2015年11月12日木曜日

508「光と陰8」2015,11,12

 心身満たされて、次の目的地はバルセロナから1時間ほどのカタルーニャの聖地モンセラット修道院です。モンセラット修道院は標高1236mのモンセラット山の中腹に建つベネディクト会の修道院で、この修道院付属の大聖堂に信仰のシンボルとされる「黒いマリア像」が置かれております。
 以下の紹介記事、山の写真を転載します。
「バルセロナから北西約60kmに位置するモンセラット。「のこぎり山」と呼ばれる奇岩群と「黒いマリア像」で有名な場所です。観光地として設備もかなり整っていますが、今でもカタルーニャ地方をはじめスペイン全土からたくさんの巡礼者が訪れるキリスト教の聖地とされています。その意味では、少なくともスペイン国内では、「巡礼の道」として世界的に有名なサンティアゴ・コンポステーラと並ぶ2大聖地と言えるかも知れません。」
マンレーザから望むムンサラート山
まさに奇岩が溢れる山に修道院はありました。



この聖地の歴史等は以下です。
「大聖堂の創設は9世紀。その後11世紀には増設され、15世紀の初め頃にローマ教会から離れてベネディクト派の聖地として発展してきました。
 修道院の豊かな財産、修道士たちの学識、新しい建築様式の導入、後を絶たない熱心な巡礼者たち…当時は大きな権力を有していたと想像できます。しかし19世紀初めに、ナポレオン率いるフランス軍の侵略で大聖堂は破壊されてしまい、その後再建はされたものの、現在残る12使徒のファサードや建物全体は19世紀から20世紀にかけての比較的新しいものになります。
 聖堂内にある「黒いマリア像」は、伝説ではかなり古い歴史を持ちます。その昔、山の洞窟で羊飼いたちが発見し麓まで降ろそうとしたところ動かなかったので、その場に聖堂を建てた、8世紀のイスラム教徒侵略の時は隠されていた、と言い伝えられているのです。ただ実際のところは、黒くなったのは祭壇にあるろうそくのススが着いたのだとされていて、12世紀頃彫られたものと推定されています。」





立派な聖堂ですがあまり感動も無く駆け足で巡りました。しかし、この地こそが中山さんが描かれた5枚のうちの1つの場所だったのです。 そこでのお言葉です。
「隠されたる事、現われ出で来る。その知らせ持ちてくるはコンタローネ。  打ち捨てられたるその事ぞ。」16:19

「いや いや 嬉しき、参り来た。遥かなるへと参り行く。
 その時へ参るは、共々に、うんたりあ、大きく開きて参ります。」




 実はその日の朝、ホテルの部屋で中山さんに以下のお言葉がありました。
「踏み亘り来たるこの地にありて、為し来たりたる事々、全ては是よりの御用意なり。
 新しきへと参るは、この身を全て新しきと成し、ここに現すことなり。
 そのこと真に大きな変化なり。
 多くの方々に、このこと知らせ、真を行い行く真の目標と致したきなり。
 再三申し上げておる、一切無しへと参るとは、この事と皆々様が知りて、それぞれが達する事なり。」5:58

「写しましょう是よりも。
 この身を大きく動かして、篩いて参る事となる。
 はらからなる身を作り行き、まだ見ぬ動きへと変え行く、その事。
 篩う、こと、音の響きなり。」9:48

「大三元と申し来た、この地にありて、元へと参る。
 大きなる三つの元、この事成せば完成なり。
 この身、この思い、この音。
 全ては無しで、漂う響き。」9:52

「さて、ゆる ゆるの三日間
 響きて見せる二日間
 後の二日は如何なるや。
 お楽しみて、為さりて下され。
 うんたりら、はらり。」9:54



 バルセロナには夜に着きホテル近くのレストランに出かけました。食事、ワインをたらふく頂き、ほろ酔い加減です。

帰り道の途中に、ガウディーの改築し建てたこじんまりしたホテル、「カサバトリュ」がありました。ライトアップされて一際、目を引く素晴らしいものでした。後で知ったのですが、世界遺産に登録されている建造物でした。
 

旅行中、ホテルの男性部屋では毎日夕食後2次会が行われていたのですが、私は参加できずに部屋で直ぐに休んでいました。今夜が最後の夜で打ち上げです。今晩こそはと思ったのですが、部屋に戻って洋服のままベットの上で朝までお休みでした。スペイン二次会全欠席です。