2022年12月20日火曜日

2916「神様の通り道」2022.12.20

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年12月11日の記事を紹介します。


「神様の通り道」


神社や仏閣。私達一般の人間は、願いを聞いて欲しくてよく参拝します。 

 

霊験あらたか、ご利益があると聞けば全国あちこちに出かけます。 

願いが良く叶う、そういった神社・仏閣には、もしかしたら力のある神さまや、仏様がいらっしゃるのかもしれません。 

噂が噂を呼び、ますます人が押しかけ 

・病気を治して欲しい

・お金に困らないようにして欲しい

・家内が穏やかで円満であって欲しい

・良縁に恵まれ、幸せになりたい 

そのような人間の欲望が渦巻くのかもしれません。 

ですが、神様の存在とは、私達人間の、願いや欲を叶えるためにいらっしゃるのでしょうか?

人が集まり、人気が出ればそこに関係する人間側の神職や職員の意識や環境も変わり、それによって、本人の心にとって非常に危うい、驕りなどの状況が起こりやすくなります。 

身近な例で例えるなら、車、排気量の大きな、かっこ良い高級な車に乗った途端、車ではなく、まるで自分という人間が強くなったと勘違いし、尊大で傍若無人な運転を繰り返す・・ 

神社、仏閣の場合なら、そのお力は神様や仏様の御業であり、そこに関係する人間の力ではありません。

また、ヒーラーや、施術師の方。

効果が高く、有名になり、人気が出てきた方は、もしかしたら、それは、神々の力ではなく、 

「自分の力」である。 

そう思われるかもしれません。 

ですが、そのように自己過信が強ければ強いほど、多くの治療をすると、自分が疲れてくるのだそうです。

小林正観さんが言われるには、人より抜きんでた能力を、自分の、自分だけの力と誤解しているとエネルギーに限界があるが、その力は、自分ではなく、天の力。

自分自身は、単にそれを媒介しているに過ぎない。。 

そのような謙虚な心の持ち主は、決して疲れることがなく、ますます人々に幸福をもたらすのだそうです。 

いくら他にはない、ご利益や、治癒効果があろうと・・ 

それが、自分の力「俺が俺が」、、の心でいては、何時しかその尊い神々の力も、色あせてしまうことでしょう。 

そのことを2千年前に、イエスは仰っていました。

ご紹介します。

 

イエスは数多くの転生と、経験と試練を重ね、私達の内にいらっしゃる神様と一体となりました。

イエスが生まれたその時代は、まだ人類の波動は低く、多くの人々は肉体だけの意識。

生殖、物欲、自己が生き残ること・・・などの肉体的な感覚に囚われていた(フォーカスしていた)時代でした。

ブッダが悟った時と同様に、イエスも悟りを開くと同時に肉体を離れ、魂(霊)として人類を助け導くことも可能でしたが、幻想に囚われ、自分を傷つけ、敵味方でも傷つけ合う人々を、この物質次元の地球に於いて助けることを選択しました。

その方法は、

愛を、愛だけが全てであることを説き、神様とは愛であることを伝え、 

どんな困難な時にも、ただ ご自分の生き方を通して、愛を示して歩きました。

イエスがこの地上で行った数々の奇跡。 

その奇跡の目的とメッセージは全て・・・、

あなたが目覚めれば私と同じこと(奇跡)ができる 

私(イエス)よりも、もっと偉大なこと(奇跡)が出来る

ということでした。

つまりイエスだけでなく、私たちも等しく神の子、神そのものであると 教えてくれたのでした。

また、私自身(イエスのこと)は無力である。

全ての奇跡は、神が行うものである。

と仰ったのです。

つまり、イエス自身は無力であるが、

・全ての良きこと、

・美しきこと、

・真理の実現、

・奇跡

・思いやり

・優しさ

・愛

・癒し

は、全て神様の力によって起こっている。 

そう謙虚に仰ったのです。

これは、今のような世の中にとっては、強烈なアンチテーゼになるかもしれません。 

・私が、○○してあげる。

・私が、○○した。

・私が、○○しよう。 

そのように、その方々は確かに力がある人かもしれませんが、その力の源泉は、 

私、自分、個人の能力であると、過信して吹聴してしまっては、 

イエスの取った謙虚な態度と正反対です。

とかく人は

・成功している時、

・人気がある時、

・お金がある時

全部、自分の力で勝ち取ったと誤解しがちです。

有頂天になりがちです。 

それが神々の力から来ているとは認めません。

ですが、イエスは

・自分が人に行う優しさ、親切も

・創造性あふれる仕事も

・奇跡も

全ての良きことは、神様の御技が現れたもの。 

自分自身の力ではない。 

単に自分は、神様の力の通り道になっただけ。

 そう仰ったのです。

それが本当の真実だからです。

そのように自覚していれば、 

・天狗になって人を見下したり、

・人と比べたり、

・自分の知識をひけらかしたり

・人を支配したり

・力や能力を自慢したり 

する必要は無いかもしれませんね。

人生の晴れ(ハレ)の時も、嵐の時も、奢らず悲観せず、 

全てに感謝し、笑顔で、周りの人々と仲良くして行けば、 

きっとそれだけで、いいのですね。

私達人間は・・・

全て、神様が私達の魂が成長するようにと、細かなところまで取り計らってくれますから。

大丈夫です。

俺が俺が、私が、私が・・・そのような高慢な心こそ、

神さまの眼前においては、穢れかもしれません。

今や、嘘が付けない時代になりました。

ミロクの世、精神性の復活の時代の始まりとともに、 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

の考え方で行動している人々は、どんどん、あぶりだされ、多くの人に、その思想、行動が知れることとなりました。

たとえウソを並び立て、詭弁を弄し、責任を人に なすり付け逃げようとしても、力の源泉である内なる神々は見ています。

その醜い姿を

・自分の愛する子供たち、自分を信頼してくれる子供たち

・産んでくださったお母さん

・慈しみ育ててくれた家族

・故郷の友人たち

この人たちに、胸を張って見せられるでしょうか? 

・あなたたちの父である私の姿、

・生んでくださり、慈しみ育てていただいた、あなたの息子である私の姿

を、どうぞ見てください。 

しっかりと目を見つめ、

そのように言うことはできるでしょうか?