2023年2月28日火曜日

2986「死者と生者の仲良し時間」2023.2.28

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月20日の記事を紹介します。


「死者と生者の仲良し時間」


日本の国ほど、昔から黄泉の国、つまり、死者(肉体を持たない者)

そして神々の国を意識し、交流し、敬い恐れ、日々の生活を送ってきた民族はありません。 

見えない世界と、私たち肉体が持つ者が生きる見える世界が

表裏一体であり、互いに影響を及ぼしていることを知っていたからです。 

まさに神々が意図して作った、地球の希望の国でもあります。 

さて、ここのブログを読んでくださっている皆さんの中にも、

お子様を早くに亡くされた親御さんが沢山いらっしゃいます。 

今日は「死者と生者の仲良し時間」ということで、以前掲載した記事に加筆・修正してご紹介します。 

病気で早くに天国に帰った、お子さんのお話です。 

「仲良し時間」とは、聖心女子大学教授でシスターでもある鈴木秀子さんの著書

「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。

彼女の「死者と生者の仲良し時間」の本の中に

「けんちゃんからの贈り物」という文章が書かれていますのでご紹介します。

<転載開始>


けんちゃんは6歳で白血病でした。

ある日、お母さんの友人がお見舞にきて『死にゆく者からの言葉』 (鈴木秀子さんの著作) という本を渡してくれました。

お母さんは

「読んでいるうちに涙が止まらなくなり徹夜して読み上げた時、不思議な力で他人への不信感が払われ、人への信頼感が深まり、自分が変わったと強く感じ、心の底から温かさがあふれてきたそうです。人との繋がりというものを確信をもって感じ初めました。

そこでけんちゃんの担当の3人のお医者さんに、この本を読んでもらいたいとの強い希望を持ちました。

こういう題名の本が医師たちに、どう受け取られるかという懸念もありましたが、

それでも先生方にこの本を読んで下さいと手渡すことができました。

しかしどの先生も、その本については言及することはなく、

やっぱり読んでくださらなかったのかとちょっとがっかりした気持ちでいました。

そして、けんちゃんが亡くなり、遺体は夜の八時ごろ家に帰っていました。

誰も訪問する人はなかったのですが、

夜10時すぎにその3人のお医者さんがお悔やみに訪れてくださいました。

眠っているように横たわるけんちゃんの傍に、

3人の先生たちは黙って座ったまま、けんちゃんを見つめていました。

お母さんが、もう終電車の時間じゃないかしらと思った時、

一番若い先生が口を開いて話し始めたのです。

「僕とけんちゃんは仲良し時間を持ったんですよ」


「仲良し時間」とは、鈴木秀子著の「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。 

死期の近づいた病人が、その死の直前、急に元気を取り戻して、あたかも回復したように思われることがあります。

その間、病人はさりげないかたちで、言い残したり、したいと思ったことを成し遂げたりするのです。 

世を去るにあたっての準備の時間、和解し、愛を分かち合う時間、そうした死の前のひとときは、一部の医療関係者の間で、「仲良し時間」と呼ばれています。

亡くなる2週間前の出来事でしたが、けんちゃんは、苦い薬を水で流し込んでいたところでした。 

どうしたわけか「けんちゃん、先生のど渇いているんだ」という言葉が、何気なくふと口をついて出ました。

けんちゃんは、水のまだいっぱい入ったコップを差し出し、

無邪気そのものの顔で、「先生、これ飲めば」といったんです。 

その時、けんちゃんに必要なのは、そのコップの水でした。

でもけんちゃんは、それを僕にくれようとしたんです」

午前1時をまわっても、先生たちは帰りませんでした。 

そこは死者の家というより、まるで心と心が交わる、温かい場所に変わっていました。

そして二人目の先生も仲良し時間を持ったと話し始めました。

「けんちゃんが亡くなる1週間前のことでしたが、お尻に太い注射をして、

「痛いよ、痛いよ」とけんちゃんが訴えるので僕は思わず「ごめん、ごめん」といったんですね」

けんちゃんは笑顔を僕の方に向けて、無邪気で素直な声でこういったんです。

「いいよ、先生、許してあげるよ」

「それを聞いた瞬間、僕は全世界から許されたような気がしました、僕のいままでの人生の中でおかした過ちや愚かさや悲惨な罪でさえ、すべて許されたおもいでした。」

 

「そうだ。僕はこの世に生きていることを許されているんだ。 

自分の存在が許されるということが、どんなに大きな価値をもつことか、まざまざとわかったのです」

お母さんは「この先生も、けんちゃんが言ったことを文字通りに受けとめてくれたんだ。 

そして、けんちゃんを一人の病人としてではなく、一人の人間として最後まで付き合ってくれたんだ」と感謝しました。

明け方近くになり、一番年輩の先生がふっと口を開きました。

亡くなる前日の午後でした。

けんちゃんに慰めや励ましの言葉は出ず、自分でも予期しないのに、 

「けんちゃん、先生疲れているんだ」と言ってしまったんです。

けんちゃんは大きな目を見開きましたが、両目に光が差し込むのがありありと感じられました。

息がもう尽きそうなけんちゃんが、必死で体をずらして、長い時間をかけ、ついにベッドの上端にたどりついて、両足と両腕を曲げ、小さく丸まっていました。

けんちゃんのあえいでいた息が静まると、にっこり笑って、大きな目で広く空いたベッドを指し示して、「先生、ここに寝れば」とけんちゃんは声をかけてくれました。

 

息子を失った悲しみは深いものでしたが、その夫婦は3人の先生に見守られながら、この世での使命を果たし終えた息子が天に帰ったという、不思議な慰めも感じていたのでした。

そうした慰めに気づくと、子供を失った寂しさよりも、自分たちにけんちゃんという子供が、

6年間も預けられたことへの有り難さが、両親の心にわき起こったのでした。

「一人息子をなくして悲しいし寂しいけど、

もっと深いところで感謝と喜びを感じています。 

人生は長さだけでは計れないものですね。

けんちゃんは、親である私たちに、人間として一番素晴らしい贈り物をしてくれたと思うのです。 

最高の親孝行息子でした」

<転載終了>

私も若いころ母を亡くしました。がんでした。

病状が悪化し、私たち家族の住む中核都市の大きな病院に転院してきていましたので、

毎日顔を出すことができました。

そして亡くなる3日くらい前に行った時、不思議な光景を目にしたのです。

部屋全体が神々しい光に満たされているのです。

 

ベッドに座った母は微笑んでいました。それはまるで仏さまのよう。

きっとこれが、死を目前に控えた人の、あの世とこの世の繋がった瞬間かもしれません。

まさに、仲良し時間そのものでした。

きっと人間にはそんな瞬間が誰にでもあるのですね。

もうこの状態の時は、無意識の内に死の覚悟はできているのかもしれません。

残された家族は、どんな形でも良いので、何とか死から引き離そうと、沢山のチューブに繋がれるようなこともある延命措置を望むようですが、もう向こうの世界と繋がっている本人は、もしかしたらそれを望んでいない人も、多いかもしれません。

例え肉体は死しても、その精神や意識は永遠です。

また逢える日もあることでしょう。

私たち残されたものの願いではなく、これから死に向かおうとしている方々の意思を尊重して差し上げたいものです。

数え切れないほどの死にゆく方々の臨終に立ち会った鈴木秀子さんが仰るには、この状態の時には、既に死を受容したうえで、残された人々に感謝の気持ちを伝えたい、と願う方々が多いそうです。

そして静かに向こうの世界に帰りたいと思う方が多いそうなのです。

私たちは、死を意識して生きて行くことで、日々の暮らしの中で、身近な人々を、大切にできるのかもしれませんね。

 


2023年2月27日月曜日

2985「青空ひろば」2023.2.27

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最近の記事を紹介します。


872 2023.01.26 ~883 2023.02.07 


(以下、70歳の頃の文章です)

お元気ですか。

私は、あいかわらず忙しく走り回っています。歳をとったら悠々自適(ゆうゆうじてき)の人生が待っていると思っていたのですが、どうやら私の場合はそうではないようです。若い頃、あまり仕事もせずに、好き勝手やっていた報いなんでしょうか。

トータルヘルスデザインさん主催の全国行脚も継続されていて、昨年度は30箇所ほどでお話ししたり、坐禅の指導をさせて頂きましたし、月2回の禅の会もあります。それらでどんなお話しをすればいいのか、案を練ってレジメを作成するという作業もなかなか大変です。

 それに、もちろんのこと、しあわせ通信の原稿書きの仕事もあります。毎月400字詰め原稿用紙に20枚ほどの作文をするというのも、それが毎月となるとハードになります。それで、最近は遅れがちになっていて、申し訳なく思っています。

あっ、そうそう!それにカドカワさんから出版された本(『劇的に運が良くなるお経』)の原稿書きも、昨年度はありました。

ただ今は、第二弾の編集作業をカドカワ編集部でやって頂いているところです。次の本は『大祓詞』の解釈と、神道的実践についての本となる予定です(『まいにち神様』)。

そして、今年も学校から依頼があって、さらに非常勤講師として授業を続けることになりました(週に3日です)。


今年は、高校2年の理系物理を教えて欲しいということで、責任が重くて、少々緊張しています。

高校2年は、大学入試に向けて、一番力を着けねばならない学年です。私の勤める学校の場合は、高校2年で高校物理の理論的内容の学習をすべて修了します。そして、高校3年は、受験のための問題演習をひたすらやってゆくということになります。

高校2年でしっかりと力学や電磁気学の構造的理解をさせておかないと、高3になって問題演習に入っても、さっぱり解けないということになってしまうのです。

問題のパターンを多数覚えて解くという、詰め込みのやり方では、難関大学にはとても合格出来ません。構造的理解が出来ると、問題を大量に演習しなくても、いくらでも応用が効くようになるのです。

これは、人生問題の解決法と同じですね。生きるということの構造的理解が出来ていると、どんな問題が生じて来ても、なんとか対処出来るのですが、対処法のパターンだけ覚える「ハウ トゥー法」では、パターンから外れた問題に直面すると、途端にダメになってしまうのです。 

そのために、生徒達に高校物理の理論構造を手に取るように具体的に感覚してもらえるように、目の前に物理の理論構造が立体イメージでクッキリ現れて、生徒になるほどとうなづいてもらえるように、私も一生懸命努力しなければならないのです。


最近の学校の先生は大変忙しくて、過労死レベルの労働時間の人が60パーセントもいると報道されていました。

しかしそれは、教育委員会から下りて来るアンケートに答えたり、報告書作成したりの事務的な作業や、生徒の問題行動の指導や、クラブ活動などに時間をとられて忙しいのであって、肝心の「いい授業をする」というところに割く時間は、以前の先生に比べればずいぶん減少しているようで心配です。

最近の先生は、すぐパワーポイントを使って授業したり、授業プリントをパソコンで作っておいて、何年も同じプリントで授業していたり、あるいは、業者のテキストを使ったりするのですが、そうすると、教師としては、楽は楽なのですが、それでは肝心の「何か」が欠けてしまって、生徒たちの成績は思ったほど上がらないのです。

その「何か」とは、「もっと分かりやすく授業出来るはずだ。きっともっといい授業が展開できるはずだ」という、教師の向上心や熱意の部分です。だから授業に「いのち」がこもらないのです。

私がいつも言うことなのですが、手数をかけた、念を入れたコトやモノやヒトには必ず「いのち」がこもるのです。

何年も同じプリントを使って授業するなんて、それでは授業に「いのち」がこもるはずがありません。


私は原則、プリントや、授業ノートはその年限りですべて廃棄して残しません。そして毎年新たに作り変えます。

ベテラン先生になんてなってはいけません。それは、マンネリ先生、既成概念先生になったということで、先生はいつも、何の思い込みや既成概念を持たないで、授業や生徒に向ってゆくフレッシュ先生でなくてはなりません。

まず、生徒の立場になって、教科書を徹底的に読み返します。全体の理論構造がハッキリ見えてくるまで幾度も読み返します。

これでいいと納得できると、今度はそれをどう生徒に伝えるか、その説明法を工夫し(従来よりもっと素晴らしい、生徒の好奇心を満たす説明があるはずなんです!)、さらに生徒には分かりやすい図解(去年のものより一層分かりやすい図がきっと描けるはずなんです!)を考えます。


今年(5年ほど前の文章です)に入ってからでも、私はもう十箇所ほど、これまで気がつかなかった新しい説明法、図解法を発見できてゾクゾクしています。そんなゾクゾク感で授業するから、物理の面白さが生徒にも伝わるのです。

若い先生に「この法則のこんな証明法を発見したよ」というと驚いていますが、私は、若いのに何で問題意識を持たないの、なぜ疑問を見出せないの、生徒に一層分かってもらえる、もっといい説明法がないのかなあと、なぜ苦しまないの…、その方がとても不思議です。

若いのに「こういうものなんだ」という既成概念にとらわれて、自分で工夫、努力しない先生が多くなっているように思います。


授業の図は簡単に描けるものでなければなりません。なぜなら、黒板に、短時間でサラサラっと描けねばならないからです。

授業では、「間」というものが大切です。黒板に式や図をかく時間が掛かりすぎると、「間」が悪くなります。

私は面倒な図や式になりそうだと、授業の前日に、何度も実験室の黒板で描いてみて、数十秒以内に描き終われるよう練習します。

また、パワーポイントなどを使うと、生徒が自ら考える「間」が取れません。黒板にチョークを使う授業だと、生徒が考えて、ノートに書き写す「間」が、うまくとれるのです。

そして、よしこれでいい!という確信が湧いてきたら、はじめて授業案(プリント)作成に向かいます。


私の授業は、基本的には対話法です。細かな質問を次々生徒に与えて、答えてもらいます。その質問項目のなかに、すでに履修し終わった分野の質問も多く加えているので、そういう形で既習した内容を何度も復習し、定着させることが出来ますし、その既習内容が、今習っている分野とどう関わっているのか気づかせることが出来て、生徒の物理の理論構造理解が一層深まります。

生徒から質問が出たら、いい質問だとほめます。生徒との間の心の壁をほどいておかないと、教師の声が生徒の心まで届かないのです。


私は、あまり精密な頭を持っていないので、時々、計算式を間違ったりします。そのことを生徒が指摘すると、なるほど、そうだったね、ゴメン、ゴメンとあやまって、その生徒と相談しながら訂正してゆきます。 

教師が間違った時、失敗した時こそが、最大の教育チャンスなのです。生徒が活躍できる場がそこに出来るので、生徒との一体感が生み出されるのです。共に授業を作り上げていっているんだという連帯感が生まれてくるのです。

そんなミスッてしまった時に、私が生徒によく話すジョークが二つあります。

一つ目は、私が発見した(?)、「間違いの法則」です。計算式の間違いが偶数回重なると、正解に戻ってしまうことがあるという法則です。奇数回の間違いでは、正解に到ることは決してありませんが、偶数回の間違いだと、ミスのミスで正解になってしまうことがあるのです。


もう一つは、先生が坂書(ばんしょ:黒板にチョークで式や文字を書くこと)で間違った時、学校によって生徒の反応が違う、その反応で、その学校のレベルが分かるという話です。

先生が間違ったとします。生徒はそれに気づいても、自ら訂正してノートします。

次のレベルの学校は、生徒が間違いを指摘して先生が訂正し、それで安心して生徒はノートします。

次の学校は、先生が間違っても、生徒はそのままノートします。

次の学校は、授業そっちのけでワイワイガヤガヤ、ノートはとりません。

そして、最後の学校では、先生が坂書を終えて、生徒の方に振り向くと、教室には生徒が一人もいませんでした。

私は教育界の苦労人で、以上のすべてのレベルの学校で教えたことがあります。


私は、こういうジョークのレパートリーが多くて得をしています。それから、大阪弁の「間」が絶妙で、これにもずいぶんたすけられています。

昨日の授業(5年前です)では、内藤君が欠席で、「内藤君、イナイトー」と、博多弁ジョークに挑戦しましたが、数名がクスッと失笑しただけで、見事に不発に終わりました。

それでも、めげることなく、新作ジョーク作成に挑戦している大敬です。(完)



2023年2月26日日曜日

2984「順番待ちの地球」 2023.2.26

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月17日の「順番待ちの地球」と2023年02月19日の「地球の旅」の2つの記事を紹介します。


「順番待ちの地球」


複数のレインボーチルドレンのお話では、私たちは、この地球で肉体を持っている時だけ

「感情」を感じ、経験することができるのだそうです。

つまり、感情とは肉体に付随するものと言うことです。 

感情とは、ものごとや対象に対して抱く気持ちのこと。

喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがあります。 

  

私たちは、天国つまり、感情の無い世界から、この地球に魂が転生してきました。

その前は、オリオンとかシリウスとか、プレアデスとか、どこか別の星団に居たのかもしれません。 

この地球の3次元世界、つまり物質的な次元の世界で、肉体を持つと同時に、それに付随して「感情」を経験することになります。

私達魂は、肉体をまとい、感情を経験することで、魂にとって一気に沢山の経験値を積むことができます。

ですので地球転生希望者は、物凄く沢山いるのだとか。

中でも、日本での転生待ちの魂は群を抜いて多いそうです。

それは、どうしてかと言うと

日本語固有の「ありがとう」という言霊が存在しているからです。 

「ありがとう」の言霊を発すると、その人の固有振動数が、グンと上昇するのだそうです。 

つまり、その瞬間、神様に近づける・・と言うことです。 

そして、各魂が、どのような事を経験したいかによって、この地球での体験があらかじめ決められます。

・生きる、死ぬ

・健康、病気

・富む時、貧困の時

・出会い、分かれ

・苦しみ、楽しみ

・悲しみ、喜び

これらは、全て、したい経験のための単なる舞台装置でしかありません。

その舞台に没頭し、それによって味わう「感情」を経験するためのものです。 

ですから、いろんな人との出会いや、別れ、いろんな逆境 順境も、 地球での一時の間の経験に美しい色どりを添えてくれるものです。 

そのことによって、魂は傷つかないし、天に戻れば、その意味もしっかりと理解することができます。 

今 目の前に 現れてくれている人との

・喜怒哀楽

・憎しみ、蔑み、意地悪

・愛、友情

いろんなドラマを演じなければ、大変もったいないことになります。

天に戻った時、これら全ての経験が良いことも悪いことも、私たちの永遠の魂にとっては、

ダイヤモンドのように貴重な体験となるからです。 

 

人生に設定してきた様々な出来事、事件、それらを通じ、私たちの魂は磨かれ、輝きを増します。 

そして

ありがとう

この言霊は、全ての出来事に、美しき神々の息吹を吹き込んでくれます。 

どのように 

・苦しく

・悲しく

・辛く

・悔しい 

環境に置かれようと、神々はしっかりと側で見てくださっています。

そういう時こそ、是非「ありがとう」の言霊を使ってみてください。

その瞬間、ご自身の波動が一気に上がり、新しい展開が開けてくるはずです。 


 

「地球の旅」


クラリオン星から転生してきた小学校生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君 

彼は、生まれる前の記憶や、故郷の星クラリオン星のこと、神様のことなどを明確に覚えたまま、ここ地球に転生してきました。 

地球人の意識レベルを一気に上げるために、最近はこういった星の子供たちが増えてきたようです。 

  

生まれる前の記憶を持つ、沢山の子供たちと同様に彼もこう言います。 

・他の人にはできない学びが一杯ある

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・わざわざ、その苦労を分かって、それを魂的に楽しむために生まれて来た 

この今世で経験すること、会う人、別れる人、出来事は全て神様と生まれる前に計画してきたことなのだそうです。

そしてこうも言います。 

生まれる前に立ててきた計画は、生まれた後に、変えることはできない。

これがどういうことかと言えば、例え自分で経験がしてみたくて立てた計画

・病気、貧困

・裏切り

・窃盗、殺人

・成功、失敗

・出会い、別れ、死別 

このような経験が、辛くて、苦しくて、、やっぱり計画を変更したい・・

そう思っても途中で変更することはできない。

投げ出すことはできない。

そういった意味になります。 

肉体ではなく、私たちの魂は、永遠に存在する生命体であります。 

この魂にとっては、 

・生きるも、死ぬも

・殺すも、殺されるも

人間が思うほど、大きな出来事ではないようです。 

魂にとって死はないのですから、一つの経験にしか過ぎないということです。 

そのことによって、魂が曇ることもないし傷つくこともない。 

だから、魂は、いろんな体験をしてみたいと思うようです。 

その行為を神様も、良いとか悪いとか、決してジャッジしません。 

このことは、今生まれてきている沢山の高い意識を持ったまま生まれて来ている子供たち共通の認識のようです。

魂にとっては、時間と言う概念さえもありませんから、長い期間とか、短い期間と言うことさえありません。 

源信が『往生要集』の中で紹介した地獄のありさまも、魂にとっては、肉体があった時の延長の一つであり、意識がまだ肉体に縛られたまま、信念体系領域に縛られている間に、死後、経験する一時の出来事であるのでしょう。 

魂が肉体を脱ぐことで、だんだんと肉体に付随していた感情や、信念となってしまった意識が薄れるに従って、徐々に魂としての本来の状態に戻り、どんな出来事も、どんな大きな感情の波も、魂を傷つけることはできない。。

単に魂にとって、未知の領域を経験しただけ。。

そう気づいてくるのでしょう。

私たちが、今経験している出来事は、色んな感情を伴い、私たちに、まるで襲い掛かってくるかのようです。 

それは、苦しかったり、辛かったり、悲しかったりするかもしれません。 

ですが、生きている間は逃げることはできません。 

自分自身の魂の計画を変更することはできません。

今感じている感情こそ、私たちの本来の姿、魂が、経験して見たくて、その出来事を、自分の人生のタイムラインに埋め込んできた出来事です。 

そこには、良いこととか、悪いこととかの区別はありません。 

ただ辛く苦しい経験からは、より大きな果実が実ります。 

魂の飛躍的な向上が見込まれます。 

何も辛く苦しいことの起こらない単に平和で、楽しいだけの人生からは、魂にとっては、あまり身になる経験は得ることができません。 

ある程度、進化した魂にしか、辛く苦しい経験は与えられません。 

今苦しい経験をなさっている方も、どうぞ勇気を持ってください。 

神さまに見込まれたのですから。 

そしてその辛く苦しい経験こそが、私たちの魂を高みに連れて行ってくれるものです。

泣いたり笑ったり、苦しんだり楽しんだりしながら、この宇宙で、唯一感情を味わうことのできる地球の旅を楽しみたいものですね。



2023年2月25日土曜日

2983「類は友を呼ぶ」2023.2.25

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月18日の記事を紹介します。


「類は友を呼ぶ」


今日のテーマ「類は友を呼ぶ」です。 

類は友を呼ぶ・・とはどういうことでしょうか? 

趣味や嗜好が似通った者同士は仲良くなりやすい、そんな意味ではないようです。 

自分が醸し出す雰囲気、オーラ、つまり心の状態、自分が今発している振動数が、 

同じパターンの人は、遠く離れていても、引き寄せられ集められる。

固まる、徒党を組む。友人関係になるそんな意味です。 

それは自分の今のレベルや程度にちょうど、お似合いの人が近寄って来るということです。

ということは、自分の周りの人々を見渡してみれば、今の自分の心の状態が分かります。 

要するに、今自分に近付いてきてる人は、自分の今のレベル・程度にちょうどお似合いの人が近寄って来るということ。 

ここで小林正観さんのお話をご紹介します。 

<引用開始> 転載元 

 


すべてが、あなたにちょうどいい

お釈迦(しゃか)さまの言葉に、次のようなものがあります。

すべてが、あなたにちょうどいい。

今のあなたに、今の夫がちょうどいい。

今のあなたに、今の妻がちょうどいい。

今のあなたに、今の親がちょうどいい。

今のあなたに、今の子どもがちょうどいい。

今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。

今のあなたに、今の友人がちょうどいい。

今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。

死ぬ日も、あなたにちょうどいい。

すべてが、あなたにちょうどいい。

ビジネスマンの中には、会社や上司、取引先の「悪口」を言う人がいます。

「上司はこうで、取引先はこうで、どうしようもない。どうしたら、自分の思いどおりになるのか?」

このような質問を受けたとき、私は、次のような話をします。

「あなたの言っていることは、きっと間違っていないのでしょう。 

ですが、あなたはその会社からお給料をもらい、その集団の中で生かされているわけです。 

自分の人生を成り立たせてくれる会社、上司、取引先に対して平気で悪口や愚痴を言えるあなたは、どうしようもない会社、上司、取引先と同じレベルの『どうしようもない社員』なのではないでしょうか?」

会社や、上司や、取引先が、仮に批判されてもしかたがない状況だったとしても、彼らを批判している「私」も、「同じレベル」であるような気がします。

夫婦関係や親子関係でも、 

・うちの夫(妻)は、こんなにつまらない人で……

・うちの親(子ども)は、本当にどうしようもなくて…… 

と文句や愚痴を言う人がいます。

しかし、愚痴を言うということは、「自分の価値をさらけ出している」ことと同じです。 

「どうしようもない親、子、夫、妻」を持つにふさわしい、「ちょうどいいあなた」がいるのですから。

人の悪口を言わない人には、「悪口を言わないあなた」にちょうどいい 「悪口を言わない仲間」が集まってきます。

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けていると、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」仲間が集まってきます。

人の悪口ばかり言っている人には、「悪口を言うあなた」にちょうどいい「悪口を言う仲間」が集まってきます。

すべてが、あなたにちょうどいいのです。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言い続けると、そのとおりの人生になる

私は講演会などで、たびたび「五戒(ごかい)」について話をします。 

「五戒」とは……、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つです。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を口にしないように戒(いまし)めようというのが、私の唱える「五戒」です。

何があっても、「五戒」を言わずに、口から出る言葉がすべて優しく、周囲の人を元気づけるものであれば、神様や宇宙を味方につけることができます。

たとえば、信号を渡ろうとして横断歩道にさしかかったとき、ちょうど信号が青に変わる。 

買い物をしてお金を支払うとき、小銭入れの1円玉の数がピッタリだった。 

といったことがいつも起きる。 

言い換えれば、「ツキを味方にできる」ようになります。

一方で、いつも「五戒」を口にしていると、神様や宇宙を敵にまわしてしまいます。 

なにげなく天気の不満を口に出している間は、否定的な論評をする癖がついたままです。 

どんなに一所懸命生きているつもりでも、神様や宇宙は味方になってくれません。

人間は、「自分の発した言葉」で自分の人生をつくっています。 

「私」の周囲の環境や、自分が立たされた状況は、すべて「自分の発した言葉」によって形成されていきます。

ですから、朝から晩まで、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けると、この言葉をまた言いたくなる現象や出来事に囲まれます 

(私は、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」の7つの言葉を、七福神ならぬ「祝福神(しゅくふくじん)」と呼んでいます)。

反対に、「五戒」を口にしていると、「ツイていない人生」を送ることになります。

以前、午前2時くらいに、私に電話をしてきた方がいます。 

この人は、次のようなことを言いました。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないでいたのですが、4ヵ月たっても、思いどおりの人生を送れない」

 

私は、電話口で、こう答えました。

「そういうのを、不平不満と言うのではありませんか?」

宇宙が自分の味方をしてくれない、自分の思いどおりの人生にならないと、嘆く人がいます。ですが、よく考えてみると、「電車に乗った」「電話をかけた」「お茶を飲んだ」「食事をした」といった日常の行動は、すべて自分の意思でそうしたものです。

だとしたら、多くのことが「思いどおりになっている」ではありませんか。

また、こんな話もあります。 

東京に住む70代の女性が、50年間、ことあるごとに同じセリフを言い続けてきたそうです。

「20歳のときに会社を興してもダメで、40歳のときにボランティアグループをつくろうとしたときも人が集まらなかった。 

何かイベントをしようとしても、全部ダメだった。 

私の人生は、何をするにせよ、思いどおりにならなかった」

この女性は、「私の人生は思いどおりにならなかった」と思い違いをしています。 

「全部、思いどおりになっていた。

全部、言ったとおりになっていた」ことに気がついていません。

自分の発した言葉が、人生をつくります。

「思いどおりにならない」と言い続けたからこそ、たしかに「思いどおりにならない人生」を送ることになったわけです。

<引用終了>

 

自分の回りで起こって来ることは、全て自分の発した言葉から起こって来るのだそうです。

「自分の発する言葉」とは、普段私達が考えていること・・ということです。

つまり、私達の置かれた環境とは、私達の意識に丁度良いもので囲まれていると言うことです。

ですから、甲斐性の無い夫も、いつもガミガミと文句を言っている妻も、 

言うことを聞かない反抗的な子供も、怒鳴ってばかりいる上司も、全ては、今の自分に丁度良いから、存在していると言うことです。

もし、幸せな、落ち着いた、思いやりのある環境の中で生きて行きたいなら・・・

「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けていると、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」仲間が集まってきます。

正観さんは、このような言霊を使うことにより、自分自身がまとう波動と言うか、オーラというか、雰囲気を変えて行くことで、それにふさわしい(丁度良い)未来が作られていくと

仰りたかったのだと思います。

貴方は普段、どのような言葉が多いですか?

不平・不満・愚痴・悪口・陰口・恨み・ねたみ・そねみ などの言葉ですか?

それとも

嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる などの言葉ですか?

その貴方の発した言葉は、

・回りを元気にしますか、

・勇気づけますか、

・笑顔にしますか?

それとも、その言葉を聞いた、周りの人は、

・暗く、重苦しい気持ちになりますか?



2023年2月24日金曜日

2982「つかの間の地球」2023.2.24

 今回は「いっぷくからありがとう」さんんの2023年02月15日の「つかの間の地球」と

2023年02月16日の「夭逝する子供たち」の2つの記事を紹介します。


「つかの間の地球」


今日はレインボ-チルドレンのまりなちゃんのお話を書きたいと思います。 

まだ14歳なので、難しい言葉遣いもせず、さらっと話すのですが、

その内容は、まさにブッダやイエスが仰っていたこと、そのままです。 

ですので尚更、ブッダ達の意識が宇宙神に根差していたことが分かります。 


 

では、まず感情について 

感情とは、肉体に伴うもの・・ 

6種類の代表的な感情・・・

・喜

・怒

・哀

・楽

・愛 (いとしみ)

・憎 (にくしみ)

肉体をまとって、初めて味わうことのできるもの。 

宇宙(天)での生活では感情はない。 

ただ生命の躍動感を感じ、イキイキと命を輝かせていただけ・・

・心地良いか

・心地が悪いか

があるだけ。。

  

つまり、憎しみの心も、肉体を脱げば(天に帰れば)消えてなくなると言うことです。 

生まれた時には、どの赤ちゃんも、憎しみや恨みの心を持ってきていません。 

成長するにつれ、環境から、その心が芽生えてきます。 

誰一人生まれながらに悪人はいません。 

ただ生まれてくるときに、そのようなシナリオ(脚本)を書いてくるだけです。

その感情を味わってみたいから。。

あまりにもシリアスな人生の脚本を書いてくるとき 

例えば 

・重い心や身体の病気

・夭逝(ようせい--子供の内に早くに亡くなる)

・親に深い悲しみを与える

・社会的に悪とされる行為を行う 

などでしょうか。。 そのような時

このような厳しいシナリオを受け入れてくれる両親は、一体どんな人たちなのだろう・・ 

と想像するのだそうです。

まさにこれらの出来事は、本人にとっても、受け入れる家族にとっても、難易度の高い課題です。 

神々に近い高貴な魂たちなのでしょう。

それゆえに、天に戻った時、どんなに深い喜び、魂の共感、神々からの祝福に包まれることでしょう。 

成熟度がまだ低い場合には、

このような試練(厳しい環境を選んできた子供たち)は与えられないでしょう。

ですから、もし皆さんの目の前に、何か問題が立ちはだかったり、悩みや苦しいことがある場合には、こう考えて欲しいのです。 

この、つかの間の地球で、魂を揺さぶるような 

・悩み

・苦しみ

・悲しみ

・悔しさ

・後悔

の機会を与えてくれて「ありがとう」 

そのような憎まれ役を、あえて引き受けてくださって「ありがとう」 

私は、泣いたり笑ったりするけれど、ここでしか味わえない、その感情をしっかりと味わって、それでも、そのことを

・心の糧として、

・心を磨く研ぎ石として、 

感謝の息吹に変えて見せましょう。

 つかの間の地球、そこで出会ってくれてありがとう!

私たちを、この地球に送り出してくださった方々もきっと、そう望んでいらっしゃることでしょう。 

 



「夭逝する子供たち」


皆さん「夭逝」(ようせい)と言う言葉聞いたことがありますか。

子供が年若くて死ぬこと  と言う意味です。

スタジオジブリの「風立ちぬ」の主題歌は荒井由美さんの「ひこうき雲」でしたが、 

これは夭逝をうたった歌と言われます。

子供が先に亡くなることは、親にとったら、耐えがたい悲しみです。 

私のブログを見てくださっている方々の中にも、そのような親御さんが沢山いらっしゃいます。

ですが、やはり、それにも神様の深遠な意味があるようです。

今日は小林正観さんの文章から夭逝に関するものをご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

ニ、三歳で亡くなる子どもがいます。

この子は九万九千九百回ぐらい生まれ変わりを果たし、あとの百回ぐらいは、親に悲しみを与えるだけの存在です。

あとの百回の生まれ変わりで、もうじき神になる存在です。 

人間としての肉体をもち、何かを修行する必要はありません。

 では何のために生まれてきたのかといえば、親に悲しみという感情を味わってもらうためです。

かわいい盛りの子どもに死なれるのは、親にとっていちばん悲しいことです。 

その悲しみを親に味わってもらうというのが、人間として生まれ変わりの九万九千五百回ぐらいから始まります。

子どもに死なれた親は、そこで悲しい悲しいと嘆き、落ち込みます。

でもそれだけではいけません。 

幼い子どもの死は、「お父さんお母さん、それを乗り越えて、明るく楽しく生きられますか」と問いかけているのです。

中略

幼くして死ぬ子どもは、もうすぐ神になる存在だから、何かを修行したり修正したりする必要がありません。 

完成度の高い状況で生まれてくるのです。

だから早死になるのですと。

このことを知ると知らないでは大きな違いです。 

嘆き悲しみ、メソメソするのをやめて、そのすばらしい子どもが自分たちと半年、一年、三年、五年と一緒にいてくれた。

そのことに感謝しましょう。

ほかの親を選ぶのではなく、うちを選んできてくれた。 

それは、その親がそれまでいかに、いろんな艱難辛苦の生まれ変わりを乗り越えてきたか

という証明でもあるのです。

このことで、めげてはいけません。

残された親は、そこで悲しい悲しいと嘆き、落ち込んでいるのではなく、それを乗り越えて、

明るく楽しく生きられますかと問われているのです。 

早死にする子どもの役割はそういう問いかけをすることです。

<転載終了>

 

親を悲しませるために早く亡くなった。

親を悲しませるために、病気になった。

人間の情の面から見たら、なんと非情なことでしょうか?

ですが、これも神様や私たちが、生まれる前に自分で立てた人生計画です。

情ではなく、宇宙の法則が優先されるのでしょう。

私たち生きとし生けるものは、輪廻を繰り返し、魂を成長させ、もともと一つだった神様のもとに帰らねばなりません。

子供が夭逝することや、重い病気になることで、どれだけ強力なインパクトを親に与えるでしょうか?

悲しみの涙にくれることでしょうか?

ですが、夭逝する魂たちは、その犠牲を払ってでも親である私たちに、何かを伝えたかったのです。

何時までも何時までも悲嘆の涙にくれて欲しくてそうしたのではありません。

きっと、その深遠な目的は、親である私たちの魂の向上を飛躍的に後押ししてくれるものだからこそ、その道を選んだのでしょう。

その悲しみの涙の後に、残された親たち家族が、どう生きていくか?

それこそが、彼らの果たしてくれた役割「夭逝」に報いる道だと思います。

今世界は、大きな大きな変化の時に差し掛かっています。

精神性の復活の時代への、良き変化です。

今は辛い時を過ごしていようともうすぐ明かりが見えます。

どうぞ、希望を持って優しい気持ち、笑顔でお過ごしください。

 

2023年2月23日木曜日

2981「神様の恩寵」2023.2.23

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月14日の記事を紹介します。

 

 「神様の恩寵」


よく聞く言葉があります。

・願いが叶ったら、感謝する

・気持ちが落ち着いたら、感謝する

・生活に余裕ができたら、感謝する 

ですが、これは、宇宙の法則とはまったく逆のことをおっしゃっています。 

宇宙の法則とは与えたものが、受け取るもの。

まず自分から、何かを出さなければなりません。

  

出したものと同質のものが、巡り巡って自分に何倍にも帰ってきますから

幸せになりたいのであれば・・

感謝の人生を送りたいのであれば・・ 

まず自分から他人に対し優しさや、思いやりのある言葉かけ、笑顔、感謝を、出さねばなりません。

そうやって初めて自分に返ってきます。

何かを得たら、とか、素晴らしい環境になったら感謝する、

そんな気持ちを元春日大社宮司の葉室 賴昭さんは、「それは、取引だ」と、排除なさっています。 

それでは、今日のお話です。 

自分が持っていないものに、不平不満、愚痴を言うのではなく、与えられているものに・・・

何もない平凡な日々に、感謝しよう、そんなお話です。

あなたは他人や、モノ、動植物、自然、神様に感謝することはありますか?

一日に何回「ありがとう」と口になさいますか?

今日は何人の方に、笑顔を向けましたか?

私たちが生きていく上で遭遇する、悩みや苦しみ。

そこから解放される手段を、ブッダは2,500年前に「般若心経」の中で教えてくださいました。

それは「感謝の心」です。

ブッダは人間として生きていく上での全ての悩み苦しみの、共通の解決方法を、「般若心経」に残してくださいました。

「般若心経」はブッダの弟子の一人、シャーリプトラ(舎利弗=10大弟子)に、観音菩薩が教えを説くという設定で全文が構成されています。

では、小林正観さんの講演会でのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元


講演会が終わったところで、本にサインをする場合があります。

その時は百二十名ぐらいの講演参加者でしたが、半分の六十名ほどの人が本にサインが欲しいということで並びました。

三十人ほどのところに、「質問していいですか?」という女性が立っていました。

年齢は四十歳ぐらいでしょうか。

質問の内容はこういうものでした。

実は私は看護師をしています。

夫は長距離トラックの運転手で、毎晩出かけて行って、夜はいません。

そして、自分は夜勤も嫌がらず引き受けてやっているので、週に二回、子供たち三人だけの夜があります。

最近のニュースを見ていると、子供たち三人をおいていく時に、何か事件や事故があるのではないか、変な人間が侵入してきたらどうしようか、火事が起きたらどうしようか・・・

そういうことばかりを考えて、夫婦二人で話し合い、どちらかが仕事を辞めた方がいいのではないかと話しています。

けれども、住宅ローンを返さなければいけないという事情もあって、簡単に二人とも辞めることができません。

悩んで苦しんで、いつも夫と話し合っているのですが、どうしたらいいでしょうかという質問でした。

私はこのように聞きました。

「一年に五十三週ありますね。 

週に二日、子供たち三人だけの夜があるということは、 一年を通していえば百六日になりますが、子供たち三人だけの夜は百日を超えていますか?」

と聞きました。

「超えています」と答えが返りました。

「では、二年だと二百日を超えますが、 二百日を超えていますか?」

「超えています」

「では、三年だと三百日を超えていますが 三百日を超えていますか?」と聞きました。

「三百日も超えていると思います」と答えが返ってきました。

「それでは伺いますが、 その無事に過ごせた一日だけにでも、安全に何事もなく過ぎてくれてありがとうと、手を合わせて、感謝したことがありますか?」

と問いかけました。

十秒ほど黙っていましたが、この方は、そこからどわーっとすごい涙を流して、泣き始めました。

二十分ほども そこで立ったまま泣いていたでしょうか。

私はその間に残り三十人ほどの本のサインを済ませ、それがちょうど終わったころに、

彼女がやっと話ができる状態になって口を開きました。

「ほんとうに一度も感謝したことがありませんでした。  

心配ばかりをして、無事に過ごしてきた日に一日たりとも、一度たりとも感謝したことがありませんでした。

今日、帰って宇宙に、地球に、いろいろな方に感謝をするとともに、子供たちを思いっ切り抱きしめてあげます」

と語りました。 泣いてはいましたが、明るい笑顔でした。

この話には後日談があります。

半年ほど経ってまた同じところで講演会があったのですが、

「先日はありがとうございました」と言って、その方がお見えになりました。

その後、毎日毎日、感謝をして、何事もないことに手を合わせてお礼を言っているそうですが、何事もなくほんとうに平穏無事に毎日が過ぎていっている。

ありがたい。

何かが変わったわけではないのに、状況がなにも変わったわけではないのに、

心が平穏になり、穏やかで豊かで幸せである、ということを話にきてくれました。

<転載終了>

このことに気づいたお母さんは、もう大丈夫ですね。 

宇宙からのパワー、神様からの恩寵を手に入れる方法を知りましたから。 

何かが叶ったら、感謝するではなく、本当の感謝は、何も起きないことに感謝なのかもしれません。

何も起きないで淡々と穏やかに過ぎていく日々、実はこれが物凄いことなのだということに気がつくこと。

不安 恐れ 懸念 心配事というのは、私たちのために、常に沢山の恩寵を施し、時間やタイミングを調整し、様々とやって下さっている神様に対して、それに気付くことなく、感謝することなく、それどころか文句を言っているのと同じことです。

また、まだ起こってもいない未来に対し、心配し取り越し苦労することも、同じことかもしれません。

いま何事もなく 淡々と過ぎている時間というのは、何も起きていない ということではなく、神様が全てを調整し、全ての出会い別れをセッティングし、そのうえでそれがうまく動いているが故の無事なことが起きているの連続かもしれないのです。

この奇跡の連続、とめどもない神様の恩寵の連続、これこそが、感謝の源泉です。

そのことに気づき、感謝することができれば、宇宙からのサポートの100%を享受することができます。

正観さんは、これこそが本当の感謝の本質と仰っています。

何かを頑張って、努力して手に入れることが感謝ではなくて、今、穏やかに穏やかに暮らしていることが、本当の感謝の源なのだそうです。

悩み、苦しみの生活の中でも、ふと穏やかな時が流れることもあるのではないでしょうか?

そんなひと時もあるのですから、「置かれた場所で咲きなさい」と言われるように、 

その環境の中で感謝の心を身につけることは、本当に大切なことではないかと思います。

何よりもご自身の幸せのために・・

ありがとうと言う感謝の心は、幸せになるために、どうしても必要な心です。 



 



2023年2月22日水曜日

2980「 DS「日本終戦」SS 壮絶なクライマックスへ2」2023.2.22

 2979 DS「日本終戦」SS 壮絶なクライマックスへ1の続きです。


――幾重にも「量子もつれ」を起こしたこの出来事とその意味をできるだけ正確に解釈できなければいけないですね。

 

こうして「DS」というものの本質というものが自動的に浮き彫りになってくるのです。

 

――しかしそのカバールDSの計画は頓挫しました。

まさに澤野さんがいつも言っている「全自動アラハバキシステム」ですね。

 

去年の夏に皇帝が消失しましたからね。正確には投影・描写され現出していた彼という存在は三次元地球を生み出すためのベースとなっている二次元プログラム(フラット・アース)内の文字列の中へと戻され投影が解除されたわけです。「Азов」の水面下の本当のリーダーが消えてしまった。地球を代表する嘘つき詐欺師集団の教祖が消えてしまった。

 

――だから日本のみならず世界中がザワザワしているのですよね。

 

QCはそう簡単にアップデートなんかさせてくれませんよ。だから毎日、恐怖と不安のコンテンツが絶え間なく供給されています。人々がきちんとこの世界に没入し絶対に抜け出すことのないようにQCは厳重に管理しています。

 

――恐怖と不安のコンテンツが最近非常に増えているように感じます。

 

それだけタイミングが近づいているということです。そのタイミングに向けて、QCはこの世のすべての「秘密」を表に出してくる。人類の理解度を測りながらもそれは自然な形で

少しずつ解像度を上げてもたらされてきます。

 

――今は本当に「終末」なのだと実感してきました。

 

古いコードで描かれてきたこれまでのホログラム世界が終わるわけです。すべてはフラクタルですから、古いコードの世界が終わればその瞬間から新しいコードで描かれた世界へと入ります。

 

――現人神スーパースター偶像崇拝システムが終わるということですね。

 

その代表だった彼が消滅したわけです。いわば「偽キリスト」の投影が解除されたということね。

本当の「ひとつ」としての「ヤハウェ」から自ら分離し独立した彼らはもう「ひとつ」へは戻れないのよ。だから三次元ホログラム枠内で、物理的な繋がりや絆や団結や結束をもって「ひとつ」を求めて来た。これが「グローバリズム」の究極の本質ね。 

そして彼らはその物理的な「ひとつ」のことを「統一」と表現してきたわけですよ。

彼らは彼らなりに求める世界というものがあり、しかしそれは本当の「ひとつ」から訣別したからこそ想起されることとなった欠損した「ひとつ」なのね。 

つまり、それはじつは「ひとつ(のようなもの)」に過ぎないのよ。彼らはそのような状態以上には到達することはできない。しかし彼らはかつてヤハウェを裏切った以上、本源的な「ヤハウェ」を凌駕しなきゃいけないって絶対にあきらめることのない決意をしてしまっている。だから彼らは彼らなりに、「統一された平和」というものを掲げているわけです。

 

――「統一された平和」ですね…

 

彼らはこれまで「ONE PIECE」という「ひとつの欠片(かけら)」を用いて、「ONE PEACE」という「ひとつの平和」を作ろうとしたわけです。

どちらも日本語での発音では同じです。これがいわゆる「New World Order」ってやつです。 

しかし「ひとつの欠片」(ソロモンの指環)が消え去ったことで「ひとつの平和」計画が大々的に失敗したのです。

 

――ルフィの計画はすべて失敗したということですね。

 

漫画自体には何の罪もないですけどね。

 

――前回のインタビュー(2022年12月16日の記事)の中でこれからどのような人たちがアラハバかれていくのかについてかなり詳細にお話しされましたが、その通りと言いますか、ようやく本当の「大量逮捕」が具体的に見えてきましたよね。


ガリチア霊感商法詐欺スピネットワークのことですね。

今話題になっていることと言えば、「特殊詐欺」「強盗事件」「東京五輪汚職」「太陽光発電」などですよね。これらに通底しているのは総じて「詐欺」なのです。

 

――特に強盗事件が目立ちます。

 

去年の夏以降、お金に困るようになった団体や組織とかがあったなら、なりふり構わず行動に出るでしょう。これまでだったら絶対に捕まることはなかったのだけれどもなぜか最近は全員がもれなく捕まるようになりました

 

――なぜフィリピンなのですか?

 

第二次世界大戦のうち、「太平洋戦争」の括りにおいての「枢軸国」だからです。

 

――枢軸国?

 

フィリピンだけじゃないですよ。ビルマ、タイ、中華民国汪兆銘政権、自由インド、そして満州国などが枢軸国です。太平洋戦争末期に日本軍がアジア諸国から略奪した金銀財宝はフィリピンに埋められました。これが「山下財宝」。そして今、日本人海賊ルフィが詐欺や強盗で略奪したカネもフィリピンに運ばれていたわけです。

 

――やはりあの4人の中にルフィがいるのですか?

 

4人のうちの誰かをルフィとして処理する可能性はあるでしょう。そうやって片付けてしまいたい人たちもまだ残っているでしょう。でもフィリピンに潜伏している可能性がある凶悪犯と聞いたら普通は一人しか思い浮かばないでしょう。

しかしもう皇帝は消えたのですから本物のルフィも表に出てくるかもしれませんね。

 

――他に枢軸国関係で何かありますか?

 

ビルマ(現・ミャンマー)ではアウンサンスーチー氏が禁固と懲役合計33年の有罪判決を受けましたね。中華民国汪兆銘政権は大日本帝国の傀儡でした。汪兆銘は南京政府のスパイ機関を創設しました。そのスパイ機関に勤務していた江世俊の息子が江沢民ですね。

つまり江沢民派(上海閥)は「みなし清和会」なのです。 

そんな江沢民派は清和会側なのに「反日」を叫び、憲法改正と軍拡を望む日本の清和会を強力にサポートしました。

清和会系統一ネトウヨたちはやたらと「中国が攻めてくる!」と言っていましたよね。

この詐欺的言説に多くの日本国民が騙されました。

例の「気球」についても習近平は「関知せず」ということ。じゃああの気球は誰がやったのよ?ってなりますよね。中国軍の実質的な主導権は江沢民派が握って来たのですから。

このカラクリがわかるとスッキリします。

 

――上海閥のボスであった江沢民が死去し、それで中国のゼロコロナ政策が解除となったわけですけれどもまだロスタイムが若干残っているって感じですね。

 

習近平は「中央紀律委員会」と共に、江沢民派の多数の主要幹部たちを粛清していきました。

それは2012年からですからもう11年もやってきたのです。つまり習近平は「反清和会」なのだということ。そして岸田総理も「反清和会」なのだということ。しかし上海閥の残党が日本に押し寄せ、さらにすでに日本に巣喰っていた「ガリチア詐欺師」たちが今「大量逮捕」となっているわけです。そして世界の最終舞台がこの日本ということになった。

 

――「ガリチアマルチ霊感商法詐欺スピネットワーク」たちが大量逮捕されるなんてことは

澤野さん以外の誰も言っていませんでした。

 

それはどうしてだかわかりますよね?

 

――わかります(笑)都内の道端に停まっている警察の護送車や上空を飛ぶヘリコプター見て「大量逮捕だ!」とか騒がれていましたけれど、しかし連行される逮捕者を撮影した人などひとりもいませんでした。

 

全部「ウソ」だからね。彼らは「世界の秘密」を暴露していると見せかけて、本当の秘密が表に出てしまうことを妨害していた。だから人々の興味や関心をまったく見当違いな方向へ向ける活動をしてきたわけです。だからまさか自分たちが大量逮捕される側だなんて言うわけないじゃない。

 

――その最終舞台はいつまで続くと思いますか?

 

3月13日からはマスクが個人の判断となる予定で、「5類」へと引き下げられる予定が5月8日です。そしてアメリカの国家非常事態宣言解除が5月11日。ゆっくりと「終戦」に向かっているのがわかります。

 

――今、2月中旬ですからあと3か月ということですね。

 

あとアディショナルタイムが加わるので、おおまかな推測としては5月いっぱい。進捗の状況によっても変わるでしょうけど、おそらく夏までにはという感じですかね?

第一次世界大戦は4年2ケ月続き太平洋戦争が3年8ケ月。今回のコロナが夏までに終わるとするならば3年7ケ月。まさに「終戦」に相応しい時期になってきてはいますね。

 

――終戦が近いがゆえに、連日恐怖と不安の事件事故が絶え間なく供給されているのですね。

 

そう。一応、三次元枠内では「戦時下」という設定になってる。だから没入してしまうことは非常にマズいこと。「戦時下」という表向きの理由の水面下で一体何が進行しているのかに着目することが大事です。

あと、これからの少なくとも3か月は、これまでで最も苛烈な期間となると思います。

夜明けの晩が一番激烈となるのです。

 

――日本でのカバールDS掃討作戦はどうなりますか?

 

一番わかりやすい特殊詐欺集団や強盗グループ、そして五輪汚職などから始まって、最終的にはバビロン系南ユダスピリチュアルネットワーク詐欺グループにまで及ぶと考えています。そしてその手始めとして「SS党」が崩壊していくことでしょう。

「SS党」こそが霊感商法スピ詐欺ネットワーク集団であり、日本におけるバビロン系カバールDS掃討作戦の大きな目玉となるでしょう。「SS党」はこれから壮絶な終わり方を見せてくれると思います。しかもそれはおもに内部からの崩壊ということになる。

「SS党」に限らずあらゆる分野で内部の中枢の最深部から崩壊する。

ということは「SS党」をSNSで推奨したり拡散したり、周辺で多かれ少なかれ関係した人たちにも影響は出ると思います。もうすでに大量のスネークがリストアップに動いているでしょうから。

 

――これは多くの人にとって寝耳に水であり、これまでまったく想像もしていなかった

壮絶なクライマックスになっていくのですね。

 

だから私はすでに何度も申し上げてきましたよ。「これから私たちは見たくない光景を見ることになる」って。「SS党」から始まり、ヤマト・ユダヤ友好詐欺ネットワーク、バビロン系南ユダガリチア霊感商法ナチュラルコミュニティもそれに追従することでしょう。

これもすべて去年の夏から流れが変わったからです。 

おそらく4月の統一地方選挙の頃には、可視化されているだろうと予想しています。

果たしてどうなるでしょうか?

(澤野大樹)

 

――ゾクゾク、ザワザワしますね!もっとお話しをお聞きしたいのですが、そろそろお時間となりました。残念ながら文字数制限がありますので、このあたりで一旦切り上げまして、

この先はまた次回のお楽しみとして取っておきたいと思います。

澤野さんありがとうございました。 

  


画像出展: https://epicentrk.ua/shop/kraina-galichina.html

 

令和に改元されて早5年。

痛ましい事故や不可解な事件が頻発しておりますが、さまざまな出来事に直面するたびに

自己を確立するアイデンティティは何なのだろうかと思いを馳せます。

社会的背景により大きく揺れ動くこの世界のオチはどんな邂逅となるのでしょうか。

アップデート完了が目前に迫っているのではないか。

この事象こそが、まるでヨハネの黙示録を想起させるような夜明け前の晩なのではないのでしょうか。

完全無欠のQCプログラムによる眼前に投影された映像は、観測者を深い洞察へと誘ってくれることでしょう。

澤野氏の見解に今こそ注目したいと思います。本年初の講演会もぜひご期待ください。

 

※講演会参加者様は防寒対策万全でご来場ください。

昨年2月の講演会は八甲田雪中行軍ばりの猛吹雪体験しましたね。

ソリ持参がいいかもしれません(冗談です) 

では、青森講演会でお会いしましょう。


澤野大樹氏青森講演会主催 

小野裕美子

 

2023年2月21日火曜日

2979 「DS「日本終戦」SS 壮絶なクライマックスへ1」2023.2.21

今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2023年2月13日の記事を2回に分けて紹介します。

宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)


DS「日本終戦」SS 壮絶なクライマックスへ

みなさま、お久しぶりでございます。こんにちは。お元気でお過ごしでしたでしょうか。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。 

いつの時代も変わりゆく世界、激動の時代といった現象があったとは思いますが、

いまだかつてこんなに寒い思いをするなんて予想だにしていませんでした!!! 

では早速、インタビューをお送りいたします。

 

――澤野さん、こんにちは。もう2023年も2月のしかも半ばとなっています。

そろそろインタビューをと思ってはいるのですが、毎日のように大きなニュースが溢れていて何をどこから質問して良いかわかりません。

そんな中でも特に先日のトルコ大地震がやはり一番衝撃的だったと思います。

澤野さんは今回のトルコ地震について、どのような見解をお持ちでしょうか?

 

お久しぶりです、こんにちは。怒涛の年末年始を経まして、ようやくこうしてインタビューを受けることができます。 

えっと、トルコの大地震についてですね。トルコの人口の2割くらいがじつはクルド人です。またクルド人はトルコだけではなくてイラン、イラク、シリアなどの国境地帯に住んでいます。でもクルド人って日本国民にはあまり馴染みがないですよね。

彼らは「国を持たない最大の民族」と言われています。この表現、どこかで聞いたことがないですか?

 

――「ディアスポラ」(民族離散)的な印象を受けます。

 

きわめて「ガリチア的」ですよね。

クルド人の大半はイスラム教徒ですが、その中には「ユダヤ系クルド人」もいるわけです。

かつてヒッタイトがバビロンに侵攻したルートは現在で言えばトルコやシリア、イラクのある場所です。このあたりに居住する山岳民族としてクルド人が存在しているのです。

 

――メソポタミアから古代バビロニア王国ですね。

 

だからと言って何かをここで断定するわけではなくて、ひとまずこれを念頭に置いた状態でいろいろ考えていくとこれまたいろいろと見えてくるものがあります。

 

――クルド人はトルコ国内で迫害されているのですか?

 

トルコだけではなく、イラク、シリアなどでも迫害されてきた歴史があります。

トルコ国内にはクルド人による非合法の武装組織「クルディスタン労働者党」(PKK)が台頭しています。あと隣のシリアにも「クルド人民防衛隊」(YPG)ってのがあります。

 

――非合法武装組織ですか。

 

PKKはマルクス主義や共産主義も掲げる極左組織で、日本の公安調査庁からは「テロ・ゲリラ組織」と名指しされています。ラディカルなグローバリストであることが想像されます。

 

――国を持たず、流浪の民であり、さらにマルクス主義のグローバリストであり、非合法武装組織であるということですね。

 

そうです。このことからだんだんとなんだか妙な「予感」がしてきませんか?

 

――はい、してきますね。

 

その流れを受けてさらにそれを維持したまま、昨年2月24日から始まった「露烏戦争」に思考をシフトしながら重ねると捗ります。

 

――もうすぐ一年になりますね。

 

「露烏戦争」が始まった途端、5月に北欧のスウェーデンとフィンランドは揃ってNATOへの加盟を申請しましたよね。でもすんなりと加盟の方向へは進みませんでした。

 

――あっ、たしかトルコが反対したんですよね。

 

そうそう。NATOへ新規で加盟するためには、NATO全加盟国の承認が必要です。スウェーデンとフィンランドのNATO新規加盟をトルコ(とハンガリーも)は強固に反対しました。

 

――トルコはどうして反対したのですか?

 

スウェーデンとフィンランドはクルド人非合法武装組織「PKK」を支援しているからです。

 

――なら当然トルコは反対しますよ。

 

しかし、トルコのエルドアン大統領は昨年6月28日に、スウェーデンとフィンランドの首脳と会談しました。そこでスウェーデンとフィンランドは、クルディスタン労働者党(PKK)を「非合法テロ組織」と認定して取り締まることなどを明記した覚書に署名しました。

それと引き換えにトルコはスウェーデンとフィンランドのNATO加盟支持を表明しました。

 

――トルコとしては満額回答となりましたね。

 

これで一件落着と思ってはいけませんよ。だって、では当のクルディスタン労働者党の人たちはこの北欧二か国が飲んだその条件をどう思うでしょうか?

 

――強烈な不満を抱くでしょうね。

 

スウェーデンとフィンランドにいるクルド人たちは当然動揺しましたでしょう。

さらにトルコはスウェーデンに対してクルド人テロリスト73人の送還を求めました。

北欧二か国のNATO加盟を支持はしたものの、テロリストの送還がされなければNATO加盟を阻止すると言いました。

 

――「強制送還」は日本でも今別件で話題となっていますね。

 

突き詰めていくとじつは「別件」ではなく、深い部分できちんと繋がっていますからね。

でも話が長くなるのでここでは割愛します。

 

――すべてはフラクタルに展開し、そして「もつれ」て描写されています。

 

そうです。「最小」と「最大」は表と裏の関係です。しかもどちらの特性も維持したまま

同時に重なって均衡して共存しているのです。 

で、慌てたのが北欧二か国にいるPKKですよね。

ガリチアを潰しに来るプーチンに対抗するためにスウェーデンとフィンランドをNATOに加盟させ、欧米を後ろ盾にしてあらゆる活動をしようと思ったらトルコに対してNATOには加盟させることの同意は取りつけたものの、その条件としてなんと自分たちがトルコに強制送還されてしまう危険性が高まってしまった。

本音を隠して建前で押し通そうとしたら、建前だけが通ってしまって本音が潰された形になってしまった。なら彼らにとってNATO加盟など意味のないことになってしまったわけです。

 

――この時点ですでにQCの完全無欠さを感じます。

 

昨年12月にスウェーデンのPKKのメンバーとされる男性がトルコに送還されました。

しかしトルコとしては数人のPKKメンバーの送還で満足するはずがなく「全員」の送還を求めているでしょう。 

PKKとしては露烏戦争というタイミングに乗じて「人権大国」であるスウェーデンとフィンランドをNATOに加盟させ、NATOを一枚岩としてロシアを叩きのめすつもりだったのでしょう。そういった意味において、「PKK」と「Азов」は志を同じくしていることがうかがえます。 

しかしその計画をトルコが妨害しているのだと彼らの目には映っていたことでしょう。

ということで、私からは「PKK」と「Азов」はイコールで結ばれているものと見做されてしまうのです。 すると先ほどの「国を持たない最大の民族」という表現が俄然、説得力をもって「ガリチア」という存在を浮かび上がらせてくることになるのです。

 

――そこからスウェーデン国内で変な事件が多発してくるわけですね。

 

スウェーデン国籍を持つデンマークの極右団体の代表が、ストックホルムでイスラム教の聖典である「コーラン」を燃やすという事件を起こしました。さらに、スウェーデンにあるトルコ大使館前でもコーランが燃やされました。彼らは「反トルコ」「反エルドアン大統領」を叫び、トルコおよびイスラム教を冒涜する行動に出たのです。

クルド人の大半はイスラム教徒であるはずなのに、北欧にいるPKKはコーランを燃やすという暴挙に出ました。長い歴史の中で常に迫害されてきた「弱者」であるはずなのに、やることがずいぶんと過激だなあと思うと同時に、ということは彼らは一体何教徒なのか?という素朴かつ強烈な疑問が瞬間的に立ち上がりますでしょ。

 

――あくまで「念頭に置く」段階でとどめておきますね。

 

そうそう(笑)とりあえず念頭に置いておきましょうってことで。 

彼らがコーランを燃やしたその表向きの理由は、「エルドアン大統領がスウェーデンの表現の自由に影響を及ぼそうとしている」ですが、それはすべて「ウソ」だということがすぐにわかります。主題をすり替えて人権を叫び弱者を演じるそのやり方は私から見ると「ガリチア」そのものと映ります。

 

――「ガリチア」はありとあらゆる団体、組織に侵入しますし、それどころか国そのものに寄生していきますからね。

 

「コーラン焼却事件」によって、トルコによる北欧二か国のNATO加盟支持は絶望的となりました。トルコへの抗議活動なんかしたばかりにNATO加盟への道がさらに強固に閉ざされる形となってしまったのです。これ、変なことでありおかしなことだと思いませんか?だってPKKは自らわざわざ墓穴を掘りに行ったわけですから。

 

――その折り重なるような塞翁が馬感はまさに「ホログラム」ではないですか?

 

そうそう。完全なるホログラムだとわかりますね。

わざわざ全世界の人々に対してわかりやすく事のあらましを見せてくれてるのです。

でもただ単に「ホログラムだ」だけじゃない。

すべては完全なる現実でありながら、しかし同時にホログラムでもあるわけね。

つまり現実とホログラムが同時に均衡し重なって「量子もつれ」を起こしているのです。 

このように「量子意識」をもって物事を分析しなければ今の時代では何も見えないし解決しないのだということ。

 

――ということは、この一連の出来事や事件に没入してはならないということですよね。

 

そうです。感情的になったり夢中になったりすることなくかなり積極的に「量子意識」をもって俯瞰しないと、あっという間に「没入」させられますからね。

 

――うっかり気を抜くと一瞬で没入してしまいます。

 

それだけこの世を描写し投影するホログラムというものがあまりにも精緻であり、あまりにもリアルなのだということです。この世は「現実でありホログラムでもある」ということは、この世自体が量子もつれによって描かれているということです。

 

――トルコとクルド人についてのお話しをうかがっている中で「ガリチア」が出てきて「主題のすり替え」が出てきて来ました。この話題と懸案のカバールDS掃討作戦はどう結びついて来るのでしょうか?

 

ほとんど誰も触れない「ガリチア」ですよね。私の知っている限りでは元外務省主席分析官の佐藤優氏と元外務省条約局長で元外交官の東郷和彦氏が「ガリチア」について言及しています。 

彼らはバビロン系南ユダに起源を持ついわゆる「カバールDS」です。烏克蘭ガリチアは、NATOをまとめて味方につけ、米国はもちろんのこと国連から世界中の世論を動かし、プーチンを失脚させロシアを壊滅させようとしています。そんなカバールDSの計画をトルコが防いでくれていた。つまりトルコが第三次世界大戦の勃発を防いでくれていた。

 

――トルコは現在の世界情勢の鍵を握っていたわけですね。

 

PKKの思惑とАзовの思惑は同じだと先ほど申し上げました。彼らはとにかくトルコが憎くて仕方がないのです。その思惑はバイデン大統領とも同じであるだろうし、満州関東軍系清和会とも同じであることがわかります。だから某ご婦人は児玉機関として謎の現地訪問をしましたでしょ。

 

――児玉機関?

 

児玉氏の側近の町井氏がかつて経営していたのが赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」ですからね。

 

――首相官邸のすぐ近くですよね。

 

今話題の「永田町山王森ビル」もすぐ近くです。

 

――社名の由来がすごいんでしたよね。

 

そうそう。宮沢賢治の『注文の多い料理店』ですからね。

 

――まさに「人を喰う」ということですね。

 

尋常じゃありませんて。さらに隣が「お父さんホテル」で、はす向かいがあの「パレロワイヤル永田町」です。濃過ぎて頭がクラクラします。

 

――戦後の近現代史を理解していなければクラクラすることすらできないということですね。

 

そういうことになりましょうか。あ、話しが脱線してしまったので戻しますね。 

カバールDSたちにとってトルコは憎き邪魔者となりました。さあ、このような文脈と構造を理解することによって2月6日の大地震について、より解像度の高い分析が可能となるわけです。

 

――あの地震にもやはり「深い意味」というものが隠されているのでしょうか。

 

憎きその地は自分たちの拠点でもあったわけですから。つまりこの地震自体がすでに「量子もつれ」を起こしている。ならばこの地震は「指環」によるある特定の人物による人為的なものとは考えにくい。

 

――トルコだけでなく隣のシリアも被災しました。

 

シリア北部ですよね。そこはシリアの「クルド人民防衛隊」(YPG)の拠点です。「YPG」はシリア国内に「国家内国家」を作ろうとしていました。「国家内国家」ってまさに「ディープステート」のことですよね。これまでずっと秘密にされ封印されてきたことをすべて白日の下に曝すために深い意味がいくつも重なって「量子もつれ」を起こして私たちの眼前に表出したのだと私は捉えています。



 

2023年2月20日月曜日

2978「それしか起きなかった」2023.2.20

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月13日の記事を紹介します。


「それしか起きなかった」


私たちは、よく過去を振り返って後悔します。 

・あの時、こうしておけばよかった

・あの時、あんなことをしなければよかった

・あの時、別の道を選べばよかった 

それは、今の状況が不満で、不安で納得できない時に、過去のことを悔んでしまいます。

今が幸せいっぱいだったら、後悔などしません。

ですが、その後悔は、神さまの仕組みから見たら、少し違うようです。 

さて、今日も、読んでくださる方に、勇気と安心を、感じていただきたくて書いています。

もし勇気が湧いた心、安心した心が得られたら、周りのご家族に、笑顔を向けて下さったら、とっても嬉しいです。

今日は、「人生のシナリオは、決まっている」というテーマなのですが、

小林正観さんの講演会の話し言葉の文章が公開されており、とても分かりやすく、心に響くものだったのでご紹介させていただきます。

<転載開始> 転載元  

 

一応、簡単な結論を言っておきますと、どうも人間の未来というのは確定的に 決まっているらしい。

私たちは学校教育で、「為せば成る、為さねばならぬ 何事も・・・」、努力が足りないからできないんだ、自分が目標を持って必死な思いでやれば必ずそういうふうになるんだ。 

というふうに教わってきたんですけど、どうもそうじゃないみたいですね。

努力をしてもしなくても同じ結果になるのか、っていうとそれはまたちょっと違うんですけど。 

その人が生まれ育った家庭環境で、努力を続けてその通りになるっていう、そういう シナリオを書いて生まれてくる人がいれば、家庭環境によっては、まったく努力をしないっていうシナリオを書いて生まれてくる人もいます。 

努力をしたらこうなるというシナリオを書いているか、

努力をしないでこうなるという結果を書いているか、

というどっちかである。  

すなわち 生まれた瞬間に、もう死ぬときが決まっている、ということです。

死ぬときが決まっているということは、生まれてから、死ぬまでのシナリオが全部決まっている。

今は過去の集積である。ある投げかけや、動きや行為行動をしなければ、次の動き、行為行動にはならないということ。

自分の 投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくる、という法則があります。 

投げかけたものとは 

・優しい言葉

・勇気の出る言葉

・思いやりのある言葉

・お互いさま、お陰さまの心

・笑顔 

その逆に、 

・罵詈雑言

・悪口

・疑心暗鬼の心

・自分さえ良ければの心

・憎しみ 

様々ありますね。 

その人の今の現実を見たときに、みなさんは過去の姿を推定することができますね。

超能力ではなくて、現在の現象を見ていると、過去の現象を、読みとることができます。  

そして、現状を見ると、過去が推定できますね。

現状を見ると、未来が推定できますね。  

そういうふうに因果関係が作られています。

過去の言動を見れば、今の自分が見えてくるし、今の自分を見れば、未来の自分を予言できます。  

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくるという、この法則を知るということもまた、生まれる前にシナリオとして準備されていた。

こういうことを知らずに 人生を終わる人もいる。

こういう因果関係を知るというのもシナリオなんですね。 

今日この因果関係を知って、「ついに分かったぞ」という人もいるわけです。

 

そうか、 そういうことで自分の人生は成り立ってきたのか、じゃあこれから自分の人生を 

誠実に正直に生きていこうと、決めたときに人生は一転するんです。 

それじゃ、そう決心したことで昨日までの人生とまったく変わったじゃないか?

シナリオが変わったじゃないか? 

ということになるけれども、変わるっていうのは、本人がそう思っているだけで、実は宇宙的にそのシナリオ、つまり、その時、変わる決心をすることも、そのようにシナリオが書かれていただけなんです。  

私はしゃべる立場で、2月9日に皆さんの前でしゃべらなくちゃいけないってことになっていて、吹田の会場でこういう話を聞くはめになっていたというのも、みなさんのシナリオなんです。 

自分が気が付かずに投げかけてきた事の集積として、そういう状況に囲まれているだけです。

面白いですよ、その因果関係というものが分かってくると、じゃ今日からこうすれば いいじゃないっていうのが自分の中で分かってきます。

人間のすごく生きやすい 生き方というのを一言で言っておきますと、誠実に生きるということです。

馬鹿正直に、愚鈍にっていう言い方もあるんですけど。 

これが王道です。  

自分の投げかけた結果として、現在がある。

今投げかけている結果としての未来があるっていう ことが分かってくると、過去と現在と未来がドミノ倒しのように一列に因果関係で並んでいるということが分かるんです。

 

そう考えると、そのドミノ倒しの因果関係の結果として、ある時に死を迎える。

ということは、その通過時点であるひとつひとつのことも、全部予定通りである、という結論になってしまうんですね。 

未来的なものというのが、自分が生まれたときから死ぬときまで、過去のことも含めて、未来的なことも含めて、全部シナリオが 書かれているらしいと思ったら、もう過去のことについて何を悔やむ必要もないんです。

人生は今をどう捉えるかの訓練である、過去のそのときに選んだ選択は、全部シナリオ通りであり、最善のベストの選択であった。

皆さんには受け入れにくい話かも知れませんけど、自分が書いたシナリオで現象が どうも全部起きてくるみたいです。

だから、過去のことについて、悔いたり後悔をしたりする意味がない、ということを一応皆さんに言っておきます。

過去のどんなことも、あの時ああすれば「ああできたらよかったのに」っていうことは一切ない。

全部そのとおりになっていた、それしか起きなかった、そこしか選択の道はなかった。

そして全部自分がシナリオを書いて 出てきたんだっていうことが解ると、未来的にこんなことが起きるんじゃないか、こんなことが起きたらどうしようって、心配することは無意味

だということを申し上げておきます。

今、この瞬間から皆さんは、自分の人生に、なんの心配も懸念も持つ必要はありません。 

全部自分がシナリオを書いた。 

そしてそのひとつひとつの事件について、自分がどう捉えるかの訓練を今生(こんじょう=この世)でやっている。

捉える訓練の70年、80年なんです。解りますか?  

だから目の前に楽しい思いをして楽しかったというのは、人生の達人からすると初級なんです。

そして、普通に目が見えること、呼吸ができるというような、誰もが喜ばないような、当たり前のことに喜べるようになった人を人生の達人の中級者といいます。

そして、病気だとか 事故だとか、いろんなトラブルだとか、艱難辛苦(かんなんしんく=人生でぶつかる困難や苦労) だとか、いうようなことに対して、さらにそこに手を合わせて嬉しい幸せ、ありがとうと言える人を人生の達人の上級者と呼びます。 

私たちは自分の人生を自分でシナリオを書いてきているんですよ。

その目の前に起きてきた現象についてどう反応し、どう評価するかってことを死ぬまでにやっていく。

 

死ぬときまでにこういう話を聞かないで、 つまらないとか悔しいとか、頭にきたとか言いながら死んでいく人がたくさんいるんです。

人口の99.999999%はこういう話を永久に聞かないまま死んでいくんですね。  

過去も未来もない、あるのは今だけ、今日寝て起きたら、いつですか?  

今日寝て起きたら明日って答える人が けっこう多いんですけど。

今日寝て起きたら今日。 

今日なんです。

明日って永久に来ません。  

実は明日という日は永久に存在しないんですよ。

私たちは、長い時間経過の中で、明日も明後日も生きているように思うけれども、実は今という時間しか生きていないんです。

四次元的な話をしますけど、私たちの目の前には過去も未来も存在していません。

存在しているのは現在、今この瞬間 瞬間の刹那だけ、その刹那の連続しかない。

だから未来を心配することは無意味だ、過去のことを心配し、悔いることも無意味だということです。

そんな暇があったら、今目の前にいる人を大事にしなさい、ということだけなんです。

人生はものすごくシンプルで、過去のことを心配する、悔やむ。

未来のことを 一所懸命どうやって正しい道を選択しようかっていう人は、正しい道を模索しているのかも 知れないけど、そういう生き方ではなくて、今、目の前の事と人を大事にしてゆけばよい。

私たちが考えることは、念を入れて生きるっていうことなんです。 

念という文字は、「今」の「心」と書きます。 

念じなさい、念じなさい、そうすれば未来は自分の思うとおりになりますと、自己啓発セミナーなどは教えるんですけど、念じることによって未来が自分の思い通りに なりますかってことは、この念という言葉の中にはまったく存在しません。

なぜそれが言い切れるかっていうと、今の心としか書いていないからです。

今、目の前の事と人を大事にすること、それが念を入れるってことです。 

簡単なことなんです。

だからさっき言った過去のことの集積として現在がある、その現在が自分にとって、心地よくないのであれば、それを評価論として悔いる暇に、そんなエネルギーと時間と暇があったら、輝く未来をつくるために今、目の前の事と人を大事にする。

 

私たちは人生をどう生きていくかってことについて、ああだこうだ考えることは全然ない。

今、目の前の事を大事にし、目の前の人を大事にする、それの積み重ねだけ。

それしか私たちはできないということです。 

それ以外に過去に参加することはできない、昨日の人を抱きしめることはできない。

明日来る女性のことを抱きしめられない。

今、目の前にいるひとだけを抱きしめることができる。 

そういうことです。 

人生がこれほどシンプルで楽であることを分かってしまうと、なんにもエネルギーを とられる必要がないから、目の前の事と人とを大事にしていけばいい。

今の心とは、今目の前の人を大事にし、目の前の事を大事にすることです。 

学校教育の中でも、「がんばれがんばれ、未来を自分の力でつくりあげなさい」って 

教えられるけれども、未来のことは考えなくていい、未来のことを考えて心配している暇があったら、今目の前の人と事を大事にするだけ。 

私たちの目の前にある人生というのは、今しかないんですね。

<転載終了>


 凄く力強い、勇気が出る言葉ですね。

ブッダも同じことを仰っています。 

縁起の法則や、刹那の説明に出てきます。

もし、心に響いたら、時々思い出してみてください。

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくること・・

温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。

親切にすれば、親切にされます。

傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。

今、現在の態度、行動を変えれば、必ず未来が変わってきます。

今目の前の人、物を大切に、誠実に生きるということが、一番大切なこと・・

 

2023年2月19日日曜日

2977「魂の進化」2023.2.19

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月12日の記事を紹介します。


「魂の進化」


日々の生活の中で、どんな方にも神さまの仕組み(奇跡)が、起きています。 

それは、サーカスのように派手な出来事ではありません。 

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに、

私達や、取り巻く人々の、心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、

実は神様の介入により

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。 

まさに神仕組みです。

その積み重ねが、、、私たちがその流れに乗っていることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。

ですから、敢えて派手な奇跡を吹聴したり、神々の功徳を宣伝する必要はありません。 

それらは既に、どなたにも起きている神仕組みだからです。 

逆に、そのようなニンジン(派手な奇跡や、凄いご利益)に魅かれ、集まり集う人の心は

依存心を生み、自分さえ良ければの、醜く狭い心を創り出す可能性を秘めています。 

パワーのあると言われる場所に、ご利益があると聞きつければ、われ先に駆け付け・・ 

決して自らの心(包身、氣枯れ つみ けがれ)を顧みることが無ければ、同じ心、波長を持つ、悪の神様に取り込まれてしまうことでしょう。 

憎しみや嫉妬の心、行き過ぎた正義感も同じことです。 

せっかく今、ミロクの世、精神性復活の時代が来ているのに、どっぷりと 

・依存の心、

・嫉妬の心

・自分さえ良ければの心

につかっている限り、その新しき世界を見ることもなく

自分の心の状態に合った世界、地獄のような世界に自ら入っていくことでしょう。

心とは、それほど大切な物であり、その心を通じ、神様を認識することも、

人々の心の中の神様を認識することも可能になります。 

そして何よりそのことを神々は望んでいらっしゃいます。 

さあ自分の所にお参りに来なさい、お布施やお酒を持ってきなさい、 

そうすれば願いを叶えてやろう・・

神様は、そのようなお方ではありません。 

 

さて今日は、この地球に置いて、人間を経験することで、人々との間に愛の循環を起こす・・というテーマのお話です。

美しき心を思い出すための記事です。 

受けた恩を、受けた方ではなく、別の方へ、お返しし、

愛の循環を永遠に起こす、ペイフォワードもそうですが、 

・愛や思いやりを表現すること、

・それを喜びとともに受け取ること、

・それを別の人へ循環させること

この宇宙全体も、その仕組みのもとに動いています。 

私たち人間も本来そうでした。 

愛の循環がよどみなく起これば、この地球は幸せの星へと進化していくことでしょう。

何処かが詰まったりすると、せっかくの循環が、そこでストップしてしまいます。  

「心を受け取る」と言うこと。 

私たちが、この地球に生まれたのは 

・働きづくめになるためでも

・沢山のお金を得るためでも

・高い地位に着いて、人の尊敬を集めるためでも

・大きなこと、沢山のことを成し遂げるためでも

・美味しい物を沢山食べるためでも

・高価なアクセサリーを身につけるためでも

・大きな家に住むためでも

・人に自慢できる高価な車に乗るためでもありません 

私たちが、わざわざ何も不自由のない、天の世界から

・思うようにならない、不自由だらけの世界

・憎しみと悲しみが蔓延する世界

・今だけ、金だけ、自分だけの人が多く存在する世界 

このような地球に来たのは、人間同士の心の交流(愛の流れ)を通じ、

魂のダイナミズムを経験し、 

・お互いさまの心

・お陰さまの心 

を養い育て、自分だけでなく、お互いが 

・魂を輝かせるためです。

・神さまを知るためです。

  

肉体を持つことで、 

様々な不自由や艱難苦難、喜び・悲しみを、敢えて、経験することで、

肉体を持たない時に比べ、比較にならない程、魂の進化が進むのだそうです。 

魂が進化するとは、よりピュアになり、神さまに近付くと言うことです。

今の時代は「心の時代」とも言われますが、素直な心、ピュアな心になればなるほど、 

悩みや苦しみが無くなって行きます。心が軽くなります。 

その心に同調した、美しい心の持ち主が集まってきます。 

思うことが、直ぐに現実化しやすくなります。 

ですが、全く、同じ環境、状況に置かれていても、その人の心の状況によって、

受け取り方が、全く正反対の人もいます。 

・不平不満、愚痴の心で受け取るか?

・感謝の心で受け取るか?

その違いだけで、空海が仰っていたように、 

・地獄に住むのか?

・天国に住むのか?

それほどの違いが出てきます。 

私たちの住む、この世界は、私たちの心が作り出しています。 

心こそ、全ての全てです。 

周りの方がたと、心を交わらせ、通わせ、お互いの違いを知り、受け入れ、

魂のぶつかり合い、交流を通じ、お互いの魂を煌めかせることができます。 

  

今、生きているのは、効率よく、何かを成し遂げるためではありません。 

大きなことをするためではありません。 

人に頼らず、自分の力だけで物事を成し遂げる強い人間になるためでもありません。 

相手の方の心を信じ、その奥底に在る、神さまを信じることができれば 

全ての方が、自分にとって良き人になるでしょう。

味方になるでしょう。 

相手の方の真心を感じ取ることができるでしょう。

常に、心こそ全て、相手の方の心を感じ取ろうと生活していれば、

相手の方の態度、行動の裏に隠された、寂しさ、切なさ、不安、恐怖を感じ取り、 

包み込んで差し上げることもできるでしょう。 

喜びを感じ、ともに喜んで差し上げることもできるでしょう。 

生きている間に、何事も、成すことができなくとも、

名もなき一人の凡人で終わったとしても、 

互いを信じ、尊重し、魂を触れ合わせること、

お互いの思いやり、優しさ、愛を感じ合うこと、

そのことに勝る人間としての経験はありません。 

心を知る、感じ取ると言うことは人の称賛を得るよりも、お金をたくさん稼ぐよりも、

目に見えるものを沢山手に入れるより、はるかに、はるかに大切なことです。 

20世紀までは、効率優先、合理性優先、心は置き去りでも、仕方なかった時代でした。 

ですが、今私たちの住む21世紀は、本来の、私たち人間の精神を復活させようと、

見える者、そして見えない方々が大きく動いています。働いています。

 

自分の心を開き、相手の心も受とり、 お互いを信じ、助け合い、 

喜びも、悲しみも一緒に味わい、時にはぶつかり合いながら、 

魂の輝きを増していく時代です。 

今、自分の周りにいる人は、共に、その事を地球で、生きている、短い期間に

一緒にやっていくためのパートナーです。 

この人と人、人と、動植物たちとの美しい心の交流こそ唯一、私たちが亡くなった時に

持って帰ることができるものです。 

お金や物は持って帰れません。 

そして、これこそが、私たちの魂を飛躍的に進歩させてくれる宝物です。 

家族になったり、友達になったり、縁あって、集う仲間には、

そんな、深い深い意味があります。 

人の心の小さな優しさ、小さな思いやりに気付いて、大切にしていれば、

私たちの心も大切にされます。







2023年2月18日土曜日

2976「二極化する地球」2023.2.18

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月11日の記事を紹介します。


「二極化する地球」


今、日本を含め世界では、急速な勢いで、「建て替え」(立て直しのための破壊)が進んでいます。 

最後の戦いのごとく

・自分たちの信じる絶対神しか認めず、他への排撃を許される文化(からごころ)と

・全てのものの中に、神を見出し、尊重し、調和融合して共存・和を図る文化(大和心) 

このような急激な変化の中

・見える世界

・見えない世界 

の両方でも大きな動きがあるわけですが、結局は神様から分け御霊を頂いた生命体には、自由意志が認められていますから、どちらが正しいとか、良いか悪いかなどありません。

全ては自分の好きな道を自らが選び進んでいくだけです。 

他人に対し、良い悪いの評価をしたり、自分の価値観を無理やり押し付けるわけにはいきません。

例え血を分けた家族であっても・・・

創造、維持、破壊の宇宙神 ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ

ブラフマー(創造の神)、ビシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)

今まさに、ブラフマーが活躍するために、シヴァの破壊が行われています。 

でもそれは、夜明けが近い証拠。


今日は以前書いた記事ですが、

今の時代をまさに言い当てていますので、加筆修正して掲載します。

但し、不思議系のお話です。眉唾ものですので、興味のない方はスルーなさってください。 

霊的な巨人であった出口王仁三郎は、

数々の予言を残しましたが、それらがことごとく的中しています。 

私たち人間は、変化の渦中で生活していると、世の中の変化には、少しは気付くかもしれませんが、その裏にある、地球や神々の意図まで考えをめぐらすことはできないものです。

ですが世の中は、着実に神々の計画通り動いています。

神々の方法は、下記の2つで成り立っています。 

・立替え そして 

・立直し です。

立替えは、神々による破壊

立直しは、破壊しつくされた世界を人間の力で作り直していく作業です。

そして神々の計画は、概ね30年を区切りとして行われています。

王仁三郎が予言を残してから、神々の区切りである30年刻みで、様々に世界・日本は変化してきましたが、2010年からの30年は、人間の精神性に関する立替え・立直しと言われています。

2011年の東北大震災。それがスタートでした。

神々による「人間の精神性の復活」のための破壊(建て替え)が始まりました。 

精神性の復活とは

心の美しさ、愛や思いやり、やさしさを大切にする社会のことです。 

嫉妬や妬みなど、憎しみとは、真逆の世界です。 

  

ここで、以前発表された一つの論文の一部をご紹介します。 

船瀬図書館の記事に載った池田整治さんの記事です。 

かなり飛んでいるお話です。 

私は真偽のほどはわかりません。

ですが池田さんは、尊敬しています。

詳しくは、元記事にあたってください。 

<引用開始> 引用元

 

伝説によれば、

宇宙文明の仲間入りをする「弥勒の世」は3段階で達成されます。

まず123(ひふみ)の段階で、中心に最高霊の「スメラミコト」が降臨。

具体的には1945年8月15日、敗戦で天皇陛下が軍服を脱いだ時。

次に345(みよいず)の段階で、国造り。

今は、まさにミロクの世に相応しい社会、組織作りの時なのです。

にもかかわらず、植民地体制で日本人の覚醒が封印されています。

そして、最期の567(みろく) = コロナの10年間でいっきにミロクの世が完成する。

その始まりが実は、2020年。

だから、新たな天皇陛下の御代となるとも言えます。

問題は、2020年からのミロクの時代には、

それに相応しい霊格を持った人でないと住めないという現実です。

具体的には、愛の度数が800以上のひと(霊人)。

ちなみに、キリストや仏陀で1000ぐらいと言われています。

では、それ以下の人はどうなるのか?

ズバリ、大峠で淘汰されます。

要は、地球自体が5次元の星になるので、もう地球に転生して生まれ変わりはできない、とのことです。

これから始まる地震、噴火、あるいはポールシフト等は、800以下の人々を淘汰するための、ガイア自身の最期の「決断」とも言えます。

つまり、このままエゴの増大する世界金融支配体制などに任せていたら、ガイアのシステム自身が終焉を迎えてしまうから…。

状況によれば、全人類が一度「泥」に覆われるかも知れない。

その時に、高次元の宇宙の仲間が、使える魂を拾い上げる「宇宙艦隊」も既に地球の周りで待機している… 

逆に、皆が高いレベルなら、自然現象の天変地異も最小限の被害で終わる、

ということも言えます。 

<引用終了>

   

ここに書かれている

>全人類が一度「泥」に覆われるかも知れない。 

とは、今まさに起こっている、コロナウイルスのパンデミックかもしれませんね。 

あまり不思議系の派手なものは、私のブログでは、載せないようにしているのですが、

今日は、愛する母のために、地獄の様子を細かく描写した

「往生要集」 おうじょうようしゅう をまとめあげた平安中期の天台宗の僧、

源信(げんしん)の願いと同じ気持ちで載せました。 

綺麗ごとばかりでなく、清濁併せ飲んだうえで、泥にまみれても、それでも本当の幸せを得るため、実利の道を進むためです。

池田さんは「淘汰」という厳しい言葉を使っていらっしゃいますが、要するに、各自の魂の嗜好性によって類は友を呼ぶの法則通り地球の波動が上がれば、波動の合わなくなった人は、別の星に移動して行く、生まれ変わっていく。 

自分の好み、波長に合った世界(星)に移動して行く。 

そういう意味だと思います。

神様の目から見れば、上も下も良いも悪いもないからです。

皆さん、心の準備はできていますか?

優しさや、愛は与えれば与えるほど、自分の中に溢れてくるものです。

決して与えることで枯渇してしまい、自分が損をすることではありません。

その行為は、美しいエネルギーの循環を起こし、人々を幸せにしながら、再び自分に、何倍にもなって戻ってきます。 

また美しい心の逆の、黒い心も人間は持つことができます。 

小林正観さんの「自己顕示と嫉妬」というお話によれば・・・ 

<抜粋開始> 

人間は、そもそも「たいしたものでない」のに、

成長していくにつれて、心の中に次の「3つの感情」が芽生えてきます。

・自己顕示欲

・復讐心

・嫉妬

これらはすべて「マイナスのエネルギー」であり、神様から嫌われる性質です。

 

自分のことを「たいしたものだ」と認識したいと思うから、「自己顕示欲」が湧いてきます。

みんなが自分のことを「たいした人だと認めるべきだ」と思っているから、そうならないときに、「嫉妬」が芽生えます。

他の人がちやほやされているのを見て、「どうして自分にはそうしないのか」という思いが、「嫉妬」です。

また、人から何か気に入らないことをされたとき、

それを「5倍、6倍にして徹底的に嫌がらせをしてやるぞ」と思う気持ちが、「復讐心」です。

<抜粋終わり>

私たちの未来の現実は、今の私たちの心の状態が作り出します。 

何処かの誰かが、私たちのために幸せを運んでくるのではありません。 

私たちの今の心の状態は、未来の現実と、肉体を脱いだ死後の世界までも決めてしまいます。

心とは、それほど大切なもlのです。

どうか今目の前に居らっしゃる方に、笑顔と優しさと、愛を向けてみて下さい。 

きっとブッダの言った、3千年王国の到来に私たちも貢献できるはずですから。


2023年2月17日金曜日

2975「試練の時」2023.2.17

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月09日「試練の時」と2023年02月10日「個性それぞれな魂たち」の2つの記事を紹介します。


「試練の時」

世の中が大きく変わり、一人一人の心が大切にされる

美しい星に生まれ変わろうとしている今、 

ご自身も試練の時を迎えている方も多くいらっしゃいます。 


そして、そこから抜け出すのが、なかなか大変な方もいらっしゃいます。

でもその解決法も、心の在り方を説いたブッダの般若心経の中に答えがあります。

同じ現象でも、捉え方次第・・・  

悪くとるのか、良くとるのか、、

はたまた感謝を持って受け取るのか。。

自分のこの人生のシナリオは、

全部、自分自身で決めて生まれて来た。

従って、私を悩ませる人、悪く言う人、騙す人・・・

全部自分が、その役をその方にお願いしてきました。

さて、身近な例を一つ・・・

「人生はシナリオ(映画)」という考え方で人生の難局を乗り切った方がいます。

ロック歌手の矢沢永吉さんです。

 

20数年前、矢沢さんは身内の詐欺に遭って30億円以上の借金を背負わされました。

矢沢永吉「信じろよ、自分を」 https://www.youtube.com/watch?v=JLMcsgppCg8

しばらく酒を飲んで落ち込んでいたそうですが、ある日ふと気付かれたそうです。

「これは映画だと思えばいいやって」

「生活保護受けて苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、

やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。 悪くないよね。

「途中詐欺に遭ったりいろいろあるけどまあ楽しんでこいと生まれてきた」

そう考えることにしたそうです。

その後ライブをやりまくって本当に30億円を完済します。凄いですね。

矢沢さんの

「リストラされたって、借金を背負ったって

それは役だと思え」という言葉は迫力を感じます。

人生には大なり小なり「まさか」ってことが必ずあります。 

失敗や事故、病気、またはだまされたり裏切られたり。

そして生きている限りいろいろな問題を抱えます。 

 

そんなとき「これは俺の役だ」「人生はシナリオ(映画)だ」と思うと気持ちが楽になり、

いろいろな知恵や行動力が生まれてくるのかもしれません。

あとは目の前の与えられた役を一生懸命こなすだけです。

生きている最中(役をこなしている時)は、解らないかもしれません。

ですが、肉体を去って故郷に帰る時、

私たちはきっと思うはずです。

あの時、あんな大変なことがあったから、

私の人生はパンチの効いた素晴らしい体験になった。

そして思います。

あぁ、あれは、あの方に頼んでやってもらったことだった。

私の人生劇場を素晴らしいものにするために、 

汚れ役を引き受けて下さってありがとう。。。

ありがとう、、 

私の人生劇場に登場して下さった、

沢山の人達、ありがとう って



「個性それぞれな魂たち」

人の気持ちをおもんばかる。

想像する。

共感することは、私たち人間にとって本当に大切なことです。 

目の前の人は

・何に泣いているのか

・何に苦しんでいるのか

・何に喜んでいるのか 

何千年、何万年も人間と一緒に傍らで過ごしてきた

犬や、猫たちにも「共感力」と言うものが存在し、飼い主が、

・悲しんでいる時

・喜んでいる時

・怒っている時

を察知して、寄り添ってくれます。

彼らは人間から発するオーラ(エネルギー)や、

瞳から発せられるエネルギーに感応して、気持ちを察するようです。

  

人の心を感じることは、幾多の生死を繰り返し

経験を積み成熟した魂にとって本当に大切なことです。 

イエスの黄金律と言われる言葉に 

自分がして欲しいと思うことを、相手の方にして差し上げなさい。

この言葉も、相手の心・気持ちを想像する力、感じる能力が

成熟してこないとできないことです。

相手の気持ちや都合や立場を何も考えず、自分のやりたいことだけを主張し、押し通そうとすることは、イエスのこの言葉に逆行しています。 

永遠の魂に取って、その経てきた経験や、歴史、出身星、内宇宙、外宇宙か? などの違いや、人間として、どれだけ生まれ変わり、経験を積んできたのか?

そのようなことも、この人間の気持ちの感受性に影響します。

イエスの黄金律は、この地球に置いて、

円滑な人間関係、魂の成長にとって必要だから説かれていることですが、 

そのようなことを目的に地球に生まれて来たわけではない魂にとっては

そんなことはどうでもよい話。 

ただ単純に「地球での経験」をしたいだけの魂も実際存在します。 

ですので、どちらが良いとか、悪いとかジャッジすることはできませんが、

人間関係の摩擦、すれ違い、誤解、疑心暗鬼、これらには差が出るようです。

出身星団に関しても

プレアデスやシリウス、オリオンなどでも、性格の違いがはっきりと分かれるようです。 

また地球での転生が多い方でも、

・動物的(動的)な魂の要素の多い方

・植物的(静的)な魂の要素の多い方

・人間としての転生回数の多い方、少ない方

などもいらっしゃり、その魂の特性も、くっきりと分かれるようです。

魂の経験の方法、順番、時期、期間の長さ、目的などは、全て個人の自由ですから、

そこに優劣はありません。好みの違いだけです。

ですので、クラリオン星から直接地球に転生してきた高い知性を持つ小学生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君が言うように、好きや嫌いは、あって当たり前、それは単純に波動の違いであって、良いとか悪いとか・・高いとか低いとか・・そういう違いは一切ない。 

そういうことのようです。 

玉石混合、いろんなレベルの魂の混在する地球、そこでの経験は、辛いことも多いのですが、

もちろん楽しいこともたくさんあります。

大切なのは、

・互いの違いを認めること、許すこと

・批判しない事

・拒絶しない事 

もし自分と異なる波動であれば、自分の中に受け入れて、無理に合わせようとしなくともよいのです。 

自分を責める必要はありません。 

ただそっと離れるだけ・・ 

逆に相手に取ったら、自分の言動も、同じように受け取られているのですから。 

お互い様です。 

でも、人間関係の摩擦、すれ違い、誤解、疑心暗鬼、これらが起きた時、どうしたらよいか? 

空海が教えてくださった文殊菩薩の知恵には、議論はするな。

要するに、意見の相違があったとしても、例え議論して、自分の主張を押し通しても、 

結局は相手の心は納得していないし、変えることはできない。 

かえって、相手の心に恨みを残してしまう。 

だから議論はせず、静かに立ち去れ・・と言うことになります。

またブッダは、こう仰っています。

悪口や虚言を受けた時です。 

・反論しない

・心の中に入れない。受け取らない 

そうすると、受け取らない、悪口や虚言のエネルギーは、結局発した人のところに戻って、自分に降りかかるだけ。反論しない事は、負けたことではない。

そう仰って、実際に実行されています。 

もしかしたら役に立つかもしれません。

頭の片隅にでも置いておいて、損はないかもしれません。

また誰かの悪口を、こそこそ隠れて、他の誰かに伝えることは、自らが相手の方の仏心を見ずして、鬼心しか見ていないということと、 更に、善意の誰か(告げ口した相手)に、疑心暗鬼の毒を盛ったと同じこと。 

二重の罪(包身)に繋がります。

自分が見ている鬼心を、善意の誰かに押し付ける行為です。 

これは神さまの心とは程遠いものです。 

美しい心は、住む世界さえ、美しいものに変えてしまいます。 

どんな時も、相手の内に仏心を見つけ、感謝の心で、人とのお付き合いをしたいものですね。

   

最後、良寛さんのお話です。 

相手の悪い面(鬼心)を見ても 「気にしない」。

更に進んで「気にならない」。 

更に進化の進んだ人は、「気づかない」。 

つまり、自分の意識にすら上りません。

大愚であった良寛さんは、きっとこの境地まで達していたかもしれません。 

心がピュアで、子供のままの心、人を疑うことを知らない心、純真な瞳、 

周りにそんな人はいませんか? 

きっと見つかると思います。 

愚か者に見えるかもしれませんが、もっとも神に近い存在です。



  

2023年2月16日木曜日

2974「青空ひろば」2023.2.16

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最近の記事を紹介します。


857 2023.01.10 ~871 2023.01.25

人には3タイプあるようで、それは「開く人」、「広げる人」、「続ける人」です。

たとえば、織田信長は「開く人」、豊臣秀吉は「広げる人」、徳川家康は「続ける人」ですね。


「開く人」は、何もないところから岩盤をこじ開けて道を開くのですから、強力なエネルギーも必要だし、旧体制の人や組織の既得権益を妨害するという場面も出てくるので、敵も生み出してしまいます。そういう敵対者の妨害もはね除けて道を切り開いてゆくわけですね。ですから、「開く人」にふさわしいのは、パワフルな「金神系の魂」の人です。


「広げる人」は、「開く人」が切り開いた道を、森林を伐採したり、土地を削ったり、均(なら)したり干拓したりして、広い平原にしてゆく役割の人で、秀吉さんのように、「人たら誑し」の名人のような方もいます。

そういう「広げる」役割を果たす方なので、柔軟でいて力強い「龍神系の魂」の人が担当することが多いのです。しかし、当座のウソをついたり、裏切ったりするというような場面も「広げる」過程で、どうしても出てくるので、モノゴトがうまく運び、発展している時はいいのですが、いったんつまずき始めると、その反動が一気に襲ってきたりしがちです。秀吉さんの晩年がそうでしたね。


「続ける人」は、次の段階を担当する人材に「理念」を示し、進むべき「方向」を指差(ゆびさ)してあげる教育者的な役割なので、「日神系の魂」の人が担当することになります。

そういう地味な役割なので、世に出るまでに時間が掛かり、世に知られずとも真理探求を粘り強く続ける信念と忍耐力が必要です。途中で挫折したり、妥協して役割を放棄してしまうという人も出てきます。

この3タイプの中で、私はどうやら「続ける役割」を受け持つことになっているようです。


孔子さんは、易占をして、「旅(りょ)」の卦(け)が出ました。

孔子さんは当時、まだ易については初心者であったので、易の名人として有名であった商瞿(しょうく)氏を訪ねて判断をあおいだところ、「あなたは天とつながる聖なる智慧をお持ちですが、『位(くらい)』に就くことはできないでしょう」と告げられ、その場で号泣され、ついに政治家、為政者となるという志を断念されて、その後は教育者として、弟子や後世の人のために基本経典を整備したり、また易の研究もされて「易経」を後世に伝えられました。「開く人」、「広げる人」となることを断念され、未来に「続けるという役割」に専念されたのです。


さて、私たちの仲間の場合、何を「開き・広げ・続け」ようとしているのでしょうか。

それは「日本的霊性」を進化させ発展させ、世界に通用するようなレベルまで向上させることを目指しているです。

「日本的霊性」が世界に通用するほどの進化を遂げられないと、世界人類(地球環境全体)はこのままでは破局をむかえてしまうのです。  

それを日本と世界の神々がとても心配され、話し合われて、そういう悲劇的破局を救おうと、その救済にどうしても必要な「日本的霊性」をワンランク・アップさせようという方針を打ち出されたのです。

そして、日本に住む人たちに、次の時代を切り開いてゆくのに必要な新しいパラダイム(ワク組み)の中核となる「日本的霊性」を進化させなさいという命(みこと)が下って、その神の御言(みこと)を実現させるための<日本的霊性向上プロジェクト>が始まっているわけです。


次の時代に必要な「日本的霊性」の真髄は二つです。

一つ目は「イノチは本当はヒトツしかなくて、人も動物も植物も、山や川や海や空気や…、そのすべてが一体のイノチで、だから人だけが豊かに繁栄して生きようとすれば、結局イノチ全体のバランスを崩して、破滅に向わせてしまうのだ」ということを、苦しい経験を通して、また霊的な悟りを通して自覚しなければなりません。

二つ目は「ヒトは本当は<ひとり>しかいなくて、AさんもB君も、イヌ君もネコさんも…、実はみんな自分なのだ。

だから、Aさんが得意なことはAさんに任せ、B君に出来ることはB君に任せ、自分は自分だけが出来る精一杯の生き方をしていれば、それでOKで、そんな自分が自分であることに納得し、許し、愛して、そこにイノチの重心をしっかり据えて生きていさえすれば、結局それが全体のイノチのために最大の貢献をしていることになるのだ」という真理(これを<役割の理>といいます)を、これも苦しい経験と霊的な悟りを通して自覚しなければならないのです。


そのような<ひとつ・ひとりの理>・<役割の理>を、多くの人が自覚出来るようになった時、その悟りが現象界に投影されて、新しい政治・経済・社会システムなどが眼に見える形で現れてきます。

そんな日本発の新しいシステムの有効性を具体的に確認することができれば、世界の人々も、その<ひとつ・ひとりの理>が正しい理念であったことを納得し、その理念に基づいた新しい政治・経済・社会システムを採用するようになるでしょう。それが世界や日本を破局から救う大道なのです。


この<日本的霊性向上プロジェクト>は、江戸時代末期からスタートしました。その進展は「ウ」→「イ」→「ヒ」→「ミ」→「コ」の順です。

各段階に、「開く役割」・「広げる役割」・「続ける役割」の、3タイプの人が出現します。

また、「ウ」の段は「開きの段」、「イ」の段は「広げる段」、「ヒ」の段は「続ける段」で、「ミ」の段は、再び「開きの段」、「コ」の段は「広げる段」です。

(第1段)「ウ」の段。この「ウ」は恨み(うらみ)、唸り(うなり)の「ウ」で、虐(しいた)げられてきた人々、差別されてきた人々の憤(いきどお)りのエネルギーが表面化し、爆発して、旧体制を転覆させるはたらきをしました(江戸末期から太平洋戦争終戦まで)。

(第2段)「イ」の段。この「イ」は、意志、祈り(意宣り)の「イ」です。この段では、人の意志、祈りによって世界が変革できるということが理論的に解明され、またその「意成(いな)り」の実践の成功例がたくさん集積されました(戦後から昭和まで)。

(第3段)「ヒ」の段。この「ヒ」は「日」です。この段ではじめて<ひとつ・ひとりの理>が提出され、すべてのヒトが平等で、尊い「日の御子(みこ)」であることが示されました。

大敬はこの段階の末尾を担当する、第4段へ「続ける人」、「つなげる人」なのです(平成から現在まで)。

そして、(第4段)は「ミ」の段です。この「ミ」は「実・身」です。

第3段階の「日の理念」が、地上に降ろされて、開花・結実し、具体的なシステムとして現実化されてゆく段階です。

次に(第5段)は「コ」の段です。この「コ」は「子」です。「ヒ」の理念を体現した多くの子供たち、太陽神霊を身に宿した子ども「日満身子(ひみこ)」たちが誕生し、この子ども達がワイワイにぎやかに、進化発展形の「日本的霊性」を、ついにこの段階で完成させるのです。


この<日本的霊性向上プロジェクト>は、今や3段階目の終わりに差し掛かっていて、第3段階はその使命を終えようとしています。

というわけで、第3段階から第4段階への引継ぎの終活を大敬が、只今担っているわけです。

大敬が果たすべき終活には2つの仕事があります。

一つ目は、次の段階を担う人材の養成です。

二つ目は、次の時代をリードする基本理念の確立と、残しておくべき文献の整理と制作です。

一つ目の、「志」を引き継いで働いてくれる人材の養成は、意外なほど順調に進んでいます。コロナ禍で、皆さんに会えないということがうまく作用したようです。

道を求めて歩み始める頃は、師のもとで成長することが必要です。しかし、師がいる、いつでも質問できる、相談できるという安心感は、自分が師の限界(第3段階の限界)を突破して、次の第4段階の時代にふさわしい理念や神話やシステムを生み出してゆく上では邪魔になってしまうということがあるのです。


お釈迦様の弟子にアナンという方がいました。アナンはお釈迦様のいとこで、教団ではお釈迦様の侍者をしていました。

そんなにお釈迦様の身近にいたのに、アナンはお釈迦様のもとでは悟りを開くことが出来ず、お亡くなりになってから悟ることができたのです。

なぜ、悟りが遅れたのか、それは侍者の勤めが忙しくて、自分の修行の時間をとれなかったからだという説明をする人が多いのですが、私はそうではないと思います。忙しくて坐禅できなくても、悟る人はちゃんと悟ります。

要は、お釈迦様と一緒にいることで安心してしまい、依存してしまって、孤独の中で真剣に自分を見つめなおす時を持てなかったから悟りが遅れたのだと思います。

コロナ禍は、大敬と距離を置き、皆さんが真剣に自己探求する期間を作ってくれたので、弟子たち、あるいは仲間の皆さんの心境が一気に進んだのでしょう。(完)



2023年2月15日水曜日

2973「何に感謝するのか」2023.2.15

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月08日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


私たちは黄泉の国から来て、この現世(うつしよ)での計画や、目的が達成されれば、

再び黄泉の国へと帰っていきます。

神々の世界は黄泉の国。 

黄泉の国は主に国津神が統括しています。

黄泉の国と現世と、循環しながら行き来を繰り返します。 

ですから、私たち人間から見た「死」は、決して悲しいものではなく、循環の過程でしかありません。 

私たちの魂は永遠に存在すると同時に、黄泉の国、そして現世にも存在しますから、

愛で結ばれた魂にとって永遠の別れはありません。 

必ず再び出会います。 

それでは今日は「何に感謝するのか」というお話です。


斎藤一人さんもくどいほど仰っていますが、魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。。。 

そうおっしゃっています。 

また神道的には、私たちは「感謝の心」を学ぶために生まれたのだとも言われます。

何故かと言えば、私たちは魂を、進化させ輝かせ、神々に近づこうと、進化の旅を永遠に続けていますが、そのために、人生のタイムラインに沢山の仕掛けイベントを置いておきます。

それらは、喜怒哀楽、激しく感情を揺さぶりますが、結局は「感謝の心」を学ぶための仕組みです。

逆のことを言えば、「感謝の心」を得てしまえば、目的は達成されたのですから、人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。

従ってそれらは起きないことでしょう。

神様は無駄なことをしないからです。 

では、そのような観点から私たち人間の、全ての悩み苦しみに対応できる、

共通の解決方法についてのお話です。

神様や自然界、宇宙からのサポートをふんだんに得るためには、「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法を、別の角度からご紹介します。

小林正観さんの著作からです。

<転載開始> 転載元

 

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、 悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」 

ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。」

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、 多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、舅姑との関係のいいのでしょうか?」と、

私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、彼女は答えました。

「そうですよね。親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。 

 

「ほんとうにそうです。

 私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、手を合わせて感謝をしたことがありますか?

自分がどれほど恵まれているかということに、手を合わせて感謝をしたことがありますか?」

と聞きました。

「え?」

と小さく声を発した彼女は、わーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、頼みごとを、絶対聞かないと堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、神さまがこの人のいうことを聞いてあげようと思ってやってきたときに、神さまの目の前に立ちふさがって、この人のいうことを聞いてはいけないと、邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、実はそれ以外に、自分がどれほど恵まれているか、ということに感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているか、ということに気が付いたならば、恵まれてない、その一点を悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、来る日も来る日も、自分が恵まれていることに、手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

  

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、思い通りにならない状態では、感謝をしない、

というのはほんとうの感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて「神さま、これをください」というのは、ほんとうは、

神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

 

ここでもやはりポイントは「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。 

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに不平不満を言うのではなく、今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。 

私たちを、今の環境に置いて下さったのは神様です。 

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるために、神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、私たちの魂を引き上げようと、してくださっているからです。

ですので、その悩みは決して永遠に続くものではありません。 

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。  

きっと、それが幸せになるための答えですから。