今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年12月21日「因果応報」と2022年12月23日「与える喜び」の2つの記事を紹介します
「因果応報」
21世紀に入ってから、ずっと日本は「一億総いじめ社会」などと言われ
・不寛容な社会
・殺伐とした社会
・陰湿な社会
が出現していました。
それが、2011年の東日本大震災、そして今現在起きている「コロナウイルス」をきっかけとして、この冷酷な心が、少しづつ溶け始めています。
大きな犠牲のもと、神々がそう仕向けたのです。
このいじめ社会の中では、自分以外の他人の言葉や、行動に寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざし、その雰囲気に付和雷同した人々とともに、相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。
非難する側は必ず「正義」を振りかざします。
正義感を隠れ蓑に他人を傷つけて、楽しむ心理があるのかもしれません。
今日は、人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?
斎藤一人さんが非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。
<転載開始> 転載元
人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。
これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。
解決するんです。
この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?
イヤミを言ったり、いばったりする“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、
それをやめさせようとしちゃいけないんです。
「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。
悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、同じように悪い報いがくる。
だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。
そして…ここが大事なところですよ、いいですか。
「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、
今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。
自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。
自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。
そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。
隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、あなたではありません。
それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合、悪いことが起きるのは、あなたではありません。
あなたにイヤミなことを言った、その人間です。
つまり、放っておいても、勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。
それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。
それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。
それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。
だから、復讐しようとしちゃいけないのです。
復讐はあなたの仕事ではありません。
神さまの仕事です。
<転載終了>
よく人の悪口を言う人がいます。
また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。
もしかしたら、相手がいないところで、自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。
そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。
ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。
今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。
やられたからやり返す。
そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。
やられ損にはなりたくない。
それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。
私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、その汚れた心と同じ現実が
自分の周りに現れてくることでしょう。
ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。
もし目の前で言われたのなら、ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。
ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。
人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、一人さんの仰っる方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。
さて、みなさん、世界中に巻き起こっているパンデミックの嵐の中、心をざわつかせていらっしゃる方も多いかと思います。
この言葉ご存知ですか?
「断じて行えば、鬼神も之を避く」
断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。
と言うことです。
私は、これを「ありがとう」の言葉を常に口にして、感謝の心で生きている人のことだと思います。
「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、
どんな人が、
・蔑み(さげすみ)、
・陥れ(おとしいれ)
・危害を加え
・足を引っ張る
ことができるでしょうか?
また、神々が破滅の運命にひきづりこもうとするでしょうか?
これから先に、何が起こるのか誰もが不安ですが、
感謝の気持ちでいる限り、どのような運命に置かれようと、必ず助けが来ることでしょう。
神々がなさることに安心して身をゆだね、身近な周りの方々と笑顔と思いやり、お互い様の気持ちで生きていきたいものですね。
14世紀、今で言うところの「最初のグローバル化」と呼ばれる時代、
シルクロードを旅する商人たちが、中国からもたらしたペストは、最初イタリアとフランスを襲い、続いてイギリスに到達して、全ヨーロッパに広がりました。
ヨーロッパの人口の半分がその過程で死亡していますが、感染症の深刻な流行がもたらした予想外の結果として、社会が激変し、ルネサンスが起こりました。
特に西ヨーロッパでは、ペストによる労働力不足が、封建秩序を強制終了させました。
この大災害を乗り越えた後、世界は今までとは全く違う景色を見るのかもしれません。
「与える喜び」
春日大社の元宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば、神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんと叶えてくださる。
他の国で見られるように、必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、
神道では神さまを喜ばせる、感謝する、ということが祈りとなります。
こちらから頼まなければ、神様はやってくれない・・・というのは、神さまを冒涜すること。
神さまというのは全部知っておられるんです。
だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。
そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。
そう仰っています。
あちこちの有名どころの神社や仏閣に出向き、
・あれをしてください
・これをしてください
・あれもくれ
・これもくれ
とお願いするだけでは、神様も辟易(へきえき--閉口すること。嫌になること。)とすることでしょう。
そのような人間の欲望渦巻くところでは、せっかく力のある神さまの光も、その闇にさえぎられてしまうことでしょう。
色んな神様がいらっしゃいますが、この宇宙を創造し、維持し、破壊する創造の神様は
大本の神様であり、創造の源です。
レインボーチルドレンのそうた君の言葉で表せば、12次元にいらっしゃるそうです。
私たちの宇宙に住む、生命体が3次元存在、日本の有名な神々が8次元とのことで、
遥かに高い次元です。
創造の源の神様が喜ばれるのは、
・特殊な能力を持つことや
・優れた霊能を持つこと
・優れた過去世を持つこと
などではなく、やはり王道である、
・私たちの心を清く保つこと
・身近な周りの方々と、仲良く助け合って暮らすこと
そんな一見、平凡に見えることのようです。
それでは今日も、王道である私たちの心を浄化し、神々へ近づくためのお話をご紹介します。
注意深く、周りを観察してみれば、どんな人にも、自然や人を通じ、 神さまはいたるところで、その存在を教えてくださっています。
今日のテーマは「与える喜び」です。
私たちは、物でも、お金でも、優しさや、真心でも、まず、自分から出すこと(与えること)が先です。
与えた時の心の状態が、宇宙の果てまで、見える世界、見えない世界を飛び回って
同じ波長のものを、仲間を連れて帰ってきます。
時々、「優しさや親切を人に与えると、損した気分になる」
そうおっしゃる方もいらっしゃいますが、そんなことはありません。
神々のエネルギーは無尽蔵です。
与えることで、その何倍もの恩恵を私たちは受け取ります。
それでは、渡辺和子さんの言葉よりご紹介します。
<引用開始> 引用元
近頃、もらう喜びは知っていても、その他の喜びをあまり味わっていない子どもが、増えているように思えてなりません。
その他の喜びとは、
・与える喜び、
・分け合う喜び、
・そして自分で物事をやり遂げる喜びです。
マザー・テレサがこんな話をなさいました。
カルカッタの街に、八人の子を抱えてお腹を空かしている家族がいたので、お弁当を作ってもって行ったところ、その母親は押し戴いて喜んだ後、すぐどこかへ出て行きました。
やがて戻ってきた母親は、
「実は隣の家族も、このところ食うや食わずの毎日だったので、半分あげてきました」と言ったそうです。
マザーは、この話をしてから、
「貧しい人は偉大です。飢えを経験した人には、他人の苦しみもわかるのです」と言われました。
本当の豊かさとは、このように、他人に与えるものをもっている心を指すのですね。
最近、自分でやり遂げる喜びを、子どもから奪っている過保護の親も増えているようです。
それは、子どもたちを愛しているように見えて、実は彼らから、その成長に必要な自信と、自立の喜びを奪っているのです。
もらう喜びしか知らない子どもは、自分中心の世界で生きています。
どれほど多くのものを持っていても、その子の心は貧しいのです。
与える喜び、分ちあう喜び、自分で何かをやり遂げた時の喜びをも味わわせることによって、
子どもの生活を本当に豊かなものにしてやりましょう。
<引用終了>
確かに、何か物や、お金をもらう喜びよりも
・与える喜び、
・分け合う喜び、
・そして自分で物事をやり遂げる喜び
の方が、私たちの心を喜ばせてくれますね。
与えたほうも、頂いたほうも、笑顔、幸せになれます。
そこには、調和が生まれ、平和が訪れます。
どうせ与えるならモノではなく、
・感謝
・喜び
・笑顔
・いたわり
・優しさ
・思いやり
など、美しい心を与えて差し上げたいですね。
その心は、巡り巡って、必ず自分に帰ってきますから。
与えるものは、物質的なモノである必要はありません。
貧しかった良寛さんは、
「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。
だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。
それならいくらでもあげることができるから」
良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を
・あたたかい言葉
・やさしい言葉
・思いやりに満ちた言葉
にしたいと思って行動していたそうです。