2024年1月19日金曜日

3311「三途の川を渡る時」2024.1.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年01月10日の記事を紹介します。


「三途の川を渡る時」


今日は小林正観さんの講演会でのお話です。 

亡くなって、三途の川を渡る時に、神さまから聞かれる質問についてです。 

神様にとっては、地上での

・社会的な業績も

・肩書も

・家や車などの資産も

・健康か不健康か

・友達が多いか少ないか

・貧乏か金持ちか 

そんなことは、何の意味も持たないようです。 

それよりも、どのような環境に置かれようと、その置かれた場所で、

身近な周りの方々と、 

・心を尽くし真心で接してきたか?

・温かな愛を循環させてきたか? 

そのことの方がはるかに大切なようです。

<引用開始>

 

中堅企業の社長さんがある日、心不全か何かで心拍が停止、意識不明の重体になった。

救急救命士が来て必死に心臓マッサージをした。

その間、その社長さんは林の中を歩いていた。

その林を出ると、きれいなお花畑に出た。

周囲を見渡すと、いろんな人がお花畑を歩いていた。

 

お花畑を過ぎると川のほとりにでた。

その川の向こうが彼岸、俗にいう「あの世」である。

その川幅は人によってまちまちで、

10メートルの人もいれば100メートルの人もいる。 

  

また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人もいれば、船に乗っていく人、

泳いで渡る人などいろいろ。

一旦、両足が岸から離れてしまうと、二度と戻ってこられないそうだ。

さて、お花畑に出た社長さんの耳に不思議な声が聞こえた。

 

「あなたが今まで送ってきた人生とはどういう人生だったか。 

それについて質問されるから川べりに着くまでまとめて置くように」

お花畑を歩きながら社長さんは、 

・あんなこともしたなぁ

・こんなこともしたなぁ 

  

と、自分の人生を振り返った。

そして今までやってきた業績をまとめていった。

川べりに着くと、こんな声が聞こえてきた。 

あなたは自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?

社長さんは、はて?と困り果ててしまった。 

やってきた業績についてはいくらでも話せると思って、

意気揚々と川べりまで歩いてきたのだが、神様が聞いたのは業績ではなく、 

「どれくらい人生を楽しんできたか」ということだったのだ。

 

その声の主は、業績などまったく関心がない様子だった。 

いくら考えても「楽しくやってきた」という記憶がなかった。 

じっと黙っていたら、「あなたは人生を楽しんでこなかったのですね。」と言った。 

「はい」と言うと、 

「あなたの人生は失敗です。もう一度やり直し!」と言われた。 

 

その瞬間、社長さんは息を吹き返し、この世に戻ってきた。 

その日から社長さんは人生を楽しく生きることに切り替えた。

そのとき、 

「楽しく生きるということは、自分がどれだけ周りから喜ばれているかである」

ということを教えられた。

なるほど、楽しい人生とは、ただ能天気に生きる快楽主義ではなく、 

「あなたがいて良かった」と言われる人生を送ること。

私たちの日常の中に、どれほど「楽しさ」を見付けられるだろうか。

社会を見回すと、悲惨な事件や事故と、私たちは背中合わせにいる。 

いつ来るとも分からない自然災害は常に不安の陰を投げかけてくる。

 

でも、そう暗く考えずに、そういう中でも自ら進んで、 

周囲の人から「ありがとう」と言われるような生活を心がけてみよう。

あのマザーテレサも、あのスラムと化した街の中で、貧困を恨んだりするのではなく、

自分の存在が必要とされている、喜びに満たされていたのではないだろうか。

「楽しさ」とは、日常の中の親子や夫婦、友だち、お客さん、同僚など、

周りの人間関係の中に見出すものだ。 

そういう人たちと楽しい思い出をたくさんつくろう。 

いつか「この世」をちゃんと卒業できるために。

<引用終了>

 

「あなたは自分の人生を楽しんできましたか?」って聞かれたら、 

私たちはなかなか素直に「はい」と言えないかもしれないですね。

徳川家康の言葉 

「人生は重荷を背負いて、長き道を行くが如し」

のように思われている人がほとんどでしょうから。

ですが、やはり、神様は私達を送り出す時に、とびっきりの笑顔で「楽しんでおいで」と

送り出してくれたに違いないのです。

この地球で色々な経験をし、色々な感情を味わい、

人と人の心の通い合う素晴らしさを経験しておいでと。

その経験は、もしかしたら「楽しい」だけの経験ではないかもしれません。

誰かとぶつかり合い、沢山の憎しみや、嫉妬、ねたみの感情を味わうかもしれません。

信じていた人に裏切られ、悲しみの涙を流すかもしれません。

愛する子供に先立たれ、塗炭(とたん)の苦しみを味わうかもしれません。

ですが、それらの感情も、地球に生まれてきたからこそ、味わうことができるのです。

 

味わい尽くし、向こうの世界に戻る時にはきっと、もう苦しみも悲しみもなく、

貴重な体験と記憶されていることでしょう。 

分かれた人とも再会できることでしょう。

人間には「喜ばれると嬉しい」という本能があるそうです。

動物には2つの本能が組み込まれています。 

それは、自己保存の本能と、種の保存の本能

動物と神との間に人間が存在しています。

人間は動物の持っている2つの本能に加えて、喜ばれると嬉しいという本能があるそうなのです。

人間はこれを神様から頂いています。

自分本位の、狭く冷たい気持ちではなく、助け合い、お互い様の温かな気持ちで

人と接したいものですね。


周りの人が喜んでくれたら、本当にうれしいものですもの。

そしたら、三途の川を渡る時、

神様がにっこり笑ってOKサインを下さるかもしれません。

閻魔さまも、笑顔で天国への門を開けてくださることでしょう。