今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年11月17日「神さまの氣」と
2022年11月19日「因果を超えて」の2つの記事を紹介します。
「神さまの氣」
このブログもお蔭様で、日々沢山の皆さんから読んでいただいています。
出来れば一つでも実践していただき、お幸せになっていただきたいと思います。
※実践されて、お幸せになった方々からも沢山メッセージ頂いています。
また、大変申し訳なく思うのですが、現在コメントやメッセージを通じた
個人的なご質問や、ご相談にはお答えできない状態です。
コメントに、お返事できないこともあります。
また、誹謗中傷を意図するコメントは削除することもあります。
記事を書くことに、エネルギーを専念したいと思うからです。
私も普段はIT関係の仕事をしており、仕事の合間に、こうやってブログを書いています。
お金を頂くためではありません。
ライフワークとして、個人として書いています。
本当に申し訳ありませんが、ご承知いただけるとありがたいです。
さて今日は、神様の氣についてです。
大抵の神社では、お守りやお札に、そこの神社の神様の氣を入れてお配りしていると思います。 そして年月が経ち、ご自分で氣が抜けてきたと感じたら、お札やお守りを神社の古札入れなどに納めに行くと思います。
神社では、それをお焚き上げなどして、神様に元の神の世界にお戻りいただきます。
そうすると、お守りや、お札は、単なる物質になりますから焼却したりします。
ですから、例えば霊峰八海山の山開きのご神事などでは、終わった後
「神さまにお戻りいただきました」と宣言がなされます。
また、誤解されやすいこととして、御守りやお札に神様ご自身が籠っており、
普段は沈黙し、いざという時に目を覚まして活動をする・・
というイメージではなく、
神さまの氣に入っていただいたお札やお守りは、その神さまの依り代
直通電話のような働きをしており、神々は、もちろん、普段から人々のために
あらゆる場所、次元で自由闊達に働いているのですが、 いざという時、必要に応じに、
その電話を通じ、その場所、その人の所へいらっしゃるというイメージの方が
的を得ているように思います。※個人的な意見です。
もちろん高位の神様は、どの場所、どの次元にも存在できますので、
意識を向けるだけで、そこに移動できるようですが、氣を宿した依り代があると、
より感度が上がり、通じやすくなるのではないかと思います。
次元が上がるにつれ、一時に同時に意識をフォーカスできる数が増え
たとえば、一説では、イエスの場合、同時に1万か所、意識を分散できるとのこと。
要するに、同時に自分の分身が1万か所で行動できるということです。
神様に降りていただくということは、春日大社 元宮司の葉室頼昭さんによれば、
古式にのっとって、祝詞を上げたりご神事を行うことで、本当に神様がご降臨されるとのこと。
要するにテクニカルと言うことです。
その方法(技術)さえ正しければ、神職の方の人間性に、あまり左右されません。
本来は、清く正しい心の持ち主の神職の方がご神事を行ってくださればよいのですが、
同じ人間ですから、神職の方と言えど様々いらっしゃいます。
時には私たち一般人のように、欲望から様々な事件を起こし、新聞沙汰になる方もいらっしゃいます。
生きている間は分け隔てなく、どなたも心を清らかに保つために精進が必要ですね。
・心を振り返ること
・感謝の心を持つこと
・おかげ様、お互い様で、許しあうこと
大切なことです。
どうやって、見えない心を見分けるのか?
それは、小林正観さんが仰っていたのですが、その方の、まわりにいる人たちを見ればいい。
まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているか?
良き人は、見た目は普通の格好をしています。
そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。
とてもいい仲間に囲まれている。
一方で、悪しき心の残る人は、
過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多い。
そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。
どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれている。
とのこと。
確かにそうかもしれません。
このお話は、占い師の方について仰っていたのですが神職の方も同じだと思います。
さて神様の氣、私たちの意識も同じ働きができます。
意識を物や人に宿すこと、飛ばしたりも同じことです。
生霊とか、誰かに見られている気配がする・・振り返ったら誰かがこちらを見ていた。
これらは、意識のエネルギーが飛んだと言ことです。
また意識は、時間、空間の制約を受けませんから、自分自身の過去や未来に飛ばすこともできます。
子供のころ、車に轢かれそうになった。
どこからか「あぶない」という大きな声が聞こえ、助かった。
何十年かして大人になった時、夢を見た。
子供が車に轢かれそうになっているのを見て思わず声をかけてしまった。
よく考えたら、その姿は、子供のころの自分だった・・など
基本的には善意の神々はこの意識の力を、人々をお救いくださるために使っています。
有難いですね。
・私達も感謝の心
・人を思いやる気持ち
などで、周りにいらっしゃる方を、幸せなエネルギーで包み込むことも可能です。
また、その逆もしかり。
ですが、波長の法則、類は友を呼ぶの通り、自分の出すエネルギーと同質のものを
自分に引き寄せますから、良き方向に、その意識(心)の力を使いたいものですね。
「因果を超えて」
イエスもブッダも空海も、過去の沢山の偉人達も、
そして最近では神仕組みの元、宇宙から直接来た魂や、
神々の意識のまま生まれて来た子供たちも、
その全ての方々がが、霊的な不思議な現象のことではなく、
地味ですが、心の持ち方について語っています。
人々の心を整えることで、そこから地球を良き星にしようとしています。
全てのことが、私たちの心から始まります。
そして最近はますます思考が現実化するのが早くなったようです。
これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。
自分が意識するしないに関わらず、心の中の情報が、現実化します。
ですから、テレビや本、最近ではSNSなど自分がどのような好みで、それらの情報に触れているかによって、否応なくそれが現実の世界で具現化して出てきます。
ですから自分が触れる情報にもよく注意が必要です。
逆に言えば、自分の心に無いことは、現象として発生しない・・・ と言うことになります。
愛や、優しさや、思いやりも。
また心の状態は、単純ではなく、今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、
魂は永遠ですから、過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ、
神我(しんが)を包み隠している、
・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの
・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇
によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。
何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して、
直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、
それだけ、
・現在の地球自体の波動レベルが上がり
・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること
・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、
今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると
神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。
自分の魂の進化が進まないうちは、その反応や現象、出来事に耐えられないし、
耐えられたとしても、そこから
・何故そうなったのか?
・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか?
理解することもできないし、そこから教訓を得ることもできないので、
現象や反応は、まだ先延ばしにされます。
心の状態が現実化する。
これはブッダの説いた因果律、
まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、
このことは、バチでも何でもありません。
全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。
現象が現れた、例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、
できれば避けて通りたい出来事であったとしても、
神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。
私たちは、そこから逃げない限り、
また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、
光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。
しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても
目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、、
そうなると、その現象は無駄になってしまいますから、再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、再び、機が熟した時に、神様が私たちに運んできてくださることでしょう。
自分にとって嫌な現象が現れた時は、実は大きなチャンスの時です。
神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」そんな時だからです。
逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、
一気に、嫌なことではなく、魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。
最初の一歩、
受け止める、受け入れると決心することは、「よし、変わろう」と決心することは、
大きな勇気がいるかもしれません。
今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、現象が起きているのですから。
ですが、その時、私たちが決断することができれば、
一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。
神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。
この見える世界も、見えない世界も全て、私たちの心が作り出しています。
その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、
神々は、どんなことをしても、
その大きな私たちの勇気ある決断を後押ししてくださることでしょう。
そして、その決断をした瞬間に、私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。