2024年1月22日月曜日

3314「心を洗う挨拶」2024.1.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年01月13日の記事を紹介します。


「心を洗う挨拶」


今日は小林正観さんのお話をご紹介します。

相手の反応に左右されず、自分の心を律し、あいさつをすることは、

とても良い心の訓練であり、心を清浄化し、徳を積むことにつながるというお話です。 

 

・世の中がどのように変わろうと、

・神々による、建て替えが起ころうと

・天変地異が起ころうと

・次元が変わろうと、

最後は、平凡な一般の私たちにとって、心が浄化されているかどうか? 

それだけが問われるからです。

それは、今生きている間の幸せも、肉体を脱いで天に帰った後の幸せも、

全てがそこにかかっているからです。

<引用開始> 引用元 


『中陰の花』で芥川賞を受賞された玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんは、

臨済宗のお寺の僧侶でもあります。

その宗久さんが、天竜寺で修行をしていたときの話です。

 

毎朝宗久さんが廊下の拭き掃除をしていると、庭先から「おはようございます」と、

にこやかな笑顔で挨拶をされる作務衣(さむえ)姿の方がおられました。

宗久さんは、当初はこの方がいったい何者なのかわからず、ただ、毎朝爽やかな笑顔で挨拶されるので、とても感じのいい人だとは思っていたそうです。

後でわかったのですが、この方が天竜寺の貫長(かんちょう・最高位の方)でした。

この貫長さんは、毎朝決まった時間に天竜寺近くを散歩されていたそうです。

そのときに毎日出会う人がいました。

その人に対して、貫長さんは毎日同じように

「おはようございます」と挨拶をして会釈をなさいました。

しかし、声をかけられた人は、無視をして一切返事をすることがなかったといいます。

しかし貫長さんは、相手の笑顔や挨拶が返って来ようが来るまいが関係なく、

毎朝笑顔で「おはようございます」と言い続けたのだそうです。

三年経ったある日のこと。

いつものように「おはようございます」と笑顔で挨拶した貫長さんに対して、

その人はついに「おはようございます」と声を発しました。 

 

そして、言い終わった後に、「ごめんなさいっ」と、がばっとひれ伏したというのです。

この人の心の中に何があったのか推測するすべはありません。

推測することも無意味なことでしょう。

何があったのかということは大した問題ではなく、大切なのは、かたくなに挨拶を拒み続け、

視線を交わすことさえしなかった人に対して、一ヵ月や二ヵ月ではなく、三年もの間、

笑顔で「おはようございます」と言い続けた人が世の中にいる、という事実です。 

その結果として、そのかたくなに人を拒み続けた人が、

ついに心を開き、涙ながらに「ごめんなさい」と謝ったというのです。

貫長さんは、返事をしなかったことを責めていたわけではありません。

ただ自らの生き方として、相手がどういう態度であろうと関係なく

「おはようございます」と言い続けた、ということに徹した、ということだと思います。

「これほど自分が挨拶をしているのに、返事をしないとは何事だ」と言うのは簡単でしょうし、一般的な反応かもしれません。

しかし、それは挨拶している意味がありません。

挨拶をすることで結局ケンカを売っているのでは、何にもならないでしょう。

その人に「おはようございます」と声をかけることは、

貫長さんの側からすると「自分の勝手」ということであったのかもしれません。

自分が行として、ただそのように毎日を送り、

そういうことに徹し、相手がどのような反応であろうと関係なく

そのように生きる、という姿であったのでしょう。

宗久さんが語る貫長さんの姿は、とても爽やかで、清々しいものでした。

<引用終了>

  

私たちは、相手から善意を受ければ、無意識に善意を返す・・ 

という「好意の返報性」を持っています。

それと同じく、全く反対に相手から、悪意や無視といった態度をとられると、無意識に、同じものを返してしまいます。 

ですが、この天竜寺の貫長(かんちょう・最高位の方)さんは、違っていました。 

相手から例え、何年も何年も、無視され、悪意を返されようと、自分の心にまで、悪を入れず、心を汚すことなく、ぶれることなく、毎日毎日、善意を施しました。 

これは、相当難しいことです。 

・自分の心を律する必要があります。

・相手の態度に左右されないという強い心が必要です。

そしてどんな時も、相手に、自分の中の最上のもの

・愛

・優しさ

・いたわり

・思いやり

・深い共感

・笑顔 

を向け続けるという訓練になります。 

このように、私たちは、日々の暮らしの中において

神様が置いてくださったこの環境の中において 

心を、清め、神様のような心になる訓練をすることができます。

 

自分の身近な周りの方々に、いつも、笑顔と優しさを伝えていきたいものですね。