2018年5月7日月曜日

1297「扉開き1」2018,5,7

 ゴールデンウイークも終わりました。充実した中に英気を養い、次へと繋がる諸々の下準備、用意も出来ました。全てがお陰様です。
健康に元気に、己が思いが叶い、将に自由に思い通りの日々を過ごせて、皆が豊かで幸せで、世の中が安泰で調和良く進展があればと思います。しかし、それが継続し持続可能の為には大いなる想造主、人類宇宙自然から各個が認められ必要とされることが前提のように思いますが、かなりハードルが高いようです。
 今必要と思えることを精一杯して、両親始め先祖、多くの無形存在の御恩徳に生かされてあることに感謝し、いのちを頂いた原点、誓い願った己のこの人生の意味への意志を持ち、意味を改めて問う日々です。そして至らなさを反省しお詫びと感謝で又再スタートです。

 かれこれ1ヶ月前にありました中山博さんのあわ歌会、毘沙門・妙見の旅2の様子を紹介します。

 2018年4月6日はあわ歌会です。しかし私はその日に急な用件が入り15時半から私が懇意にしているK弁護士に相談に行く事になりました。直接私が関わった事ではないのですが、ちょっとした契約の調停事案の相談です。法律に関しては専門家の意見は不可欠です。お陰様で展望も開け方針が定まり先ずは一安心です。そんなことで私のあわ歌拝受は最後の方になりました。あわ歌の響きはまた変化しています。頂いた後のお言葉です。

「貫くは如何なる事や。
 この時には多くの事ごと参り来て、遥かなるへの道を示し行くなり。
 移り来る響きに乗り行くや、はた又、あなた様の想いの中に入り行くや。」




 はた又、と問われていますが、如何なものでしょうか。果たしたどのように成るか、今は分からぬことです。

 既に拝受を頂いていたTさんのお言葉です。
「踏み出だされたるうるうの身、よくよく写し晴れやかに、
 生まれ来る事知らせ行き、白き布かけ、
 真への導きなされや。」


 そしてこの4月に転職して福島の村興しに関わる事に成っているK、Oさんのお言葉です。

「隠れておる美しきを現されるその身、
 是よりは、この泡沫とは離れ行きて、
 淡々と、ゆるゆると為さり行きて、
 その身の真、見せなされ。」
 貴重なお言葉でそれぞれタイムリーで心に響いたようです。これからの活躍を期待したものです。

 更にK、Hさんの拝受のお言葉です。
「お分かりの事と思われますが、全てはあなた様のその思いの中
 伝わり来るも、この大きなる宇宙へ来るその思い。
 よくよく分かりて参ります。
 篩いは大いなる時迎えまする。
 良くその身を保ちて下され。」

 篩いは大なる時を迎えるとあり、その身を良く保つようにとありますが、これは多くの皆さんに共通することに思います。

 あわ歌会も終わり、その後に唱和会で皆さんとあわ歌を2回響かせました。その時のお言葉です。
「これより2日の間に、大きなる響き参り来る。
 皆々様方、しっかり受けて、その身で天地結び行かれ、
 新しきへの扉開かれ。」


 明日からの毘沙門・妙見の旅2の中に起こる事の様で、「大きな響きを受け、その身で天地を結び新しき扉を開くこと」が求められています。
 唱和会の後は最近恒例になったお蕎麦屋さんでの食事会です。中山さんも最近食欲が出てきているようで以前より沢山召し上がれあれます。どうやら関わる無形存在が直近で変わってようです。ですので前回の巡りと今回は果たして如何様な変化があるのか楽しみです。

2018年5月6日日曜日

1296「爽快3」2018,5,6

 引き続きO農場長の「仙台テンメイ農場の展望」と題してのお話です。


「今日は12回目の総会を開催出来ました。仙台テンメイを始めた頃は50歳代後半だったのですがもう70歳代に入ることになります。家庭菜園レベルで始まり、こんなに大きくなるとは思いませんでした。農業指導して頂いたTさんのアドバイスで続けてこられています。ありがたいことです。
 1昨日、鉄道会社に勤務時の学校の同期会が新潟であり参加してきました。60名の内20人が集まりました。私は20歳で入り最年少で、同じ年の人が6人いましたが後は6歳くらい上の人達で、今は皆楽しんでいる人が多いです。その中で農業に興味を持っているのは4人いて、その内の1人は農業者の手になってきたと喜んでいました。一昨年は仙台で同期会をして、翌日名取農場で見学会、餅つきをしました。その中の1人に野菜セットを送りましたが興味を持ってくれました。
 会員の方に野菜を定期的に送っていますが、アンケートでテンメイ野菜は美味しいとあると嬉しいです。同期の方々は70歳を過ぎていて、朝食後に皆さん薬を飲んでいます。そこでどう健康にして行くのかのお話しをしましたが、病気にならない生き方が大事だと思います。
 農場の畑の点描をお話します。(省略)
 植木の選定ですが、10年過ぎて木が大きくなり時間がかかるようになってきました。自然の中での展開、変化はあり、そこにどう関わるかで良くもなり、又消えても行きます。植木は勝手に変えられますが、この世も如何様にも変えている人がいます。
 その環境を良くするのにどうするか。その為には現場を見に行き、そこですることが大事です。そこでイメージを作る事です。各自にそれぞれの得意分野があり、自分の役割をやっていければ良いと思います。各自のその器に応じてで良いのですが、小さな事をちゃんと出来ないと大きな事は出来ません。そして自分相応に能力を発揮して行くことです。そして気心が知れた中で楽しく過ごす事で、そこに向かって楽しんでやって行く。これから10年経って畑は次へと引き継げることが出来るかなと思います。
 今後、農場では乾燥場を作りたいし、後はハウスの水やり器、堆肥場に屋根が欲しいです。今は野ざらしなので水分調整が出来ないので微生物の動きをコントロール出来ていません。
 楽しい事をやりながら、1つのことで纏まっていくのが良いとおもいます。目標は村作りですが、人が集まり、食べる為に農場が必要で、住む所、作業場、学校などなど。皆、少しずつ作って行く中で、自分の特技を活かせていければと思います。
 70歳過ぎになり、もし労働が出来ないとしたら好きな事をする。そのイメージは膨らんでいます。土台は環境をどう作るかで、そこには生体エネルギーの学びを生かしていくこと。我々が必要とするものを纏めて築いていく。1人では出来ないので共鳴する皆さんと共にやって行きたい。今はその途上だと思います。
 このような場を与えてもらえて良かったです。このようになるとは思っても居なかったです。先ず実践する事が大事だと思もいます。」
 引き続き農場長には元気で楽しく場作り、人作りをお願いしたいです。

 1人30分の持ち時間も足りないくらいです。最後に私が纏めの様なお話をしました。
 人との縁は不思議で、ありがたいものです。共通の目的、理念、価値観を共有し、実践しながら切磋琢磨して、共に活かし合い、高めあう仲間は貴重です。気付いてみると健康になり、各自各様の持ち味を発揮出来て、まさに一品持ち寄りで場の活性化に繋がります。この場での当たり前は新たな視点を生み、確実に進展していくことでしょう。人類宇宙自然に求められる存在、仲間の世界の構築です。

 研修会後の食事会、交流会も和気藹々と楽しく出来ました。総会後の研修会では若手の登場があり、彼らの爽快なお話もあり、お陰様で楽しみな善きスタートを切ることが出来ました。嬉しき事です。その場に花を添えるつもりで、私の秘蔵の生体エネルギーの特別な玄米のお酒、「十全」と「やすらぎの雫うめ酒」を提供しましたが、この爽やかな春の目出度き日に皆さん大喜びでした。



2018年5月5日土曜日

1295「爽快2」2018,5,5

 続いて、Sさんの登場です。題は「私とテンメイです。」


「私は天命塾とある意味で運命を感じています。2年前から天命塾に参加するようになりました。生体勉強会、塾ゼミには毎月、皆勤で参加しています。それ以外のオープンセミナーで澤野大樹さん、木内鶴彦さん、はせくらみゆきさん等は全部参加して来ました。
 私が働いていた店では出勤が不安定な人は扱い難いようで、私は自由にしたいし、保証が無いけれどこちらに参加する事を優先したいと思っていました。そんな時に2週間後で解雇を通知されました。それは良かったですね!という事で、高柳亭に引っ越す事になりました。
 不安はありましたがこれまで逃げて、言い訳していましたが、その事を受け入れる事で次の扉が開く事が出来る、その事を天命塾で学ばせてもらっていたので、笑いながら解雇を受け入れました。それが前提で高柳亭に住んで今は別の仕事が出来ています。クビになって良かったと思います。
 今回、この研修会で話して下さいと言われましたが、その時、自問自答したら「廻れ」と答えがありました。この天命舎は鏡です。澤野さんの言う、多次元(潜在)と3次元(顕在)の接点の鏡です。
 仙台の街の六芒星の中心、「鏡を磨きなさい」そこを磨かないと自分の意味が無い。それで六芒星周りをしました。青葉神社、大崎八幡、東照宮、青葉山護国神社、愛宕神社、榴ヶ岡天満宮。1つ1つ巡り、そして今日巡り終えました。
 今日の話しはぶっつけ本番でやれと思いました。是までの自分とは違うし、2年間訓練させられてきているので素直にやったら良いと感じています。今蕎麦屋のお店で働いていますが、全国日本一のチェーン店になったということで社長のインタビューがありましたが、創業の時の苦しい事を乗り越えられここまで来たと言います。
 私は今働きづくめですが体が動くし、楽しんでいます。高柳亭で眠り、身体を休められて目覚めがよく体が回復して戻っている。善循環でエネルギーを頂いているようです。仕事も身体も良く、喜ばれるものを提供して行く中で、組織や経営を学びたくて今になっています。顕在意識から言うと真逆なことですが、今はそんな感じで良い状態です。農場の手伝いが出来ていないのが申し訳無いです。
 生体エネルギーのこともしっかり理解出来ていないですが、他の事も取り敢えず聞こうと参加しています。そうすると行動、視点が変わると感じています。映画館でリーフレット置いてあるがそれを見て、今の受け止め方が違う自分に気付いていて、視点が変わって来ています。
 今の目的は「私の喜びは皆様の喜び。皆様の喜びは私の喜び。」です。
 今勤務しているお店は、それまで市内4店あるチェーン店の中で最低の売り上げでした。しかし私が入って直ぐに売り上げが伸びだして、今年売り上げで4店の中で1番の店になりました。店長から「Sさんが来てから売り上げが上がったね!」と言われました。
 天命塾で勉強したことがあります。そのことで私の言葉が変わって来ることで、相手、お客さんの応対が変わってきました。それは勉強しているから出たと思います。ですから売り上げが上がってくるのは当然だと思います。
 力が無く、お金の無い人間でも体を動かすことが出来ます。常連客、新規客に挨拶はしっかりしています。他の従業員はそれが未だ出来ていないのですが私は繰り返しやっています。こだわりは休まないこと、繰り返しすることで、そのことが仕事の場で出来てきています。
 高柳亭に住んでいて気が休まる事がありません。塾長の教えから外れると居れなくなるし、天命塾の光に影差すと居れない、と思っています。しかし光に同調出来ると他に何と言われても出来るように思います。
 やがて蕎麦を栽培、生産し蕎麦を打って食べてもらえたら面白いのですが、今は経営や管理を学んでいます。その実践をする学びの場を頂いていることに感謝をしています。
 所ジョージの番組で「ダーツを投げて」で四世代暮らす家のおじいさんが「土一升、米一升だ。」と言っていました。土を作ることが大切です。そして「健康の前に健全に。」です。食べる前にどうにか場を健全にしないと意味が無いです。
 身体の健康が必要ですが、その前に考え方を学ばせて頂いています。天命塾での生体エネルギー、その他の中で、あわ歌も中山博さんからの言葉等でも「ふらふらせずに」と言われていますが、今はそういう時期かなとヒントを頂いています。これからも宜しくお願いします。」
 引き続き学び、実践し能力を磨いて喜びの日々を過ごし、共に大いなる場を成して下さい。


2018年5月4日金曜日

1294「爽快1」2018,5,4

 4月を向かえ新年度がスタートしました。私が代表を務めているNGO仙台テンメイも12回目の年度となり総会を迎えました。10年一昔と言いますが、あっという間と言う感じです。創設時のお世話役の役員の顔ぶれも半数以上が入れ替わり、今なお楽しみを継続している方は私と、副代表で農場長のOさん、Tさん、Kさん、Iさんの5人でしょうか。何事も新陳代謝は必要でそれが活性化に繋がります。
 そもそもNGO仙台テンメイの設立の機縁は木内鶴彦さんとのご縁で、木内さんが全国の目的を同じくする方々との連携を計り活動を開始する時に、賛同して仙台天命塾の面々が手を上げたのです。NGO仙台テンメイは2007年3月3日にスタートしています。

 第12回総会は4月14日15時からありました。議案は原案通りに可決承認頂きました。ありがとうございました。110名ほどの会員の皆様の協力、ご支援で今年も楽しく活動ができます。

 毎年、総会後には研修会を開催しています。是までは代表の私と副代表、農場長のOさんのお話でしたが今年は若者達の登場で新鮮な研修会になりました。その様子を紹介します。

 最初はテンメイの若手ホープNさんです。演題は「農業への夢と実践」です。


「テンメイ名取農場の高柳亭に住みだして1年半になります。午前は農場の手伝いで、午後は自分の畑の農作業やヤマトの宅配の仕事をしています。
 大学を卒業してサラリーマンをしている中でこの世の真実に触れる機会があり、今のピラミッド社会から脱出したいと思い始めました。サラリーマンを8年ほどやっていた2012年頃です。
 天命塾のはせくらみゆきさんの講演会に2013年に参加し、O農場長とお話をして農場に遊びに行きました。大和農場のじゃがいもの植え付けを手伝いましたがその時に雷が落ち、リアルな自然を体験しました。それに比べてサラリーマンはエネルギーが枯渇していて、何か嘘を感じていて農業に興味を持ちました。
 自分で実際に農業をしたいと思い、仙台市内の六丁の目に5m四方の農地を年15000円で借りて、家庭菜園を始めました。翌年テンメイの農業勉強会で生体エネルギー農法の指導員のTさんの研修を受けました。
 農業は生きる上で1番大事なことです。土が大切で土作りを人間が出来ていないと駄目です。それは生体エネルギー準拠位置で決まりますが、栽培者の思いが大事で、素晴らしい先生に教えられました。2年ほどテンメイ農場の手伝いをしながら学ばせて頂き、最終的に脱サラをしました。
 2016年8月に会社を辞め、農業へ本格的に取り組み始めました。最初は会社を辞めてやっていけるのか不安でした。当初は農場長の紹介でテンメイ農場の近くに800平方メートルの畑を借りました。秋作から始めましたが、畑の状態が駄目で、水捌けが悪く、冬に藁をすき込み、クローバーを植えて土壌改良しました。それで6月から収穫でき、どうにか出荷出来る様になりました。今は知り合いの飲食店の中華屋など5店、個人10件に提供しています。
 村社会の中で繋がっていて、最初は風当たりが強かったのですが、今は馴染んでやり易くなって来ています。2016年冬からしていたヤマトの宅配の仕事を2018年5月で辞めて、農業に専念するつもりです。収入は減りますがカバー出来ると思っています。
 今の目標は農業をして、趣味のサーフィンをやりたい時にやれる環境を作ることです。やりたい方向性が決まったら手の届くことを先ずやることだと思います。小さい所から始め、夢を掴んで行く。そうして必要なものが必要な時に手に入ると思います。お陰様で畑も広く出来てきました。必要な畑を借りられて、手伝いが入って来て、心配しなくても準備がされて行くと思います。
 無農薬の野菜を多くの飲食店、そして個人の方でも求めている人が多いです。美味しいと言われます。しかし野菜は駄目になるものも多く栽培に時間がかかります。今4000平方メートルありますが5000平方メートル位にしたいと思っています。大豆、小豆を植えて収入上限に行ったら、そこで拡大は止めるつもりです。そこでクオリティーを維持して行きたいとおもいます。
 今、一緒にやってくれるパートナーが欲しいです。ヤマトをやめて余裕が出来ますが1人だと後、2,3年位かと思います。今の納入先に欠品を出さない様にすること、期待される事は責任が大きいです。
 堆肥作りに生体エネルギー資材を使っていますが堆肥の発酵が早いです。腐葉土に油かす、籾殻を混ぜていますが嫌気性発酵をすると駄目です。そこに生体資材のAECを1握り入れて100リットル加えると硫黄の匂いがして発酵が2,3日で驚くほど進みます。今年は圃場に底力、真和X、AECを使い、しっかり目標を立ててするつもりです。畑の環境を良くする事で身体の調子も良くなるし、取り組みの姿勢で出来ると思います。
 精神世界のことは、最初はバシャールの本でした。そこからエハンデラピィを知り、それからはせくらみゆきさんに至り、仙台テンメイに辿り着きました。
 仙台テンメイは居心地が良く、考えの方向が同じですが、必要な所を取捨選択している状況です。横の繋がりが大事で、1人1人が必要な事に取り組み、続けて行くことで、元気な人になり、エネルギーが高く成っていくと思います。個人が独立して参加し、ゆるい形で繋がり、輪を形成して行くことが大事だと思います。」
 これからも我々の思いを繋いでいって欲しいと思います。

2018年5月3日木曜日

1293「三陸17」2018,5,3

 今回の巡りの最後の訪問地は同じ田野畑村の鵜の巣断崖展望台です。三陸海岸の特徴は以下の様です。
「三陸海岸の景観としての特徴は、宮古地区を中心にして北と南では大きな変化が見られることです。簡単に説明しますと、宮古以南の海岸は地形が沈降し入り組み典型的なリアス式海岸の様相ですが、宮古以北の海岸は海底が隆起して作られたために、容易に人を寄せ付けない断崖絶壁的な海岸線が見られます。」

 鵜の巣断崖展望台の紹介です。
「北山崎とならぶ北三陸を代表する景勝地。足元がすくわれるような圧倒的な高さが特徴で、崖の中腹にウミウの巣があることにその名を由来します。弓状にえぐられた高さ200mもの断崖が5列に連なる様は、さながら巨大な屏風を立てかけたよう。波打ち際の砂浜に現れて消える白波の美しさも印象的です。
 この壮大な景色をヒントとしたとされる吉村昭氏の「星への旅」の文学碑もあります。島越駅から車で15分。また海岸つたいに島越までの遊歩道が通じています。」

「鵜ノ巣断崖一帯は、三陸海岸北部に見られる典型的な隆起海岸地形である。これは、一帯を構成する北上丘陵が、長い年月を経たことで海岸段丘面の波食の作用を受け形成されたものである。海岸段丘は、波食が緩やかな場所では低地部が残存したりするが、三陸海岸北部一帯は海流の影響などで波が荒れやすく海食、とりわけ波食が活発であり、また太平洋に面しているため、地震活動による津波の影響も受けやすい。
 そのため、海岸段丘面の下部がほぼ全面に亘って削り取られたような形となっている。それゆえ、頂上部は平坦な丘陵地帯を形成するのに対し、ほぼ垂直に切り立った崖が展開される。また、このような作用から、この鵜ノ巣断崖はほぼ規則的に鋸歯状になっているのも特色である。これは、比較的脆い地盤が波食の作用を受けると、削り取られて窪んだ部分に波力のエネルギーが収斂されるからである。」
 詳しくは以下のサイトをご覧下さい。
 http://www.uchinome.jp/nature/land/2008/land28_1.html

 駐車場から林の中を少し歩きます。程なく太平洋が正面に広がり展望台から壮観な北の海岸に断崖の連なりが見えます。暫し北三陸海岸に男性的な姿を堪能しました。




 時間が押してきています。龍泉洞も計画にはありましたが帰路に着く事にしてキャンセルです。国道455号線で盛岡市に向かいますので途中に岩泉町を通ります。岩泉町に入って車窓から宇霊羅山を見ることが出来ます。  
 「宇霊羅山(うれいらさん) 標高604m
 日本三大鍾乳洞の一つとされる龍泉洞の真上にそびえる山。さほど高い山ではないが、北上高地唯一の石灰岩台地の断崖絶壁が南斜面に広がる。山頂から岩泉町中心街を直下に見ることができる。石灰岩地帯にあり、多くの固有植物が生育する。宇霊羅山自然環境保全地域。安家石灰岩地帯にあるカルスト山地。東西に続く稜線の両斜面は急峻で、北東斜面には龍泉洞などの多くの洞穴がある。
 「ウレイラ」とはアイヌ語で「霧の多い山」、あるいは「ウレ=集落の背後の高い山、イォロ=岩山」の変化したものといわれているが、北東斜面に多い洞穴と関連する伝説もある。」


 途中の岩洞湖はまだ全面氷結していました。春はまだまだ先です。

盛岡市内に17時前に着いて喫茶店で最後のミーテイングで、感想をシェアしました。ほとんどの方が初めて訪れた所ですが年度の始まりで善き出逢いに恵まれた旅でした。
 木内さんの最後のお話です。
 「かつて桜市での一揆を止めた桜惣文?、本名木内惣五郎?という方がいた。私の先祖で縁する人だ。権力を自分の思いのままにした人達がいたがもうそこから脱出しないと駄目だ。今回いろんな文化を見たが感動した。リアス式海岸も興味あったが観れて良かった。
 陸地での身内の繋がりと海の人とは違う。かつて老後は身内が見る仕組みがあった。私も父の介護をしたが苦労ではなく、介護することが楽しかった。これからの老人介護も叡智を持ってやって行く必要がある。
 今回いろいろなヒントがあり、こらからの課題になった。これまでお金が無い無いで苦労してきたが、今激変が来るとなったら怖い気もある。これからは会社として、地域の文化としてやっていく。職は各自の持つ技術をこのグループに提供してそれで給与を得ることになる。お金の有効な使い方をしていき、新たな革命、地球を守る為に何が出来るのか。環境を守る産業、これらへの研究をし、データーを集めて実践して行きたい。
ありがとうございました。次回も楽しみにしています。これからも宜しくお願いします。」


 盛岡駅で2名の方が下車して一路、仙台に向かいます。仙台駅に予定の19時半頃到着しいつもの駅中の中華屋さんで晩餐会で今回の旅は全て無事に終えることが出来ました。


 私にとって三陸三閉伊一揆のことが帰って来てからも大きな学びになりました。これから先人の叡智を活かすことが出来ればと思います。


2018年5月2日水曜日

1292「三陸16」2018,5,2

 一揆の指導者となる不可欠の資質は「豊かな人間観と人間像」です。一揆の指導者たちには、非常に魅力的で人間的な人が多いんです。字の上手な人もいる。絵の上手な人もいる。芸達者な人もいる。大酒飲みもいる。武術が達者な人もいる。足が非常に速い人もいる。演説が得意な人もいる。いろんな人々が、さまざまの能力を発揮することが、一揆には必要なのです。
 三閉伊一揆の指導者たちはそれぞれ魅力的で、上は七十五歳から下は十九歳までいた。その代表的な一人が栗林村の三浦命助です。彼は、一揆が終わった数年後に、別件逮捕され、拷問、弾圧されてついに獄死します。彼は獄中記でこんなことを書いている。「人間と田畑を比ぶれば、人間は三千年に一度咲く、優曇華(うどんげ)なり。田畑は石川原のごとし。石川原を惜しみ優曇華を捨てるがごとし。右の通り大誤りをいたしべからじ候」と。もしも家運が困難になったら、財産である田畑、田んぼや畑を売ってもかまわない。しかし、命を捨ててはいかんぞ。人間は三千年に一度咲く優曇華だと。いい言葉でしょう。この人間賛歌こそが一番大事なんです。これが彼が命がけでたたかった原点です。
 
 そして、この三浦命助の言葉が深い意味を持っていることは、嘉永一揆の際、一揆の指導者だった田野畑村の多助が、勝利する数日前に「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のことなれば、今更命惜しみ申すべきや」と語っていることと合わせて考えるとよくわかります。
 仙台に数カ月間も滞在していると、一揆の指導者といえども不安がつのり、家族のもとに帰りたくなる。そこが正念場なんですね。そのときに多助が仲間を前にしていうんです。とにかく四十九カ条全部を通して、「一人も処分をしない」という証文を取り付けて、完全勝利の保障ができなければ、俺たちは帰ってはだめなんだ。一カ条でも半端にして帰ったら、前と同じように南部藩はご破算にする。せっかくここまできたのに、俺たちを送り出した家族たちや仲間たちのためにならないだけでなくて、「後世の物笑いになる」と。
 「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のこと」は特攻隊精神ではないのです。田野畑村多助がいったのは、たたかいの指導者としての誉れ、プライドです。「俺たちは人間なんだ。人間としての誇りのためにたたかう。そのための命なんだ。命を大事にするために命を捨てることもある」といったのです。この時に、「俺も命は惜しくない」と賛同した命助が、家族への遺言状に「田畑を叩き売っても、命を捨ててはならぬ。命を惜しめ」と書いているのです。
 
今、三閉伊一揆から何を受け継ぐのか
 三閉伊一揆は、わが国における民主主義と自治の伝統の輝かしい金字塔だと思います。この一揆の教訓から学ぶ一番大きなものは、人間の生命の大切さ、心の豊かさです。今、このことが問われている時代ではないでしょうか。生産人民が、生産者の自覚と誇りを全国民と共有するときです。
 本当に安全な人々の命の肥やしになる食べ物を生産する。その仕事に誇りを持ってやる。それは農民だけのたたかいではなく、労働者も企業経営者も、学校の教師も母親たちも、全国民が共同する国民的な運動にしていく必要があるし、その可能性があると思います。
 みなさんが、食糧と農業をめぐる現在の日本と世界の状況をダイナミックにリアルに分析して、豊かで楽しく、ゆかいな希望にみちた、たたかいの展望を解明し、実践されることをご期待申し上げます。」
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200209/2002091610.htm


2018年5月1日火曜日

1291「三陸15」2018,5,1

勤労人民の自覚と誇りが…
 三閉伊一揆の力となった一番大きな要因は「勤労人民としての自覚と誇り」です。
 現在の旧南部領は、宮沢賢治の詩に「寒さの夏はおろおろ歩き」とうたわれているような、冷たい風「やませ」によって、絶えず冷害・凶作に悩まされてきた地域です。たびたびの飢饉におそわれ、餓死した人の肉を食べたり、子どもが産まれてもすぐに殺してしまう「間引き」という、悲しい、つらい歴史をもつ地域です。
 しかし、江戸時代の末期には、日本一の産業地帯になったのです。
 三陸の海岸の断崖の土には、豊富な砂鉄が含まれていた。そこで彼らは、たたら製鉄を行い、その鉄で大きな鍋を作り、海水を煮て塩を作った。獲った魚を塩でつけて干物にした。鉄・塩・海産物を船に積んで江戸まで運ぶ。これが非常に高い値段で売れました。
 この地域の人たちは、困難を克服して築き上げた生産者としての実力、これに大きな誇りを持ちました。一揆を組織するために全領内を歩いた切牛弥五兵衛は村々を巡るときに「百姓は天下の民」「俺たちは殿様の私有物ではない」といったそうです。その誇り、気概、そこから一揆が始まったのです。
 農民連のみなさんは、「俺たちは天下の農民だ」という気概を持たれることが大切だと思います。
 冷害・凶作で餓死者が累々と出たときには、一揆は起こっていません。生活が苦しい、貧しいからだけではたたかいに立ち上がることはできません。人々が立ち上がるのにもっとも必要な力は、人間としての誇りです。生産人民としての自覚、プライドです。それがなければ農民は立ち上がれません。百五十年前の岩手の農民はそれを強く持っていたのです。

一揆支えた自治と協同の力
 そして、もう一つ。目からうろこがとれるという言葉がありますが、私は三閉伊一揆を勉強し、一番感動したのは「自治と協同の力」です。
 弘化四年の一揆のときに、要求書を執筆して捕らえられ、下北半島の突端まで島流しになった安家村俊作という人物がいます。この人は克明な日記をつけています。その中に「家焼失見舞い覚」という記録があります。俊作の家が火事で焼けたときに、村の人がいろんな見舞い物を持ってきた。材木一本、屋根にふく柾(まさ)、茶碗や衣類、ある農民はドブロクを持ってきてくれた。俊作は、家が一軒建つほどの材木や食料を火事見舞としてもらった。村人たちとのそういう付き合い、協同生活が一揆を支えた一番の大きな要因です。それが非常に深く、温かく、強く、醸成されたときに一揆が起きるという思いがします。
 そして、この地域には念仏講、地蔵講、観音講、庚申講、芸能講、伊勢講、熊野講、金刀毘羅講、学習講など、いろいろな講がありました。
 お互いに積み立て貯金をして順番にクジ引きで伊勢参り、金刀毘羅参り、西国巡礼をした。伊勢神宮にお参りした人たちが泊まった常宿があり、そこには当時の宿帳が残っています。六万人分の名簿がありました。当時、南部領の人口は三十万だったから、五人に一人がお伊勢参りをしていた。その中に一揆の指導者たちの名前が入っています。
 三閉伊一揆の指導者たちの会議を南部領内でやったら危ないでしょう。みんなばらばらに出発して、伊勢神宮に集まってそこで作戦会議をやり、意思決定をしたのではないか。彼らは、伊勢参りの途中、江戸ではどうだ、大坂ではどうだと、各地の状況を詳しく見聞し、記録している。
 佐々木健三会長さんから「わが農民連の一番の誇りは、この集会に全国から経験を結集した資料が集まること」といわれましたが、これは非常に大事なことです。たたかうときには客観的、科学的に敵・味方の力関係を分析して、敵の弱いところを攻撃する。絶対に犠牲を出さないようにする。勝利の展望をもってたたかわなくてはならない。勝ち負けはどっちでもいいではだめですね。
 一揆衆は、緻密に科学的に情勢を分析している。そのために彼らは、常に学習をおこたりませんでした。