2017年6月7日水曜日

963「祈り旅4」2017,6,7

 高楯城跡を後にして今日最後の目的地は大鰐町の宿川原と言います。大鰐には何度か訪れていますが何があるのか分かりません。どうやら大鰐町を流れる平河の川原のようです。丁度、奥羽本線の鉄橋の下の辺りです。   
  皆さんで川原に下りますが、ここはレラさんも初めてのようです。そもそもここに辿り着いた経緯は以下のようです。

「今回の旅のハイライトは、キムユキさんのチャネリングで降りてきた、ベケレマツ(朝日姫)という名のアイヌの女性シャーマン。西暦672年に、このすぐそば(川原のこと)で、とても残虐な八つ裂きの刑で処刑されたという。この地には、怒りと恨みの想念がべったりと張り付いて東北全体に影響を与えているらしい。
 この写真は、夕日を眺めている映像が欲しいという吉岡監督のご要望でポーズをとったのだが、どうせならと、インディアンの祈りを始めてしまった。すると、この地を覆うネガティブなエネルギーは、虐殺された人々だけではなく、むしろ虐殺したサイドの人々のスピリットが主体であることに気づいた。今までの祈りの旅では、虐殺されたサイドのみに焦点を当てていたので、これはとても大きな気づきだった。」 (「日本列島祈りの旅、青森編」①)
 
 川の土手にレラさんが座り太鼓を打ち鳴らして、川原に向かいお祈りをしています。
 天外さんは川原までおりて笛を吹いています。舞踏家のゲストのOさんが裸足で川原に下りて行き、川の中に残っている鉄橋の橋脚の土台のコンクリートの上で舞を奉納しています。映画のカメラもその気迫の舞を追っています。
「アイヌの女性シャーマン、ベケレマツ(朝日姫)への奉納舞。舞姫は大村憲子。笛を吹くのは天外伺朗。一生忘れられないシーンとなった。この写真をプロフィール写真にしたよ。」
 と天外さんも語っています。








「これは初日のクライマックス。高知の高名な舞姫、大村憲子さんによるベケレマツ(朝日姫)に捧げる舞の奉納。恰好な石舞台があり、アシリレラさんが太鼓をたたき、天外が笛を吹いた。 75年生きてきたが、これほど鬼気迫る舞を見たのは初めてだ。」
(「日本列島祈りの旅、青森編」②)



「アイヌの強力な女性シャーマン、ベケレマツ(朝日姫)は、今の大鰐町で処刑され、いまの石戸神社まで運ばれて埋葬された。多くの女官も一緒に埋葬されたらしい。正確には、埋葬したのち、怨念を封印するために石戸神社を建立した。
 アイヌはどこに埋葬したかまで知っている。」(「日本列島祈りの旅、青森編」④)
とあります。しかしかなりの距離があります。天外さんの後の記述で些か疑念が期されていましたがそれは後で紹介します。

 舞の奉納を終え、レラさんの所にOさんが挨拶に来ましたが素晴らしい奉納に皆さんからも喜び、感謝の声が送られました。しかし、レラさんはベケレマツ(朝日姫)はまだ上がっていない。その事は明日になると分る、と言っていました。
 







2017年6月6日火曜日

962「祈り旅3」2017,6,6

 天外伺朗さんのフェイスブックに今回の旅の事が書かれています。参加者の方々の書き込みも、映像、写真も沢山あります。天外さんの、5月20~22日、「日本列島祈りの旅、青森編」の話題の項目から天外さんの文章も少し紹介しながら巡りをお伝えしていきます。

「アイヌの女性長老、アシリレラさん、真言宗の僧侶、口羽和尚、高知の舞姫、大村憲子さん、先住民のフィロソフィーを伝えている亭田歩さん、宇宙語でのチャネリングをするキムユキさんなど50人で、虐殺されたアイヌの怨念を供養する旅を続けている。」(「日本列島祈りの旅、青森編」の話題①)
 
「これは初日の一番の供養。アイヌの武将が処刑され、首と胴体を離されて埋葬された場所、小金山神社。
 虐殺が起きると、その怨念を鎮めるため、神社を建立する、というのが大和民族の方法論。多くの人が神社で手を合わせるが、自分のことを祈るのではなく、埋葬された人の供養を祈ってほしい。
 この社は首が埋められた場所。胴体が埋められた場所は30m下にある。いまでも人が入ると小刻みに揺れる。ポルターガイスト現象。アシリレラさんが20年前に来た時には、ものすごく揺れたという。
 アシリレラさんが胴体が埋められた場所で祈り、口羽和尚が首を埋められた場所で祈った。見える人の話だと、なかなか首がつながらなかったのだが、口羽和尚が車から五輪の塔を持ってきて地面に突き刺すとうまくつながり、御霊は無事昇天した。
 首と胴体を別々に埋葬するというのは、中世の魔女でも見られるが、死後の霊力を封じるおまじない。相当に霊能力の高い人だったと推定される。小金山神社。アイヌの祈りと真言宗の祈りがうまく融合して、首と胴体がつながり、無事に昇天した直後の写真。光がまぶしい。(「日本列島祈りの旅、青森編(5月20~22日)」③)

 入内観音堂から次の目的地は五所川原市の高楯城跡です。ここも以前に訪れていますが津軽藩の始まりの時に強く抵抗をし、攻防戦が長く行なわれ、最後は惨殺され落城したところです。
 この経緯は以下の様にあります。

「康永3年(1344)、後醍醐天皇の側近万里小路藤房の息子である藤原景房によって築城されましたが、天正16年(1588)大浦為信によって滅ぼされ、万里小路藤房より10代目の城主朝日行安は自害し、飯詰城は廃城。一族も徹底的に捜索された末に惨殺され朝日一族は滅亡。
 なお、大浦氏により包囲された際には城内に通じる水脈を絶たれましたが、白米で馬を洗って見せるなどの必死の抵抗を見せたという言い伝えがあります(白米伝説)。
 また、糠塚川に鎧を捨て逃亡を企てるも力尽きて主従は自害したという逸話が残り、鎧留の由来となっているようです。
 落城の際に城址周辺では鎧武者や女の亡霊が現れたり、日照りや長雨などの天候不順に見舞われ、これは朝日一族の祟りであると噂されたそう。

 高楯城址由来の一部を紹介します。
「天正十六年六月十六日高楯城主従は玉砕の意を決し、先づ以て老臣女童を密かに秋田旭川の地に脱難せしめたる後、高楯城に残る寵城の兵は主従倶に二百七十餘名なり。夜明ける辰の刻、城主自ら弟なる十三湊判官樺沢団右衛門藤原行貞殿と水盃し、自ら高楯城に火を放つ。軍神麻利支天の如く大浦軍の陣営に斬込みて、刀折れ血の流れ出づる限り戦ふて壮烈な武人の最期を遂げたり(以上東日流外三郡誌より)。
 歌人菅江真澄翁の曰く、『ものふのかけし鎧かふちなみかよせてをまたで泡と消えけむ』。東日流外三郡誌によるもの…津軽一統志では朝日氏と為信の戦いについて全く記されておらず、また、私の愛読書である『津軽ふるさと散歩』にて、外三郡誌と高楯城についての疑問点などが約2ページに渡って記述されているので、興味のある方は読んでみてください。」

 津軽藩は過去の歴史書を抹消、処分し、己が歴史書にはこの高楯城の事には一切触れていませんが、何時の世も勝者の歴史のみがまことしやかに作り上げられ改竄されるのが常なのですね。

 高楯山妙龍寺の山門を観て裏手の山に登ります。お城の跡地に城の形の記念館がありますが今は機能していないようです。その奥の草むらで儀式を行いました。大きな木に向かい皆さんが座り、火を焚いて、レラさんのお祈り、口羽和尚の施餓鬼供養のお祈りです。





 儀式は40分以上になります。無事に終わりました。帰りの道にはりんごの木が花を咲かせていました。


2017年6月5日月曜日

961「祈り旅2」2017,6,5

 はやぶさは新青森に定時に到着して在来線に乗り換えて1駅で青森駅に到着です。後は、空港バスで青森空港に向かい、11時半集合に余裕で間に合いました。
 東京便が到着して天外さん達が出てきました。参加者の中に生体エネルギーの仲間の長野のSさんが居ます。彼と大型バスに乗り込んで同席です。Sさんは天外塾で天外さんと懇意のようです。総勢50名の大勢ですが主催の事務局のHさん、仙台の方数名以外は初めての方々です。今回のメインゲストのアシリレラさんは青森の仲間の車でバスの先導をして下さいます。
 今回の祈りの旅は2泊3日で1日目、2日目は祈りの旅で、3日目は観光も兼ねてのスケジュールです。祈りの場所は予てよりアイヌの御魂を祈り続けてきているレラさんが決められた処です。私はこれまで、大概は訪れている処ですが、全く初めての処は2箇所ありました。同じ場所でも目的と同行者でその現われは変わります。果たして如何な祈りの旅になるのか興味深深です。

 最初の目的地は空港から程近くにある小金山神社・入内観音堂です。田植えが済んだ山間の道を進み、目的の観音堂は入内の石神様の巨石が鎮座する石神神社へ向かう道の途中にあります。ここは何度かあわ歌等で訪れています。
 バスを降りて暫し待機している間に、レラさん達はお堂でお祈りの準備をされています。


 目的の場所は神社の左手の山の中腹にある入内観音堂です。
 この観音堂の謂れなどは以下の様にあります。

「入内観音堂の創建は大同年間(806~810年)、蝦夷東征の為当地に派遣された征夷大将軍坂上田村麻呂が勅命を完遂し、蝦夷の首長「大獄丸」を討ち取り、その首を当地に埋め観世音菩薩を安置したのが始まりと伝えられています。
 天慶年間(938~947年)平将門の孫とされる信田小太郎が当地に逃れて三間四方の白山権現社と観音堂を造営し入内観音堂を再興したとされます。平将門の男系の子供の内唯一生き残った平将国が常陸国信田(信太)郡に住した事に因みその子供である文国(小太郎)の代に信田姓を名のる様になりました。文国(小太郎)が家督を継いだのが幼少時だった為、家臣で義兄だった小山行重が所領を接収し追い出した事で、文国(小太郎)は全国を流浪し当地に流れ着いたとされます。
 その後荒廃しましたが慶長年間(1596~1616年)津軽為信が再興し寺領30石を寄進し堂宇の再建が成され寺号「華福寺」が与えられました。無住だった事もあり再び荒廃しましたが寛永18年(1641)に住民達の浄財により堂宇が再建され、その後は津軽観音霊場24番札所(当初は28番札所)に選定されなど隆盛しました。」

 この中に蝦夷の首長「大嶽丸」を殺害し埋めたとあります。詳しい説明は無いままにお祈りの儀式が始まりました。




 最初、下のお堂にレラさんがお座りになり天外さん共々お祈りをしています。ここは1300年程前にアイヌの酋長が惨殺されて、首、胴体が切断されて埋められたところだそうです。上のお堂に首、下のお堂に胴体が埋葬されています。
 下のお堂から上のお堂に天下さんと口羽和尚が移動してお祈りをします。レラさん達は下のお堂で同時にお祈りをしています。
 祈りは、アシリレラさんはアイヌの祈り。口羽秀典さんは真言密教の施餓鬼供養、天外伺朗さんはアメリカインディアンの祈りと、それぞれで何とも異質なるものの同化でしょうか、多次元的多層に祈りの響きが発せられます。
 強い光が降り注いでいます。



 レラさんは青森の方々と20年前からこの地を訪れてお祈りを捧げてきていました。しかしお堂が何時も振動し、揺れていて中々に浮かばれなかったといいます。しかし50名からの大勢の人々の想い、三人の先達の祈りが効果があったのでしょう、揺れが収まり、怒りの怨念が抜けても抜けの殻になった、とレラさんが言います。
 終わって皆さんが揃って事の次第をお話頂けましたが、大多数の方は是までの北海道、出雲、剣山の旅に参加しておられる方々で、全く初めては私を始め10名ほどです。天外さんからメインゲストの方々の6名の紹介もいただけました。
 

2017年6月4日日曜日

960「祈り旅1」2017,6,4

 青葉の息吹が満ち充ちる仙台のケヤキ並木は今が最高でス。5月20~21日は仙台の開祖、伊達政宗公を祝う青葉祭りが開催されます。素晴らしい好天に恵まれお祭りには最適です。 そんな中、私は仙台駅からはやぶさ1号で青き森の国、青森に向かいました。
 天外伺朗さんのホロトロピック・ネットワーク主催の「東北縄文の聖地を巡る祈りの旅」に参加してきました。昨年仙台で天命塾と共催の講演会で天外さんは「日本列島祈りの旅」と題してお話して下さいました。その時に来年は東北で祈りの旅を行なうので、是非とも参加して下さい、と言われていたのです。この日程は他の用件と重なっていたのですが、東北に住んでいる者として、やはり一緒に巡る事が求められていると思い参加を決めた次第でした。
 この祈りの旅は、昨年は北海道で行なわれていて驚くべき成果、現象が起きていたようです。祈り旅の経緯に付いては天外さんの以下のお話がありますので、先ず紹介します。
 
「日本列島祈りの旅 2016年7月9日 於仙台  抜粋
 今日は日本列島祈りの旅のお話をしますが、ことの始まりからお伝えしたいと思います。
 ビジョンクエストを2012年5月1~3日に岐阜県の洞戸で行いました。そこにはメンバーの船戸先生のところでいろいろお世話になりました。
 ビジョンクエストとはアメリカインディアンの通過儀礼で、山の中で3日間断食をして過ごします。15歳の男児がするもので、結界を作ってします。その時6人でやりました。3日間断食し瞑想をして過ごしました。  
 ビジョンクエストは結界を張ってするのですが、地元の神主さんが大きな石を山の林の中に運んで使って作ってくれました。3日間が終わり、皆さんは明らかに変容を起こしました。
 洞戸でビジョンクエストが成功したのは神主さんのお陰です。その神主さんが今回のビジョンクエストを行ったことで、「洞戸の戸が開いた」、と言いました。そして「戸の名が付くところはアイヌの怨念を封じ込めているところで、そこの怨念が薄らいだ。」と。
 アイヌは日本中にいました。しかし彼らを和人が虐殺したのです。そしてその怨念の封印をしたのです。その方法を空海が教えたようです。この東北の地にはそのような地がいっぱいありました。京都など都を作る時などに結界を張る建築法がありますが、怨念が東北から来るのを防ぐ為のものです。しかし洞戸で神主さんから聞いた時は、その事を気にも留めずに聞き流していました。

 2013年に口羽和尚と会いました。それは中村公隆和尚の神戸の鏑射寺を訪れた時でした。その年にポピの長老が四国の剣山でセレモニーをする予定があったのですが、来れなくなりました。わたしもインディアンの長老なので、代わりに剣山でパイプセレモニーをすることになりました。2014年5月に30人で、剣山山頂で行いました。そこでメッセージ、啓示があり、2016年から祈りを旅を始めることに成ったのでした。
 2015年に口羽和尚のお寺のある出雲へ50人で行ってきました。出雲ではアイヌの後に出雲族が来て治めていて、そこに王国がありました。そこを神武達の天孫族が奪い、多くの出雲の民達を虐殺した歴史があります。
 剣山には北イスラエルの10支族が日本に来て住み付いていました。出雲にはドラヴィダ人がアーリア人に追われて来ていましたが、背が低くて目がパッチリしている人種です。天皇家も何代か出雲族の女を娶っていました。
 日本が興る時、各地で先住民の虐殺があり、その怨念が日本中に残っているのです。戸とは呪術で、スサノウが神富を貶して糞戸(ふんへ)したことが記されています。

 2014年の剣山から2015年には出雲へ行き、今年、2016年、5月28,29,30日の三日間、には北海道に「封印されたアイヌの怨念の鎮魂の旅」に行ってきました。
 口羽和尚、アイヌの長老のアシリ・レラさん達と、300人以上のアイヌが虐殺されたという岩内で儀式をしました。滝があり清浄な小川が流れ、とても美しい景色のところですが、やはり気配はとても重苦しい。昔、日本の僧侶が建ててくれたという小さな祠があり、その前でアシリ・レラさんと口羽和尚と天外伺朗が儀式を行いました。
 終わったらレラさんは泣いておられた。小川を渡ってみんなのもとに行き、「とてもうまくいったよ」と報告したとたんに雲もないのに青空から細かい雨が降ってきました。レラさんは「ああ、喜びの涙だ・・・」 と言いました。
 和人の攻撃を事前に知らせてアイヌを救った和人の鷹匠、越後庄太夫が、見せしめのために生きたまま焼き殺されたという崖の上で儀式をしました。アシリ・レラさんの祈りと口羽和尚の施餓鬼供養の間に、天外伺朗のパイプセレモニーを行いました。アイヌの虐殺に抵抗して殺された日本人の越後庄太夫が浮かばれたようです。(シャクシャインは1669年に起きたアイヌ最大の蜂起と言われる戦いの主導者で娘の夫が越後庄太夫。)
 大勢の人が祈りに来て、太陽の周りに日輪が出来ました。鷹が空を舞う時に死ぬと言われますが、火あぶりにあい、祝詞を唱えて焼かれたそうです。

 私がパイプセレモニーをした時に祝詞の声が聞こえたと何人も言ったですが私には聞こえませんでした。するとアシリ・レラさんがセレモニーを途中で止め、アイヌの毒殺されたシャクシャインが来ていて、口羽和尚の前に座っている、と言ったのです。そしてレラに、「私の祈りの言葉がわからない」、と訴えたようで、レラがシャクシャインにアイヌ語で説明していました。その後、シャクシャインは納得して越後庄太夫の後を追って、浮いて行ったようです。シャクシャインは首が無い姿だったそうです。他の2人も来ていたが和尚の前に座っていたようです。
 目に見えているこの世界の裏側で、私には見えない厳粛なドラマが進行していたようで、 私はただ、パイプを持って祈るだけでした。
 2017年の祈りの旅は東北になります。5月20日から22日ですが、明日のセレモニーはその前哨戦の様にするつもりです。私は、なんちゃって長老なので、こんなことになるとは思っていなかった。
 しかし、この祈りの旅は私が生きているうちには終わらないと思う。これを継承してもらう為に、このワークを語り継ぐための記録を残すことにし、吉岡監督に映画を撮って記録して行くし、もうひとつは、悟東あすかさんに漫画を描いてもらっている。」
 詳しくは以下をご覧下さい。


2017年6月3日土曜日

959「佐賀中心3」2017,6,3

 10時半を過ぎて、皆さんで儀式の場、弁財天を祭るお堂に向かいました。快晴で日差しの強い中、山への登りは些か暑く、難儀です。
 途中に藤の綺麗な花が出迎えてくれました。


 お堂には15分程で到着です。暫し開始時間まで自然の英気を頂き、太陽の光の恵みを楽しみ、写真撮影です。



  弁財天のお堂を丸く囲む様に38名の方々が配置に付きました。お堂の正面には3名のN様方が並び、11時11分儀式開始で皆さんとあわ歌を響かせました。


響き終わって、中山さんからお言葉が発せられました。
 その時のお言葉です。
「まずもって皆々様へ、ありがとうございます。
 古き深き大いなる真、見事に守りた多くの方々、御礼申す。
 遥かなる方と、大きな縁結びて、この地球を守り来たり。
 大いなる働き讃えましょう。
 是より参る新たなるは、その大き真をしっかり現す。
 皆々様、お一人ずつの大いなる働きが、
 この地を活き活き、新しきと致します。
 よくよく知りて、その身の全て現して、
 是より宇宙とひとつと成られませ。
 大いなる始めを共に喜びます。
 ありがとう。」11:33






 皆さんで記念撮影です。帰りはのんびり下りです。途中の素敵な滝で涼を頂きました。


 途中の湧き水のあるお寺を過ぎて、広い道にでて空を見上げると、雲が波動のように細かい波紋を描いて広がる様が見えます。先ほどの儀式のあわ歌の響きは、この地の中心から発せられ、自然が感応して現象化して私たちに知らせてくださったのでしょう。



 何とも不思議な事です。多次元世界と三次元世界が明らかにリンクして呼応し連動しています。中山さんを鏡として行なわれている摩訶不思議な世界です。


 下山してお店では主催者のNさんからの直來の肉うどんが振舞われていました。わたしも頂きましたが、流石に評判の手打ちうどんで美味しいのです。私はどちらかと言うと蕎麦好きで肉をあまり食べないのですが、この肉うどんは驚きの味でした。汁も飲み干してしまいました。参加した38名への大きな御至源なのでしょう。
 お言葉にあったように、参加した38名は「皆変わり、多くに散り行き伝え、来る年には大きなる仕事なり。」です。

 うどん店では2時から中山さんのあわ歌会が行われます。遠来の仲間の面々は地元の方のガイドで巨石パークの巨石散策に出かけられました。私はレンタカーで福岡空港に戻り帰路に付きました。
 あっという間に終わった、佐賀の中心での素晴らしき響きでした。

2017年6月2日金曜日

958「佐賀中心2」2017,6,2

 5月5日は10時に佐賀市大和町の巨石パーク入り口にある手打ちうどんのかつみ屋さんに集合しました。
 Nさんの経営するお店で、ここで中山さんのあわ歌会が定期的に開催されていて、そのお話は何度もお聞きしていましたが、訪れるのは始めてです。10時10分程前には既に沢山の方々が集まり、私の到着と同じくらいに中山さん達もタクシーで到着しました。

 中山さんに2016年12月に以下のお言葉がありました。
「新たになりたる時は、集まり来る38人。
 丸きとなりてこの身を囲み、しっかり受けて、皆変わる。
 この方、多くに散り行き伝え、来る年には大きなる仕事なり。
 この身が発する音、都度変え行きながら進めまする。
 この事、大きなる宇宙の皆がただただ願う。」

 受付を済ませ、中山さんからNさんを紹介されましたが誠実そうな、真面目な方です。あわ歌の常連の顔見知りの皆さんも居て、いろいろお話して開始を待ちました。
 今日の参加者はキャンセルがあり38名とのことです。驚きの神仕組みです。今日の儀式の意味も含めて、遠大な神計らいが巡らされているのでしょう。何しろこの地をNさんが見出して22年に亘り大切に守り続けてきているのですから。

 中山さんが挨拶をなさいました。
「北からの流れをしっかり南へ伝えて、最後は南極まで送り届けることになります。これまでは地球を巡り東西は結びました。そこを安定させた上で、南北の極を整えることになります。先ずは日本の底を流れる地底を安定させること。
 そして今日、ここで中心を定め、整えることを行います。」

 ロシアのウラル山脈と佐賀県の天山を結ぶと、ウラル山脈・アルタイ山脈・天池・鷹島・天山がほぼ一直線に繋がり、5月5日は始めの儀式になります。6月4日には鷹島で次なる儀式が予定されています。大きな節目の、新たなる始まりの大切な儀式です。

 この中心を見出すにあたり2016年7月から幾度かお言葉がありました。
「中心あやうし。支えを成して、再び戻す大仕事」7月

「この国の中心、いや増す力をこの地球に降ろし、天地と人の大仕事致すなり。」9月

「その中心に光りを放ちて、皆々大いなる喜びぞ。ふつふつなる地なり。」9月
「この身は中心にて響きを発す。その時なり。参られませ。参られませ。」11月

「中心 せだなる地にあり。これより43日の間にきっと分かります。
 その時、この身の発し行く光は最大なり。その地に深く入り行き、ひとつと成りて参る。」11月

 更に12月には中心に付いて以下のお言葉です。
「中心見据えて光りを呼び、この身の響きを乗せ行くことぞ。」

「古き大きなる中心、この場の深き、広きにあり、揺らがぬ大きなる地なり。」

 この地を夢見、感応で探し当て訪れて来たというN女史も挨拶なさいました。
「22年前、除福が祈った観音様を夢で見ました。上の山に更に観音様が埋まっているので掘るようにと言われました。
 その場所を5日間かけて、夢を見ながら探し出したのです。そして煙の立つ時に掘り出しました。ペトログラフの岩でシュメールなどの人も大事な岩だと分かっていて、そこで世界平和を祈っていた処の様です。ペトログラフの吉田先生も来て下さって助言を頂きました。」



 最後にかつみうどん店主で今回の催事者のNさんが話されました。
「今日は集まり頂きありがとうございます。いろんなご縁を頂き今日を迎えることが出来ました。
 この地には、南極、北極、中極と言う所があり、中極と書いて「中国」と読ませています。不思議な地名です。
 12月25日のお言葉に、アラハバキ緩めて西へと出ました。
 山のそこに湧き水があります。すこし山に登って弁財天のところで儀式をやりますので宜しくお願いします」

 お話頂いた今回の儀式の中心のお三方は、イニシャルはNです。女性のNさんは中山さんと同姓です。北と南、陰と陽の組み合わせです。
 駐車場にはナンバーが1と111の車が駐車しています。始まりに相応しい数です。


2017年6月1日木曜日

957「佐賀中心1」2017,6,1

 2017年も、はや5月も終わります。日々の波乗りの時間の速さと、悠久なる大いなる時間の流れを感じ、今の自分をふと思う時、見直し、生き直しをしながら活かさせて頂だく、大いなるいのちに感謝です。
 暫く前のことに成りますが5月5日に行なわれたあわ歌の佐賀での儀式に参加してきました。その時の事を簡単に触れてみたいと思います。

 あわ歌はお陰様で、中山博様とのご縁で10年以上に亘り楽しき、面白き世界を享受させて頂いています。しかし、最近は天命塾主催の会だけで、他の地での会には参加出来ずに居ました。今回、佐賀での儀式のご案内を頂き参加してみようと思いました。それは以下の様な経緯があります。

 最近は、中山さんからのお言葉により、北の地の気を整え、南、西へと送り、この地もかの地もひとつに成し行くこと、が求められています。天命塾のあわ歌の巡りで成された事は是までもこのブログで紹介していますので参照ください。
 その中で北の中心は岩手県の早池峰山と特定し、2017年の2月11日12日の巡りの中で以下の様なお言葉がありました。

・早池峰神社
「新たなるへと参る、北よりのこの宇宙の気は、遥かなる南へと繋ぎて参りて、しっかりと柱と致すなり。
 三本ありて、その一つなれば、ここより皆々発して、繋ぎて参られませ。
 うるう、この身は共々参る。」

・巌龍神社
「来たる日には、大きなる北の力を注ぎて参る。
 この地で受けて、683キロ飛ばして、発して届けられませ。
 大きなる流れと成り行きて、この地球の力なり。よくよくお頼み申す。」

・立石神社
「たらりこ たんたんたん たらり
 日は昇り来て、この地を照らし、大きなる印を皆様に伝えたり。
 響きと共に、これより発して、この地球を支えまつらん。
 皆々様、お頼み申す。晴れ渡る、嬉しきへ。」

・龍神穴瀧
「大いなる響きを伝え行くは、
 この地の底に流れ来る、大きなる流れが響きと一つに成り行く事なり。
 この流れ、地底にて滞りてある。
 響きを南へ流し行き、この地の流れも共々に成らんと致す。
 響きを、響きを、響きを、流されませ。」

・立石山 二本立石
「飛び来たりたるは、大きなる身なり。
 これより南へこの響き、この光、持ち行くなり。
 ここより発する気を送り、北の地底の気を届け、
 合わさりて、渦となり、この地球の流れを真へ戻す。」

 これらを受けて、中山さんは栃木県那須茶臼岳、石川県白山の白山比咩神社、鹿児島県奄美大島、沖縄等での儀式を行って来ました。元々は、以下の経緯があります。

 2014年11月20日のお伝え「ウラルアルタイ ソンダロイ タルタン・・」から始まった巡りの旅は、「教えの元を正しくただす」巡りから「この地の中心を探す」巡りに広がりました。
 そんな中に、2016年12月16日に佐賀県のNさんに出たお伝えに「ウラルアルタイ、天池天山・・」のお言葉により、その中心が佐賀県の彼の地と特定が出来ました。

2016年12月16日
「ウラル アルタイ 天池 天山 この地にうつして永きにわたりたり。
 よくよくここを大きく開きて、この地球の大きなる中心と成し行く時を迎えたり。
 開きて、伝えて、皆々集めて、大いなる披露目を来る年、5月5日
 始めの時、11時11分行なうなり。大いなる御用意 その身をなさりませ。」

 是まで諸々の経緯を踏まえ、このお言葉により、佐賀県の天山や巨石パークのある山、20数年前に不思議な出会いから発見された水涌き出でる地が、探していた中心と分ったのでした。
 この地はNさんが大切に守り続けてこられた地で、長年にわたり、全国から突然不思議な方々が来られ、大切な、強いエネルギーの地であると言われたそうです。Nさんはそれを信じて常に前向きに、皆さんに楽しんで頂きながら守り続けて来た地だそうです。