2013年10月29日火曜日

250「光行」2013,10,28


 アイリッシュハープのみつゆきさんの今年3度目の個人レッスン&コンサートが10月20に開催されました。今回も一段と素晴らしい会になりました。
 
 今回は私も初めて個人レッスンを受けたのですが、アイリッシュハープの癒しの体感を実体験することが出来ました。ハープを肩にあてて揺する内に、直ぐに体が心地良くなり眠くなってきます。アイリッシュハープの音の響きと振動、リズムが身体に共鳴しているのでしょう。この感動は未体験の方は是非とも受けて体験されたら楽しいと思います。


 多くの方が感動して涙するみつゆきさんのアイリッシュハープですが、彼の原点は縄文にあります。以前も紹介した様に彼は学生時代に、やさぐれていて北海道、東北の自転車の旅に出ました。大阪、関西にない縄文の情報に満ち満ちた東北の地で深い感動を得て癒され、生きて行く道が見出されたそうです。
 毎回、言われますが、仙台の方々は感性が素晴らしい、関西にないもので、これは縄文スピリットそのものだと。その中にいつも浸かっている者には分かりにくいことですが、きっとそれは陸奥の風土が培う、我々にある血の繋がりであり、それだけでない遺伝子的情報なのでしょう。
 
 個人レッスンには仙台テンメイが田んぼを使わせて頂いている木村農園のご家族4人が一緒に参加されました。私はその場にいませんでしたが小学1年生と2年生の可愛い姉妹とご両親のハーモニーは感動だったようです。木村さんはアイリッシュハープは病み付きになりそうと言っていました。みつゆきさんも木村家の感性、その完成度に感嘆していました。またこの体験を通して家族が一段と仲良くなったようで嬉しいことです。



 夕方からのコンサートは2時間半近くの異例の会になりました。前半は椅子で聞き入りましたが、休憩をはさんで後半は皆さん横になって灯りを落としての癒しのコンサートです。それはそれは異質、平行宇宙に繋がる時間でした。


 みつゆきさんも普通のコンサートは50分位から1時間で稀に1時間半とのことです。みつゆきさんと会場の皆さんとのコラボレーションが成せるありがたき時空間でした。みつゆきさんの喜びが溢れる笑顔、満ちたりた姿は古の故郷に帰って大きな家族に旅の感動を伝えているようでもありました。


 懇親会はいつものお店です。生体エネルギーの蔵ビールはみつゆきさんのお気に入りです。3杯程飲んで今度は生体エネルギー玄米酒やすらぎの滴のもっきりです。食事も美味しいと喜びの歓談の席は皆さん打ち解けて、和気藹々、楽しい世界です。
 みつゆきさんの大ファンの盛岡から参加のKさんが「みつゆきさんの名前が南部藩の始祖の名前と同じですよ!」と言います。私も南部の始祖の名は知っていましたが、みつゆきさんと結びつけていませんでした。そうだ、同じ名前だ、これは繋がりがあるぞ、と思いました。
 そんなインスピレーションを頂いて今回のブログを更に展開することになりました。
 
 南部光行は北東北、青森岩手県等を長きにわたり治めた雄藩、南部藩の始祖です。私は南部八戸藩の八戸市出身ですので、少しその陸奥の地の歴史を前後も含めて追ってみます。

「南部光行は日本の平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。治承4年(1180年)、石橋山の戦いで源頼朝に与して戦功を挙げたため、甲斐国南部牧(現在の山梨県南巨摩郡南部町)を与えられた。このときに南部姓を称したという。文治5年(1189年)、奥州合戦で戦功を挙げ陸奥国糠部郡などを与えられ、現在の青森県八戸市に上陸し、現在の同県三戸郡南部町相内地区に宿をとり、その後、奥州南部家の最初の城である平良ヶ崎城(現在の南部町立南部中学校旧校舎跡地)を築いたという。建久元年(1190年)には頼朝に従って上洛し、その後、自身は奥州にはほとんど赴かず鎌倉に在住した。
 六人の息子がおり、長男の行朝は庶子のため一戸氏の祖となり、次男の実光が三戸南部氏を継ぎ、三男の実長は八戸氏の祖、四男の朝清は七戸氏の祖、五男の宗清は四戸氏の祖、六男の行連は九戸氏の祖にそれぞれなった。」
 
 奥州合戦とは鎌倉政権と奥州藤原氏との一連の合戦をいい、平泉藤原氏の滅亡に大きな功を成して藤原氏の所領の地を源頼朝より拝領して治め、明治維新まで南部藩は約700年継続しています。しかし津軽藩とは深い確執があり以下のように記されています。 

「戦国時代から弘前藩津軽氏と確執を抱えていた。津軽氏は、元々南部氏の分家・大浦氏であったが南部宗家への従属意識が薄く、大浦為信のときに独立した。その際に南部氏重臣石川高信(盛岡藩初代藩主となる南部利直の祖父にあたる)らが討たれている。その後の中央工作によって大浦氏が津軽氏と名乗り豊臣政権から大名として認められてしまったため、南部氏の領地は大幅に減少することになった。この遺恨は江戸時代も続き、弘前藩主津軽氏の参勤交代は南部領を一切通らずに行なわれたし、江戸在府期間も原則として両家は重ならないように配慮され同席させられなかった。 江戸後期には南部家の家臣による津軽当主暗殺未遂事件(相馬大作事件)の遠因にもなった。」
 
 そして南部藩の歴史では九戸政実の乱は特筆されるもので、家督相続に端を発した内乱は豊臣秀吉の奥州仕置きという事で収められました。やがて徳川幕府になってもお家騒動に端を発した事案がいろいろ有ります。 
「寛文4年(1664年)、南部盛岡藩2代藩主・南部重直が嗣子を定めずに病没したため、幕府の命により遺領10万石を、重直の2人の弟、七戸重信の本藩8万石と、中里数馬の八戸藩2万石に分割され、将軍の裁定により成立した藩であるため独立した藩とされ、翌寛文5年(1665年)、領地が配分され、治所は八戸城と定められた。立藩を機に直好は、南部直房と改名した。寛文8年(1668年)、41歳にて没する。
 死因は病死であるとされているが、一説には「逆恨みをした盛岡藩の陰謀による暗殺」とも言われており、当時幕府からも調査が入った。 幕府の調査以降、盛岡藩はわざわざ「八戸藩は分家ではない。独立した対等の立場」と表明している。」
「八戸藩の跡を長男の直政が継いだ。2代藩主南部直政は元禄元年(1688年)に、5代将軍徳川綱吉の側用人となり、辞任するまでの間、譜代大名なみの待遇を受けていた。元禄12年(1699年)死去、享年39。墓所は東京都港区の金地院にある。 死因に関して、八戸立藩を恨む盛岡藩南部家による毒殺説がある。完全に裏付ける史料はない。直政にも盛岡藩による暗殺の噂がある」
 南部藩の所領はかつて坂上田村麻呂がアテルイを降伏させ、みちのくを平定する800年頃までは、蝦夷の地であり、さらに律令制度に組み込まれるまでにはかなりの年月を要しました。その後、
「平安時代後期になって中央からの統制が弛緩すると、俘囚の長(蝦夷のうち、朝廷の支配に属するようになったもの)、安倍氏が陸奥の北部(現在の岩手県・青森県)、奥六郡から下北半島、さらに十三湊[6]からの大陸交易に至る多大な権益に力を持つようになった。安倍氏は国司に従わず、前九年の役で戦って滅亡した。このとき出羽国から参戦した清原氏が陸奥・出羽両国で勢威を持ったが、後三年の役で滅亡した。これに代わって平泉を本拠地とする奥州藤原氏が陸奥・出羽の支配者になった。彼らはいずれも陸奥・出羽の地元で力を伸ばした一族で、都から派遣された国司が統治するという律令制の大原則を侵食し、奥州藤原氏にいたって自治的領域を築くようになった。奥州藤原氏の勢力圏は陸奥国全域におよび・・」と記されています。
 
 平泉藤原氏は俘囚の流れをくむ東北の先住民系豪族の末裔です。それを滅ぼした源頼朝の配下の武将南部光行がその後を治めたわけです。先に触れた九戸の乱の九戸政実は南部氏の末裔ですが、風土が培ったまつろわぬ、蝦夷の魂が宿っていた、と高橋克彦氏は「東北の蝦夷の魂」の中で述べています。
 南部藩は明治維新の戊辰戦争は奥羽越列藩同盟として明治政府と戦い敗戦します。しかしその時、秋田藩、津軽藩は新政府側として戦い論功行賞を受けています。
 いずれにしても東北は中央から見れば、陸奥は辺境の地で、中央政権から蹂躙され続けた地です。古代から東北大震災に至る東北、蝦夷の精神、歴史を俯瞰するには高橋克彦氏の「東北の蝦夷の魂」(現代書館)は的確な視点を与えてくれる書で、一読をお勧めします。
 

 私の直政という名前は当初、父親が政直と命名したのを今は亡き長兄が、直政が良い、と言って変えられてつけられたようです。二人の兄たちの名前も武士の様な名ですが、私の名が南部八戸藩の殿様の名前と同じと知ったのは大分経ってからです。
 しかし、お家大事の内紛、殺害が世の常という世界を垣間見ますが、一家を継続する事は並大抵のものでないと思います。現在に辿り着くまで計り知れない複雑な人間模様、権力闘争があった事は、その血を受け継ぎ因縁を継承しているのでしょう。
 何ゆえに継続が必要なのか、何を成す為に集い、目的とするのか、今の激変の世の中は問われています。早くそのような世界から離れ新たな豊かな世界に変わりたいものです。
 
 以前、神人さんから私の事で以下の様に言われたことがあります。
「家系は「力戦家系」で自分の家系を活かすことを善として、他者を活かすものでない。周りに悪意の人もいて分裂、分離の要因で戦った。
 やらなければならないことは「家系を思い、先祖が苦しめた方々にお詫びをする」。
私ごときが詫びて済むことでないが頭を下げること。みな、霊が見て腹立てていたものも収まる。歯がゆい話だ。関与した者が詫びる事だが、それをすることは今のあり様を全否定することに繋がるので謝れない。良い悪いは無いが、祟る者がいた。こちらにしてもしかたがない。関与した者を納得させるために今の時代の者が詫びた方が都合が良い。それでまとまると。身代わりに謝る。後は支援する。その思いをさっしてほしい。これまで以上に支援してあげる。そういう霊団がいる。」
「因縁払いはする。必要なことしてもらっているがそれは使い走りでなく、役割としてあった。肩代わりの役目でそのことに感謝している。身代わりの役目は命まで係るものでない。周って因縁払いをする。顔を出して挨拶し、詫びに来て、解消していくことで霊縁が変わる。」
 
 このことがある意味で私が今なされている事、やっている事なのかもしれません。それを経て共に新たな道を開く、目的を共にする縁者が仙台に集ってきているのでしょう。
 光行とは、光りが陸奥に行く、みつゆきさんの魂にもその遺伝子情報がインプットされているのでしょう。次回は11月10日みつゆきさんの個人レッスン&コンサートが開催されます。ご縁の方々、是非集合ください。

2013年10月25日金曜日

249「稔り秋」2013,1024


 10月13日の飯島秀行さんの講演会は嬉しき中に終える事が出来ました。終了後、飯島さん達と昼食を共にしました。朝には講演会が終わったら直ぐに帰るとお話になっていましたが、食欲も出たようで皆さんと食卓を共に囲んで歓談の中、美味しい中華を頂けました。  
 今日の講演会でも本質、原点のお話をして下さる中にエネルギーが入って更に活性し、お腹も満たして心地良い中に仙台を後にして頂けたようです。ありがたきこと、嬉しきことです。次回の仙台講演会は2014年3月29,30日に決まりました。多分、その時には飯島さんの決意、覚悟されたことの結果が現象化されて報告いただけるのではないかと思います。是非ともそうなる事を願っています。
 
 食事を共にしたテンメイ仲間6人で午後は名取農場で作業をすることになりました。私達も大きな学びとエネルギーを頂いて、かなり吸引力が高まり活性化した状態です。放出するには農作業が一番です。農場到着は15時前で早速作業開始です。
 台風で倒れたトマトを収穫して撤去、特別区の始末、A区の紫蘇、コスモス等の始末、大きく成りすぎた野菜の収穫、サツマイモの試し掘り等です。そして明日の稲刈りの昼食の芋煮汁の食材を収穫して準備です。終わってみれば陽もとっぷりと暮れて、ほとんど真っ暗で見えない時まで休みなしで作業しました。



 それからは室内での作業です。収穫したトマトのピクルス漬けとシロップ煮と加工保存の作業が続きます。その為に必要な材料の買い出しです。更に収穫したアイデアルの調理法の試作もあり、遅い夕食を済ませてて終了したのは10時半過ぎです。疲れ知らずで、皆さんフル回転です。お蔭様でO農場長の懸案事項の多くは解決できて大喜びです。1週間分の作業が出来た感じです。お蔭様で大きな働きで喜びを沢山頂いた充実した一日でした。
 

 翌日14日は快晴、とても良い天気で稲刈り日和です。7時過ぎに天命舎近くの喫茶店でミーテイングして仙台駅で、他の方々と合流して石巻の木村農園さんに向かいました。10時過ぎには20数名が揃って稲刈り開始です。
 木村さんの田んぼを使わせて頂いて今年で5年目です。今日は木村さんは親戚の御不幸があり葬儀に参列で午後3時頃まで不在です。しかしサバイバル講座講師の佐々木義秋さんや木村さんの奥さまの指示、そして木村農園の2名の若手社員の準備怠りなくで作業はすこぶる順調に進みます。


 田んぼも程よく土が乾いていて鎌で稲を手狩りをして手で藁束を結紮するのと、小型のコンバインを使っての自動結紮、それを棒杭に重ねて積み上げて行く作業とを各自が思い思い分担して行う作業です。
 私はほとんど結紮された稲束を集めて棒杭に積み上げて行く作業をしました。木村さんの二人の可愛いお嬢様も今年は大活躍です。楽しい作業は仕事が捗ります。
 
 

お昼は美味しい芋煮汁です。休憩もそこそこに午後の作業もスピーディーに進み、想定外に2反歩半程のササニシキともち米の2枚の田んぼを刈り上げました。




毎年参加のKさんは流石にベテランです。彼女の5年目の熟練した稲束の捌き方はプロです。ビデオに収まったその動きはお見事で、皆さんから大歓声、ポーズも決まって楽しき美技は拍手喝采です。基礎が出来て動きが整ってくると無駄が無く、全てが心地良き自然の姿がさり気なく、美しさと自信を与えます。継続は未知なる能力を培い、新たな成長をもたらします。喜びと楽しみの仲間達との継続出来る活動の場が大切だなと実感です。


 最期の稲を刈り上げて皆さんで大歓声です。落ち穂拾いをして全てを棒杭に重ねあげて全て完了です。夕暮れまじかで夕陽を頂いての集合写真は笑みが溢れています。共に成し遂げた達成感と心と身体が喜ぶ至福感でしょうか。


 年々年を追うごとに全てが整い、順調に事が進みます。今年の6月の田植えの時に帰りに、自分の車の運転で自損事故を起こして骨折入院していたSさんも元気に参加して下さっています。思いで深い今年の稲作を感慨深げに終えることが出来ました。
 我々が使わせて頂いている田んぼには、生体エネルギーの農業資材が生態系生体プログラム農法の必要量が毎年投入されていますので、年々田んぼの土壌が出来てきています。隣の他の方の田んぼとの違いは一目瞭然、歩くだけで違いが分かる程です。今年は稲穂の重さもかなりあり1反歩9表ほどの収量でしょうか、後は天日乾燥で更にエネルギーが実に集まり、充実した玄米と成る事でしょう。脱穀が楽しみです。
 実は今日の稲刈りは、せいぜい出来ても1枚半ほど位の予想でした。コンバインの束ねる紐が無く成ったら終わり、三時くらいに終了予定でした。しかし途中紐を買いに行き、棒杭も用意した60本も全て使いきって終了になりましたが、殊の外、木村さんは喜んで下さいました。何しろ台風26号がまじかに迫っていたのですから、途中刈り残して置くのとは大違いです。

 昨日の名取農場でのO農場長の懸案事項が完了出来、今日は木村さんの望みを共に達成できたことは縁して係る私達にとっても実り多き充実の喜びの毎日です。
 
 稲刈り後は希望者の方々は温泉に入って疲れを癒して楽しい夕食会、交流会です。今年は石巻市の上品の郷に向かいます。いつも行く涌谷町の天平の湯はお気に入りだったのですが、最近レストランの業者が変わって、品ぞろえが様変わりでちょっとがっかりとのことです。そこで変更に相成ったのですが、上品の郷も素晴らしい温泉で、珍しく空いていてゆっくり温泉で癒されて身体はすっきり、その後は楽しいディナーバイキングに皆さん大満足です。今日一日の楽しき話題に話が弾みます。
 7時半がラストオーダーで、全て楽しいうちに終了して木村さん親子とお別れです。お土産に木村農園さんの評判の美味しいおこげ煎餅を頂いて仙台駅に向かいました。仙台駅に新幹線で埼玉に帰る、稲束捌きの美技を発揮して活躍したKさんを送りました。遠路いつもありがとうございます。
 そして残った有志で更なるミーテイングを少ししました。これがまた思いがけない話題になり、加速度的に事は進展していることを実感させて頂きました。将に、稔り秋です。全ては予定調和であり、連鎖調和です。縁する方々の幸多きことを願う秋深き夜でした。
 
 しかし翌日15日未明から雨が降り出して台風26号は太平洋を北上し、16日は大雨です。昼ごろに木村さんから田んぼの状況を知らせるメールが入りました。添付の写真には田んぼが水没して棒杭が倒れ、水に浸かっている惨状が映し出されています。大変の事になっています。でも、全てを刈り上げることが出来たことは不幸中の幸いであったと思いました。
 水が引けた後、棒杭を打ちなおして再度天日干しをされて問題は解決したようで何よりでした。木村さんの田んぼの稲刈りがまだ4町歩半残っていたようですがそちらもその後順調に稲刈り作業が進んでいるようです。
 
 大難を小難に、無難に出来るように人間の智慧を働かせ、準備を怠りなくすることが必要と、また新たな学びを頂きながら歩む、実り多き秋の日日です。
 お蔭様で、確実に諸事万端、私達の周りには好循環、進展が起きています。日々楽しみでありがたい、嬉しきことです。

2013年10月22日火曜日

248「原点4」2013,10,21

「野菜と肉を構成する微生物は同じで、全て空気が変化したもの。聖者は原点の空気を食べているが、間接的に野菜だけを食べているのかの違い。殺生してはダメというのは勘違い。人間を構成する空気と、豚や野菜を構成するものは同じで、突き詰めると人食いと同じで、何を食べても思い煩うなかれだ。結果主義で無く原因で生きること。
 自分を空気に戻すと食われることはあっても食う事はない。人間は空気で実在界、人間社会は仮想界。しかし今は生かしてくれている事に、恩に仇で返している。それを知ってすると大きな罪だが知らないことで済ましている。
 理解したものだけ出さないと肉体、身体はパンクする。分からないものは出せないし、持っていないものも出せない。今はレベルが低いし、意識が低い。意識が高い人は必ず出すし、言う。そうでないと、得るだけではパンクする。得て物を出すことで健全なままで上達する。原因を求めて歩むものは出す事が必要で、でないとパンクする。


 ものすごい事をしているという意識はない。しかし使命感はある。経験して来た以上はする必要がある。生かされている者の使命であり、理解する為に人間をしている。この世にあまり長くいる必要ない。ここは早く卒業する事だ。そして死んだ後が大事で、死は永遠で墓にはいない。
 古の書は作者不明の物が多い。聖書とて喩え話で書いているが、喩えは消えて行き変化するとの答えを言っているので、そこを修正して読む訓練をする。日本昔話をしっかり読み解くこと。そこには大事な内面的なことが書いてある。
 情報遺伝子をコピーして使う。覚えて使うものではない。意味を理解する教科書を聖書という。お経の意味が分かったら行動して具現化するが、分かっていないのでお布施をもらっている。ない人からもらえないが、感謝という形をもらうのが本当の坊さん。
 
 歯ブラシをするとエネルギーが入って虫歯を防げる。歯科医が倒産したら農業も倒産する。黒字と赤字のギャップがでるのでそれを隠ぺいするが上手くいかない。永続可能は中庸でバランスを取って行く必要がある。儲けても儲けなくても終わる。中性化への経済学が無いと継続出来ない。全体への利益配分をして行くことで永久運動となる。沢山儲けて沢山使う。意識を学ぶ為にお金がある。それを動かすことで人が付いてくる。
「地球、大地を残して原理を伝達する必要がある。」という意識で動いて行く。思いが行動を作り、結果がやってくる。意識が形を作りその過程がある。目的に向かっていくと過程がだまってやって来て動く。悪い想念が全ての効果を失わせて行く。信じる心が薬を上回るので、想念という意識が形を作っていく。
 解ろうと解るまいと行くところに必ず到達する。早いか遅いかだけ。腹減ったら直ぐに何でも食べる。黙って食べるし、ほっとけば必ず食べる。満腹の人に、あーだこーだと言っても入らない。それは知識という栄養がいっぱい入っている人だ。知識が邪魔をする。何を知っているのか?意識が向くかどうか。知識が多い人は必要なところに意識が向かない。ものを知るにはたった一つの方程式が必要。産む必要がある人は産んでいく。お金の正しい取り方、正しい使い方に問題があり、価値がある。
 
 洗濯はエネルギーを抜いて行く方向でする。自然はエネルギーを入れて行くことでするが洗濯の衣は通常、ナチュラルなものであれば成り立つ。住は新陳代謝を起こすものでないとダメ。今の時代に合わせながら中身はナチュラルに生きて行く。灰はエネルギー引き込むので灰の上澄みを飲むと元気になる。どうしたらエネルギー高く出来るかは実践して行くしかない。
 人の身体に触って治す事は出来ない。自分がゼロになって受信機となる。治りたい希望を持っている患者が治したいのが治らない、それを補うのがヒーリング。ただ手をあてて無心になると、無心の世界から患者へ向かう。直したいのは放出化だが自分が無であれば患者が吸引化して楽になる。これがヒーリングで、無に持って行く力。
 エネルギー充電器は圧が上がるだけ。自分が治したという意識でやると害が出る。無心になることが最大の圧を上げる事になる。直したいはエネルギーが抜ける。相手を活かした自分も生きる。お金は対価としてもらって良い。人間にヒーリングしないで地球にヒーリングするという意識の変換がヒーリング。
 人の心を読む。心は意識で素直に何を考えているか見出して行く。分かる事で意識が上って行く。何をやってもエネルギーを出し、無を出す。
 無、中庸、中性を維持することで「我は神なり」でヒーリングする。お金は通貨で通過して生きる。真理は進行形で動いたスピードに応じて出す事。インプットする。少人数だから講演会が出来る。エネルギー欲しい人はどんどん出す事。
 
 宇宙を汚すのは自分の調和しない心で、ギャップのある心。無の心でする。ギャップを作る時は動かす時で、結合は物質を作る時。無形無想はエネルギーの融合。瞑想は融合で神、無と無がくっついて溶け込んでくる。奥念を深めるともっと深い融合になる。奥念とはどうしてそうなのかと突き詰めていくことで、全ては神に至る。表面意識と奥念性は違う。これを自問自答する。
 人間を追究するとどんな人も神へ到達する。全て神が作ったもの。有るものから無いもの、無いものの上は無限に無いもので限りが無い。形ある有限存在は全てゼロへ、霊へ、霊界へ入る。知識を持っているものは無へ行く。
 原点の会話をすること、そこから先があり、終わりがない。有限性から霊界へ入る事が先決で、有限から無限に入る。無限に入る人は無限の仕組みを知っているから入れる。自問自答が始まる。成る程と分かった時は言葉が無く、涙しかない。楽しかったはまだ失敗で、大成功は涙しかない。悲しい涙と湧き上がってくる涙は違う。
 
 奥念性で憶念性ではない。質量は量、目方を見るが質料は種やミネラルなどを表す。発酵も質料で考え、いろいろな種を交ぜて使う。
 真剣に取り組んでも難しい。1つのことを分かったらその見方で他も見る。視点を変えると違う事が解る。固定化は地獄で変換して行く視点が天国。
 興味ある世界でして行くことで継続出来る。好きだから奥念性を求められる。嫌いなものは身が入らない。どんなものも言葉で表現できない。エネルギーが欲しいい人は覚者に問い正していくことをする。出した物しか入らない。
 勉強は何に対してするのか?無をする。極めると無心で、意識を無とする。これが最大のエネルギーの拡大で宇宙に繋がり、自分の意識が宇宙に転換する。自分で体験する。無を勉強し、無心に徹することで宇宙と融合する。その時私は何物だったのか?自分の身体が消えて行く。意識を動かせば人間になる。意識を動かさなければ霊体、原点、エネルギー体で、意識が無いので動かさないと霊体となる。それが瞑想状態。自分が意識して身体が消えないのは未熟で経験していくこと。訓練して行くことを瞑想、ヒーリングという。
 意識を動かさなければ霊体で瞑想を通してエネルギーを拡大して行く。しかし出来る人は少ない。でも諦めてはダメ。酒飲んでやっては難しい。眠ってからやったら良い。瞑想するとすっきりする。その時、意識を寝かせないようにする。肉体を寝かせても、寝ると幽界へ行ってしまう。
 
 霊界へ行くと目の前に地球が動いている。意識が拡大すると福島、仙台の浄化になる。自分の空の意識を持って無心でする。人間の意識を無くすること。「我は人間」、という潜在意識が強いと行けない。「我は神なり」、の暗示を無意識にインプットする。
 無に慣れた時は気持ちが良く醍醐味を味わえる。セックスのような一部の快感でなく全身の快感だ。
 一人一人が努力して行くことがとても重要だ。それはやらざるおえない世界で、これを通らずに天にかえれない。これが即、実在界で天の道を歩むことでしか到達出来ない。
 ゼロのスタートをきり、知って進行形が悟りで、そこで止まっては終わりなので、貫いて行く。無限、宇宙即我を実感する。
 空はあてがっても減らないことを知っているのが霊界。この世であてがえない人は霊界へ行けない。理解した分だけあてがっていくこと。実感したものが全てで、それが霊界の道。
 地獄から天へかえす。失敗は成功の元で理解したことを伝えている意識体は守護神に守られる。自分が霊体で、出して行く意識が肉体を守ることになる。霊界とくっついていくことが自らの守護だ。」
 
 講演会の後半はお話に熱が入って来て修了時間を20分近く超過して終わりました。お話を聞いている私達の意識の集中と、更には昨日からの熱心な聴衆の反応と今朝の農場の視察での我々の取り組みの真剣さが飯島さんの本質に感応して益々同調して来ていたようです。嬉しいことです。
 飯島さんはある覚悟を持って直近の事業に全力投球されるようです。ですからこれから講演会も予定に入れていないようです。そんな中に濃厚なお話を伺えた私達はとても幸運です。そしてこれから貴重な機会を活かせるように善き仲間たちと実践を通して楽しく、原因の世界、天への道を歩み、得たものを出して活かして行きたいものです。
 お蔭様で帰り際に、次回来年の春3月末に再度仙台にお越しいただけることになりました。ありがたきことです。


247「原点3」2013,10,21

 13日は7時過ぎに飯島さん達をホテルに迎えに行って名取農場に向かいました。良い天気に恵まれて途中で綺麗な二重の大きな虹を見ることが出来ました。大きな祝福を頂いたように嬉しくなりました。農場に着いて少し見ることが出来ました。ありがたい恵みです。




飯島さんにパイプハウスを見て頂き、水耕栽培実験装置もいろいろご指導を頂きました。O農場長もノート取りながら傾聴していました。今後の実践に活かして行けるありがたい内容でした。トマトなど試食して頂きましたが、明るく暖かくこの農場に係る人の意識が十分に伝わる、エネルギーの高い美味しい味で、喜んで頂けました。








飯島さんが以前来たのは冬の季節でしたので、今回、パイプハウスも完成してイメージが大きく変わり、良くやっていると高い評価を頂けたようです。
 仙台に戻っていよいよ2日目の講演会です。講演会の内容を少しご紹介します。


「今朝、名取の農場を見て来たがイキイキしている。
 兎角ある勘違いだが、無農薬野菜を食べると健康になり、病気が治ると疑いも無く思っている。そういう想いに効果があるが、食べ物、飲み物で病気が治る事はないし、病気になる事もない。ものの重要性はなにかが問題だ。
 農薬使わないで病虫害がないように作って行く農法が無農薬農法だが、なぜ病虫害がでるのか、そこにチャレンジするのが本来の無農薬農法で、学んで答えを見出して行く。しかし間違った考えが病気を作って行く。無農薬ではどうして虫が出るのか、出ないのかを探って行くこと、その意味を追究して行く。その意識の結果に野菜があり、結果の野菜を食べて病気が治ることはない。
 無農薬の野菜を食べていたが、癌で死んだことを教えてくれた友人がいる。癌の人が意識が変わり、行動して行く事で治っていく人がいる。病気とは気の見方で、エネルギーが出入りするが見極める為の条件が病気と言える。だから癌になることはありがたい。ならないと死ぬ。病気で死ぬのでなく意識が越えられない意識の結果で亡くなる。癌になって治せない人いないし、治せない病気は与えられない。そこに焦点を合わせて行く時代だ。
 農業、工業等においても害をどう食い止めるかの意識が問われている。何を通してそのメカニズムを知って学んでいくのか。物理はその結果に対して出る。
 世の為、人の為に真面目に真剣にする人が、人を殺し、泥棒をしても真理、役割を全うして目的を達成して行くことにあるメカニズムがある。仲間割れしないで、結束して、具現化して行く。
 意味を理解していくだけで食べなくても結果が出る。食べたらもっと結果がでる。ただの水の意味を理解し、物質に力が無いことを肝に銘じて飲むと効果が出る。
 玄米食が良いわけでない。原点を理解することが重要だ。出したものが入ることを理解していく。原因を出すから結果が変わる。原因に強い意識を持って宣言して行くと結果が出る。原因の話しをしているだけで福島、仙台が浄化される。想って実行する。聞いて理解は無いので日常生活の中で行為し、実践する。そのことが天の道で、原因を見て歩く世界が天国で、結果を食べて、見るのが地獄。兎に角、原因に意識を向けて行く。
 ほとんどは無意識に結果に合わせていて、結果を歩んでいて、天国へ行きたいと思うが行けない。天国のラインを歩んでいく道で、天の道と地獄の道がある。結果が地獄で、原因は天国、そこには意識の状態があるだけ。原因を歩むと必ず結果を歩む。頑固と、何度言っても解らないと私の事を覚者が言っていた。
 常に自分がいのちと言い聞かせている。無意識でいのちが動くまで自覚的に言い聞かせるしかない。「我神なり」しかない。四六時中、「我は神なり、我はいのちなり」を意識する。意識がやがて回ってくるのでその思いが出る。いのちのチャンネルに意識を合わせているからそうなる。
 
 全知全能とは何でも知っているのではない。たった一つの仕組み、方程式を知っていること。そこに当て嵌めると答えがでる。法則を認めることで全知全能が現れてくる。
 それはあまり個人的なものには対応していない。お金の為への対応はない。自分の欲望満足の為では方程式は働かない。意識に応じてお金も出てくるし、お金を生んでくる仕組みがある。結果が出る為には目的への意識圧しかない。自分がどこまで強く持てるか、常に意識していると話しの話題で決まってくる。学校の授業ではダメで、その場で終わってしまう世界ではダメ。遊びの中で得るルールがある。
 どうして罪を犯したのか追及して行く中で罪は消えて行く。因果応報、もし殺したら結果を素直に認める。動機を話し、やった意識を追究して行く。奥念して行くことで罪は消える。真理を理解する心で、起したものを悔やんでも取り返しつかないので、唯一、真理に目覚めること。
 悪いことを反省してそのことを周囲の人に伝えて行く義務がある。それが懺悔。誰でも過ちを持っている。それを清算する必要があるとしたら、しかし慈悲の心を持つ相手が許すという物理的なものでなく、奥念をしっかり持って進行形で生きて行くことだ。
 言葉は表面的なものだが内容は中身で奥念性が存在している。どんな言葉も噛み砕くことで進歩して行く。しかしそれは簡単で難しいことだ。言葉を噛みしめて深い所へ持って行けるが、10回噛むか、50回噛みしめるか、言葉の表現を噛みしめ理解することが原因でそこから結果が出る。」

2013年10月19日土曜日

246「原点2」2013,10,19

 講演会のお話の続です。
 
 
「永久モーターを作りたいと来るが、ご飯焚けないのにチャーハンは出来ない。この世は浮き世、浮き世を飛び越えて行く。それが出来ないなら生まれてこない。出来る確率があるから生まれて来ている。今出来ないとしてもいつか出来る。出来るグループに早く入りたい人が今日ここに集まって来ている。早いか遅いかの違いで必ず変わって行く。焦ってはダメだけど、今急がないと行けない時代だ。
 福島で臭い物が出てきている。止められるかどうかは皆の意識次第だ。なんとかしないといけないし、その責任がある。自分の肉体が私と思っているので、自分に責任ないと思っているが、誰かが汚した物は自分が汚した物だ。
 安全ではないし、日々悪化している。自分が出していないという分離感では死んでもしょうがない。出来る範囲で洗浄する。現地に行ってするだけでなく、エネルギーを取り込んで家の洗浄をすること。それが肉体の洗浄になる。
 肉体の洗浄にはエネルギーを入れて行く。それは意識を洗浄するしかない。意識が正常に反応すると肉体が反応を起こす。
 中国で起きたことは全世界に良いこと、悪いこととして反映する。米国の倒産は日本の倒産で、世界の倒産となる。この世に関係ない物はなく、全世界は関係している。そして地球の異変は太陽系に影響を与えている。
 米粒1個の大きさの癌で人は死んでいく。地球が崩れると危ないので地球洗浄に宇宙人が来ている。木星はレベルが高いのに地球を守る為に犠牲になって彗星がぶつかった。その為に木星はパワーアップした。
 地球上で汚した物はせめて地球人が洗浄すること。この大事な時にお祭り騒ぎで良いのか。ごみ屋敷は全部撤去される。必ず根こそぎ洗浄される。台風は何故おきるか。酸欠状態でエネルギー不足で補充している。海が温まると酸欠で腐るのでかき混ぜて酸素を入れている。海は台風、陸は竜巻、ゲリラ豪雨、川が氾濫する。健康で居たければ汚さないこと。
 瞬時に北極、南極でどかんとくる。天災はにっちもさっちもいかないし、天変地異起きる。それは米国経済の沈没以前の問題だ。温暖化防止のたった一つの方法は意識を変えること。エネルギーを出しあった日常生活を過ごす事。そう生きる人が15人いたら素晴らしい。そうすると温暖化は止まるし、放射能すら止まる。人間が持っているエネルギーは素晴らしい。
偉大なる空である事実、我は空より語り、地球上にエネルギーを注ぐ。今日のこのメンバーで地球を救えるし、まだ間に合う。極端に1人でも大丈夫でそれは台風の比でない。人間の意識は全宇宙を動く。意識に生きること、語ることは偉大で、そのことで全宇宙を支配しているものが動く。
 危機を回避するには意識が目覚めるしかない。それは福島でかましてエネルギー変える事以上に大事だ。宇宙が永続して、地球の存続にかかわることだ。それはバカ気たことか? 
 やった事しか返ってこない。無償でやっても帰って来る。目をつぶって意識を高めること。日常生活でエネルギー上げて生きて行く。ここにエネルギー注がれると同時に、福島にも他者にも注がれる。掃除し洗浄が基本であり、日常生活で偉大なる結果が得られる。今日この会に参加している人で絶対出来る。
 
 意識が高いと具現化する。低ければ高めればよい。無心でする。神とは無形無想の大霊をいう。自分の意識を神に合わせる心を瞑想という。自分の心を無形無想とする。想わない、考えないと神と融合する。真の自分を見せてくれる。その意識は計り知れないものとなる。
 日常生活、家事、仕事にも原点を置かない人は目をつぶっても瞑想は出来ない。今ここで、24時間瞑想する。瞑想とは原点に意識を向けて圧をかけること。目的意識が原因に圧をかけて動く法則がある。汚れたものにエネルギーを入れる日常生活が真理だ。本に書いたものに真理はない。仏典、聖書は喩えだけ書いていて、それはきりがない。
 洗濯や料理のやり方を話しあって行くことで自分のエネルギー高まって行き、福島が変わって行く。思いを変えて作業する。天国と地獄は意識の違いだけ。汚れにエネルギーを与える結果、綺麗になるのが天国。汚れに洗剤を入れてするのは地獄。綺麗は同じだがエネルギー入って綺麗になるのがベスト。エネルギー補充の連続をして行く。畑を鍬で耕すのはエネルギーを入れて柔らかくすること。その様にエネルギー補充して行く。
 
 素晴らしい本当の世界だが、やらないと終わってしまう。もう永いことは無い。理解して死ぬことと、理解しないで死ぬのは大違い。今なら間に合う。有り得ないことやるしかない。金がないと出来ないのでない。金がある人は結果だけで生きているので出来ない。原因で生きる、天の道を歩くことが出来た時に意識が変わる。
 今、自分は福島をただで洗浄しようとしている。もう強制するしかない。地球は拉致されている。本番になったら笑えない。その状況がいつ来てもおかしくない。
 女性の方が役割は大きい、家庭で果たしていく。男は農場で浄化していく。例外が無い。福島に行って結果を出すことが偉いのではない。我は空なり。個人の洗浄でなく大きな我でする。幸いを出すと幸いになる。来年どうなるか、その意識で作って行き、配って行く。
 
 自分が考えて記憶する力はない。意識が抜けたら死体。肉体は車で運転者がしっかりコントロールすること。意識が私であり、私は偉大な電波で動かされているラジコンロボット。霊界のいのちに合わせたら絶対墜落しない。無限電波は大丈夫で、しかし有限電波は墜落する。
 自分の心を天に合わせる。「我は神なり」の一言で、生命の意識を持つ意識が生命波動を得る。何をしようか、は見えてくる。神の啓示を受ける。耳から入るのは啓示でなく間接のものだ。自分でこうしてみようの想いが啓示で直接のもの。
 自分は受送信器で、自由放電を持つ。放電だけだと朽ち果てるが、永遠の自分に持って行ける。自由選択で無料、ただ。宗教の世界は有限で有料。天を見るには、自分が体験してみることが天で実在で、自分の意識が形を作って行く事を完成させる。想念は形の母。
 原点を持っている人であれば、世界中の金を持ち全体の事に使う。お金や形は盗まれ、騙される。そのことを信じるか、信じないかはやってみれば解る。オーバーな良い希望はOKだが嘘はダメ。そんな馬鹿な、が凄い。全体の事を考えて動くと、全体を動かすお金が入って来る。
 意識は実現の母、想念は実現の母。伝えて行くのは義務で、行動を教えて行く。今、地球の永続性に支障が生じてきている。先ず自分の意識を改善して行動起こす。そして体験してみる。
質問は自分自身にして解いていくこと。でないと天に還れない。 宿題は自分にする質問を考えること。そして出した人がそれを解く。自分で質問して自分で解く事が有限から無限の電波に合わせることで、自問自答以外にない。ネジを合わせるには同じネジを選ぶことが必要だ。」

 
 1日目のお話が終わりました。講演会終了後の食事会はほとんどの方が参加しました。今回は米国ニューヨークからわざわざ飯島さんのお話を聞きに参加された方がいました。スピリチャルな仕事をしている方の様ですが、飯島さんのお話をビデオかで聞いてたった一つのことに目覚め、それまでの仕事が出来なくなってしまったそうです。そして結果の世界を手放して原因の世界で生きて行く大転換があったようです。
日本に里帰りしていて、数日前に埼玉の飯島さんの処を始めて訪れ面会し、今回の仙台の講演会を知り参加申込されました。しかし仙台よさこい祭りで市内のホテルは満室の中諦めたそうです。それでも頻繁にインターネット検索していたらラッキーにも1室キャンセルがあり、幸運の女神が微笑んでくれて参加出来ることになりました。原因で生きることを目指していくと必要な物が与えられるのでしょう。
 
 2次会は喫茶店で歓談しましたが皆さんどんどん会話の中で活性化して行く感じです。「出した物が返ってくる」なのでしょう。
 飯島さんには明日朝早く、講演会前に名取農場視察をお願いしています。飯島さんの指導を活かしたパイプハウスが完成して稼働しているので、それを見て頂くこと。それと同じく農場長の手作りでこちらも飯島さんの指導で、マナウオーターを活用して組み立てた水耕栽培の装置が出来上がったので、その見学とさらなる指導を頂く為です。
 22時頃にはホテルに送り届けて1日目は終わりました。

245「原点1」2013,10,18

 飯島秀行さんの講演会が10月12、13日にありました。今年3回目ですが会を追うごとにお話の内容が深いものになって来ています。
 丁度仙台ではよさこい祭りの開催日に重なっていて街はお祭り気分です。色々な衣装を着飾った方々が沢山で歩いて大賑わいです。そんな浮かれた中で今回も濃厚な2日間になりました。実はもう話す事が無いので早く切り上げて帰りたい位とおっしゃいますが、実は飯島さんは現在の状況にとても危機感を抱いていました。そして強い決意と覚悟を決めて身を賭けて進むことに定めたようです。
 お話の内容を紹介します。

 
「我々は無意識で動いているが、それをどこに意識を集中して、努力をして、修正して行ったら良いのか?その事が分からないことが問題だ。真理は日常生活の仕組みそのものだ。
 宇宙法則の「出した物が返って来る」のこの意味を分かっている人はここでは誰もいない。このことで話が終わるくらい中身の濃いことだが、このたった一つのことが皆さん分からないだろう。話を聞いて理解し、本を読んで分かる事は1つもない。黙って聞いていて分かる事少ない。
 今日は参加者が少ないことは幸いだ。エネルギーは出すことで入り、聞いたままでは入らない。1+1=2は覚えるが、その人個人が分かっていても、聞いた話をあーそうかと理解し、そのことを第三者に話すことで真の理解を得ることになる。聞いたことだけでは理解していない。聞いてそういうことだと思って、試して他者に伝え、話したことで理解と成る。そのようにインプットすることでエネルギーが入る。出さないものは入らない。学校の授業が入らないのは出していないからだ。
 日常生活そのものでエネルギーの増殖をして行き、この繰り返しで向上することになり、自分のエネルギーが増えて行く。良い話しをすればそれ以上に良い話しが来る。しかし、人間は損得で動くのであまり良い話しをしない。儲かる話は結果の話しで、良い話しは原点の話し。結果の話しに花が咲いたら結果だけ。出した物が入る、うんとお金を払う人にはお金が入って来る。沢山借金したら倒産する。借金も増殖する。
 今はエネルギーが入る格好のチャンスで、この今日の講演会がチャンスの会になる。原点の話しをして行くとその会話で自分のエネルギーが高まり、どんどん湧いてくる。しかし、結果の話はエネルギーが消えて行く。天が降ろすエネルギーが栄養になる。だから原点の話しに花を咲かすことが重要だ。
 基本が出来ていないで結果に惑わされていると間違った方向に行く。原点の応用が必要だがほとんどは結果の応用でしかない。結果主義は国をもパンクさせてしてしまう。米国のオバマも形が壊れ、結果で生きている人で、結果で精算される。
 地震等が来る以前に首を吊る人がいるが、経済破綻や病気などが原因だがそれは結果主義の結果でしかない。
 真理は、「出した物が入って来る」ことの意味の奥念性だ。今は結果の話しにうつつを抜かす時期ではない。今日の仙台よさこい祭りの時に講演会に参加している事は、原点を求めている人で、そのことは天災が縮小して行く方向だ。
 生きている事で完成はない。出していく世界に終わりはない。永久に続く世界で、この考え方を法則という。そこにはいろいろな種類がある。農業ひとつ取ってもいろいろある。医学でガンを治す仕組みも同じ。その事は話して通じるはずだが今は分離している。本来は業種なく、共通点は一つに定まっている。業種を問わない進歩がある。分離の意識は恐ろしい。一体感の意味を身に沁みて、しっかり噛みしめて行き、原点に応用して行く。30回噛むと消化力増して理解深まる。仕組みは二つにあらず、一つしかない。
 色々な角度から言っているがイメージしていることは一つだ。どのようにして消化するか。
 微生物を消化すると何になるか。生命は神として存在する。神とは原点で、原因の世界を神という。言葉は結果、結果を指すのが言葉。だから釈迦は、真理は言語や文字で表せないと言った。神は原因、原点で、神以外ない。言葉巧みに言っても結果でしかない。結果を覚えて何になるか。結果だけならコンピューターの方が優れている。
 原点を理解するのが智慧。智慧は神で、原点の泉であり、全てに応用が効く。細かいレシピ、火加減、鍋、包丁の使い方の前に料理は何かが分からないとダメ。言葉の消化力が無いと分からない。このことはノーベル賞を噛み砕いて話しているようなもの。原点が1個と理解する。ノーベル賞の内容は原点。神の法則が原点で、それを理解する事。そのたった一つのことを理解する真の科学者が覚者だ。原点を知っている科学者でないと、たまたまの世界でそれは意味のないものだ。
 海から金を取り出し、ダイヤやルビーを作れる。原点を理解する力に勝てる力ない。原点に意識を向けて何かを得ようとする者が災害を止めることが出来る。
 ゲリラ豪雨は何故起きるのか。スキー覚える時に、先生の言うとおりにやってこけた。それは覚えている事で、それでこけなくなったら指導者と同じだ。徹底して基礎を学ぶこと。ボーゲンは圧力の変化で重心は中性子を安定させると方向が変わる。スキーと堆肥作りは同じで、味噌作り、挿し木も同じだ。聞いた話でなく体験してインプットしたもので、一つ一つの体験を通して場を作って行く。
 エネルギーを得るその行為が天。天国の場所があるのではなく行為そのものが天で、天国は進行形、ingで歩んで行く世界のこと。結果を見て歩く世界は地獄。肉体を持って原因を持って日常生活を生きて行く。でないと元へ行けない。死んだ世界はこの世の延長上で、ここで出来ないことはそこでも出来ない。今やって出来ないのは明日も出来ない。今出来ないのは死んでも地獄の意識だ。
 今ここに居て肉体を持った天国は、毎日が楽しくワクワクがある世界で、不安のある世界とは違う。今良ければ早く明日と思うが、今しかない。今がハッピーなら明日はハッピーで、実感の中に見出して行くもの。
 死んだらどうか、は教わるのでなく実感したらよい。死んでみたらよい。この世より良いから怖がらなくてよい。死にたくない人は死んだことのない人。イエスは肉に生きる人は死だ、と言った。一時の苦しさを紛らすために願ってはダメ。今さらけ出して楽しんでいる。皆が楽しいのになぜ毎日しないのか、毎日そう生きることが天国で、出した物に対してお返しがあって、楽しもうという共通のものがある。
 死んだ後のランクに違いがあり、卒業するか、しないかの違い。ここで人間を卒業出来ないと落第だ。卒業とは上のクラスに行く事で、天は無限で、キリのない学校だ。落第しても人間以下にいかないので今が最低のレベルで、上にあがるしかない。体験して意識して生きる。
 出すことで得るものが来ても、それを出さないと消えて行く。意識は出さないと返らない。勉強とは強く勉めて行くことで、集中して行くこと。やらないと実感がないし、自らやって理解すること。他者に頼ってはダメで、それをしていると詐欺に引っかかる。
 
 死ぬと幽界へ行く。考えることなくそこから迎えが来る。しかし霊界からは迎えが来ない。霊界は自ら能動的に歩んで行くところで、受動的な迎えは来ないところだ。
 エネルギーは出さないと入らない。やらないと霊界へ行けないのでエネルギーを出す癖を付ける。
 形に名前を付けている。形は無限に存在するが原点は一つで、たった一つの法則を覚えること。この方程式に当てはめると全部解る。何でも分かる方程式は5分でOK。天は何でも出る無限の世界で、地獄は有限性の世界。
 意識の進化の構図がある。無意識でやっているが、ご飯を食べて血肉に変化し、物質化現象と成っている。口から入る仕組みから出る仕組み迄ある。大事な事が出来るか出来ないかだけ。悟りでなく出来るまでトライする。出来るか出来ないかはその人の努力次第。死んであっちに行っても努力する。必ず出来る。生命は死なないということを理解することが悟り。永遠の自分を理解する。毎日することが大事で、やることがいっぱいある。あっちに行ってもやる、その意識が悟り。
 人間は受け身で受けて出せば良い。出さないとパンクする。脳梗塞、腎不全。身体が壊れない秘訣は出せば出すほど良い。大きいものが入ったら出す。出さないと身体壊れる。壊れたら出して直して行く。完全に成らないとしても戻って行く。
 知らぬが仏で、出さないと入らないし、その出したレベルだけ入る。それ以上を得る人には大きいことが起こる。兎に角、入ったものは出す事。
 美味しい人参を作るなら堆肥に人参を使う。人参に圧をかけて堆肥ができる。波動でDNAを構成して行く。人参に意識があり、たったひとつの法則で人間が持っている機能が全部ある。同じレベルの周波数まで戻したらテレパシーで会話できる。周波数を揃えて、犬を構成する周波数に合わせたら犬と会話が出来る。意識を合わせるのが全ての原点。
 無限性、永遠の心の意識で生きて行く。物質化現象が悟りでない。日常生活でしていること、そこに永遠のいのち、無限のいのち、安らぎがある。」



2013年10月10日木曜日

244「遷宮3」2013,10,10

   先に触れたように目出度く106日にテンメイ大和農場の白石で遷宮の儀を執り行う事が出来ました。嬉しきことです。こ白石は如何なるもので如何なる働きを為すものなのか、この間の事々を整理してみます。

   今年の53日から5日まで中山さんに大和農場で3日間過ごして頂きました。(本ブログ、210白石1、211白石2参照下さい)その時この白石が現れましたして白石の事に付いてお言葉がありましたので少しその事に付いて拾い出してまとめてみます。

 

52

・白鳥神社(白石市)

「ある日、ある時、大きなるこの地に湧きあがり来るその岩、白き大きく輝きわたりて、この地を大宇宙に知らせるものなり。古き時、輝きてありたり。是より皆々光の柱と成り行けば、再び光を発します。」

53

・車中 930

「新しきは何処にあるや。集いて参ること成るや。遥かに大きな身を立てて集いて参ること成るや。たまらず起こす大きなる事々たまりてここにあり。新しきを知らせませ。」

答え

「尋ねられたる新しきは是より光を届け、そこにおらるる方々共々、ご自分が変わりて成すものなり。受け取られませ光を。」

・大和農場 まほろば舎前の三円 1610

「周り来るくる皆々は、是よりの日暮れを見た時、皆々集まりこの地の大きなるを知り行くなり。ひたすらこの地と共々に参りて新たな時と成る。」

・白石 1630

「お~お~お~、続けてくりゃれよ。(拍手)

確かなる響き、この地が受けたり。是より300の時越えて、この身が輝く。(拍手)

どうぞお願い申す。ここを如何に致すや。(拍手)

現して、光り輝く白き石と成る。」

・台が森温泉 2210

「昨日よりの事、是よりに繋がり行く事なり。白き岩、大きなる事ぞ。遥かな昔、この地に下した揺るがぬ思いを、ここに留めんと成したるものぞ。是より生まれて来て新しきを生み出だす。ここに在るはその岩、働きを生むもの成り。そこで明日、お頼み申すは、その場を大きな地と成し行くこと。ここにてこの北の新しき元も元の元と成る。嬉しきなり。踏み行く明日を待ち望む。」

54

・白石 

「新しき時は待ち伸びております。真へ帰りて只々嬉しきへ」855

「ただ祈りて参られよ。この上には水を起き、あ~と三度唱えませ。」105

「天の音よ、響きわたれ。」1655

55

・白石 1250

「大切なる岩なり。皆々大いに届く是よりの白き光は共々なり。ここより光を発して参るを知りたれば、集い来る時やがて迎えます。」

・大和亭 

「平成2633日 来る日、来る時 最初の渦作る。」15

「織りなす多くの事々は、それぞれ互いに取合って、植えつけたる印に近づきて参らるる。この時をしっかりと繋ぎ、結びておられれば、それより始まる大きなる流れいや増して、只々の身と成り行きて進まれます。」1519

 

 52日に出されたお言葉の「その岩」は翌日、3日に大和農場で掘り出され、「白き岩、白き石」となりました。そこで3日のお言葉に「是より300の時越えて、この身が輝く。」とあります。これは300日後のことで、その日は「平成2633日」でその時に「来る日、来る時 最初の渦作る。」と55日のお言葉にあります。

33日には当然この地で成す事があり、最初の渦を作ることですが、その後のお言葉「この時をしっかりと繋ぎ、結びておられれば、それより始まる大きなる流れいや増して」の繋ぎ、結びの時は丁度中間、150日に当たる106日ではないのか、そしてその日には大事な意味があるような直感が有りました。それで今回106日に大和農場でまほろばの集いが成されました。

お蔭様で今回目出度く遷宮の儀が執り行う事が出来ました。これからの更なる進展が楽しみです。

 

先に紹介した様に私が初めて中山さんからあわ歌を拝受した時のお言葉があります。

「大事な事をお伝えいたす。この地にありしは古き霊なり。篩いて篩いて多くが新しきと成りたり。これより起こるこの地の変化に古くは多くの芥を受ける。新しきと成ること早きに分かりて頂きたし。この事を告げる御役をお願い申す。」
 更に8月に仙台にお越し頂いた時に以下のお言葉を頂いていました。
「この地、東の日高見となりて、これより大きなる力持たれまする。皆々共々、新しき嬉しき宮となりて進みゆかれますよう共にお願い申しまする。我ら一同力となりましょうぞ。」 

 

    私にはこれから大きな変化が起きる事、その事を縁する皆様に「告げる御役をお願い申す。との役目を頂いていました。更に「この地、東の日高見となりて、これより大きなる力持たれまする。皆々共々、新しき嬉しき宮となりて進みゆかれますよう共にお願い申しまする。」とあります。

    今回、「新しき嬉しき宮」として大和の地の白石に遷宮が成され、東の日高見の宮として今後大きな力を発して行くことが既に5年以上前にお言葉で降ろされていました。

    そしてこの109に中山さんから以下のお言葉がありました。

「戦いて過ごし来たりたこの地は、これにて終わり、新たなるへ向かうなり。響きに乗り来る光と共に歩みて、只々参られませ。大事な日々は是よりなり。」

 響きに乗り来る光と只々参る様に、是からが更に大事な日々とのことです。只々の響きの中に確実に一歩一歩進み、一段一段上がって行くことでしょう。

 

 以上のことを踏まえて白石は以下のように整理できます。

白き岩、大きなる事ぞ。現して、光り輝く白き石と成り、白き大きく輝きわたりて、この地を大宇宙に知らせるものなり。古き時、輝きてありたり。遥かな昔、この地に下した揺るがぬ思いを、ここに留めんと成したるものぞ。ここに在るはその岩、働きを生むもの成り。是より生まれて来て新しきを生み出だす大切なる岩なり。皆々光の柱と成り行けば、再び光を発します。

    是よりの日暮れを見た時、皆々集まりこの地の大きなるを知り行くなり。ここより光を発して参るを知りたれば、集い来る時やがて迎えます。皆々大いに届く是よりの白き光は共々なり、ひたすらこの地と共々に参りて新たな時と成る。

    そして遷宮により大和の地は

ほんに嬉しきこと成り。見事に繋ぎて降り来る光の場と成されませ。大きなる石囲み、鋭き立石囲み、この場を作り、ここより開く。ふつふつと、火なり、水なり。ここの地は形を示して参ろうぞ。光を降り来てこの地を肥沃なる。皆々の地と成り行かれませ。

本日ここに皆々で祝うは嬉しきなり。すなり。ひなり。うなり。新たなる時へ参りませ。

    そして「平成2633日 来る日、来る時 最初の渦作る。」です。

 

    今回の白石のあわ歌御神示に関連して思い出されたことがあります。それは2010328日に名取農場高柳亭で中山さん達と高柳亭で初めての泊り会を開催したことです。

    その時のテーマは高柳亭を浄化して宿泊できるようにあわの歌を響かせることで諸々を整えることと。その時のキーワードが「結ぶ白石」と「九曜紋」でした。

    その時に始めて祭壇を床の間に陶彩画「萌」と九曜紋のロウソクを用いて作り、そこで9人の参加者で神事を行いました。その内4名が確か家紋が九曜紋の方がいました。結ぶ白石とあわ歌は、その時期に野口理生様が降ろされた天音天画から頂いたヒントでした。

    その天画のお言葉を記してみます。

「三きゆうごう 七ところ 神気に 霊たりに 加よ和す いと輪 あわの宇多」

(さんきゆうごう ななところ みきに ひたりに かよわす いとわ あわのうた)

2010126

「天地の宇多 和算証明 むしはらひ 光明現げて むすぶ白石」

(あわのうた わさんしょうめい むしはらひ こうみょうあげて むすぶしらひし)

2010224

「むすぶ しらひし 神示の 霊わざ 史智を重ねて 把道とする きくもよふ」

(むすぶ しらひし しんじの みわざ しちをかさねて はちとする きくもよふ)

2010326

 

    天画の意味は解りませんが感じる中で何かが促されます。漢字で意味を限定することなく絵と音の響きで表す世界ですが、勝手に漢字をあてはめて書いてみました。

「三気融合七処 右に左に 通わす意図は あわの歌」

「天地の歌 和算証明 無私祓い 光明現げて 結ぶ白石」

「結ぶ白石 神事の 霊業 七を重ねて八とする菊模様」

詳しくは以下のHP伊路波天音天画(http://iroha.ws/2010/03/post_642.html)をご覧ください。

    2月だけの天音天画と説明文を紹介します。



はくはくと ならぶ たまいし くようもん ひつきを めぐらし かなめを うてば ひびきて ひろがる あわのうた  いなほの みのりに こうみょふ あげて ほむし はらいて てんち けっかひ むすぶ しらひし なごみうた  やわわ そよそよ ごふごふと つよく おうきく  ひとへに かさなり みをむすび ございしょ しめして かみこうりん  ひかりの まなかに あひを みて みちを みて  ふたたびの なりはじめ ぎしき ぎれひは むかしを いまに かさね まいらせ こうみょふ あげて かくあげて はちれい くはひ ときおこし いまとする やくさの かばねの やくどころ みせどころ あわせどころ  むすぶ しらいし えんを まもりて まわす おきどころ きくの しちよふ さくらの しちほふ にてん くわえて みあれする あのぎ わのぎ  あめつち ひとのき わさんしょうみょふ  とときを かよわす あわのうた あより はじめて  わをつなぐ んむで おさめる ことたまの みょふおん  きよく ただしく むすぶ しらひし しんおん かんしゃ ちょふりつ たしかめ あひを つたへて いちごん はつれひ かがみを しるす このれひめひき  平成22225221

 

    今回その20103月から3年半後、42か月経って大和農場の白石でのあわ歌御神事が成されました。それは表面上は名取の高柳亭から大和の大和亭への遷宮の様ですが果たして如何でしょうか。これから天の意図が如何組まれているのか、今後が楽しみな遷宮の御神事でした。

243「 遷宮2」2013,10,10


 私達は農場の白石あたりで昨日書かれた絵図を照らしながら、その内容を解読して行きます。中心の大きな○は白石で三日月の様なのは沢のお不動様の様です。他の小さな3つの○は石ではないか。白石の真南に以前掘り出された石が有りますが、他の2か所の方向、北と東には見当たりません。中山さんは不動尊に行くと言います。


 お不動様に向かって中山さんがお尋ねになられました。その時のお言葉です。
「尋ねたりしなり。授かりたるこの地を如何なる地と成し行くや。(拍手)
 ほんに嬉しきこと成り。見事に繋ぎて、降り来る光の場と成されませ。
大きなる石囲み、鋭き立石囲み、この場を作り、ここより開く。
ふつふつと、火なり、水なり。ここの地は形を示して参ろうぞ。(拍手)
 あい分かりました。火と水、如何に組み行くや。(拍手)
 この水持ち行き、光を9つ灯して供え、後に四方に柱立て、すだく(集く)多くを鎮めなされ。」11:30

 まずもって、今回のことを喜ばれています。この場を光降り来る地にする為に、立石で囲み、お不動様の水、更に火を9つ灯し供え、四方に柱を立てる様に。とのことです。そして、ふつふつと、火なり、水なり。ここの地は形を示して参ろうぞ。とあります。火と水です。丁度2週間前に木内さんとこの地を訪れて火水(かみ)のお話をしています。ここから形を示して光降り来る場とするようです。

 お言葉を頂き直ぐに白石に引き返り、今度は白石に中山さんが問われました。その時のお言葉です。
「大切成るは、是より降り来る光を受け賜わる方定めませ。その方、今回祭主と成りて執り行う。都度伝え致す故そのまま為されませ。」12:20
 降り来る光を受ける方、祭主を定めなさい。大切な事は祭主を誰が務めるかで、後は必要に応じてその都度知らせるので執り行いなさい。という事の様です。


 誰が祭主として相応しいか、直ぐにT舎長に白羽の矢が立ちました。直ぐにT舎長が作業している大和亭に向かいます。
 個室に呼んでそこで中山さんと面して坐りお尋ね、お願いがありました。その時のお言葉です。
「あいうえお(拍手)
 伝えます。是より降り来る新たなる光をこの地に流して頂きたし。石と共に光を受けて頂きたし。本日の火と水の儀を執り行いて、光を受けとり、思いを発して下され。お許しですか。(拍手)
 はい(拍手)
 ありがとうございます。多くの方々集いて参り、ここの光を受けましょうぞ。」12:30
 お願いの儀は目出度く快諾されました。ありがたいことです。祭主とは今日の儀式を執行するだけでなく、今後毎月この白石を大切に奉り、整え、あわ歌を響かせ続けるお役目もあるようです。


 次は鋭き立石と四方の柱をどうするかです。すると直ぐにO農場長が農場に網を回す杭として四本の丸太を用意しているというではありませんか。それを見て確認すると、中山さんはこれで良いといいます。
 後は大きな鋭い石です。すると道路から大和亭に進むアプローチになんと大きな鋭い石が2つ横たわって配置されているではありませんか。立ててみると中山さんはこれで良いと言います。

 9つの火は昨晩T舎長、祭主が名取農場から九曜紋のロウソクセットをこちらに運ぶように依頼していて既に用意出来ています。
 全て今回の儀式のための材料があっという間に揃いました。驚きです。この事を見越して準備されていたとしか思えないことです。そして儀式の開始は午後1時に決まりました。
 早速、白石の南にある石との距離を計測して、北と東に等距離に立石を設置しました。






そして白石の四方、東北、東南、南西、北西に杭を打ち込み、四柱を立てました。


そしてお不動様のお水を汲みペットボトルは白石の手前に、九曜紋のロウソクは白石の上に置き、人工の野菜籠も白石の上の並べて祭壇も仕上がり、全ての用意が出来上がりました。その時間は大和農場に到着してから1時間程です。あまりに用意周到に準備されていて、神仕組、驚きの仕掛けが成されていたようです。


1時5分前には皆さん集合して白石を皆さんで囲み、白石の前に祭主が立ち、儀式の進め方は中山さんから指示がありました。後は始まりの時の鐘が鳴るのを待つだけです。



そして1時丁度に儀式は始まりました。 
 祭主が7拍手を打ち、祭主が「あ〜」を3回発し、続いて全員であわ歌を1唱、最後に祭主が「あ〜」を3回発し、柏手で儀式は終了です。
 四方、八方を整え陣地を作り、火と水の祭壇であわ歌による儀により、白石と祭主に光降り注ぎ、ここに遷宮が成されました。様子を写した写真には白い光のドームが二重に見えます。大きな光が降りていたようです。
 中山さんから、今回のことは遷宮ですよ、とお言葉がありました。この儀によってめでたくこの地が新たな光発する地と定まったようです。


 皆さんで写真を撮り、この儀式に参列できた喜びを共有しました。水は白石にかけられて祭壇は撤去され全てを終わりました。後は大和亭での直会(なおらい)、収穫祭です。それまで皆さんは農作業、昼食の用意の続きに戻りました。





大和亭の1階には二間続の和室があります。奥の和室の西側の木の壁にはT祭主によって儀式の前に祭壇が出来ていました。何故この西面だけが木地の壁なのか不思議に思っていたのですが、祭壇をつくる為にこのように作らされていたのだ、と腑に落ちた次第です。この家をこの地に10年前に建設させ、私達に活用させること、西面に祭壇をつくること、ここにも予め仕掛け、神仕組みをされていて今日の日の為に用意されていたようです。  




 祭壇には陶彩画の「萌」と九曜紋のローソク、農場で収穫した野菜がお供えされています。そこで中山さん、祭主、私と数名で儀式終了の報告をし、あわ歌を歌いました。そこでのお言葉です。
「光を降り来て、この地を肥沃なる皆々の地と成り行かれませ。本日ここに皆々で祝うは嬉しきなり。すなり。ひなり。うなり。新たなる時へ参りませ。」13:30
 ありがたい、素晴らしいお言葉です。この地を肥沃なる地と成していくこと、今日を迎え嬉しいこと。「すなり。ひなり。うなり。」で新しい時を作り進んでいくようです。
 誠にありがたきことが皆さんで出来ました。天と地を繋ぐ人の役割をこの地を通じて果たしていく始まり、開かれました。

 昼食は2時半ごろから始まりました。儀式後の直会、収穫祭です。採れたて野菜を調理して美味しい、素晴らしい料理です。御菓子、果物と盛りだくさんで食べきれないほどの豪華なお祝いの席でした。楽しく歓談してこの新しい宮の始まりを祝いました。




 時間が経つのは早くもう5時になります。最後に皆さんで祭壇へむかってあわ歌を歌い、響かせました。素晴らしい天地人の響き合いでした。その時のお言葉です。
「ありがとうございます。皆々に祀りて頂き、誠に嬉しきこと成り。どうぞ、この地共々に嬉しき地と成し続けましょう。」17:10





最期に祭主からご挨拶がありました。只々感謝の思いの時を皆さんと味わいました。


 今日の全ては終わりました。天も地も人も共に願いが成就した1日でした。皆さんを仙台駅にお送りしてお別れです。これから私達の新たなお役目が始まります。縁する皆さんと楽しく進んで行きたいと思います。
 中山さんとは次回11月30日から「縄文、日高見、アラハバキの旅」が待っています。今回の儀式を踏まえて、日高見の地に新たに起動させる意味ある、楽しき旅になる事でしょう。