2021年8月25日水曜日

2435「愛された証」2021.8.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月21日の記事を紹介します。


「愛された証」


今日は鈴木秀子さんのお話をご紹介します。 

鈴木さんは、聖心女子大学の教授をやっていらっしゃった方です。 


<引用開始> 引用元 


もう随分前のことなので記憶が曖昧ですが、私がアメリカのスタンフォード大学で教鞭を執っていたとき、同僚の友人から聞いたお話があります。

スラム街で育った少年とその担任の先生のお話です。


その女性の先生は、少年が4年生のときの担任でした。

クラスの中でその少年だけどうしても好きになれませんでした。

なぜならいつも汚い格好をしていて、授業中はいつも居眠りをしていたからです。

何を言っても反応がないし、疲れ果てたような顔をしていたのです。

ある日、「この子さえクラスからいなくなれば」と思いながら過去の学籍簿をめくってみました。

1年生のときの学籍簿には「優秀で素直ないい子。この学校の誇りです」と書いてありました。

先生は驚いて、今度は2年生のときの学籍簿を見てみました。

そしたら「お母さんが病気になり毎日が大変らしい。それでもめげず、よく勉強しています」とありました。

しかし、3年生の学籍簿には「母親死亡。父親がアルコール中毒になった」と書いてあったんですね。

それを見て先生は、10歳の男の子がどんな毎日を過ごしているか、

その背景など想像もしなかった自分の感受性の足りなさを思い知らされました。

その日は、翌日から長期休暇に入るという日でした。

先生は少年に言いました。

「先生は休みの間、学校に来る日が多いから、もし家にいるのが大変だったらここに来て勉強する?」と。

そしたら彼の目がぱっと輝いたというんです。

少年は休みの間中、学校に出てきて、先生の机の横で勉強をしました。

分からないところは先生から教えてもらいました。

あるとき、少年がふと「今日は僕のお誕生日なんだ」と言ったんです。

その子にとって心を開く最初の扉だったと思います。

病気になったお母さんの面倒を一生懸命みていたのに、お母さんは死んでしまい、お父さんはアルコールに溺れている。

「いじめられるよりも、無視されるほうがつらい」といいますけど、そんな中で先生が声を掛けてくれて、少年は自分が先生に受け入れられたと思ったので、そんなことを言ったのでしょうね。


夕方、先生は小さい花束とケーキを持って少年の家を訪ねました。

汚れた暗い部屋に一人ぽつんと座っていた少年は、先生の姿を見て子どもらしい笑顔を見せました。

しばらくして先生が帰ろうとしたら、少年は部屋の奥から小さいビンを持ってきました。

「これ、先生にあげる」と言って差し出したビンは、ふちが蝋(ろう)で閉めてありました。


先生はそれをもらって帰り、蓋を開けてみました。

中は香水でした。お母さんが使っていた香水だったのです。

きっと彼にとって唯一の宝物だったのだと思います。 

先生は香水が逃げないようにまた蝋を垂らし、きちんと蓋をしました。


学校が始まってからも、少年は勉強を続け、成績がどんどん伸びていきました。

そしてその子が6年生になるとき、先生の転勤が決まりました。

しばらくして、先生はその少年に手紙を書きました。

しかし、なかなか返事が来ませんでした。何となく気にはなりながら、

もうその少年とは縁が切れたような気持ちでいました。

そんなとき、一通の手紙が来ました。そこにはこう書かれてありました。

「先生のおかげで高校に入学できました。奨学金をもらえたから、とてもいい高校に行くことができました」


3年後、今度はカードが届きました。

「父はまだ大変な状態ですが、父から離れて寄宿舎に入って高校を無事に卒業することができました。卒業後は○○大学の医学部に進みます」と書いてありました。

先生は「もうこの子は大丈夫だ」と思いました。

そして、10年近く月日が流れ、少年のことを忘れかけていた頃、一通のきれいな封書が届きました。それは結婚式の招待状でした。

「先生のおかげで僕は医師になり、すてきな人と結婚することになりました。ぜひ結婚式に来てください」 

先生は感動して、しばらく手紙を握りしめたまま、その場に立ち尽くしました。

結婚式の日、先生は大事にしまっていたあのビンを出してきて、蝋を切って蓋を開け、底のほうに少しだけ残っていた香水をつけました。

式場へ行くと、立派な医師に成長したあの少年がハグをしてくれました。

かつての少年の姿が先生の脳裏によみがえり、 

「よくぞここまで頑張ったね」と心の底から祝福の言葉を贈りました。

彼は先生を抱きしめて、嬉しそうにこう言いました。

「あぁ、お母さんのにおいだ」そして、「お母さんが生きてたら、お母さんに座ってもらう席でした」と言って、自分の隣の席に先生を座らせたそうです。


私は、本当につらい人とは、 「自分は愛情をもらえなかった」という思い込みのある人だと思っています。「人生は5歳までで決まる」という言葉もあります。

どんなに家庭環境が貧しくても、生まれてから5年の間に十分に愛情をもらうと、

「生きるっていいことだな」という感覚を持てるのです。

でも、子どものときにつらい生活やつらい体験をしていると、

「生きることは苦しくてつらいんだな」と思い込んでしまうのです。

それを取り去ることは難しいです。

でも小さいときに愛情をもらわなかった人は一生そうかと言うと、絶対そんなことはないんですね。自分が小さいときに思い込んだことを引きずっているだけなのです。

あなたが大人になったという事実は、十分愛情をもらっていた証なのです。

それがたとえ母親でなくても、どこかで誰かが愛情を与えてくれたから、大人になることができたのです。 

<引用終了>


その人の今の見た目。何故、そうなったのか背景を感じることのできない感受性の無さ。 

私たちは、みんながそうかもしれません。 

目の前の状況だけを見て、決してその背景にまで考えをめぐらすことはありません。 

ですから、すぐさま、好き嫌いでジャッジし、レッテルを張ってしまいます。 

ですが、その態度は、もしかしたら、生まれて来た目的遂行のために無意識のうちに敢えて、憎まれても、その役を演じているからかもしれません。 

また、その時、たまたま体調が悪くそのようなぶっきらぼうな態度をとってしまったのかもしれません。

鈴木さんは仰います。

あなたが大人になったという事実は、十分愛情をもらっていた証なのです。

私たちは、とかく、「無いもの」ばかりに目が行き、「今あるもの」は目に入らないようです。

私たちは、九つまで満ち足りていて、 十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、 

まずその不満を真っ先に口からだし、 文句をいいつづけるものなのかもしれません。

人も、人と関わる動物も、植物も、愛情なしでは長く生きられません。 

今迄、一度も優しくしてもらったことなどなかったそう思える人生でも、 

振り返ってみれば、どこかで、誰かに必ず、気にされ、優しくしてもらったことがあるはずです。 覚えていないだけかもしれません。

もしかしたら、それは見えない存在かもしれません。

そして何より、どんなに絶望的に見える人生であっても必ず、神様は常にともにいらっしゃり、見守ってくださっています。

 また神様は、どこかに必ず優しく見守る存在を準備してくださっています。

どんな人にでも、神様は希望の灯を用意してくださっています。

感謝の心さえ失わなければ、必ず神々の恩寵が現れることでしょう。


2021年8月24日火曜日

2434「涙、心の浄化」2021.8.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月20日「愛語」と2021年08月22日「涙、心の浄化」の2つの記事を紹介します。


「愛語」


見える世界、見えない世界を含めその世界のありさまを決めるのは、私たちの心です。

今日は、その心を美しくするために簡単にできる、「愛語」について書きたいと思います。 

きっと、この愛語の精神でいる限り宇宙からのサポートがふんだんに降り注ぎ、

私たちの所属する銀河が、今通過している大きな潮流に乗り、

ご自分も、そしてご家族も幸せになれることでしょう。 

<転載開始> 転載元 小林正観さんの記事より

 

「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚が好んで使っていたと言われています。 

良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。 

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。 

だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。 

それならいくらでもあげることができるから」 

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

にしたいと思っていたようです。 

日本の神道には「言霊(ことだま)」という概念があります。 

「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、

私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、

相手に大きな影響を与える力(神)が宿っていることを、

忘れていたのかもしれません。 

京都に、空也上人(くうやしょうにん)の木像があります。 

木像の口から細い板が出ていて、その上に、小さな仏様が何人も立っています。  

説明によると、

「空也上人の口から発せられるひと言ひと言が、

すべての人を救いに導く『仏』であった」というのです。

私はこれまで、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言うことは、

「悪臭を放つ花の種を蒔(ま)くこと」と同じだと考えていいましたが、 

一歩進んで、自分の口から発せられる言葉をすべて、 

・あたたかいもの

・勇気づけるもの

・安らげるもの

・幸せを感じさせるもの

・喜びを与えるもの

にできたらと思います。 

そうすれば、「芳香(ほうこう)を放つ花の種を蒔く」ことにもなるでしょう。

「悪臭」の中で生きるか、それとも「芳香」の中で生きるか…

芳香の中で生きるほうが、楽しそうです。

「言葉には『神』が宿っている」という考えは、 

「言葉には『気』が込められている」という考えでもあります。

だとすれば、人の心を明るくする気を込めたいものです。

人に対して「愛語」を考えるだけでも、生活が変わってくるような気がします。 

<転載終了>

  

自分の口から出る言葉に少し気をつけて、良寛さんのように、 

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

を口にしたいものですね。 

そうすると、その発せられた言葉は、神さまの波動を帯びていますから、 

必ず相手のハートの中の神さまも共鳴します。

その結果、お互いの間に目に見えない良き共鳴現象が起き、 

美しいハーモニーを奏で、幸せになることができます。

私たちは、自分の心の中に在るものを、自分を取り巻く外の世界に見ます。 

また、自分の心の中のものが、口から出ます。 

ですから、自分の心に取り込むもの(見たり、聞いたりするもの)も

・美しい心の表現

・信じる心の表現

・優しい心の表現

・思いやり、助けいあいの心の表現

を見て、そして聞きたいものですね。

そうすれば、同じもので、私たちの心は満たされます。

逆に、興味本位で(面白いからと) 

・人をけなすもの、おとしいれるもの

・人を疑う、疑心暗鬼のもの

・人を差別するもの、排除するもの

・怒りと憎しみに満ちたもの

からは遠ざかり、心に入れないようにしたいものです。 

それらのことを、もし面白いと感じたのなら、静かに心を振り返ってみてください。 

そこに邪悪なものは潜んでいないでしょうか? 

そうすれば私たちの心のバケツは美しいもので満たされることでしょう。 

美しいもので満たされた心は、それを表現しようとし、周りを幸せにすることでしょう。 

そしてご自分自身も、世の中に美しい心の世界しか、見なくなることでしょう。  

空海の言った「生きながら天国に住む」とはこのことです。

幸せは、神様がくれるものでも、何処かの誰かがくれるものでもありません。 

自分の心が決めるものです。

 


「涙、心の浄化」


この地球、物質世界に住む人々の営みの中に

・優しい心

・美しい心

・思いやりの心

を見た時、自然と涙が流れ、手を合わせてしまうことがあります。

それは、その人々の言葉や、行為の中に神々の姿を見たからです。

 

1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」 アルブレヒト・デューラー

 

神々の起こす奇跡はサーカスのように派手で、人目を惹くことではありません。 

一瞬のうちに、物事を変えてしまうことでもありません。 

神々のなさる奇跡は、隠れて見えません。

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに私達や、取り巻く人々の、心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、それがスイッチとなり起こされます。

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、実は神様の介入により、

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。 

その積み重ね

私たちがその流れに乗ることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。 

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり 

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。 

今まで硬く閉ざされていた、心の扉が開かれた時です。


人々の中に神々を感じ取った自分、それは同時に自分の中の神様に気づき、繋がった瞬間でもあります。相手の中の神々と同調、共鳴し真の自分と繋がった時です。 

その時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・そうお思いになることでしょう。

  

人々の耳目を集める 

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

人々の心、そして自分の心の中に 神々を見つける奇跡にはかないません。

神様は、私たちの魂を輝かせるために「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」 

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

  

今どんなに辛く、苦しい状況に置かれていようとも、私たちの内なる神々は常に私たちと一緒です。苦しい環境こそがかえって私たちの魂を削り、磨き輝きを取り戻してくれます。

苦しい環境であるからこそ心を振り返るきっかけともなります。

  

飢餓の中、空腹の中一個のおにぎりが、どんなに美味しいことか。

渇きの中でコップ一杯の水が、どんなに美味しいことか。

苦しみの中に在って、ちょっとして 人々の笑顔、優しさ、声掛けがどんなに、心を励ましてくれることか。

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり 

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。 

今まで硬く閉ざされていた心の扉が開かれた時です。 自分の中の神々と繋がった時です。 

それは、内なる神々が、ずっと待ち望んでいた瞬間でもあります。



2021年8月23日月曜日

2433「否定の言葉」2021.8.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月17日「否定の言葉」と2021年08月13日「負けるが勝ち」の2つの記事を紹介します。


「否定の言葉」


今日は、斎藤一人さんのお話です。 

斎藤一人さんは、もう何度も納税日本一になった人で、現実のビジネスシーンでも成功しているひとです。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

一人さんは、小さなころから、この神さまに教えられてきたそうです。 

そんなビジネスの第一線に在りながらブッダや神さまのお話を分かりやすい言葉で、

丁寧に教えてくださっています。 

今日のお話も

「否定することで、あなたは何か、良いことがあるんですか?」 

というお話ですが、簡単なようで、できていない人が沢山いらっしゃるように思います。

ですが、一人さんが仰るように、態度をちょっと変えてみるだけで幸せな人生に変えることができます。

それでは、ご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

誰かと話しているとね、必ず否定論を入れたがる人がいるの。

“妄想してもいいことが起きません” 

“妄想すると、人から変な人だとか言われますよね?”とか。

あのね、どうして物事を否定的に言うの?って。

物事は、どこからでも否定することができるんだよね。

だけど、否定することで、あなたは、何か良いことが あるんですか?って話なの。

否定的な角度から話をされると、その場にいるみんなが面白くなくなるんだよね。

で、俺にやるくらいだから、よそでもやってるよねって。

だから、人生うまくいかないんだよ。

人生うまくいかない人って、楽しいシャボン玉みたいなのが飛んでくると、パッと針を刺して壊しちゃうんだよ。しかも、そうやって場のムードを壊してるってことに気づいてない。

みんな幸せになろうって、ピラミッドを一段ずつ積み上げているの。

楽しいことを積み重ねているんだよね。それなのに、脇からそれを壊したらダメだよね。

あなたはまともなことを言っているように思うかもしれないけど、ムードを壊しちゃってるんだよ。

そういう人に、魅力がありますかってことなの。

俺たちのグループは妄想を楽しむ会であって、妄想を否定する会ではないの(笑)。

だから、質問するんだったら “こういうときはどういう妄想をしたらいいですか?”とか、 

妄想する気があることを前提とした内容にしたほうがいいよね。

うまくいかないときは、うまくいくまでやればいいんだよ。

逆上がりでもなんでも同じ。そういうことがわかる人が、魅力のある人なんだよ。

 

<引用終了>

人と話す時、必ず、否定語から入る人がいます。 

・だって・・・

・いや・・・

・でも・・・ 

人が、前向きに、希望をもって・・・

目をキラキラさせて 夢や、希望、未来を話して 喜びを共有し・・ 

共に幸せになろうとしているのに・・・ 

このような否定から入られるともう、そこで話は終わってしまいますし、せっかく、共に喜びあおうとしていた人の心まで暗く、重苦しいものにしてしまいます。 

そんな経験をした人は、もうその人の前では夢も希望も語らないことでしょう。 

喜びを分かち合おうとは、しないでしょう。

ますます、その人の周りには眉間にしわを寄せた、重苦しい雰囲気の人しか集まらなくなることでしょう。

ですが、もし、否定ではなく 受容、つまり、肯定して認め一緒に希望や夢を、笑顔で語り合ってくれたなら、 話した人も、百倍も元気になって、本当に夢も叶ってしまうかもしれません

神さまは、笑顔や希望、明るさ助け合い、受容、許しそのような雰囲気が大好きですから

神さまからも強力なバックアップがあることでしょう。

そして、共に喜びあった二人にはお互いの心の中に大切な大切な何かが生まれることでしょう。

その何かは私たちが死んだ後も、天国に持って帰ることができる 

そして、地球に生まれたがっている全ての生命体が欲しいと願っている物・・

愛

を手に入れることができるでしょう。 

一人さんが仰っているようにちょっと、方向性を変えるだけ

否定から 

同意、肯定、受容や許し、共感、笑顔に変えてみるだけで、

一気に幸せになることができます。



「負けるが勝ち」


さて今日は、萩本欽一さんのお話をご紹介します。

「負けるが勝ち」というテーマです。 

欽ちゃんは、いつも易しい言葉で、大切なことを、分かりやすく伝えてくれます。 

私たちが幸せになるための方法です。

<引用開始> 引用元

 

「負けるが勝ち」よくこう言いますよね。僕もそう信じています。

でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

僕なりの理由はこう。“負けたほうが運がたまるから”。

誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、そういうとき「自分のほうが正しい」とか

「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。

でも、そう思ったら負け。勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。  

「てめえ」でマイナス2ポイント、「ばか野郎」で8ポイントの減点。

売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵っていると、それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。

相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。

具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。

「そうか、悪かったね」とか、「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。

えっ、そんなの悔しい?

そう、悔しいよね。

自分が謝る場面じゃないのに「悪かったね」なんて言うと、損したような気がする。

でも、そのときあなたには、相手が失った10ポイントの運がたまっています。

気持ちで損をするのと、運が10ポイントたまるのと、どっちをとるかっていったら、運がたまるほうがいいでしょ?

こうやって少しずつ運のポイントをためていれば、宝くじだって当たるかもしれないしね。

もう一つ大事なのは、自分が一歩引くことによって、相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。

人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。それでまた10ポイントついてくる。

人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。

だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

だからバ~ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。

負けるが勝ち。いや、我慢していい言葉を返していくとポイントが次々に加算されるから「負けるが勝ち、勝ち、勝ち」だね。

勝ち、勝ち、勝ちって、火打石がカチッ、カチッ、カチッと鳴って火がポッポッポッとつくようで景気もいいでしょ。

今の日本では、運をなくしている人が多いですよね。

これもみんなが怒りっぽくなってることと関係あるんじゃないかな。

これからは相手に一歩譲る人になって、小さな運を少しずつためていきましょう。 

<引用終了>

 

さすが欽ちゃん、良いお話ですね。 

・イライラしたり

・モヤモヤしたり

・怒ったり 

そうすることで確実に、自分の運気を減らしているのだそうです。

もちろん、私たちは、人の中で暮らしていますから、時には、イライラしたりするかもしれません。それは、当たり前のことです。 

ですが、そこにいつまでもしがみつかず、直ぐに、別の楽しいことに 頭を切り替えて、 

その原因となったものにエネルギーを与えない事。 

ずっと、考え続けなければ、その出来事、人に、エネルギーを与えることはありません。 

その結果、いつの間にか、記憶のかなたに消え去っていくことでしょう。 

心を汚すことを避けることができるでしょう。

また

・楽しいこと

・美しいこと

・優しいこと 

そんなもので心を満つことができるでしょう。

心の状態こそが、全ての現実を作り出します。

負けるが勝ち、、、

幸せな人生のための 王道かもしれませんね。


2021年8月22日日曜日

2432「陰徳と悪徳」2021.8.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月18日「陰徳と悪徳」と2021年08月19日「うつと霊」の2つの記事を紹介します。


「陰徳と悪徳」


今日は、春日大社宮司であった葉室頼昭さんの「神道 いきいきと生きる」より

「陰徳を積む」というお話をご紹介します。

 <引用開始> 引用元


生物のいのちが続くというのは、

・伝え、

・順応し、

・待つ。

この三つで生物は進化を続け、いのちを伝えています。

この伝統を伝えるということ、そしていろいろな厳しい環境に順応し、

去っていくのを耐えて待つことが必要なのです。 

しかし人間はそれだけではありません。

人間が何のためにこの地球上に生まれたのかということが重要なのです。

人間は他の生物とはまったく違った目的で誕生したのだと思います。

つまりそれは神の世界を見て、こんなに素晴らしい美の世界だということを表現するために、神様は人間というものを産み出されたのだと私は考えています。

それは人間だけが優れ、他の動物が下等というのではありません。

ただ人間は、この目的のために進化を続けているということです。

そして人間の場合、ただ進化しただけでは、いのちは伝わっていかないのです。

そこに「徳」というものが必要だと私は思っています。

とくに日本人はこの徳を積まないと、いのちが子孫に伝わっていかない民族だと思うのです。しかも陰徳という徳です。

この陰徳を積んできた家が今続いているのであって、陰徳を積んでいない家は、

いのちというものが続いていないように見受けられるのです。

私は小さい頃よりおふくろから、「陰徳、陰徳」と耳にたこが出来るくらい聞かされて育ちました。

友だちのために一生懸命にやって、友だちが何も感謝してくれないこともありました。

その話をすると、「それでいい。それが陰徳です。それが子供に伝わっていくから、

それはそれでいい。むしろ感謝されないほうがいい」と言われ、

わけもわからず、そんなものなのかなと聞いてきました。

その意味がいまこの年になってようやく分かってきたのです。

普通、人はこれだけ尽くし世話をしたのだから、感謝してほしいと思うことがよくあります。

しかしそうすると、もうそれは陰徳ではなくなってしまうのです。

感謝や見返りをいっさい求めない。人の喜ぶことをしていれば、それが一番いいのです。

そういうことの積み重ねが陰徳になり、やがて子々孫々にまでその余徳が及んでいくのです。

この陰徳と関連して、大きな努力と小さな結果ということも大切なことです。

大きな努力をして小さな結果を望みなさい。この逆をやって小さな努力で大きな結果ばかりをもらっていると、いずれ滅びてしまいます。

例えば、百万円を儲けるために、Aという努力をして百万円儲かるんだったら、

その何十倍も大きなBという努力をして、そして百万円を得るようにしなさい。

そうしたら陰徳で栄える。こういうことなんですね。それは努力のわりに儲けが少ない。

しかし、そうしたらその分、徳を積んで、続いていくのです。

この世の中というのは、栄えるというのではなく、続くということが一番大切なことなのです。会社がどんなに儲かっていても、潰れてしまっては元も子もありません。

何ごとも、いかにしたら続くか、ということを第一に考えるべきなのです。

<引用終了>

 

自分で積んだ徳は、何倍にもなって自分だけではなく、子供や、孫などの子孫、

そして時間をさかのぼって、先祖までにも良い影響を及ぼすといわれています。 

人の心は、

・時間

・空間(距離)

・次元

 を全て包括するだけでなく 

・見えている世界

・見えない世界 

までをも内包する偉大な世界だからです。

これとは逆の悪徳 

これは自分さえよければ、他人はどうなろうと構わない

そういった 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

の心であり、 

俺が俺が・・・

私が私が・・・ 

と感謝や見返りを求め、自分だけが特別扱いされたい意識です。 

これは陰徳とは全く逆の方向性を持っていますから、 

自分や子供、孫、子孫

先祖に跳ね返ってくるものも

逆の効果を生み出します。

明治までの日本人は自然体として、この陰徳の心が根付いていたそうです。

ですが、文明開化と称し西洋の物質文明、白か黒か? 

大きいことは良いことだ自然を征服して幸せを手に入れる・・ 

このような思想が入ってきました。

この時代、江戸末期から明治にかけて古くからの日本の神々は、日本人の精神に危機感を抱きました。ですので、この時期に沢山の国津神系の神々の動きがありました。

天理教、金光教、黒住教、大本教、生長の家など、 明治になって150年日本は令和の時代を迎えました。 

陰徳の心を自然の心として持っていた日本人の精神はもしかしたら、時代の潮流を変えられるかもしれません。

今は隠れていても私たちの身体には祖先のDNAが、しっかり組み込まれています。

心を祓い清め神々に連なる精神を復興していきたいものですね。

そして生きとし生けるもの皆が笑顔で幸せになりたいものですね。



「うつと霊」


今日はうつ病や、その他の病気について書きたいと思います。

記事の中に霊体のお話も出てきますのでご興味のない方は遠慮なくスルーされてくださいませ。小林正観さんの うつからの脱出の方法についてご紹介します。

<引用開始> 


『それはうつ病の特徴でもありますが、私自身も若い頃に二度、そういう経験があったのでよくわかりますし、ひとごとではありません。』


小林正観さん自身のウツ症状について書いてある一文です。

ウツ病というのは、それを持ち込んでくる霊体があり、それが憑くと発病、離れれば治る。

笑顔や明るい言葉が、ウツの霊体は嫌い。

楽しくなくても【祝福神】(以下の7つの言葉を正観さんはそう名付けた)

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を言う。笑顔を作る。

一週間に3000回以上も言い続け、ウツ病が治ったという報告があった。

『宇宙を解説百言葉』より

<引用終了>


この病気には、ずいぶん多くの方が悩まされています。

それだけ世の中がすさんできている証拠だと思います。

ご本人はもちろん、ご家族の方も、本当にお辛いですね・・

小林正観さんは、人生好転の方法として、よく言霊を教えていらっしゃいます。

斎藤ひとりさんもそうですね。

それはきっと、「南無阿弥陀仏」 のように 

一般の私達にとって、簡単でとっつきやすく、そして継続がしやすいからだと思います。

そしてそれらの言葉の秘められた力ももちろんあります。

幸せになる方法を理屈でどうこう説明されても、

なかなかそれを正しく理解して実践する事は難しいですので、 

この言霊の方法は、本当に素晴らしいと思います。

正観さんも若い頃、うつ病だったのだそうです。

そう言えば「置かれた場所で咲きなさい」の渡辺和子さんも、50代でうつ病を発症しました。

ですから、今、この病気にかかって苦しんでいる沢山の皆さん。

決してあきらめる必要はありません。勇気を持って下さい。 

絶対に治りますから。大丈夫です。

正観さんの教えてくれた方法は単純です。

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を何度も何度も、繰り返し言うことだけです。

(声に出さなくても結構です。気持ちがこもっていなくても結構です)

宇宙の法則に、似合わないことは起こらないと言うものがあります。

似合わないことは起きない!

だから「うつ」や「パニック障害」が似合わない人になることが、

この病気から脱出する近道なのです。 

斎藤ひとりさんはこんなことを言っています。(姿かたちから入るやり方です)

要するに、不幸や苦労が似合わない格好すると、そういうこと(不幸や苦労)は起こらない。

「もっと、しあわせ」になれるよ、ということです。

不幸や苦労が似合わない格好とは何かというと、まず明るい色の洋服を着ること。

キラキラ光るアクセサリーを身につけること。

髪にもつやを出し、靴はきちんと磨いたピカピカのものを履くこと。

こういうふうに明るくて華やかで輝きのある恰好をして、

顔がつやつやの人は、どう見ても「しあわせそうだなぁ」としか思えません。

苦労や不幸はまったく似合わないのです。

似合わないことは起きないのですから、幸せな人に変わってきます。

また失恋して落ち込み、死にたいと相談に来た人がいるとします。

そう言う時は、まずは「腹ごしらえをしよう」と餃子の王将に連れて行きます。

そこで、どんどん餃子を頼み、食べさせます。

すると、死にそうな人が、油ギトギトな餃子をほおばる姿は似合いませんから、

その人から「死にたい」という意識は消えていきます。

正観さんの教えてくれた方法

・うれしい

・たのしい 

・幸せ

・愛してる

・大好き 

・ありがとう 

・ついてる

を最初言うのは辛いかもしれません。 

ですが、頑張って続けていけばクセになります。

そうするといつの間にか病気から脱出している。。 ということです。

病気で苦しんでいる皆さんが、どうか、お幸せになりますように・・・





2021年8月21日土曜日

2431「アメノミナカヌシからの言葉」 2021.8.21

 今回は木の花ファミリーのいさどんのジジイからのメッセージ「ジジイのブログ」の2021年8月15日「アメノミナカヌシからの言葉」と2020年8月12日「「修行」とは、本来必要のないもの」の2つの記事を紹介します。


「アメノミナカヌシからの言葉」


意識を中空上に向け、日頃のあなたの思考の位置から離れることをまず勧めます。

そのように意識を頭上に持ち上げることが出来れば、自らの日頃の生き方、姿勢を俯瞰してみることが出来るのです。

さらに意識を上空に持ち上げることが出来るなら、あなたは、この生命の星である地球を俯瞰してみることが出来るのです。


その誘導についてこられるなら、さらに天空に向かい意識を上げ、そして自らの存在を天空に向かい発信する、つまり、自らの存在を認識していただくことをお願いすれば、宇宙の根本、我々の銀河生命としての大本に、あなたの意志が届くことになります。

それは、自らの中から湧き出す自我や欲望から生まれる低くて狭いものであっては出来ないことであります。日頃の思考の回路に気づき、目覚め、コントロールすることにより、それを繰り返し、繰り返し、反復し、身に付けたとき、この手法はあなたの中に確信となり、手ごたえのあるものとして芽生えてくるものです。


そのような精神状態になれば、内からの閃きと天より降りる直感により、あなたは常に人間としての意識を超えた宇宙意識となることが可能となります。この人間の可能性はどの人の肉体にも精神にも種となり有するものであり、このことが人々に理解されたとき、時代は次の時代の幕開けを宣言し、人間社会の矛盾はたちどころに消えてゆくことになります。

今のような物理的解決をもって矛盾の解消に奔走すればするほど、それは報いとしての現象に翻弄され、益々ことはむずかしくなるばかりになります。そのことよくよく自らに戒め、根本的な解決、つまり意識の大転換をしなければならない事を、戒め、戒め、戒めて下さることを願うものであります。


これは、時代の扉が開く証として、人間の作る社会の改革と、今まで人間がもたらしてきた矛盾、汚染、そういった汚れを物理的に解消するための最も大事な第一歩である事を、くれぐれも肝に銘じてことを進めるべきであるという事であります。心構えの心の位置が下にあるのではなく、横にあるのではなく、真実の真心になければならないということであります。

くれぐれもよろしくお願いします。そもそも、このような悟りは誰かが語らなくとも、人が真実に目覚めるための目が開きだしさえすれば、一人ひとりの中にそのメが出るのであります。そのメ、全ての始まりのメをアメと言います。そのメの中心に、柱としてしっかりと不動のものが下りたときに、それは全ての命の原点、ミコトの柱となり、そのものも正しく祭りを地上で行うものとなるのです。


この柱のことをアメノミナカヌシと申します。それが地上に降り、そのメがこの無限の大循環の中で自らの役割に目覚め大いなる役割を果たすとともに、その生命の尊さを自由自在に表現したとき、命が地上に無限に生まれ、大循環の仕組みが地上に流れ、螺旋となり、無限に連鎖します。それをクニノトコタチノミコトと申します。

わたしたちは、宇宙の大いなる柱であるアメノミナカヌシノオオカミのもとに、クニノトコタチノミコトの分身分霊として存在するという事であります。さすれば、一人ひとり自らの価値がいかに尊い者であるかという事が自覚され、自ずとこの宇宙大循環の法則から外れるような行いはしなくなるものです。


つまり、この世を良くし、理想郷を築こうとする者は、形を先に考えるのではなく、この宇宙創造の仕組みに則った相応しい精神を体得するだけで、自ずとそれに相応しいものとして目覚め、それがこの世界に桃源郷を現す事につながるのであります。

これは個々の自我が行うものではないのです。私たち一つひとつの生命が、その大いなる物理性、霊性により成り立っている事の真実につながる分析であり、ただただその目覚めの位置に、自らの悟りの位置を求めるのが大切であるという話なのであります。全てはその法則のもとにあり、我々は学びを深め、そして大いなる法則がわたしたちを良き方向に導いてくれている事を悟る事なのです。

 

「「修行」とは、本来必要のないもの」


健全な生命、人間以外の生命は、自分を活かすということを、無意識のうちにできるようになっています。しかし人間は自我が強すぎるために、意識したことが自分に矛盾を生むような生き物になってしまいました。ですから自我を超越するための修行が必要になったのですが、修行というのは、本来必要ないものなのです。人間以外の生き物で、修行をする生き物はいないでしょう?ところが人間は、特別な境地に自らを追いやらなければ、そこに気付けないのです。だから止むを得ず、自らの状態を客観的に観て自我を超越するための修行が必要になるのです。


しかしそれは本来、特別なものではありません。自らの思考に囚われない客観的な思考を持つことにより、目指すべき精神状態というのは自然に湧き出してくるものです。生命である人間には、そういった仕組みがもともと備わっています。そしてそれは人間だけではなく、他の生命にも全て、自らを正しく活かす仕組みがもともと備わっているのです。

「どうしたら自分は良い人生が生きられるだろう?」と考えた時点で、既に自我の虜になっています。そのような、自らの願いと反対の方向へ進む思考を巡らせるのではなく、今、自らに与えられている現状を頂いていくことが大切です。その現状を通して大切な気付きを得るための修行を与えられていると思い、現状への感謝の心が湧いてくれば、道は開けるものなのです。


2021年8月20日金曜日

2430「冥界との絆」2021.8.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月16日の記事を紹介します。


「冥界との絆」


今日は遅ればせながら、お盆のお墓参地に行ってきました。 お供え物持っていきました。 

先祖の皆さんは冥界(神々の世界)にいらっしゃいますので意識したことが、現実になる世界です。私たちがお供え物をすることで、その意識は冥界で現実化して、先祖の皆さんに届けられます。

・お酒好きだった方

・甘いもの好きだった方

が喜んでくださるように買ってきました。


日本古来の古神道では

・神々との繋がり

・祖先との繋がり 

これらを

・横のつながり

・縦のつながり 

として、大切なこととしています。 

以前、宝徳様の神職の女性が「先祖供養」について話してくださったことがあります。

それは、

私達生きている者と、神さまの間に、ずらっとご先祖がいらっしゃる。 

つまり、神さまと生きている私たちを繋いでくださっているのが、ご先祖 

先祖供養をすることで、私たちまで命を繋いでくださったことに対する感謝を伝え

(どんなにか、苦労を重ね、喜び悲しみを経験し、生き抜いてくださったことでしょう) 

そして、神様と私たちの、その道の間にいらっしゃるご先祖

どなたも、神の光の道からそれないように、

 真っすぐに神様の方向へ進めるように足元を照らすようにお祈りするのが、先祖供養です。

 そう教えていただいたことがあります。 

さて、斎藤一人さんも、先祖供養について、いろいろ教えてくださっていますのでご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

先祖供養の本当の意味は、子孫であるその人のことを、「いてくれてよかった」って言う人が何人いるかなんだよ。

大きな仏壇を買うことが先祖供養じゃないの。それは仏壇屋さんや宗教をやってる人が言うこと。

さらにいえば、それって商売なの。仏壇に入っているのは仏様なんです。

それで30分も1時間も先祖供養のために

念仏を唱えるっていうんだけど、お経って仏様の教えなの。 

仏様が教えたことを仏様に向かって30分も1時間も話すって変だよね。 

きっと仏様も、「それ、俺が言ったんだよ。

だからわかってるから、外に行って実践しな」って言うと思うよ。

お経をあげるのがいけないって言ってるんじゃないの。

あげてるあいだは無心になれるし、そのあいだ、人の悪口とか言わないからそういう意味ではいいの。 

でも、どうせだったら、意味も知ってたほうがいいよね。

さらに言えば、それを実践できるようにしたほうがいいよねってことなの。

だから先祖供養でいちばんいいのは、

「あなたがいてよかった」(あなたが生まれてきてくれて良かった)って言ってもらうことなの。

あなたが生まれてきたのはご両親がいて、そのまたご両親がいたからなの。

先祖が誰一人として欠けても、あなたはこの世に生まれてこなかったんだよね。

子供をほめられたら親ってうれしいの。

だから、あなたがほめられることが、最高の先祖供養になるんだよ。 

<引用終了>

   

確かにそうかもしれませんね。 

私たちも、子供たちが、世間の皆さんに喜ばれる存在であれば

自分が褒められる以上に、とっても嬉しいと思います。 

私たちが、周りの方々に示す

・優しさ

・思いやり

・助け合い

・お互い様、おかげ様 

の心は、自分たちだけでなく、ご先祖様を含めて幸せにしてくれるようです。  

また私たちが、ご先祖や大切な方々を思い浮かべ、感謝の気持ちを持つことは、 

その瞬間、時空を超えて、冥界で神様に向かって歩いている方々の 

足元を神さまの光で照らすことになるようです。

ご先祖だけでなく、大切な方も同じことです。

これこそ人に依存しない、理想的な形の先祖供養かもしれません。 

また、「親孝行」について、小林正観さんが以下のように仰っています。

 

<引用開始> 引用元

 

親孝行とは、親が生きている間にしてあげるものではありません。

本当の親孝行とは、親が亡くなったときから始まります。

親が亡くなり、あちらの世界に行って、こちらを見ているときに

ほら見てください。あれが私の子供です。 

あんなに人に喜ばれながら楽しそうに生きているのが、私の子供です。

と自慢できるような生き方をすることが、最大の親孝行ですよ。

親や祖父母、近親者が亡くなって

何もしてあげれなかったと思っている人も多いようですが、

本当の孝行って今これからなんですね。

・人に喜ばれていますか?

・今を楽しんでいますか?

ご先祖様が、私たち子孫の自慢話を話題にできるような、生き方ができているか?

見つめ直してみましょう。

  


<引用終了>

 

ご先祖も、両親も、そして今の家族もみんなを幸せにするのは、 みんなに幸せを感じていただくためには、 全て、今の私たちの生き方、心ひとつにかかっているのですね。 

みんなが幸せに、笑顔で生きていけるよう、命を繋いでくださった先祖も、

神さまのもとに、真っすぐに歩みを進めて行けるように、心を整えていきたいものです。 

私たちの心は、本当は

・見えている世界

・見えない世界

さえも包括する、偉大で尊く、巨大なものです。

  

みんな、心の鎧を脱ぎ捨ててしまえば、純粋で、優しく、愛に溢れた光り輝く魂を持っています。まずは、自分の半径3m身近な人たちに笑顔と優しさを分けて差し上げることからスタート。 

昨日、今年初めての滝行をしてきました。

お盆でしたので、先祖の皆さんと一緒に禊をしたことになるのだそうです。

水流も凄かったのですが、心の包身(ツミ)、氣枯れ(ケガレ)を強力に祓っていただきました。

神道では、祓われたツミ、ケガレは黄泉の国に流れ

浄化され、再び美しい神々のエネルギーに戻ると言われています。

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。



2021年8月19日木曜日

2429 「一人じゃないよ 私のいのち」2021.8.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月14日の記事を紹介します。


「一人じゃないよ 私のいのち」


今日は「命の大切さ」についてのお話です。 

私たちの周りには、一つとして、 

・いらない命

・無駄な命

・軽蔑してもよい命

・尊厳を踏みにじってもよい命

などありません。

私たちは、周りの全ての命と繋がり、生かされ、そして育まれて来ました。 

沖縄の音楽の先生、下地なを美さんが、いじめによる苦しみから自殺する子供達を愁い、

子どもたちに歌を通して命の大切さを伝えようと、オリジナルソング「つながるいのち」を作詞作曲されました。

ご紹介します。 

尊い子供達の命の灯が、一¬つでも消えませぬように・・


「つながる いのち  下地なを美」

なぜ生まれたの だれもが思うの

ひとり寂しい時 そっと涙ぐむ

あの星の光が 私に言うの

大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ

ひとりじゃないよ 私のいのち 

今は寂しくても 泣かないで歩こう

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

ポツンと座わってる 蛍のような

私のこの灯り だれも消さないで

生まれたその訳を 星は知ってる

この世で光りなさい  

授けられたの

授けられたの 私の光

今はちっぽけだけど 輝いているんだ

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

 
私のこの腕が 私の足が

共に今生きている 支えてくれる

この胸の鼓動が 私に言うの

大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ

ひとりじゃないよ つながるいのち  

億千万の星 巡って生まれた

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

ひとりじゃないよ 私のいのち 

つながっているんだ 私の明日へ 

<転載終了>


いじめが原因で自ら命を断つ子供たちがいます。

いじめは、本人だけでなく、様々な影響を周囲に及ぼします。

そしてその影響力は、長期間にわたります。

大切に大切に育ててきた我が子が、苦しんでいる姿を見る親も、心に深い深い傷を負います。

いじめは、子供たちだけの問題ではなく、大人の間でも発生しています。

いじめや、心ない言葉、悪意、嫉妬、疑心暗鬼、誹謗中傷

そのようなもので、傷つく人が沢山います。

そして何より、いじめた本人もいつか、同じ苦しみを味わう時が来るでしょう。 

与えたものが、受け取るもの私たちの住む宇宙には、その法則があるからです。

つながる いのち・・・

 

目の前の命を、しっかりと見つめること 

・家族、友人、同僚

・好きな人

・嫌いな人

・目の前に立ちはだかる人

・邪魔をする人

・足を引っ張る人

・悪口、陰口を言う人

・意地悪をする人

・疑う人

・私たちを、無条件に信じ、愛してくれる動物たち 

・季節ごとに、美しい顔を見せてくれる植物

・春夏秋冬、優しさ、厳しさを見せてくれる自然 

・私たちを慈しみ育んでくれる 地球

  

私たちは、沢山のかけがえのない命に囲まれています。

どれ一つが欠けても、今の私たちには なれませんでした。

みんな尊い、尊い存在です。大切な命です。

生きている、 みんなが  幸せでありますように。

笑顔でありますように。 

助け合って生きて行くことができますように。 

お互いさまの気持ちで生きて行くことができますように。 

随神の道(かんながらの道)を歩むことができますように。 

誰一人として、孤独で寂しい瞳をしている人が居ませんように。

皆さんと、皆さんのご家族が、そして、お友達が、お幸せでありますように。 

輝く笑顔でありますように。