今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月01日「大事なものは見えない」と2020年11月11日「運がいい人」の2つの記事を紹介します。
「大事なものは見えない」
今日は「大事なものは見えない」ということで、
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」からご紹介します。
相手を立場や経済力などの外面だけで判断せずに、大切な一人の人間として認め合い、
助け合って生きていきましょうというお話です。
私たちは、この地球に働きに来た訳でもなく、お金をもうけに来た訳でもなく地位や名誉を得て、威張るために来たのでもなく、大きな家に住み、大きな車に乗って自慢するためでもありません。
人と人、人と動植物、自分以外のありとあらゆるものと心の交流をするために、地球に来ました。時にはぶつかり合うことも、罵り合うこともあるでしょう。
思いやりや、愛、笑顔によって、心の豊かさを知る時もあるかもしれません。
それらは人生に起こる、様々なドラマによってもたらされます。
泣いたり、笑ったり、愛し合ったり、憎しみ合ったり、日々の生活の中で、
すれ違う人々でさえ、大切なご縁のある方です。
<引用開始> 引用元
私の出身校である東京の武蔵野の私立の小学校には、当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていました。
入学してすぐ担任から言われたことの一つは、
「校門を通る時、男の子は、
必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度で挨拶しなさい」ということでした。
6年間、これを続けている間に、いつしか習慣になり、これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、社会を出てからでした。
土の中の水道管
高いビルの下の下水
大事なものは表に出ない
・・・・相田みつを
私が、今も職場で特に目立たない働きをしている人たちにあいさつするのは、たぶん、小学校で身についたことなのです。
学生たちにも、
「お掃除や草取りしていてくださる人たちにごあいさつするのですよ」といっています。
「給料を払っているのに、挨拶したり、ありがとうという必要はないでしょう」
という若い教師も、いないではありません。それは大きな考え違いです。
あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。特にあいさつしてもらうことの少ない人たちに、あいさつは、「あなたは、大切な人なのですよ」と伝える最良の手段であり、お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、かけがえのない機会なのです。
<引用終了>
目立たない仕事をしている人へのあいさつは、大切なことですね。
私たちはお互いに
「おかげさま」で生きているのですから。
花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根は見えねんだなあ
・・・・相田みつを
私たちは、つい目立つ綺麗な花だけを見てしまい、
それを支えている根のことを忘れてしまいがちです。
ですが、最後の結果である、その美しい花を咲かせるために、
見えないところでどんなに大切な働きがあったことか。。
葉があり、茎があり、そして大切な根も頑張って働いています。
一世代前には、花を咲かせ種をつけ、朽ち果ててくれたからこその、今の命です。
人間も同じですね。
どんなにお金をかけて、飾り立てようと、どんなにその場だけ取り繕おうと、
どうしても見えない人間性というものが染み出てしまいます。
人間にとって根っことなるのは
・相手を思いやる気持ち
・笑顔
・感謝の気持ち
・お陰さまの気持ち
・助けいあいの気持ち
これらで、日々どれだけ生きていたか・・に寄るのかもしれません。
どんなに地位や名誉、お金を得ようとも、おごり高ぶらずに、
目立たない人や、弱者に対する共感は大切なことです。
ちゃんと相手を認め、相手を尊重し、差別せず、大切な一人の人間として接する心を持ちたいものですね。
「運がいい人」
今日は、久しぶりに斎藤一人さんのお話です。「運がいい人になるには」というテーマです。
<引用開始> 引用元
舛岡はなえさんの「斎藤一人 人生ぜんぶハッピーラッキー」の中から、ひとつの面白いエピソードをご紹介します。舛岡さんは、あるとき前から疑問に思っていたことを一人さんに尋ねます。それは、「すごくいい人で幸せだった人が、あるときから、幸せでなくなるのはなぜですか?」ということです。
一人さんは、「理由はひとつ、でも、この話を信じてくれる人は、1万人に1人もいればいいほうなんだよね」などと言って教えてくれます。
なんだと思いますか?
「いい人で幸せだった人が、幸せでなくなるのは、自分が神様に愛されているって思っていないからなんだ。本当は、人はみな神様に愛されているのにね・・・」
普通の人は、何か問題があると、
・あれが悪い、これが悪い、と悲観的になりがちです。
・お前が悪い、あいつが悪い、と誰かを責めてしまいます。
・自分は不幸だなぁ、運が悪いんだと思い込みます。
でも、神様から愛されていると思っている人は、何か問題があっても、落ち込むほど悲観的にならないし、誰かを責めることもまずありません。もちろん、その人にも何らかの問題は必ず起こります。ただ、それは神様からの試練だと受け止めるんですよね。
それは、
・必ず乗り越えられるし、
・乗り越えれば必ずもっとよくなる。
神様はそんな試練を与えてくれたんだって思うわけです。だって、神様から愛されているんですから・・・神様が自分に嫌がらせをするわけがないんです。
神様が自分を成長させてくれるために試練を与えてくださったのだから、むしろ感謝します。
さて、あなたも何かいま、問題をもっていますか?問題を持っていない人なんて普通いないと思います。ただ、その問題を
・悪いものだとネガティブに考えているか、
・その問題でよくなれるとポジティブに考えているか
の違いがあると思います。
繰り返しますが、「自分は神様から愛されている、だからその与えられた問題を通して、もっとよくなれる」と考える人は、多少辛いことがあっても、自分は不幸だとか、運が悪いとは考えないんです。
むしろ、神様から愛されている自分は、今もこれからもずっと運がいいんだと思っています。
あなたもぜひ、自分は神様から愛されていると感じられる、10000人に1人の人になって下さい。
次の言葉は一人さんが、舛岡はなえさんに教えた、運が良くなる言葉です。
何か問題があったときは、この言葉を何度も唱えるといいそうです。
「これでよくなる。だからよくなる。さらによくなる。」
たったこれだけです。試してみるといいですよ。
<引用終了>
斎藤一人さんは、いつもわかりやすい言葉で真理を伝えてくれています。私たちが、今この世に生まれてきている以上、誰一人、神様の承諾なしに、生まれませんから、皆が一人残らず神さまに愛され、祝福されています。「幸せになるんだよ」と送り出されました。
天国にいる時、神様と一緒に考えた幸せとは
・大きな家に住むことでも
・大金持ちになることでも
・美しい容姿になることでも
・病気一つしない健康な身体になることでも
ありませんでした。 かえって、その逆の苦しい環境に身を投じ
・真の心の幸せ、
・美しい心
・人々との、優しさ、思いやりの交流
を手に入れることかもしれません。
なぜなら、艱難、苦難、孤独、逆境こそが私たちの魂を磨き、輝かせてくれるからです。それらを通じ、「感謝の心」を芽生えさせた時、私たちは、真の意味で、神様に喜ばれ、天の国に迎え入れられることでしょう。
無名戦士の詩より、ご紹介します。
大きな事を成し遂げるために、力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。
偉大なことができるように健康を求めたのに、
よりよきことをするようにと、病気をたまわった。
幸せになろうと、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。
求めたものはひとつとして、与えられなかったが、願いはすべて聞きとどけられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず、心の中の言いあらわせない祈りは、すべてかなえられた。
私はもっとも豊かに祝福されたのだ。