目的地はボイの谷です。そこに小さな村の何箇所かには11~12世紀に建造された教会が何箇所もあり、それらの教会群はユネスコ世界遺産に指定されているのです。
1時間ほどのバスの移動ですが、ピレネーから下る途中に空と山と雲などが織り成す素敵な景色が見られました。さらに空には飛行機雲のスケッチです。
そんなバスの中で中山さんに以下の絵がありました。
「絵。(鉄格子の窓、ドア。街並みの道。)」
ボイの谷にあるエリル・ラ・バル村に着きました。そこでサンタ・エウラリア教会を見学し、次にボイ村のサン・ファン(ジョアン)教会を見学しました。
素朴な中世の世界にタイムスリップし、次元を超えた世界を堪能しました。太陽の光と周囲の大自然の中にある存在感、教会内部の異質なストーリーですが、外から見る景色は絵になる世界です。正直なところ、今、日本で思い出そうとしてもどこがどの教会だったのか定かでないそんな遭遇体験です。
なぜこの谷にこれらの教会群が残ったのかというと、イスラム勢力がこの地に及ばず破壊を免れたためです。ですから初期ロマネスク様式の聖堂が9つも残ったのです。
以下の記載がありました。
「ロマネスク様式は、10世紀末から12世紀にかけて中世ヨーロッパで広まった建築美術様式です。その頃アンダルシア地方に住んでいたイスラム教徒がフランスを侵略しようとしていた為、フランス国王が軍事的領地として、イベリア半島の北部(ピレネー山脈の南部)に新しい「領地国」を建国しました。ここを統治したバルセロナ公爵は、人口が増えるようにピレネー山脈の麓に村、お城、修道院、教会などをたくさん作りました。
権力を持っていたオリバ修道院長は、イタリアに出かけて行き才能や腕のあるイタリア人をカタルーニャに招き雇いました。その「アーティスト」達がロンバルディア風の教会や見事な壁画を作ったのです。
ロマネスク様式は、カタルーニャの誕生を象徴しています。」
ロマネスク建築は石を積み上げていくので強度上、窓を作れません。ですからその壁面にフレスコ画が描かれキリスト教のストーリーが展開され、教えの術として活用されていきました。教会の建物の奥には半円形の後陣が作られ、そこは色彩豊かな絵と聖像が配置され、光はかすかな窓明かりと蝋燭などで将に陰影の世界です。偶像崇拝のカソリックの世界です。
その後にアーチ状の建築工法が確立され、ゴシック建築に移行します。それ以降は窓を大きく取れるようになり、そこにはステンドガラスの色彩豊かな絵が物語として語られるようになり、フレスコ画は消えていきます。
サンタ・エウラリア教会ではあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「改め進めて多くの皆と、共々参るは、一つと成り行く是よりを、嬉しき想いで迎えませ。
新しきへと参りましょう。」10:40
サン・ジョアン教会では「あいうえお」を響かせましたが、その時のお言葉です。
「あ~あ~あ~ ソンタ ソンロイェ ソンダルエ~ あ~」11:02