2024年1月23日火曜日

3315「だまされる者は何度でもだまされる」2024.1.23

 今回はIn Deepさんの2024年1月21日の記事を紹介します。


「だまされる者は何度でもだまされる」…歪んだ社会の常識とマインドコントロールが作り出す寿命50歳社会

「だまされる者は何度でもだまされる」…歪んだ社会の常識とマインドコントロールが作り出す寿命50歳社会 - In Deep


諦観

マスク着用者ばかりの街の中を歩くたびに、「パンデミックが始まった 2020年に戻っただけじゃないかよ」と、一種の諦観というか、本当の意味での「この世の終わり」を思う最近ですけれど、そのたびに、タイトルに入れました伊丹万作さんの言葉を思い出します。2021年の記事以来、よく引用させていただいています。

伊丹万作『戦争責任者の問題』(1946年8月)より抜粋

…「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。

以下の記事も、伊丹万作さんの手記から引用していて、80年前頃の日本が「空気」によって、国民が一体として(勝てるはずもない)戦争に突き進んだことなどにもふれていますが、「日本人は結局またこんなことを繰り返すのかなあ」という部分も諦観のひとつにも含まれています。

(記事)「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」 …XBB対応ワクチンの過去最大の影響の可能性について考えながらこのフレーズを思い出す

In Deep 2023年8月24日

 

このタイトルにある「XBB 対応」で思い出しましたけれど、今の日本(あるいは世界)で用いられているワクチンは、変更されていなければ、この XBB 1.5 対応というものだと思うのですが、最近のアメリカのデータでは、

「ほぼ完全に環境中から消えた」

ことが示されています。JN.1 が 85.7%、と圧倒的で、かつて活躍したエリス(EG.5)も、今や占有率 0.6%と消えかかっていますが、XBB 1.5に至っては「完全なゼロ」です。

2024年1月20日時点の米国のコロナ変異種の分布

 

XBB 対応ワクチンは、今や「完全にいない相手に立ち向かっている」という形而上的な状態ですが、まあしかし、それは些細な問題でしかないです。

ただ、「この馬鹿馬鹿しさに気づく人の数の異常な少なさ」は思います。

マスクも、日本に関しては、ジワジワと再び着用率が増加しているように見え、多くの病院やいくつかの施設などは、実質、マスク着用の義務化がおこなわれているような感じに思います。

いずれにしても、この段階において、日本においては「マスクは永遠となった」可能性が高いです。次に何らかの病気の流行が始まって、大々的に喧伝が始まれば、さらにマスク着用率は上がっていくはずです。

まあ、マスクに関しては、日本だけでもないようで、主要国で続々と、病院や公共施設でのマスク着用の事実上の義務化が再度課せられ続けています。

思えば、少し前に、「マスク着用義務が死者数を 1.5倍増加させた」というアメリカの論文なんかもありましたが、もうそういうものが顧みられることはまったくない。 

(記事)「マスク着用義務が死者数を 1.5倍増加させた」と結論付けた米カンザス州の研究論文BDW 2024年1月2日

[論文より]

> この研究の結果は、マスク着用義務が実際に死亡者数を約 1.5倍、またはマスク着用義務なしの場合と比較して 〜50%多い死亡を引き起こしたことを強く示唆している。

 

日本人の場合、特に「疑わない気質」が人々にある部分が強いのかもしれないですが、それに「マインドコントロール」が結びつくと、その価値観は社会に「常識」として、定着してしまい、それは多くの場合、くつがえることがありません。

以下は、私が中学生くらいの時に繰り返し読んでいた山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』からの抜粋ですが、「社会が集団ヒステリーによって間違った価値観に染められる」ということがあった場合、そして、それが「世の常識となってしまった場合」について書かれています。

『ある異常体験者の偏見』(1973年)より

…そして、それが世の常識となる。するともうどうにもならない。動かすことも、ゆるがすこともできなくなる。

すると人びとはその不動の常識によりかかっていた方が楽だから、そこで思考を停止し、他に規定された判断をそのまま自分の判断とし、そしてその常識なるものに反対するものは自分の方から排除してしまう。ひどい時には村八分にしてしまう。従って事実を知っている者はみな沈黙する。

いったんそうなると、もういいも悪いもない。その常識という虚構の上に順次に虚構が積み重ねられていき、しまいにはどんな誇大妄想狂も口にしないようなことを言っても、人びとは何の抵抗もなく受け入れてしまう。

山本さんは、

「なぜそうなるのであろう。不思議である。」

とも書かれていて、私もこの 4年間ずっと思っていましたが、日本人に特有の「空気」という概念とマインドコントロールの概念で、少しは理解できてきましたが、それでも今でも不思議は不思議です。

この山本七平さんの記述には、日本が太平洋戦争に突き進んだ際のことも含まれていますが、今回の、特にワクチンのほうが、太平洋戦争より人的被害が大きくなることは明らかですので(場合によっては比較にならない)、日本人の終焉にまで行き着く可能性もないでもありません。 

 

疑うことの重要性

今年の初め頃、「疑うことは知恵の源である 7つの理由」という海外の記事をご紹介したことがあったように思います。…って、あれ? 見つからない。…ああ、メルマガでした。その記事では、以下の 7つの項目について、もちろん著者がそう考えているというだけですが、それぞれ詳しく書かれている長い記事です。 

1.) 疑いは答えを質問に変える。

2.) 疑いは文化的条件付けを再調整する方法を教えてくれる。

3.) 疑いは、盲信という固い地面に心を開く種を植える。

4.) 疑いは自己を拡張する。

5.) 疑いがあると、時代の先を行くことができる。

6.) 疑いは傲慢をユーモアに変える。

7.) 疑いは中道の威力を教えてくれる。 

このうち、メルマガでは、「6.) 疑いは傲慢をユーモアに変える」などをご紹介していました。先ほどまでの話とはズレる内容ですが、これはこれで大事なことだと思いましたので、再掲しておきたいと思います。

疑いは傲慢をユーモアに変える

優れたユーモアのセンスほど強力なものはない。それはどんな力よりもパワフルだ。

上機嫌の渦の中で、宇宙全体があなたの中にあり、あなたを通して振動し、すべての月に吠え、言葉よりも古い言語を歌い、そして最も重要なことに、あなたは宇宙の中では点にすぎないが、宇宙全体でもあるということを思い出させてくれる。

あなたが良いユーモアの渦中にあるとき、あなたはより高い周波数と同調している。

その時、あなたは高次の無秩序な秩序を汲み上げる泉源となる。その時、あなたは絶望の現場における希望の光となる。その時、あなたは文化的条件付けというまばゆい光の中の暗闇の灯台となる。

あなたは、つむじ風の中で、すべての結び目をすり抜ける無邪気な宇宙飛行士となる。

培われたユーモアは、世界をひっくり返す裏返しの鏡だ。

傲慢よりもユーモアを、憧れよりも笑いを。運命よりもアモール・ファティ(※ ラテン語で「運命の愛」)を。それはエゴを鎖に繋ぎとめる。

カミュはこう言った。

「人間の偉大さは、自分の状態よりも強くなるという決断にある」

新しい知識を構築するには、まず虚偽を破壊し、自分自身を真剣に受け止めすぎるのをやめることができなければならない。信念(belief)から信念(faith)へと勇気を持って飛躍するべきだ。

確信はなくても、好奇心を持つべきだ。納得するのではなく、創造的になるべきだ。順応主義者ではなく、風変わりであるべきだ。

思い上がりに満ちるのではなく、ユーモアを持つべきだ。

wakingtimes.com

ちょっとわかりにくい部分もありますが、ユーモアというか、笑いのすべては「現実や常識を疑う」ところから生じるものです。

常識とおりのことを言われて笑う人はいません。

「鉛筆は文字を書く道具です」

と言われて、( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ と笑う人はいません。

「鉛筆は、両耳からぶら下げて、手を使わずにお寿司を食べる道具です」

と言われれば(それじゃ誰も笑わねえよ)…ああ、まあ、これは例えとして不適切でしたが、要するに、現実や常識の概念への「破壊行為」が笑いです。

ずっと以前に書かせていただいた「笑い」についての以下の記事では、エイプリルフールの起源が、古代イスラム神秘主義者の「ウソつきの日」にあることを書きました。

世界の秩序を特異的に転倒させることが笑いの原点だったと。

それにより社会は生き返る。

(記事)創造神Jamに16歳で救われた私が40年後に気づいたこと

In Deep 2019年11月23日

 

何だか何を書いているのだか自分でもわからなくなってきていますが、先ほどの山本七平さんの、

> その不動の常識によりかかっていた方が楽だから、そこで思考を停止し…

ということでは、やはりダメなんだと思います。

 

みんなが、(実際には誤っている)不動の常識によりかかっている社会が今であり、結果として、それが生み出す日本の未来がどのような惨状になり得るかについては、以前、

「今後、世界の平均余命は大幅に下がる」

ということを分析した、世界有数の資産運用会社アライアンス・バーンスタイン社のアナリストだった方の分析についての記事を載せています。

ワクチンを接種した年齢にもよりますが、おおむね、25年くらい寿命が短くなっていくという分析でした。先ほど「今回の人的被害は、太平洋戦争どころではない」と書きましたけれど、特に接種回数の多い日本について、それが示されている分析ともいえます。

今回はその分析についての記事の一部を再掲して締めさせていただきます。歪んだ従順の結果が、ここまで巨大な崩壊につながっていくということの、ひとつの例だと考えます。全体は以下の記事の後半にあります。

(記事)実験場と化した日本 : 世界で唯一、生後6ヵ月からの赤ちゃんに「本物のBNT162b2」を接種する方針が決定した日本の果ては人生50年時代再び In Deep 2023年6月21日

ここからです。 

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完全な接種を受けると平均余命が25年縮むことが研究で判明

Fully Vaxxed Lose 25 Years of Life Expectancy, Study Shows

SLAY 2023/04/02

mRNAコロナワクチンによる接種を完全に受けた人たちは、平均余命が 25年短縮されることが、新たな研究で明らかになった。

研究者たちは、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の政府データとクリーブランドクリニックのデータ、保険会社のリスク評価データを分析した。分析の結果、複数回接種を受けた人たちの寿命が急減するという憂慮すべき傾向が明らかになった。

分析は、「命を救う保険コラボレーション」の創設者であり、元トップアナリストであるジョシュ・スターリング氏によっておこなわれた。スターリング氏の研究は、憂慮すべき傾向を示した。

ワクチンの各投与によって引き起こされる健康への被害は、時間が経っても軽減されず、無期限に続くことが示されている。

実際、CDCの全死因死亡率データによると、各ワクチン投与により 2021年の死亡率と比較して 2022年の死亡率が 7%増加したことが示されている。5回のワクチン接種を受けた人は、2021年に比べて 2022年に死亡する可能性が 35%高かった。

データは、最近は人々の接種率が下がっているにもかかわらず、あらゆる形態の死亡率が加速するにつれて超過死亡が毎年劇的に増加していることを示している。この問題は米国に限ったものではなく、世界中の国に影響を与えている。

オーストラリア政府の最近のデータによると、2022年の超過死亡は前年より 5,162%増加した。

この研究では、現在 30歳で 4回か 5回のワクチン接種を受けた人が生きられる余命は、最長で 55歳と予測できることが判明している。