参加は、政府が発行するデジタルの鎖を受け入れることに依存するシステムを構築する。定義されていない犯罪で「禁止または起訴」されるという脅威は、必然的に自己検閲につながり、正当な批判を封じ込め、反対意見を無力化する。

サンチェス氏の 2つ目の提案、「アルゴリズムのブラックボックスを強制的に開ける」という提案は、全体像を完成させるものだ。

これはユーザーにとっての透明性ではなく、国家による規制の掌握を狙っている。その目的は、政府がどのようなコンテンツを拡散し、どのようなコンテンツを抑制すべきかを指示し、「公共の対話」を管理するという名目で世論を形成することだ。

これはより安全なインターネットへの道ではない。

自由が偽りの安全の約束と引き換えに、不毛で国家管理されたインターネットへの道だ。WEF に集うグローバリストのエリートたちは、デジタル時代の問題を解決しているのではなく、むしろそれを悪用して支配の構造を構築している。

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ここまでです。

結局、「インターネットから匿名性を完全に消滅させる」ということが目的のひとつのようで、大義名分は、上に書かれている通りの偽情報への対応だったり、ヘイト的投稿などのサイバーハラスメントをインターネット上から排除するということのようです。

ちなみに、もともとデジタル管理が世界で最も進んでいた中国では、今年 7月15日にさらにデジタルIDシステムを導入して、「インターネットから匿名性が事実上消えた状態」にあります。

「中国の新しいデジタルIDシステムは、国民のオンライン上での政府の統制を強化する」より

中国はすでに世界有数の厳格なインターネット規制を実施しているが、当局はこれらの措置には依然として改善の余地があると考えている。7月15日に導入された新たなデジタルIDシステムにより、中国警察は国民のオンライン活動を追跡する能力を強化する。

中国国民は、ソーシャルメディアからオンラインショッピングに至るまで、多くのサイトにアクセスするためにすでに実在の身元情報を提供しなければならなかった。

しかし、これまで、こうした本人確認はプラットフォーム側が行っていた。プラットフォーム側は中国政府の指示に最大限従うよう行動し、政府は水面下で監視していた。

インターネットユーザーは身分証明書で自分の写真を撮るか、電話番号を入力する必要があり、SIMカードは店頭での本人登録と顔認証を経て初めて発行されていた。警察はすでに、誰が何を投稿しているかをほぼ把握し、制裁を科す能力を持っていたが…

lemonde.fr

こういうことになっています。

SIMカードは、スマートフォンなどがネットワークに接続するために必要な契約者情報などが記録されたICカードで、つまり、

「生体認証データを提出しないと、スマートフォンを購入できない」

ということになっています。

 

そして、日本もまた「タイ化」するのか?

これは(中国を除いて)アジアで最もデジタルIDを推し進めているタイでも同じです。タイでは、観光客を含む、すべての入国者に対して SIMカードの登録に生体認証データの提出を義務付けることが 8月から実施されています。

以下はタイの状況を報じた記事です。

タイは、生活のあらゆる側面における生体認証データの活用のテストケースとなっている。

5万バーツ(約 23万円)を超える1回の送金、20万バーツ (約 90万円)を超える1日の送金、そして個人口座からの国際送金には、顔認証データの提供が必須となっている。

…タイの国家放送電気通信委員会は、SIMカードの登録に生体認証データの提出を義務付けることを提案した。この規則は 8月に施行され、観光客を含むタイのすべての人に適用される。

タイデジタル到着カードは、2025年5月1日からすべての旅行者に義務付けられた。

タイ国民は厳密にはデジタルIDの取得は義務付けられていないが、デジタルウォレット、オンラインバンキング、政府給付金の申請など、様々な利用において利便性が向上する。

armstrongeconomics.com

銀行からスマートフォンから、あるいは保険システムまで(タイの健康保険制度のことはよく知らないですが)生体認証データを登録したデジタルIDがないと、「とても生活しにくく」なってきているようです。

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でも、スマートフォンとかを使わない、あるいは、使えない高齢者などの場合は大変だろうなあとは思いますが、それはどの国でも同じことなのでしょうね。

日本がこのようになっていった場合、スマートフォンさえ持たない私は、もう完全にアウトですが、しかし、生活するためには「スマートフォンを手にするしかない」ということになるのかもしれません。

まあしかし、単に生体認証するだけでいいのなら、パソコンでも代用できるようにも思いますので、つまり、「毎日、背中にパソコンを背負いながら外出する」という感じになるのですかね(どんな日々だよ)。

では、日本がそのような社会になっていく可能性はあるのか?

日本では総裁選というようなものがあるらしいですが、まあ、私は政治に疎いですし、国内政治の報道はほとんど読まないですが、先ほどスペインのサンチェス首相が、世界経済フォーラムにおいてデジタルIDの義務化について語っていたことを取り上げました。

このあたりと絡めて、改めて自民党のウェブサイトで、総裁選に立候補した人が 5人であることを知りました。

調べてみますと…まあ、差し障りがあるとよくないですので、モザイクとさせていただいていますが、この 5人の中で、世界経済フォーラムに所属している候補が「 3人」いることを見出しました。

WEF所属のモザイク処理済みの3候補

WEF

場合によっては、第二のサンチェス氏の登場のようなことがあるのかもしれません。

もちろん、そうはならないかもしれません。

しかし、誰が政治を率いたところで、日本もまた、確実にタイのような生体認証社会へと近づいているようには思います。


2025年10月11日土曜日

4042「祈り」2025.10.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月25日の記事を紹介します。


「祈り」


今日は春日大社元宮司の葉室頼昭さんの言葉よりご紹介します。

「祈る」とは、多くの人は神様や仏様に

何かをお願いすると思っているかもしれません。

でも日本では祈るというのは、

神様やご先祖様に「感謝」するという意味で、

縄文のいにしえより、そのようにしてきました。

祈るという言葉・・

「いのる」の「い」というのは、

「いのち:生きる知恵」という意味で、

「のる」というのは、

神様の言葉が「伝わってくる」という意味です。

これは祈ることにより、

神様のいのちが伝わってくる、 

つまり恵みが現れてくるということになります。

では、「祈る」というのはどのような行為なのかというと、

「神様に感謝する」という行為になります。

いのる。つまり感謝することによって、

神様のいのちが伝わってくる・・・神様からのお恵みが現れてくるという

現象が現れることになります。 

日本人は太古の昔からこの真実を知っていたので、

神様のお祀りをするときには、

神様に何かをお願いするのではなく、

ただ、ひたすら神様に感謝の心を伝え、

神様をお喜ばせするということをしてきました。

私たちはよく神社などで

・「〇〇に合格しますように」とか

・「〇〇が成功しますように」とか

お願いだけしている人がいますが、

本当はシンプルに「いつもありがとうございます。」と

純粋に神様に感謝の気持ちを伝えるというのが

本当の祈りであり、参拝です。

神様は何でも知っておられるので、

いちいち、こちらからお願いなどしなくても、

日々、神様に感謝していれば、

最高の恩寵をいただくことができます。

また「感謝の心」に関しては、このブログで、再三書いていますが、

魂の進化、

本当の幸せになるためには、一番重要なことです。

地球湯降り遥かに文明や科学の進んだ星から来ているレインボーチルドレンたちでさえ、

最重要のことの一つとして挙げています。

人生において感謝の心は最も大切で、

嬉しいことが起こったら感謝することはできますが、

良くないことが起こったりすると、なかなか感謝などできないものです。

そんなときに思い出していただきたいのが、

・目の前の出来事と

・感謝の気持ちは

別のものとして考えることです。

良いことがあったら神様やご先祖に感謝すべきですが、

悪いことがあったときは感謝しないという

・目の前の出来事と

・感謝を、

常に結びつけるのではなく、目の前の出来事とは関係なしに、

理屈なく、「ただただ、ありがたい」と思うのがコツです。

自分にとって、悪い出来事というのは、

人間の頭ではわからないようなことでも、

最終的に神様が良い方向へ向かわせるために与えてくださった

プロセスなので、不平不満を言うのは神様に大変失礼なことです。

目の前の出来事に一喜一憂するのではなく、

一見、自分にとって悪いような出来事などが起こっても

それとは無関係に

常に、理屈なく「ただただ、ありがたい」と感謝することが大切です。

理由や理屈なく感謝することは、

その気になれば誰でも可能です。

思考は現実化しますが、

実際に「ただただ、ありがたい」と感謝していれば

心が落ち着き、現実にありがたいことが現れてきます。

ですので、これを実践しないのは、非常にもったいないことです。

地球外知的生命体であるレインボーチルドレンたちも薦めています。

・〇〇があったら感謝する。

・〇〇があったら感謝しない

のではなく、

常に理屈なく「ただただ、ありがたい」と感謝することが大切です。

実践されれば、その効果がすぐに実感できると思います。