2022年2月28日月曜日

2622「太陽、食糧、そして準備」2022.2.28

今回はIn Deepの2022年2月24日「太陽、食糧、そして準備」の記事を一部抜粋して紹介します。


「食糧の危機、そして今後数年の太陽活動への懸念」

まあ、なんかいろいろですね(何だよその始まりは)。

数日前でしたか、ロシアのプーチン大統領が、ウクライナ東部の 2つの分離派支配地域の独立を承認したと報じられてから、いろいろとかなり激しく価格が上がってきていました。食糧とかエネルギー系とかですね。

今日ボーッとアメリカの小麦の先物価格を見ていましたら、お昼頃、数分の間に突然さらに急上昇していまして、「なんだこれ?」と思ってニュースを見ましたら、「ロシア軍、ウクライナ侵攻 プーチン氏、軍事作戦発表」というような報道が流れていました。「ここまで価格が上がっていたのに、実際に紛争戦争が始まるとまた上がるものなのだなあ」と思いましたが、以下はアメリカの小麦先物価格の 2月の推移です。長期の推移ではなく、3週間とかのものです。

3週間くらいで100ドルくらい上がっていたのに、昨日からだけで、また 100ドルくらい上げました。

 

investing.com

(報道) 小麦世界輸出の30%を占めるロシアとウクライナの緊張の中、アメリカ小麦先物価格が過去10年で最高に (2022/02/24)

アメリカの商品市場のサイトには、昨日までの小麦価格の状況として以下のように書かれていました。

小麦

シカゴ小麦先物は、世界的な小麦の生産地であるロシアとウクライナの間の緊張が高まる中、供給不安で 9年ぶりの高値 863.5 米ドル / Buに急騰した。ロシアとウクライナが世界の小麦輸出の約 30%を占めているため、この地域での紛争は、すでにタイトな市場から重要な供給を奪うことになる。

さらに、世界で 2番目と 3番目に大きい輸出国であるアメリカとカナダの小麦在庫が少ないことが上振れリスクに加わった。

 

カナダの小麦の総在庫は、平原地帯の農場での干ばつにより収量が低かったため、2021年末の前年比で 38%減少した。アメリカで 2月3日に終了する週の売上高と輸出は合計 1730万トンで、これは、アメリカ農務省の予測である 2205万トンよりも 21%少ない。アメリカも干ばつにより生産を下げた。 (tradingeconomics.com)

ロシアとウクライナを合わせると、世界の小麦輸出の 3割も占めているようなんですね。

米エポックタイムズの記事によると、ロシアやウクライナの小麦は、主に中東やアフリカに輸出されているそうで、ウクライナは、東南アジアや中東などに多く輸出されているそうです。

日本の場合は、日清製粉のウェブサイトによれば、アメリカからが 約 50%、カナダからが 34%、オーストラリアからが 17%、というようになっていましたけれど、先ほどの商品市場のサイトによれば、カナダは 4割の生産量減少で、アメリカも 2割ほどの減少となっている上に、先ほどのようなアメリカの小麦先物価格などを見ていると、どこの国から主に輸入しているとかはあまり関係ないという今後の混乱が予想されます。

仮にロシアでの小麦生産が順調であっても、ロシアに対して「経済制裁」とか実際に述べていた国を、後からロシアが救済してくれるようにも思えません。

食糧先物の価格は、もう全体的に激しく上がっています。

トウモロコシなんて、この3ヶ月で相当上がっていたところに、ウクライナ云々で、ピョーンと飛び抜けた価格になっています。

過去3ヶ月の米トウモロコシ先物価格の推移

 

investing.com

どの商品だ、どの作物だということではなく、石油とかも含めて全体としてこんなことになっていまして、「じゃあ今のウクライナの問題が落ち着けば価格は落ち着くのか」というと、何となくそれも考えにくいところです。地政学的にいろいろと変化もあるでしょうし。

すぐに何がどうなるわけではないにしても、食糧と物資の不足は今後相当問題となっていくのではないですかね。

特にアジアの農業生産が少ない国々では、かなり考え抜かれた政策がない限り、年月と共に厳しくなっていくものと思われます。 

まあ……「準備」というのは、それぞれご各自の考え方に依存するものですので、何がどうこう言えるものではないですが、今後の展開次第では、いろいろとなかなか厳しいことになるのかもしれません。

今回は、米エポックタイムズの食糧問題の危機についての報道(ロシアの軍事作戦承認以前の記事)をご紹介させていただくと共に、先日、メルマガで書きました、

「太陽活動についての準備」というものの一部もご紹介させていただきます。

先週、太陽の「裏側」で非常に大きな爆発的なコロナ質量放出(CME)が観測されました。以下の記事で取りあげています。

[記事] 太陽で長さ40万キロメートル以上におよぶ記録的なコロナ質量放出(CME)の大爆発が発生。幸い地球の方向には向いておらず 地球の記録 2022年2月17日

その爆発が、今まで十数年くらい太陽活動を見ていた中で、個人的には「最大」のように見えまして、ちょっとハラハラしていました。

その後、ヨーロッパの欧州宇宙機関 (ESA)のウェブサイトで、この爆発あるいは噴出が、

「太陽衛星での観測史上で最大」だったことが発表されました。以下の記事で取りあげています。

[記事] 巨大なコロナ質量放出を発生させたプロミネンスは「太陽観測史上最大の爆発」だった 地球の記録 2022年2月22日 

その観測史上最大の爆発を起こしたかもしれない黒点が、2日ほど前に地球に向いてきました。「どんな大きな黒点が来るのだろう」と思っていましたら、「全然ちっちゃい黒点だった」のです。現在、スペースウェザーも、「この黒点から太陽フレアが発生する可能性はほとんどない」と発表しています。

しかし、私は、それだけに、やや不穏な感じがしまして、確かに黒点というものは、崩壊するときには急速に小さくなって消えていくものなのですが、「史上最大の爆発を起こした黒点が 3日でほぼ完全に崩壊?」ということが、どうも納得できず、「あの爆発は黒点ではない領域から発生したのではないか」という気もしています。ハイダーフレアという現象など、太陽黒点以外からの爆発はそこそこあります。

あるいは、仮に、現在の「小さな黒点」からあの爆発が発生したとするなら、また、いつそのような「黒点の急激な発達と爆発」が起きるかわからない、というようにも思っています。

そのこともありまして、太陽フレアやコロナ質量放出などの「巨大なやつ」の地球への直撃があった際の、精密機械などの保護の仕方等について書いた部分をご紹介したいと思います。多くが 10年以上前にブログ記事にしたものでもあります。

では、まずは、食糧の近い未来に関するエポックタイムズの記事です。

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ロシアとウクライナの危機が世界の食糧供給を脅かしている。小麦、トウモロコシの供給「途絶」が予想される

Russia–Ukraine Crisis Threatens Global Food Supply; Wheat, Corn Supply Disruptions Anticipated  theepochtimes.com 2022/02/22

緊張が高まっているロシアとウクライナの危機は、世界の食糧供給を危険にさらすと共に、食糧不足を引き起こし、食糧価格をさらに上昇させる恐れがある。最も影響を受けるのは小麦、トウモロコシ、ひまわり油などだ。

ロシアとウクライナを合わせると、世界のひまわり油の輸出の約 80%、世界の小麦の輸出の 29%、トウモロコシの世界の供給の 19%を占めている。

小麦とトウモロコシは多くの国で主食であるため、これらの不足は特に問題となる。米国の小麦先物は 2月3日の安値を付けて以来、9.72%上昇しているが、米国のトウモロコシ先物は同期間に 9.34%上昇している。

ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、ウクライナの 2つの反政府勢力地域を独立国家として宣言し、これらの地域の「平和を維持する」ために軍隊を派遣し、米国からの批判を集めている。

英国はすでに行動を起こし、3人のロシア人個人と 5人のロシアの銀行に制裁を与えた。EUと米国は間もなく独自の制裁措置を講じると見られている。

ロシアとウクライナの戦争による食糧供給の混乱に最も苦しむのは、中東、北アフリカ、そしてアジアとなるだろう。

2021年のロシアからの小麦輸出の約 70%は、アフリカと中東に向けられた。2014年にロシアがクリミア半島を占領する前の 2か月で、小麦の価格は 20%急騰した。

世界の 14か国が、小麦消費量の 10%以上をウクライナに依存している。レバノンは小麦の 50%を、リビアは 43%を、マレーシアは 28%を、インドネシアは 28%を、リビアは 22%を、バングラデシュは 21%を、エジプトは 14%をウクライナから輸入している。

ウクライナの今年の穀物輸出は 5,600万トンに達すると推定している。輸出の多くは黒海の 2つの港を経由する。この地域は、軍事紛争の場合に混乱が生じる可能性がある。一部のバイヤーは、戦争の勃発が荷積みの長期の遅延につながることを懸念し、すでに他のサプライヤーに船舶を転用し始めている。

シンガポールのトレーダーはロイター通信に対し、「戦争リスクのため、船は黒海への侵入を避けている」と語った。

ウクライナ穀物協会の会長であるニコライ・ゴルバチョフ氏は、「供給の混乱はすでに起こっている」と述べ、黒海地域からのトウモロコシと小麦の輸出が途絶えると、トウモロコシと小麦の価格が 20〜 30パーセント急騰する可能性があると考えている。

影響を受ける可能性のあるもう 1つの主要作物は大豆で、同じ農地でトウモロコシと競合する傾向がある。トウモロコシと大豆の高値は、これらの品目を含むいくつかのパッケージ製品にも影響を与えると、Teucrium Trading の社長兼最高投資責任者は語った。

「南米の悪天候のため、大豆の供給は急速に逼迫している。つまり、この春、北半球でより多くのbれらの作物を購入するためには、トウモロコシと大豆の両方の価格が、値上げを通じて互いに競争しなければならなくなるだろう」と彼は言う。

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ここまでです。国や地域によっては、来年などにかけて飢餓的な危機に見舞われる場合もあり得るかもしれません。

 

ここから、太陽についてのメルマガからの抜粋です。

なお、パソコンやスマートフォンなどの精密機器などを保護する理由ですが、仮に何もかも電力網が大規模に破壊されて、長期間復旧されないようなひどい太陽嵐なら、確かに精密機器など温存していても仕方ないのですが、「少しだけひどい太陽嵐」の場合、たとえば、電力網の復旧が数日や数週間で行われるもののような場合、「電力が復旧しても、スマホやパソコンを含むご自身の精密機器がすべてダメになっている」という可能性があるためです。

そして、そういう強い太陽嵐の直撃を受けた状況の「後」はどうなっているかということもあります。

普通の状態でしたら、「また買えばいいや」となるのですが、あらゆる店舗にある精密機器は起動さえできない状態になっている可能性があり、そして、さらには工場という工場のすべての精密機器と、その部品が太陽嵐による磁気の直撃を受けて破壊されていた場合、「新しい機器を買えない」という事態が起こり得ます。

そもそも工場の、特に精密機器やその部品を作っていたような工場の操業再開がいつになるかも目処が立たないとも思われます。

精密機器の保護は、仮に電気が復旧して、通信や携帯網が復活しているのに「機器が手に入らない」ということを避けるためでもあります。

自動車が完全に使えなくなりますので、動けない場合の救助などの要請で通信手段の確保は重要になる場合もあり得ます。

1989年のカナダのケベック州での太陽嵐では、電力網の復旧に数ヶ月かかりましたが、これは国家が復旧をおこなってこのような期間がかかっていたのですから、民間の個々の復旧はさらに時間かかる可能性があり得ます。では、ここからです。

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In Deep メルマガ「巨大な太陽フレアの懸念に直面する中で、今後数年に向けての準備のおすすめ」より  2021年2月18日

まだ現状では(※先ほど書きました、太陽の裏側の爆発を起こした黒点)に、懸念が存在するのかどうかは定かではないのですが、「万が一の時の対策」を少し書かせていただこうと思います。

というのも、10年くらい前までは、巨大な太陽フレアが発生した際、あるいは高度での核爆発(EMP)が起きた場合、どのようなことになるかということをよく書いていたのですが、

最近は、コロナのこともあり、あまり書いていませんでしたので、ここでは「太陽フレア対策」を再度書いておきたいと思います。(以下一部省略)

スーパー太陽フレアは何をもたらし得るか

コロナ以来、太陽のことはあまり書いていなかったのですが、

比較的最近の記事として、2020年12月の以下のものがあります。

[記事] 巨大な太陽フレアが「グレートリセット計画をリセットする日」

この「グレートリセット計画がリセットされる」という意味は、「グレートリセットの概念の多くが電気がベースとなっているテクノロジーに依存しているから」です。

超巨大な太陽フレアは、電気文明を根本から破壊します。

先ほどの記事にも書いていますが、「経験したことのないような」大きな太陽フレアの地球への直撃があった場合、以下のようなことが想定されています。 

[超巨大な太陽嵐が地球を直撃した際に想定されること]

・電力送電網の破壊による完全な停電(短期の復旧は見込めない)

・通信(電話、携帯、インターネット)の崩壊

・放送網(テレビ、ラジオ)の崩壊

・コンピュータに依存するシステム(軍事、銀行、医療、すべてのインフラ)の停止

・移動手段(車、電車、航空機等)の停止(短期の復旧は見込めない)

・物流、食料供給の停止

 

このようなものですが、普通に生活している中での身近なものとしては、まず、「携帯やスマホを含む通信手段が全面的に崩壊する」ことと、「すべての車が動かなくなる」ということを目にするのではないかと思います。今の自動車は電子機器そのものですから、瞬時に完全に機能しなくなります。自動車を守る方法は残念ながらありません。

医療も崩壊します。今の時代に「電気ナシ」で診察、治療できるお医者様はほぼいません。

大きな病院では自家発電装置を持っている場合もあるでしょうが、それらは「自然災害」には即応できるものであっても、おそらくはほとんどの発電装置が、「太陽嵐の直撃には対応していない」と見られます。

あまりにも巨大な太陽フレアが発生した後は、現代的な文明システムがすべて崩壊する可能性さえあります。厄介なのは、太陽嵐による停電は、「非常に復旧しづらい」のです。

単なる停電とは異なり、あらゆる電気・通信インフラ設備そのものの「根本的な破壊」が起き、超高電圧変圧器と呼ばれる送電網が破壊された場合、完全に復旧するには何年もかかる場合があります。(以下一部省略)


《2010年のアメリカのブログ記事より》

「電磁パルス(EMP)攻撃や太陽フレアでの磁気嵐発生後のコミュニケーションの方法」

太陽フレア等で地球に大規模な電磁波障害が起きた場合の通信手段やコミュニケーションの方法の準備について議論してみたい思う。

巨大な太陽フレアなどが発生して、すべての電子機器がダメージを受けた後、

どのように通信する手段を確保するということについてふれる。

1. 鉛筆やペン

2. CB無線またはUHFラジオ

簡単なファラデーケージ(導体に囲まれた箱)に入れることによって、

磁気嵐の被害が起きる前に保護することができる。

3. インターネット

多くの人たちの意見では、巨大な太陽フレアの直撃を受けた後には、インターネットのサービスプロバイダがダウンしてしまうとしているが、今の時点でプロバイダ各社が「太陽フレアの際の復旧手段」など、準備を進めているのであれば、速くサービスの復旧もできるのではないかと考える。なので、太陽フレアが発生しても、復旧後にメールやビデオ送信での救助を求めることができるようにするために、いつも使っているノートパソコンやスマートフォンなどをファラデーケージで保護してほしい。

4. エネルギーの確保

電磁パルス被害の後、政府の電気供給復帰をただ待っているのはよくない。

いつでも、あなた自身で獲得できて、再生可能なエネルギー源を持つべきだ。

太陽パネル、風力発電などの用意できる人はそれでもいいし蒸気やリフレクト板を使った自己流の方法もあるかもしれない。

その他に下のようなものの準備もしておくべきだろう。

・食料

太陽フレア災害下では、冷蔵庫や車は使えないと考えたほうがいいので、すべての電子制御機器が不要という意味での食料備蓄が必要だ。

・飲料水

給水のほとんどは電気制御であり、また、都市では集合住宅やビルでの揚水ポンプ等も電気を必要とするので、巨大な太陽フレアの直撃を受けた場合、都市部では飲料水を手に入れることは難しくなる。

・機器を保護する道具

電磁波が電子機器に達することがないように、できれば、ファラデーケージに電子機器を入れて保護する。

たとえば、予備の電話(有線)、タブレット、短波ラジオ、ノートパソコン、携帯用のハードディスク、ビデオカメラなどだ。https://bit.ly/3gPhRaM(以下一部省略)

準備として「もっと大事なこと」があります。

さきほどの「通信手段の方法」のブログ記事に参考として書いていることです。

それは、フレアによる磁気嵐が地球に直撃する前に、「家庭内のすべての電気製品の電磁パルスのループを断つ」ことです。電磁パルスのループを断つ、と書くとわかりにくいですが、「電磁の流れのルートを完全に断つ」ということです。

具体的には、難しいことではなく、以下のようなこととなります。

・携帯電話、ノートパソコン等から電池(バッテリー)を抜く

・電子機器のコンセントをすべて電源から抜く

・テレビ等へのアンテナを抜く(切断する)

などです。電池の入っているもの、バッテリーの入っているもの電池を抜きます。

あと、通信のための非常用電源の確保については、災害用などにモバイルバッテリー等を持つ方もいらっしゃると思いますが、それもファラデーケージなどで保護しないと使えなくなります。ですので、小さなファラデーケージにも入りやすい小さなモバイルバッテリーなどもいいかもしれません。最近のモバイルバッテリーは比較的お安いです。(一部省略) 

最初に書きましたように、今回の太陽黒点への心配は、私の杞憂だと思いますが、問題は、今後数年で、「太陽活動は今後さらに大きくなる」ということで、以下のブログ記事にも書きましたけれど、「近年で最大の太陽活動になる」という予測もあるのです。

[記事]…米国の政府系研究所が「太陽活動周期サイクル25は近年最大のものとなる可能性がある」と

アメリカ国立大気研究センターの研究者は以下のように述べています。

> 太陽活動周期サイクル25は、太陽黒点の記録が始まって以来、

> その活発さにおいて上位に匹敵する規模になる可能性があると推測される。

太陽黒点の記録が始まったのは、1700年代です。

この研究者たちは、「過去数百年で最大規模の太陽活動となる可能性」に言及していたことになります。

ですので、今回の太陽黒点が巨大なフレアを発生させなくとも、「この数年内に巨大フレアの直撃がいつかは起きる可能性が、少しある」ということです。

ないかもしれないですし、あるかもしれない。「あった場合」に対しての準備という感じですかね。今は多くの人たちが、地震や台風などに対しての備えをしていますが、太陽フレアへの備えも考える時期なのかもしれません。


2022年2月27日日曜日

2621「因果応報」2022.2.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月22日の記事を紹介します。


「因果応報」


21世紀に入ってから、ずっと日本は「一億総いじめ社会」などと言われ

・不寛容な社会

・殺伐とした社会

・陰湿な社会

が出現していました。

それが、2011年の東日本大震災、

そして今現在起きている「コロナウイルス」をきっかけとして、

この冷酷な心が、少しづつ溶け始めています。

大きな犠牲のもと、神々がそう仕向けたのです。 

このいじめ社会の中では、自分以外の他人の言葉や、行動に、

寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざし、 

その雰囲気に付和雷同した人々とともに、 

相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。

非難する側は必ず「正義」を振りかざします。

正義感を隠れ蓑に他人を傷つけて、楽しむ心理があるのかもしれません。

今日は、人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか? 

斎藤一人さんが非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 


人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、 

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。

悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、

同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。


そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、 

今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。


自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、 

あなたではありません。

 


それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合、

悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし

「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」

という気持ちでいると、あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。

それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。

神さまの仕事です。

<転載終了>


よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、

同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、それを心に留めず、受け流し、

受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、 

ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、 

離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、

 一人さんの仰る方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。

さて、みなさん、世界中に巻き起こっているパンデミックの嵐の中

心をざわつかせていらっしゃる方も多いかと思います。

  

この言葉ご存知ですか? 

「断じて行えば、鬼神も之を避く」 

断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。 

と言うことです。 

私は、これを 「ありがとう」の言葉を常に口にして、 

感謝の心で生きている人のことだと思います。 

「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、 

どんな人が、

・蔑み(さげすみ)、

・陥れ(おとしいれ)

・危害を加え

・足を引っ張る 

ことができるでしょうか?

また、神々が破滅の運命にひきづりこもうとするでしょうか?

これから先に、何が起こるのか誰もが不安ですが、感謝の気持ちでいる限り、

どのような運命に置かれようと、必ず助けが来ることでしょう。

神々がなさることに安心して身をゆだね、身近な周りの方々と

笑顔と思いやり、お互い様の気持ちで生きていきたいものですね。

14世紀、今で言うところの「最初のグローバル化」と呼ばれる時代、

シルクロードを旅する商人たちが、中国からもたらしたペストは、最初イタリアとフランスを襲い、続いてイギリスに到達して、全ヨーロッパに広がりました。

ヨーロッパの人口の半分がその過程で死亡していますが、

感染症の深刻な流行がもたらした予想外の結果として、

社会が激変し、ルネサンスが起こりました。

特に西ヨーロッパでは、ペストによる労働力不足が、封建秩序を強制終了させました。

この大災害を乗り越えた後、世界は今までとは全く違う景色を見るのかもしれません。


2022年2月26日土曜日

2620「悪い予感」2022.2.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月21日の記事を紹介します。


「悪い予感」


私たちの内に居らっしゃる神さま・・・ 

自然科学者の方々などは、これを「サムシング・グレート」と呼ぶこともあります。 

昔の人は「天の意思」などとも呼んでいたようです。

また最近では、トヨタ自動車の豊田章男社長が、 

トヨタグループは、トヨタの創業の精神たる「豊田綱領」に立ち返ろうと全社員に呼びかけましたが、豊田綱領の5番目にこう書かれています。 

神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為なすべし

あの大トヨタも、神仏の存在を信じ、敬い、感謝の日々を送ろうと、呼びかけています。 

神様は、私たちの内にもいらっしゃいます。

この内なる神様は、いつも私たちとともに居り、 

・私たちの体調や、

・考えること、

・感じていることなど

全て把握していらっしゃいます。

  

そして過去に何が起こったのか、これから誰に出会い、

何が起こるのかも知っていらっしゃいます。

それは今世の話だけでなく、前世、来世のことまでも知っていらっしゃいます。 

身体については、細胞レベルまでも、その調子を把握していらっしゃり、 ホルモン、リンパその他の分泌や他の組織との連携までコントロールしてくださっています。

ですから、私たち以上に私たちのことを知り、愛し、慈しんでくださっています。

私たちが苦難の中に在る時はなおさらのこと、

大きな祝福を持って共に歩んでくださっています。 

もし神さまを把握するのに形が必要であれば、

ご自分の信じる姿になぞらえても良いかもしれません。

イエス、ブッダ、天使、菩薩、如来、観音様など・・様々ありますね。

私の場合は、形あるものではなく、「神さまの意識」として認識して、お話しています。 

動物、植物、その他に話しかける時もやはり、相手の「意識」との会話です。

  

最初の内は、勝手に一人、話しかけているしかありません。 

もしかしたら、その会話は「一人芝居」のような会話かもしれません。 

ですが続けているうちに、頭の中に閃く語彙(ごい)が、

自分の頭の中には無かったものが出てくることがあります。

(自分の辞書にはない言葉) 

そんな時は、少しコミュニケートできた時かもしれませんね。

さて以前 「行列のできる占い師」 でも書きましたが、

「悪い予言・予言」は全く信じる必要が無いと言うことがあります。 

同じように小林正観さんが仰っていた言葉に、

自分の直感でも、悪い予感は信じなくてよい。 

というものがありますが、私の経験から、これも真実のようです。 

自分の直感に従いなさい。

そう仰る方も多いようですが、「嫌な予感」「不安」は、「直感」ではなく、

ただの「勘違い」であるからです。  

直感、第六感と言うものは、宇宙や自然界、そして内なる神さまから閃き

という形でもたらされるものですが、

神さまや宇宙は

・私たちの気が落ち込むもの

・元気を奪うもの

・勇気を萎えさせるもの

・絶望的なこと

・不安にさせるもの

を私たちに、決して与えないからです。 

もし、それらが情報として私たちにもたらされたら、正観さんが仰るように、

それは聞く必要が無い情報です。 

即、不採用にしましょう。 

その情報によって、心を不安の海に沈めてしまうことの方が、まさに悪魔の喜ぶ結果です。 

良い直感だけを信じ、心を明るくし希望を持ち、愛や優しさを持って突き進みましょう。

私たちの心の状態こそが、私たちを取り巻く全ての現実を作るからです。 

内なる神さまからは、実は毎瞬毎瞬、私たちにメッセージが来ています。

 

それは全て私たちに希望を与え、「心配しなくても大丈夫」のサインです。 

宇宙や神さまから来るメッセージ、閃き、直感に「悪いもの」はなく、

・嫌な予感

・不安

は「直感」ではなくて、ただの「勘違い」です。 

どんなに辛い状況に置かれていようと、それは私たちが生まれてくる前に既に決めて来た状況であり、偶然や、何らかの選択の失敗によってもたらされた状況ではありません。 

自分で決めて来たことです。

魂を輝かせるための砥石の役割をしています。

ですから、絶対大丈夫なようになっています。 

どうぞ勇気と希望を持ってください。 

心の状態こそが、私たちを取り巻く環境を作っているのですから。



2022年2月25日金曜日

2619「心卑しき人」2022.2.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月20日の記事を紹介します。


「心卑しき人」


今日は、「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な、

渡辺和子さんの名誉息子であり、放蕩息子の保江邦夫さんの著書

「置かれた場所で咲いた渡辺和子シスターの生涯」

からご紹介します。

保江 邦夫(やすえ くにお)さんは、日本の理学博士。

専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県出身。

ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。

また臨死体験者としても、よく知られています。

この本の中で、保江さんは、渡辺和子さんのこんな言葉を紹介しています。 

非常に強い言葉です。

<引用開始>


人間に上下はありません。しかし、人格に上下はあります。

これは、渡辺さんが半世紀以上も尽くされた大学、

そしてそれよりも長い年月を過ごされた修道院、

その中で、ご自分の社会的交流の範囲において、平気で人を裏切ったり、だましたり、

あるいは二枚舌を巧みに操って、人を落としめてまで

のし上がろうとしたりする愚か者たちに、狙われなかった日は皆無でした。

そんな亡者たちとの無益な闘いに明けれる、

過酷な境遇に身を置くという、神様が与えてくださった試練の中にありながら、

シスターは人々を勇気づけ、元気づけるというご使命を、

片時も忘れることはなかったのです。

そして、だれの助けもないまま、おー人で愚か者たちに抗しているとき、

シスターから放たれたのが、 この言葉だったそうです。

そのときのシスターのお顔は常のような、どこまでもお優しい聖母マリアの表情ではなく、

まるで悪を射貫くような 強いまなざしで、

遠くを見据えていらっしゃったことを、はっきりと覚えています。


「置かれた場所で咲きなさい」に代表される、人を勇気づけるシスターの言葉の数々は、

「苦を乗り越えて心安らかな境地に至った者」が発したものではなく、

「今まさに苦境にあり続ける者」が紡ぎ出したものだったのです。

そんなシスターの、受難の連続だった生きざまのほんの一部だけでも、

シスターのおそば近くで、5年にわたってお手伝いさせていただいてきた僕が

語り継いでいかなければならないと、シスターの90歳の誕生日に決意しました。

そしてシスターのことを「名誉母親」と呼んで、

自分に必要なときにだけふらりと学長室や理事長室、

さらには寺の本革修道院のお部屋にまで押しかけることを

笑って許していただいていた、この僕にしかできないことであり、 また義務でもあるのですから。

<引用終了>


私もこれを見た時、強い衝撃を受けました。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」は、

まさに悟りの境地に渡辺さんが達せられたときに、

過去の出来事を振り返り、書いた本だと思っていたからです。 

保江邦夫さんの著書には、当時の凄まじい状況も書かれています。

考えが甘かったです。

まだ当時は、愚か者たちとの戦いの中、その真っ最中だったのです。

保江さんの言葉を借りれば、まさに世間の中の矛盾と、

無情の中で戦っている最中の言葉であったことがわかります。

保江さんは、こうも仰っています。

人間は完全に平等であり、どの命も等しく大切な命であるのは事実です。

しかし、「それでも人間社会から差別や苦しみ、

さらには争いやいさかいが絶えないのは、人格に上下があるからだ」

というのが、シスターのお考えでした。

シスターの ように、

多くの人々の道を照らすことのできるような高い人格を有する人がいる半面、

低い人格を持つ人もまた社会のあちこちに巣くっている、それがこの世の真理なのです。

そんな世の中に巣立っていく学生たちが、道を見失うことのないよう、

シスターはこの言葉を人生の指針とするように 教え導いてくださっていました。

それでは、ここでブッダの言葉(卑しき人)をご紹介します。

わたしが聞いたところによると、あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、

<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。

そのとき師は朝のうちに内衣を着け、

鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。


そこでブッダは言われた。

・怒りを抱くもの、

・恨みを抱くもの、

・或いは、いつわりの善を行うもの、

・邪まの見解のあるもの、

・へつらいの心あるもの、 

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

例え、いかなる生き物であろうとも、 

・生きとし生けるものを害するもの、

・生きとし生けるものに慈しみ無きもの、 

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

村においてあるいは林園において、

他の人々の所有に属する財物を与えられざるに盗るがごときもの、 

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

・己を高く褒めそやし、

・他人を低くけなし落とし、

・高慢のために心賎しくなれるもの、

かかる人は賎しきものであると知るがよい。

・人はその生まれによって賎しきものであるのではない。

・また、人はその生まれによって聖なるものであるのではない。

・人はその業(行為)によって賎しきものとなるのである。

・また、その業によって、聖なる者となるのである。

このブッダの言葉は、

人間は生まれながらにして貴賎があると説いた僧に対する

猛烈な批判の説教として説かれたものです。

まるで、イエスの「山上の垂訓」のようですね。

社会や、貨幣、金融の仕組みを牛耳られた現代社会のような環境の中では、私達もおかしくなりがちです。

私達一般の人々の生活は苦しく、もう働き始める前から借金(奨学金、年金、社会保険など)

を背負って社会生活をスタートさせるようなものです。

ですので、最初から諦めや、焦燥感・不安感に襲われ、

どうしても自分のことしか考えられなくなりがちです。

本当は一人一人、心優しき人なのに、あまりに生活が苦しいために、

やがて生活が狂いおかしくなってきてしまいます。

もしくは精神的に参ってしまい、病気になってしまいます。

また愛する家族よりも、仕事、お金となってしまいます。

何故なら、そうしないと生きていけないと、

恐怖心と不安で私達の心を縛りつけているからです。

私達が、そこから解放されるには、ブッダが言うように「賤しき人」にならない。

・人の悪口を言わない。

・人を呪い続けない。

その卑しき心でいる限り、いつまでも自分の周りに悪臭を漂わせてしまうことでしょう。 

少なくとも自分自身は、そうはならないと心に決めて行動するしかありません。

世の中の流れも、大きくそちらの方向に舵を切りました。

その波に乗るのか、今までのように恐怖心と不安に縛られた人生を歩み続けるのか?

私達の心ひとつですね。



 

2022年2月24日木曜日

2618「神さまとの約束」2022.2.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月19日の記事を紹介します。


「神さまとの約束」


今日は、「如何に自分の魂を輝かせるか?」簡単な例でご紹介します。 

私たちを取り巻く現実は、私たちの心が作り出しています。 

私たちの心が清らかで温かければ、

清らかで温かな心の人々に囲まれ幸せに暮らせることでしょう。

私たちの心が濁り、自分さえ良ければ・・ の心であれば、同じような心の人が集まり、

殺伐として心が落ち着かない辛い世界に生きることになるでしょう。 

今日は、その大切な心を清めるためのお話です。

日々の地道な積み重ねが、私たちの魂を輝かせてくれます。

私たちは生まれるとき、神さまから魂をいただきました。

みんなその魂を、自分の真ん中においています。  

私のブログではよく「神さま」という言葉が出てきますが、それは宗教的な意味ではなく、例えば 

・サムシンググレートでも

・ハイヤーセルフでも

・アメノミナカヌシでも

・宇宙の意思でも 

構いません。 

要するにすべての生命体の源の意味として使っています。

さて今日は 醍醐千里さんという、二人の子どもを持つ中学校の先生のお話です。

何気ない日常の生活の中で、私たちは、沢山の分かれ道に遭遇します。

私たちの心を美しく保つことは、 

・何処かの誰かがしてくれることではありません。

・神様がしてくれることでもありません。

沢山の神社仏閣を回っているから大丈夫でもありません。

大金を払ってヒーリングしてもらったから大丈夫でもありません。

前世、有名な人だったから大丈夫でもありません。

全ては、今生きている、私たちの日々の心掛けにかかっています。

<引用開始>


魂は磨けば磨くほど光ります。 漢字の練習を一生懸命しました。魂は昨日より光ります。 

電車でおじいさんに席をゆずりました。 魂は昨日より光ります。 

弟におやつをあげました。 魂は昨日より光ります。 

今日はごめんねが言えました。 魂は昨日より光ります。 

あの人にありがとうが言えました。 魂は昨日より光ります。 

頑張ることや、誰かや何かに優しくすることは、魂を磨きます

けれど頑張ることや、優しくすることだけではなく、楽しいこと、うれしいことも、 魂を光らせることが分かりました。 

友だちと楽しく大笑い。 魂は昨日より光ります。 

誕生日のプレゼント。 魂は昨日より光ります。 

楽しいことやうれしいことも魂を磨くと知って、 私はなんだかホッとしました。 

ある日、掃除をさぼって友だちと遊びました。  

友だちと楽しく大笑い。 

けれどその日、自分の中の魂を見て驚きました。

あんなに楽しく笑ったあとだったのに、 魂は光るどころか曇っているのです。 

ある日、友だちからネックレスをもらいました。 

お店から盗ってきたネックレスだと言います。 

欲しかったものなので、 よく考えもせずにそれを受け取りました。 

その夜、魂を見てみたら、その日もまた魂は、 昨日より曇っていました。 

ある日、一人が言いました。 

「ねぇ、あの子、気に入らないよね?」

あっという間に、その子はひとりぼっちになりました。 

私は、その子をひとりぼっちにさせる側にいました。

その輪の中で私には、急に仲間が増えました。

新しくできた仲間とともに、 おもしろおかしく過ごしました。 

そんな日々を送る中、 私は久し振りに、自分の中の魂を見てみました。 

私の魂は真っ黒になっていました。 

私は、自分の魂の色を見て、 とても恐ろしくなりました。 

楽しいこと、うれしいことの中にも、 魂をくもらせること、 

魂を濁らせることもあると分かりました。 

楽しいこと、うれしいことには、 2種類あると分かったので、 

これからは、 気をつけていかなければならないと思いました。 

毎日魂を磨き、 毎日魂の様子を見ているうちに、 私は不思議なことに気がつきました。 

磨いたつもりのない日でも、魂の輝きが、増しているときがあるのです。 

そういう日の一日を振り返ってみると、  その日は、きれいな花を見たり、美しい夕焼けを見たり、 そういう日だったことが分かってきました。 

映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。 そういうことでも魂を、磨くことができるのです。 

楽しいことやうれしいこと、 目にした景色や、聞こえてくるメロディ、あたたかな言葉。 

その日その日のなんでもないことも、 私の魂を磨き続けてくれたのです。 

できるだけ魂を光らせようと、毎日を送っていましたが、 

ある日、私は少しだけ疲れてしまいました。 

夢の中で私は、神様に会いました。 

夢の中で私は、神様に聞いてみました。 

神様、私はいつまで魂を磨けばいいのですか。 

私の魂は、いつ完璧に美しくなるのですか。 

神様は言いました。 

あなたは、あなたの最後のひと呼吸まで、 魂を磨き続けなさい。 

みんなその約束をして、地上に生まれているのですよ。 

でも、神様、磨き終わらないうちに、最後のひと呼吸がきたら、 どうすればよいのですか。 

心配しなくて大丈夫。 

あなたの魂は、最後のひと呼吸のとき、必ず、最高の光を放ちます。 

神様、私にはその自信がないのです。 

あなたは、毎日魂を磨いています。 だから大丈夫。 

最後のひと呼吸のとき、魂はそれまでで一番美しい姿を見せてくれます。

何も心配いりませんよ。 

あなたの魂は毎日、昨日より輝きを増しているのです。 

ときどき、自分の魂を、離れたところから見てごらんなさい。

あなたの魂があなたの体を越えて、まわりに光を与えていることにも、気づくことができるでしょう。 

このごろでは、あなたの魂の輝きで、道を明るくする人も増えてきました。 

さぁ、戻って、魂を磨いてきなさい。  

毎日を楽しくうれしく感謝の気持ちで送るのですよ。 

そうするとあなたの魂は、キラキラと光を強くしていきます。 

あなたがここに来るのは、まだまだずっとずっと先。 

 あなたの人生を、楽しんでいらっしゃい。  


あなたがどんなに素晴らしい魂を持って、ここに帰ってくるか、私はそれを楽しみにしています。 

目が覚めた私は、 それまで気づかなかったことに気づきました。 

昨日より今日。 今日より明日。 

私の魂は輝きを増し続け、毎日新しく生まれ変わります。 

そして必ず、その日の魂が1番光る魂。 

魂を磨くという少しの努力、優しい気持ち、そして うれしいこと、楽しいこと。 

日々の中に散りばめられた美しいもの。 

なんにも心配しなくても、 私の魂は、昨日より光ります。 光り続けます。

<引用終了>


醍醐先生は、新米教師の頃は、生徒との関係も、授業もうまく行かず、 

朝起きるのも、教室のドアを開けるのもつらくなってしまったといいます。

29歳で二人の子の母となり、二度の育児休暇中に母親業に徹することで、

教員の在りかたに親としての視点が持てるようになり、

その結果学校での姿勢も少しずつ変わっていきました。

その頃から、奇跡が訪れるようになったそうです。

行事やクラスのトラブルに、大どんでん返しのミラクルが起こり、うまくいくようになった。

教員だった両親が教えてくれた言葉、

・正しいと思うことを貫く姿勢

・自分の心を磨くこと 

この二つを胸に、がむしゃらに突き進んだのだそうです。

私たちは、みんな生まれてくる時に神様と約束してきました。

「最後のひと呼吸まで、魂を磨き続けます」って。。


 

2022年2月23日水曜日

2617「神様の通り道」2022.2.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月18日の記事を紹介します。


「神様の通り道」


神社や仏閣。私達一般の人間は、願いを聞いて欲しくてよく参拝します。 


霊験あらたか、ご利益があると聞けば全国あちこちに出かけます。 

願いが良く叶う、そういった神社・仏閣には、

もしかしたら、力のある神さまや、仏様がいらっしゃるのかもしれません。

噂が噂を呼び、ますます人が押しかけ

・病気を治して欲しい

・お金に困らないようにして欲しい

・家内が穏やかで円満であって欲しい

・良縁に恵まれ、幸せになりたい

そのような人間の欲望が渦巻くのかもしれません。

ですが、神様の存在とは、

私達人間の、願いや欲を叶えるためにいらっしゃるのでしょうか? 

人が集まり、人気が出ればそこに関係する神職や職員の環境も変わり、

それによって、本人の心にとって、非常に危うい状況が起こりやすくなります。 

身近な例で例えるなら、車、排気量の大きな、かっこ良い高級な車に乗った途端、

車ではなく、まるで自分という人間が強くなったと勘違いし、 

尊大で傍若無人な運転を繰り返す・・

神社、仏閣の場合なら、そのお力は、

神様や仏様の御業であり、そこに関係する人間の力ではありません。

また、ヒーラーや、施術師の方。

効果が高く、有名になり、人気が出てきた方は、

もしかしたら、それは、「自分の力」である。

そう思われるかもしれません。  

ですが、そのように自己過信が強ければ強いほど

多くの治療をすると、自分が疲れてくるのだそうです。

小林正観さんが言われるには、

人より抜きんでた能力を、自分の、自分だけの力と誤解していると、

エネルギーに限界があるが、その力は、自分ではなく、天の力。

自分自身は、単にそれを媒介しているに過ぎない。

そのような謙虚な心の持ち主は、

決して疲れることがなく、ますます人々に幸福をもたらすのだそうです。 

いくら他にはない、ご利益や、治癒効果があろうと・・ 

それが、自分の力「俺が俺が」、の心でいては、

何時しかその尊い神々の力も、色あせてしまうことでしょう。 

そのことを2千年前に、イエスは仰っていました。 

ご紹介します。

 

イエスは数多くの転生と、経験と試練を重ね、

私達の内にいらっしゃる神様と一体となりました。

イエスが生まれたその時代は、まだ人類の波動は低く、多くの人々は肉体だけの意識。

生殖、物欲、自己が生き残ること・・・などの

肉体的な感覚に囚われていた(フォーカスしていた)時代でした。

ブッダが悟った時と同様に、イエスも悟りを開くと同時に肉体を離れ、

魂(霊)として人類を助け導くことも可能でしたが、 

幻想に囚われ、自分を傷つけ、敵味方でも傷つけ合う人々を、 

この物質次元の地球に於いて助けることを選択しました。

その方法は、 

愛を、愛だけが全てであることを説き、神様とは愛であることを伝え、

どんな困難な時にも、ただ ご自分の生き方を通して、愛を示して歩きました。

イエスがこの地上で行った数々の奇跡。

その奇跡の目的とメッセージは全て・・・、

あなたが目覚めれば、私と同じこと(奇跡)ができる 

私(イエス)よりも、もっと偉大なこと(奇跡)が出来る

ということでした。

つまりイエスだけでなく、私たちも等しく神の子、 

神そのものであると 教えてくれたのでした。

また、

私自身(イエスのこと)は無力である。

全ての奇跡は、神が行うものである。

と仰ったのです。

つまり、イエス自身は無力であるが、

・全ての良きこと、

・美しきこと、

・真理の実現、

・奇跡

・思いやり

・優しさ

・愛

・癒し

は、全て神様の力によって起こっている。 

そう謙虚に仰ったのです。

 

これは、今のような世の中にとっては、強烈なアンチテーゼになるかもしれません。

・私が、○○してあげる。

・私が、○○した。

・私が、○○しよう。

そのように、その方々は確かに力がある人かもしれませんが、 

その力の源泉は、 私、自分、個人の能力であると、過信して吹聴してしまっては、

イエスの取った謙虚な態度と正反対です。

とかく人は

・成功している時、

・人気がある時、

・お金がある時 

全部、自分の力で勝ち取ったと誤解しがちです。有頂天になりがちです。 

それが神々の力から来ているとは認めません。

ですが、イエスは

・自分が人に行う優しさ、親切も

・創造性あふれる仕事も

・奇跡も

全ての良きことは、神様の御技が現れたもの。

自分自身の力ではない。単に自分は、神様の力の通り道になっただけ。 

そう仰ったのです。

それが本当の真実だからです。

そのように自覚していれば、 

・天狗になって人を見下したり、

・人と比べたり、

・自分の知識をひけらかしたり

・人を支配したり

・力や能力を自慢したり 

する必要は無いかもしれませんね。

人生の

晴れ(ハレ)の時も、嵐の時も、 

奢らず悲観せず、

全てに感謝し、

笑顔で、周りの人々と仲良くして行けば、 

きっとそれだけで、いいのですね。 

私達人間は・・・

全て、神様が

私達の魂が成長するようにと、 

細かなところまで

取り計らってくれますから。

大丈夫です。

俺が俺が、

私が、私が・・・ 

そのような高慢な心こそ、神さまの眼前においては、穢れかもしれません。

今や、嘘が付けない時代になりました。

ミロクの世、精神性の復活の時代の始まりとともに、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

の考え方で行動している人々は、 どんどん、あぶりだされ、

多くの人に、その思想、行動が知れることとなりました。

たとえウソを並び立て、詭弁を弄し、責任を人に なすり付け

逃げようとしても、力の源泉である内なる神々は見ています。

その醜い姿を

・自分の愛する子供たち、自分を信頼してくれる子供たち

・産んでくださったお母さん

・慈しみ育ててくれた家族

・故郷の友人たち

この人たちに、胸を張って見せられるでしょうか?

・あなたたちの父である私の姿、

・生んでくださり、慈しみ育てていただいた、あなたの息子である私の姿

を、どうぞ見てください。 

しっかりと目を見つめ、そのように言うことはできるでしょうか?



2022年2月22日火曜日

2616「青空ひろば」2022.2.22

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


584 2022.02.08 ~589 2022.02.13

「日の理想に基づく国」の基本理念

(1)すべての「ひと」は、太陽神霊(ひ)の「分け御魂(みたま)」であって、残らず大切で、尊い存在(日尊)である。

(2)この「ひと」には、人だけではなく、動植物や、山や川なども入る。だから、「人」が自分たちの利益のために、動植物を犠牲にしたり、山や川や海や空気などの環境を汚すような行為をしてはならない。それは「ひと」の尊厳を汚す行為で、やがて回りまわって、自分たちの穢れ(けがれ)となって帰ってくるものであるから。「ひと」の尊厳を踏みにじる国は、「ひさし(久し=日射し)」の国にはなれない(やがて滅びる)。

(3)すべての「ひと」は、太陽神霊(ひ)の特性のそっくり全体を引き継ぐ「ひつぎのみこ(日継ぎの御子)」であって、イエスだけ、ブッダだけ、マホメットだけが、神の「ひとりご」であるというわけではない。それぞれの「ひと」が残らず、神の「ひとりご(日執り子)」なのである。

(4)故に、すべての「ひと」が、「ひのもと(日の根源)」で、例外なく「ひとしく(日等しく)」尊ばれ、大切にされなければならない。

(5)「ひと」のいのちは本来「ひとつ(一体、日統集)」であり、「ひと」は本来「ひとり(日統理)」しかいない。

(6)すべての「ひと」は、太陽神霊(ひ)から放たれる「ひかり(日輝理)」の「ひとすじ」、「ひとすじ」の「ひえだのあれ(日枝の現れ)」であって、それぞれが、その「ひと」にしか果たせない役割・使命を「ひきうけて(日来受けて)」いるのだ。


583 2022.02.07

思いをこめて掃除すれば やがていのちが宿り、神となる

トイレに神さまがいるのではなく トイレが神さまとなるのだ 

トイレを神さまにするのだ

そんなトイレなら そこに入るだけで 人は癒やされ、元気になる


578 2022.02.02~582 2022.02.06 

中学校のPTAの依頼で、保護者対象にお話しした内容。テーマは「子育て」。

① 子育て、教育のポイントは、「子供が安心できる場」を作ってあげることですよ。そうすれば、その子が本来の能力を伸び伸び発揮出来るようになるのです。

② 「理想の息子、娘像」を描いて、その理想像と現実の我が子を比べて、理想像から現実の姿を「引き算」して、イライラ、ガミガミ、ブツブツしていてはいけませんよ。そんなことをすれば、子供の劣等感を膨らませて、人生をダメにしてしまいます。

③ どんな人も、性格や能力に、その人特有のクセや限界をもっていますけれど(だから人生は面白いのです。完璧な人なんて気持ち悪いです)、そのまんまで、人に上下、優劣なんてないのですよ。

そのままでOKで、自分は、人より劣った「道具(才能や性質のクセ)」の持ち主かも知れないけれど、その「道具」を嫌って、新しい「道具」を捜し求めるのではなく、今、

手にしている「道具」を大切にして、それを精一杯使いこなしたらいいんですよ。

子供さんは、「自分が持っている道具で、精一杯全力で勝負出来る人間」に育てて下さい。

④ 中学生になると、親のダメなところを誇張して見るようになります。  

それは、そろそろ親から独立して進んでいかねばならない時期にさしかかったのですが、親を「悪者」にしなければ、あったかい家庭(親)の引力を振り切って飛びだす勇気がわかないからです。

子供と衝突する場面も増えてきますが、子供の成長段階がそういう時期に差し掛かったからなんだ、いつまでもそうではないんだという「見通し」をもって、決して絶望しないようにしましょう。

⑤ 子供は自分の所有物ではなく、神さまからの授かりもの、預かりものなんですよ。

ですから、親の思い通りに育つはずがありません。子供には裏切られるものだと覚悟していましょう。

しかし、子供が挫折したら、その時は、私たちがしっかり子供を護ってやろうという決心・覚悟だけはしておきましょう。


577 2022.02.01 

どのようなあなたの「思い」も、遺伝的自分、過去の運命軌道の自分から出てきた産物なのですから、そんな「思い」を断ち切って(思い切って)、「裸の身ひとつ」で跳びこんでゆかねば、「本当の自分(神的自分)」を表に出して、生き生き自由に、堂々と、人生道を歩んでゆくことはできないのです。


576 2022.01.31

時々、大地に帰ろう。裸足(はだし)で歩いて、大地と対話してみよう。

横になって、大地のぬくもりに身を委ねよう。

許すということ、許されるということの、ありがたさを、しみじみ味わってみよう。


575 2022.01.30 

どんなにがんばり屋さんで、頭がよくても、自分が嫌いなら、しあわせになれません。

どんなにアカンタレで、頭が悪くても、自分が大好きな人は、きっとしあわせになれます


574 2022.01.29 

個人の疑問や悩みを解決するために学んでいるのではなく、その疑問や悩みは、実は、

人類全体の「疑問」、「悩み」でもあって、私は人類を代表して、この「疑問」を持ち、この「悩み」を抱えているのだということを忘れないようにしましょう

(「維摩経」の「衆生病む故に我病む」ですね)。


573 2022.01.28 

<決意の祈り>

もう私は、自分一人のしあわせのために生きることはやめます。

私はこれから人類の魂の進化向上のために生きることにします。

そのために、私はどんな役割を果たせるのか、私には分かりません。

どんな役割でも精一杯果たさせていただきます。

私にふさわしい役割をお授けください。


572 2022.01.27 

「尽十方界(じんじゅっぽうかい)、沙門(しゃもん)の家常語(かじょうご)」という禅語があります。その意味は「君の日常のコトバ(家常語)は、実は宇宙いっぱいのもの(尽十方界)なんだよ」です。

つまり、「おはよう、元気!」というような、日常の当たり前の挨拶言葉であっても、その響き次第で、自らを解放し、声かけした相手の人を閉じ込めていた『岩戸』を押し開くことだって出来るのです。  

禅の目指すところは、そんな人物となることです。

つまり、ちっとも宗教ぽくなくて、ごく普通の、当たり前の生活を送りながら、なぜか縁ある人々や動物を安心させ、お互いのいのちを解放してゆくのです。


571 2022.01.26 

人を叱責(しっせき)するとき すっかり追いつめてはいけません

逃げ道をちゃんと残しておいてあげること

「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む(かむ)」ということもあります


570 2022.01.25

人が持つ「道具」をうらやむより 自分が持っている「道具」を大切にして

ていねいに手入れし 使いこなす工夫をして

その「道具」の性能を最大限に発揮できるよう 努めることが大切なんだ


569 2022.01.24 

つらい過去から決別し、運命を好転させたければ、激しい風に身をさらしなさい。

これを「風のミソギ(身削ぎ)」といいます。


568 2022.01.23

手を挙げようと思えば、手が挙がる。手が身の内だからだ。

世界全体を身内だと実感できる人ならば、こうしたいと思えばその通り実現するだろう。

世界中の人やモノが、手足となってはたらいてくれるからだ。


567 2022.01.22

人生にも四季があり、もちろん、冬の時もある。冬がなければ成長はない。

冬の時は、「そういう時もある」と素直に受け入れて、できることからやってゆけばいい。


566 2022.01.21

過去にかたむく心には、後悔や憂鬱(ゆううつ)が発生する。

未来にかたむく心には、不安や怖れが発生する。

「今とココ」にいのちの重心がおさまれば、人はしあわせのなるようにできている。


565 2022.01.20 

一番大切なことは、光をさがし求めることではなく、自分が『光』であったと知ること。

自分が光源で世界を時空のスクリーンに、投影しつつあるんだと知ること。


564 2022.01.19 

いくら悩んでもいいけれど、最後は覚悟を決めねばなりません。

最悪、死ねばいいだけのことなんでしょう。

だから、思い切って、エイッと跳びこんでゆけばいいのです。

そうしたら、なぜか最高の自分が現れてはたらき出すのです。



2022年2月21日月曜日

2615「一瞬の幻」2022.2.21  

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年2月13日の記事を紹介します。


一瞬の幻」  


皆さんは、自分の暮らしと、他人の暮らしを比較して

うらやましく思ったりすることはありませんか? 

・お金持ちの家に生まれていれば

・もう少し器量が良ければ

・才能さえあれば

・健康でさえあれば 

など。 

ですが、私たちは生まれてくる前に、雲の上で神さまと、

今世の目的や、やりたいことを相談し、 その目的を達成するのにふさわしい、 

・身体、

・家庭環境、

・そして将来起こるであろう人との出会いと別れ、

・事件や事故、病気。

・そして死ぬ時を決めて地上に降りてきました。 

この地球で、どのような経験をしたいかによって、その経験をするにふさわしい

・金持ちの息子として生まれてきたり、

・病弱の身として生まれてきたり、

・奴隷として生まれてきたり

しています。

全ての人生のストーリーを自分で決めてきました。 

その経験がしたかったから、敢えてその環境を選んで生まれて来たのです。 

ここで例として芥川龍之介が書いた「杜子春」という物語をご紹介します。

あらすじをご覧ください。

<転載開始> 転載元 


■杜子春と仙人の出会い

唐の都である洛陽に、杜子春(とし しゅん)という若者がいました。 

彼は金持ちの家に生まれますが、両親が残した財産で遊びながら暮らしており、

散財した今では、一文無しの生活を送っていたのでした。

ある日、そんな彼のもとに一人の老人が現れて、夜中にこの場所を掘るようにと告げます。 

杜子春はその通りにすると、そこからは黄金が掘り出されました。

一晩にして彼は大金持ちになり、

これまでは見向きもしなかったような人たちが、屋敷に訪れるようになります。


■贅沢と貧困の繰り返しの中

大富豪となった杜子春は再び贅沢三昧の暮らしをし始めます。

しかし、やがてはその財産をも使い果たし、

以前と同じように一文無しの生活に戻るのでした。

すると再び老人が現れて、金を掘るように告げます。

そして大金持ちになり、またしてもそれを使い果たすという繰り返しを経て、

三度目に老人に出会った時には、杜子春の心に変化が起きていました。

お金があればもてはやされるが、

一文無しになれば誰も見向きもしないということを知ります。 

そして人間というものに嫌気が差し、

お金はいらないから老人の弟子にして欲しいと頼むのでした。

杜子春は、その老人が仙人であるということに気がついたのです。


■峨眉山での修行

老人は自らを鉄冠子という仙人であると明かすと、

杜子春を自分の住んでいる峨眉山へ連れて行きます。 

そこで試練として、仙人が帰ってくるまで何があっても口をきかないと約束をします。

虎や蛇に襲われても地獄へ落とされても、彼は約束通り何も言いませんでした。 

どうしても口を開こうとしない杜子春に怒った閻魔大王は、

既に亡くなっている彼の両親を連れて来て目の前で苦しめます。

閻魔大王に痛めつけられながらも、

自分のことを一番に思ってくれている母の心に心を打たれ、

たまらず母を呼んでしまうのでした。


■仙人が与えてくれたもの

お母さん、と一言叫んだと同時に杜子春はたちまち現実の世界へと戻りました。

実はこれまでの出来事は全て、仙人が見せた幻だったのです。

もしあのとき杜子春が何も言わなかったならば、仙人は彼の命を奪っていたと言います。

これからはもっと人間らしい正直な暮らしをするという言葉を聞いた仙人は、

杜子春に一件の家と畑を与えて去って行きました。

<転載終了>


お金持ちになって、贅沢三昧をし、それに釣られて沢山の人が集まり、

そして、お金が底をつくと誰も見向きもせずに離れて行き、 

地獄でいじめられる両親の姿を見て、何も持たない惨めな自分であるのに、

それでも、自分を大切に思ってくれる両親の姿、

これら壮大なドラマが、実は一瞬の幻だったのです。

もしかしたら、私たちの人生は、

これと同じように一瞬の幻、夢物語かもしれませんね。 

農民から、一代にして太閤殿下に上り詰めた豊臣秀吉の辞世の句は・・・

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

です。

 


天下統一の目前まで行った織田信長の好んで使った詩は・・・

「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

でした。

生きているうちに、あのような波瀾万丈(はらんばんじょう) を生きた人たちでさえ、

死ぬ間際に気づいたのです。

人生は、一瞬のことであり、人生は、夢、幻であった。

人生とは、単なる役割に過ぎなかった。

私たち人間は自分の見たいものを見て、経験したいものを経験し、 

みんなが、実際は同じ世界に居ながら、全く異なる経験をしてます。 

同じ世界に暮らし、同じように生きているのに、それぞれの心の状態によって 

・ある人は地獄に住み

・ある人は幸せな天国に住んでいます。 

同じ世界に暮らしているのに・・・

私たちが見る世界、聞く世界、経験する世界は、私たちの心の反映です。 

私たちの心の状態を正確に映し出した世界に、今住んでいます。 

ゆがんだ世界に生きているのであれば、心のどこかに ひずみ があるからです。

空海が仰ったように私たちは、

生きながらに、天国にも、地獄にも住むことができるからです。 

これを空海は、即身成仏という言葉で教えてくださいました。 

あなたは、今、天国に住んでいますか? 

それとも地獄のような苦しみ、疑心暗鬼の渦巻く世界に住んでいますか? 

全ては私たちの心ひとつが作り出した世界です。 

皆様がどうか、生きながら天国に住むことができますように。 

周りの方と、お互いさまの心で助け合い、笑顔で暮らしていくことができますように。

生きている世界は、まったく同じなのです。

ただ、様々な出来事を、どのように受け取るか だけの違いで、

まったく異なる世界に投げ出せれます。

  

・良きことも、悪しきことも、感謝の心で受け取っているか

・不平不満、悪口、嫉妬、憎しみの心で受け取っているのか 

人生は、夢、幻の世界、私たちは、自分で決めた人生ストーリーの役者。

もともとは、純粋で優しい魂の持ち主です。 

いつでも、役柄を変え、心根を変えることで、天国に住む準備ができています。

自分は天国に住むと、決断するか、しないか? 

決断すれば、すぐに世界は変わってくることでしょう。

 



2022年2月20日日曜日

2614「ブッダの予言-ジャプトーバー」2022.2.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年2月16日の記事を紹介します。


「ブッダの予言-ジャプトーバー」


令和の時代が始まっています。

・霊性の時代、

・神々と直接的につながる時代

・思いと現実の時間的ギャップがなくなる時代 

様々な良きことの起こる時代になりました。 

私たち人間は、変化の渦中で生活していると、

世の中の変化には、なかなか気づきにくいものです。

ですが世界は、着実に神々の計画通り動いています。 

さて今日は、ブッダが亡くなる直前に説いた、日本に関する予言をご紹介します。 

その内容は沢山の文献に散見されるようですが、小林正観さんのお話からご紹介します。

この内容は正観さんが、2001年、つまり東北大震災発生の10年前に語った内容です。 

<転載開始> 転載元

 

21世紀は、どんな時代になるのでしょうか?

21世紀は架け橋ですね。20世紀と21世紀の。

この百年で西洋文明から東洋文明へと価値観が変わって、それがその後3000年続きます。その礎がこの百年で出来上がります。

ほう、21世紀が東洋の時代と言う人はいますが、3000年王国ですか? 

釈迦が言ったジャプトーバーですね。

自分(釈迦)の教えが、末法の時代になってから五百年ほどたつと、

つまり、2500年後ですね、

(釈迦が生まれたのは、紀元前500年頃とすれば、正法が1000年、像法が1000年、とすると、西暦1500年頃から末法の時代ということになるから、その後500年くらいということになると、西暦で言えば21世紀初頭と思われる)

インドのはるか東方にジャプトーバーという国があって、

その国で自分の教えや考え方が正しく理解されなおす‥‥。 

末法の世に入ったら自分の教え、考え方が正しく伝わらない、と言っているわけです。

それがジャプトーバーという所で、再度認識されなおす‥‥。 

ブッダはジャプトーバーについてこう言っています。

・都会に人があふれ

・夜でも明るい光に満ち

・道は広く平らで裸足であるいても傷つかない

・遠く離れても話ができる 

ジャプトーバーとは、もちろん日本ですね?

そうです。その国の人々は争うこと、闘うことが嫌な人たちで、

その考えと自分(釈迦)の教えが正しく理解されることが相まって、

融合して平和な世界が始まる。

そこから3000年間、平和が続くだろうと釈迦は言ったのです。 

その方向での動きはどうですか? 

まさにその動き(傾向)がジャプトーバー(日本の事)に出ている‥‥。

私はこの33年間の中で初めてこの数年間の手応えを、すごいと思っています。 

33年間(我が国を)見つめてきたからわかるのですが、全然違います、この2,3年は。 

日本人の心の有り様というものが、まったくそれ以前とは違う。

お釈迦様の2500年前の遺言は、本当なんではないでしょうか。

だから私は環境問題とも闘わないし、世の中が悪くなったなんて一言も言わないのです。

そうではなく、3000年王国に向けての第一歩が、(日本から)始まったと思っています。


我が国の国民性は、疑いなく、

「争うこと、闘うこと」が嫌いであり、

しかも、インドはるか東方という位置や、ジャプトーバーという国名からして、

釈迦の予言は、いかにも、我が国のことを指して言っているように思えるのです。 

<転載終了>

 

皆さんは聖徳太子の17条の憲法をご存知ですか? 

第1条、和を以って貴しと爲す 

の憲法です。西暦604年に作られたものです。 

その第10条には、こんなことが書かれています。

 

心に恨みを抱くな。 顔に憤りを表すな。

人が自分と違うからと言って、怒ってはならない。

人には皆 心があり、心にはそれぞれの想いがある。

自分は聖人ではなく、相手が愚か者でもない。

ともに凡夫なのである。

何が正しくて、何が間違っているか、いったい誰が定める事ができよう。

それゆえ相手が怒ったら、自分の過失を恐れよ。


なんと、こんなに早い時代から、私たち日本人の祖先たちは心をとても大切にしてきました。

ブッダの教え、空海の教えそのものです。

  

世界に類を見ないものです。 

だからこそ、ブッダの予言に出てきたのかもしれません。 

また私たちの住む日本は、レインボーチルドレンのそうた君が言うには、 

この広い宇宙中で数えきれないほどの星々がある中で、

たった2つしかない、ユートピアの一つなのだそうです。 

日本が存在するから、この地球が保たれ、愛の星と言われるのだそうです。

私たちの中に流れる縄文のDNAは人を疑うことを良しとしません。

まず最初に、相手の中の神様(良心)を信じて接します。 

相手を騙してまで、自分の利益を守ろうとはしません。

和を持って尊しとなすの精神が、誰にも根付いています。 

それに比べると日本以外の国では、「アリババと40人の盗賊」にあるように、 

人のものを奪ってでも、自らの利益を追求することは、悪いことだとは考えないようです。 

ブッダの予言には、そのような日本人の美しい気質も関係しているかもしれません。 

このような性格は、古事記や日本書紀などにもよく表れています。 

さて以前の記事では、こう書きました。 

<引用開始>

 

日本人のDNAに刻まれた特質は、

・どんな相手でも、拒まずに受け入れて、

・自分に取り込み、融合して進化する

・先祖や、死者。敵国の戦没者まで弔い、死後の幸せを願う心(神道の細男の儀式として残っています) 

意識する、しないに関わらず、このような魂の特質をDNAに刻まれた日本人に対し、

2011年3月11日、神々は東日本大震災を起こしました。 

あの大きな犠牲のもと、日本人の心が変化しました。

私たち日本人の集合的無意識に  

・慈悲(相手の痛みを感じる共感、助け合い)

・優しさ(思いやり) 

・聖なる諦め(自然の力の強大さの前に人間は無力である) 

このような心が芽生えました。 

この大災害は、もともと私たち日本人の持つDNAの特質を、

更に、大きく神々の心に近づける働きをしました。

 

<引用終わり>  


過去の歴史を見てわかるとおり、変化の渦中にある時、

人は全くそれが大変化であるとは気付きません。 

その時が、変化の起点(エポック)であったとは、後の世の人が指摘することです。 

ですから、今21世紀に入ってから20年がたち、令和の時代になりましたが、 

もしかしたらブッダが言うように、今が後の3千年間続く仏国土、 

つまり「人間の精神性の復活」のための「建て直し」の時期なのかもしれません。 

それは、今始まったばかりであり、これから百年かけて、私たちの精神性は目覚め、

心の時代であることを確かに確信します。 

そして私たちの2代、3代後の子供たち皆が 

笑いあい、助けいあい、お陰さまの気持ちで純粋に生きる、

随神(かんながら)の生活を送っていることでしょう。

そのためには、私たち人間が、自分たちの力と知恵で、純粋な精神性、心を取り戻さねばなりません。

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、

これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。 

希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていれば、

きっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。

 


2022年2月19日土曜日

2613「艱難・苦難の意味」2022.2.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月15日の記事を紹介します。


「艱難・苦難の意味」


本日九州の方から浄財のご寄付がありました。世の中のために使わせていただきます。 

返礼等はなしに・・と言うことでしたのでこの場をお借りしてお礼申し上げます。

ありがとうございました。


さて今日は、お子様の病気、事故などと、親との関わりについて書きたいと思います。

生まれながらに病気を持って来る子もいれば、ある時期に病気になる子もいます。 

早くに亡くなる子もいます。 

それらは全て生まれる前に計画し、そして神様の承諾を得て生まれてきました。 

この宇宙の出来事で、神さまの承諾無しに起きることなどないからです。

生まれる前の記憶を持つ子供達 彼らが語ったことは、

人生で起こる全ての出来事は、生まれる前に全部決めてから、生まれると言うことです。 

となれば、

・友人間のいざこざ、憎しみ

・会社の中のいざこざ、憎しみ

・家庭の中のいざこざ、憎しみ

・人との出会い、分かれ

・病気になる時期

・事故に遭う時期

・貧困に陥る時

・光り輝き皆から注目を集める時期

・死ぬ時期

全ての全てが、生まれる前に決められた事項であると言うことです。

生まれる前から人生のトピック(病気、事故を含め)と、それに遭遇する時期を決めて、

そして家族や友人、良き人、逆に行く手を塞ぐ人、意地悪する人、助けてくれる人など、

登場人物に、予め(お願いして)生まれてきました。 

家族を含め、いろんな人々の中で私たちは、

・悩み苦しみ、

・そして喜び、

・愛を育みます。 

いろんな感情を味わいます。 

泣いたり、笑ったり・・

 

子供が病気になったりすれば、親はどれほど心配し、嘆き悲しむことでしょう。 

強い感情を味わいます。 

時には自分の命と引き換えに、そう思うかもしれません。

また自分の悪いところがデフォルメ(強調)されて

周りの誰かが表現してくださるでしょう。(特にお子さんが、) 

自分の良いところを通じ、美しい友情や、愛を育むことでしょう。 

人々が喜ぶでしょう。

そして、私たちが、その経験から学び、

生まれる前に計画してきた学びが終われば、その関係性も終わりになります。 

なぜなら、生まれる前の約束を果たしたからです。 

その後は、自然と離れることもあれば、 

生まれる前に居たところ(天国)と同じ関係性のように 

美しい友情と愛と思いやりで、後の人生を過ごすことになるでしょう。

家族の場合なら、関係性が変わらずとも、 

問題だと思っていた事項が、全く気にならなくなることでしょう。

それは、ブッダが般若心経で教えてくださった、

どんな状況であろうと、全てを受け入れることができたからです。 

私たちが苦しむのは、起きてきた出来事(本当は自分で計画したこと)に対し、 

・気に入らない

・受け入れられないからと、

抵抗し、何とか、自分の思うようにしたい、そうもがくために起こります。

本来、その出来事は、自分の魂の成長のために、自分で設定してきたものなのに

善か悪かと、ジャッジして、受け入れようとしないからです。 

自分で自分の人生に埋め込んだ出来事は、自分を破滅させるものではなく、

一時は苦しいかもしれませんが、 その現実を素直に受け入れ、感謝できた時に、

美しい喜びに変わります。 

それは、ご自分自身が、受け入れ、変わることができた時です。

神様は、それを一番望んでいらっしゃいます。  

問題だったことが問題ではなく、魂を輝かせるための研ぎ石だったと気づきます。 

もう気にもならなくなり、感謝の気持ちが芽生えてくることでしょう。 

目の前の出来事は、家族の誰かのせいではありません。

真っすぐに自分に向かって起きています。 

生きているうちは、簡単には、その理由などわかりません。 

ですが、その出来事を通じ、苦しみ、悲しみ、悔しさを味わい、経験することができます。 

その経験を、不平不満、愚痴、悪口で反応する人もいることでしょう。 

ですが、その出来事は神様が起こしてくださった出来事、そう認めることができたなら、

感謝で受け入れることもできるかもしれません。 

特に、家族間の場合、他人には出せない甘えや、性格の中に潜む幼児性が出やすいものです。

その結果、世の中には、家族間の憎しみのゆえに起こる事件が多いのです。

ですが、それも、当事者であった家族の誰かの学びが終われば 

段々と解決、つまり温かな、愛の関係に戻って行きます。

もしくは、問題ではなくなっていきます。

マザーテレサや小林正観さんが言うように、全ては自分がどう生きるかにかかってきます。

家族を含め、他人は変えることはできません。

私たちが、そこから気付きを得て、生まれる前に予定していた 学び・課題が終われば、

つまり、自分の意識さえ変われば・・

心の持ち方が変われば・・・ 

全ての状況は解決に向かうのです。 

問題ではなくなってきます。 

お子様の病気やケガは、親にとって本当につらいものです。 

ですが、その辛い状況を、あえて子供たちは引き受けて、

生まれる前の約束を果たそうとしてくれています。 

その状況を、私たち親が経験することで、もしかしたらブッダの般若心経の神髄を

心から知ることができるかもしれません。

全ての、モノ、出来事に感謝の心を向けることができるかもしれません。 

感謝の心を手に入れることは、容易なことではありません。

何百回、何千回もの生まれ変わりが必要かもしれません。

ですが、病気やケガを、自分の人生に計画してきた子供たちは、 

親の私たちに、辛く悲しい経験と引き換えに

その尊い「感謝の心」に気づかせてくれるために

それを計画してきたのでしょう。

そのような高貴な目的をもって生まれてくれた子供たちの魂に対し、 

私たちは、何時までも嘆き悲しみ、不平不満、愚痴、世の中を呪う言葉

自己憐憫(自分を憐れむ気持ち)の地獄に居ては申し訳が立ちません。 

心が変われば、見える世界、見えない世界ともに変わります。

どうぞ、勇気を出してください。

全ては、心が変わることで、変わっていきます。

いろんな環境の中での学びとは、、沢山あるでしょうが、エッセンスは全て同じことです。

お互いさま、お陰さま、の気持ちで、相手を尊重し、相手のやり方、個性を受入れ、認め、 

批判しない。

周りの状況に不平不満、愚痴を言わない。 

全ての物、こと、人に感謝する。

私たちは、全体で、この宇宙を構成し、一人として無駄な者はいない。 

全ては繋がり、あの人も、この人も、この犬も、猫も、花も木も、お日様も雲も、風も雨も・・ 

全ては、私たちと同じ意識を共有している。 

私たちは切り離せない、一つのもの。 

私たちが生まれて来た目的は、そう気付くことだったかもしれませんね。

  

お父様、お母様が、それに気づき、笑顔で、感謝の気持ちで生活していらっしゃれば、

きっと最速で、その出来事の隠された目的は達成されて、問題だと思っていた出来事も、

本当は感謝だったと気づくことでしょう。

 

 



2022年2月18日金曜日

2612「一期一会」2022.2.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月12日「一期一会」と2022年02月14日「与える喜び」の2つの記事を紹介します。


「一期一会」


憎しみの心を抱えたままでは、決して本当の意味での幸せにはなりません。 

憎しみを持つ限り自分自身で、その憎しみの種にしがみつき必死で握りしめているので、 

もがけばもがくほど、強く自分自身にまとわりついてくるからです。 

古事記では、この宇宙に最初に現れた神として造化三神(ぞうけさんしん)のことが書かれています。 

・アメノミナカヌシ(天之御中主)

・タカミムスヒ(高御産巣日)

・カムムスヒ(神産巣日) 

この神々は、宇宙に現れると同時にお隠れになったと記されています。 

このお隠れになるとは、虚空に消えてしまった・・と言う意味ではありません。

この宇宙そのものが、神の中に入ったという意味なのだそうです。 

ですから、私たちが住むこの宇宙は、神々の胎内に存在しています。 

神々の本質は愛ですから、この宇宙の根本も「愛」から成り立っています。 

この原則から外れるものはありません。 

・こういう場合には、「愛」は通じるが、

・このような場合には通用しない 

そのようなことは決してありません。

また量子力学が発見した通り、私たちの宇宙は、波動であり、物質でもあります。 

波動は見えませんが、それは周期的な波であり、発すれば減衰はしても宇宙中に広がります。

波動の周波数の違いによって、物質界に様々な現象を起こします。 

この宇宙において波動の法則は、厳然として存在しています。 

俗にいう、「類は友を呼ぶ」という法則です。 

ある友人、グループ、職場、サークルなど人々が一堂に会している場合、そこには同じような波長が存在し、 皆が、その波長に共鳴し、引き寄せられて集まっているということです。 

自分の発した波動は、肉体を超え、宇宙の隅々まで広がりますから、

何か、意識した途端、その効果は、宇宙全体に広がり、同じ波長をもつ者がキャッチします。 

場合によっては、現実に引き寄せ合い、目の前に現れます。

それでは、迫登茂子さんの「言の葉づくし」よりご紹介します。 

鐘の音の激しさに 恐れ、優しさに 安堵する。

口から出る 言葉の激しさも、人を飲み おののかせる。

同じ言葉なら、安らぎを与える言葉を口にしよう。

安堵の表情を見届けるなんて、とても幸せなことなのです。

素晴らしい愛の感受性をお持ちです。 

このような、

・優しさ、

・愛、

・思いやり 

の繊細な心(内にいらっしゃる神さま)を感知できる柔らかな感受性を持ちたいものですね。

あなたには 愛していらっしゃる人や仲間と呼べる方がいらっしゃいますか?

お子様であったり、妻であったり、夫であったり、

ご両親かもしれません。 既に亡くなった方かもしれません。

それとも心許せる人など、一人もいられませんか?

それでも、生まれた時の事を思い出してみてください。 

ご自分が少女であったり、少年だった時の事を思い出してみて下さい。

誕生をご両親は喜んでくれませんでしたか?

一緒に遊んでくれた友達はいませんでしたか? 

優しく接してくれた先生はいませんでしたか?

あなたの愛する人が、 ほっと安堵の表情を見せてくれた時、笑顔を見せてくれた時、

あなたの心に 何か変化はおきませんか?  

何か温かなものが全身に流れませんか?

もしかしたら、それが、「愛」と言うものかもしれません。 

皆さん、愛する人や、良き仲間がいらしたら、どうぞ大切になさってください。

そしてご自分でも良き仲間となれるように、感謝と思いやり、

お陰さまのお気持ちでお過ごしください。

それはとっても 幸せな状態なのですから。


そして、ここにおいても心しておかなければならないことがあります。 

例え愛する人、良き仲間であろうと、別れの時は、必ず来るということです。

生涯死ぬまでずっと、心の通じ合う人と一緒というのは稀です。

もし今、お幸せなことに、心許せる人がいるのなら、

一期一会(いちごいちえ)の精神で、 

その美しく温かな関係性の機会は、

もしかしたら二度と訪れることが無いかもしれないことを 

心して、愛する人、仲間を、大切に大切に、優しさ、思いやりの心など、

自分のできる全ての良きものを持って、全身全霊でお付き合いしたいものです。 

そして、目いっぱい、その運命の出会いを楽しみ、愛と友情をはぐくんでください。

たとえ運命が、別れを準備していても、

その一瞬の煌めきは、決して消滅するものではないからです。

魂を揺さぶる、仲間との出会いは、死を超えて魂に刻みこまれます。

魂の成長に、何らかの必要があれば、また必ず再び 交り合うこともあるでしょう。

でもそれは、自分が決めることではなく、自然の流れとして起こってきます。

私たちの人生のタイムラインを管理してくださっている神さまが決めることです。

私たちは、ただ自然の流れに従い、逆らわず、今、目の前に居る人に

愛を込め、誠意を込めて、真心で接していくだけです。

流れに逆らい、既にエネルギーは別の方向に向かっているのに、

固執し、執着して手放さないと、運気は確実に下がって行きます。

神さまが用意してくださった方向を、自分の欲望と執着心で拒否しているからです。

 

「諸行無常」・・ 少し寂しい法則に感じるかもしれませんが、

宇宙は変化があるからこそ、進化し発展してきました。

自分にとって、辛く悲しく、苦しい状況も「諸行無常」の摂理が働くからこそ、 

次は良い方向に変わって行くのです。

ピンチがチャンスに変わって行くのです。

幸運は、不幸な顔をしてやってくることができるのです。

その繰り返しを通じ、私たちの魂も、変化し、進化していけます。

あるがままに、自然の流れに身を任せ、無理をしないこと。

現状に感謝すること。

刻々と変わり行く、この人生。楽しんで行きましょう。

笑顔と笑いがあれば、きっと何でも乗り越えて行けますから。


「与える喜び」


春日大社の元宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば、

神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんと叶えてくださる。

他の国で見られるように、必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、

神道では神さまを喜ばせる、感謝するということが祈りとなります。

こちらから頼まなければ、神様はやってくれない・・・というのは、神さまを冒涜すること。

神さまというのは全部知っておられるんです。

だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。

そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。そう仰っています。

あちこちの有名どころの神社や仏閣に出向き、 

・あれをしてください

・これをしてください

・あれもくれ

・これもくれ 

とお願いするだけでは、 

神様も辟易(へきえき--閉口すること。嫌になること。)とすることでしょう。 

そのような人間の欲望渦巻くところでは、せっかく力のある神さまの光も、

その闇にさえぎられてしまうことでしょう。

  

色んな神様がいらっしゃいますが、この宇宙を創造し、維持し、破壊する創造の神様は

大本の神様であり、創造の源です。 

レインボーチルドレンの言葉で表せば、12次元にいらっしゃるそうです。 

私たちの宇宙に住む、生命体が3次元存在、日本の有名な神々が8次元とのことで、

遥かに高い次元です。 

創造の源の神様が喜ばれるのは、 

・特殊な能力を持つことや

・優れた霊能を持つこと

・優れた過去世を持つこと 

などではなく、やはり王道である、

・私たちの心を清く保つこと

・身近な周りの方々と、仲良く助け合って暮らすこと

そんな一見、平凡に見えることのようです。 

それでは今日も、王道である私たちの心を浄化し、神々へ近づくためのお話をご紹介します。

注意深く、周りを観察してみればどんな人にも、自然や人を通じ、神さまはいたるところで、

その存在を教えてくださっています。 

今日のテーマは「与える喜び」です。 

私たちは、物でも、お金でも、優しさや、真心でも、 

まず、自分から出すこと(与えること)が最初です。 

与えた時の心の状態が、宇宙の果てまで、見える世界、見えない世界を飛び回って 

同じ波長のものを、仲間を連れて帰ってきます。 

時々、「優しさや親切を人に与えると、損した気分になる」

そうおっしゃる方もいらっしゃいますが、そんなことはありません。 

神々のエネルギーは無尽蔵です。与えることで、その何倍もの恩恵を私たちは受け取ります。

  

それでは、渡辺和子さんの言葉よりご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

近頃、もらう喜びは知っていても、

その他の喜びをあまり味わっていない子どもが、増えているように思えてなりません。

その他の喜びとは、

・与える喜び、

・分け合う喜び、

・そして自分で物事をやり遂げる喜びです。

マザー・テレサがこんな話をなさいました。

カルカッタの街に、八人の子を抱えてお腹を空かしている家族がいたので、お弁当を作ってもって行ったところ、その母親は押し戴いて喜んだ後、すぐどこかへ出て行きました。

やがて戻ってきた母親は、

「実は隣の家族も、このところ食うや食わずの毎日だったので、半分あげてきました」と言ったそうです。

マザーは、この話をしてから、

「貧しい人は偉大です。飢えを経験した人には、他人の苦しみもわかるのです」

と言われました。

本当の豊かさとは、このように、他人に与えるものをもっている心を指すのですね。

最近、自分でやり遂げる喜びを、子どもから奪っている過保護の親も増えているようです。

それは、子どもたちを愛しているように見えて、

実は彼らから、その成長に必要な自信と、自立の喜びを奪っているのです。

もらう喜びしか知らない子どもは、自分中心の世界で生きています。

どれほど多くのものを持っていても、その子の心は貧しいのです。

与える喜び、分ちあう喜び、自分で何かをやり遂げた時の喜びをも味わわせることによって、

子どもの生活を本当に豊かなものにしてやりましょう。

<引用終了>

  

確かに、何か物や、お金をもらう喜びよりも

・与える喜び、

・分け合う喜び、

・そして自分で物事をやり遂げる喜び 

の方が、私たちの心を喜ばせてくれますね。 

与えたほうも、頂いたほうも笑顔、幸せになれます。

そこには、調和が生まれ、平和が訪れます。 

どうせ与えるならモノではなく、 

・感謝

・喜び

・笑顔

・いたわり

・優しさ

・思いやり 

など、美しい心を与えて差し上げたいですね。 

その心は、巡り巡って、必ず自分に帰ってきますから。 

与えるものは、物質的なモノである必要はありません。

貧しかった良寛さんは、

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。

だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。 

それならいくらでもあげることができるから」 

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を 

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

にしたいと思って行動していたそうです。



2022年2月17日木曜日

2611「家族の幸せのために」2022.2.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月11日の記事を紹介します。


「家族の幸せのために」


私たちが生きていくうえで、いろんな悩みがありますね。 

ささいなことから、人生を左右するような重要なことまで・・

それらは、生まれる前に決めてきた「人生ドラマ」を演じるための

大きな役割、転機、方向転換など、、人生を彩るためのものでもありますが、 

その渦中においては、本当に苦しく、涙する毎日かもしれません。

そんな中で、簡単なことなのですが、

その積み重ねによって、確実に人生の方向を左右するものがあります。 

私たちが日常的に使う言葉。 

無意識のうちに使う言葉、癖になってしまった口癖などによって、 

・私たちの運命や、

・将来のこと、

・家族の健康、

・家族の幸せなど、 

全てが、左右されます。

そんなことは普段、考えたこともない人が、殆どかもしれません。

でも、その事を頭に入れたうえで

・周りの健康的なご家族、

・逆に、病気がちのご家族

のことを思い浮かべて見てみてください。

きっと当てはまることが多いかもしれません。

 

それでは、 幸せになりたい方、ご家族も幸せにしたい方 

そんな方のために、小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元


■「嬉しい」「楽しい」と 笑顔で言い続けると、

それを言う人、 聞く人、どちらも元気になる

日常で「つらい」「悲しい」「苦しい」「悔しい」と言い続けると、 

それを言う人も聞く人も、どんどん元気を奪われます。 

1年365日、言い続け、聞き続けたとしましょう。

それが3年、5年続いたとしたらどうでしょう。

ものすごい量の「気力」を奪います。

結果として、その家には多分「不幸」が集中するでしょう。 

「気力」も「体力」も「精神力」も「集中力」もすべて奪われる。

家族全体から奪われるのですから、 

・病気になる、

・風邪をひきやすくなる、

・集中力を欠き

・接触事故を起こしたり、

・不用意な発言をして人を傷つけたり、 

そういうことも増えます。

気力だけの問題ではありません。 

自分で自分に繰り返し「つらい」「悲しい」「悔しい」「苦しい」「つまらない」と 

言い聞かせ続けると、「生きているのがそんなにつらいなら、死んじゃいましょう」と、

体自身が反応し、ガン細胞を増殖させ、故障や病気を進行させます。 

体自身がそういう指令系統を持っているのです。

それを「悪い霊が憑いている」などと言う人がいますが、私はそうではないと思います。 

おはらいはいりません。

家の中で飛び交う言葉には

「元気を奪い取る言葉」や「怒り顔」をなるべく出さないことです。

毎日「嬉しい」「楽しい」「おもしろい」「幸せ」と笑顔で言い続けたら、 

それを言う人、聞く人どちらも、どんどん元気になります。

風邪をひくことが少なくなり、ひいても熱が出にくい、早く治るようになります

(免疫力や基礎体力が強化されるということです)。 

「バカは風邪ひかない」という言葉を、このようなことを知った上で解釈すると、

まったく違う「真実」に気がつくでしょう。

 

毎日、「嬉しい」「楽しい」と笑顔で、人を憎んだり恨んだりせずに言い続けている人は、 

「お前には苦労がないのか」と言われます。 

まさに「バカ」そのものです。

けれども、「バカは風邪ひかない」のです。

 それが真実であり、事実。

 

長寿の人に「長生きの秘訣は?」と聞くと、必ず入っているのが

「くよくよしない」ということ。

 毎日「嬉しい」「楽しい」と言い続けていると、風邪はひかないし、

長生きもする(体があまり傷まない)のです。

ついでにもう1つつけ加えておきましょう。 

ある人がケガをしたときのこと。

リハビリで何度か通ううち、ある先生から

「できないことばかりを挙げないで、できることを考えて、挙げてください」 

と言われたそうです。

  

考えてみたら、できることの方が圧倒的に多いのに、 

「できないことばかり挙げていた」というのです。

ケガをしたときだけでなく、日常的にも「あれができない」「これができない」と

言ってしまいがち。 

でも、たとえば足を捻挫したとしても、テレビは見られるし、食事もできる。 

手紙もかけるし、電話でおしゃべりもできる。

よく考えてみると、1万できていたことが 9900になっただけで 

「できること」の方が圧倒的に多いのです。 

そういう事実に気づき、それを理解し「できること」を強化し延長するようにしたら、

今までとはまったく違う速さで体が治り始めたとのことでした。

「楽天的に生きる」ことは、体自身の要請でもあるようです。

<転載終了>

日常使う言葉は本当に大切ですね。それが運命までも、左右してしまうからです。 

特に癖になってしまった口癖とっても大切です。

無意識の内に、自分の健康も、幸せ、不幸せも、ご家族の健康も、幸せ、不幸せも

全部を左右してしまうからです。

私は、このことを知ってから、 

・ありがとう

・よかったね

・嬉しい

・楽しい

・幸せだね

・おいしい

などの言葉をできるだけ使うようにしています。 

家族がいるところでも、独り言のように使っています。 

最初は難しいかもしれません。 ですが、慣れてしまえば、苦になりません。 

口から出る言葉、これに気を付けるだけで、将来の、ご自分と、ご家族の 

幸運が約束されているのですから。

やってみる価値はあると思います。

  

2022年2月16日水曜日

2610「2022年は「カオスの幕開け」 星の意識との対話より2」2022.2.16



ピッピ:いえいえ、ありがとうございます。

ジイジ:魂は、今縁があって出会っているとも言える。しかし、若い人々は、あんなに固くない。集い語り合え、語り合うことから真理が生まれる。これは天から示された言葉だ。

このコミュニティは、リーダーシップを誰かがとって引っ張っていく場所ではない。そうすると宗教になってしまう。そこで自らの役割や性質を活かし、お互いを生かし合う為には、語り合わなければいけない。「集い語り合え、語り合う中から真理が生まれる」という。そういう風に物事が、より円滑にスムーズに調和的に進む為には、「集い語り合え、語り合う中から真理が生まれる」という事すら一方的に聞いていく場所になってしまわないように、誰もが大いに語り合え、そこにこそ真理が生まれる。

それぞれに個性を与えられているのだから、智恵を吐き出すものもいれば形で表すものもいる。そこはネットワークしていけばいい。よろしく。日頃思っている事、こんな事を思っているという事を発表する場になればいい。

ピッピ:日常で起こったことをそのまま正直に言い合ったり、シェアしたり、そしてまたみんなの意見を貰ったりすること。

ジイジ:そして、全体が醸し出す一つの響きとしての流れを創る。そういったものが場の柱となっていく。

ピッピ:日常と一緒だよね。特に大人ミーティングの場所だけでなくて、いつもそうなっている。そして大人ミーティングでは、さらに洗練されたものを持ち寄って、ジイジの高い視点が入るからもっと高められる。

ジイジ:みんなにもその視点が入り、気付きとして、これか!と解るようになる。

ピッピ:全体で確認する場だものね。特に日常の方が頻繁に活性化してやりとりが行われる。

ジイジ:相性の良い関係の場合、こちらから「どう思う?」と切り出したことが「それ丁度欲しかった」となり、受け取って完結する。

相性が良くない場合、こちらから切り出したものに対して「それはあるから要らない」となり、協議をすることで、その余ったものをどこへ持っていくべきかというような調整も必要となるわけだ。沢山話し合って調整しなければいけない関係もあれば、何もしなくても、表現しただけですっと収まり、あうんで完結する関係もある。

ピッピ:業(カルマ)や我が強いと、自分の中の狭い固定されたものでいっぱいになってしまっていて、外からのものが入らない状態になる。

ジイジ:カルマか。それはそうだ。人間はカルマの垢を持ち過ぎているから。人の表情を観ていると、強いカルマの存在を感じる時がある。とてもきれいで、そういったネガティブさを感じられない人もいる。

しかし、きれいだと、汚れの中にいると激しく汚れる場合がある。汚れたら、それこそ心の風呂に入り、きれいにしないとこびりつく。常に磨いていく事を課せられているという事が、そういった純粋な思考を貰っている証となる。

それらを紐解いて、こういった方向に進めば良いという取り扱い説明書はできない。そこで取り扱い説明書を作ってしまうと、人生の方向が決定されてしまう。地球の未来もそうだが、最終的には宇宙の未来すら、カオスなのだから。

これで解った!(メンバーの)ゆうこは、僕といる時には「ジイジゆうこ」になるが、母親と一緒にいると「おっかさんゆうこ」になる。つまり、僕といる時には、ゆうこの中ではジイジ的思考が優先する。しかし、母親と一緒にいると、そのカルマが優先しておっかさんのDNAが表れてくる。

星の意識:そうです。家族からのカルマの伝承は大きな影響をその人に及ぼしますが、赤ちゃんの時におなかの中で変化したり、生きていれば顔も変わったり、どの部分がその存在に出て来るかは、遊びの部分として表現されています。

ジイジ:それではカメレオンのようだ。肉体と比べて心や魂というものは、カメレオンのように常に変化し、現象に影響を与えているということだ。

星の意識:それが無意識下で起きてしまうコントロールできない状態もあれば、人間がコントロールできる意識レベルもあります。魂のレベルが、コントロールして出せる意識にあれば、むしろそれは善き事のため(ポジティブ)に使えるものです。

ジイジ:解る。そういう事だ。そこである程度コントロールできるようになるためには、構造や性質に影響を受ける自らの取り扱いをマスターする必要がある。ただ湧いてくるものに翻弄される状態では、今の世の中の人たちのように乱れたり、荒れ狂ったり、命を絶ち切ってしまうような行為にもなるのだろう。

星の意識:人間たちは、科学技術、AI技術のような、機械的、物理的なものを発展として捉えていますが、それはとても小さな領域の現象の一部に特化した事であり、本来生命の進化とは、精神の進化に真の目的があるわけです。ご存じだと思いますが。

ジイジ:解っていますが、そう言われるとなお、確認できます。我々生命というものは、肉体と魂がセットとして成り立っており、それを誘導するのは精神の方です。

星の意識:過去にもその事に気づき、目覚めた覚者がおり、そして同時に、それを理解しない者たちもいましたが、現代では、人間が進化と捉えている、私たちが捉える狭き視点が有象無象にあり過ぎて、本来人間に与えられた真の目的である精神の進化への道に気づき、歩む者が非常に少なくなっています。

ジイジ:物質的には多様な世界に行きついたが、精神的には大変狭い状態に陥り、凝り固まっているということだ。幅が狭く凝り固まっているから、多様な現象に対しても同じような反応を示し、世界に大らかさが失われた。

星の意識:一定期間地球にある種の振動が続き、そのサイクルが続いていく中では、物理的なものに埃が溜まっていくような状態となり、重たくなることにもなります。

ジイジ:上手い事をいう。精神的な意味ではカルマの蓄積という事だ。

星の意識:そうです。ですから当然そういった現象が起こりうるわけです。その中で、自らの意志により魂をクリアにしていける者が現れるのです。それが本来の進化、我々が望む目覚め、真の進化なのです。

その中で差が生まれ、選り分けが行われていきますし、そのように埃が溜まっていくことにより、結果的にクリアなものが発生していく仕組みなのです。

ジイジ:その言葉を聞きながら、既にそういった存在が現れて来ていると思ったのですが、それはあなた方が派遣しているのか、もっと大いなるところの意向として派遣されているのか、どうですか?

星の意識:派遣されているのではなく、先ほども言いましたが。

ジイジ:自動的に発生しているのか。

星の意識:そうです。ある目的はありますが。

ジイジ:そういう構造をしているのか。そうか、宇宙が自動的に生み出していたのか!

星の意識:そうです。何か一つの可能性しかない目的を持って創られているわけではないのです。

ジイジ:そうか。解った。目の前の霧が晴れたように。

星の意識:愉しみでしょう。それが行われるのが。

ジイジ:いやいや、説得されてしまった。そうすると、それが宇宙の実体で掴みどころがないとも言えるけれど、掴みどころがないところの可能性がいかに愉しみであり、大いなる仕組みであるのか。奇妙に何か約束されて安心するのとは違う可能性の偉大さや歓びが、そこにはある。

星の意識:でも、あなたにもそれを与えたいと思う心があるでしょう。私たちと一緒です。

ジイジ:ただ今、私は不自由なのです。それは、肉体を持っているからです。ジレンマ故に肉体を返上するという事も浮かぶのですが、それは本当にすることではなく、いつかそこへ還ろうと郷愁を感じているだけなのです。

しかし、身近に派遣されている者もいる。確かにそういった配慮を感じている。湧き出してくる者を身近に知っている。そういった会話を、このようにして地上の者と出来たらいいと欲のように思うけれど、まだその存在は幼い。今はそういった会話はできないけれど、『バナナ欲しい』とは言って来る。その存在は、当たり前にそのように語る一言に、人を動かす力を秘めている。

星の意識:先ほど言った隠してあるカードに関してですが、それに対してイサナという者は近くにいる者です。それは偶然とも言えるし、必然とも言える、あなたの近くにいる、近い者です。

ジイジ:それは、生きていく為に必要な長い間使う道具のようなものを、少し不自由だから、与えられたようなものです。

星の意識:この世界には、あなたとは全く違う役割をする為に隠されている者もいます。それは比べるものではなく、どれも必要なものです。同じように隠されて現わされています。

ジイジ:いや、参った。僕は内に秘めたる想いを語ると、このような想いがある。

いずれ肉体的に去っていく時が来るから、次の段階が来る前に、どの人もみんな新しい歩みの方向に向かって行くことになる。いつまでも、この状態が続くわけではない。

どこかで次の道を歩む時に、自らの決意として、逞しく歩み出すのだろう。それまでは、寄り添っていく縁がある。それはこの魂(星の意識)との会話の中で示されたけれど、決定されたものではない。それは常に流動的に表現されながら動いていく。だから楽しみでもある。決定されたレールの上に乗っているものではないのだから。決定されたような表現をすることがよくあるのは、そこには確かにレールがあるからだ。

悟れない者がこの道を知ると、不幸を感じることにもなる。また、僕のように憂える心がある者がこの道を知ると不幸だとも言うが、レールの延長に何があるかと言えば駅がある。この世界のダイヤのように決められた駅に着くのではなく、その都度レールが敷かれていき、そこを走って行くと、霧のような道を進んで行った先に、予測できない所に駅がぽつんと現れて来る。それは楽しみでもあり、時にはその出会いに望みを持ったり、結果をいただくという尊さの発見にも繋がる。

ピッピ:人間はショックを受けたりもするが、ポジティブな思考がベースにあれば、駅が現れるのも現象化だから、歩んでいくと楽しみがある。

ジイジ:そういえば、みかこが来年のテーマについて話していたが、そもそもテーマは年を明けて出ることが多いのに、前もってそんな事を言っていた。今年も年末で来年もすぐそこに迫っているという事で、夕べの憂いの状態や、その延長に今、この尊き存在との出会いがある事が解った。これが来年のテーマだ。

ピッピ:え?この状態にあることが?

ジイジ:この状態にあるという事が、来年のテーマだ。言葉に表すことがなかなか難しく、生まれてこないけれど。カオスとはそういう意味である。

みかこ&まりねえ:混沌(こんとん)。

ジイジ:そうだろう。いよいよカオスの中に道が入っていく。カオスの扉が開く。解らないか?

まりねぇ:カオスの扉。混沌とした中に扉が開く?

ジイジ:先生、違うよ。そんな風に言葉を繋げて解り易くしてはいけないんだ。そこで解り易くしてしまったら面白くないだろう。

まりねぇ:すみません!

ピッピ:先生だったから、解り易くしちゃったね(笑)

ジイジ:霧が立ち込めている中にレールが敷かれていて、先は枕木の上に線路が観える。列車でもない、こちら側にあるもの(意識)がそこを走って行く。走ってというのは、足を二本使って走るのではなく、ただレールの先に向かって動く、霧のようなものに乗って進んでいる意識。

星の意識:人間の言葉では解りませんが、通りというか、道でもないし、通っている状態ですよね。動いている空間を現わしているから。言葉にはできないのです。

ジイジ:そうです。イメージすると今のような表現であり、その状態に向かう人類の悟りの目的は、「その境地で未来をいただいていけ。そういった時代にこれから入ります」という事だ。

あき:カオスという言葉を調べたら、「様々な要素が入り乱れ、一貫性が観えない、ごちゃごちゃした様子。そのような様相を形容するものとして用いられることが多い。これは元々、宇宙(コスモス)が成立する以前の秩序無き状態を意味する」と書いてある。

ジイジ:それは、宇宙が形成される事自体も一時的なものであり、そこで文明が発生した時に宇宙がカオスではなくなった。矛盾しているようだが、人間たちが「こうなったらいい」、「ああなったらいい」と思惑の中で歩んできたことも、人間の進む道が宇宙へ還っていくきっかけとなるように、簡単に言えば「すべては頂く上にある」という事である。それは世界がある事、起きている出来事を頂くという事。そういった事かと納得しようとする想いが、湧き出しそうになった・・・・ああ、消えてしまった。

ピッピ:カオスだから頂くという事なんだよね。

まりこ:頂かざるを得ない。

ジイジ:そう。もう一つあったのに、機能が大分退化してきた。しかし、これは機能の退化なのか、単に物理的機能の退化の結果に、これが起こっているのか。時々消されている可能性もある。

まりこ:ここだけではなく、世界全体にそういった事が起きている気がする。

ジイジ:最近、こういう事がある。思惑を持ってすることが、すべて外れる。思惑を持って行えば、それはすべて壊れる時代に入った。それはカオスの時代に入ったので、テーマは「いただく」。そういった時代に入ったという事だろう。

まりこ:世界は、頂かざるを得ない状況になっていく。

ジイジ:これはもしかして、テーマが毎年固定して一年二年という区切りで出て来るのではなく、今までは、人間が文明の時代に入ったなどの大きなくくりがあった。

そこで銀河の冬至を越えた結果か、いよいよ光や真理に向かって進む上昇気流に乗り出した今、ここからは人間の叡智で組み立てていく事ではなく、「人間は受け皿として頂く姿勢を取って行け」という事なのだから、そこでの頂くという事は、この大きな時代の節目において、思惑を捨てて頂いていく時代の幕開けとなる。その幕開けは、6450年の太陽圏サイクルの四半世紀の幕開けという事だ。『幕開け』!

ピッピ:幕開け!

あき:だから天に心を向けていくのか。

ジイジ:いろいろなテーマが浮かんできたが、結局テーマは・・・。

みんな:幕開け!

まりこ:思惑通りにいかないんだね。

ピッピ:でも、ただ幕開けって言っても理解できないね。

ジイジ:だから、『混沌(カオス)の幕開け』。「カオスの中に突っ込んでいく事を、覚悟して行け、その覚悟があるか?バカたれー!」という事だ。

みんな:笑。

あき:でも面白いね。

ピッピ:今、生み出すのになかなか捻ったね。生みの苦しみ。

ジイジ:そう思うと6450年の下降線は、これを生み出す為の苦しみだったのか。

まりこ:いよいよ形として壊れていく事に出会う覚悟が、必要な時が来たということかな。

ジイジ:結局、みんな頂いているんだよな。僕は正月が近いわけだと実感した。心の大掃除、整理整頓をして正月を迎えなければいけないのだと想い、心が急かされ、これを今やっている。これで準備ができた。あとは、お節を作るだけ。300食作って、余ったら僕が食べるんだ。

まりねえ:余らない!

ジイジ:余ったら食べる。

まりねえ:余らない。僕の分は余るよ(笑)

ジイジ:今度の子どもは、あまるくん。カオスとか、マクアケちゃんとか、コントンとか。イタダクとか。

みんな:笑。

ジイジ:カオスを頂くという事、つまりカオスは霧のような掴み所のない宇宙雲という事だから、宇雲(ううん)なんだよ。宇宙雲は人間が観る地球上の雲とは違い、霊的に漂っている。すべてに遍満して漂っている。宇雲。宇宙雲の実体は神だから。雲のように形作ってこれと言って示さない。しかし、すべてに遍満し漂っている。宇雲。

あき:今更ながら、ジイジが「宇宙雲は神の実態。漂って遍満している」と言った時に、「ジイジすごいな」と思っちゃった。さらさらさらと出て来るんだもの。

ジイジ:僕の思考は今、遍満しているんだ。そういう景色を観ながら、肉体を持たない状態で思考が漂う。そうすると漂いながら宇宙雲に触れると、何というか・・・それを叡智とは言わない。

叡智とは、人間が生きていく上で湧き出してくるその術を収穫しているようなものだが、そんな限定的なものではなく、この雲はそれがありとあらゆる宇宙に配置されているからこそ、この秩序がある、という実体そのものだ。そこに、肉体ではなく、魂を泳がせると、今のように言葉が出て来る。

あき:ああ、いいな。

ピッピ:いいな?

あき:いや、この湧き出してくる感じがね。

ジイジ:湧き出してはいない。湧き出しているのは、昔の宇宙図書館だ。あれは確かに湧き出してくる。考えると湧き出してくる。これは、ふわーっとした宇宙雲に触れると、出て来る。既存の表現では示せない。言葉に乗って出る言霊でもない。響きになって、ここ(クチ:自由が持続する所)から出て来る。

まりねえ:だから、時々消えちゃう。

ジイジ:なぜか消えてしまうから、これは加齢的現象の結果かなと思うのだが、そのタイプとは違う。消えた時は残念だけど。つまり何故それが起きるかというと、湧き出す言葉を組み立てる時、三文字陽性的な癖があって、方向性を観ながら順番に組み立てるという事をやっていると、その思惑が外れて消える。そうではなく今のような肉体も思考もない意識状態で、雲に触れていくと出て来る。肉体を持ちながらそれをするのは難しいが、それを天は「理解できます」という。それを、宇宙的痴呆と言ったりして(笑)。

みんな:宇宙痴呆(笑)。

ジイジ:おい、仕事いくぞ。のんびりしている場合か。この話は相当人材が揃わないと出来ないよ。

ピッピ:揃った。見て(笑)。

ジイジ:これはカオスであり、約束しない所で出て来る。

ピッピ:カオス・・・。

ジイジ:「今日から始めます」とか、「映像観て喋ります」とかいうのでは絶対、出てこない。これだよ。来年は。

あき:なんかいいね。人知でなく、決め事じゃなくて。

ジイジ:ところでテーマは、なんだっけ?

みんな:カオスの幕開け。

ジイジ:宇宙は多次元構造になっているので、多次元構造になっている事をリアルに理解する時代が来たという事だ。宗教は、多次元構造の中にはない。この世界にしかない。そうではなく、実際に多次元構造である事を人間が解って生きていく時代に入ったという事だ。だから「混沌(カオス)」。幕開け祝い、踊ろうぞ。

ピッピ:だから、ツイスト。ツイストとは、複数のものが寄り合い一つになる、そして質的転換を起こす、という意味がある。

ジイジ:これは、とても大きな異次元からのメッセージだ。

まりこ:今日、冬至。

みんな:今日は冬至!すごいね!!

ジイジ:それで正月が近いのを感じたんだ。そういうことか。

すべては善き事の為にある。どんなに過去の延長の経験が、「外れた」と思うような出来事や日常であっても、すべては過去の事である。

過去をトラウマのように引きずる者にとっては重要となるが、過去を未来への延長に、未来に新たなものを気付(築)いて、常に自由自在の進化の旅を続ける者にとっては、それはあくまでも踏み台であり、自由自在に羽ばたくエネルギー源となる。そのように捉えることが肝要である。すべては善き事の為にある。仕組みはその者の姿勢がもたらすものであるならば、個人にもたらされることだけではなく、この世界にも同じようにもたらされることである。そのような境地に至った者にとって、大いなる者の存在は、すべては善き事の為にある。


2022年2月15日火曜日

2609「2022年は「カオスの幕開け」 星の意識との対話より1」2022.2.15

今回は「木の花ファミリー」のいさどんの「ジジイのブログ」から2022年2月8日の記事の一部「2022年は「カオスの幕開け」~ 星の意識との対話より」の記事を紹介します。

https://jiiji-konohanafamily.org/


2021年冬至の日の、ジイジと星の意識との対話、そして、それを受けての木の花ファミリーメンバー達との会話をご紹介します。


*星の意識とは

私たち生命は、現象世界において、物理的肉体の成り立ちと霊的な生命の成り立ちを並行して稼働させながら、日々を生きる構造になっています。物理的人類が観察できる地球上から宇宙までを含めた世界には、物理的には見えない霊的法則が反映されているからこそ、その巨大な世界が保たれていると言えます。

ですから、私たち一人ひとりが、霊性を織り交ぜた物質生命として存在しているのと同じように、万物が相似形で成り立つこの世界では、星々もまた、物質性と霊性が織り交ざって存在していることは容易に想像できます。

ミクロからマクロまで、大小様々な存在がそれぞれの宇宙的ポジションにおいて霊的な意識のもとに存在しており、私たち自身の霊的意識を鋭くすることで、それらの存在と霊的な対話をすることが可能となります。

以下にご紹介する会話は、シャーマニズムと言われるような霊的体質が鋭いメンバー、ピッピが感受する星の意識と、ジイジの宇宙的意識との対話によりもたらされたものです。

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ジイジ:天は、「僕と同じような役割をする存在が地上にいる」と言っていたけれど、実際にはそんなものはいないのではないか、と最近は思う。みんな視野が狭い。ロケットを打ち上げて宇宙へ行ったと言っても、宇宙全体のスケールからしたら、それはほとんど地球の表面でしかない。月へ行く事も、地球の一部に行くようなものだ。宇宙に行くと言ってもその程度の事しか、人類はまだやれていない。

それでも今は宇宙時代だという。人間は、地球の引力を定めにもらっている。それはなぜかというと、肉体は物質だからだ。つまり、そのことで想像できるメッセージは、「地上に留まり、何かを表現しなさい」という事だ。

ピッピ:さっき、ジイジは『自分と同じような役割をする魂が他にいないのではないか』と言ったけれど、星の意識は、『いますよ』と言っている。

ジイジ:そういった存在とそろそろ連携することを求める。

星の意識:その存在とは、会わないようになっている。隠してある。

ジイジ:という事は、今のところ、その魂たちは表に出ないようにしてあるということか。

星の意識:それぞれ役割があって、必要な時には会う。

ジイジ:そうであるとしたならば、縁があって集うという事は天の采配だとして、ここに集っている者たちはそれぞれ役割があるというレベルの者なのだろうか?

星の意識:ここにいる人々は、一つの身体的なものであり、あなたの役割や、その他の隠してある役割のようなものとは、別のものです。

ジイジ:そうであるならば、私の役割は精神を生み出す役割であるとして、他の者は身体で言うと、色々な部位を表現する役割であり、頭脳や精神の役割は一人だけでよいという話だろうか?

他の者に頭脳の役割をすることが困難なのだろうか。そうであればこの集団の肉体は、本来は頭脳のままに動く筈なのに、よほど不便な肉体ということになる。肉体のような頭脳のままに動く機能を持って、各部位が自己主張したり怠けたりせずに、一つの生き物のように動いて、全体が機能する事を目指す。そういった姿を人間たちが目指す理想としたい。

星の意識:あなたは、人間の身体に例えていますけれど、一つの例として人間の身体という事で例えるのは理解できますが、先ほどあなたからの投げかけによって私が答えたのは、そうではなく、小さな細胞の一つが例えば何かの目的の為に集まり、その寄り集まったものの集合体が、変化変容を起こすタイミングで変化し、それが何に変化するかは未知数のものであるという事です。

ジイジ:解る。そちらへきたか。(天からの視点の違いを痛感する。)

星の意識:いくつかの可能性がそこに秘められていて、それを私たちは観ているのです。

ジイジ:模索しているということか。そうすると、この取り組みは人間の身体の機能のような、もしくは生命の身体の機能のようなDNAのようなもので、方向付けられたものではなく、ある意味大いなる宇宙実験のようなものであるという事か。

星の意識:ある程度の方向付けは、されています。凝り固まったものではないという意味です。

ジイジ:解った。自由があるというか、可能性がそこには秘められているという。

星の意識:そうです。

ジイジ:そうであるならば、一つの提案のようなものとして、地球の現状を考えると、どういう風になったらいいかという決定事項を持っているつもりはないが、人類が将来滅亡するとか、さらに地球生命が大絶滅するとか、そこに繋がる可能性だってある。

人類の行いが原因にならなくても、他のいくつかの要因によって生命が絶滅する可能性もある。単なるネガティブな意味で憂いているのではなく、今の地球の状態や、人類の目覚めの現状からすると、できれば、善き事の方へ行くようにと考える。善き事の方というのは、宇宙が創成された地点に向かい、それを目指して還ろうとする動きを元にして、このように考える。

今その事を語りながら想うのは、地球上でどんなに殺戮が起きようと、人間自身が自滅していこうと、長い地球上の歴史の中では、それはある意味過去にそういった事が起きたというだけの事であり、何かに到達する為の一つのプロセスに過ぎないという事か。つまり、宇宙法則や大いなる魂を神と呼ぶならば、神の導き給うプロセスや思惑というものはないのだろうか。

星の意識:その大いなるもの、私たちの親である「神」と呼ばれるものは、あなた方人間の言い方でいう親のようなものです。私たちは、その未熟な子供達が目覚めるように、いつも見ており、その子供がどのようになっても、ある意味大きな手の内にいるものとして観ています。

ジイジ:その手の中は、常に可能性で満ちている。

星の意識:例えば、一つの色を作る時に、ある程度混ぜる色の予想を立てて選びます。いくつか方向性を立てて作り出します。それは作る時に、いくつかの方向性を持たせて作り出されていき、それを元に揃えられたり、作り出されているので、そこには、目的のようなものがあるわけです。ただ、それが結果、どのようなものになるのかは限定されていないのです。

ジイジ:それは私の地球上での生き方と同じです。

星の意識:あなたと同じだと思います。ただあなたと私たちの違いはというと、あなたはジレンマというものを持っていて、私たちは持っていないという事です。

ジイジ:なぜ私がジレンマを持っているかというと、この地球の物理的、霊的現状を観るからです。

星の意識:それは、仕方がないのです。理解できます。それはそうでしょう。

ジイジ:宇宙視点というものを自らが語りながら、ジレンマを持たない立ち位置にいけないでいる現状にあるにも関わらず、そういったジレンマ的要因を観て行くということは、地球上で起きている色々な問題点も大いなる親心のように観ていくべきですか?

星の意識:いいえ。あなたが足りていないという意味ではないです。要はあなたはそれを持っているのですが、私たちと違いがあると言ったのは、足りないという意味ではないのです。

ジイジ:立ち位置の違いか。

星の意識:そうです。違いがあるという意味だけです。その違いは、必要なことでもあるという意味です。

ジイジ:そうですね。大いなる精神に則って、ただニコニコしていたら、何の役割もできない。

星の意識:それがないとあなたの役割はできないのです。

ジイジ:ということは、今の私の立ち位置も、役割として必要な事ということか。若い人たちに次の役割の期待をかける事は、ジレンマがあるからそうするのであり、なかったら「なんでもいい」という事になります。

星の意識:その事に対する一つのポイントを伝えますが、あなたに不必要なジレンマが起こっているとは思わないでください。

ジイジ:解ります。

星の意識:この時代や現象の中に、それが必要で起こっているという風に捉えるべきです。あなた個人のものではないのです。

ジイジ:解っています。私はそれを個人のものとは捉えていません。ただ、それを情報として捉えた時に、憂える心があるので、このように申し上げているだけで、だからと言って、中国の指導者たちのように人間的力や立場を使って、それで何かを捻じ曲げ、自らの思惑へ持っていこうとはしていません。あくまでも個々の目覚めを促している立ち位置にいます。

星の意識:あなたが感じているジレンマと呼ばれるものも、私たちは情報として記録しています。

ジイジ:その状態は、私の立ち位置に特別に発生するものだと思っています。

星の意識:それを元に次なることがまた、判別されて行きます。

ジイジ:そうすると、「このままで続けなさい」ということか。つい二日前に木の花祭りの花宿について、現状で進めて行こうと提案したことや、コロナワクチンを打つことに対して、世の中の流れに沿っていこうと決定した事と同じ事になる。

星の意識:そしてあなたの他にもいくつかの役割は降りています。ただ、それが解らないようにしてあるのです。

ジイジ:昔、山田有子(スミコ)さんに出会った時に号泣したけれど、あの出会いは何だったのか。そういった存在と出会いたい。

(ジイジは39歳の時にシャーマンの女性と出会い、その女性は人格的には不完全な人であったけれど、一般的な物理的出来事を背景とする価値観だけで物事を見る世の中で、霊的な存在に出会ってしまった人の持っている孤独を互いに確認し合った。)

星の意識:肉体がないところでは出会えています。

ジイジ:ですから、肉体を返上することにどこかで憧れるのです。

星の意識:あなたに時々会いに来る者たちは、肉体がないから自由に会いに来るでしょう?

ジイジ:そうでした。どうも失礼しました。

星の意識:現象界を生きる現状の人間の意識では、それは難しいことの方が多いのです。

ジイジ:そうですね。対象の数は78億程いますが、全ての人々に、その目覚めの可能性はあるのです。

星の意識:物理的な数の問題ではなく、現象界で出会うという事は、そこで現象化が起こってしまうので難しいことがあるのです。

ジイジ:流れのままに物語を遂行する時に、そこに特別な場が出来てしまうと流れが歪むことがある。

星の意識:そうですね。特別な役割を持ったもの同士が出会うと既に完成している為に、現象に影響を与えてしまうとそれが意味をなさなくなる事が起こりうるので、それは、現時点においては、出会えないようにしておく必要があります。

ジイジ:大変、勉強になります。今気づいたのですが、この憂える心が時々波のピークのようになった時、この心を持って投げかけることがこの叡智をいただくチャンスとなるので、やはり憂えることは必要だということでもあります。あなたたちと通じる為にも。

星の意識:そうです。それは信号のようなものの波動、パルス(極めて短い時間だけ流れる電波・メッセージが秘められている信号)のようなものです。波に強弱はあります。そして、その強弱によって起こるべき事柄が発生してきます。地震や津波でも被害が起こる時もあれば、起こらない時もあります。それによって人々の心に変化が生じる時もあれば生じない時もあります。受ける者の位置によってもそれは違います。ただそのように揺さぶりが起こるようにこの世界は創られているのです。

ジイジ:それと、その揺さぶりに敏感に反応する者もいれば反応しない者もいる。

星の意識:そうです。その者の位置、目覚めにもよります。

ジイジ:ありがとうございます。大変参考になります。心をきちんと保っていく為の微妙なコントロール操作に役立ちます。ありがとうございます。ピッピ様。役割ご苦労様です。




2022年2月14日月曜日

2608「カオスの時代を乗り越える ただひとつの方法」2022.2.14

 今回は「木の花ファミリー」のいさどんの「ジジイのブログ」から2022年2月8日の記事の一部「2022年元旦のジイジの挨拶」を紹介します。


「カオスの時代を乗り越える ただひとつの方法」 2022年元旦のジイジの挨拶


新年明けましておめでとうございます。

12月31日から夜が明けると、世界が新鮮で違ったように感じます。そこで、新たな年を迎えたような気になります。それは、地球は常に同じように回り、自転公転を繰り返し時が経っていく筈なのですが、その時というものには節目があり、1年の始まりの日には、その始まりを新たな気持ちで迎えるという私たちの意識と連動する何かが、この空間というか、この場にそういった響きとして感じられるからです。

 この新しい年のテーマは、「カオスの幕開け」です。「カオス」とは、「混沌」という意味です。何が混沌かというと、時代が難しい時代に入り、先行きが見えない。表面的には同じ時間を過ごしていくように見えても、政治、経済、産業などの世界情勢は混迷を極め、環境問題がいよいよ顕在化し、天変地異を始め、世界中で様々な災害が起こることが予測されています。

さらに、私たち人類が考えられる範疇を超える想定外の出来事が、これからの人間社会にのしかかってくることが予測されます。これまででも、地球の営みに人類が付き合ってくる中で、予測不能な出来事には出会ってきましたが、人間たちが、過去に起きた出来事を未来に当てはめていくことによって、人類の進化がもたらされてきたのです。

過去のことをデータとして未来を読み解き、それに基づいて進化してきたことで、人間は「自分達はわかっている」とする傲慢さがもたらす特殊な能力の上に支えられた進化は、予測不能なことに対して無防備であることを、今時代はこの混迷を通して伝えてくれているのです。

 そういった今までの人間の姿勢が、まだ改まらない中で、私たちはこのような、自然と共に生きる農的な暮らしを営んでいます。今、自然は人間に対し、何かメッセージを伝えようとしていますが、それがどんなメッセージかという事が人々にはまだよくわからない中で、ついつい自分達の都合の良いように日々が進んでいくことを想像してしまうのです。

しかし、実際に過ぎ去った過去を振り返れば、たくさんの想定を超えた出来事に出会ってきました。自然災害だけでなく、人間のつくる人工の世界の中では悲惨な出来事がたくさんあり、相変わらず自殺者も多いのです。


そういった中で「混沌」が何を示すのかというと、混沌には二つの意味があります。

混沌として先が見えないという事は、ネガティブに捉えれば、不安の発生源であります。しかし、先が見えないからこそ、混沌の先に何が起きるのかという事をポジティブに捉えれば、私たちが想像できることを超えた新しい時代を迎えるという事が言えるのです。

 その新しい時代は、新たなものを与えてくれるだけでなく、ネガティブな出来事が起きても、なぜそれに出会ったのかを考えれば、自らの想像を超えた出来事を頂く精神を育ててくれる機会となり、それは、私たちが生かされているという生命としての原点を学習する機会でもあるのです。

そこで人々は、自らが陥っている、進化を妨げる自我を乗り越えていく事ができるのです。その時点で、次の時代が観えてくるのです。つまり、混沌とは、私たちの現状の能力を超える可能性を秘め、次へといざなう希望にもつながるのです。


「カオスの幕開け」とは、そういった先の見えない難しい時代に、世界中が入ったという事です。世界中がそういった時代に入った時だからこそ、智恵を湧き出させる。私たちが智恵の湧き出す器になるためには、美しい心でいなければなりません。正直で、みんなが信頼できる。そういった場所を創るからこそ、みんなの力が集結し、無駄なく一体となり、それを乗り越えていけるのです。

混沌の時代に、嘘をついて、人とつながらない、正直でない人々は、互いを疑い、ますます孤独になり、不安が増していくことでしょう。孤独というのは、最後には自分自身を行き詰まらせます。それが今の時代、社会に様々な形で現れています。そういった、私たちを不安に貶める因子を突破するためには、いつも自分のお腹の中にあることを正直に外に出し、人と通じ合い、信頼できる関係を創ることです。

 その信頼できる関係を創る時に、一人では、いったい誰と信頼関係を創るのかということになります。たくさんの人が集まり、信頼できる豊かな場所を創る事こそが、このカオスの時代を乗り越える唯一の方法なのだと思います。

時代が難しくなればなるほど、その厳しい時代を乗り越えるために、豊かさを表現する。その豊かさとは、みんなで助け合って生きていくこと。それが今、私たちに求められていることだと思うのです。


今年は、去年よりももっと厳しくなることは、まず間違いないでしょう。そんな中で唯一、こういった生き方を大事として始まったこの暮らしは、今年で29年目に入ります。この暮らしをしてきたことの意味がいよいよ示される時代が来た事を思うと、ますますこの生き方の大切さを感じます。皆さんと共に、その理想をぜひ実現しましょう。そして、自分達だけのためではなく、世の中のために、見本となっていく時が来ている事を実感しています。

 今ここで、こういった生活の発起人としてこの話をしていますが、それはここにいる一人ひとり、老いも若きも皆が自覚し、自分発でその発信をしていく人になって頂きたい。そのネットワークをもって、ここの理想を表現し、世の中の模範としましょう。

 そういった意味で、昨日から今日への区切りを越えただけではありますが、とてもめでたいと感じます。本当にめでたい生き方を表現する時代が来たのですから、「難しかったけど、良かったね」と、みんなで未来に言えるような決意のもとに、改めて、新しい年のスタートを切りましょう。

 本当に、おめでとうございます。そして、ありがとうございます。

 

https://jiiji-konohanafamily.org/



2022年2月13日日曜日

2607「空海の優しさ」2022.2.13

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月09日の記事を紹介します。


「空海の優しさ」


人間は、この地球に魂の仲間たちと劇を演じに来ているのだそうです。

生と死を、何度も繰り返し、役割を変えながら、何度も何度も、地球に転生してきます。

さらに、今の私たちの姿は今演じている劇中での役割にすぎません。 

それが、私たちの全てではありません。 

別の劇が始まれば、

一瞬にして性格も、個性も、身体の状況(健康、病気、障害)も変わります。

これは多重人格の人の姿を見てもわかります。

人格が入れ替わった途端、

・言葉

・体つき

・顔つき

・病気/健康、ケガの治癒

・障害

・興味の対象

・性格 

全てが一瞬で変わります。 

同じ身体であるにも関わらずです。 

ということは、意識次第で、意識が変わることで、物理的な事項も含め、

全てを一瞬で変えることができるということです。

以前記事にもしましたが、大竹しのぶさん


あまりに全身全霊の演技派女優であるがゆえに、憑依型女優ともいわれています。 

演じる時に、まさに、その人物になりきって演技するからです。

ある日彼女が、少年の役をした日、整体に行ったそうです。

その時、女性整体師さんに「股間に異物がある」と言われたそうです。

つまり、完全に役になりきった故に少年の身体になったのです。 

つまり、私たちは意識を切り替えることで、一瞬で別の人格になることができるのです。 

人格が変われば、それに伴って周りの環境も、がらっと変わります。

今の性格、身体は私たちが演じている役割の姿、

そして、それが永遠に続くものと思っています。

昨日も、今日も、明日も、それが幸せな境遇なら、まだしも、

もし、人を憎み不幸であるならば、意識を変えることです。 

自分は

・優しくて、

・思いやりがあり

・愛にあふれ

・健康で

・周りの方々に感謝しており

・お互い様

・おかげ様で

・助け合って生きている 

昔も今も、実はそんな人間だった。 

と意識を変えるだけで、役割を自分で変えるだけで 、

その瞬間から、新たな人格を生きることができます。 

そして、心が、自然に現実を作っていってくれます。

   

それは、まさに、神様が、私たち人間に、神様と同じ能力を与えてくださったからです。 

ただ、その真実が隠され、秘密にされてきたので、 

多くの人が、自分の能力に、気づかなかっただけです。 

空海は、このように仰っています。

「即身成仏」についてです。

私たち人間は、その心次第で、

生きているうちに極楽に住むことができるんだよ・・

この即身成仏について、作家の佳川奈未さんの意訳をご紹介します。

<転載開始> 転載元 


人は着の身 着のまま 

ありのままの自分でいても

愛と慈悲を差し出すことで 

即 仏になることができる

仏性は つねに 人の中にあるからこそ 

探し回る必要もなく

遠くに求めに行くこともない

ただ あなたが 優しさがなんなのかを知っており

それを 目の前の人に 

そっと 差し出すならば

あなたが人の痛みを知っており 

それを目の前の人を癒すものとして  

あたたかい言葉をかけるなら 

それこそが 仏の姿の現れだからです

愛と慈悲 すなわち 仏性は 

頭で 理屈として 理解するときではなく

わが身をもって 実践するとき 

花ひらきます

<転載終了>


やはり、空海自身も私たちの内には神さま(仏性)がいらっしゃると仰っています。

具体的に空海が言った仏性とは、内なる大日如来のことです。

そして空海が仰るには、

・人の痛みを知っていること

・優しさがなんなのかを知っていること

だそうです。

すなわち、私たち自身が、その痛み、苦しみ、辛さの中に 

一回身をおいて経験してみなければ、本当に理解できない心です。


私たちは、とかく人生の 

・悩み、

・苦しみ、

・辛さ 

などを、避けて通ろうと、もがき苦しみます。

ですが、その経験をするからこそ、人の痛みが理解でき、

人の優しさも、感じることができるのですね。

皆さんもぜひ、空海の教えてくださった 「幸せになる秘密」、

生きているうちに「極楽に住む方法」を実践なさって見てください。 

目の前の方に、微笑みかけ、優しさと慈しみの心を 差し上げて下さいませ。

私たちは、どんな人も、 

・誰に頼らずとも、

・神仏の奇跡や不思議に頼らずとも、

私たちの心は、もう神さまと繋がっています。

自立しています。

どうぞ、内なる神さまのこと、ちょっとだけ思い出してみてください。

幸せへと繋がりますから。

 


2022年2月12日土曜日

2606「神々のなさり方」2022.2.12

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月08日の記事を紹介します。


「神々のなさり方」


今日は、コロナ禍の現象の中、

どこに神々が働いていらっしゃるのか書きたいと思います。

神々も、数字の中に暗号、秘密、キーワードを隠されることがよくあるようです。

コロナは、数字で言うと 567 この数字は、ブッダの仰った言葉に含まれています。 

以前記事で、弥勒菩薩すなわちマイトレーヤーについて書きました。

弥勒菩薩
 

空海が亡くなる時に弟子たちに遺訓として

私は兜率天へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう。

兜率天にのぼって私は雲の間から地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察している。

そして、56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する。 

私の入滅の後をよく見るべきである。

その時、よく勤めている者は天の救いを受けるであろう。

不信の者は不幸になるであろう。

と述べています。


ここに567の数字が出てきました。  

この200年間、世界は、「経済と物質」中心の世界でした。 

この期間、 

・利権 

・権力 

・金 

を、ずるい方法で手にした人々が上に立ち既存の秩序が成り立っていました。

もちろん、地に埋もれた、まともな人々もおりましたが、

上に上がることはありませんでした。

今までの時代は、物の力、お金の力が、あまりに強く、

お金や武力を持った人が強かったからです。

しかし今、お金、武力の力が弱まってきました。

20世紀を境に、その仕組みの矛盾が噴出し、限界に達し、

お金や武力で上に立っていた人たちが断末魔の悲鳴を上げています。


2020年、一昨年時代の転換点、神仕組みが1つ起動しました。 

神々は、その既存の秩序の破壊(建て替え)の手段としてコロナウイルスを使いました。 

この方法は、今までの経済不況などとは比較にならないほどのダメージを、

全世界、人々に与えました。

同様に、今まで、上に立っていた人々の力の源泉、お金、武力でも、

ウイルスに対抗できない、通用しない、そんな環境を、

短期間のうちに一気に作り出してしまいました。 

神々の力は、綿密で偉大です。

今後、国家の力が弱まるために、行政の機能が大幅に低下する中、

今まで、お金と権力に押さえつけられ、地域の中に埋もれていた、 

まともな人たちが、下から台頭してくることでしょう。

その後の、世界の復旧、復興を担っていくリーダー交代ののろしです。

 

地に追いやられていた優れた素質を持つリーダーたちが、

今までの ずるい手法で、人々を脅し、搾取して、

上に立っていた人々と交代していく時です。

もう一般民衆が、そのような人々の言うことを聞くことはありません。 

今迄の、卑怯な、自分本位なウソ、恫喝の実態が、あぶりだされ、

表面化してしまったのですから。

新しく台頭してくる人々は、沸き上がるリーダーシップを内に秘め、更に、

人を搾取することなく、自分たちの力で考えて、行動するために人々が信頼しついてきます。

・今まで上に居たものが下になり

・下にいたものが上になるという

激しい移動が現実化してくることでしょう。

お金や権力で、国民を動かそうとする時代は終わることでしょう。

お互いが納得した形で物事を進めていく、

民意が大切にされる社会に移行していくことでしょう。

・国家に寄生して生きていた人たち

・他人に寄生して生きていた人たち

・誰ともネットワークを組めない人たち(仲間を作れない)

これらの人は、 誰からも相手にされなくなり、孤立してしまう可能性が高くなります。

また、これから始まろうとする世界では、自分の直感が大切になってきます。

 

賽は投げられました。 

もう、元に戻らないのですから、私たちは前に進むしかありません。 

ですが、これは絶望ではなく、今までお金、権力の力に騙され、搾取され、

恐怖に貶められていた私たち一般の人々にとっては、朗報です。

自分の価値観を、今までとは異なる、まともな方向に戻さなければなりません。

時間はかかるかもしれません。

ですが、前に進もうとする意志は、とても重要です。

人間は、腹を決め、決心したその時、不思議な力が湧いてくるものです。 

何故なら、見えない世界、神々の世界も動き出すからです。 

その相乗効果で、 

・本当の優しさが沸き上がり

・本当の実力が備わってきます

ミロクが降臨し、世の中を変えていくとは、

人々が期待し、望むような、奇跡のような、

不思議な現象によって引き起こされるのではなく、

神々が、このように人間の意識に働きかけ、

あたかも人間自身が行っているかのように見せかけ、行われるものです。

神々の意思は、人の心に働きかけ、人の行動として表現されます。 

今、世界の人々は大きな変容を目にしていますが、

実際には、目に見えない神々の世界でも、大きな動き、働きがあることでしょう。

 

神々は、このようにコロナウイルスという一見、不幸せな現象を使い、

行くところまで来てしまった、神々の意思とは遠く離れたところまで来てしまった人類を、再び真の幸せな世界、心が大切にされる世界へと、

導くために、建て替えの最中なのかもしれませんね。

どうぞ、明るい未来を期待して笑顔で過ごしていきましょう。 

感謝の心のあるところ、必ず神々の恩寵が現れます。