今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最近の記事を紹介します。
857 2023.01.10 ~871 2023.01.25
人には3タイプあるようで、それは「開く人」、「広げる人」、「続ける人」です。
たとえば、織田信長は「開く人」、豊臣秀吉は「広げる人」、徳川家康は「続ける人」ですね。
「開く人」は、何もないところから岩盤をこじ開けて道を開くのですから、強力なエネルギーも必要だし、旧体制の人や組織の既得権益を妨害するという場面も出てくるので、敵も生み出してしまいます。そういう敵対者の妨害もはね除けて道を切り開いてゆくわけですね。ですから、「開く人」にふさわしいのは、パワフルな「金神系の魂」の人です。
「広げる人」は、「開く人」が切り開いた道を、森林を伐採したり、土地を削ったり、均(なら)したり干拓したりして、広い平原にしてゆく役割の人で、秀吉さんのように、「人たら誑し」の名人のような方もいます。
そういう「広げる」役割を果たす方なので、柔軟でいて力強い「龍神系の魂」の人が担当することが多いのです。しかし、当座のウソをついたり、裏切ったりするというような場面も「広げる」過程で、どうしても出てくるので、モノゴトがうまく運び、発展している時はいいのですが、いったんつまずき始めると、その反動が一気に襲ってきたりしがちです。秀吉さんの晩年がそうでしたね。
「続ける人」は、次の段階を担当する人材に「理念」を示し、進むべき「方向」を指差(ゆびさ)してあげる教育者的な役割なので、「日神系の魂」の人が担当することになります。
そういう地味な役割なので、世に出るまでに時間が掛かり、世に知られずとも真理探求を粘り強く続ける信念と忍耐力が必要です。途中で挫折したり、妥協して役割を放棄してしまうという人も出てきます。
この3タイプの中で、私はどうやら「続ける役割」を受け持つことになっているようです。
孔子さんは、易占をして、「旅(りょ)」の卦(け)が出ました。
孔子さんは当時、まだ易については初心者であったので、易の名人として有名であった商瞿(しょうく)氏を訪ねて判断をあおいだところ、「あなたは天とつながる聖なる智慧をお持ちですが、『位(くらい)』に就くことはできないでしょう」と告げられ、その場で号泣され、ついに政治家、為政者となるという志を断念されて、その後は教育者として、弟子や後世の人のために基本経典を整備したり、また易の研究もされて「易経」を後世に伝えられました。「開く人」、「広げる人」となることを断念され、未来に「続けるという役割」に専念されたのです。
さて、私たちの仲間の場合、何を「開き・広げ・続け」ようとしているのでしょうか。
それは「日本的霊性」を進化させ発展させ、世界に通用するようなレベルまで向上させることを目指しているです。
「日本的霊性」が世界に通用するほどの進化を遂げられないと、世界人類(地球環境全体)はこのままでは破局をむかえてしまうのです。
それを日本と世界の神々がとても心配され、話し合われて、そういう悲劇的破局を救おうと、その救済にどうしても必要な「日本的霊性」をワンランク・アップさせようという方針を打ち出されたのです。
そして、日本に住む人たちに、次の時代を切り開いてゆくのに必要な新しいパラダイム(ワク組み)の中核となる「日本的霊性」を進化させなさいという命(みこと)が下って、その神の御言(みこと)を実現させるための<日本的霊性向上プロジェクト>が始まっているわけです。
次の時代に必要な「日本的霊性」の真髄は二つです。
一つ目は「イノチは本当はヒトツしかなくて、人も動物も植物も、山や川や海や空気や…、そのすべてが一体のイノチで、だから人だけが豊かに繁栄して生きようとすれば、結局イノチ全体のバランスを崩して、破滅に向わせてしまうのだ」ということを、苦しい経験を通して、また霊的な悟りを通して自覚しなければなりません。
二つ目は「ヒトは本当は<ひとり>しかいなくて、AさんもB君も、イヌ君もネコさんも…、実はみんな自分なのだ。
だから、Aさんが得意なことはAさんに任せ、B君に出来ることはB君に任せ、自分は自分だけが出来る精一杯の生き方をしていれば、それでOKで、そんな自分が自分であることに納得し、許し、愛して、そこにイノチの重心をしっかり据えて生きていさえすれば、結局それが全体のイノチのために最大の貢献をしていることになるのだ」という真理(これを<役割の理>といいます)を、これも苦しい経験と霊的な悟りを通して自覚しなければならないのです。
そのような<ひとつ・ひとりの理>・<役割の理>を、多くの人が自覚出来るようになった時、その悟りが現象界に投影されて、新しい政治・経済・社会システムなどが眼に見える形で現れてきます。
そんな日本発の新しいシステムの有効性を具体的に確認することができれば、世界の人々も、その<ひとつ・ひとりの理>が正しい理念であったことを納得し、その理念に基づいた新しい政治・経済・社会システムを採用するようになるでしょう。それが世界や日本を破局から救う大道なのです。
この<日本的霊性向上プロジェクト>は、江戸時代末期からスタートしました。その進展は「ウ」→「イ」→「ヒ」→「ミ」→「コ」の順です。
各段階に、「開く役割」・「広げる役割」・「続ける役割」の、3タイプの人が出現します。
また、「ウ」の段は「開きの段」、「イ」の段は「広げる段」、「ヒ」の段は「続ける段」で、「ミ」の段は、再び「開きの段」、「コ」の段は「広げる段」です。
(第1段)「ウ」の段。この「ウ」は恨み(うらみ)、唸り(うなり)の「ウ」で、虐(しいた)げられてきた人々、差別されてきた人々の憤(いきどお)りのエネルギーが表面化し、爆発して、旧体制を転覆させるはたらきをしました(江戸末期から太平洋戦争終戦まで)。
(第2段)「イ」の段。この「イ」は、意志、祈り(意宣り)の「イ」です。この段では、人の意志、祈りによって世界が変革できるということが理論的に解明され、またその「意成(いな)り」の実践の成功例がたくさん集積されました(戦後から昭和まで)。
(第3段)「ヒ」の段。この「ヒ」は「日」です。この段ではじめて<ひとつ・ひとりの理>が提出され、すべてのヒトが平等で、尊い「日の御子(みこ)」であることが示されました。
大敬はこの段階の末尾を担当する、第4段へ「続ける人」、「つなげる人」なのです(平成から現在まで)。
そして、(第4段)は「ミ」の段です。この「ミ」は「実・身」です。
第3段階の「日の理念」が、地上に降ろされて、開花・結実し、具体的なシステムとして現実化されてゆく段階です。
次に(第5段)は「コ」の段です。この「コ」は「子」です。「ヒ」の理念を体現した多くの子供たち、太陽神霊を身に宿した子ども「日満身子(ひみこ)」たちが誕生し、この子ども達がワイワイにぎやかに、進化発展形の「日本的霊性」を、ついにこの段階で完成させるのです。
この<日本的霊性向上プロジェクト>は、今や3段階目の終わりに差し掛かっていて、第3段階はその使命を終えようとしています。
というわけで、第3段階から第4段階への引継ぎの終活を大敬が、只今担っているわけです。
大敬が果たすべき終活には2つの仕事があります。
一つ目は、次の段階を担う人材の養成です。
二つ目は、次の時代をリードする基本理念の確立と、残しておくべき文献の整理と制作です。
一つ目の、「志」を引き継いで働いてくれる人材の養成は、意外なほど順調に進んでいます。コロナ禍で、皆さんに会えないということがうまく作用したようです。
道を求めて歩み始める頃は、師のもとで成長することが必要です。しかし、師がいる、いつでも質問できる、相談できるという安心感は、自分が師の限界(第3段階の限界)を突破して、次の第4段階の時代にふさわしい理念や神話やシステムを生み出してゆく上では邪魔になってしまうということがあるのです。
お釈迦様の弟子にアナンという方がいました。アナンはお釈迦様のいとこで、教団ではお釈迦様の侍者をしていました。
そんなにお釈迦様の身近にいたのに、アナンはお釈迦様のもとでは悟りを開くことが出来ず、お亡くなりになってから悟ることができたのです。
なぜ、悟りが遅れたのか、それは侍者の勤めが忙しくて、自分の修行の時間をとれなかったからだという説明をする人が多いのですが、私はそうではないと思います。忙しくて坐禅できなくても、悟る人はちゃんと悟ります。
要は、お釈迦様と一緒にいることで安心してしまい、依存してしまって、孤独の中で真剣に自分を見つめなおす時を持てなかったから悟りが遅れたのだと思います。
コロナ禍は、大敬と距離を置き、皆さんが真剣に自己探求する期間を作ってくれたので、弟子たち、あるいは仲間の皆さんの心境が一気に進んだのでしょう。(完)