何度も訪れる地は多層多重に意味があり、その深層を明らかにして行くことが求められています。そこに古の世界から込められた情報を読み解き、今に繋げ、更には同時多発的に他方にも繋げて起動させる、そのキーポイントです。その地はある意味で、多次元と現次元の接点、扉であり、鏡の様な処と思われます。
今回、今朝から巡り来た、磐神社、冠山蝙蝠岩、丹内神社の巨石群は将に縄文の頃からの情報を記憶し、意識体として、神的な働きを為していたところです。そしてこの胡四王山は天との通信ポイントとして機能していたところの様です。
胡四王神社に付いては以下の記載があります。
「胡四王神社の創建は古く、坂上田村麻呂が大同二年(807)この地に下向した際に、自らの兜に奉じていた薬師如来像をこの神社に安置し、武運を念じると共に四民の息災安穏を祈願した事が起源とされている。四方八方を展望できる立地から、戦や信仰の拠点になるのも理解できる。また考えられるのは、姫神伝承の伝えるものは、早池峰山の遥拝所であるという事でないだろうか。早池峰を本薬師とし、前薬師としての胡四王は、遠野における薬師岳と同じ位置なのだと考える。早池峰山の崇敬の元に早池峰神社が初めに建立され、その早池峰を中心とする信仰(薬師信仰)に従い並ぶように他の神社が建立されていったような気がする。」
神社の少し奥の、いつもの花巻市内、遠く岩手山を望む高台であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「大いなる光は皆へと届きておらるる。暫しの時を、その身をひたすら光と共に過ごし行き、光なる身へ進まれませ。その時参れば、大きなる身は中より現れ出で来て、多くの人導くなり。急ぎて参る。是よりは心得て参られませ。」
又、この胡四王神社は蘇民祭の開催される処です。今回の巡りの最終目的地の黒石寺の蘇民祭は特に有名ですがその他この地方では何か所かで開催されています。その黒石寺には北辰妙見菩薩が祀られていてその大元を動かす事が今回の目的であります。
蘇民祭りとは以下のように記されています。
「蘇民祭(そみんさい)は、岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りである。1000年以上の歴史を持つと言われる。岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財として選択されている。その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市の黒石寺蘇民祭である。
『備後国風土記』の逸文によると「北海より南方に旅をしていた武塔神が人間に化身し、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)と裕福な巨丹(こたん)という2人の兄弟に一夜の宿を求めたところ巨丹はこれを拒み、蘇民将来は快く旅人を泊め粟飯で貧しいながらも精一杯もてなした。それから数年後、妻を娶り子を為した蘇民将来の所に再び武塔の神が現れ、自分の正体が建速須佐之男命であることを明かすと共に茅の茎で作った輪を身に付け『我は蘇民将来の子孫である』と唱えれば無病息災が約束されるであろうと告げた」とされ、この逸話を基に平安時代中期には蘇民祭の原形が出来上がっていたのではないかと考えられている。武塔神の正体も地域により様々で、黒石寺においては薬師如来であったとされる。」
この中で武塔神の正体は建速須佐之男命であり薬師如来であったようです。薬師如来は北辰妙見の本地仏であり、脇侍には日光菩薩、月光菩薩を従えています。そして建速須佐之男命(スサノウ)と言われる存在です。何故この繋がりが起きるのか今一つ分かりません。しかしこの地は蝦夷の首領アテルイの本拠地であり大和朝廷の支配の後に始まっています。
胡四王神社の北側ですぐ近くにある貴峰山光勝寺も蘇民祭が執り行われる処で、蘇民祭五大尊と言われます。旧暦1月7日に蘇民祭が行われる前日の旧暦1月6日の夜には星祭が成されます。何故に蘇民祭と星祭が習合されたのか分かりません。星祭は以下です。
「妙見菩薩を主尊とする『妙見曼荼羅』を本尊として、天下国家や個人の災いを除くために、その年の主な星曜や各個人の当年星(とうねんじょう)と、本命星(ほんみょうじょう)等を祀る修法と祭事を目的とした密教的なお祭りのこと。「星供養」(ほしくよう)、「星供」(ほしく)ともいう。なお、「七夕まつり」も星祭りと呼ばれているが内容は異なる。」
ここでも妙見菩薩の関係が見えます。
お寺の本堂脇の階段を登り山頂近くの五大尊堂をめざします。しかし、足がどんどん重くなり、腰も固まってきます。中山さん始め多くの方がそのエネルギーを感じました。一体なんなのだろうかと思いました。
お堂の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「皆々様方、よくよく聞かれませ。古き時には、この山讃え、大きなる気を頂きて、四方に発する地なりしが、皆々、思いのままに為さりてこの通り。深き思いを分からぬなり。(拍手)
如何に致さん。(拍手)集いて発して光を受けたし。(拍手)
(あいうえお3回)
あ~(拍手)是にて如何に。(拍手)
その身より発する光を受けたり。大きなる北の星へと繋ぎて参られよ。(拍手)
あい分かりたり。是よりはしっかりと発して下され。(拍手)う~(拍手)あ~い。」
この地はかつて大きなる気を発し讃えられていたのが、今は無残な状態です。光を頂き改めて発して下さるようです。胡四王山との繋がりもありそうでです。北の星と繋げる事が願われていますが、星祭が成される処ですから北極星、北斗七星との繋がりでしょう。
響かせ終わり階段を下る時には足も軽くなって来ていました。光が注がれたようで嬉しいことです。
呼石大明神は五大尊から東に10分弱の処にあります。とても分かりにくいところで、境内はかなり荒れています。弁才天を祀る社の奥にご神体の巨石が鎮座しています。この巨石は夜鳴石と呼ばれています。夜鳴石の周辺には、蛇石と呼ばれている石があり、唐櫃石(からといし)とも呼ばれ、横割れ目のはいった石で、石にはたくさんの蛇が住んでいて、その蛇を殺した者には祟りが来るという言い伝えがあります。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/iwa_yobiishi/yobiishi.htm
呼石大明神の謂われは以下の様です。
「今から650年ほど前、無底禅師(黒石町の正法寺開祖)が布教のために奥州へ下り、黒石の地に庵を建てた。庵の近くには沼があり、沼には鎮守の神霊である鎮守姫(お池峰ともいう)が住んでいた。
禅師は、黒石の地を仏法の霊場とするよう祈ったところ、突然沼の土手が破れて水が北上川に流れ出した。そのために鎮守姫は住むところがなくなり、滝田の権現堂山にきて一晩に千の沢をつくって居住の場所につくろうとする。使いの天狗たちを働かせて999沢までつくったところで、夜明けを告げる鶏の鳴き声が聞こえ、鎮守姫は早池峰山の方へ去っていった。
鎮守姫が沢づくりをはじめた際、大石が呼び声を上げた。その声によって山の麓の石まで皆頭を権現堂山に向けたということから、この大石を夜鳴石と称し、これより呼石の地名が起こったといわれている。
要は、鎮守の神であった沼の女神(水の神)が、仏法の教化にやってきた高僧に追立てをくらい、千の沢づくりで抵抗するが、最後の一つのところで、鶏が鳴き夜が明け、仏法に負けて、女神の住みかである早池峰山にひっこんだという話。」
この呼石大明神の鎮座する地は小さな丘のような場所で、呼石大明神は早池峰を向いていて、地図で確認すると、花巻の胡四王→呼石→早池峰は一直線上に並ぶようです。結局はこの地の中心は早池峰山の様です。次回10月4,5日にはその早池峰の地、遠野市を巡りますが楽しみです。
巨石の前であわ歌を響かせました。その時の言葉です。
「まが事なり。光の渦、入いり来るは、永きにわたりて無き事ぞ。嬉しきなり。(拍手)
その身は発して無きが為め。大きなるを発して、光とひとつと成られませ。今より大事なる身なれば、直ちに発し行かれ。(拍手)
新たなる光を今一度。(拍手)あ~(拍手)お~ふ~む。」
この光を頂いた後に、呼石大明神の夜鳴石の前にしつらえてあった鈴をSさんが鳴らしました。それを聞いて誰かが早く逃げろと叫び何人か走り出しました。その途端、土の草陰に鎮まっていた蜂が飛び立ち何人かが刺され、悲鳴と共に駆け出して鬱蒼とした境内から一目散に逃げ出しました。
三人の方が被害に遭いました。痛みと腫れで相当なダメージです。応急処置をして近くのドラックストアで薬を購入して処置をしましたが引けるまで数日間要しました。呼び石の名の通り、呼び起こしてしまったようです。
この呼石はとても大事なところの様ですから氏子の皆さんの手入れが願われます。