2016年2月26日金曜日

581「同期」2016年2月26日

 時の過ぎるのは早いものです。私は自営業ですので健康で意欲が継続する限り、現役で何らかの形で、自社で社会貢献が出来ます。組織に属して勤務する方々はおのずと決り事の中で定年退職を迎えます。
 
 私は昭和45年に東北大学歯学部に6回生として入学しましたが、前年の東大闘争などの影響で定員40名に入学者は34名で入学辞退者がかなりいました。学内では授業料値上げなど学園紛争が繰り広げられ、川内の教養部はバリケードで封鎖されたり、頻繁に学生集会が開かれ、ヘルメット姿の同窓生が闊歩する状態でした。
 2年間の教養部の締め括りは2月の試験でしたが、試験ボイコットが全学的に実施され、私の歯学部も30名が試験を受けずに、結局その未受験の全員が留年することになりました。私も留年組です。受験した4名は当然、進級できました。私はどうにか教養部3年で学部に進めたのですが、数名は再留年して教養部4年生がおり、そしてやがて退学者もいました。
 学部に進級しての我がクラスは、学部で留年した4年目の方等が数名、私たち45年入学者28名、順調に進級した46年入学者、編入者等合わせて52名の大所帯でした。4年間をどうにか終えて昭和52年に卒業し、国家試験も無事合格でき、私は大学の恩師を慕って歯科保存学の臨床講座に入局して歯科医師としてのスタートを切りました。
 この講座には同級生4名が入りましたが、1名は大学院生のS君で、他の私たち3名は研究生、文部教官助手として勤務をしました。しかし尊敬する教授が東京医科歯科大学に移り、新任教授が同大学から程なく着任しました。しかしいろいろ指導いただいた尊敬する直属の指導教官(助教授)も3年で退職してしまいました。結局、私は人の繋がりが切れて講座内で臨床、研究、教育を継続していく意欲を失い、何の躊躇も無く退職を決めました。おぼろげながら大学での研究者の道を夢描いてもいたのですが、その道は閉ざされました。そして開業医の道を選択し、先輩の医院に勤務することになり、やがて開業しました。

 大学院生として同じ医局に入ったS君は1年浪人して共に45年に入学していますから私より1年年上です。大学院卒業後も母校の講座に残り、39年間にわたり臨床、教育、研究に従事して来ましたが、この3月の65歳で目出度く退官となりました。立場は講師での退官ですが、重要な役割を各所で果たしてきたようです。私も同窓、同級のよしみで開業後も、勤務医の紹介や、患者の依頼など何かにと支援を頂いていました。同級生最後の大学人でしたので、これまでの程良き大学との縁故も終わりです。
 そんなS君の退職記念の講演会、パーティーを東北大学歯学部同窓会で先週の土曜日22日午後に開催しました。久しくS君とも会っていませんでしたし、同窓会の名ばかりの副会長をおおせつかっていますので講演会に参加してきました。
 39年に及ぶ多岐にわたる研究発表には45分間は短すぎるようですが、私にはその道から離れて久しく、やはり私には勤まらない異質な社会だったな、と改めて実感した次第です。彼は良くぞ定年まで、3名の教授の元で、その内、最後は年下の教授の下で勤め上げたものです。ある意味で大学人としての範たる存在です。短気な私なぞは医局で、日頃不和な先輩と喧嘩になり、早々に逃げ出したのですから、向き不向きがあります。
 少し立ち話をしましたが、程良い勤め先も同級生の開業医院で見つかり、第2の人生の始まりも問題なさそうです。しかし、久しぶりに見た彼は相変わらず元気そうですが、それなりの老化は否めず、それもまた人生と感じました。長きお役目を終え、これからの再スタート、実りある人生を歩めることを念願するのみです。
 私は本来であれば、次の退官教授の講演を聴き、パーティーまで出席すべきなのでしょうが、S君の講演を聞いて退席し、次ぎなる会へ向かいました。

 何故か同じ20日は高校の同窓会の講演会が夕刻からありました。高校は青森県八戸高校ですが、宮城県には同窓生が多数いて宮城県支部として組織運営がなされています。今回の講演会の講師が何と私の高校同期、同級生のT君なのです。高校は旧制中学から新制高校へと変わり、私は高校22回生です。彼とは最後に会ったのが20年位前でしょうか、記憶も定かでありません。
 T君はスーパーゼネコンS社の東北支店長で大きな仕事を担っています。49年に大学建築工学科を卒業後、S社一筋に42年勤めています。本来では既に役員定年なのですが、東日本大震災の影響があり、常務執行役員として延長のまま現在に至っています。しかし流石に今年65歳を迎えますので、いよいよ来年3月でお役ごめんのようです。

 1時間ほどのお話は建設業界の概要とS社の創業時のエピソードなど興味深い内容でした。最後にS社の2代目が、明治の経済金融の指導者渋沢栄一氏の邸宅を建築したのですが、その建物を平成3年に成って青森県三沢市小牧温泉に移築されましたが、その解体、移築工事の記録映像を見せていただきましたが驚きの世界です。明治の名工、巧みの世界、それを復元する現在のスペシャリスト達です。
 業界では熟練工の高齢化、人材不足は深刻な問題のようです。震災復興についてもいろいろ話がありましたが福島の原発関連はまだまだ道遠き、の感じです。彼は阪神淡路の震災でも復興に関与したようですが、その時と今回は別次元のようで長期の復興は否めないようです。
 講演会の後は懇親会で皆さんと和気藹々、楽しく歓談し過ごせました。2年前に私もこの会で講演をさせていただきましたが、特別な時しか顔を出さない隠れ会員です。でも2年前にお伝えした真向法体操をあれ依来、継続していて体の調子が良いとお声を掛けてくださった先輩もいてそれなりにお役立ちしている感じです。
 この会ではT君含め同級生が3名でしたが、86歳の大先輩も元気に出席していて私達はまだまだ若造の同窓会です。
 同じ日にS君、T君と私の同期の桜が2つ花開いた様です。どちらにも参加でき、これは稀なること、喜ばしきことと一人悦に入りました。それぞれの軌跡、時間は、懐かしくもあり、また己の道をこれまで通り楽しく淡々と歩む各自であれと、淡き想いでそれぞれにエールです。