今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージの最新記事を紹介します。
1478 2025.05.23 <フルベの技法(鎮魂法)>
鎮魂:身体から遊離してしまった魂の断片を<今・ココ・この身>に引き戻すための技法
<二人でする「フルベ鎮魂法」>
(1)対面して正座し、二拝二拍一拝、一緒に数歌祝詞を3回称える。
(2)(与え手):受け手の片手を取り、「フリ」を始める(荒々しい振動だと、受け手が恐れて「フリ」に抵抗して上手くいかない。受け手の固有の振動数を探るような気持ちで、繊細な「フリ」から入ること)。
(受け手):受け入れる、すべてをお任せするカラッポの気持ちになること。
(3)(受け手):「フリ」に身を任せているうちに、自動的に「フリ」が始まれば、その「フリ」に逆らわず、身を任せること。
(与え手):受け手の「フリ」の発動に逆らわず、さらに自由な「フリ」になるように援助する。
(4)二拝二拍一拝、一緒に数歌祝詞を3回称えて終わる。
<フルベの数歌祝詞>
一二三四(ひふみよ)日踏み(ひふみ)日の行進(ひのこうしん)
五六七八(いむなや)嫌むな(いむな) 日の肥やし(ひのこやし)
九十だよ(ここのたりだよ) 個々の足り(ここのたり) 今・ココ・我を受け入れて/許し、愛して踏み出せば
百千萬(ももちよろうず)百力結集(ひゃくりきけっしゅう)
神の力が我が身にはたらく/自分を超えた力がみなぎる
湧喜(ゆうき)湧輝(ゆうき)日満子の光進(ひみこのこうしん)
さあ、日出る時(ひいずるとき)、踏み出しの今!
1477 2025.05.22
<お仲間からのお便り>
あけましておめでとうございます。
昨年は本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
まだまだ未熟です。
自分のことを知れば知るほど未熟です。
どこまで行っても、うろうろおろおろしています。
どこまで行ってもへたくそです。
できないことだらけです。
失敗だらけです。
人を悲しませることもあります。
自分で、なにやってんだろって思うことばかりです。
ただ、そんな自分を認めて、許せるようになりました。
そんな自分が愛しいなと思えるようになりました。
そのまんまでいいって思うようになりました。
だから、他者にも愛しいと思えるようになったのかなと思います。
ただただ、毎日をおろおろうろうろ生きているだけ。
だけど、しっかりと足に体重をのせて、左足右足と地面を一歩一歩歩いていけばそれでいい。それがいい。
ますます、普通になります。
ますます、地味になります。
ますます、何もできません。
ごくごく日常の「今、ここ、自分」中に嬉々として生きていく。
最高の地上世界なんだなと思います。
大敬先生のように生きたい、そう思っています。
先生、本当にありがとうございます。
先生、これからもどうぞ、よろしくお願い致します。
1476 2025.05.21
<大敬の「ゆるし」の坐禅の実際>
坐禅開始
① 「ゆるめ」過程が始まる
② 「ゆすり」過程が始まる(体が自然に動いてほぐす)。坐っただけでは解消できない身心の緊張や凝りをほぐしてくれる
③ 「ゆるし」の過程 それぞれの事情を抱え、どうしてもそのようにしか振る舞えないんだなあ。みんな精一杯の人生を生きているんだなあ(自分も人も世界も)と気付く。
1475 2025.05.20
<大敬の「ゆるし」の坐禅の実際>
坐禅開始
① 「ゆるめ」過程が始まる
② 「ゆすり」過程が始まる(体が自然に動いてほぐす)。坐っただけでは解消できない身心の緊張や凝りをほぐしてくれる
③ 「ゆるし」の過程 それぞれの事情を抱え、どうしてもそのようにしか振る舞えないんだなあ。みんな精一杯の人生を生きているんだなあ(自分も人も世界も)と気付く。
1474 2025.05.19
<許せるようになったという証拠は?>
許せるようになれば、「ほほえみ」の表情が自然と現れる。
「悟り」とは、何事にもほほえめる人になること。ガンダーラ美術の釈迦像のイメージを心に刻み込んでおこう。
<松居桃樓(とおる)先生『微笑む禅』(潮文社)より>
(註)松居桃樓先生 舞台の演出家。(著書)『北原怜子 アリの町のマリア』春秋社 、『死に勝つまでの三十日 小止観物語』柏樹社、『ゼノ死ぬひまない 〈アリの町の神父〉人生遍歴』春秋社など
(演劇の表情研究からたどり着いた結論)
交感神経(興奮を司る)>副交感神経(弛緩を司る)となると、→怒りや恐れの表情となる
副交感神経(弛緩を司る)>交感神経(興奮を司る)となると、→弛緩や虚脱の表情となる
交感神経(興奮を司る)と副交感神経(弛緩を司る)のバランスがとれると→微笑み、友愛の表情となる→「世尊拈花(せそんねんげ)」という公案
1473 2025.05.17
<許せば、運命が良くなる>
ウェイン・ダイアーさんの体験(幼い頃に出て行って、ダイアーさんを孤児院に追いやった父を許したことによって運命が好転し、ベストセラー作家になれた)
(参考文献)『「小さな自分」で一生を終わるな!』ウェイン・W・ダイアー 三笠書房)
1472 2025.05.15
<許せば、体調が良くなる>
ジャンポルスキーさんの「許しのセミナー」での、ある女性看護士さんの体験(元の夫を許して、長年の首の凝りがなくなった)
(参考文献)『許すということ』 (サンマーク文庫)
1471 2025.05.11
Q:なぜ坐禅すれば、自分や人や世界を許せるようになるのですか?
A.「ゆるす」の反対語「憎む」:自分が被害をこうむった出来事の原因となった人や団体組織を嫌ったり、傷つけてやりたいと思い続けること。→憎しみの対象をいつまでも心の中に縛り付けている、その心の「固まり」が体の凝りや緊張となる。その心の縛りがあなたの運命を悪くする。
「ゆるし」の語源「緩(ゆる)くすること」
岩波古語辞典(大野晋先生)によると
①緊張や束縛の力を弱めて、自由に動けるようにすること。
②しっかり捉えていたものを手放す。逃がすこと。
「許す」ことが出来るようになると→イノチの重心を<今とココとこの身>に据えることが出来るようになる→体に緊張や固まりがなくなる→心の中の緊張や固まりがなくなる。縛り付けていた心の中の憎しみの対象を手放して、去らせてあげられるようになる→憎しみの対象に縛り付けられていた自分も自由に行動出来るようになる→運命が好転する
1470 2025.05.10
Q:なぜ<今とココとこの身>に戻らねばならないのですか?
A.<今とココとこの身>というあなた本来の位置に復帰し、その位置にイノチの重心をしっかり据えられるようになると、身心のどこにも無理がなくなって、「行動の自由」が得られるから→あなたが一番輝け、成長出来る環境にたどり付ける。
過去をひきずったり、未来に前のめりになっていたりすると、今・ココの課題に素直に直面して取り組んでゆけなくなる→(例)王選手の一本足打法
1469 2025.05.09
<龍樹菩薩の教え(続き)>
「復た次に、お釈迦様は弟子達にお教えになった。『私が教えた坐相で坐りなさい』と。
外道の修行者の中には、爪先立ちをしたり、常に立ったままで(寝ている時も)いたり、片足を上げて両腕で抱えた状態を維持したり、そんな奇抜な姿を保つことを修行としている者もいる。このような、こだわりの強い片寄った修行は、必ず邪な世界へとその修行者を導くだろう。
だから、歴代の仏たちは、私が君たちに教えたようなカラダを真っ直ぐに保って、どこにも無理がない、素直な姿で坐禅をするように指導してこられたのだ。
なぜなら、このように身を真っ直ぐにして坐ると、心を正し易くなるからだ。身を真っ直ぐにして坐ると、心はグズグズしない。スッキリした心になって、常に君たちの意識を<今とココとその身>に納めることが出来るようになる。
もし、意識がフラフラと<今とココとその身>から漂いだしたり、その証拠として体がいずれかの向きに傾いたり、どこかに緊張や凝り(こり)があると気が付けば、意識や体をもとの真っ直ぐな位置にもどす。このことだけに注意して坐っていればいいのだ」