2022年11月22日火曜日

2888「バランスを取ろうとする宇宙」2022.11.22

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年11月13日「バランスを取ろうとする宇宙」と2022年11月14日「徳を積む意味」の2つの記事を紹介します。


「バランスを取ろうとする宇宙」


今、世界中で今まで目に見えなかった体制が変わろうとしているようです。 

もちろん、それは私たちにとって良い変化です。

神々の大いなる計画の中の動きです。

  

ただ、その丁度変わり目の節目の今は色々なことが同時多発的に起こり、 

何が真実であるのか?

何処に向かおうとしているのか? 

全体像をつかむことができません。 

幸運なことは、その渦中においては、無我夢中で 

大変な波を乗り越えようとしていることさえ、気づかないために、

がむしゃらに生きている間に、何時のまにか、大波を超えてしまい、

大難(たいなん)が去ったことに気づくことでしょう。

この大きな波が静まった時、 

満を持して準備してきた多くの魂たちが、次の役割を担うために世に出てきたのでしょう。

第二次大戦前の約500年間も続いたアジアやアフリカ国家や国民に対する

奴隷的な扱い、植民地時代を再び繰り返すわけにはいきません。 

私たち人類の精神は少しづつ向上を続け

やっと今、2010年を境に精神性復活の時代が到来しているからです。 

では、今日のテーマは「バランスを取ろうとする宇宙」ということで、 

宇宙の摂理について書いてみます。

   

私たちの精神が再び退化することがありませんように。 

全ての人々、それぞれの個性が、認められ、生存を許され

大切に優しく扱われますように。。。

人種差別

かつて、インディアンを皆殺しにして、土地や資源を奪ったように、

奴隷として、様々な苦役をさせるために、

足を鎖で繋ぎ、アフリカから現地の人を運んで来たように

劣等人種だからと、アジア(ベトナム)で戦争を起こし、利益を得ようとしたり

人が人を差別し、蔑んで良いのでしょうか。

人が動物達、生命のあるものを虐待しても良いのでしょうか?

私達は知っています。

私達が過去 転生の中で五色の人に、次々と生まれて来たことを

宮崎県の旧蘇陽町にある幣立神宮所蔵の五色人面。五色人の代表が、

日本(霊の元つ国)にあつまり、神に祈りを捧げていたとされています。 

黄人  アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)

赤人  アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト

青人  北欧、スラブ

白人  ヨーロッパ全般

黒人  アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)

私たちが最も愛する父や母、息子や娘も 同じように、色々な人種を経験してきたことを。

石や、岩、植物や動物、そして風や波などに生まれ、

生命のダイナミズムを経験したことがあったことを。

たまたま、今、白人で生まれ、自分達だけが優生民族であると勘違いし、

残酷な方法で、他の民族の生命や自由を奪ってしまう事は、なんと大きな罪でしょうか?

 

宇宙には法則があります。 

それは、バランスをとること

その為、自分が与えたものは、必ず自分で受け取ることになります。

良いことも、悪いことも。。

肌の色で人々を苦しめた人は肌の色で苦しめられることでしょう。

それは、誰が行うのでもなく、神様が行うのでもなく、 

宇宙の法則通り、自分自身でバランスを取るためにそうします。

人は、その様な愚かなことを、何度も何度も繰り返して、 

そのたびに、少しずつ賢くなっていくのでしょうか?

宇宙の摂理、それは何処を見ても確認できます。

全ては調和し助け合い、自分の役割を果たしています。

そこには、人の立場を羨んだり、バカにしたり、自分だけが、という気持ちは微塵もありません。

人間も、本来その様な高貴な心を持つ、生命体では無かったでしょうか?

私達が出来ること・・

それは、動植物を含め、家族や、本当に身近な所で、 

笑顔や優しさを、広めていくことから始まるのかもしれません。

今日も身近な周りの方々に、優しさと笑顔で接したいものですね。



「徳を積む意味」


このブログでも何度も角度を変えて、徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。 

そして宇宙の法則である、与えたものが、受け取るものというお話をしていますが、 

今日は、浜松医科大学名誉教授の高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

 

何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、

私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。 

運がよくなり、評判がよくなるのです。

これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。

私も他人の悪口をいったことがあります。

不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。

まるで一周回ったかのようです。

そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。 

その人と私の関係が悪くなったのです。

それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。

このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、

最終的には全て自分に還ってくるのです。 

偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、 

などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。 

一方、その大変なことは別の人には起こっているのです。 

だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。

じつはこれは、私たちがなした徳の結果がこのように表れたのだと思っています。 

何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、 

万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。

もちろん後者でしょう。 

このように考えると、自分が他人にしたことが、

他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、 

徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が起きない方が 

はるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。

ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。

恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。

もっと重要なことで幸運に恵まれた方が どのくらいよいかわかりません。 

何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。

<引用終了>

   

宇宙の法則

投げかけたものが返ってくる。 投げかけないものは返ってこない。

愛すれば 愛される。 愛さなければ 愛されない。

嫌えば 嫌われる。 嫌わなければ 嫌われない。

裁くものは 裁かれる。 裁かないものは 裁かれない。

意地悪をすれば、意地悪をされ

蔑(さげす)めば、蔑まされ

罵(ののし)れば、ののしられ

強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される。 

許すものは 許される。

許さないものは 許されない。

施せば 施される。

優しくすれば 優しくされる。

笑顔を向ければ、笑顔が帰る。

助ければ、助けられる。

励ませば、励まされる。

勇気を与えれば、勇気づけられる。

感謝すれば、感謝される。

誰かに何かして欲しいことはありますか?

・優しい言葉をかけて欲しいですか? 

それなら誰かに優しい言葉をかけてください 

・笑顔を見せて欲しいですか? 

それなら誰かに笑顔を見せてください

イエスの語った言葉で一番大切な言葉。。

「イエスの黄金律」と言うものがあります。

そこにはこう書かれています。

「自分がしてもらいたいことを、 他の人にも、同じようにして あげなさい。」

これは何も独りよがりの善意の押しつけをしなさいと言っているのではありません。

自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、想像力を働かせて察しなさい。

そして、その通りにしてあげなさい。

そう、仰っているのです。

この中で、何か、ご自分でもできそうなことがありましたか?

ただ、自分がして欲しいことを、周りの人にして差し上げるだけなんです。

自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。

巡り巡って必ず自分に帰ってくるようになっていますから。

投げかけたものが返ってくる、投げかけないものは返ってこない。